とある科学の物質変化   作:ロボ燕

10 / 11
#8 苦悩と決意

「あん?なんだお前?」

「『その子達から離れなさい』?そりゃもしかして『そんな奴らなんて放っといて私といいことしない?』って言ってんの?」

 

 不良の一人が小馬鹿にしたように言うと、げらげらという笑い声がそれに続いた。彼らに絡まれていた二人組の女子中学生が不安げに見つめる中、京子は冷めた目で不良たちを睨み付けていた。

 

「……ま、それがお望みなら、聞いてやらねーこともねーけど?」

 

 不良の一人が、下卑た笑いを浮かべて京子に向き直り、ゆっくりと近付いてくる。二人の距離が数十センチにまで縮まったその時、棒立ちだった京子がはじめて動きを見せた。

 腰を落とすと同時に、手の甲を下に向けた右の拳を腋の下まで引く。そして無音の気合いと共に、引いた右拳を、回転を加えながら突き出した。

 京子の正拳突きが、不良の腹にめり込む。突然、何の脈絡もなく拳を叩き込まれた男は苦悶の声を上げ、体をくの字に折り曲げて数歩退いた。

 

「……逃げて、今のうちに」

 

 呆気に取られる男の仲間たちに構わず、京子は言う。二人の少女は、彼女の鋭い視線にびくりと肩を震わせたが、躊躇いがちに頷いて表通りに向かって駆け出した。

 その背中が見えなくなったのを確認してから、京子は男達の方に目をやった。

 

「こ……っの……てめっ……」

 

 ようやく立ち直った男が、激しく咳き込みながらこちらを睨み付ける。三人分の、怒りの篭った視線を浴びながらも、京子は平然とした表情を崩さなかった。

 

「……さっさと逃げたら?今なら見逃してあげるけど」

 

 淡々とした言葉に、目の前の男達の顔が歪んだ。

 普段の京子なら、相手の神経を逆撫でするようなことは絶対に言わない。京子自身、なぜ自分が今、こんな言動をしているのか分からないでいた。

 高揚。興奮。先程まで悲しみに暮れていたはずの彼女の精神を、何故か正反対の感情が支配していた。自分の中に、何人もの別の人間がいるような感覚だった。

 

「この、クソガキが……!」

 

 腹部の痛みも忘れ、男は顔を真っ赤にしてずんずんと近付いてくる。怒りのあまり、罵倒の言葉も思い付かない様子だった。

 

「ナメんじゃねぇぞオラぁ!!」

 

 安っぽい言葉を吐きかけながら、男が拳を振りかぶる。

 

 その瞬間、京子の中で何かが弾けた。

 同時に、目に映る全ての動きが、急激に遅くなった。迫り来る拳も、男の口から飛んだ唾さえも、はっきりとその目で捉えることができた。

 いっそ止まっているとさえ言っていい世界の中で、京子の頭の中だけが、高速で働いていた。高性能のコンピュータと肩を並べるほどの凄まじい速度で、頭の中で演算が行われていく。

 式が組み立てられていくにつれ、彼女の意識の中に浮かび上がったのは──『炎』。

 

「ぅおわっ!!」

 

 突如として、京子の全身から炎が噴き出す。間一髪のところで拳を引っ込め、男は再び数歩退いた。

 驚愕に目を見開く男たちを睥睨する京子の周りでは、発せられた炎がさらなる成長を続けていた。始めは彼女を縁取るように、やがて全身を覆う鎧のように。

 

「──さっきの言葉、そっくりそのまま返してあげるわ」

 

 《火炎装甲(フレイムアーマー)》とでも呼ぶべき炎の鎧を纏った京子が、冷厳と告げる。

 その言葉は、目の前にいる男たちだけに対して発せられたものではなかった。口を開いた時、彼女の脳裏には、別な人物の姿が浮かんでいた。

 

「──『ナメんじゃねぇ』」

 

 低い声で告げた京子の目に、もはや不良の姿は映っていない。彼女は完全に、頭の中の人物に向かって呟いていた。

 

 赤い髪をした、幼馴染みに。

 

 

#8 苦悩と決意

 burning tears

 

 

「きょう……こ…………?」

 

 呆然と呟いた秋人の視線の先では、京子が無言で佇んでいる。

 火傷も、怪我も負っていない。数分前と変わらない、いつも通りの姿だった。

 その身に纏った、巨大な炎の塊を除けば。

 一言も言葉を発せずにいた京子が、ゆっくりと足を踏み出した。それと同時に熱気が迫ってくるのを感じ、呆然と立ったまま何もできないでいる秋人を除いた三人が、一斉に身構える。

 だが、それは杞憂に終わった。彼女が歩を進めるごとに、周囲で渦巻く炎が、徐々にその規模を狭めていく。四人の前で足を止める頃には、先程まで漂っていた熱気が、嘘のように消え失せていた。

 

「……どうしたの?怖い顔して」

 

 それでもまだ、三人の表情には緊張が走っていた。強張った彼らの表情に、京子はさもおかしそうに笑う。

 無邪気な笑みだった。だが先程までの彼女の姿を考えると、それが逆に恐ろしく見える。

 

「雨宮さん……」

 

 張りつめた空気の中、口を開いたのは美琴だった。

 

「まさか、使ったの……?《幻想御手》……!」

「ええ、使ったわよ」

 

 事もなげに言った京子に、美琴は絶句する。結果的にとはいえ、友人が重傷を負う原因となったものを使用したことに、何の後ろめたさも持っていない様子だった。

 

「……どうして……」

 

 呆然とした声を発したのは、秋人だった。翔が制止しようとするのにも構わず、彼はおぼつかない足取りで京子へと近付いていく。

 

「どうして……使ったんだよ……?」

「《幻想御手》を?そりゃもちろん、人助けのためよ。虚空爆破とか常盤台狩りの犯人みたいに、気に入らない奴をぶちのめすためだけに使うと思う?」

 

 『人助け』。京子の口から出たその単語に、秋人だけでなく、美琴もまた言葉を失った。二人の脳裏に、ほんの数日前に交わした会話がフラッシュバックする。

 

 ──《幻想御手》が危険だって言われてるのは、犯罪に使われてるかもしれないからだろ?逆に言えば、人助けに使う分には何も問題ないんじゃないかな──

 

 口を開けずにいる二人に構わず、京子は言葉を続ける。

 

「状況が知りたいなら教えようか?女の子が二人、高校生ぐらいの不良三人組に絡まれてた。護身術を習ってる私でも素手じゃ勝てそうになかったし、近くに警備員や風紀委員どころか人がいなかったから、《幻想御手》を使って助けることにした。助けるために能力が必要だったから使ったの。素手で勝てそうな相手だったら使う必要もないでしょ?」

 

 饒舌に語る京子は、いつもの彼女とどこか違っていた。だが四人に、そのことに気付くほどの余裕はなかった。《幻想御手》を取り締まる立場にあるはずの黒子でさえ、逡巡している。

 そもそもなぜ京子が《幻想御手》を持っていたのか。《幻想御手》の正体は何なのか。そんな疑問すらも消え失せている。今の彼らの頭を支配しているのは、たった一つの、大きな問いだった。

 

 ──今、目の前にいる雨宮京子は、『悪』なのだろうか?

 

「ねえ、秋人」

 

 ふと気付くと、京子は彼の目をじっと見つめていた。戸惑う秋人に、彼女は静かに訊ねる。

 

「これでわかったでしょ?私は弱くなんかない。私も、あんたや翔と一緒に、戦えるのよ?」

 

 彼女が何を言っているのか、秋人はすぐには理解できなかった。どう答えるべきなのか判らず、押し黙る。

 その沈黙を問いかけに対する答えだと受け取ったのか、京子は静かに呟いた。

 

「……そう。これでも駄目なのね」

 

 目を閉じ、わずかに俯いた彼女の表情が、次第に翳りを帯びていく。それと同時に、辺りに熱気が満ちていくのを、秋人は感じた。

 

「──だったらその体にぶち込んで、わからせてあげるわ!!」

 

 口調を荒げた瞬間、一気に炎が吹き出す。それは瞬く間に彼女の体に纏わりつき、全身を覆う不定形の鎧と化した。

 半眼に開かれた目が、秋人を睥睨する。その瞳の中で憎悪の炎が揺らめいているのを見て、彼はあることに気付く。

 

(……まさか)

 

 熱風になぶられる中、秋人はその可能性に愕然とし、身動きがとれなくなる。棒立ちとなった理由を知ってか知らずか、京子は口許に笑みを浮かべ、腰を低く落とした。

 

「何やってんのよ馬鹿!!避けなさい!!」

 

 彼女の右拳に炎が集まっていくのを見て、美琴は焦りの色を帯びた声で叫ぶ。半ば放心状態だった秋人はその声で我に返り、目の前に迫る炎を反対側、京子の左脇に転がり込むようにして回避した。

 間一髪。一瞬前まで秋人がいた空間は、巨大な炎塊に支配されていた。

 冷や汗を垂らしてその光景を見つめる秋人を、拳を突き出したままの姿勢で眼球だけを動かし、京子がぎろりと睨む。

 彼女は本気だった。能力を制御した上で、あの威力の攻撃を、自分に対して放っていた。その事実が、先程感じた可能性を、確信へと変える。

 

 何故、彼女が《幻想御手》を使ったのか。何が彼女に《幻想御手》を使わせたのか。

 それは、不良に絡まれた少女でも、絡んでいた不良達でもなかったのだ。

 彼女に《幻想御手》を使わせてしまったのは、他でもない──

 

 ──バカ、来るな!!

 ──いいから退がれ!!

 

(──俺だ)

 

 

***

 

 

 獰猛な目をして向かってきた京子は、雨のような突きと蹴りを繰り出し始めた。

 鋭く繰り出された拳を、すんでの所で避ける。間髪入れずに飛んできた逆側からの攻撃が、一瞬だけそこに熱気を残し、そして去っていく。かと思えば、掻き切るような回し蹴りが首元に襲いかかり、のけ反るようにして回避した彼のシャツの襟を掠め、焦げ跡を残していった。

 次から次へと繰り出される炎を纏った四肢を、秋人はしかし、全て避けている。だがそれは、彼が避けることに専念しているからだ。

 反撃や捕縛をしようと隙を窺おうものなら、そのぶん回避にまで気が回らなくなる。そうなれば彼は、たちまちのうちに火達磨のサンドバッグと化してしまうだろう。

 言い方を変えれば、彼は『避けることしかできない』のだ。そうしなければならないほどに、京子の動きは鋭かった。

 

 しかしそれも、長くは続かなかった。

 拳と蹴りの嵐をやっとのところでしのぐ秋人の息は、少しずつ乱れはじめている。対して、狂ったように繰り出され続ける京子の猛攻は、一向に止む気配はない。状況は明らかに、秋人の圧倒的不利だった。

 

「マズい……あのままじゃ、秋人の体力がもたねぇぞ……!」

 

 離れた場所で、翔がぎりりと奥歯を噛み締めた。

 彼らとて、割って入れるものならそうしている。だが、それで秋人の注意がほんの少しでも逸れてしまえば元も子もない。それがわかっているからこそ、三人は傍観に徹するほかなかった。

 

(くそっ……どうする!?どうすればいい!?)

 

 次々に飛んでくる攻撃を避けつつ、秋人はこの状況を打開する策を考えていた。

 距離をとって反撃すれば、炎の装甲に阻まれたとしても、少しは隙が生まれるかもしれない。だが秋人には、どうしても、その選択肢をとることができなかった。

 この状況を作り出した元凶は、自分。そんな思いから、京子を傷つけかねない選択をすることが、どうしても許せなかった。

 

(考えろ……何か方法があるはずだ……!)

 

 焦れば焦るほど、疲労の蓄積に拍車がかかる。それはまた、集中力が削がれていくことを意味してもいた。

 

 そして。

 

「っ!」

 

 京子の拳が、ついに秋人の頬を掠めた。

 何のことはない、ただのかすり傷の筈だった。だが、わずか数ミリの距離に感じた速さと熱気に、秋人の体が一瞬、硬直する。

 その一瞬を、彼女は見逃さなかった。

 

(しまっ……)

 

 ほんの数歩分の距離が、一瞬で詰められる。彼が体勢を建て直した時、彼女は既に、正拳突きの構えをとっていた。

 

「──あァァァァァァっ!!」

 

 京子が、吼えた。

 

 

***

 

 

 視界が一瞬、赤く染まった。

 次の瞬間、熱気を伴った爆風が吹き付け、土埃が舞う。そのあまりの勢いに、三人は思わず、腕で顔を覆った。

 

「くそ……なにがどうなった……!?」

 

 翔の言葉は、少し遅れて聞こえてきた、何か重いものが落ちたような音に掻き消された。音の発生源とおぼしき物体は、落下した後に何度か転がり、三人の足許で止まる。

 

「がっ……は……」

 

 土煙が晴れた時、そこで体をくの字に曲げて苦しげに咳き込んでいたのは、秋人だった。

 

「秋人!」

「瀬島さん!?大丈夫ですの!?」

「……ああ。なんとかね……」

 

 苦痛に顔を歪ませながらどうにか体を起こし、秋人はそう言ってみせる。どう考えても無事では済まない状態である筈の彼に、屈み込んだ美琴が口を挟んだ。

 

「なんとかってあんた、あんなのを食らって大丈夫なわけ──」

「食らってないよ」

「……え?」

 

 秋人が、腹部を押さえていた手をどける。その下の衣服は、多少焦げ付いた箇所があるものの、ほとんど無傷と言っていい状態だった。あれだけ巨大な炎を纏った拳を受ければ、少なくともその箇所には甚大な被害が出ているはずである。

 

「うそ……あんた、どうやって……」

「あの瞬間、京子の突きが当たる前に、俺が自分の炎を爆発させたんだ。それで、京子の炎を相殺して、同時に爆風で俺の体を吹き飛ばした……」

「じゃ、あんたが受けたダメージは……」

「俺の能力の、ってこと」

 

 にっ、と、安心させるように秋人は笑う。しかしその顔には、脂汗が浮かんでいた。

 いかに自分の能力を制御できていても、自分に対する影響をも無効化することはできない。たとえ傷は見られずとも、秋人の体は相当の衝撃を受けているはずだった。

 

「……とにかく、瀬島さんはじっとしていてくださいまし」

「京子は俺たちでなんとか止め──」

「やめろっ!!」

 

 ほとんど叫ぶように、秋人が言う。京子に目を向けていた黒子と翔は、その声に驚いて振り返った。

 

「……京子は、俺が止める……!」

 

 秋人は歯を食いしばり、痛みを堪えて立ち上がる。体をふらつかせながら京子に向かって歩を進める彼の肩を、翔の手が掴んだ。

 

「止めるってお前、そんな体で……」

「京子に《幻想御手》を使わせたのは俺だ」

「……なに?」

 

 遮るように発せられた言葉に、翔の動きが止まる。それは黒子も、今まさに立ち上がりかけていた美琴も同じだった。

 

「どういう、意味?」

「俺が使わせたようなもんだ……だから、俺が止めなきゃ……俺がけじめをつけなきゃ……!」

 

 半ばうわ言のように、秋人は呟く。美琴の質問が聞こえていないのか、その目はただ、炎の中で佇む京子だけを映していた。

 

「……まだやろうっての?」

 

 今にも倒れそうな状態で対峙した秋人に、京子は嘲るような笑みを浮かべて言う。普段の彼女からは、とても想像できない表情だった。

 

「もうやめろ、京子……。京子は……こんなことする奴じゃないだろ……!?」

 

 倒れそうになる体に鞭を打ち、秋人は必死に説得を試みる。荒い呼吸の中で紡がれた言葉に、京子が反応を見せた。

 

「……『こんなことする奴じゃない』、か……」

 

 呟くように反芻し、京子は静かに瞑目する。すると、その体から発せられる炎が徐々に小さくなっていく。数秒後には、いつもと変わらない姿の少女がそこにいた。

 そして彼女は、ゆっくりとした足取りで歩き出す。能力を解除したことで安堵の表情を浮かべる秋人の前まで来ると、ぴたりと足を止めた。

 

「……あんたが……」

 

 発せられた声はあまりに小さく、秋人の耳にはほとんど届かなかった。

 しかし、彼が聞き返すまでもなく、京子はきっと顔を上げ、叫ぶ。

 

「……あんたが私の何を知ってるのよ!!」

 

 再びの攻撃。突き出された拳を秋人は反射的に避けるが、体勢を整える間も無く繰り出された第二撃に反応できず、まともに受けてしまう。

 一瞬、呼吸が止まる。内臓を全て吐き出したいような痛みに、体をふらつかせる。その腹部に強烈な回し蹴りが襲いかかり、彼は建物の壁に、背中から叩きつけられた。

 衝撃に身悶えする暇すら、京子は与えなかった。蹴り足を地面に着けると、彼女はすぐさま右拳を腰だめにして走り出す。

 その体から再度炎が迸り、彼女の右腕に集中していくのを、秋人は痛みに霞む視界に捉えていた。

 咆哮と共に、炎を纏った拳が突き出される。と同時に、秋人は真横に倒れ込んだ。

 受け身を取ることも出来ずに地面に臥した彼の頭上で、およそ人体とコンクリートとが衝突したとは考えられない音が轟いた。

 

「……冗談だろ、オイ……」

 

 ただ呆然と、翔が呟く。秋人を助け起こすことさえ忘れてしまうほどの衝撃的な光景が、三人の眼前に広がっていた。

 痛みを堪え、なんとか立ち上がった秋人もまた、自らの眼に映ったものを信じられず、言葉を失う。

 京子の拳が、一瞬前まで秋人の頭があった場所を、恐ろしいほど正確に捉えていたということ。

 そして彼女の右腕の、肘から先がコンクリートの壁に埋まっているという事実を。

 

「あァァァァァっ!!」

 

 痛みに構っている余裕などはなかった。

 壁から拳を引き抜くと同時に繰り出された蹴りを、秋人は地面に飛び込むようにして避ける。炎を纏った足の軌道に沿って、コンクリートの壁が深くえぐれた。

 

「もうやめて雨宮さん!そんなの喰らったら、そいつ死んじゃうわよ!!」

 

 必死の思いで叫ぶ美琴の声は、京子には届かない。彼女の目には、目の前でのたうつ秋人しか映っていなかった。

 

「あんたは何も分かってない!私がどんなことを思ってたかなんて、これっぽっちも考えてない!!」

 

 叫びながら、京子は拳を振り回す。しかしその動きは、先程まで武道のそれだったのとはうってかわり、癇癪を起こした子供が滅茶苦茶に暴れるのに似ていた。

 

「あんたが能力を手に入れてレベルを上げていくのを、私がどんな気持ちで見てたか分かる!?あんたは、私の気持ちを少しでも理解しようとしたの!?」

 

 勢い任せの攻撃はしかし、大幅に体力を消耗した筈の秋人を、まったく捉えられていなかった。ついには動くことさえやめ、京子は棒立ちのまま、叫び続ける。

 

「私は──」

 

 溢れ出た涙が、頬を伝ううちに、蒸発した。

 

「私はずっと怖かった!!いつかあんたが、私を必要としなくなるんじゃないかって!強さを求めるうちに、無能力者の私を見下すようになるんじゃないかって!」

 

 それは、彼女自身もずっと気付かなかったことだった。……否、気付いてはいたが、心の奥底に押し止めていたのだ。

 『秋人が自分を変えようとしているのを邪魔してはいけない』。そんな思いから、必死で隠してきた気持ちだった。

 そんな彼女の慟哭を、秋人は黙って聞いていた。

 正直、進んで聞きたいものではなかった。だが、京子をそこまで追い詰めてしまった自分に、その言葉を遮ることは許されない。だから、否定することなく、彼女の思いを心に刻み付けていた。

 

「私はっ……私は、あんたが変わらなくても……情けなくて弱っちくても優しい秋人のままでもよかったのに……!強くなったあんたが、私を足手まといだって思うんなら……!!」

 

 京子の瞳に、再び憎悪の炎が宿る。彼女の感情が高ぶるのに呼応して、周囲の炎が規模を増した。

 

「私は、あんたをそうさせた、その子が憎い!!私は──」

 

 地面を蹴り、京子は疾走する。そして、言葉の続きを紡いだ。

 

「────あんたが憎い!!」

 

 炎と共に突進してくる京子を、秋人はただ、しっかりと見据えていた。

 

(……京子)

 

 美琴たちが口々に逃げろと叫ぶのにも耳を貸さず、心の中で呼び掛ける。

 

(──京子ッ!)

 

 そして、覚悟を決めた表情で、拳を振りかぶった彼女に向かっていった。

 虚をつかれた京子は、攻撃の動作に入るのが一瞬遅れる。秋人は拳が振り抜かれる前に彼女の懐に入り──その体を、しっかと抱きとめた。

 

「なっ……!?」

「あのバカ、何考えて……!」

 

 今の京子は、全身に巨大な炎を纏っている。近づくだけでも火傷を免れないのは、誰が見ても分かる。ましてや抱き締めるなど、自殺行為に等しい。

 それを理解していてなお、秋人は振りほどこうともがく京子を放そうとはしなかった。

 

「……京子……」

 

 衣服が、肌が、炎になぶられる。《虚空爆破》の際に受けたそれと変わらない苦しみを、秋人は甘んじて受け入れていた。

 

「今さら何を言っても言い訳にしかならないと思う……だけど、聞いてほしい」

 

 なおも暴れ続ける京子に、秋人は静かに語りかける。

 届かなくても、受け入れられなくても、これだけは言っておかなくてはならない。そんな決意を胸に。

 

「……確かに俺が強くなろうと思ったのは、『あの子』と約束したからだ。だけど、その時にもう一つ、決めたことがあった……」

 

 京子を抱く腕に力を込め、秋人は再び口を開く。

 

「『強くなって、京子を守りたい』」

「……!!」

 

 腕の中で暴れていた京子の動きが、止まった。

 

「弱虫だった俺を見捨てずに、ずっと守ってくれた……何かあるとすぐに駆けつけてくれた……だから今度は俺が京子を守る番だって思って、強くなろうと決めたんだ」

「あ……あ……」

 

 京子の目が驚愕に見開かれ、その端に涙が滲む。炎の勢いが徐々に弱くなっていることにも気付かず、秋人は言葉を続ける。

 

「……だけど……それが京子を傷付けてるなんて、考えもしなかった…………ごめん、京子……!」

 

 顔を歪めた秋人の目から一筋の涙が零れ落ち、京子の肩に滴る。

 いつの間にか、炎は消えていた。

 

 

「────」

 

 震える手を、京子は秋人の背に回そうとする。同時に動いた彼女の口は、確かに少年の名を表していた。

 だが、抱き返すことも、秋人の名を発することさえも、叶わなかった。

 京子の目がすっと昏くなり、持ち上げた腕が落ちる。全身の力が抜け、彼女の体は秋人にもたれかかった。

 それを支える秋人もまた、ついに限界が来たのか、地面にくずおれる。美琴たちの声も、駆け寄ってくる足音も、彼の耳には全く入ってこなかった。

 

「……ちくしょう……」

 

 意識を失った彼女を、なおいっそう強く抱き締め、彼は叫ぶ。

 

「──ちくしょぉぉぉぉぉぉッ!!」

 

 焼け焦げた服の胸元に、京子の流した涙が染み込んでいた。

 

***

 

 

 水穂機構病院。

 《幻想御手》の患者が集められた病室の一つに、黒子達はいた。

 

「……まさか、京子が《幻想御手》に手を出すなんてな……」

 

 誰に言うでもなく、翔が呟く。悲痛な面持ちで、黒子がそれに続いた。

 

「わたくし達、友人のことをすべて理解できていると思い上がっていたのかもしれませんわね……」

 

 その目線は、目の前のベッドに横たわる京子に向けられている。入院服に着替えさせられた彼女は頭に脳波計を繋げられ、こんこんと眠り続けていた。

 そして、その隣のベッドには──

 

「……佐天さんまで……」

 

 時同じくして、佐天も《幻想御手》を使用し、意識不明に陥っていた。美琴と黒子が風紀委員第一七七支部を飛び出した際、彼女から初春に電話があったらしい。

 その初春は、先程からずっと佐天のベッドの傍らで泣き続けていた。

 

「……あまり自分を責める必要はありませんわ、初春」

「でもっ……私、気付けなかったんです……佐天さんが、悩んでることに……!」

「気付けなかったことが悪いと言うなら、わたくし達全員のせいですの。落ち込むよりも気持ちを切り替えて、佐天さんを救うことに尽力しましょう?」

「ひぐっ……は、はいっ……!」

 

 手の甲で乱暴に涙を拭い、初春は立ち上がる。黒子はそれを見て一瞬だけ口許に笑みを浮かべると、すぐに顔を引き締めて翔に向き直った。

 

「ところで……蓮城さん、瀬島さんは無事なんですの?」

「……ああ。火傷の治療受けたぐらいで、大した怪我はねぇらしい。……けど……」

 

 翔は言い淀み、腕を組んで考え込むような顔つきになる。

 

「誤解があったとはいえ、自分のやってきたことを認めてほしかった相手に『憎い』とまで言われたんだ。しばらく立ち直れなくても不思議じゃねぇよ」

 

 

 

***

 

 

 

 水穂機構病院から少し離れた所にある公園のベンチで、秋人は膝を抱えて座り込んでいた。

 治療が終わってから、彼はずっとこの場所にいる。別段気に入っているわけでもなく、そもそもここが目的地だったわけでもない。病院を出てからふらふらと歩き続け、辿り着いたのがたまたまこの場所だったのだ。

 どこでもよかった。ただ、病院や、その周辺にいることは出来なかった。自分のせいで《幻想御手》を使い、意識を失うことになってしまった京子の近くにいることは──。

 

「なーに落ちこんでんのよ、あんた」

 

 頭上から、声が聞こえてくる。秋人が顔を上げると、神妙な表情の美琴がこちらを覗き込んでいた。

 

「あんな体でどこほっつき歩いてるかと思ったら、こんなとこにいたのね……はいこれ」

 

 呆れ気味に言って、美琴は缶ジュースを差し出す。『ヤシの実サイダー』と書かれたそれを躊躇いがちに受け取ると、秋人は「……ありがとう」と呟いた。

 

「ったく、あんた一応ケガ人なんだから、出歩くんなら一言言っときなさいよね。黒子も、蓮城くんも、心配してたわよ?」

「……うん……ごめん……」

 

 隣に腰かけた美琴は、自分の缶ジュースを一口喉に流し込みながら、虚ろな声で答えた秋人をちらりと見やる。

 美琴に渡された缶を、開けるでもなく両手で弄ぶ少年は、沈痛な面持ちで目を閉じていた。

 

 すっかり気力を無くしてしまった彼にどう声を掛けるべきか、美琴は迷っていた。ややあって、彼女は秋人の顔を見ずに口を開く。

 

「……辛いのは、わかるけどさ。落ち込んでたって何も解決しないでしょ。それ飲んだら、病院に戻ろ?黒子も、あんたの力を貸してほしいって──」

「俺は、行けない」

「──!?」

 

 予想だにしなかった言葉に、美琴は思わず顔を向ける。隣に座る秋人は、思い詰めた表情で自らの両手を見つめていた。

 言葉を失い、ただ凝視することしかできない美琴の前で、秋人は再び目をきつく閉じ、震える両手でその顔を覆った。

 

「俺じゃダメなんだよ……強くなるのに夢中で、それが大切な人を傷つけてるのにも気付けなかった奴なんかじゃ……!!」

 

 助けたくないわけではなかった。だが、脳裏に反響する、意識を失う直前の京子の言葉が、彼の心に迷いを生じさせていた。

 ──『憎い』。

 《幻想御手》を使ったことで、一種の興奮状態のようなものになった結果、思ってもいないことを言ってしまったのなら、まだいい。

 だが、それがもし、本心だったとしたら。自分が京子を助けようとするのは、彼女を苦しめることに繋がるのではないか。

 

「もしかしたら……もしかしたら、京子は俺に助けられることを望まないかもしれない。だったら、俺には京子を救う資格なんて──」

「バッカじゃないの?」

 

 秋人の言葉を最後まで聞くことなく、美琴はぴしゃりと言い放った。彼女はベンチから立ち上がり、呆然と見つめる彼の方を見ようともせず、嘲るように笑う。

 

「あーあ、がっかりだわ。友達思いで結構いい奴だと思ってたのに……結局あんた、自分のことしか考えてないのね」

「な……」

 

 否定しようとした秋人を、きっと睨む。真っ直ぐにこちらを見据える瞳に宿る意思の強さに、彼は一瞬、心を奪われた。

 

「だってそうでしょ?さっきからうだうだうだうだ言ってるけどさ、要は雨宮さんに嫌われるのが怖いから助けたくないってことじゃない」

「それは……」

 

 何も、言い返せなかった。心の奥底に少なからずそういう気持ちがあったと、彼自身も気付いていたからだ。

 

「そりゃ、あんたが行動しなくても、風紀委員や警備員が動けば、いずれは事件が解決して、昏睡状態の人達も回復するかもしれない。……けど、嫌われるからって動かなかったら、その時あんたは、胸を張って雨宮さんに会えるの?」

「……!」

「嫌われるとか好かれるとか、そんなもの、はっきり言ってどうだっていい。たとえ嫌われると分かってても、その人のために動くのが友達ってもんじゃないの!?」

 

 空気が、びりびりと震える。美琴の声には、そう錯覚するほどに強い意思と、固い決意が篭っていた。

 

(……何やってんだろうな、俺)

 

 先程まで停滞していた虚無感が嘘のように、彼の心の中は澄みわたっていた。間違った道を進もうとしたところを、横っ面を張られて正しい方へ導かれたような感覚だった。

 がばっ、と、秋人は出し抜けに立ち上がる。目の前の美琴が「な……何よ?」と問い掛けるのを尻目に、彼は手に持った缶ジュースのプルタブを引っ張り、一気に飲み始めた。

 

「ちょっ……あんたそれ炭酸……!」

 

 美琴が焦った声を出すのと同時に、彼はむせ返る。気管に入ったらしく、苦しげな咳はなかなか収まらなかった。

 

「あーもう、何やってんのよあんたは」

 

 咳き込む彼の背を、美琴は撫でる。ようやく落ち着いたところで、秋人は彼女に向き直った。

 

「……ありがとう、御坂。俺、決めたよ」

 

 美琴は、答えない。彼女は一瞬きょとんとした後、不敵に笑って、続きを促す。

 

「俺は、《幻想御手》を止める。そして京子を、佐天さんを助ける。目を覚ました時に絶交されたり、『憎い』って言われたとしても──その時はその時だ」

 

 もしそうなったとしたら、胸を張って、甘んじてそれを受け入れよう。

 そう決意した秋人の表情には、もはや一片の迷いも浮かんではいなかった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。