E.V.A.~Eternal Victoried Angel~   作:ジェニシア珀里

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第拾捌話 見知らぬ明日(中編)

 

「……E区画303……えっ、ちょっと?!」

「シッ!」

 

 驚くリツコに、シゲルは一瞬人差し指を立てて制止した。シゲルは司令塔の上に視線をやる。その行動に、リツコはハッとする。

 

「っ……」

「……どうします、これ」

「……ありがとう。もちろん秘匿よ。見なかったことにして」

「了解っす」

 

 まさかの展開にリツコは動揺した。このことがゲンドウに伝われば、何が起こるか分からない。いずれはバレてしまうにしても、気を利かせてくれたシゲルに心から感謝した。

 しかし。

 

(まさか脱出するなんて、常識ではあり得ないわね……)

 

 科学理論をまたしても覆した可能性に、リツコは動揺と共にある種の高揚感を感じていた。そこに、マヤの報告が飛んだ。

 

「零号機、左腕応急処置終了! 起動作業入ります!」

 

 

 

 

 

【第拾捌話 見知らぬ明日(中編)】

【Episode.18 REBELLION】

 

 

 

 

 

 その日の朝。

 葛城家を出る前、ミサトの支度が整うまで、レイはシンジの部屋を訪れていた。

 シンジは、独房に5日間も閉じ込められている。その事に対してゲンドウへの不信感を覚え、何もできなかった自分に静かな怒りをずっと抱いていた。

 けれど、本当は部屋にひょっこり戻ってきているのではないか、もう2週間近くも見ていない彼の笑顔が、すぐそこにあるのではないか。そんな淡い願望があった。

 これから襲来するであろう使徒に対して、私はどうすればいいのか。シンジやアスカがいないこの状態で、私に何ができるのか。レイは不安と悔しさに思い詰めていた。

 

「碇君……」

 

 部屋には誰もいなかった。当然だった。分かっていた。しかしレイは、シンジのことを想うと、部屋に足を踏み入れたまま動くことができなかった。

 

「……?」

 

 シンジの部屋の一画にある、彼の机。そこには、教科書やノート類が整頓されて並べられていた。しかしレイはそれらではなく、それらの上に置かれているカセットプレーヤーと手帳に目を向けていた。赤色の手帳だった。

 

「……これ」

 

 レイにはそのどちらにも見覚えがあった。カセットプレーヤーは、シンジが常日頃から、学校やNERVに行くときにさえ持ち歩いていたS-DATだ。なのに3号機との戦いの日にはなぜか持っていかなかったのだと、レイは疑問と共に初めて知る。

 手帳の方は以前、シンジやヒカリたちと自分の服を買いに行ったとき、シンジが「ついで」と言って唯一買っていたものだ。

 その深紅の手帳を、レイは引き寄せられるように手に取っていた。その赤色が、妙に目を引いていたから。

 感情を知る前の彼女なら、何が書いてあるのか気になっても、他人の物を勝手に見るようなことはしなかっただろう。しかし、積もりゆく負の感情に、レイの心は暗く沈んでいた。何かに縋りたい気持ちが、無自覚ながらもあったのだ。

 

 静かにページを開くと、そこには彼の字で、1日ごとに数行ずつ、文が記されていた。それが日記なのだということは、彼女にも容易に分かった。

 ただ、目に写ったその内容を、レイは1回では理解することができなかった。

 1ページ、また1ページ、彼女は手帳をめくり、文字を追っていく。自分が知らなかった事実、みんなにも伝えていなかった真実、そして。

 文字として赤裸々に語られる彼の想いが、レイの心を大きく揺らした。

 最後の日付は、3号機との戦いの日。

 シンジは、その日の朝に書いた上で置いていったのだ。

 その理由(こたえ)はそこにあった。

 

『世界のために、アスカのために、僕は何ができる?』

 

 その疑問を最後に、日記は終わっていた。

 

「レイ? 行くわよ?」

 

 支度のできたミサトが、リビングからレイを呼ぶ。レイは、そっと手帳を閉じた。しばらくその場に佇んで、何を思ったか、カセットプレーヤーを掴み、早足で部屋を後にした。

 

 

 

 ******

 

 

 

 シンジの腕は、限界に達しようとしていた。

 乳酸が溜まりに溜まって、額には脂汗が浮かんでいた。

 扉はびくともしない。それでもシンジは、諦めるわけにはいかなかった。般若のように顔を歪め、歯を食いしばり、叫ぶ。

 

「っだあぁぁぁぁっっ!!!!!」

 

 その瞬間、急に扉が開いた。弾みで、シンジはそのまま独房の外へと転げ出る。

 

「たっ……!!?」

 

 転んだ拍子に鈍い痛みが肩を伝ったが、すぐに扉が開いたのを確認し、やった、と笑みを浮かべた。

 しかしその扉の前に立っていた人物を見て、シンジは立ち上がろうとしていた足を思わず止め、中腰の状態でその男を見上げた。

 

「え……加持さん!?」

「なるほどな……呪詛紋様か」

 

 加持は扉の縁をなぞりながら、小さく呟く。そしてシンジに目配せをすると、フッと微笑んだ。

 いつものワイシャツ姿ではなく、黒いベストにヘルメットを被っていた。一瞬、戦自の隊員を彷彿とさせる格好だ。

 

「ど、どうしてここに……」

「まったく、君達にはいつも驚かされる。お見事なビンゴだ、アスカ」

「は……?」

 

 加持の向けた視線の先には、包帯を巻かれたままの病院服姿の少女が、壁に左手をついて不敵な笑みでシンジを見下ろしていた。

 

「アスカっ!?」

 

 刹那、顔を歪めてバランスを崩し、倒れ込まんとする彼女を、シンジは咄嗟に立ち上がって抱きとめた。

 

「ちょ、ちょっと……!?」

 

 アスカはホッとしたのか、シンジに身体をあずけて、彼の胸に顔をうずめる。

 

「……良かった……無事で……」

「っ……」

 

 シンジは泣きそうになる。この子は、こんな状態になっても自分のことを心配してくれていたのか。そう思い、たまらなく、嬉しくなる。愛おしくなる。

 湧き上がりそうな涙を堪えて、シンジはアスカをしっかりと、しかし優しく抱きしめた。

 

「……こっちの台詞だよ、それ」

「フフ……そうね」

 

 数秒間、二人はそのままの態勢で、互いの存在をしっかりと感じ取った。その安心感は、安らぎは、彼らの心を、潤していく。

 ただ、悠長にしてられる暇もない。アスカは全身に力を入れると、息を吸い、シンジに告げる。

 

「ごめん、ちょっと安心しただけ……。ほら、行くわよ……!」

「……うん!」

 

 シンジも力強く頷いた。

 

 

 

 

 

「初号機のケージへはルート32を通った方が良い。手薄な筈だからな」

 

 加持は銃に弾を込めながら廊下の奥を伺う。その手元を見て、シンジは表情を苦くしながら忠告をする。

 

「……誰も殺さないでくださいよ」

「分かってるさ。子どもに残虐シーンはごめんだよ」

「いや、それはもはや今更すぎますけど……」

 

 冗談さ、とケラケラと加持は笑う。

 

「それにしてもさ、加持さんはどうしてここに? 謹慎中じゃなかったの?」

 

 ふと、アスカが加持に訊ねた。計画では、3号機起動実験の後、松代事故の責任を取って何らかの処分が下されるというはずだったからだ。アスカも加持と合流したのがほんの2分前だったため、まだ加持の現状を知るには至っていなかった。

 しかし、帰ってきたのが予想に反し、2人は絶句する。

 

「あぁ、今もそうさ」

「「え」」

 

 嫌な結論が頭を過る。しかもこういう場合、こういう台詞に限ってそれは的中するものだ。

 

「じゃ、じゃあまさか……」

「抜け出してきた」

「それバレたらマズいやつじゃないですか!?」

 

 シンジは呆れながら咎める。例え冗談っぽく言っても、この人が言うと笑えない内容であることが多すぎる。

 ただでさえ目をつけられている立場にいるのだ、自分を救出しに来てくれて本当に助かったものだが、この人が何を考えているのか、表情からでは分からないというのが実に怖い。

 しかし、加持はその笑顔を急に消し、シンジたちにある事実を伝えてきた。

 

「電話があったんだ」

「電話?」

「ゼルエルを倒せるのは初号機だけだと。だからシンジ君、何としてでも君を助け出してくれ、ってな」

 

 シンジとアスカは顔を見合わせた。何か、変なニュアンスの文言だと思った。アスカが、よく分からないといった顔で加持に訊ねる。

 

「それって、リツコから?」

「いや、違う」

 

 しかしすぐさま否定される。半ば予測できたことではあるが、2人の脳はその一言で混乱に落ちる。

 

「誰なのかは分からなかった。非通知の守秘回線で、発信先も分からない。聞き覚えのあるような声だったが、正体は分からず終いさ」

「……どういうことですかそれ?」

「ま、それはともかく、どちらにしても君がこのまま幽閉され続ける訳にはいかないだろう?」

 

 はぐらかされたように思ったが、この様子だと恐らく加持も知らないのかもしれない。釈然としないながらも、2人は加持の背後にしっかりとくっついて隠れ続ける。

 

「それに気づいているか知らないが、君は今、使徒かもしれないと認識されているんだからな」

「嘘っ!?」

 

 思わずアスカが声をあげた。シンジの方も、まさか、と目を見開き、そして自分の掌を見つめる。

 

「3号機のプラグのハッチを破壊したとき、僅かだがパターン青が検出されていたらしい」

 

 逆行とかシナリオ改変とか、あり得ないことをやってのけてきた2人でも、流石にこんな事態になっているとは信じられなかった。微かにだが、怖れに身体が震えた。

 考えてみれば、言われた通りではある。エントリープラグのハッチを破壊するなど、常人にはできやしない。使徒のような、生命の実を持つ者なら有り得る話だ。

 だが、そんな力を持っているなど今の今まで知らなかったのだ。いつそんな力を手に入れたのか。あまりの衝撃に、自分を見失いかけるほどにシンジは混乱した。

 こんなの、いくらなんでも予想外(イレギュラー)すぎ……

 

「イレギュラー……?」

「そういうことだ。恐らく碇司令は、何が何でも君を閉じ込める算段だ。そうしなければSEELEを誤魔化すことができないからな」

 

 そうか、とシンジは納得した。いつまで経っても、ゼルエルすら現れても独房での監禁が続く不可解な展開。それはもしかすると、父:ゲンドウすら焦るほどの巨大な爆弾を、自身が持っているかもしれないからなのだ。

 予想外すぎる展開。元々あったシナリオの破壊には、もしかするとそれがうってつけなのかもしれない。

 

「シンジ君、ここはピンチと同時にチャンスだ。少しのことで計画は簡単に揺れ動くだろう。だから、この世界がどうなるか、俺は君に賭けることにしたんだ」

 

 加持はひそかに笑った。

 

 

 

 

 

「んにゃろぉぉ……!」

 

 マリは痛む全身を震わせてゼルエルを睨み付けた。その震えは、怒りと、恐怖と、そして異常なことに「快楽」の先にあるものだった。

 楽しくて仕方がなかった。額から流れる血がL.C.L.に滲みゆく。

 もう一度。あの壁を破ってコアを引き摺り出してやる。

 マリはそのまま飛びかかろうと、跳ねる。

 

「ぅおっ!??!」

 

 しかし跳び上がる瞬間、脚部を何かに引っ張られた。躓くような形で、2号機は地面に叩きつけられた。

 その頭上を、ゼルエルの黒い腕が掠めていく。マリはキッと、足元に目をやる。そこには予備用のアンビリカルケーブルが巻き付いていた。そのまま後方を睨み付ける。

 

「っ、零号機……!」

 

 そこには、黄色い機体がケーブルを持ったまま、ゼルエルの刃腕を避けるが如く、地面に伏していた。

 

「電源が切れるわ、早くそれ繋いで退却して!」

 

 レイは起き上がりながら叫んだ。

 

「自分の命、自分で大切にしなきゃダメ……!!」

「……その言葉、そっくりそのまま返すけど?」

「私は死なないわ! 生きて、碇君とアスカを待たなきゃ……!」

 

 ゼルエルは距離を取る零号機に手を出すことはしなかった。しかしその背後にあるNERV本部に身体を向けると、ジリジリと2体の機体へと迫ってくる。

 スピーカーからリツコの声が飛んだ。

 

『レイ、いいわね。さっき話したN型防御特化機能を展開して』

「はい……!」

『こうなったら全ての可能性に賭けるしかない。だからそれまでお願い、耐えて……!』

「……はい!!」

 

 N型防御特化機能。

 リツコは戦闘計画こそ立てられなかったが、来るべきゼルエル戦に備え、初号機と零号機の防御力を極限まで高めんとしていたのだ。

 俊敏性の強化、敵攻撃の瞬時警告システムの搭載、そのほかにも、対ゼルエルで少しでも有効となるように。

 それすらこの最強の相手に通用するのかは分からない。ただ、何もせずにいるわけにはいかなかった。絶対に、死なせるわけにはいかないから。

 

 そしてその気持ちは、レイも同じだった。

 

「絶対に、これ以上誰も死なせない」

 

 レイは敵を睨み付け、歯を食いしばる。

 

「2人が守りたかったものを、私も守りたいの……!」

 

 マリはその横顔に、密かな哀しさを感じたのだった。

 レイの座るプラグには、シンジのS-DATがあった。

 

 

 

 ******

 

 

 

 背後のアスカが、ポツリと呟いた。

 

「……変わったわよね、加持さん」

 

 加持はそっと振り向く。アスカはどこか寂しそうな、しかし安心したような笑みを浮かべていた。

 

「こんなに危険なのに、加持さんのやってることは確実な反逆。いずれバレたら殺されかねない行動よ」

「ハハッ、いろんな所でスパイをやってるんだ。そんなの今更だろ?」

「けど加持さんは危険を冒してまでシンジを助けに来た。その意味、シンジにも分かられてるわよ」

 

 シンジも小さく頷いた。比較はできないが、以前の加持であってもこの状況下でなら助けに来てくれたのかもしれない。しかし、今の加持の決意は、明らかに固かった。世界に対して虚無的な関わり方をしていたかつての姿は、見る影もない。

 

「それに、この前の電話もそうだった。以前の加持さんなら、あんなこと訊いてこないわ」

 

 3号機起動実験の前に、加持が放った「お前の信念は何だ?」という言葉。アスカはその言葉の奥に、加持の心配が隠れていることを感じていた。

 今まで誰にも見せてこなかった、気遣いを。

 自分の与り知らぬところでの話だったが、シンジもアスカの静かな問いかけに黙って耳を傾けた。

 

「ねぇ、何か怖いことでも……?」

「……」

 

 加持は答えない。しかし、その沈黙は肯定と捉えて良いのだろう。アスカは確信した。

 加持は通路に誰もいないことを確認すると、両手で銃を持って走り出す。シンジとアスカもそれに追随する。

 

「なぁ、サードインパクトを経験したのなら知っているんだろう? 俺の過去を」

「……弟さんたちのことですね」

「……そうだ」

 

 再び立ち止まり、曲がり角の通路の奥を伺う。そして誰もいないことを確認すると、また走り出す。加持の読み通り、ルート32に人影はない。

 かつて、軍に仲間と弟を売ったという事実。加持の心に暗い影を落とすことになった残虐な過去。

 

「君らは否定するだろうが、俺はやっぱり、幸せにはなれない人間なのさ。そうだと思っていないと、押し潰されそうで苦しくてな」

 

 再び立ち止まる。加持の、拳銃を握る手に力が入る。

 

「だから今まで、いつ死のうとこの世に未練なんて感じちゃいなかった。けど今は、それが怖い」

 

 人影が見える。加持はそっと撃鉄を起こし、ポケットに手を入れた。

 

「罪にまみれても生きて、幸せになれるって可能性を、君たちから教わったんだよ。シンジ君、アスカ」

 

 嫌な予感。その気配を感じ、シンジは即座に引き留めようとしたが、遅かった。

 加持は一発、拳銃を天井に向けて発砲すると、掴もうとするシンジの手をすり抜けて走り出したのだ。

 

「加持さん!!」

「シンジ、ダメっ!」

 

 アスカに腕を引っ張られる。アスカも、顔を歪めていた。

 分かっている。今、僕らがこの場で倒れるわけにはいかない。

 だけど。

 シンジは踏みとどまりながら、悔しさを滲ませた。

 数発の銃声と爆弾の破裂音が、廊下に鳴り響いた。

 

 

 

「って死亡フラグ立てておけば、多分死なないんじゃないか?」

「「ブラックジョークすぎる(ます)って!!!」」

 

 流石に憤慨した2人は、加持を睨みながら叫んでいた。

 そんな少年少女の怒りはどこ吹く風か。呆気なく諜報部員2人を閃光弾(爆弾)を利用して無傷で気絶させた加持は、いつものようにヘラヘラと笑っていたのだった。

 

 

 

 

 

「F区画に侵入者だと?!」

「!!」

 

 突然の報告に声を荒げたのは冬月だった。その声に、リツコとミサトがすかさず反応して振り向く。

 

「誰なのかは分からないのか!?」

『はい……! 防犯カメラの映像はダミーに差し替えられていて、中の様子は実認でないと……!』

「まさか……遠隔アクセスか?」

『特定を試みてはいますが、かなり複雑な暗号化をされています。外部からの可能性も否定できません……!』

「このタイミングで、か……」

 

 冬月はモニターへと視線を走らせる。ジオフロントでは、零号機がゼルエルの侵攻から紙一重で逃れながら、注意を自身に向け続けるよう必死で駆け回っていた。

 F区画への侵入者、その言葉に、ミサトは叫んでいた。

 

「レイ! もう少し粘ってちょうだい!」

 

 リツコも、戦況をじっと見守りながら、レイに祈った。

 彼が来る。一縷の、大きな望みを賭けられる、彼が。

 だから、願う。

 

「大丈夫、チャンスは来るわ!」

『……はい!』

 

 レイも意味を理解して、再びL.C.L.を吸い込んだ。

 碇シンジに賭ける側と、碇シンジを怖れる側。司令塔の2人と現場の軋轢は決定的だった。しかしこの緊急事態に戦闘員を欠くことは不可能、つまるところ今の面々を即時更迭することなど、碇ゲンドウであってもできない。冬月は普段から険しい顔を一層歪めて電話口に叫んだ。

 

「……とにかく! 第3の少年に接触させるな! 増員して対処にあたれ!」

『り、了解です!!』

 

 冬月は誰よりも怖れていた。今の初号機パイロットは、人類補完計画を破綻させるだけでないのだということを。独房から解放し、戦わせて使徒と勝つこと、それ以上に。

 

「どうするつもりだ、碇……?」

「……」

 

 冬月は未だ微動だにしないゲンドウへと訊ねた。その眼前のミニモニターには、『E303:Lost』の小さな赤文字が、音も立てずに規則的に、静かに点滅していた。

 

 

 

 

 

「マズいなぁ……」

「ええ、早くしないと綾波が……!」

 

 気絶した諜報員から拝借した通信機と端末で状況を、通路のダクトの中に潜んで確認した3人は、焦りを募らせた。

 

「いざとなったらリツコが神経接続を切ってくれるとは思うけど……」

「アイツ相手に、1人で勝つなんてのは覚醒でもしない限り……」

「無理ね。しかも2号機は既にダメっぽいし……」

 

 2号機を勝手に奪われたアスカは言葉とは裏腹にだいぶ悔しそうだった。愛機を奪われた上に自身が戦闘に参加できなくなったわけだから無理のない話だが。加持もその状況に思わず溜息が出た。

 

「……無茶苦茶しすぎだぞ、まったく」

「真希波マリ……やっぱり只者じゃなかったわね」

 

 冷静に考えても、形勢は圧倒的に不利だった。何せ人の形を捨てた2号機ですら敵わなかったのだ。ゆえに、N2を使わず、メインシャフトへの侵入を何とか食い止め続けているレイはとんでもなく凄いことをやっている。

 

 冬月の指示でF区画周辺の警戒が高まり、とりあえずは隠れざるを得なかったのだが、幸い、シンジたちは初号機のケージへと直行できるダクトに入り込んでいた。

 ここまで来れば、あとは一人で行っても見つからずに済む。シンジは意を決して加持に伝えた。

 

「ここからは僕一人で行きます。加持さんはアスカと発令所に行って下さい!」

「……たった1人で、大丈夫か?」

「もう障害もないはずです。いざとなったら投降してでも辿り着きますから」

「……分かった。気をつけて行け」

「はい……!」

「シンジ!!」

 

 ダクトを進もうとしたその時、アスカが呼んだ。

 シンジは立ち止まり、アスカへと顔を向ける。

 アスカはなにか、悔しげに少し俯いた。

 

「……アスカ?」

 

 気になったシンジがアスカに近づいて声をかける。アスカは一度、逡巡して、しかし何かを決意したのか、小さく謝ってきた。

 

「ごめん……アタシ、自分のこと何も分かってなかった」

 

 アスカらしくない、か細い声がダクトに微かに反響する。シンジは一度加持に顔を向けるが、加持はただじっと、2人を見守るだけだった。

 

「自分の自己満足のために、またアンタを傷つけた。自分が嫌いになりたくなくて、強がってるフリして逃げてた」

 

 あぁ、そういうことか。とシンジは納得する。この前のバルディエル戦だろう。生きて帰って来られたからこそ、罪悪感にも似た感情が、苦しいほどに溢れ出したのだろう。

 

「サードインパクトで全部知ってたはずなのに」

「……お互い様だよ」

 

 シンジは柔らかい声で返した。

 

「僕だって、結局は自分のことしか考えてないんだ。前にアスカも言ってただろ? 世界なんてどうなったって良いって。ただ、アスカと生きていたいから、抗って動いてるにすぎないんだ」

 

 アスカは顔を上げる。複雑に絡み合う悲しさと嬉しさの感情が、シンジのその笑顔に現れていた。

 

「人間ってそういう生き物なんだと思う。自分を完全に好きになることなんかできないんだ。だけど、僕はそれでいいじゃないかって、……思う」

「……そうね。そうよね」

 

 シンジは頷いた。サードインパクトの時抱いた、自分と他人の存在意義(レゾンデートル)。どんなに傷ついても、それを背負って、乗り越えて、生きていく。

 アスカと笑っていたい。だから碇シンジは、戦う決意を抱き続けるのである。

 

「……1つだけ約束して。絶対に、帰ってくること」

「……分かってる。死んでも、戻ってくる」

「……それ、死亡フラグ?」

「ハハッ、言っておけば死なないでしょ?」

 

 オイオイ、と加持が視界の隅で苦笑する。その様子に少しおかしくなって、シンジは肩を揺らして笑う。アスカも、つられて笑った。

 

「……行け、シンジ」

「うん」

 

 

 

 

 

「加持首席監察官!? と式波大尉!」

「よぅ、大変なことになってるな」

「シンジは見つかったんですか?!」

「いえ、いませんでした。それより監察官、今確か……」

「こんな非常事態に謹慎なんてじっとしてられるか」

「それより行方は! 分からないんですか?」

「ええ、外部の何者かが侵入した可能性があるとかで……」

「……初号機が狙いかと思ったが、この混乱に乗じて拉致と言うこともありえるな。E区画とD区画の出入口も監視した方が良いかもしれない」

「確かにそうですね。連絡します」

「頼む。俺はアスカを発令所に連れて行く。絶対に見つけてくれ」

「お願いします……!」

「了解しました!」

 

 

 

「加持さんって、結構な演技派よね」

「アスカもだろ? これも生きていく術さ、このNERVではな」

「確かにね」

 

 

 

 ******

 

 

 

「初号機、起動!!」

 

 マコトのその声に、発令所全体が大きくざわめいた。ほとんどの人間が、その意味を瞬時に理解した。

 

((来た……!))

 

 とりわけ、リツコとミサトは口角が上がるのを抑えることができないほどの高揚感と戦慄に震えていた。

 対する冬月は、敷いていた警戒をくぐり抜けたことに対する疑問と危機感に、思わず叫んだ。

 

「まさか……パイロットは!?」

「搭乗していません! 動いているのはエヴァだけです!」

 

 続くマヤの報告に、ざわめきが増す。パイロットなしでの稼働は、ここにいる面々は見たことがなかったためだ。

 ただ1人、リツコはその意味をしっかりと噛みしめていた。

 

『拘束具、破壊!』

『自力で突破するつもりですっ!!』

「ケージ及び射出口までの整備員は退避! エヴァの出撃線開けて!!」

「初号機パイロット発見! 上部ダクトです!!」

 

 次々と交わされる応答に、未だかつてない覇気が感じられた。それほどまでに初号機の存在は、これまでの戦闘で確固たるものになっていたのである。

 そしてさらに聞こえた声に、発令所は再び騒然となる。

 

『レイ、聞こえる!?』

「「「!?」」」

『ありがとう、よく粘った! 今からシンジがそっち行くから!』

「あ、アスカ!?」

 

 ミサトが驚きの声を上げた。するとすぐ後方の扉が開き、そこからアスカが加持と共に現れた。

 モニターを見たレイも、その姿に息を呑んだ。

 

『アスカ……無事なの……!』

「心配かけてごめん。今から作戦を言うわ、避けながら聞いて!!」

『っ……、ええ!!』

 

 その返事に、アスカは笑った。

 ミサトは2人の会話を聞きながら、堂々と佇む随伴者に驚きと困惑の表情を向けていた。

 

「加持……」

「もう初号機は止められない、あとは彼がどうするかだ」

「アンタ、まさか……」

「待て待て、俺じゃないぞ?」

 

 加持は笑いながら、マイク付のヘッドセットをつけたアスカを一瞥した。

 

「……まったく。ただじゃ済まないわよ……?」

「……上等さ」

 

 

 

 シンジはインターフェースヘッドセットを付け、エントリープラグへと座り込む。

 そして、静かに語りかけた。

 

(さあ、行くよ。初号機、母さん)

 

 

 

 

 

 そして。

 

(さあ、約束の時だ。碇シンジ君)

 

 日の傾き始めた第3新東京市の上空に、紺の影が揺らいだ。

 

 

 

 

 

 




☆あとがき

ゼルエル戦、終わらなかったぁ!!!笑(本当にすみません。笑)

どうも、ご無沙汰しておりますジェニシア珀里です。
前回の第17話(前編)を無計画に書いてしまったのと、破のサントラをリピしながらひたすら書いていたらまさか書きたいことがこんなに増えてるなんて、ねぇー?(汗)
そんなわけで初の前中後の3話展開になってしまいました。
シンジ・アスカ・加持の対話パートが異様に長くなっとる……綾波が必死にやってんだよ、早く行きなさいよっての(←すべて作者のせい)
まあ、再編するときにまたその前後関係は書き直すかもしれません(再編するかどうかも現段階では全くの無計画ですが()。)

いろいろな部分を解説するのが大変なので、今回以降は来た質問に答えていきます。返信はなるべく早く行うので、聞きたいことがあればコメント欄(感想欄)へどぞ。(適当すぎてホントごめんなさい。疲れたので許して……)

さぁ、頑張って後編書くぞぉ……。(苦笑)
あ、それから第二部(Dep-2.00)、次回で終幕(になるはず)です。

応援してくださっている皆様、いつもありがとうございます。今後もジェニシア、精一杯頑張ります。よろしくです。

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