E.V.A.~Eternal Victoried Angel~   作:ジェニシア珀里

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第拾参話 贖罪と感謝の味

 何度通ったであろう、ネルフの廊下。

 レイにとってはほとんど家のような存在であるこの施設。

 しかし、そこを歩くレイの足取りは、今日はとても重かった。

 

 数日前から、レイはモヤモヤとする気持ちに戸惑っていた。それは決して心地良いものじゃない。

 しかし、何が、どうして嫌なのか、レイには分からなかった。どうしてこんなにも嫌な気分になるのかが。

 ただ、モヤモヤする感情に襲われるときは決まって、シンジとアスカが楽しげに話すときなのだった。

 分からないのだ。二人が楽しそうに過ごしているのは悪いことでは全くない。むしろ喜ばしいことのはずだ。それなら、私は何に不満を感じているのだろう。

 レイはエレベーターまで辿り着くと、下向きのボタンを押した。

 エレベーターが降りてくるまでの時間は、苦しいほど長かった。

 

 

 

 

 

《E.V.A.~Eternal Victoried Angel~》

 

【第拾参話 贖罪と感謝の味】

【Episode.13 What to Protect, What to Change】

 

 

 

 

 

 レイのモヤモヤは増幅するばかりだった。降りてきたエレベーターには既に先客がいて、しかもそれがさっきまで脳内に居座っていた2号機パイロットだったのだ。

 感情があまり表に出ないレイも、この時ばかりは自分でも分かるくらい顔を歪めた。奥の壁に横向きに寄りかかっている彼女がチラリとレイを一瞥した。エレベーターを閉めると、彼女の方に背を向けて目を合わせないようにした。そして、早く目的の階に着いてくれることを願った。

 

「……心を開かなければ、エヴァは動かないわよ」

 

 後方の彼女が突然口を開いた。レイは眉をゆがめる。なぜわざわざ話しかけてくるのだろうか。話したくなんか、ないのに。

 

「何の話……」

「そのままの意味。エヴァは自分の心の鏡だってこと」

 

 そんなこと、言われなくても分かっている。

 

「……動かせるわ。シンクロ率に、問題はないもの」

「心理グラフが大きく乱れてた。アンタも自覚あるでしょ?」

「…………」

 

 否定ができなかった。さっきもモヤモヤする気持ちのままテストを受けたから、結果が悪いのは何となく予想していた。

 

「アンタもガキよね。無理に強がっちゃってさ。シンジと同じだわ」

 

 そのたった一言がレイの逆鱗に触れた。自分を悪く言われたことだけでなく、シンジのことも悪く言われたということを瞬時に理解し、途端に、モヤモヤが怒りに変わるのを感じた。

 

「っ……、碇君は、そんな人じゃない……」

「いいえ同じよ。自分の感情に蓋をしながら、自分の居場所を見つけようと現実逃避し続けてる。そんなの、ガキ以外の何でもないわよ」

 

 どうしてそんなことを言うの。レイは沸き起こる怒りに歯を食いしばった。シンジとあんなに仲良さそうに話をしてるというのに、どうして。

 シンジはレイを助けてくれた。第6の使徒との戦いの時、自分の身を挺して守ってくれた。それが脳裏に浮かぶレイにとって、この時のアスカの言葉は許せなかった。

 

「いつか絶対ボロが出……」

 

 シンジはガキなんかじゃない。レイはとうとう耐えられずに、思いきり手をあげていた。

 

 

 

 パァン、という乾いた音が小さな密室に響き渡った。

 アスカは表情を変えずにレイの目を見た。レイの方は歯を食いしばったまま、眉をつり上げて目の前のアスカを睨みつけ、言い放った。

 

「……碇君の悪口は言わないで……!」

「………」

 

 レイに平手で叩かれたアスカの頬は赤くなっている。しばらくの間、アスカはレイの目をまっすぐに見続けると、ふと微笑んで目を閉じた。

 

「これで貸し借りチャラか……」

「え……?」

 

 アスカが急に、さっきとは違ったとても優しい声で、脈絡のない言葉を呟いたので、レイは目をパチクリさせた。

 一方のアスカはどこか物憂げな表情を残しながら、レイに笑って見せた。

 

「悪かったわね、気分悪くするようなこと言って。アンタの気持ちを聞きたかったのよ」

「私の……気持ち……?」

「謝るわ。心理グラフが乱れたのも、十中八九、アタシのせいだから」

 

 その時、エレベーターが開く。ドアの外には誰もおらず、レイの目的場所ではないから、目の前の彼女が降りるのだろう。

 そう理解するが早いか、レイは思わずアスカを引き留めていた。

 

「ま、待って……!!」

 

 服を掴まれたアスカは、予想外のレイの行動に一瞬目を丸くした。

 

「?」

 

 しかし、アスカを引き留めたは良いものの、レイはどんなことを言うのか言葉がまとまらなかったらしく、目を泳がせていた。

 

「あ、あの……」

 

 そんなレイの様子にアスカはやれやれとため息をついた。

 レイの言いたいことは大体分かる。どうして、私をわざと怒らせたのか。どうして心理グラフを乱したのが自分だと言うのか。どうしてそんなことを聞いたのか。そんなところだろう。

 アスカは開いたエレベーターの扉が閉まらないように、腕を組んで寄りかかった。混乱するかもしれないから今は言うまいと思ったが、やっぱりこれは、今、伝えるべきなのかもしれない。

 

「アンタさぁ」

「?」

「アイツのこと、どう思ってんの?」

 

 アスカは訊いた。問い詰めるような顔を向けることはしなかった。

 

「アイツ……?」

「……今の流れから察しなさいよ。シンジよ、碇シンジ」

 

 マヤからシンクロテストの結果を聞き出したとき、アスカの疑問は確信へと変わった。レイはすでに、前の世界の同じ時期よりも、シンジに対して特別な想いを抱いている。心理グラフに乱れが生じていたのはそのせいだ。シンジと自分が付き合い始めてから彼女の表情が暗くなったことも、自覚していない嫉妬心からくるものなのだ。

 残念なことにレイはそのことに気づかない。いや、気づくことができないのだ。もともと、ヒトの感情をあまり知らないのだ。マヤからテスト結果を聞いたとき、アスカはその事実を再認識し思わず歯噛みしたのだった。それと、自分が無意識のうちにレイを追い詰めていたということにも。

 

 

 

「…………分からない」

 

 レイは小さく、少し悔しそうに答えた。

 

「分からない……けど、碇君といると、安心する……」

 

 小さく言うレイの姿が、アスカには微笑ましく映った。シンジに対して特別な想いを持っている、そのことを、言葉に換えて必死に表現しようとしているのがとてもレイらしいと思った。

 自分とは正反対だな、とアスカは思った。アスカは、前史では加持に向けていたような「憧れ」の感情は全面に出しながらも、本当の「好き」という感情は、一切認めようとしなかった。

 なぜなら、好きになってしまったら、もし、予期せずに相手が消えてしまった時、自分は絶対、平静を保ってはいられなかっただろう。かつて母親をエヴァによって失ったという経験が、アスカの最心部から「好き」の感情を排除していた。

 そう、好きな人を失うのが怖かったのだ。前史のサードインパクトが起こってしまってからやっと気づいたが、シンジに対してあれほどまでツンケンしてたのには、はっきりとした拒絶があったのだ。好きになってしまったら、もう、後には戻れないから。ましてや自分たちはエヴァに搭乗し使徒に対抗するチルドレン。命の保証などない。だから思いきり突き放し、何とも思わない存在にしたかった。例えシンジが死んでも、何食わぬ顔で過ごすために。

 けど結局、自分はシンジのことが好きで仕方なかったことに気づいた。突き放そうとしたという事実が逆に、自分の本音を証明してしまったから。

 それが、アルミサエル戦後に壊れ、葛城家から逃げた最大の理由だ。

 心の奥底の感情など、易々と変わることなど、決してない。

 

「ねぇ、綾波レイ?」

 

 アスカはエレベーターの外に目を向けて話し始めた。

 

「よく覚えときなさいよ。それが、好きってことなのよ」

「好き……?」

「そう」

「好き……私が……碇君のことを……?」

「そうよ。アタシも同じだからよく分かるの。アイツとは、これからもずっと、死ぬまで一緒にいたいって思う。シンジが貶されればさっきのアンタみたいに殴りかかるし、シンジが危なくなったら、エヴァを使ってでも助け出す」

 

 レイは目をパチクリさせた。アスカの勢いに圧倒されたのか、それとも感心したのか。とにかく、レイはこのアスカの言葉に深く共感した。

 

「そう、あなたも……」

「アスカよ」

「え?」

「アタシのことも名前で呼びなさいよ。友達なんだし」

「友達……」

「アタシも、アンタのことは『レイ』って呼ぶから。じゃあ、また後で。ちょっと用事があるから」

 

 腕時計をチラッと確認したアスカはそのまま少し薄暗い廊下に歩いて行く。

 一人エレベーターに取り残されたレイは、閉まりゆくドアの向こうで、歩きながら手を振るアスカを見て、小さく微笑んだ。

 

「ありがとう………アスカ」

 

 

 

 どうしてあんなことを言ったのだろうか。レイに気持ちを自覚させれば、いくらシンジが自分のことを好きであっても、ライバルを増やすだけのはず。

 

 でも。

 

 レイには返しきれない恩がある。自分とシンジに、もう一度やり直すチャンスを与えてくれた。ならば、こっちもその期待に応えなければならない。

 シンジと、自分と、そしてレイも一緒に。みんなで幸せになりたい。そう願ってのことだった。

 

「アイツめ……大人しそうな顔して力は強いんだから……」

 

 未だに少しヒリヒリする左頬をさすりながら愚痴をこぼす。しかしその言葉とは裏腹に、フッと笑みを零したのだった。

 

(三人で料理でもしようかな)

 

 意外に楽しかった昨日のことを思い出し、不意にそう思ったアスカだった。

 

 

 

 ******

 

 

 

 シンジは自販機コーナーでイヤホンをしながらS-DATのラジオダイヤルを回していた。今日もとりあえず盗聴機能の感度は良好のようだった。

 特に今日は会議もなかったので問題なかったが、もしもの時のために使えなくなっては困るので、なるべく高頻度で点検作業を行うことが結構重要なのだ。もっとも、この盗聴システムはリツコが開発した特殊なアナログ周波数で繋げてもらったため、異変が起こればすぐに分かるといった優れた仕組みになっているのだが。それゆえに、盗聴器の存在に気づかれたとしても、それに気づいたのが誰なのかも特定できる可能性がある。

 例えば、加持リョウジのような。

 

「ヒッ!?」

 

 その瞬間、首に冷たい何かが当たってシンジは思わず飛び上がった。振り返ればヤツがいた。

 

「かっ……加持さん!脅かさないでくださいよ」

「ま、いいじゃないか。たまにはデートでもどうだい?」

「デートて……。僕、男ですよ?」

 

 差し出されたアイスコーヒーの缶を受け取ると、シンジは加持から距離を取るようにして身構える。

 

「ノープロブレム。愛に性別は関係ないさ」

「それより何ですか、要件があるなら家にでも来ません?」

 

 シンジは加持の冗談をさらりと受け流し、飄々と笑った。

 

「食えないなぁ、君は」

「僕が誰か知ってる癖に」

「ハハッ、敵わないな。では、家よりも良い場所に案内して差し上げますよ。もっとも、シンジ君はもうご存知でしょうがね」

 

 なるほど、あそこか。

 

「ええ、じゃあお邪魔します」

 

 

 

 シンジが連れて来られたのは加持の菜園だった。誘われたのもあって畑仕事を手伝うことになったシンジは、しゃがみ込んで草をむしり始めた。痺れを感じて一旦立ち上がると、背伸びをして腰を叩いた。

 

「土の匂い……」

 

 シンジは、手についた土の匂いを嗅いでつぶやいた。

 

「もうヘタバったのかい?給料分は働いてもらうぞ」

 

 首にタオルを掛けた加持がシンジの方へ振り返る。

 

「給料って、まさかさっきの缶コーヒー?ったく、デートって言ってたのに。加持さんてもっとマジメな人だと思ってました」

「……皮肉かい?」

 

 加持は以前、日海保存研でシンジから聞いた前史を思い浮かべて思わず苦笑いした。真実を追い求め、最後はゼーレとネルフを両方とも裏切って殺された自分のことを。

 シンジはニッと笑った。

 

「いえ、ホントのことですよ。殺されると分かっていながら、最後まで自分の信念を貫く人ですからね」

「そんな風に見られてたのか……」

「にしても、やっぱりスイカなんですか。忙しいのによくやるもんですね」

 

 シンジはしゃがみ込んで草むらを覗くと、感心したように加持に問いかけた。

 

「ああ。かわいいだろ?何かを作る、何かを育てるってのはいいもんさ。趣味でやってるだけだが、いろんなことが見えてくるからな」

 

 二人は背中合わせで地面に向かいながら話す。

 

「加持さんらしいです」

「ハハッ、そうか?」

「楽しいことも、辛いことも、人生にはいろいろなことがある。特に、辛いこととか苦しいこととか、イヤな経験もあります。でも、そこで逃げてちゃ駄目ですからね」

 

 加持は感心した。

 

「強いんだな、君は」

「加持さんが教えてくれたんじゃないですか。辛い事を知っている人間のほうがそれだけ他人に優しくできる。それは弱さとは違うって」

「……なるほどな。それならシンジ君、君にとって辛いことっていうのは、前史でのサードインパクト後の世界か?」

 

 加持は一呼吸置いてから、シンジに問いかけた。

 

「ええ。でもそれより辛かったのは、その虚無の世界を作ってしまった僕たちリリンの存在でしたけどね……」

「そうか……」

 

 シンジはスイカの一つを抱え、軽く叩いた。緑の球体、それがほんの少しだけ、自分の棲む地球にみえた。

 

「だからこそ守りたいんです、この世界を。加持さん、5号機と第3の使徒について詳しく教えて下さい」

「………シンジ君」

「はい」

「俺の作ったスイカは美味いぞ?」

「……はい?」

 

 

 

「流石にバテそうだったからな。時には休憩も必要だ」

 

 木陰のベンチに座るシンジに、加持が持ってきたのはカットされたスイカだった。畑の端の方にあった水道で、今朝から加持が冷やしておいたのだという。シンジは釈然としないまま礼を言った。

 

「はぁ……ありがとうございます」

「それで、5号機と第3の使徒だったな?」

「! はい、確か、ベタニアベースでしたっけ?」

「そうだ。セカンドインパクトが起こって10年位経った頃、今から5年くらい前だな。シンジ君の言う『E計画』が着々と進んでたんだが、突然、北極の永久凍土の中で発見されたんだよ、第3の使徒がね」

 

 シンジの知り得ない先駆の使徒。その存在は極めて異質だと、シンジはこの時既に感じていた。

 

「急遽ベタニアベースが作られ、第3の使徒をバラバラにして研究したんだ。そしたら驚くべきことが分かったのさ」

「な、何ですか……?」

「『目には目を、歯には歯を』って諺、知ってるだろ?あれと全く同じだってこと」

 

 シンジは目を見開いた。

 

「使徒に勝つには……使徒を使え、ですね」

「そう。だから司令とゼーレはエヴァの複数建造を急いだ。その一つが初号機であり、2号機なんだが、異質だったのはこの間破壊した仮設5号機」

「異質?」

「あぁ、使徒を倒すためにエヴァを作ったのなら、いっそのことエヴァと使徒を同時にコントロールすれば一石二鳥だとゼーレは考えて、5号機だけ『封印監視特化型限定兵器』の位置づけにしておいたんでな、じきに第3の使徒と融合させる予定だったんだ」

「融合!?じゃあもしかして、ゼーレのヤツらは使徒を倒すんじゃなくって、リリンの領域に引き入れようと……?」

「そう考えているのかもな。だが碇司令はゼーレとは別の補完計画を進めている。つまり、ゼーレ側の計画の加速を防ぎたい訳だ。だから、派遣された俺がちょっと細工して使徒を目覚めさせたのさ♪」

「いや何やってんですか……」

 

 シンジはほとほと呆れ、2つ目のスイカに齧りついた。

 

「何が心配でこんなことさせたのかは俺にも謎だがな……。ところでシンジ君、この後は一体どうなるんだったかな?」

 

 加持はシンジに聞いた。

 

「そうですね。僕の経験だと、イロウルっていう細菌レベルの使徒がMAGIを襲ってきます。この時は完全にリツコさんに任せる形でしたけどね。その後はレリエルっていうやつで、ディラックの海を展開して僕を闇に引きずり込んでいきました。まあ物理的攻撃より、どちらかというと精神汚染型のタイプですね。結局、A.T.フィールドを張って虚数空間をうまく乱せれば倒せるのではないかと踏んでます」

「なるほど……」

「その後のは、……あまり思い出したくないですけど、アメリカから輸送されてくる3号機に寄生します」

 

 その言葉に、それまで頷いて聞いていた加持は初めて疑問を呈す。

 

「3号機?おかしいな……せっかく自力で完成させたのに、あのアメリカが手放すはずが……」

「それがあるんです。エヴァと違って、使徒には活動限界がないでしょ?その不可思議の元システムであるS2機関をエヴァ4号機に直接導入しようとして、失敗したんです。アメリカは」

 

 そこから先は、加持にも想像がついた。失敗とは恐らく、爆破による消滅を意味する。そしてそれと共に、残っている3号機も危険視される。

 

「そうか……押しつけられて」

「ええ。けれどそこを突かれたんです。結果……僕の友人が左足を失う羽目に……」

「この事は、リッちゃんも知ってるのか?」

「ええ、イロウルとレリエルのことも一応は。けれど、アメリカ支部の研究内容はなぜだか、今回リツコさんにも下りてきてないそうで……」

「なら、その件は俺が預かるよ」

「え?」

「恐らくは、これも碇司令がやってることだ。計画を食い止めれば良いんだな?」

 

 加持はそう言って、シンジにビニール袋に入ったスイカ一玉を差し出した。シンジはその意を理解し、不敵な笑みで受け取った。

 

「さすがは加持さん。なんとかお願いします」

 

 

 

 ******

 

 

 

 シンジとアスカが付き合いだしたことを知ってからというもの、ミサトの機嫌はやけに上昇をキープしていた。どうしてもこういった性格上、他人の色恋沙汰には目がなく、からかいたくなってしまうのである。もちろん本人もそれは自覚済みで、特に酒の入った状態であれば自分でも止めることはできないのである。

 まさに昨夜がそれであり、今日の調整テストがあるということを半ば忘れて問い詰めたもので。

 ただ、そうやって他人をからかえるほど楽しいとは思うのだが、同時に少し寂しくなるのもまた事実だった。身近な人が少し遠くに行ってしまうことに、次第に離れていってしまうことに。

 ふと、大学時代の彼氏のことが頭をよぎったが、すぐに頭を大きく振って払いのけた。

 

「たっだいまー♪」

 

 いつも以上の能天気な声をあげながらミサトは今日も定時に帰宅した。すると台所では、今日はアスカのみならずレイまでがシンジと共に立っていた。

 

「レイ、アンタって意外に料理できたのね……」

「……前に、碇君に教えてもらったから」

「シンジに?いつよそれ」

「シャムシエル戦だよ。あの後ちょっと匿ってもらってさ。アスカも戦闘記録見たでしょ?」

「……納得いったわ」

「アスカ、少し、怒ってる…?」

「おお怒ってなんかいないわよ!」

 

 少し考えてから納得した表情を見せ、しかし憮然として答えたアスカは、その態度の変化に違和感を覚えたレイに核心を突かれたらしく、顔を赤くし慌てて否定した。レイもさっきのエレベーターで理解したことだが、いわゆる「嫉妬」の感情なのだろうと納得した。

 

「もう、さっさと作っちゃうわよ!!ミサトも帰ってきてるし」

「そういえば、お帰りなさい、ミサトさん」

「フフフッ、楽しそうね♪」

 

 三人が仲良さそうに料理をしている様子を見たミサトは、口元が緩むのを抑えられなかった。鞄を下ろし、ジャケットを脱ぎながらミサトは続けた。

 

「私も何か手伝おうか?」

「あ、じゃあお皿出すのお願いしていいですか?」

「その前にミサト、台拭きお願いね~」

「OK~」

 

 ミサトは台拭きを手に取る。するとアスカが鍋をかき回しながらおもむろに呟いた。

 

「それにしても、ミサトから手伝うだなんて珍しいわね。明日は雪でも降るのかしら?」

「しっつれーねー、これでも昔は一人暮らしだったのよ?」

 

 そう言ったミサトだったが、その直後、ふと気づいた。やっぱりどこか、シンジたちに置いていかれているような心持ちがして寂しかったのかもしれない。彼らの輪の中に混ざりたかったから、わざわざ「手伝いしようか」などと言ったのかなと、ぼんやり考えた。

 

「えーっと……どれ出すの?」

「そうですねー、二段目に入ってるパン祭りの平皿を二つと、赤の小鉢をお願いします」

「はいはーい」

 

 指示された皿を取って、シンジのところに持って行く。

 

「ありがとうございます。じゃあご飯も盛ってもらっていいですか?」

「はいよーん♪」

 

 指示通りにミサトは茶碗を取り出す。茶碗は赤いストライプのものがアスカ、桔梗模様のがシンジ、水玉模様のがレイ、そしてミサトのは底にヱビスマークが印字されている。ヱビスのキャンペーンの特典でついてきたものだ。

 そのヱビスのマークを見て、ミサトは一瞬手を止めた。

 隣で冷蔵庫から緑茶のガラスポットを出していたレイが、ふとミサトに声をかけてきた。

 

「ミサトさん、今日も、3本で良いですか?」

 

 ビールの話だ。本数指定で訊かれたのは、いつもミサトが最初に食卓に持って行くの本数だからだろう。

 

「んー……今日は2本でいいかな」

「「えっ!?」」

 

 シンジとアスカがミサトの方に振り向いた。

 

「……な、何??」

「だ、だってあの酒豪のミサトが……」

「ねぇ……」

 

 シンジとアスカはお互いに顔を見合わせて怪訝そうに頷いた。そんなに驚かれることなのかとミサトは頭を掻いた。

 そんなミサトの側をスススッとレイが横切り、ガラスポットとビールをテーブルに並べ始める。彼女はいつになく微笑んで、「ポカポカ♪」と呟いた。

 流しのボウルの中では、青々としたスイカが水を浴び続けていた。

 

 

 

 ******

 

 

 

 以前ミサトはリツコから、自身が味覚障害を患っていると告げられたことがあった。レトルトでさえ満足に料理できないでしょ、と言われて眉を寄せたが、確かに周りの人間が自分の作った料理を美味しいと言ったことはなかった。リツコが言うには、簡単に言えばセカンドインパクトの後遺症であり、その悪夢からアルコールに逃げ続ける結果、この味覚障害も改善に向かっていないと、そう言われた。

 ため息をつきながら、治すのなんて無理よ、と答えたが、その反面ここしばらく不思議なことが起こっている。

 ミサトはこの頃、アルコールを摂取する量が極端に減っていた。それはシンジやアスカ、そしてレイによる制限で減らしていたこともあるが、最近は普段の仕事疲れに対しても、不思議なことにビールやら日本酒やらでは強い満足はできなくなっている。

 さらに不思議なのは、今食べているシンジの弁当がそれとは全く正反対であることだ。最近ではカップ麺やレトルトカレーでは納得できない奥深さが感じられる。流石はシンジの料理だ、万人に対しても評価は高いが、ミサトにとってはそれ以上だ。今日の卵焼きもパーフェクトだった。

 

「遅い昼メシだな」

 

 そう言って現れたのは加持だった。ミサトのテーブルに缶コーヒーを置くと、後ろからぐるりと隣の席へ回り込んだ。

 

「あ……ありがと」

「シンジ君に作ってもらってるんだって?ま、キミは手料理ってガラじゃないしなぁ」

 

 加持は冗談を言いながらミサトの隣にある椅子を引くと、いやに近い距離に腰を下ろした。

 

「……そうねっ。暇のあんたと違って現場の管理職はたんまり仕事があんのよ」

 

 ミサトはおもむろにブロッコリーをもう一つ口に放り込み、加持から目を背ける。思えば昨晩のデザートは加持から貰ったというスイカだった。自分が忙しいときに、この男は呑気に農作業をやっているのである。その上で小馬鹿にされたのが何とも悔しい。

 

「相変わらず真面目だなぁ。まぁそこが葛城のいいとこだが、弱点でもある。この前の時だって葛城らしくない小難しい戦法なんか立てて。もうちょっと余裕持てよ」

「あいにく、私の器は責務でいっぱいなのよ。それに最善策を模索したらああなるってアンタも分かるでしょうが」

「緊張感ありすぎると男にモテないぞ?」

「余計なお世話よっ………っ!?」

 

 カチンときたミサトは加持の方を睨みつけようとした。しかし、ミサトをじっと見つめる加持の目を見て、照れで怒りを吹き飛ばされてしまった。

 

「んじゃ、一ついっただきまーす」

「あぁそれアタシの卵焼きぃぃー!!!!」

 

 食堂にミサトの叫び声が響き渡った。今日のネルフも平和である。

 

 

 

 

 

「レーイっ♪」

 

 第壱中学校2年A組。昼休みにレイに声をかけてきたのは、笑顔のアスカだった。

 

「……どうかしたの?」

「今日の弁当、一緒に食べない?」

 

 レイは珍しいと思いながら、クラスをキョロキョロと見渡した。どうやら一緒にいるはずの彼の所在が気になったのだ。

 

「碇君は?」

「アイツは屋上でカセットプレーヤーのメンテ中。たまには女子だけでも良いじゃない」

 

 そのアスカの背後にはヒカリもいて、嬉しそうに自分の弁当箱を持ってみせた。

 

 

 

「………なんでやろなぁ」

「ん?どうしたんだよトウジ?」

 

 トウジは購買のパンを頬張りながらボソッと呟いた。独り言だったのだろうが隠すつもりもなかったのか、それを聞いていたケンスケに疑問を投げかけられた。

 

「んー、どうにも不思議なんや……」

「だから何が?」

「綾波や。おかしいと思わへんか?」

「……あー、そういえば」

 

 ケンスケは今朝、トウジから聞かされていた事について心当たりがあった。

 近頃のシンジやアスカとは対照的に、レイの顔色が優れない。同じパイロットであるがどうかしたのだろうかと、トウジは純粋に心配していた。

 それを聞いたケンスケはレイの不満の原因に見当がついていたのだが、どうしたことか今日のレイはやけに調子も良さげであり、不満の原因だとにらんでいたはずのアスカと楽しそうに弁当を食べているのである。

 確かに不思議だなぁと思っていた矢先、アスカが横目で二人の方を見た。すると、目を細めてニタリとした笑みを浮かべた。トウジとケンスケは何故か悪寒が走った。

 

 

 

「本当に美味しいわね、これ!」

 

 ヒカリがアスカからもらったミートボールを頬張って幸せそうに言った。

 

「そう?実はそれね、レイが作ったのよ♪」

「えぇっ、そうなの!?スゴい、綾波さん!」

「ありがとう。洞木さんのエビカツも、とても美味しいわ」

「そうよ。ヒカリもさ、料理得意なんだし、たまには他の人に作ってやったら?」

 

 アスカが肘をついたままニッコリとヒカリに笑いかけた。 

 

「えっ?」

「いっつも購買のパンだと、お金もかかるし、味気ないと思うんだよね~?」

「ちょ、ちょっとアスカ……っ!」

 

 ヒカリの方もその言葉が何を意味するのか何となく察したのか、顔を赤くしてアスカを制止しようとする。すると突然レイが口を開く。

 

「……他人との触れ合いは、心の均衡を崩す。けれどもそれは、新しい希望の構築への、第一歩」

「あ、綾波……さん?」

「前に進んでみるのも、良いと思うわ」

「そ……そう……?」

 

 レイは頬を緩めながら頷いて、卵焼きを口に入れた。ヒカリはまだ戸惑う様子だけれど、レイに言われたことで良い化学反応が起こるといいな。アスカは優しい笑顔でトウジとヒカリを見た。

 青春のそよ風が吹く第壱中学校も、平和な昼休みが過ぎていく。

 

 

 

 

 

「僕が言うのもなんですけど、こうも損傷回数が多いと、作戦運用に支障が出ますよ…。使徒が来るのもいつになるか分からないですし。バチカン条約、破棄していいんじゃないっすか?」

 

 数日後、従業員用の列車に乗ってミサトとリツコ、マコトとマヤはネルフ内を移動していた。マコトは修復作業の行われているエヴァ初号機を横に見て、思わずぼやいた。

 

「そうよねぇ……。一国のエヴァ保有数を3体までに制限されると稼動機体の余裕ないもの」

 

 ミサトもその意見には同意した。

 

「今だって初号機優先での修復作業です。予備パーツも全て使ってやりくりしてますから、零号機の修復はかなり遅れてます……」

 

 マヤも初号機に目を向けた。修復中の初号機は腕に大きい白い包帯を巻かれ、その巨大な体を横たわらせていた。

 

「条約には、各国のエゴが絡んでいるもの。改正すらまず無理ね。おまけに5号機を失ったロシアとユーロが、アジアを巻き込んであれこれ主張してるみたいだし。政治が絡むと何かと面倒ね」

 

 さすがのリツコも愚痴をこぼす。

 

「人類を守る前に、することが多すぎですよ」

「ホントにね。シンジ君も呆れてるわよ、きっと」

 

 マヤとミサトが口々に言った。それを聞いて、リツコはポケットに入れていた小型装置にそっと触れておいた。

 

 

 

「バチカン条約……何なのさその面倒な決まり事は」

 

 そのミサトの言葉通り、S-DATに繋いだイヤホンを耳につけながら、シンジは第一中学校の屋上で寝そべり呆れていた。最近はリツコの持つ発信装置から会話が聞こえてくることもあり、今の会話もしっかりと聞いていた。

 バチカン条約。一国のエヴァ保有数を三体までに制限する。前にもミサトに聞いたことはあり、どうやら兵力の集中を防ぐためらしいが、シンジにとっては納得がいかない。次に襲来してくるであろうレリエルやバルディエル、さらに言えばゼルエル戦に備えるにはエヴァの数が少なすぎる。政治が何だ。各国のエゴなんかクソ食らえだ。

 そんな風に心の中で悪態をついていたその時だった。

 一瞬、ほんの一瞬だけだがシンジのいる場所が陰った。思わず目を向けると、上空からパラシュートで落ちてくる少女の姿が目に入った。みるみるうちに近づいて来る少女は、シンジに向かって叫ぶ。

 

「どいてどいてどいてぇぇーっ!」

「うわぁーっ!?」

 

 シンジはとっさに立ち上がろうとするが間に合わなかった。

 少女は、シンジの体を両足で挟むようにして突っ込んでいく。二人は屋上に勢いよく倒れ込んだ。シンジは、少女の胸と校舎の屋上に板ばさみになって息が出来ずに苦しんでいた。

 

「っててて……おぉ?」

 

 少女は起き上がると、サッと目元に手を当てて、シンジの上から下りる。シンジは解放されてようやく息を大きく吸った。

 

「んーと……メガネメガネ……」

 

 シンジが起き上がると、その少女は地面に転がった眼鏡を四つん這いになって手探りで探していた。

 

「……あの」

 

 少女は、ようやく眼鏡を見つけて掛けなおすと、シンジの方に振り向く。

 

「ああ、ごめん。大丈夫?」

 

 その少女は、見慣れない制服姿をしていた。一体どこの生徒だろうか。というか、平日の昼間になぜパラグライダーなんかやっているのだろうか……。

 その時、彼女が背負っていたバックパックの中から呼び出し音が鳴る。彼女はバックパックのベルトを手繰り寄せると携帯電話を取り出して通話を始める。

 

「Hello, Mari here. Yes, I seem to have glided off target. It looks like I'm in a school of some sort.(ハイ、こちらマリ。そう、風に流されちゃった。今どっかの学校みたい)」

 

「マリ」と名乗ったその少女は、肩で携帯電話を押さえてパラシュートをバッグにしまいながら、通話を続けた。

 

「What!? Well you told me to enter into Japan covertly! Can't you have the Euro people walk this out?(ええ?極秘入国しろって言ったじゃない!問題はそっちから話つけてよ)」

 

 極秘入国(to enter covertly)。そう聞こえたシンジは、瞬時に浮かんだある可能性に眉を歪めた。

 

「Just be there for my extraction later okay? Thanks!(そしたらピックアップよろしく。じゃあ)」

 

 携帯のボタンを押して通話を切ったマリがシンジの方を見る。マリは、険しい顔をしてして座り込んでいるシンジの方へおもむろに近づいて行くと、四つん這いになって首元の臭いを嗅いだ。

 

「え、ちょっと……」

 

 突然のことに戸惑うシンジ。

 

「君……いい匂い……。L.C.L.の香りがする」

 

 マリは、シンジの目の前でボソッとそれを言うと、身を翻すようにして立ち上がった。

 

「はぁ……?」

「君、面白いね」

 

 立ち上がったマリは、シンジを見下ろして低い声でつぶやく。するとマリは、声のトーンを明るくしてシンジが落としたS-DATを手渡しながら言う。

 

「じゃ、この事は他言無用で!ネルフのワンコ君」

 

 唖然とするシンジにそれを無言で渡すと、そのまま階段の方へ向かって走り去っていった。そしてシンジは、そんな彼女をただ呆然と見過ごすことしかできなかった。

 

 

 




☆あとがき

遅くなってしまい申し訳ありません大丈夫ですよ辛うじて生きてますよどうもジェニシアです今後ともご贔屓にお願いしゃす。

ここに来ての真希波マリ降臨。シンジもアスカも、彼女の存在はまだ知りません。あ、アスカは名前だけ知ってるかも。さて、今後どうなっていくのやら。

日常回はやっぱり難しいです。右往左往しながら書いてます(苦笑)。それでも今回、アスカとレイが和解し、仲良くなった点においては、今後の物語でも重要になることでしょう。楽しみにしていて下さい。♪

さあ、まもなく大イベント。

覚悟は、良いですか……?
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