E.V.A.~Eternal Victoried Angel~ 作:ジェニシア珀里
「……ここか」
目が覚めて目に入ってきたのは、知っている天井だった。
結局、あの戦艦で何が起こったのか、詳しいことは分からないが、ここにいるということは、自分が攫われてきたということを確実に意味している。
首元を触ってみると、やはり気絶する直前に自分の手で装着した首輪が、はっきりと存在していた。なるほど残念ながら、WILLEもAAAヴンダーも14年後の世界も、夢ではなかったらしい。
「誘拐とか、警察がいたら即時逮捕ものだよ、これ?」
戦場と化している世界にしてみればあまりに馬鹿げたようなことを言いながら、シンジはゆっくりと身体を起こした。
「あ……」
顔を上げたその眼前に、黒いプラグスーツを着た少女が佇んでいた。その姿は、初号機に眠っていると思っていたはずの、蒼髪の彼女だった。
「綾……波?」
「……こっちへ」
彼女は淡々と、一言だけ告げると、扉の方に向かって歩き出した。
いつの間にか自分は制服へと着替えさせられていて、ベッドの下にはいつもの靴まで、ご丁寧に用意されていた。
枕元にS-DATもちゃんと残されている。シンジは慌ててカセットプレーヤーを掴むと、彼女の後を追って部屋を出た。
シンジはゴンドラへと案内された。向かう先がNERV本部なのだろうということは、容易に想像できる。
それよりも、シンジは訊かなければならないことがあった。
「ねぇ綾波」
「……なに?」
「君は……何人目なんだ?」
彼女は不思議そうに、首をかしげるだけだった。
【第弐拾弐話 韻鏡久間】
【Episode:22 R-367 and A-278】
シンジは彼女と共にゴンドラを降下していく。ピラミッド型が特徴だったNERV本部は見る影も無く崩壊していて、辺りには特殊ベークライトと思われる血の色をした固形物が、波打ったまま硬化して溜まっていた。
そもそも、ジオフロントのはずなのに空が見える。それに地形もシンジが見たことのないような形に変化している。ジオフロントがこんなに狭かったはずがないのだ。
驚きはしない。しかし、その凄惨さには流石のシンジも息を詰まらせる。一体どれほどの戦いが行われてきたのかと、戦自に攻め落とされかけたあの日のことをシンジは思いだし、痛くなる胸を握り締めるように押さえた。
そして、シンジが今、心を痛めている原因はそれだけでは無い。隣にいる、蒼髪の彼女。何も喋らず、何を考えているのか、何を見ているのかさえ、シンジには分からなかった。
目の前に居るのは、シンジの知る綾波レイではない。己の直感とアスカから告げられていた言葉を線で結び、導き出された確信的な事実に、悔恨の表情を浮かべた。
14年も経っていることが、余計に現実味を増している。下手をすればゲンドウのことだ、何人もの彼女を犠牲にしたかも分からない。
「ねぇ……綾波?」
「何?」
彼女の返事は素っ気ない。
「これから行く場所は……父さんのとこ?」
「知らない」
なるほど。知らされていない、という訳か。
2人は壊滅状態のNERV本部へと向かっていく。
崩壊状態のNERV本部だが、長いエスカレーターはかつてのように動いている。レイと少し距離を取った位置に立って、地下深くへとシンジは降りて行く。
理解するまでには時間がかかりそうだな、とシンジは考えた。かつて初号機のあったケージまでもが、一面真っ赤に染め上げられていたのである。そしてその上空には、青空が広がっている。
「これは、想像以上に……」
シンジは、サードインパクトで終焉を迎えたかつての世界を思い出す。赤い海と、崩壊した大地。暗い赤に染まる空が、頭の奥にチラついていた。
「……ん?」
突然、シンジもよく聞き慣れた打鍵音が、どこからともなく響き渡る。周りは静かだったが、シンジはさらに耳をとぎ澄まして、音の発せられている場所を探した。どうやら、下からだ。
「……?」
手すりのないブリッジから落ちないように気をつけつつ下方を窺い見る。
「あ……っ」
廃墟と化している場所の中では強烈な異彩を放つ白い床、その空間の中央に置かれた一本の木と、パールブラックのグランドピアノ。そして―優雅にそれを弾く一人の少年が、そこにいた。
渚カヲル。第1使徒アダムの魂を持つ、最後のシ者。
シンジは硬直していた。嫌な汗が、ドッと噴き出すのを感じていた。
AAAヴンダーで意識を失う直前に感じた夕陽の匂いは、彼の存在を示唆するものだとは分かっていた。AAAヴンダーからここに連れて来たのは、綾波ではなく、彼だ。
「……っ」
爽やかすぎるくらいの笑顔を空に向けながらピアノを弾いていた彼は、曲を弾き終わると同時に目をゆっくりと開いた。
まるでシンジが来ていたことを予感していたかのように、バッチリと目が合う。
「……碇君?」
「あ……ごめん、今行く」
シンジは動揺を必死に押し留めようとしながら、綾波レイの呼び声に無理やり意識を引き戻した。
******
「ここ」
ケージ跡から、さらに綾波レイに連れられて十分弱。シンジはNERV本部の奥深くまでやって来た。初号機と初めて相見えた時のような暗闇で、数秒待つ。
そして予想通り、重く低い点火音とともに、辺りがライトで照らされる。シンジの目に飛び込んできたのは、大きく「EVA13」と書かれた半球状の紫の物体だった。
「これって……エヴァ?」
「そうだ」
シンジの呟きに、野太い声が応えた。
視線を上げるまでもなく、声の主が誰なのかは分かった。
若干の緊張に身体を強張らせながら、自分を見下ろす男へと顔を向ける。
「……久しぶりだね、父さん」
シンジ自身にしてみれば父・ゲンドウと会っていなかったのはものの数日である。だが、
思わず口に出てしまったその言葉に、シンジは表情を険しくする。しかしゲンドウはそんな息子の感情など気にする様子もなく、一方的に言い放った。
「エヴァンゲリオン第13号機。お前とそのパイロットの機体だ」
ゲンドウがそう言うと、再びガコンという音がして、シンジの後方でライトがついた。
「……は?」
銀髪の少年、渚カヲルがそこにいた。
「時が来たらその少年とこのエヴァに乗れ。話は終わりだ」
「あ、ちょっと父さ……!」
シンジは慌てて振り返るが、ゲンドウの姿は、すでになくなっていた。
「…………」
******
混乱することばかりで、正直疲れてしまうが、泣き言は言っていられない。
綾波レイに案内された部屋のベッドで寝落ちし一夜を明かしたシンジは、再度状況の整理を試みていた。
何もかもが変わり、自分の知らない世界になっている。この部屋も、NERV本部も、ミサト達も、補完計画の形さえも。
考えねばならないことがあまりにも多すぎる。14年間に起こったことの把握、この世界での補完計画の実態、世界を取り戻すために自分が為さねばならぬ事は何か。
おそらくは、「第13号機」と銘打たれたあの新型エヴァが起動するときがタイムリミットだ。それまでには、全てを取り戻すために、状況を組み立てなければ。
「にしても、ダブルエントリーか……」
ゲンドウは「その少年とこのエヴァに乗れ」と言っていた。あの新機体は、建造時点から二人で乗ることを前提としているらしい。今までのエヴァとは違って、何とも奇妙な話である。
しかも同乗者が、彼だとは。
「……カヲル君」
分かってはいたが、いざ彼の姿をこの目にすると、シンジはあの時の、残酷な感触を否が応でも思い出してしまうのだ。
自分の意思で、彼を殺してしまったということを。
かけがえのない友を殺めた。そんな過去の罪に、動悸までも激しくなるのだった。
ただ、安堵感もあった。
14年経っていても、彼はまだ生きているのだ。これも父の策略か、それともゼーレによる操作か。いずれにしても、使徒であるはずの彼はまだ殲滅されていなかった。その事に安心した。
チャンスは、残されている。
彼のことも、今度こそ救い通してみせる。
たとえ使徒だろうが関係ない。無知だった頃とは違う。きっと僕らは共存できると、シンジは信じているのだ。
「……とにかく、会いに行こう」
******
NERV本部の構造は、そんなに変わっているわけではなかった。今まで主要に使っていた場所の機能が崩壊して別の場所に転移していたり、一部の
1つ言えることは、どのブロックも異様に静かであることだ。自動販売機は完全に停止しているし、人影、いや足音一つすら聞こえてこないのである。
その割には、改装されたブロックに位置する自分の部屋や、その周囲の廊下には塵一つ落ちていない。切れかかっている電球とか、ドアのガタつきもない。誰もいないのに、とても清浄。まるで全システムが自動で制御されているような、なんだか宇宙船にでもいるような感覚を抱く。
「……あれ?」
シンジはNERV本部内を彷徨い続けると、巨大な支柱が地下深くまで続いている広大な空間に行き着いた。
「ここって確か……」
確か、レイの検査用プラントだ。そういえば、定期的な検査が彼女には欠かせなかった。リリンから逸脱した存在ゆえに避けられないのは、悔しいが事実だ。
文字通り、運命を仕組まれた少女なのだと、改めて思い知らされる。自身やアスカにも称されていたことだが、綾波レイはその魂のときから、常に父・ゲンドウに支配されていた存在だったのだ。
だからこそ、かつてのサードインパクトでゲンドウに反逆したのは、彼女なりの自立だったのかもしれない。そんなことを、シンジは思う。
「碇君?」
「わっ、綾波か……って、ちょ、ちょっと!!?」
後ろからかけられた声に思わず振り返ると、そこに裸体の彼女が立っていた。シンジは慌てて逃げるように近くにあったプレハブ小屋の陰に逃げ込んだ。この世界ではほとんど冷静を保てるシンジとて、14歳の思春期男子である。同年代の異性の裸は、やはり目に毒である。
「な、何してんのさ……!」
「調整を、受けていたの」
「そ、そっか! と、とりあえず服着て、ね?!」
シンジは決して目を開けないように綾波に語りかける。この状況は絶対に誰にも言えないと瞬時に結論づける。特にアスカにバレたら確実に一回殴られる。見ちゃダメだ見ちゃダメだ見ちゃダメだ。
「命令、ならそうする」
シンジが隠れたプレハブ小屋は、どうやら彼女の居住地だったらしい。この広大な空間にしてみれば、まるでマッチ箱のように小さく見える。入口近くには歪んだ段ボール箱があり、彼女のものと思われる制服らしきものが放置されていた。
「……入るよー?」
シンジはカーテンを開けて、中に入ろうとするが、すぐにその足を止めた。寝袋がこれまた無頓着に置かれていた。
「ここが……寝床?」
どこからともなく、悲しさと悔しさが込み上げてくる。今の彼女は、かつてのレイよりも、さらに粗雑な扱いを受けているというのがすぐにわかったからだ。
彼女は無表情のまま、瞬きを一つするだけだった。
「……何考えてんだ父さんは。まったく……」
シンジはワシワシと頭を掻く。
彼女をこんな環境に置き続けるわけにはいかない。しかし以前とは違い、今のシンジに協力してくれる者がいない。カヲルに掛け合ってみるのも手ではあるが、この世界ではまだ話したことすらない初対面だ。どうしたものか。
「碇君?」
「あ……いや、ごめん」
黒いプラグスーツを着た彼女は、不思議そうな顔をしていた。
感情の起伏は、とても微細なものだった。今までの何人かの綾波レイを見てきたシンジだからこそ気づけたようなものである。いや、シンジも一瞬気づけなかった。それほどまでに、彼女は無表情を崩さずにいた。
かつての、3人目の綾波もこんな感じだった。魂は同じといえど、今の彼女にはそれまでの記憶はない。みんなと共に洋服を買いに行ったことも、アスカと3人で料理をしたことも、ラミエルやバルディエル、ゼルエルと死闘を繰り広げたことさえも……。
「……ん?」
悔しさに苛まれていた矢先、シンジはふと何かがおかしいことに気が付いた。
「3人目……。あれ……?」
変だ。
綾波レイの魂は、元来リリスのものであるはずだ。思い出したくはないが、クローンであるレイは魂を宿らせなければただの容れ物なのだと、かつての世界でリツコは泣き崩れていた。
現在、彼女の魂は初号機の中に残っているはずだった。自分と初号機とのシンクロ率が0%だということからも、そうだと思って疑わなかった。
なら、目の前にいる彼女は一体……?
「綾波……なんだよね……?」
「そう。綾波、レイ」
自分は、思った以上にとんだ勘違いをしていたのかもしれないことに、シンジは気が付いてしまった。
「ゼーレはまだ沈黙を守ったままか」
空間に、赤黒い7つのモノリスが浮かび上がっていた。それに囲まれるように立つゲンドウのもとに、冬月がやって来ていた。
「人類補完計画は死海文書通りに遂行される。もはや我々と語る必要はない」
「碇、今度は第13号機を使うつもりか?」
冬月の問いに対して、ゲンドウは何も答えなかった。その成り行きは、既に自明であるかのように思われた。
「まあいい。俺はお前の計画についていくだけだ。ユイ君のためにもな」
冬月もまた、ゲンドウの無言を既に自明のものとして受け止めた。
ただ、1つのことを除いては。
「しかし、あの少年はWILLEよりも手強いぞ? 良いのか、ダブルエントリーで」
ゲンドウは、沈黙を貫くだけだった。冬月は小さな溜息と共に、一言だけ零した。
「ヒトにかけられた呪縛は、簡単には消えぬか」
「……ここに出るんだ」
黒い綾波(とか言うと闇堕ちしたみたいに聞こえてちょっと変だけど、ほかに呼びかたも思いつかないのでとりあえずこう呼ぶことにした)と別れて32分。しかしNERV本部の構造変化に、帰り道が途中で分からなくなってしまって道に迷うこと24分。本部の構造から覚えなければならなそうで少々気が滅入ってしまいそうである。そんなこんなで途方に暮れかけながら彷徨い続けた結果辿り着いたのがこの場所だった。
目の前に、グランドピアノと1本の木が立っている。さっき、カヲルが弾いていたものだ。肝心の彼はいなかったが、しばらく待っていれば姿を現すだろうと、なんとなくそう予感していた。
「ピアノか……。弾いたことないけど」
シンジはおもむろに椅子に座ると、ピアノの鍵盤の1つをを人差し指と中指で撫でてみた。
ピアノを弾いた経験はなかったが、音楽経験のある身としては、楽器はあるだけで心の癒やしになるものである。シンジも以前はチェロを弾いていた経験がある。第二新東京に住んでいた頃には部活で四重奏の練習をしたこともあったし、アスカが拍手で褒めてくれたこともあったなぁと思い出す。
「……誰もいないよね?」
カヲルを待とうと思った心はどこへやら。興味が湧いたシンジは、辺りをキョロキョロと見渡した後、人差し指で白鍵の1つを叩いた。ポーンと跳ねるような響きが、辺りに広がる。いい音だ。
「カノンのコード進行ってどういうのだったっけな……」
C、G、Am、Em……と、手探りで和音を探っていく。
やはり音楽はいつの時代も楽しいものなのである。彼の言葉を借りるとすれば、リリンの生み出した文化の極みである。
「あとは……主旋律か」
パッヘルベルのカノン。四重奏では、2小節8音を繰り返し続ける「大逆循環」を奏でるチェロの伴奏に、3つのバイオリンが主旋律を2小節ずつずらしながら演奏する「追随型」の楽曲だ。
さすがに4パート全ての旋律を奏でるのはシンジには難しかったが、左手でチェロパートの伴奏を、右手で第1ヴァイオリンの旋律を演奏する程度なら何とかなりそうだ。
「……ん」
途中からは4分音符だけでなく、主旋律は8分、16分へと転換する。だんだんと左右の手の動きが違ってくるが、ゆっくりと、丁寧にシンジは奏でていく。
しかし、この後に控えるサビ、32分帯域は少し大変だろうか。頭の中でイメージしながら譜面を辿る。
その時。
「……!?」
「続けて」
音もなしに隣へと近づいていた影が、そう答えた。そしてシンジの右隣で、鍵盤を叩き始めていた。
「……っ」
彼はシンジの伴奏に合わせながら、カノンの主旋律を、アレンジを加えながら弾き始める。さっきも感じたが、彼の手の動きは見事なまでに滑らかで、それまでどこか覚束なかったシンジの演奏さえも調えるかのように奏でられていく。
視界の縁に、彼の笑む口元が見えた。
-さすがだよ、カヲル君。
彼と奏でるピアノは、初めてにもかかわらずなぜかとても楽しい。心がこんなにも浮き立っていることに、やはり彼は凄いと、そう感じていた。
シンジは負けじと左手の伴奏をアルペジオで弾き始める。彼の旋律に合わせるように、そして彼を驚かせるように、時折、変化も加えつつ。
いつの間にか、2人で奏でる音色を心から楽しんでいた。
少し汗ばんだが、久々に爽快感を味わった気がする。ピアノの鍵盤から手を離し、シンジは手の甲で額を一度拭った。
「凄いね。ピアノを弾くのは初めてだろう?」
彼は立ったまま、笑顔でシンジを見下ろしていた。
「昔、チェロを弾いてたから。けど、君の演奏についていくのが精一杯だったよ」
「謙遜しないでいいさ。さっきのアレンジ、綺麗だったよ」
「そ、そうかな……?」
渚カヲルは、とにかく純粋な心の持ち主だと、シンジは思っている。「綺麗だよ」という歯の浮くような台詞でさえ、一切の躊躇なしにストライクゾーンど真ん中へと投げ込んでくる。
「えっと、僕は碇シンジ。自己紹介まだだったよね?」
「気にすることないよ。僕たちは運命を仕組まれた子どもだ。そうだろう、シンジ君?」
「!」
そんなに遠回しな言い方をせずとも良いのに。そうシンジは思った。だがそんなところも、実に彼らしい。
「うん。そうだね」
自分と同じで、カヲルも「こちら側の人間」なのだと、シンジは悟った。
「……また会えて嬉しいよ、カヲル君」
途端に気楽になったからか、自然と笑みがこぼれた。カヲルも、シンジの目を見据えて笑った。
「お帰り、シンジ君。待っていたよ」
******
リリンの域を逸脱した自分の首元につけられたチョーカーは、シンジがつけている物と全く同じだ。いざという時は艦長によって即時処分が可能で、ある状態になると自動的に作動してしまう。
それ程までに自分は危険な立場にあるわけで、実際に居住するこの場所も対爆隔離室という厳重管理ブロックになっている。ただ、正式な許可がない限りはこの部屋から出ることができないはずなのだが、何だかんだで艦内をうろつき回っている時間が長いというのはまったく変な話だ。
「ひーめっ、何読んでるの?」
シャワールームから帰ってきた真希波マリが、雑誌を読んでいる自分の両肩に手を乗せて寄りかかってくる。こういう過度なスキンシップはずっと昔からのことらしく、言わば彼女なりの処世術なのだとか。
「んーなになに、コントラバス?」
「……安直なボケ方するんじゃないわよ。チェロでしょ、どう見たって」
「つれないなぁ、ニャハハッ♪」
頬擦りしてくるマリを鬱陶しく感じながらも、何を言ったところで無駄になるから軽く受け流すだけだ。もうすっかり慣れた、お決まりのパターンだ。
「んで、もしかしてワンコ君絡み?」
「……まあね」
「へぇ弾けるんだ彼。ちょっと意外」
マリはさらにぐいっと顔を伸ばし、本に顔を近づける。
「ま、こっちの世界では弾いたこと無いらしいし、知らなくても無理ないわね」
「姫は聞いたことあるんだにぇ♪ 上手だった~?」
「ん……まあ」
揶揄い口調で訊いてくるマリの言葉に、アスカは過去を思い返しながら肯定の息を吐く。以前の私なら、おそらくマリのことを睨み付けでもしたのだろうが、そうすることで少しでもシンジのチェロの腕を否定するそぶりを見せることすら、今の自分にはできなかった。
ずいぶんと自分のプライドに対しては丸くなったものだと、アスカは思う。一方でシンジに対する執着は相変わらずな気がするが。
「そういえばゲンドウ君もよくピアノ弾いてたっけ。結構音楽家肌なのかもね、あの親子」
「あの司令が?」
まさか、と言うようにアスカは眉を歪めた。
固定観念に囚われてはいけないとは常々思うことであるが、それにしたってあのサングラス男がピアノを弾いている姿など想像するには至れない。
「……あー、でも、だからか」
よくよく考えれば。アスカは一つ納得がいった。
シンジに返したあのカセットプレーヤー。彼曰く、あれは外界と自分を隔てるためのアイテムだったとか。そしてそれは元々、ゲンドウのものだったとも。
音楽という世界に潜り込むことで現実との距離を取るというのが2人に共通していたのであれば、別に碇ゲンドウが何かしらの楽器を弾いていた可能性は割とある。
「さみしかった……のかもね」
「にゃ?」
シンジがチェロを弾いていたことにも特に理由はなかった。弾き続けていたのは、ただ「誰も止めなかったから」だ。無意識ながらも自分の心の拠り所になっていたと解釈するのが一番妥当だろう。シンジ自身が気づいているかは知らないが。
「あの頃のシンジは、母親を喪って、父親に拒絶されて、縋れるものが何もなかった」
幼い時期にそんな思いをしていたら、心が壊れるのだって仕方ないに決まっている。
「碇ゲンドウの過去は知ったこっちゃないし同情もしないけど、アイツの人類補完計画のきっかけだって、あの頃のシンジが感じていた絶望感とちっとも変わらないのよ」
「……なるほどね。ユイさんへの執着から、か」
マリはふぅとため息をつく。なぜかこの女はゲンドウやユイと知り合っているような言動を時偶見せるのだが、その真相はアスカには分からない。だが言いたいことは伝わったようで、説明する手間が省けたことに肩の力が抜ける。
「特に恋なんかは喪失感を増幅させるから、執着心も余計に膨れ上がる。ほんっとに恐ろしいモノよ。ヒトを極限まで狂わせるんだから」
「けど、姫もワンコ君に恋してる」
「ええ、人のこと言えるわけない」
マリにブーメランを指摘されるが、それも当然、承知の上。腕を広げて大袈裟っぽくおどけてみせる。
「そういう混乱に身を投じてしまうのも、人間のさだめなのかもね~」
「まぁ、コイツの方はイラついてるみたいだけど」
アスカは人差し指と中指でこめかみをトントンと叩いた。
「心配しなさんな。姫の愚痴は、いつでも聞いてあげるよん♪」
「悪いわね、いつも」
アスカはそうして再び雑誌に目を落とした。マリもアスカから離れて髪の毛を乾かし始めた。
いつ来るかも分からない緊急事態に備えて気を引き締めなければならないのだが、それでもふとしたときに、ついついシンジのことを考えてしまう。
今のアイツのことだから、恐らくは状況を飲み込んで冷静に対処できると思う。例えいろいろとショックを受けたとしても、味方がいないわけではない。
ただし最悪なのは、その味方があの忌々しい最後のシ者だということにあるのだが。
「ワンコ君、元気にしてるかねぇ?」
「大丈夫じゃない?……少なくとも、奴がいるんだったら」
「ほぉ、大層悔しそうなことで?」
不機嫌さを隠すこともせずに虚空を睨み付けた自分を、マリはニヤニヤしながら茶化してくる。
はっきり言って、アイツのことは嫌いである。かつての世界で壊れかけていたシンジの心を救い、そして絶望へと叩き落とした張本人。彼なりの信念や死生観があったことは認めるが、その癖してシンジを幸せにしようだとは虫のいい話だ。
一度くらい顔面を殴り飛ばしてやりたかったのだが、如何せん惣流アスカの人格が今のように現出し始めたのはごく最近である。なので未だに奴と真正面から向き合ったことはない。
「いつかL.C.L.の底に沈めてやるわよ。あのナルシスホモめ」
「ニャハハ、やったれーぃ♪」
ただ、それにしても、だ。
碇ゲンドウがシンジをトリガーとして使うのは確定路線だとして、それをシンジが知らない状態で実行されてしまえばマズいことには変わりない。こんなことなら、ちゃんと伝えておくべきだった。そんな後悔が残っている。
そしてもっと大きい、一番の懸案も残っている。
「ねぇマリ」
「んー?」
「……例のオルタナ278、……どうするべきだと思う?」
「あー……」
マリの目を見据える。マリも真剣な様子を汲み取ってか、口元から笑みを消した。
「やっぱり、悩んじゃうか……」
「……」
「……怖い?」
マリが、心配そうに訊いてきた。一瞬、首を横に振ろうとしたが、こめかみを伝う嫌な汗に、動きを阻まれた。
「……ええ」
そうだ、私は怖いんだ。果てしなく膨れ上がる恋心の先に見える結末を直視しなければならなくなるのが。
「……アスカ」
マリが肩にそっと手を置いた。
「大丈夫だよ、きっと。私はさ、今こうやって生きていて、アスカと一緒に過ごしているだけで幸せ者だと思ってる」
「……」
「呪縛に囚われていても、幸せな時間を過ごしちゃいけないなんて決まりはないでしょ?」
「……うん」
いつもはどこか気の抜けたような言動をするくせに、この女はこういう時に温かい言葉をかけてくれる。それが変にむず痒くって、そして落ち着いてしまう。
「彼女は、シンジ君に託そう。アスカは、アスカの思った途を進めばいいんだから」
「……そうね、ありがとう」
「その時を待とう。取り返すんでしょ? アイツから」
「……ん」
こんなところで折れてなんかいられない。
絶対にシンジを取り返す。シンジと並んで笑いあえる未来を、この手に掴むために。
「次は即興で弾いてみるかい?」
「そうだね、やってみよう♪」
楽しげに並んでピアノを弾く二人の様子を、遠くから眺める影が1つあった。黒いプラグスーツを身に纏ったその影は、旧初号機ケージのブリッジに座りながら、眉をひそめて見下ろしていた。
☆あとがき
毎度毎度、お待たせしてしまい本当に申し訳ありません。
執筆スピードが遅いのがジェニシア珀里の悩みです……(泣)
ですが、「僕は僕の落とし前をつけたい」。
そして、応援してくださる皆様のために、誠心誠意書かせて頂きます。そんなわけで第弐拾弐話でした。
いつもあとがきが長くなってしまうので、今日はサッパリと。
カヲル君とアスカのバトルが楽しみだなぁ~♪(←鬼畜)
「僕のために争わないでっ……!」とかいうシンジ君が見れるかもしれませんね。……いやさすがに無いか(苦笑)
コメントなど、励みになります♪
前回は沢山の感想ありがとうございました♪
返信は基本的に必ず致します。もうしばらくお待ちくださいませ。
では、次回もお楽しみに、ですっ!!
☆追記 2022.2.3
現在執筆中の第23話以降の展開に際し、原作リスペクトのため、サブタイトルおよび一部セリフを変更しました。
最新話投稿まで、今しばらくお待ちくださいませ。