【起】クラスメイトは全員間者
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十年前、この世界に女性にしか操作できない究極のパワード・スーツ、『インフィニット・ストラトス』、通称『IS』が発表された。一斉コンピューターハッキングを受けた世界各国の軍事基地から、日本に向けて放たれた2341発ものミサイルを全て駆逐した謎の兵器として世間に知れ渡ったISは、その存在が公になるやいなや、瞬く間に世間を圧巻した。現行の科学兵器を何世代も先行する最強の兵器。唯一の欠陥、「女性にしか扱えない」という特徴を持つものの、ISは世界の軍事バランスを変え、女性はその地位を大幅に向上させた。世界はISが支配する。それが世界の常識となった――――――――わけがない。
ISには心臓部としてISコアが必要となる。しかしこのISコアは束が制作したとされる467個しか存在せず、各国は複製はおろか解析すら満足にできていない。ISコアは全てがブラックボックスと化しており、手探りで利用している現状だ。そんな状態でISを国防の要にすることなど、できるはずがなかった。
束はIS発表時、デモンストレーションとして利用するために、世界各国の軍事基地をハッキングした。そう思われている。ならば当然、ISコアのハッキングも可能だと考えるのが道理。ISに国をも任せるなど、束に国を差し出しているのと変わらない。しかし、ISの力は魅力的過ぎた。この力を完全にコントロールできるようになれば、世界最強の兵器を自国だけが手にすることになるのだ。
そして何より、束はISを兵器として世界に知らしめた。ISが兵器として評価されることを束は望んでいる、と考えられる。だからこそ各国は、ISが国を守るかのように宣伝した。『天災』と呼ばれる束の矛先が自国に向くことを恐れて。
そう、世界は一度、篠ノ之束に敗れた。
しかし、ただでは転ばない。束と対等の関係であると目される『最強』こと
確かに束一人なら、世界と戦えるだろう。しかし、足手まといを抱えながら抵抗できるほど、世界は優しくない。それが分かっているからこそ、束は一人で姿を晦ました。
束と世界。互いが互いの急所に銃を突きつけ合う。だが平和は保たれていた。
束はISコアをハッキングするようなことはせず、世界も件の三人を攻撃することはなかった。
裏でどれだけ駆け引きが行われていようとも、表向き世界は今日も平和だった。
兵器であるISが競技の道具として使われるくらいには。
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「あー、君、受験生だよね。はい、向こうで着替えて。時間押してるから――――」
織斑一夏、十五歳。高めの伸長に爽やかな笑みが似合う、アイドル系男子。表向き女尊男卑が広がる今の世では、女受けする部類と言える。姉ともども整った顔立ちを持ち、これまた姉と同様に運動神経も優れている、まさに優良物件。一夏に思いを寄せる女子は数知れず。しかしそんな一夏に告白をした者は、たった一人しか存在しない。何故なら高嶺の花だからだ。世界を揺るがすISを作り上げた束が心を許す、たった三人の身内。一夏はそう内の一人だ。中学校当時の同級生達にとって一夏は言うならば、校長先生が朝礼でわざわざ「私の親友です」と紹介した事故物件のようなものだ。アイドルとして愛でることはあっても、付き合うとなると理性のストップが掛かる、そういう立場だった。たとえ一夏自身に何ら特別な物がなくとも、束という特別な存在が一夏の後ろに立っている。
そんな一夏も日本の法律ではただの中学三年生。高校進学に向けて受験を行う世間の流れに乗り、連絡を受けた受験会場にやって来ていた。
今一夏がいる場所は、試験会場である多目的ホールの一室。豪勢な扉の奥にあったのは、カーテンで仕切られた小さな控え室。監督の教員が使うのであろう机が一つあるだけの、救護室のような空間。女教員の指示は早口で、到底聞き取れるものではなかった。しかし指でカーテンの奥を示すと、足早に退出してしまったのだ。仕方なしに一夏はカーテンを捲りその奥へと向かった。そして出会ったのだ。世界最強の兵器、インフィニット・ストラトスに。
改めて、一夏は目の前のISを見つめる。束が世に送り出した、全ての始まりたるそれを。
確かに一夏は束の寵愛を受けている自覚がある。束は件の三人を特別な存在だと認識しているようで、束自身と同じ『特別』にしようとする節が昔からあった。その最たる例が、IS「白騎士」を与えられ『最強』と謳われるようになった姉の千冬だ。箒や一夏にも同様な事をしてくる可能性はあった。
しかし、一夏と他二人ではISを持つ意味が違う。ISは女性にしか使えない。束がそう設定したのか、それとも最初からそうなのかは知らないが、ともかくISは男性には使えない。そこに男性のIS操縦者が現れればどうなるか。今の均衡を崩してでも一夏の身柄を手に入れようと画策する者が必ず現れる。ただでさえ束の関係者として注目を集める一夏が、より一層危険になるだろう。
だが同時に、一夏がIS学園に行く正当な理由にもなる。現状、千冬がIS学園で教師をしており、箒もIS学園に入学することが決定している以上、一夏も同じ場所にいた方が、束にとって都合がよいのかも知れない。確かにIS学園は一夏達を囲う檻ではあるが、同時に身を守る壁でもある。いくら束でも三人を常に守ることはできないし、できないし、世界としても下手に三人を傷つけて束を刺激したくはない。しかしそうなると、なぜ今になってという疑問も湧いてくる。
結局のところ、一夏には束の意思は把握できなかった。できなかったが、この現状が束によるものだとは理解できていた。
本来なら一夏が受験する予定だった藍越学園とIS学園の受験会場が一緒になることなどありえないし、会場内の案内がないのも不自然だ。周囲に人もおらず、「迷ってください」と言わんばかりの迷路状の通路。そして何よりドアがない。誘導されているかのように、今一夏がいる部屋のドアしか見つからなかったのだ。
事実、誘導されたのだろう。会場にはエレベーターも階段も見当たらず、二階への道はない。一階を奥へと迷うように進めば見えた一本の通路に従った。周りに誰もいないのか、自分の足音がやけに大きく響いたのを覚えている。一面ガラス張りの廊下は、外から観察されているかのように気持ち悪かった。気分はチューブの中を歩かされる実験昆虫。そして唯一見つけた部屋に入る時に入れ違いになった女教員は、一夏の顔を確認せずに指示だけ出して急いで部屋から出て行った。まるで、少しでも厄介ごとから離れたいかのように。
「男には使えないんだよな、たしか」
まるでISなんてよく知らないとでもいう風に、一夏はISに手を伸ばす。勿論、そんなことはない。今の一夏達の現状を生み出した根幹たる存在であるISだ。知らないわけがない。しかし、『織斑一夏』はISなど知らない方が良いのだ。知らない秘密は吐きようがない。そういうことだ。
だが今、そこにISがある。無骨な鎧の形をした銀灰色のIS『
ここには一夏と『打鉄』しかいない。どこの誰の物とも知らないIS。しかしそのコアは間違いなく束の物。束が世界を敵に回してまで作り上げた、束の魂の分身。
伸ばした手が汗ばむのを感じた。のどが渇き、視界が狭くなる。今だけは、周りの見えない視線も気にしない。この部屋に存在するのは、一夏と目の前のISだけ。広い部屋の中でたった一人、一夏を待っていたIS。照明を浴びて浮かび上がるその巨体は、無言の重圧を放っている。
一夏がISに触れたことはなかった。男である一夏がISに触れる機会などない。ISは兵器だ。いくら『最強』の千冬の弟でも、簡単に触れることはできない。
それが目の前にある。
触れれば、世界が変わるだろう。一夏は『唯一』という名の『特別』になる。千冬の『最強』と同じように、束が定める『特別』になる。
そうだ、と一夏は意を決意する。守られるだけの存在じゃない、束と並んで歩ける、『特別』になるのだと。
改めてISに視線を向ける。
一夏はISを通して束を見た。
両手を広げ、その大きな胸に一夏を抱きしめる束。顔を埋める一夏には、束の表情は見えない。ただ、もの悲し気な、後ろめたさが、束からは漂っていた。思わず一夏は自分から束を抱きしめる。だが、一夏の腕の中で束は霧散した。そこには誰もいない。あるのはISだけだ。
伸ばした手を前に進める。
そして――――『打鉄』に触れた。
「!?」
頭に響く、高い音。鋭く固い、金属質のそれ。頭の先から足の先まで、全身に響き渡るように流れた刺激は、一夏の時を止める。
これがIS。これこそがIS。
流れ込んでくる情報の海に身を任せながら、一夏は歓喜に身を震わす。
『織斑一夏』はISを知らない方が良い。そう考えていたからこそ、一夏はISに関わらないように振舞った。ISは確かに素人が触れられる物ではないが、無理をすれば可能な立場に一夏はいた。それでも、束の重しになりたくないから、『織斑一夏』としてISから離れるようにしていた。
だが一夏にはISが与えられた。他ならぬ、束から与えられたのだ。
だってそうであろう。誰が男の一夏にわざわざISを触らせるのか。それも偶然を装って。件の三人の一人だから念のため確認したいだけなら、いくらでもやり様があるのだ。こんな大掛かりに、劇的に演出する必要はない。そもそも起動しなければどうするのだ。
だからこそこれは、一夏がISを動かせると知っている人間の仕業。束の仕込みに間違いないのだ。
そう、一夏は選ばれたのだ。束の『特別』に。
3
IS学園とは、日本に作られた、IS操縦者を始めとしたIS関係者を育成するための高等教育機関とされている。同様の施設は他国にも存在するものの、そのでれもがIS学園には及ばない。またIS学園に関しては、外部組織からの介入を受けない、という一種の独立国として認めるような条例が国際法で定められているため、良き学び舎として世界にその門戸を開いている。もちろん、それは表向きであるが。
裏では各国の密命を受けた少女達が日夜暗躍する策略の世界。他国の介入を受けないとされるIS学園自体も、世界の調整役として何等かの融通を通さなければならない。
けれども実質IS学園に送られてくるのは年端もいかない少女達。精神も技量も未熟であり、国を背負うには不完全。そもそも各国がIS学園に見出している価値は社交場としてであり、現実は十代少女達の花の楽園となっている。自国の虎の子は自国で育て、他国との繋ぎ役となる予定の者達をIS学園に送る。これが世界の実情であり、現状であった。
そう、現状。現状である。IS学園の本来の目的ではない。IS学園創設の目的は、篠ノ之束の身柄を抑えることであった。各国としては自国に取り込むことが最善であったものの、束をめぐって更なる争いが起こることは必須。だからこそ、お互いをけん制しつつ束を一か所に留めるための場所として、IS学園を作り上げたのだ。敵国の手に渡るよりは、中立の檻に閉じ込めてしまった方が良い。ISは欲しいが、戦争はしたくない、それが各国の本心であった。
結果として束には逃げられ、IS学園はその役目を社交場へと変えた。
それから数年後、IS学園は再び本来の機能を発揮することとなった。織斑千冬の着任と、篠ノ之箒の入学、そして織斑一夏という世界最初の男性IS操縦者の発見によって。
千冬が教員として赴任し、箒が入学することも決まっているIS学園。そこに送り込まれる各国の少女達に課せられた使命は、「可能ならば件の二人を取り込め」というものだった。あくまで、可能ならば。その程度でしかない。『最強』たる千冬を飼い殺すことができるとは考えられないし、箒の周りは日本政府が固めている。そもそも、千冬の赴任にすら懐疑的であった。なぜ織斑千冬は、自ら檻の中に入ったのかと。
だが世界が納得する事態が起きた。一夏のIS起動である。千冬がIS学園にいるのだ。一夏の身柄がIS学園に渡されることになるのは自明の理。一夏を守るために、千冬がIS学園に入り込んだのだと世界は考えた。
とにかく、織斑一夏、世界最初の男性IS操縦者である。そう、男である。
この世で男と女、篭絡しやすいのはどちらかと聞かれれば、それは男だ。なぜなら、男には女にない特徴があるからである。それこそ、勃起に他ならない。
人間を縛る、富、名声、性欲。中でも性欲によって身を亡ぼす人間か数知れず、そして何より血の繋がりを得ることができれば影響力は計り知れない。血縁だけは人間の本能に起因する、生物である以上逃れられない絶対の鎖であるからだ。そしてその性欲を操るのに、勃起ほど明確で分かりやすい指標はない。男は性的に興奮すれば勃起する。他の要因でも勃起するが、性的に興奮すれば間違いなく勃起するのだ。なんと分かりやすいことか。
男を取り込むならば女を使えば良い。一見馬鹿馬鹿しい話に聞こえるが、『天災』を刺激しない名案であった。なぜなら、篠ノ之束は人間性に欠けているからだ。親愛は知れど性愛は知らないとされる束。束の中での織斑一夏という存在は、あくまで自身の親友である織斑千冬の弟である、というのが世界の認識であった。
確かに、件の三人を力づくで取り込むことは難しい。しかし織斑一夏ならば、性欲を刺激し愛情を芽生えさせ、自ら赴くようにしてやればよい。おあつらえ向きに、IS学園は女子高だ。その中に男が一人放り込まれれば、女の色香に惑わされても不自然さはない。世界の均衡を破ることなく、件の三人のうちの一人を、それも世界最初の男性IS操縦者を手に入れることができるのだ。やらない手はなかった。
かくして今年度のIS学園入学者だけでなく、在学生にわたる全てのエージェント達に指令が下った。ただ唯一の誤算があるとすれば、彼女達はその道のプロではなかったということだ。一夏の存在が公になった時点で、IS学園に送る人材は決定してしまっていた。本命の刺客が送られてくるのは、次年度からになる。それまでは、すでにIS学園にいる者達で一夏を篭絡するしかなかった。
そのような事情の中で始まった、IS学園一年一組の最初の
童顔巨乳の眼鏡教師が、黒板の前で可愛らしく微笑んで挨拶をする。一人一人座る生徒達の目は、目の前の副担任と、立体表示される彼女の名前に向けられていた。
「それでは皆さん、一年間よろしくお願いしますね」
「…………」
副担任の
少女達にはハニートラップの指令が課せられているとは言え、その道に生きる者ではない。IS学園に送られる人間は、各国の調整役。国の顔として正攻法のやり方を主として学んできた者だ。知識として知っていても、女を上手く使える人材は限られている。そして調整役として教育を受けてきたが故に、周囲との同調を気にしてしまう。下手に抜け駆けすることも難しい。そして更に意識を割く必要がる存在として、篠ノ之箒という少女がクラスには在籍していた。件の三人の一人。その少女がまるで恋する乙女のように周囲に睨みを利かしているのだ。「私の好きな男に手を出してみろ」とでも言うような剣呑な雰囲気。篠ノ之箒はそういう少女なのかと、クラスメイト達は理解した。だとしても、そこで彼女達が諦めることはない。例え一夏と箒が恋仲になったとしても、そこに入り込めないわけではないのだ。体だけの関係がいつの間にか本命に、ということもあれば、3Pや4Pといった世界も存在する。そこまでの覚悟がある者は少ないものの、自分達に課せられた使命の重要性は誰もが理解していた。
そんな彼女達の視線を背中に浴びる一夏の座席は、クラスの最前列の中央。教師の顔を見るために向けられた少女達の眼差しは、当然一夏へと刺さることになる。建前と本音の両方の視線を180度から浴びる一夏は、まさに針の筵だった。これまでの見えない監視の視線も大概であったが、そこに今度はあからさまな視線が混ざるのだ。それも、周りには例外を除いて敵しかいない状態で。想定以上の精神的苦痛を感じながら、一夏は目の前の難敵に集中する。
「じゃ、じゃあ自己紹介をお願いします。えっと、出席番号順で」
あたふたと頼りなさげにホームルームを進めるその姿は、見る者の庇護欲を刺激する。だが真耶は女子ではない。少し低めの伸長に反して育った胸が主張するように、立派な女だった。
十代のような雰囲気を残すその顔には澱みのない笑顔が浮かび、慌ただしく動くその体が胸を弾ませる。無垢の中にある、幼さとそれに反する母性。その姿は、一夏に束を思い起こさせた。もう長いこと、束と直接会っていない一夏は、真耶に束の姿を重ねてみた。
教鞭をとる束の姿。IS学園が本来求めたあるべき姿。しかしそれは、決して実現しない幻想だ。
「……くん。織斑一夏くんっ」
「は、はいっ!?」
「あっあの、お、大声出しちゃってごめんなさい――――――――ご、ゴメんね? 自己紹介してくれるかな? だ、ダメかな?」
思わず返事に戸惑ってしまった一夏に、真耶は慌てるように言葉を紡ぐ。自信なさげな、見守りたくなる声色。だが一夏は知っていた。この女がかつてIS競技の日本代表候補性だったということを。
ISで戦争をするわけにはいかない各国がIS技術を競う場として始めたISは競技だが、当然その操縦者は実戦でも操縦を担当する。つまり軍人に他ならない。それも代表候補性などエリートの中のエリート。そんな経歴を持つ女が、少年漫画の女新米教師のようなゆるかわ系女子なわけがないのだ。つまり――――
「いや、あの、そんなに謝らなくても――――」
「ほ、本当? 本当ですか? 本当ですね? や、約束ですよ。絶対ですよ!」
これは演技。間違いない。一夏はそう確信した。
現に真耶は一夏の手を取って詰め寄ってきた。両手で掴むことで、その腕に挟まれた真耶の女の部分が圧迫されて一夏の目の前に曝け出される。明らかに胸を意識した開襟シャツから見えるインナーを見せつける真耶。
これが演技でないはずがない。演技でなければ頭が可笑しい馬鹿女だ。胸の大きい女は周りの視線に敏感になり、行動にも影響が出る。普通の神経ならば異性の教え子に自分の胸を近づけさせない。一夏の知識ではそういうことになっていた。束と真耶は違うのだ。束が一夏に見せる笑顔と行動は、束が心を許した存在に対しての物だ。一夏と真耶は初対面。そこに愛情が生まれる余地はない。だからこそ、真耶の行動には意図がある。
しかし、演技と分かっていても、一夏は男だ。女の色香の影響は嫌でも受ける。そこに愛情は関係ない。男は嫌いな女でも勃起できるのだ。当然、真耶でも勃起する。
だから勃起しないように、陰茎を足で挟み込む。勿論、一夏の好きな女性は束だ。自分に優しかった年上のお姉さん。それも、姉の親友であり、自分の友人の姉。惚れないわけがない。しかしこれとそれとは別だ。人よりは性欲のコントロールができると自負する一夏だが、万が一にも勃起するわけにはいかない。念には念を入れる。
そもそもこれから起立して自己紹介をするのだ。勃起したら絶対に分かる。これから三年間女子高の中で過ごすためには、裏はともかく表向きは紳士でなくてはいけない。ハニートラップとか以前に、クラス唯一の男として勃起するわけにはいかなかった。
少しでも陰茎が反応したらバレる。緊張が一夏を駆け抜ける。世の中には見られると思うと興奮する人種もいるが、生憎一夏は緊張すると反応が落ちる人種だった。というか、陰茎は一夏の支配下に置かれていた。当然だ。束の胸の方が真耶より大きい。一夏は直ぐに余裕を取り戻す。
冷静になった一夏は考える。真耶は『織斑一夏』の仮面に気づいていないに違いない。もし気づいていれば、いきなりあからさまな行動をとって、警戒される事態は避けたいはずだからだ。つまり真耶は、一夏のことをだたの男子だとみている。これは一夏にとって朗報であった。
考えてみればそうなのだ。周りの少女達は間者として育成されている。だからこそお互いが仮面を被っていると考える。しかし、『織斑一夏』はそうではない。『織斑一夏』自身は一般人であるはずなのだ。一夏の家の中で何が行われていたか、周囲は知ることはできないはずなのだから。織斑家は、束によってあらゆる諜報から守られている。そう一夏は把握していた。
楽観はできない。しかし、一夏と周りの間者達とでは前提条件が違う。一夏は彼女達が演技をしていると知っているが、彼女達は一夏が演技をしているとは知らないはずなのだ。少なくとも、普通に考えれば。
「えー……えっと、織斑一夏です。よろしくお願いします」
自己紹介を終え、頭を下げる。周囲の視線が強くなったのを一夏は感じた。一夏の視線が外れたことを良いことに、まじまじと見つめる少女達。彼女達は知らないだろうが、一夏は視線に敏感だ。伊達に監視されて過ごしていない。
故に一夏の精神は安定したままだ。。そもそも最悪の事態である勃起しての挨拶を回避した今の一夏に、隙はない。顔を上げて、周囲を見渡す。真耶の胸を見て束を思い出して恋しくなっていた一夏は、束の妹である箒を探す。自身の自己紹介に沈黙した場の雰囲気から逃れるべく旧友に助けを求める、そんな振りをして。
箒はすぐに見つかった。束譲りの白い肌に整った顔立ち。束は西洋的な装いを好むのに対し、箒は如何にもな和風少女ではある。艶のある黒髪は、色あせた白いリボンで一度纏めてから腰に流れている。背筋の良い、凛とした佇まい。動の束に静の箒。姉妹でも正反対に見える二人。
だが一夏には分かる。どれだけ性格が似ていなくても、好みが違っていても、箒は束の妹だ。箒の中に潜む束の面影、それは決して消えることはない。箒が『篠ノ之箒』として束を嫌う演技をいくらしたところで、二人の関係が切れることはないのだ。これが例え六年ぶりの再会であっても、一夏は箒の中に束を見ることができる。
束に会えないからせめて箒で。
そんな一夏の邪な心を見抜いたのか、箒はぷいと目を逸らした。
4
事の発端は、一時間目の授業中だった。
『織斑一夏』はISに興味がない。そういう仮面を一夏は被ってきた。だからこそ、ISに関する知識は乏しく、参考書も電話帳と間違えて捨てる。それが一夏の演じる『織斑一夏』だ。
そんな一夏のために放課後の特別授業が開かれることいなるのは、至極当然の流れだった。
「――――また放課後によろしくお願いします」
「ほ、放課後……放課後にふたりきりの教師と生徒……。あっ! だ、ダメですよ、織斑くん――――」
授業中に淫乱教師と化した真耶の攻勢を、一夏は余裕をもって受け止める。上目遣いに近づく真耶だったが、思えば束の方が大胆に詰め寄って来た。パーソナルスペースに入り込まれると相手が誰であれ圧力を受ける。そのあたり、束は巧だった。一瞬で距離を詰め、圧を感じる前に離れる。一夏にとって真耶のそれは、捕食行動に見えつつあった。
「で、でも、織斑先生の弟さんだったら……」
このクラスの担任である千冬の前で、そう呟く副担任の真耶。余りにも攻め攻めな真耶に、一夏は思わず体を後ろに下げる。すると、一夏に向かっていたクラスの視線の中で、一際鋭くなるものがあることに気づいた。しかし流石にその持ち主は分からない。敵意を持つ相手ならば早めに把握したい一夏だったが、その正体が二時間目の休み時間に判明した。
「ちょっと、よろしくて?」
「へ?」
腰まで垂らした金髪をロールさせた、青い瞳の白人少女。イギリスの代表候補性、セシリア・オルコットだ。数少ない代表候補性の中でも有名人、十五歳の若さでイギリス大貴族の当主を務めるやり手だった。しかし『織斑一夏』はセシリアのことなど知らない。だから一夏は知らない振りをする。
「訊いてます? お返事は?」
「あ、ああ。訊いてるけど……どういう要件だ?」
「まあ! なんですの、そのお返事。わたくしに話しかけられるだけでも光栄なのですから、それ相応の態度というものがあるんではないかしら?」
セシリアは十二歳の時に両親を亡くして以来、たった一人で崩れかけた家を建て直した才女である。甘やかされて育った箱入り娘ではない。故にこの傲慢な態度は演技だと、一夏は判断する。勿論、クラスメイトは全員自国の使命を受けているのだから、演技は常にしている。それでも、態々嫌われるような性格を演じる必要はない。その上で見下すような態度をとるセシリアには、それ相応の目的があると一夏は考えた。
考えられる事は一つ、一夏を怒らせることだ。一夏の感情を高ぶらせて、何かを探ろうとしているのかも知れない。
だが恐れることはなかった。表面上怒りに駆られながらも、心を落ちるかせることなど、一夏にとって造作もないことだ。伊達に十年間、『織斑一夏』の仮面を被ってはいないのだ。
三時間目が始まってもセシリアの行動は続いた。
授業では再来週に行われるクラス対抗戦の代表を決めることとなり、一夏が当然のように周囲から推薦されたのだが、完全に色物枠として候補に挙げられた一夏に、セシリアが噛みついたのだ。
一夏の悪口から始まり、日本そのものにまで罵るセシリア。日本に存在するIS学園で、クラスメイトの半数以上が日本人であるこの状況下で、イギリスを代表して来ているはずのセシリアが侮辱を続ける。
そこまでして得る物があるのか、一夏には疑問だったが、『織斑一夏』として口論に付き合わない訳にはいかない。最終的にセシリアから申し込まれた決闘を一夏が受ける形で、事態は収束した。
5
セシリアとの決闘を受けたことが良かったのか悪かったのか、一夏には判断できなかった。相手が望んでいることなのだから、態々こちらが合わせてやる必要はない。しかし悔しいことに、場の主導権はセシリアが握っていた。『織斑一夏』の設定では、あの流れには逆らえない。強い意志を持つ人間の監視は厳しくなる。だからこそ『織斑一夏』は流されやすい人間であった。
「――――寮の部屋が決まりました」
一日の授業が終わり、放課後を迎えた一夏の前に、副担任の真耶がルームキーを携えてやって来た。後ろには担任の千冬もいる。一夏を遠目に観察していたクラスメイト達は、帰り支度をしながら意識を傾ける。
IS学園は外部からの支配を受けないという名目上、生徒は全員寮生活をすることとなっている。しかし実質女子高であるIS学園には、男子生徒を受け入れる用意はなく、一夏には当分の自宅通学が言い渡されていた。
が、当然そうなることはない。今の一夏の身で通学することは危険であるし、一夏と女子生徒を同室に閉じ込めることができる機会を、各国が逃すわけもなかった。
「――――一カ月もすれば個室の方が用意できますから、しばらくは相部屋で我慢してください」
一夏の耳元でそう囁く真耶。自身の膨らみを一夏に当てることも忘れない。今日一番一夏に接近した真耶は、自身の首筋の香りを一夏に嗅がせる。それを避けることはできない。なぜなら可笑しくない行為だからだ。話は一夏のプライベートに関わることなのだから、耳打ちになるのは当たり前。一夏より背の低い真耶が一夏の耳に口を当てようとしたら、胸が前に突き出されて一夏の胸板に当たるのも当たり前。視覚と触覚と嗅覚の三点攻めだが、一夏は勃起しない。一夏は耐えられる男だった。
真耶に慣れてきたというのもあるが、真耶の後ろに千冬がいるというのも大きかった。千冬は『最強』として、束に唯一同等と認められた存在だ。守られるだけの一夏とは違う、束と並び立つことができる『最強』。一夏の目指す場所へ既に到達している千冬の前でこそ、情けない姿を晒すなんてしたくはない。動の束とも静の箒とも違う、静かなる動。件の三人の中で、唯一束と対等な人間。首裏で無造作に縛った黒髪が見せるように、固い意志を持つ女性。それが、一夏が将来超えなくてはならない相手。
だからこそ、千冬の前では失態を犯したくない。
「――――ちゃんと寮に帰るんですよ。道草くっちゃダメですよ」
去り際にそう告げた真耶は、眼鏡の奥で一夏を笑っているかのようだった。
まるで見透かされているかのように感じた一夏は、足早に教室から抜け出した。周囲の視線が突き刺さるが、鈍感を装い無視を決め込む。今は一刻でも早くこの場から離れたかったのだ。少しでも真耶の面影がない場所に行きたかった。
廊下を進む一夏に向けて、学校中から視線が集まる。だがその程度で一夏は臆さない。これまで一夏が浴びてきた見えない監視の目に比べたら、『女子高生』という仮面を通して送られる視線など、気にする程でもなかった。少なくとも今の一夏にとって、頭の中を占める問題は真耶だ。
歩きながら心中で真耶を罵倒する。なんなんだあの女は。盛りのついた牛か。まったく千冬ねぇの前でまで攻めてくるなんて。
そうだ、と一夏は気づいた。真耶は千冬の前で堂々と一夏を誘惑していた。あの『最強』の前で敵対行動をしていたのだ。
末恐ろしいものを改めて感じた一夏は、与えられた1025号室へと逃げるように入って行く。同室の相手は気にする必要はない。十中八九、箒であると確信しているからだ。件の三人の一人である箒であるからこそ、一夏の同室の相手として世界は一応の納得を見せる。箒以外の生徒ならば、必ず各国に軋轢が生まれてしまう。千冬と同室にしては、各国の要求に一応は応えたという建前が成り立たなくなってしまう。だからこそ、先に1025室でシャワーを浴びている女子生徒は箒でしかあり得ない、と一夏は断定できる。
このIS学園において一夏の数少ない味方である箒。束の妹にして、『織斑一夏』の仮面を知る者。ISが世に出てから四年間、共に世界を欺くことを誓い合った仲間だ。六年前に別れてから今日まで再び会うことはなかったが、それでも箒は今も変わらず仲間だと、一夏は知っていた。
引き締まりながらも女性としての柔らかさを感じさせる体に、腰まで伸ばした真っすぐな黒髪。やはり束の面影がある、そう思う一夏に向かって、シャワー室から出てきたタオル一枚姿の箒は木刀を振りかざした。
「うおおっ!?」
命の危険を感じながら、『篠ノ之箒』の照れ隠しを回避する一夏。自室でも『篠ノ之箒』の仮面を外さない箒に、一夏は一瞬気を緩めそうになった自分を恥じる。
織斑家や篠ノ之家と同様に、この部屋には監視の目はないと考えられた。IS学園においての、一夏と箒の家である1025室。その場所に手を出せば『災厄』を招く事態になることは、過去の経験から世界は知っているはずだったからだ。
だがそれは、推測でしかない。織斑家と篠ノ之家での安全は『天才』によって守られていた。しかしこの1025室の安全においては、『天才』の保証は得られていないのだ。それだけではない。知らぬ間に、一夏に盗聴器の類が仕込まれている可能性もあるであろう。織斑家と篠ノ之家の中では傍聴ができないようになっていたため、一夏の意識から抜けかかっていた。
けれども、箒は違った。ここが敵地であることを忘れずに、『篠ノ之箒』を演じ続ける。1025室が「外と同じ」だと意識させるために、裸を見た一夏への成敗に見せかけて、部屋の扉に穴を空けてみせた。
『織斑一夏』として『篠ノ之箒』に部屋から放り出された一夏は、そんな箒と自身を比べて己を悔いた。真耶に怯えて束の影に隠れようとしていたことを恥じた。
「……箒、箒さん、部屋に入れてください――――」
『織斑一夏』としてだけではなく、織斑一夏として、二重の意味で箒に謝罪する。前者は箒の柔肌を覗いた無礼を、後者は腑抜けていた己の心を。
騒ぎに気付いて集まり始めた野次馬に囲まれながら数分経ち、ようやく部屋への入室を許可された一夏。だが、箒の表情は硬い。一夏には分かった。これは『篠ノ之箒』としてだけではなく、箒自身が一夏に対して怒っている。
そこから始まる痴話喧嘩。『織斑一夏』の『篠ノ之箒』のショーは、開け放たれた部屋の扉から、二人を観察する少女達に向かって公演される。
木刀で一夏を叩き切ろうとする箒を、一夏が白刃取りで止める。箒は上から体重をかけ、一夏を押し倒す形になった。
箒の顔が一夏に迫る。人形のように綺麗な顔立ち。束を思い起こさせる妖艶な口元。下から見上げる豊かな双丘。そこに包まれる形になる一夏。あの試験会場でISを通して見た束の幻想を、一夏は思い出した。
あぁ束さん、と一夏は思う。情けない自身を恥じながら、束に誓う。いつか必ず、束を守れる騎士になることを。白騎士を超える、本当の騎士に。
「……一夏」
茶番を終え部屋の扉を閉めた後、二人きりの部屋の中で箒が告げる。
「なんて顔をしているんだ、お前は……」
箒の心底呆れたその声に、一夏は首を捻るのだった。