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三年前、セシリア・オルコットという名の少女を悲劇が襲った。
両親の突然の死。
それが陰謀いよるものなのか、事故によるものなのか、当時はイギリスのお茶の間を騒がしたりもしたが、セシリアにとってはどちらも同じこと。十二歳の身空で、イギリス大貴族の当主を務める。両親の死の真相がどうであれ、その事実は変わらない。セシリアはある日突然、闘争の世界に放り込まれてしまった。
オルコット家が取り潰されればその財産は国の物になるが、セシリアと結婚すれば己が物にできる。両親という最も大きな後ろ盾を亡くした十二歳の少女に、欲に飢えた男達が獣となって襲い掛かるのは当然。結局の所、上流階級の力の持ち主は男だ。ISが現れようとも、それは変わらなかった。
だからこそ、オルコット家がとっていた女尊男卑という方針はセシリアの身を守ることに役立った。自軍派閥の代表としてセシリアが君臨することを、スムーズに行わせた。お飾りのトップではなく、実権を握る当主として。今だからこそセシリアには分かる。女尊男卑を率先していた両親の意図を。全ては、オルコット家の跡取りであるセシリアのためだったのだ。
セシリアの父は母に対して頭が上がらなかった。セシリアの記憶ではそうなっている。当時は既にISが誕生していた。いずれ生じるであろう女尊男卑の風潮にかこつけて、セシリアへ権力が問題なく流れるように、彼女の両親は芝居を打っていたのである。
だがそれは中途半端に終わってしまった。彼らの死後、派閥を纏めること自体には成功したセシリアだったが、オルコット家の力は急激に弱体化してしまったのだ。女尊男卑が通じたのは身内の中でだけ。貴族社会では今だ男の力が強かった。
結局、当主を引き継いだ直後のセシリアが貴族社会で生き抜くためには、自身の女を使うしかなかった。といっても当時十二歳の少女だ。春を売るわけではない。だが、自身の少女としての魅力を全面に引き出し、男達の顔色を窺う。オルコット家の建て直しが終わるまでは、セシリアは必死に耐えた。オルコット家を食い物にしようとする男達に媚を売るのだ。女尊男卑の中で育ってきたセシリアにとって、屈辱以外の何物でもない。
十五歳となった現在、セシリアは力を付けた。たった三年でオルコット家を復興させ、イギリス貴族界でも有数の地位を確立した。だが、かつての恥辱を拭えはしない。女を使って男を相手する。その行為がかつての自分を思い起こさせる。両親の死に絶望し、彼らの残した力によって守られるしかなかった、自身の惨めさを。禿鷹のように群がる男達に笑みを浮かべるしかなかった、自身の苛立ちを。
だから。
IS学園入学初日から
1
「そう! エリートなのですわ!」
何と高飛車な女なのだろうか。自分自身で内心、『セシリア・オルコット』のキャラクターに苦笑いしながら、セシリアは一夏を挑発した。
狙いはただ一つ、IS試合の一騎打ちで、一夏がセシリアに感情を乗せること。ただの一騎打ちではセシリアの目的は果たせない。試合時に一夏が身も心もISと一体化させて、セシリアと接触する必要があった。
遠隔無線誘導兵器搭載型ISを所有するイギリスのみが持つ、とあるアドバンテージ。否、恐らくはセシリアしか気づいていない、彼女に渡されたIS『ブルー・ティアーズ』の真の切り札。実践した経験は無いものの、セシリアが理論立てたそれは、相手の意識に干渉できると考えられた。しかし有効なのは一度だけ。故にその存在が万が一にも相手に気づかれる前に、実行する必要がある。
全ては、織斑一夏を通して
「――――わたくしは優秀ですから、あなたのような人間にも優しくしてあげますわよ」
調査報告書から推測される一夏の感情を逆なでするように、傲慢な態度をとるセシリア。『ブルー・ティアーズ』による精神干渉には、相手の感情が高ぶっている程有効と推定される。そのためにセシリアは入学初日から一夏へと嫌味を口にしていた。
一見すればセシリアのクラス内での立場が危うくなるような行動。イギリスのIS代表候補性のセシリアが発言するには危険すぎる内容であったが、用意周到なセシリアには問題にならなかった。
まず、いくらIS学園に所属する者は、如何なる組織の制約も受けない。つまり、いくらセシリアが問題発言をしようとも、それはセシリア・オルコットという若干十五歳の少女の世迷言であり、イギリスという国家組織とは何の関係もないと判断される。
もちろん、実際のとことIS学園の生徒はそれぞれの母国に縛られており、学園内で大きすぎる問題を起こせば国際問題となる。しかし、たかが暴言の一つや二つくらいでは、個人の問題として学園内で処理されるのだ。そしてそのことを公にした者は、国際法違反の罪に問われることになる。お互いの母国に報告はされるであろうが、その発言を本気にすることはないし、国際政治の場で上げ足取りに使うこともない。ただ、そういう事実があったというだけのことだ。
そしてそもそも、セシリアは一夏を侮辱することをクラス内に通達していた。「世界で唯一の男性IS操縦者である、織斑一夏の実力を知るため」という免罪符のもと、セシリアの行動は許容される。
また今回の件により、一年一組のヒエラルキーのトップには、自然とセシリアが座ることになる。行動を起こしたという実績と、国家代表候補生という肩書。この二つがIS学園におけるセシリアの立場を強固な物にする。
当然、全ては裏の話。表向きは一夏を中心としたクラス内の人間関係が構築されるであろう。しかし一夏は彼女達にとって攻略対象なのだ。一夏と箒を除いた裏の人間関係は、セシリアを中心とすることとなる。
だからこそセシリアは、クラス中の視線が集中する中でも、『セシリア・オルコット』として振舞うことができた。
「――――何せわたくし、入試で唯一教官を倒したエリート中のエリートですから」
決まった。セシリアは人知れず笑みを浮かべる。明らかに『セシリア・オルコット』が一夏のことを見下していると伝わったはずだ。着火剤は十分。後は油を注ぐだけで、火は燃え上がるに違いなかった。
「入試って、あれか? ISを動かして戦うやつ?」
「それ以外に入試などありませんわ」
「あれ? 俺も倒したぞ、教官」
は……?
一夏の爆弾発言に、セシリアと『セシリア・オルコット』の時間が止まった。
演技無しに目を見開いて、一夏を呆と見つめてしまう。
何を馬鹿なことを。それがセシリアの心の第一声だった。
セシリアはイギリスのIS国家代表候補生だ。クラスの中でも、否、学園の三学年の中でも有数の実力を持っていると自負している。そもそも国家代表候補生クラスの人間が、本来IS学園に在籍することはまずあり得ない。所詮、IS学園は偽りの教育機関。セシリアを含め特別な事情がない限り、国家代表候補生が入学することはない。表向き競技として普及しているISだが、その本質は兵器だ。その操縦者を、態々他国の目がある場所で育てる利点はない。そもそも国家代表候補生にとって、今更IS学園で習うことなどなかった。それほどまでに、実力が隔絶しているのだ。国家代表候補生という存在は。
その内の一人であるセシリアがそれなりに苦労した、IS学園の教官との対決。流石に一夏の相手とセシリアの相手に、大きな実力差があったとは考えられない。そもそも一夏はISの訓練を受けていないはずである。そのど素人がIS学園の教官を倒した? 特別に用意された専用機ではなく、入試用の平凡な訓練機で?
あり得ない。あり得るはずがない。セシリアの口から言葉が飛び出しそうになる。
セシリアは曲がりなりにもイギリスのIS国家代表候補生だ。セシリアがISを始めた理由は、たまたまISの適正があったからと、女尊男卑を掲げるオルコット家にとって都合が良かったから。イギリス大貴族としての活動がセシリアの本業ではあったが、ISの訓練にも力を入れてきた。国家代表候補生という立場は、純粋に実力で手に入れた物だ。現実にはイギリス国内において、遠隔無線誘導兵器の操縦という点で競合相手に負けている。そこをオルコット家の復興に反発する派閥に突かれて、IS学園に島流しにされて来たという経歴がある。それでも、セシリアの実力は並大抵のものではなかった。
だからこそ、一夏の異常性が分かる。織斑一夏がIS学園の教官に勝利するためには、それこそ神に愛された才能が無ければならない。
僅かに芽生えた嫉妬。
もちろん、束がISをハッキングして一夏を勝たせた可能性もある。しかし、安易にそれをするだろうか。ISへのハッキングは、これまで束と世界が築き上げた均衡状態を崩すことになる。今更そんな事をするとは考えられなかった。
そして何より重大なのは、一夏が勝利していたという情報をセシリアが把握していなかったことだ。世界最初の唯一の男性IS操縦者である織斑一夏に、素人状態で国家レベルのベテランに勝つ程の才能がある。そんなことが分かれば、流石に話が広まるはずであった。つまり、誰かが意図的に情報の拡散を封じ込めたに違いない。IS学園ではない別の何かが。
束が件の三人を『特別』にしようとしていることが世界的に見ても明らかである。故に、一夏が『特別』と認められる事態を『天災』が求めている、と推測することは容易い。今現在IS学園が束の意に背くことをするとは考えられなかった。黒幕は、IS学園に対して『天災』と抗う選択肢を取らせることができる何か。果たしてそんな存在が実在するのか。少なくともセシリアは知らない。
「わ、わたくしだけと聞きましたが?」
思わず口に出してしまい、セシリアは焦る。一夏の試験結果を知っていたと装い、「教官を倒した者同士、実力を確かめ合う」という流れにすることもでたはずだった。だがセシリアは、自身の情報収集力不足を晒してしまった。これは、セシリアのIS学園での優位性を揺るがすことに繋がるかもしれない。
だが言葉にしてしまったものは仕方がなかった。周囲の様子に注意を払いながら、セシリアは一夏への挑発を続けた。
直ぐに二限目の休み時間が終わり、三限目に入る。
千冬の掲示したクラス代表決定の話を利用して、セシリアは一夏を煽る。周りのクラスメイト達も事前の根回し通り、一夏をクラス代表に推薦することで、『セシリア・オルコット』がヒステリーを起こす土台を作る。
こうして当初の計画通り、激怒した一夏とのIS一騎打ちを、自然な形で進めることができた。
2
元々セシリアがIS学園に送られた理由は、遠隔無線誘導兵器の操縦実力が競合相手と劣っている事を政敵に突かれたことによる、島流しであった。一時的にでもセシリアをイギリスから国外へと追いやることで、オルコット家のこれ以上の躍進を阻害しようとしたのだ。
そんなセシリアの立場は、一夏のIS学園入学という事態によって反転した。一夏と同じクラスに、自国の国家代表候補生が所属することができたのだ。一夏のIS指導役という立場に収まり、あわよくば男女の関係になることが、本国からセシリアに望まれていた。一夏や箒がISの訓練をしていたという情報は確認されていないため、国家代表候補生であるセシリアが問題無く指導役になるであろう。イギリスだけでなくセシリア自身もそう思っていた。『セシリア・オルコット』の一夏を下に見た態度も、一度喧嘩することで通常よりも仲を深める布石でもあったのだ。一夏に関するプロファイリングから、十分勝算が見込めると考えられていた。実際には、一夏の「教官倒した」発言で問題が起きかけたのだが。
現状、セシリアの計画に問題はない。クラス代表決定の場で、一夏の実力を測る。弱ければ当初の想定通り指導役に収まれば良い。強くても、そんな一夏と対等に競い合える人間はセシリアだけだ。互いに指導し合う仲になれば良い。
そしてもう一つ、『ブルー・ティアーズ』を利用した一夏への意識介入。これだけは完全にセシリアの独断だった。故にこれで得られた情報は全てセシリアが独占するつもりであるし、そもそもイギリス本国は『ブルー・ティアーズ』にそのような力があることは知らない。遠隔無線誘導兵器を利用した方法であるものの、セシリアの例の競合相手も気づいていないはずだった。何の躊躇もなしに遠隔無線誘導兵器に身を委ねるような人間が、気づくはずもない事なのだから。
目下の問題は、一夏がセシリア以外の少女と先に関係を持ってしまう事だった。抜け駆けを警戒する必要があったのだ。一年一組を一応は掌握しているとはいえ、一時的な物に過ぎない。そもそもお互い潜在的な敵対関係にあるのだから、油断は許されなかった。また、授業以外ではIS学園の全ての生徒が一夏を狙ってくる。その全てを抑える力など、セシリアに有りもしなかった。
一夏は直ぐに鼻の下を伸ばすであろう。正直、セシリアはそう思っていた。流石に一週間で誰かと関係を持つような阿呆ではないだろうが、それこそ勃起の一つや二つはするだろうと。
だが、一週間一夏を観察したものの、その傾向は見られなかった。勃起とまではいかなくても、僅かな陰茎の反応さえ確認することはなかった。
一夏が男性として死んでいるという仮説が浮かびそうな物であるが、一夏の性欲を押し込めている原因は直ぐに判明した。
といっても、夜な夜な箒が一夏と性交しているのではない。箒は一夏を運動させて疲労困憊に陥らせることで、性欲が湧く余力を奪っていたのだ。クラス代表決定戦に向けて特訓するという名目の元、一夏を剣道場で扱き抜く箒。偶然か、はたまた狙ってなのか、箒は毎日三時間、一夏の体力と気力を奪い続けた。日に日に窶れていく一夏を見て、セシリアは思わず同情する。半面、箒の顔は輝いていた。一夏と過ごす三時間が余程楽しいのか、初日の機嫌の悪さは何処にもなかった。
このまま一夏の性欲が消され続けられると問題であったが、そう長くは続かないであろうことも明白であった。お題目である「打倒セシリア」の結果がどうあれ、二人の決闘が済めば一夏のオーバーワークも終わる。二人の意思に関わらず、周囲が全力で止める。
決闘の日までの一週間、一夏は剣道場に通い詰めていた。確かに、現実での戦闘経験はISにも反映できる。一夏は付け焼刃でISを習うより、戦闘経験を蓄えることを優先したのかもしれない。いや、もしかしたらISでの練習など必要ないということか。何せ、素人の癖に入試で教官倒したというのだから。
そんな事を考えながら、セシリアは一週間を過ごした。思えば一夏の事ばかり考えていたような気がする。当然だ。これからセシリアは一夏を通して束の秘密を覗こうというのだ。一夏が何か知っていたらという前提ではあるが。
仮に一夏が無知であったとしても、精神に入り込めば何かが分かるはず。それこそ、一夏自身の秘密でも良い。
そう自分を納得させて、セシリアは一夏との決闘の日を迎える。
実は『ブルー・ティアーズ』による一夏への精神汚染。それ自体も目的ではあるが、三つ目の目的のための手段でもあった。
今回の計画。一つ目の目的は、一夏とセシリアの関係性を強固な物にすること。劇的な出会いと体験を演出することで、二人の間に邪魔が入らないようにする。
二つ目は、一夏の精神に探りを入れること。IS『ブルー・ティアーズ』の
そして最後の三つ目。それは、セシリアが真の意味で遠隔無線誘導兵器を使えるようになること。これまで忌避してきたそれを、超えなくてはならない。セシリアが元々IS学園に飛ばされる切っ掛けとなったのは、遠隔無線誘導兵器を扱いきれなかったから。競合相手が踏み込んだ『領域』を、セシリアが恐れたから。だからそれを超えるために、一夏を免罪符にして、セシリアは『向こう側』へと至る。
3
青の雫、『ブルー・ティアーズ』。その名の通り全身を薄い青に染められたこのISは、四枚の羽根のような装甲を背負い、腰にはスカート状の装甲を持つ。それこそが、
青の装甲を全身に纏わせるセシリアの前に、白の甲冑を被った一夏が現れる。『
一目見てセシリアは理解した。このISは束の手が入っていると。何故なら、余りにも似ているからだ。十年前、世界に最初に現れたIS、『白騎士』に。
セシリアと一夏が30メートル程距離を挟んで、空中で対峙する。
ISの試合を行うためのアリーナ・ステージは直径200メートル。この中で三次元的に飛行するIS同士が攻撃し合い、互いのエネルギーを削る。ISがダメージを受ける事で発生する『絶対防御』と呼ばれる防御システム。これの発生に必要なシールドエネルギーを消費させ、相手のエネルギーを先に0にした方が勝つ。これが競技としてのISだった。
改めてセシリアは目の前の一夏と『白式』を見る。
束の手が入ったと考えられるIS。もしかしたら、
セシリアは想像する。自分が所属不明のISに襲われ、無残にも殺されるところを。オルコット家が破壊され、塵となす様子を。
いや、大丈夫だ。セシリアは自分を落ち着かせる。二年前、『災厄』の怒りに触れたとされる中国の少女は、今も無事を確認している。あの少女は日本を離れる事になったが、それだけだ。天気が陰りだしている気がするが、それだけだ。
そもそも、今の段階で束が気づいていないとしても、セシリアが実行すればバレる可能性は高くなる。その上でセシリアは計画を立てたのだ。『災厄』を呼び起こさないと判断して。
何故ならこれは、一夏を悪意で害する訳ではないから。意識介入と言っているが、ISの構造状、仕方のない事なのだから。今は誰も気づいていないだけで、いずれ誰かの知るところになるのだから。
束が気づいているのならば、それを放置している時点で問題ない。束が後から気づいたとしても、そういう理不尽に怒ることは今までない。だから大丈夫。
セシリアは腰に手を当てて、心を落ち着かせる。
いつかは打たなければならない博打。いつかは越えなければならない壁。ならばここで、セシリアは前へ進む。
今までそうやって、セシリア・オルコットは生きてきたのだから。
4
始まってみれば、呆気ないものだった。
織斑一夏の実力は、素人に毛が生えた程度のものでしかなかった。
確かに、反射神経には目を見張るものがある。しかし、IS乗りとしてはセシリア・オルコットの足元にも及ばない。入学試験で教官を倒したという話は、何かの事故だと考えられた。
試合開始早々、自身の銃器、六十七口径特殊レーザーライフル『スターライトmkⅢ』での狙撃結果を以て、セシリアはそう判断した。一夏の動きは拙いの一言。とてもセシリアに並ぶものではない。幾ら試合当日に届いたISといっても、既に機体を搭乗者専用に調整する
とにかく、一夏は大したことなかった。それでも、セシリアは簡単に一夏を負かすわけにはいかない。一夏には感情を乗せて、セシリアに向かって来てもらわなくてはならないのだ。そこで、一夏にも避けられるように遅延攻撃を続けた。
四機の
「では、
ISコアによるデータ通信ネットワーク、その内のプライベートチャンネルを利用して、セシリアが一夏へ告げた。
さっきから一夏が
そろそろ頃合いだろう。そう読んだセシリアが次の展開へと試合を進める。行動しなければ終わる、一夏にそう思わせるために、セシリアは宣告したのだ。
そして、試合は動いた。
セシリアによる脅しの一撃を防いだ一夏は、その流れのままビットを一つ破壊する。
「この兵器は毎回お前が命令を送らないと動かない! しかも――――」
調子に乗った一夏が、セシリアが繋いだチャンネルに意識を流す。
「その時、お前はそれ以外の攻撃をできない。制御に意識を集中させているからだ。そうだろ?」
それは事実だった。しかし間違ってもいた。
遠隔無線誘導兵器に意識を集中させているのではない。意識を送っていないからこそ、セシリアは『意識的に』遠隔無線誘導兵器を操縦しないといけない。
遠隔無線誘導兵器は人間の意識を喰らう。元々、ISには搭乗者の意識を表面的に読み取る機能が備わっていた。しかし、遠隔無線誘導兵器は求める次元が違う。操縦者の意識を、認識を、自我を、その全てを要求する。そうすることで、遠隔無線誘導兵器は本来の力を発揮する。
だがそれは、ISへと己の全てを委ねる事。篠ノ之束に屈服することに他ならない。
束はISコアを操作できる可能性がある。その中でISに自身の自我を移す。それはとても恐ろしいことだと、セシリアは思う。
しかし、遠隔無線誘導兵器が操縦者に自我を求めていることを知る者は、セシリアしかいない。それは言葉にできない感覚であるし、セシリアの競合相手は無意識にそれを成していた。
だからセシリアは負けた。イギリス本国において、遠隔無線誘導兵器の担う人材として、負けた。
けれども今ここで、セシリアはそれを行う。
ISに。『ブルー・ティアーズ』に。
但し、一夏のISと、データ通信ネットワークを繋いだままでだ。
ISコアには意識があると言う。
心像世界でのみ、触れ合うことができるだとか。
ISコア同士は、データ通信ネットワークで繋がる。ISコアの意識は繋がる。
セシリアの意識はISコアと繋がる。『ブルー・ティアーズ』と繋がる。
『ブルー・ティアーズ』は『白式』と繋がる。セシリアは『白式』と繋がる。
一夏が『白式』と繋がるのならば、セシリアは一夏と繋がる。
だから、一夏の意識をISコアのネットワークに乗せる。プライベートチャンネルで『ブルー・ティアーズ』にだけ乗せる。
一夏の認識をセシリアに向ける。『ブルー・ティアーズ』に向ける。
一夏の自我を『白式』に委ねさせる。セシリアと自我を混ぜる。
全ては机上の空論。
とんでも理論。
だが、セシリアには分かる。感じる。
この企みは成功する。
「――――かかりましたわ」
一夏がセシリアを倒すべく、接近する。四機あったビットは、全て破壊された。
一夏と『白式』が一つになる。
その瞬間、意識が溶ける。
認識が溶ける。
自我が溶ける。
セシリアが溶ける。
一夏を道連れに。
「おあいにく様、ブルー・ティアーズは六機あってよ!」
腰から撃ち出された、二機の
5
セシリアは一夏を見ていた。
セシリアは一夏だった。
一夏である自分を、セシリアは見ていた。
これは一夏の記憶。セシリアはそれを感覚的に理解した。
一夏は箒を見ていた。
小学生の頃、剣道場で竹刀を撃ち合う二人。決して折れることのない箒。そこに束と同じ意思の固さを感じる一夏。一夏は束を見ていた。
重要人保護ポログラムによって離れ離れになる二人。涙を流さない箒。そこに束と同じ前へ向かう強さを感じる一夏。一夏は束を見ていた。
IS学園の教室で再会する二人。女らしく成長した箒。そこに束と同じ尊さを感じる一夏。一夏は束を見ていた。
思わずセシリアは笑ってしまった。これでは箒があんまりだと。
それでも一夏の記憶は続く。
一夏は真耶を見ていた。母性を感じさせる真耶。そこに束と同じ安堵を感じる一夏。一夏は束を見ていた。
一夏はクラスメイトを見ていた。一夏は束を見ていた。
一夏は道行く人を見ていた。一夏は束を見ていた。
一夏はテレビに映る人を見ていた。一夏は束を見ていた。
一夏はISを見ていた。一夏は束を見ていた。
一夏はセシリアを見ていた。一夏は束を見ていた。
一夏は――――――――束を見ていた。
一夏は束を見ていた。
一夏は束を見ていた。
一夏は束を見ていた。
一夏は、束しか見ていなかった。
セシリアに悪寒が走る。気持ち悪い。目に映る全てから束が見える。それでも、一夏は束を見ていた。
豊かな胸を持ち、屈託ない笑みを浮かべる女。エプロンをつけ、絵本の中から飛び出してきたかのような非現実的な女。ウサミミを付けた、長い黒髪の女。優しい眼差しで、全てを包み込む女。
セシリアは、女に抱きしめられる。
柔らかく程よい肉付きで、セシリアを覆う女。
思わず跳ね除けるセシリア。
触れたのは弾力のある脂肪ではなく、固い鍛えられたものだった。
自身を抱く腕を見るセシリア。それは令嬢のものではなく、引き締まっていた。
頭に当たっていた胸は、いつの間にか触れる程度になっていた。
恐る恐る顔を上げるセシリア。
そこにいたのは束ではなかった。
そこにいたのは――――
6
意識が戻ったセシリアの先には、白の騎士がいた。
恐らくは『白式』。姿が変化し、これまでの角ばった装甲に丸みを帯び、より女性的に近づいたIS。
動揺するセシリアと平然とした一夏。
恐らく、先ほどの事を一夏は気づいていない。
セシリアが一夏の中で見た物を、一夏は知らない。
「ま、まさか……
違う。そうじゃない。
セシリアが言いたかったのはそれではない。
何とかあの悍ましい光景を口にしようとする。だが出てくるのは、『セシリア・オルコット』としての台詞だけ。
「――――俺の家族を守る」
「……は? あなた、何を言って――――」
何を言っている。
お前に家族などいない。
お前にあるのは、ただ――――
「とりあえずは、千冬姉の名前を守るさ!」
叫びと共に振り下ろされる一刀。狼狽える自身を切り裂くように迫り来るそれを、セシリアは呆然と見つめる。
一夏は知らないのだ。だからそんな台詞が言えるのだ。
セシリアは知ってしまった。だからこんな決意は聞くに耐えない。
それでも。
セシリアは一夏を止める術を持たない。