「はぁ……」
夜も更けてきた金曜日の午後10時過ぎの事。
自室のベッドの上でギターの練習をしていた自分は溜息をつく。そうして俯いた視線の先にある手に握るのは、自分の長年の相棒であるアコースティックギター。
沢山の傷の付いたそれをほんの少し眺め、練習を終えたので仕舞う為に避けるように下から視線を上げれば、そこにあるのは、スタンドに立て掛けられた自分のもう一つの相棒であるエレキギター。
「はぁ……」
いつもなら次に手に取り練習する筈のそれを見て、再び溜息が出てしまう。上手く言葉に出来ないのだが、もう今日はギターに触りたくないのだ。
でもそれと同時に、どうしても
「…………」
あぁ、この陰鬱とした気持ちを搔き消すように、何も考える事もせず、ただ自分の感情の赴くまま、ギターをかき鳴らしたらそれはどれほどの幸せだろうか。でもそんな欲求を抑えきれない自分に反発するように、陰る心はより大きく、より黒くなっていく。
そんな風に混ざり合い、溶けて濁る感情と共に思い出すのは、自分にとって最低とも言える今日の練習の記憶。もうすぐ次のライブを控えた自分達にとって、一回の練習がとても大切な事だというのに、自分はやってしまったのだ。
──むむ? うさぎ殿、今日は調子が悪いのか? なんというか……キレが足りない気がする。無理はしない方がいいぞ。
始まりは、一曲の通しを終えた後のりみセンパイのその言葉……いや、本当の始まりは、自分が自分で納得のできる演奏を出来なくなってしまったからだ。
きっとそのことにりみセンパイは気付いて声を掛けてくれたのだが、不器用な自分はそれで皆さんに失望されてしまうのが怖くて、つい「大丈夫っす」と言ってしまったのだ。
──えぇ! たえちゃん、大丈夫なの? 無理はしちゃダメだよ……。
──香澄ちゃんの言う通り、体調が良くないなら無理は禁物だから、休んでもいいんだよ?
それなのに、香澄センパイや沙綾センパイも無理はしなくていいと言ってくれて、けれどその言葉が罪悪感となって自分を余計に苦しめ、その後の練習にも全然身が入らなくなって、結果的に有咲センパイにも迷惑をかけてしまった。
だって、有咲センパイはポピパが大好きで、ポピパを想う気持ちは痛いほど知ってる。それなのにライブ前の大事な練習を、自分のせいで止めてしまうのが心苦しい。
──おたえ。調子が良くないのは別に構わないし、怒りもしないわ。だけど、無理をして練習をするなら私は怒るわよ。……あなたはウチの大切なメンバーなんだから。
それでも、そんな自分に有咲センパイはそう言って自分を慰めてくれた。
だけど、自分にはその言葉がどうしても自分が迷惑をかけてしまった事を責められている気がして、そのまま帰った後も家でこうしてギターを握りはしたのだが、どうしてか上手くいかない。そしてそうしたモヤモヤが積み重なって、なんていうか、いろいろな事が嫌になってしまう。
──もういっそのこと寝てしまおうか。もしかしたら、ほんのちょっとくらいは楽になるかもしれないし。
眠気と疲労で鈍った頭でぼんやりとそんな事を考えるも、中々動けずにいた自分の耳に着信音が届く。枕元に置いてあるスマホを手にとってみれば、そこには「有咲センパイ」の文字。
「もしもし……? 有咲センパイ?」
そうして、反射的に通話を始めはしたものの先程の練習の事を思い出してしまい、少し声が震えてしまう。
──正直な事を言うと、少し怖い。
先程は慰めてくれたけれど、今はどんな事を言われてしまうのかと、有咲センパイが酷いことを言うはずがないとは思っても、どうしても身構えてしまう。
「あぁ、おたえ。今って時間大丈夫?」
「時間? ……えぇ、大丈夫っすよ?」
「そう? ……ねぇおたえ? 一ついい?」
「え? いいっすけど……。なんですか?」
なんだろう。いつもの自信に満ちた有咲センパイと違い、今日はなんというか歯切れが悪い。それが不安を掻き立てられて、少し泣きそうになる。
そして、暫く考えるような声の後に、有咲センパイは自分に問いかける。
「おたえ……。ギター、練習してたでしょ」
──有咲センパイから投げられたその問いに、自分は答えを返せなかった。
どうして分かったのかとか、それを聞いてどうするのとか、聞きたいことはあるのに、いざそれを口にしようとすると、何故か上手く言い表わせず、例えるならりみセンパイがよく言う「ナ・ニモ」状態の香澄センパイみたいになってしまう。
そうした自分の醜態を暫く有咲センパイは黙って聞いて、そして溜息と共に遮る。
「はぁ……。もういいわよ。別に怒っても、責めるつもりもないんだし。ただちょっと確認したかっただけだから」
「そ、そうなんですか……? でも、それならなんで……?」
「なんでって……。おたえが無理をしてないか気になったからよ。あなた、前科があるの忘れたの?」
「ぜ、前科……?」
前科と言われても、自分には一体何の事か全く分からない。思いだそうとして唸る自分に、有咲センパイはさっきよりも大きな溜息を漏らす。
「……はぁ。やっぱりそうだと思った。ねぇおたえ、ポピパに入った時のこと覚えてる?」
「え? それは勿論……って、あっ」
有咲センパイの言葉で漸く合点がいった。有咲センパイが言う自分の前科とはつまり──。
「思い出した? あなたがエレキギターの練習に睡眠を削り過ぎて倒れた事」
自分がポピパの皆さんと演奏する為にエレキギターを極めようとして倒れてしまったことを言っていたのだ。確かにあの時は皆さんと演奏したくて、つい無理をしてしまった。
……でも、それならば問題ない。だって今の自分は、ギターに触れる事も億劫に感じてしまうのだ。一応最低限の練習はしたが、あの時のように無理をしようとも思えない。
……でも、それでも皆さんの力になれないのは凄く辛い。そしてなにより、こんな思考をする自分が嫌になる。
「……大丈夫っすよ。有咲センパイ、だって自分は──」
「いいから。とにかく今は不調を正す事を第一にしなさい。いい? ポピパにとってあなたの代わりなんていないんだから。分かった?」
「は、はい……」
──それじゃあおやすみ。もう一度言うけど、無理はしちゃダメよ。
その有咲センパイの言葉を最後に、通話の切れてしまったスマホを置いてベッドに倒れこむ。……こうした答えの見えないものを考えるのはなんというか、疲れてしまう。
「どうすればいいんすかねぇ……自分」
そんな事を呟いても、空から答えが返ってくるなんて事は無い。虚空へと伸ばした手は何も掴めず、ベッドに墜ちる。頬を伝う涙は雨にも似て、曇る心は晴れはしない。そしてその雨は、自分の心のギターへの熱を冷ますのだ。
そして、それを取り戻すのは結局のところ、自分がどうにかしなければならないのは分かっている。けれど、その道筋がまるで見えず、例えるなら果てしない道を歩いているかのような、遠い錯覚を覚える。
「ふぁ……」
あぁ、駄目だ。だんだんと眠気が強くなってきた。いや、むしろ良いのかもしれない。このまま夢に飛び込めたなら、この気持ちも少しは変化してくれるかもしれないから。
そう思うと、抗おうとした筈の眠気にどんどん流されて、そうして自分の意識はゆっくり、ゆっくりと薄れていった。
──どうかこの眠りが覚めたら、ギターへの熱が取り戻せますように。
窓から見える星に、そんな事を願いながら。
読んでいただきありがとうございます。(下)の方もなるべく早く投稿したいと思っておりますが、遅筆なので気長に待って頂けると嬉しいです。