このお話は、本編から数年後、大学卒業後のお話です。
「そんなこともあったなぁ。あの時、あれから暫く、俺の顔を見ると逃げやがって……色々と大変だったんだぞ」
「私はそんなこと覚えていませんね」
「サラッとウソつくなよ……」
部屋に、男女二人の笑い声が響く。
私と彼は今、彼の部屋で、スマホに保存されている写真を見ながらお酒を交わしていた。学祭で撮った無愛想な写真だったり、弓道の学生大会の写真だったり。たくさんの思い出を彼と共有してきた。そして今は、あの日公園で撮った夕日の写真を二人で眺めていた。
夕焼けだけであって、決して私たちが映り込んでいる訳では無いのだが、こうしてポンポンと思い出が出てくるということは、余程あの日のことが印象的で、きっと私と彼のターニングポイントだったのだろう。
「それにしても……こんなに早くから飲み明かしていると、何だか悪い気分になりますね」
お酒の入ったコップを両手で持ちつつ、部屋に備え付けられた時計をチラッと見る。時計の短針が刺すのはまだ夜の八時。
この時間帯ならいつもは、他の職員と授業の指針やら、生徒の生活態度のことについて話しているのだが、今日はその会話に入る前に、彼との予定があるとうっかり口を滑らせてしまった。そのせいで、職員室中の教師が、ニヤニヤしながら強制的に帰らせてきたのだ。……人間、何歳になってもやることは変わらないのですね。
「そうか?でもまぁ確かに、紗夜からしたらそうかもしれないな」
だから、この時間にこうして彼と居られるのは凄く新鮮なのだ。
「お前、最近ちゃんと休めてるか?ほら、教師って大変すぎて鬱だったりノイローゼになったりするから」
「はい、私は環境に恵まれたので、全然大丈夫ですね」
新人教師は、何かと生徒にナメられたり、先輩教師からいびられたりすることが多いそうだ。私にはそれが全くなかったが。
結局私は、あの日の宣言通り、無事大学在学中に教員免許を取得し、今は羽丘女子学園の国語教師に就き、子供達の教育に日々勤しんでいる。
ちなみに彼も彼で、今は花咲川の方で体育教師をしている。
「初めの頃、結構苦戦してたお前が懐かしいなぁ……」
「まぁ、あの頃は色々手探りでしたからね」
思春期真っ盛りの子供達の相手をするのは、初めの頃は正直かなり難しかった。
授業を真剣に聞かない子がいたり、スマホを弄り出す子がいたり。もし、私が彼女達と同じ学年で、私もまた高校生の頃の私だったら、きっと全校集会を開いてスマホ禁止にするまでありそうだった。
「それでも、この道を選んで後悔していることなんてひとつもありませんよ。寧ろ毎日が楽しくて仕方ないくらいです」
「それは良かったよ」
そう言いながら、私も彼も残りのお酒をクイッと飲み干す。中に入った梅酒は、お酒とは思えないほど甘く、それでいてどこかほろ苦い。正直、私の好みの味だ。
「すみません、少し冷蔵庫開けさせてもらいますね」
「おー」
一言断ってから、冷蔵庫を開ける。たとえ彼氏とはいえ、ちゃんと承認は取らなければ。
お酒とつまみ以外、特に何も入っていない冷蔵庫から、梅酒の入った瓶を取り出し、扉を閉める。
「……お前実はストレス溜まってんじゃねーの?」
「え?何故ですか?」
酒瓶片手に首を傾げる。
「お前最近酒飲みすぎだぞ」
「……」
彼の言葉で、以前久しぶりにRoseliaのみんなで飲みに行った時の事がフラッシュバックしてきた。
……そういえば、私の飲みっぷりを見て、彼女達が顔を真っ青にしていたわね。あのくらい、普通だと思っていましたが、そうではないのですね……。
「湊さん達にも言われましたが、飲めてしまうって、怖いですね」
「飲みすぎと言われつつ、酒瓶片手に戻ってくるお前が怖ーよ」
いつもの軽口の応酬。これだけは、酔っていても酔っていなくても変わらない。なんならまだ五杯目なので酔ってすらいないのだが。
ロックグラスに氷を入れ、氷全体に梅酒がかかるように注いでいく。梅酒と氷の温度差により、氷が溶けて、カランっと一つ、心地良い音が耳を癒す。
そんな音を楽しんでいると、隣から彼のため息が聞こえてくる。そちらを見ると、無言でグラスを傾けてくる彼の姿が。……注げ、ということなのだろう。
手に持っていた梅酒瓶を傾けて、彼のコップに注いであげる。
「あ、そういえば」
注いでいる途中に思い出したことがあり、彼に問い掛ける。
「結局、来週の日曜日は空けられそうですか?私は副顧問に部活を任せてきましたが」
「こっちも大丈夫」
「そうですか。それでは二人とも参加という旨を伝えておきますね」
適量を注ぎ終えた瓶をテーブルに置いて、先程まで座っていた場所へと戻る。
「それにしても、今井はやっと結婚かぁ。……もっと早くすると思ってた」
「私も同感です」
カンっとお互いにもう一度乾杯を交わして、グラスを煽る。
そう、来週の日曜日は、私のオシャレ伝道師こと今井さんの結婚式なのだ。私と彼は仕事の都合上、ギリギリまで返事が出来なかったのだ。それでも、こんな間近になるまで待ってもらえていることは、やはり彼女達の心の広さなのだろう。
「まぁ、籍を入れる前までは、あの二人は時間の問題、とは思っていましたけど」
「おぉ、紗夜が他人の恋愛情事を理解している……」
「流石に何度も呼び出されて、『結婚ってどんななのかな?』と、聞かれたら嫌でも分かります」
「……結構今井からも苦労かけられてたんだな」
お互いにアルコールが入っているからか、いつもより会話が多めな気がする。まぁ、お互いにすれ違って会話をしないよりかはマシですが。
実際、私たちにもその時期があった。
学年が一個しか違わないせいで、片方がナイーブな時期が、それぞれ半年に一回ずつあったのだ。
教師になるのがどれだけ大変なのか、彼の隣で見てきてから十分わかっていたはずなのに、いざ自分が体験してみると、それは想像以上だった。
合否の不安もあったし、周りがどんどん内定を貰っていたために、焦りもあった。そのせいで、彼に沢山当たってしまい、こうしてまだ付き合っていられるのは、奇跡なのではないだろうかと思えるくらい迷惑も掛けてしまった。
だから、教員採用試験の合格通知が来た時、私より喜ぶ彼を見て、私は少しだけ泣いてしまった。
あんなに強くあたってしまったのに、私はまだ彼に何も返せていないのに。それでも尚、隣に居てくれるのが、何より嬉しかったから。
酔いで赤くなった彼の横顔を見て、密かに微笑む。
そんな私の視線に気づいたのか、チラッとこちらに顔を向けると、彼は思い出したかのように声を発する。
「そういえば、"ユキナ"も来るのか?」
「湊さんですか?確か、来ると仰っていましたよ」
「マジか。仕事の都合上、大丈夫なのか?」
彼の目が、驚愕によって見開かれる。
私達にとっては、彼女は友人の結婚式に参加するだけなので、特に違和感はないのだが、他の人からしたら無理もない。
今、"ユキナ"――もとい、湊さんと言えば、若くして『日本の歌姫』として世界中で活躍する天才シンガーだ。ルックスも歌声もレベルが高く、ファンの年齢層も厚い。確か今週末に日本ツアーファイナルが行われるはず。
「まぁ式場が騒然とするのは必至だと思います」
「だよなぁ。あー、歌ってくれねーかなぁ」
「何故貴方が楽しもうとしてるんですか。今井さん達が主役の結婚式ですよ」
私欲にまみれた彼に、指を立てて叱責する。……昔のメンバーでサプライズ演奏をしようと企画していることは、秘密にしておきましょう。
「まぁ、結果的に湊さんにお会い出来るわけですから、それで我慢してください。でないと、彼女が困ってしまいます」
「へーい……」
机の上に突っ伏して元気なさげに返事をする彼。まぁ、ファンからしたらそういう反応になってしまいますよね……。サプライズ、楽しみにしていてくださいね、と心の中で付け足してあげる。
それ以降会話はなく、時計の針の音だけが部屋に響き渡る。
実は私はこの沈黙の時間が好きだったりする。無理に話そうと躍起になるより、お互いのタイミングで話すことが出来るから。
「なぁ、紗夜」
その沈黙を破ったのは、彼からだった。
「なんですか?」
私はいつものように、彼のほうを向いて返事をする。……そして、息を呑んだ。彼がいつになく真剣な眼差しを向けてきていたから。
「紗夜はさ、結婚ってどんなものだと思ってる?」
「結婚……ですか?」
正直、今その言葉を聞いても、今井さん達の印象しかないのだけれど……。
「そうですね……。とりあえず辞書貸して貰っても良いですか?」
「なんで広辞苑に頼ろうとするんだよ。お前の意見を聞いてんの」
「分からないことは、調べるか私に聞きなさいと生徒に教えているので、自分も率先しようかと」
私がそう言うと、彼は、はぁーっと長いため息をついて頭を抱えていた。その光景を見て、大きな胸の痛みと、少しの安堵感を覚える。
――いくらそういう事に疎い私でも流石に分かっている。これはただの逃げだ。ただ、私に勇気がないだけ。何度も何度も、『本当に自分で良いのだろうか』『自分なんかが、この先彼を支えていけるのだろうか』と考えては、マイナスの方に結論付けて逃げてきた。
だけど、先日今井さんに結婚の報告をされた時に、彼女に気付かされてしまった。
『紗夜。逃げちゃダメだよ』
きっと彼女は、私が彼との次の関係に踏み出せないことも、私の心の弱さにも気付いていたのだろう。だから彼女は私に、向き合う『運命』が来たと、そう言ったのだろう。
人生の先輩からの、有難い助言。――分からないことは教わって、それを次に活かせば良い。
「――なんて、冗談です」
「……は?」
机に突っ伏した顔を上げ、キョトンとする彼。そんな可愛らしさもある彼に、微笑みかけながら、言葉を発する。
「私は、貴方の事が好きです」
来るべき日に取っておいた、この言葉を。
「貴方の笑った顔が、私を優しく撫でてくれるその手が、気だるそうにしながらも、いつも私を気遣ってくれるその心が……貴方の全部が好きです」
彼に一歩だけ近付く。この距離は、彼と居る時の私の一番好きな距離だと、直ぐに気づいた。
「貴方は、どうですか?」
彼に向かって、静かに手を差し伸べる。彼は覚悟を決めるように一度だけ深呼吸すると、私の手の甲を、下から包み込むように添わせた。
「あぁ、俺もお前のことが世界で一番好きだ、紗夜」
いつの間に買ってきていたのだろうか、紫色の箱から綺麗なアクアマリンが付いた銀色の指輪を取り出して、差し伸べた私の左手の薬指へと嵌め込む。
「俺と――」
こんなに真剣な眼差しをした彼は、果たしていつぶりに見るのだろうか。こんな時に失礼だとは思いつつも、記憶を掘り返す。
――大学時代の弓道の全国大会の時?
――教員採用試験の勉強中?
――それとも、教師一年目の最初のテスト作りの時?
――どれも違う。
記憶を巡らせ、彼との記憶の最深部まで掘り下げて、やっと気付く。
あぁ、思い出した。この感じは、あの時の――
『俺と、付き合ってくれませんか?』
「――俺と、結婚してくれませんか?」
学生時代のあの雨の日の記憶が、今この瞬間、確かに重なった。
この言葉が言われるのは分かっていたことだ。それでも、この言葉を聞いた瞬間、涙を堪えずにはいられなかった。
「『……はいっ』」
言うが否や彼の胸元へと飛び込む。私より大きい彼でも、流石にバランスを崩しその場に倒れ込んでしまう。
「ちょ、紗夜!危ねーな!」
「す、すみません、つい……」
お互いに数秒間顔を見合わせて、笑い合う。
「あー、やっと言えたぁ……」
私を上に乗せたまま、安堵の溜息を吐く彼。きっと、彼なりに勇気を振り絞って言ってくれたんですね。
そう考えるだけで、心がじんわりと暖かくなる。
「夕季さん」
「なんだ、紗――」
彼の返事を待つ前に、目を閉じて彼と唇を合わせる。
いきなりのことで驚いたのか、少しだけ感じる彼の息が、どこかこそばゆい。
「……お前、性格変わった?」
「もしかしたら変わったかも知れませんね。そうでしたら貴方のせいですので、責任は取ってくださいね」
笑いながら、もう一度彼の胸元へと倒れ込む。
「やっぱ、お前には勝てる気しねーわ」
頭上から、呆れたようで、どこか嬉しそうな声が聞こえてくる。それと同時に、彼の暖かい手が、私の髪を梳かすように撫でてくれる。
私が高校生の頃は、こんな大人にはなりたくない、なんて思っていたのに。それでもいざそうなってみると、意外にも私の一部としてすんなりと馴染んでくれた。
――もしかしたら、これが本当の私なのかもしれませんね。
「夕季さん」
指輪が輝く左手を、自分の右手で包み込み、願うように彼を呼ぶ。
彼は、まるで見守るような、暖かな笑みを私に向けて、続きの言葉を待っている。
あの日の傘の下で。貴方に好きと言う日を決めた時から、ずっと心に秘めていた言葉が、私の口から、涙と共に零れ落ちた。
「これからも、末永くよろしくお願いします」
笑顔と共に幸せが一雫、指輪を鮮やかに濡らした。
読了、お疲れ様でした。これにて、『年上彼氏と元冷徹少女』は、完結となります。
きっと、氷川紗夜は、夕季君と付き合っていく中で、良い意味でも悪い意味でも、こんな風に素直な方向に、変わっていくのではないかな?と自分は思います。
大切な人や物はずっと大切にしていく子なので、この物語のこの二人に幸多からんことを。
拙い文でしたが、皆様ご愛読ありがとうございました。
モチベーション維持のため、評価欄の評価指定数を最大にしていましたが、皆様の講評をお聞きする場として、指定数10文字にしたいと思います。
評価は付けても付けなくても自由です。評価の数字自体はあまり気にしませんので。
それでは、またどこかでお会いしましょう。