とある科学の物質変化   作:ロボ燕

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#9 仮面の暗躍者

 学園都市第一九学区は、他の学区と比べ、全体的に物静かな────はっきりと言ってしまえば、寂れた雰囲気が漂っていた。

 真空管や蒸気機関などといったものを研究対象とした施設が多数存在するこの場所は、常に科学の最先端を行く学園都市において、学生や研究者達の興味を引くものではなかった。とりわけ、そういった技術を『過去の遺物』とみなす者達からは、開発に失敗した学区とさえ見なされている。

 

「……ここで、間違いないわね」

 

 立ち並ぶ古びた建物の一つを前に、美琴は呟く。手にした携帯電話の画面には周辺の地図が表示されており、その中心で、目標場所を表す点が明滅していた。

 

「ここに……《幻想御手》を流してる奴らが……」

「情報が確かなら、ね」

 

 隣に立ち、前方を見据えて言った秋人に、美琴はそう返す。皮肉めいた言葉と裏腹に、その声には不安が混じっていた。

 

 

「ま、情報がそれしかねぇ以上、乗り込むっきゃねぇわな」

 

 

 いつも通りの軽い口調で、しかし真剣な面持ちで言った翔の声を聞きながら、秋人は改めて決意を固めた。

 

 

#9 仮面の暗躍者

code name 『ROOK』

 

 数十分前、風紀委員第一七七支部では、頻発する事件の対策会議が行われていた。事件とはつまり、『幻想御手が関わったと思われる事件』である。

 

「つい先程、匿名での通報がありましたの」

 

 部屋の中央に置かれたテーブルには、学園都市の学区区分が映し出されている。その中の『第一九学区』と書かれた箇所に黒子の指が触れると、いくつもの建物の青い立体映像(ホログラム)が浮かび上がった。

 

「通報の内容はこうですの。『《幻想御手》を売ってる奴らが第一九学区にいる。その居場所を自分は知っている』────で、それがここですの」

 

 彼女が手元の機械を操作すると、立ち並ぶ青い建物のうち二つが赤色に切り替わり、その名称と所在地が表示された。それを見て、黙って見ていた翔が口を開く。

 

「……二つ?」

「ええ。調べたところ、これらの建物には確かに、人が出入りしていました。しかも、近頃怪しげな取引をしていたとの情報が上がっていたスキルアウトの人間が、ですの」

 

 《スキルアウト》。そう呼ばれる者達が、学園都市には存在する。『能力開発のカリキュラムに着いていけなくなった』『努力を重ねても能力が発現しない』などといった理由で非行に走るようになった、無能力者達の集団だ。ざっくりと言ってしまえば、不良と同義である。

 

「取引……?あ!」

 

 眉間に皺を寄せ、難しい顔で聞いていた美琴が、ぱちんと指を鳴らした。

 

「その連中がやってた『怪しい取引』が、《幻想御手》の取引だったってことね?」

「……その可能性は高いと、わたくし達は睨んでいますの」

 

 それで、と、初春が後を続ける。

 

「御坂さん達には、取引されていたものを回収してもらいたいんです」

 

 そう言って、建物の片方に触れる。画面が切り替わり、外観の写真や見取り図など、詳細な情報が表示された。

 

「御坂さんたち──御坂さんと瀬島さんと蓮城さんは、こちらの建物に。もう一つの方には、私たち風紀委員が向かいます。引き受けてもらえますか?」

「まあ、俺らは構わねーけど……メンバーはこれでいいのか?こういうのって、風紀委員が一人はいないとダメなんじゃねえ?」

 

 翔が訝しげに指摘すると、黒子と初春は意味ありげに目線を合わせる。周囲に自分達以外の人間がいないことを確認してから、黒子が「実は」と切り出した。

 

「風紀委員の中に、《幻想御手》の流通に関わっている人物がいる可能性がありますの」

 

 部屋の中に、緊張が走る。思わず声を出しかけた秋人の口が、危ういところで美琴の手に塞がれた。

 

「……それ、どういうことだ?」

 

 眉をひそめる翔に、二人は説明を続ける。押収した全ての音楽プレイヤーに、データを削除された痕跡があること。押収される前後に本人が削除したとは考えにくいこと。そして、風紀委員ならそれを為すことは容易いということ。

 

「なるほどな。だから、こっちには風紀委員がいないってわけだ」

「はい。風紀委員の中にそういう人がいるとして、その人の手に証拠品が渡ってしまったら──もっと言えば、証拠品を回収したと知られてしまった時点でアウトですから」

 

 そのため、初春たちは他の風紀委員に隠れて、佐天の音楽プレイヤーを確保している。実際に使ってみるわけにもいかないため、どのデータが《幻想御手》なのかを特定するには、同じものが入っているであろう物と、全データを照合させてみるしかないとのことだった。京子の音楽プレイヤーでそれができればよかったのだが、あいにく彼女自身が発現させた能力によって故障してしまっていた。

 

 

「それじゃあ私達は、スキルアウトの連中から《幻想御手》を取り上げても『確保できなかった』って報告すればいいのね?」

「ええ。くれぐれも、他の風紀委員の手に渡らないようにお願いしますの」

 

 きっぱりと黒子は言い切る。しかし彼女の顔には、どこか暗い陰が落ちているように見えた。

 当たり前か、と美琴は思う。彼女とて、仲間を疑うことが辛くないわけがない。だが、考えられる可能性は全て潰しておかなければ、佐天や京子たちを救うことは出来ないのだ。

 

「……では、くれぐれもお気をつけて下さいまし」

 

 行動を確認し終えると、黒子と初春は固法たち他の風紀委員と合流するため、一足先に部屋を出ていった。美琴たちについては、準備が整ってからで構わない、とのことだった。

 

「じゃあ、私達も行きましょうか?」

 

 とはいえ、特に用意することがあるわけでもなく、美琴は黒子達が出ていってすぐに呼び掛ける。頷いた翔がドアを開け、美琴もその後に続く。

 しかし最後に残った秋人は、一向に出てくる気配を見せない。不審に思った美琴は傍に行き、瞑目する彼の顔を覗き込んだ。

 

「ちょっと、どうしたのよ?もしかして火傷が……」

「……ごめん、大丈夫」

 

 声を聞いて初めて、美琴は秋人がしばらく口を開いていなかったことに気付く。会議中、彼は作戦の内容を頭に入れることだけに意識を集中しているように、美琴には思えた。

 

「すぐに行く」

 

 俯いていた顔を上げ、秋人が瞼をゆっくりと開く。

 決意に満ちた表情に、美琴は一瞬、目を奪われた。

 

 

***

 

 

 目的地を前に、三人は近くにある建物の陰に入り、それぞれ携帯電話を覗き込む。表示された画面は上下に分割されており、下側に建物の見取り図が、上側には建物の外観が立体で表示されていた。

 

「まず、入口がこの三つね。で、非常階段がそれぞれの階にあって……」

 

 美琴がぶつぶつと呟きながら画面に指先で触れるたび、その箇所が赤い光に染まっていく。同期している他の二人の携帯電話も、それに追従した。

 三人が担当したのは、真空管の研究施設になる予定だった建物だ。いくつもの研究棟を建設する大規模なプランがあったらしいが、建物の一つが完成した段階で計画が白紙になり、内装も手付かずのまま放置されることとなった。広大な建設予定地にはただ、たった一つだけ完成した研究棟と、空のコンテナが散在するのみとなっている。

 類は友を呼ぶと言うが、どこか見捨てられたような雰囲気と経緯を持つこの建物に、学園都市から見捨てられたと感じた者達が惹かれたのだろうか。画面を見つめて作戦を考えながら、美琴はふとそんな感情を抱いた。

 

「御坂?」

「あ……ごめん、何でもない」

 

 考え事に没頭しすぎていたらしい。秋人に呼び掛けられ、美琴は目の前の地図に気持ちを切り替えた。

 

「で。肝心なのは、『どうやって《幻想御手》を手に入れるか』よね」

「それなんだが」

 

 手を挙げて発言したのは翔だ。が、続く言葉は、意外なものだった。

 

「秋人、悪いけど一人で行ってくれねーか」

「なっ……!?」

 

数秒間言葉を失った後、美琴が声を上げる。これから乗り込む建物の近くにいることに気付き、小声で「何言ってんのよ!?」と続けた。

 

「別にこいつに面倒事を押し付けてるわけじゃねーよ。俺達は全員風紀委員じゃないから、顔が割れてる可能性は低い。だから、普通に買いにきたのを装えば、手に入るはずだ」

「なら、私が行く!一人で行かなきゃならないなら、私が行った方がいいでしょ!?」

「御坂さんじゃあダメなんだよ。この中で顔が割れてる可能性があるとしたら、それは御坂さんだからな」

 

 あまりに淡白な口調に、美琴は憤りすら覚える。彼は物騒な人間たちの溜まり場に、親友を一人で乗り込ませようとしているのだ。秋人が学園都市でも上位にいることを差し引いても、それが危険であることに変わりはない。

 だが、翔の言うことが間違ってはいないことも、美琴には分かっていた。

 

「でも……!だからって、こいつ一人でってわけには……!」

「わかった、行くよ」

 

 遮るように、秋人は言った。とうとう我慢できなくなった美琴は、彼のシャツの胸ぐらを掴み、ぐいと顔を近付ける。

 

「あんたまで何言ってんのよ!いい?あの中にいるのは、こないだの不良みたいな奴らとは違うのよ!もっと危なくて、下手したら武器まで持ってるかもしれないの!」

「わかってるよ。白井さんと初春さんにさんざん注意された」

「だったら────!」

「落ち着けって、御坂」

 

 なおも詰め寄ろうとした美琴は、諭すような口調に言葉を詰まらせ、掴んだ手を乱暴に放す。それでもまだ、秋人のことを睨み付けるような目で見ていた。

 

「俺だって、やられるって分かってて一人で行くほどバカじゃない。……別にケンカ売れってわけじゃないんだよな、翔」

「ああ。そんなことしたら証拠消されるからな」

「……わかっただろ?要は《幻想御手》を回収できればいいってだけで、それさえできればケンカする必要はないんだよ。それに……嫌な言い方だけど、あそこにいるのは無能力者か、いてもせいぜいLEVEL1か2ぐらいだ。武器を持ってようが何を持ってようが、やられるつもりはないよ」

 

 秋人が単独で乗り込むことに美琴は最後まで反対していたのだが、だからといって他に考えがあったわけでもなく、結局は翔の案で行くことになった。

 二人は建物全体を視界に入れることができる位置にあるコンテナを選び、中から様子を窺うことにする。

 顔を出し、待機中の秋人の姿を確認した翔が通信を開始した。同期している美琴のイヤホンからも、二人のやりとりが聞こえてくる。

 

「もしもーし。聞こえるか、秋人?」

〈……うん、聞こえてる〉

「こっちは準備完了だ。いつでも行っていいぜ」

〈わかった。準備ができたら連絡する〉

 

 緊張からか、秋人は風紀委員の支部からずっと、口数が少ないままだった。

 

「よく平気でいられるわね。これから自分の友達が、一人で不良の巣窟に乗り込もうとしてるっていうのに」

 

 通信を切った後も建物に目を光らせる翔に向かって、美琴は言った。彼女の苛立ちの原因は、言うまでもなく先程のやりとりである。

 その声に皮肉めいた響きが含まれているのに気付いたらしい翔は、ちらりと彼女の方に目をやったものの、すぐに視線を戻し、コンテナの外を窺ったまま口を開く。

 

「これしか手がなかったんだよ。いくら強くても、役割に向いてなきゃ意味がねぇ。チェスや将棋と同じ、適材適所ってヤツだ。……別に、あいつをただの駒だって思ってるわけじゃねーけど」

 

 美琴が突っかかってくるのを予期してか、翔は最後に一言付け足した。そして、口許に僅かに笑みを浮かべながら、再び話し始める。

 

「それに、実力も考えなかったわけじゃねぇ。あいつ、ああ見えて結構鍛えてっから、もしケンカになってもちょっとやそっとじゃやられやしねーよ。御坂さんだって、あいつがタフなのは知ってんだろ?」

「……別に、あいつが弱いから心配してるわけじゃないわよ」

 

 美琴自身、銀行強盗や虚空爆破の一件の時、そして数日前も、秋人が自分や黒子に決して引けをとらない強さを持っているのを目の当たりにしている。それは能力のレベルに限った話ではなく、精神的な面も含めて、である。

 しかし、彼女が気にかけているのは、もっと別の所だった。

 

「覚えてる?こないだあいつが言ってたこと。『《幻想御手》を使わせたのは俺だ。だから俺がけじめをつける』って」

「ああ、そういやそんなこと言ってたな」

「……だから不安なのよ。あいつ、雨宮さんが《幻想御手》に手を出したことに責任感じて、『助けるためなら自分はどうなってもいい』なんてこと考えてるんじゃないか、って」

 

 

 事実、《幻想御手》を使った京子に対して秋人が取った行動は、どう考えても己を顧みてはいないものだった。考えてみれば、それ以前にも彼は初春達を助けるために大火傷を負い、更にはそんな体で犯人を追いかけまでしたのだ。

 

 責任感が強いというより、いったん熱くなると周りはおろか、自分のことすら頭に入らなくなる性質なのかもしれない……と考えてみたところで、美琴の不安は消えるどころか大きくなる一方だった。

 

「まぁ、あいつもそこまでバカじゃねえよ。ヤバくなったら、こっちに連絡するなり、逃げるなりするだろ」

「……だといいんだけど」

 

 あいつの場合、本当にギリギリまで突っ走りそうだから怖いのよ、と呟きかけたところで、イヤホンにノイズが走る。どうやら、秋人が無線を繋いだらしい。

 

〈もしもし……聞こえる?〉

「おう、感度良好」

〈俺、これから乗り込むから……何かあったときは、よろしく〉

「りょーかい。お前も気ぃ付けろよ?」

 

 淡々と呟く秋人に反し、応対する翔の声は場違いに思われるほど軽い。それは決してふざけているわけではなく、友人の緊張をほぐそうとしているのだと、美琴は思った。

 

「ま、なんかあったら俺と御坂さんが加勢するから、いつでも連絡──うぉ!?」

 

 出し抜けに、美琴が身を乗り出す。自分の服にもマイクは付いているというのに、彼女はわざわざ翔のものに向かって、大声でまくし立てる。

 

「ちょっとあんた、絶対に無理すんじゃないわよ!どうにもならなくなるまで連絡してこないなんてダメだからね!?」

〈わ、わかった……なるべくこまめに連絡するよ〉

 

 唐突に聞こえてきた美琴の声の剣幕に驚いたのか、イヤホンの向こう側から聞こえてくる秋人の声は狼狽した様子を見せていた。それだけじゃ足りないとばかりに、美琴はなおも何か言おうとするが、言葉が出てくる前にブツリと回線を切られてしまい、空しく口を開閉するだけに終わる。

 

「……ケガなんかしたら、ぶん殴ってやるんだから……!」

 

 コンテナから顔を出し、秋人が潜んでいる場所に向かって、美琴はそう呟いた。

 

 

***

 

 

「……声大きすぎ……」

 

 無線を切った後も続く耳鳴りに顔をしかめ、秋人はイヤホンを外す。鼓膜の無事を確認すると、ぼんやりと先ほどのやりとりを思い返す。

 かける言葉は違えど、二人が自分を気にかけてくれていることは、無線越しにも伝わってきた。そうしてくれるのは単純に、向かう先に危険が待っているから。それは分かっているのだが、どうしても自分が頼りないせいで周囲に迷惑をかけているのではと考えてしまう。

 

(御坂だったら、こんなに心配されたりしないのかな)

 

 もっと強ければ、美琴と肩を並べられるぐらいになれば、皆も安心して自分に仕事を任せてくれるのではないか──と、どんどん暗い方向に考えてしまっているのに気付き、秋人はぶんぶんと頭を振る。

 

(集中しろ)

 

秋人は、そう自分に言い聞かせる。

 

(目の前のことに集中しろ。自分が強いだの弱いだの、そんなことはどうだっていい。京子や佐天さんを助けるために、《幻想御手》を手に入れることだけ考えろ……)

 

 入り口の自動ドアの前に立ち、気持ちを落ち着かせるために深呼吸する。閉じていた瞼を開け、秋人は意を決して踏み出した。

 まず目についたのは、受付台と思しき物体だった。

しかし、それだけだ。建物のエントランスにあたる部分は想像以上に殺風景で、中央にぽつねんと置かれたそれ以外におよそ内装と呼べるものはなく、あとは煙草の吸殻やら菓子類の包装紙やらが散乱しているのみだ。

 ともかく、この建物に人の出入りがあることは確認できた。念のため美琴たちに連絡を入れ、目についた部屋をしらみ潰しに当たることにする。

 その姿を背後から見つめる目があることに、気付くことはなかった。

 

 

***

 

 

 研究所内部。

 パソコンが『来訪者』の存在を告げ、男はモニターに視線を向ける。監視カメラが捉えた映像には、赤い髪の少年が辺りを窺っている様子が映し出されていた。

 

「客か」

 

 にやり、と男は口許を歪める。この建物に出入りするのは、ここを根城にしている自分達か、《幻想御手》の噂を聞きつけた人間かのどちらかだ。無論、こんな人物を仲間に加えた覚えはない。

 

 この手の人間は初めてではない。いつも通り、高すぎず安すぎず、多少無理をすれば手に入る程度の額で売ってやるつもりだった。手の届かない程の高値にしてしまえば誰も買わないし、逆に安価すぎると大勢の人間が押し寄せて、自分達の存在が感付かれてしまうからだ。

 しかし──

 

〈気を付けろ〉

 

 無機質な声が、パソコンの駆動音に混じって聞こえてくる。男は、先程まで自分が話していた人物の方へと体を向けた。

 それを『人物』と呼んでいいものかどうか、彼には分からなかった。男の視線の先で佇立する、少なくとも人の形をしているそれは、真夏だというのに膝ほどまである漆黒のコートを着て、その下は全身を一分の隙もなく装甲のようなもので覆っている。人間でいえば頭部にあたる部分には白いヘルメット。バイザーの奥では、赤いモノアイが静かに光っていた。

 

「気を付けろ、だって?どういうことだよ?」

 

 男は訝しげに腕を組み、パソコンの置かれたテーブルに寄りかかる。胸元で、鎖に繋がれた三つのリングが音を立てた。

 無機質な声は応える。

 

〈言った通りだ。そいつは風紀委員の協力者だ〉

「なっ……!?くそ!もうバレたのか!?」

 

 顔に焦りの色を浮かべ、男はモニターを鷲掴みにし、食い入るように見つめている。言われてみれば画面に映る少年には、今までの『客』が一様に浮かべていた、怯えや恐怖といった表情が見られないような気がした。

 

〈一先ず中へ入れろ。こちらで対処する。手出しはするな〉 

 

 一息に言って、『それ』はコートを翻して歩き去っていく。口を挟むことすら許されなかったことに顔をしかめながらも、男は別の部屋にいる仲間へ指示の通信を出し始めた。

 

 

***

 

 

 人の気配を探して2階をさまよっていると、存外簡単にその部屋に辿り着くことが出来た。

 

 扉の向こうから聞こえてくるのは、笑い声。この先に、事件解決の鍵となる《幻想御手》を持っている者がいる。そう考えると、自分が任された仕事の重さを、改めて実感した。

 

 失敗は出来ない。もし失敗したら、京子は、佐天は、一生目を覚まさないかもしれない──上手くいかなかった時のことが次々に脳裏に浮かび、体が震えが走る。秋人はそれを打ち消すように頭を振った。

 

(大丈夫だ。何かあったら翔と御坂が飛び込んできてくれる。だから落ち着いて……)

 

 そう自分に言い聞かせながら、彼はドアノブに手を伸ばし────指先が触れるか触れないかのところで、向こう側からドアが開かれた。

 

「…………何だお前?」

 

 思わず飛び退いた秋人に、視線が突き刺さる。ドアを開けた長髪の男を筆頭に、更に二人が続いた。全員、学生服とおぼしきカッターシャツとスラックス姿だったが、胸ポケットからはタバコらしき箱が覗いていた。

 

「おっ……俺、《幻想御手》が欲しいんです!ここに来れば売ってもらえるって聞いて、それで、人を探してて……」

 

 できるだけ気弱そうな声を装い、秋人は言う。そうした方が怪しまれないだろうという、翔のアドバイスだ。

 

「あァ、コージの客か……ちょっと待ってろ。ったく、どいつもこいつもどっから嗅ぎ付けてくんだかな……」

 

 面倒くさそうに言うと、長髪の男は携帯電話を取り出してどこかへと掛け始め、二言三言会話を交わすと「オラ、来い」とだけ言い放って歩いていく。呆然と見ていた秋人だったが、慌ててそれに従った。

 

「あの……ホントに、《幻想御手》を売ってくれるんですか?」

「さぁな。とりあえず金出しゃなんか買えるんじゃねぇの」

「……《幻想御手》って、具体的にどういうものなんですか?」

「知るか。コージに訊けよ」

 

 それとなく探りを入れてみるが、返ってくるのはそんな言葉ばかりだ。どうやらコージというらしい彼の仲間が《幻想御手》を売っているのは確かなようだが、その正体はおろか、それが本物なのかどうかすら聞かされていないようだった。

 あまり質問しすぎると怪しまれると考えた秋人は、それきり口を開くことをやめ、黙々と歩き続ける。やがて前を歩く長髪の男は、一つの扉の前で足を止めた。

 

「俺はここまでだ。じゃあな」

 

 それだけ言って、男は秋人を見ることすらなく元来た道を引き返していく。どうやら道案内しか任されていなかったらしい男を、数秒だけ見送った。

 秋人は視線を扉に移し、深呼吸する。《幻想御手》を手に入れることだけ考えればいい。他のことは何も考える必要はない。そう自分に言い聞かせながら、彼はドアノブに手を掛けた。

 

 扉を開けた先には、闇が広がっていた。

 カーテンか何かで窓が覆われているのか、元々窓が付いていない部屋なのか定かではないが、今まで歩いていた廊下と比べると明らかに暗い。部屋の中心で光る何かが、唯一の光源だった。背後で、ドアの軋む音が木霊した。

 

「あ……あの、俺、《幻想御手》が欲しいんです……。ここに来れば売ってもらえるって、聞いたんですけど……」

 

 闇の中に向かって秋人は呼び掛けるが、返答はない。それどころか、人の気配がしない。不審に思いながら周囲を見回すと、唯一の光源が目に入る。よく眼を凝らすと、それはパソコンのモニターのようだった。

 

(もしかして、これを操作しろってこと……?)

 

 躊躇いがちに、秋人は光に向かって歩を進める。

 その時、彼の背後で、風を斬る音がした。

 

「──ッ!?」

 

 反射的に身を屈める。つい先程まで彼の首があった場所を、何かが通りすぎるのが見えた。

 間髪入れず、再び空を裂く音。体勢を立て直す時間もなかった秋人は辛うじて左腕で受けるが、骨が折れたのではないかと思うほどの激痛が走り、苦悶の表情を浮かべる。

 痛みに滲む視界が捉えたのは、光だった。といっても、モニターが放つ光ではない。それは、闇に走る赤い残光。

 

「くっ……誰だ!」

 

 その光に得体の知れないものを感じた秋人は、両手に火球を作り出す。

 漆黒のコート。白いヘルメット。その中心で静かな光を湛える赤いモノアイ。揺らめく炎が照らし出したのは、文字通り『得体の知れないもの』だった。

 

「何だ……お前……!?」

 

 人の形をしているのに、人の気配を感じない『それ』に向かって、秋人は呆然と呟く。ほとんど独り言のようなものだったが、意外にも答えは『それ』自身から返ってきた。

 

〈………………暗号名(コードネーム)『ルーク』〉

(ルーク?)

 

 耳に馴染みのない単語を疑問に思う前に、秋人はやるべきことがあるのを思い出した。得体の知れない何者かに襲われているこの状況を、美琴と翔に伝えなければならない。しかし、イヤホンから聞こえてくるのは雑音だけだった。

 

〈通信手段は断った。お前達が風紀委員の協力者だということは分かっている〉

 

「なっ……!」

 

 驚愕に目を見開く。『それ』──『ルーク』は、お前()と言った。それはつまり、今この場にいない美琴と翔の存在までも知られているということだ。

 

「まさか、この場所の情報を流したのって……」

 

 返答は、なかった。対話を続ける意思が無いことを告げるかのように、『ルーク』は呟く。

 

〈任務開始。目標を排除する〉

 

 

***

 

 

 立ち並ぶコンテナの中の一つで、言い争いが繰り広げられていた。

 

「少し落ち着けよ、御坂さん」

「あんたこそ少しは心配したらどうなのよ!」

 

 詰め寄る美琴の手には、ピンマイクが握られている。先程まで研究所の内部に入った秋人の行動を拾っていたのだが、ドアを開けたような音が聴こえたのを最後に、ノイズが流れるだけになっていた。

 

「……多分、妨害電波かなんかが出てるんだろう。少なくともあいつの無線機が壊されてるような事態にはなってねえはずだ」

「無線機が無事でもあいつが無事じゃないかもしれないでしょ!?」

「どうだろうな。そもそも秋人をどうにかするつもりなら、あいつが最初に会った奴らがやってるだろ」

「じゃあ何?妨害電波は私たちが来ようが来なかろうが、最初から用意されてたって言いたいわけ?」

「用心深い奴ならそうするかもな」

 

 そう言いながら、翔は時間を確認する。あくまで助けに行くつもりはない彼の様子に、美琴は苛立たしげに歯噛みした。

 

「……仮に俺達が乗り込んだとして、少しでも警戒されて証拠隠滅されたらアウトなんだ。御坂さんもそれぐらい分かってるだろ?」

「分かってるわよ。分かってるけど……」

「……あいつが中に入ってから20分。戻ってくるのに同じだけ時間が掛かるとして、あと20分動きがなければ俺達が動く。それでいいな?御坂さん」

 

 明らかに納得してはいなかったが、それでも美琴は返事代わりに鼻を鳴らした。

 

 

***

 

 

 黒一色で塗り潰された視界の端に、赤い光が走る。

 その方向に火球を投げつけると同時、追いかけるように秋人は走り出す。赤く染まっていく闇の先に照らし出された『ルーク』に向かって拳を振るうが、その姿は一瞬で掻き消え、虚しく空を切った。

 

 息つく間もなく、今度は背後から風を斬る音がする。飛び退いたその場所を、『ルーク』の拳が正確無比に貫いていた。一瞬だけ気配を現した『ルーク』はしかし、闇に溶け込むように再び姿を消していく。後にはただ、静寂が残るのみだ。

 

 これで何度目だろうか。秋人の頬を、嫌な汗が伝う。先程から、『ルーク』の姿を見ることは出来ても、攻撃を加えることは出来ていなかった。どれだけ接近しても、どれだけ肉薄していても、まるで初めからそこに居なかったのように姿を消されてしまう。そして次の瞬間には、背後に回りこまれているのだ。

 

 立体映像でも見せられているのかとすら考えるほどだった。しかし『ルーク』が繰り出してくる攻撃は、映像と言うには確かすぎる質量と、凶悪なまでの速度を持っている。受け止めようとすればただでは済まないことは、未だに痛みの残る左腕が物語っていた。

 

(くっそ……このままじゃラチがあかない!二人に知らせなきゃ……!)

 

 存在と目的がバレている時点で、自分一人で対処できる問題ではなくなった。そう判断した秋人は退却する道を選んだ。

 

(出口は……あっちか!)

 

 暗闇の中の攻防ですっかり方向感覚がなくなっていたが、入ってきた時と同様に光を放つパソコンのモニターから、出口のある方向は分かった。『ルーク』の追撃が来る前に逃げ出そうと、秋人は走り出し、扉へと辿り着いたのだが──

 

「がっ!?」

 

 ドアノブを掴んだ瞬間、後頭部に鈍い痛みが走る。目の前に火花が散り、抵抗する暇もなく、秋人の意識は闇に落ちていった。

 

 

***

 

 

〈手は出すな、と言った筈だが〉

「ツレないこと言うなよ。なかなかしぶといみたいだから手ぇ貸してやったんだろ」

 

 鉄パイプを担いだ男が、にやりと口を歪ませる。どこから仕入れて来たのだろうか、彼は頭に暗視ゴーグルを装備していた。

 

〈…………〉

 

 『ルーク』は何も言わず、側頭部に手を当て、俯くような仕草をする。しばし無言の時間が続いた後、何の前触れもなく『ルーク』は告げた。

 

〈そいつに《幻想御手》を使え〉

「……あ?」

〈《幻想御手》の副作用で意識を失えば、そいつは何も喋れない。口封じの為だ。早くしろ〉 

「ちっ……指図ばっかだな、あんた」

 

 文句を言いながら、男はポケットから音楽プレーヤーを取り出す。昏倒した秋人を蹴飛ばして仰向けにし、その上に屈み込んだ。

 

「ま、いいや。実はちょっと興味あったんだよね、『能力者に《幻想御手》を使ったらどうなるか』ってやつ?」

 

 秋人の耳にイヤホンを突っ込みながら、男は言う。再生ボタンを押すと数歩後退し、しゃがみこんで観察し始めた。

 

「そういや、こいつ仲間連れてんだろ?そいつらはどうすんだよ」

〈どうもしない。こいつを処理して終わりだ。無駄に姿を晒すつもりはない〉

 

 元々晒してる姿なんざねえだろ。と男は口の中だけで呟き、秋人へと視線を戻す。一向に変化のない彼の様子に、早くも大あくびをこぼし、携帯電話で暇つぶしを始めた。

 

 その目がゆっくりと開かれていくことに、気付かぬまま。

 

 

***

 

 

 爆発音と同時に、ガラスが砕ける音がした。

 弾かれたように立ち上がった美琴と翔は、潜んでいたコンテナから飛び出し、そして絶句する。建物の三階部分が、火の海と化している。

 

「おい、マジか……!」

「とにかく、早く助けに行くわよ!」

 

 そう言うなり、美琴は正面玄関に向かって走り出す。翔も続こうとするが、三歩と歩かないうちに眉をひそめて立ち止まった。

 

「……待て、御坂さん。誰かいる」

「だから、あいつが取り残されてるんでしょ!?早く行かないと……」

「違う」

 

 苛立つ美琴を遮り、翔は目を凝らす。燃え立つ炎の壁の向こうで、黒い影が蠢いている。

 

「──来るぞ!」

 

 そう叫んだのと、ほぼ同時だった。

 三階の窓から、炎の壁を突き破るようにして人影が躍り出る。一見して無謀な行動。しかしその人影は、重力に囚われてなお、空中で舞っているかのように軽やかだった。そして驚くほど静かに、美琴たちの眼前に着地する。

 

「なっ……何よ、あんた……!?」

 

 白いヘルメットに、漆黒のコート。得体の知れない姿に警戒心をあらわにする美琴に構わず、『ルーク』は抱えた荷物を足許に放り出す。よく見ればそれは、気を失った男だった。

 

「……こいつ、まさか……」

「あ、ちょっ!?ま、待ちなさい!」

 

 二人の注意が男に向いたほんの一瞬の隙を突き、『ルーク』は踵を返して走り出す。左腕の装甲からワイヤーのような物を射出して建物の壁面に先端を打ち込むと、一気に巻き上げて上昇し、ものの数秒で姿を消してしまった。

 

「なんなのよあいつ……蜘蛛(クモ)人間?」

 

 『ルーク』の去っていった方向を見つめて、美琴は呆然と呟いた。その足許で呻き声がして、慌てて視線を向ける。先程の男が目を覚ましたようだった。

 虚ろな目で周囲を見渡していた男だったが、やがて現状を把握したらしく、その表情に怯えが走る。そしてなんと、美琴たちに対してすがり付くように懇願し始めた。

 

「たっ……助けてくれ!《幻想御手》の情報も現物も、全部渡す!だから──」

 

 と、正面玄関の辺りがにわかに騒がしくなる。見れば、男の仲間らしき三人組が、逃げるようにして飛び出してくるところだった。顔には一様に、男と同じ怯えが浮かんでいる。

 

「────あのバケモノをどうにかしてくれ!!」

 

 正面玄関が──否、一階フロア全体がオレンジ色の光で満たされる。次の瞬間、爆発したかのように炎が迸り、ガラスがそこら中に飛び散った。

 

 思わず、言葉を失う。中に取り残された秋人はどうなってしまったのか……と身を案じていたが、当の本人は何事もなかったかのように炎の中から姿を現した。

 その姿を認めた途端、美琴は安堵の溜め息をつく。ひとまずは無事のようだった。が、これは明らかにやりすぎだ。そのことを指摘しようと、ずいと足を踏み出す。

 

「あんたねぇ、さすがに限度ってもんが──」

 

 言いかけて、美琴は気付く。様子がおかしい。歩みはぎこちなく、呼吸は荒い。歯を食いしばり、何かに耐えているようにも見える。そのくせ、眼だけが爛々と輝いていた。

 

「と……止め……て……くれ……」

 

 絞り出すような声。それが秋人から発せられたものだと気付くまで、美琴は数秒を要した。

 

「抑え……られない…………あ……頭がっ……」

 

 震えながらうずくまった秋人の周囲に、熱気が集まる。そして、

 

「頭が……爆発しそうだあああァァアァァァっ!!!」

 

 天を()いた。そう錯覚してしまうほど巨大な火柱が、咆哮する秋人を中心に上がった。吹き荒れる熱風に、美琴たちは思わず体勢を崩す。

 

「な、なんなのよこれ……!あんた、あいつに何したの!?」

 

 顔に焦りを浮かべた美琴が詰め寄る。男は近づいてくる秋人を凝視し、恐怖に染まった表情で口を開いた。

 

「れ……《幻想御手》を使ったんだ……」

「あいつに……!?」

「意識トバすつもりだったんだ!けどまさか、あんなことになるなんて……!」

「こんの……ええい、ややこしいことを!」

 

 と、秋人が動きを見せる。ゆっくりと右腕を上げた、ただそれだけの動作の筈だった。しかしその掌が自分の方を向いていることに気付くと、男はパニックに陥って逃げ出した。

 

「くそ……伏せろバカ野郎!」

 

 危険を察知した翔が、コンテナの中にあった空箱を投げ付ける。《絶対命中》によって投げられたそれは、狙い違わず男の側面を捉え、横様に吹っ飛ばした。

 直後、美琴は翔の行動が正しかったことを悟った。ついさっきまで男がいた場所から数十メートル離れたコンテナが、火の気も無いのに燃え上がったのだ。

 

「手ぇ向けられたらソッコーで逃げろ!こいつはちょいとヤバいぜ……!」

「そもそもっ……こいつ、元々どういう能力なのよ!?」

 

 そして秋人は、四方八方に火球を発射し始める。完全に暴走している様子で、目に映るもの全てに対して無差別に能力を行使しているようだった。流れ弾に当たらないよう逃げ惑いながら、二人は秋人を止める算段を立てる。

 

「あいつの能力は《火炎爆弾(ファイアボール)》……。火の球を生成し、その周囲にある大気の成分を操作して爆発を起こす能力だ」

「……って何よソレ!?それじゃ多重能力じゃない!」

「どうだろうな。もしかしたら本当は《空力使い(エアロハンド)》とか《念動能力(サイコキネシス)》とかなのかもしれねーし、火の球の周りしか操れないからやっぱり《発火能力(パイロキネシス)》なのかもしれない。……が、今重要なのはそこじゃねぇ。問題は、あいつが元々それだけの演算能力を持ってるってことと」

「そんな奴が《幻想御手》を使えば、超能力(LEVEL5)並の能力が発現するかもしれない、ってことね」

 

 美琴の体が帯電し、青白い光が迸った。それに反応するかのように、秋人もまた炎の奔流を作り出す。打ち出され、ぶつかり合った衝撃に、美琴は顔を歪ませた。

 

「なかなか……やる、じゃないっ……!」

 

 その隙にと、翔は落ちていた瓦礫を拾い、《絶対命中》で投げ付ける。側頭部と、後頭部。死角を狙ったはずだったが、秋人はそれらを肉眼で確認することすらせず、美琴とのぶつかり合いを維持したまま、新たに発生させた火球で撃ち落としてしまった。

 

「この野郎、カッコいい真似してくれやがって……」

「くっ……ダメ、保たないっ!」

 

 能力を解除すると同時、美琴は横っ飛びでその場を離れる。間一髪、一瞬前まで彼女がいたその場所を炎が通り過ぎ、背後にあったコンテナを打ち据えた。

 

「容赦ないわね、まったく!」

「《超電磁砲》はどうだ?」

「無理ね。あの熱量じゃコインが溶かされる」

「そうか……っとぉ!」

 

 再びの火球。翔に向けて放たれたそれは足許の地面に着弾する。爆炎と土煙に視界を遮られ、美琴はげほげほと咳き込んだ。

 

「御坂さん!コレ切れるか!?」

 

 聞こえてきた翔の声。見渡してみると、彼はコンテナの上に登っていた。手の中でじゃらりと音を立てたのは金属の鎖で、それはコンテナの四隅に固定されていた。

 

「なんだかよくわからないけど、ちょっと待ってて!」

 

 そう言って電撃を発生させた美琴の周囲で、地面から黒い砂が舞い上がる。それらは彼女の右手に集まり、剣のような形を取った。

 砂鉄の剣。電磁力で地面の砂鉄を操り、高速振動で物体を切る技だ。美琴が右手を振るうと鞭のように形を変えて翔の足許まで伸び、きっちり四度小さく火花を立てて、鎖を固定する器具を断ち切った。

 

「サンキュ!」

 

 短く言うと、翔は鎖を抱えてコンテナから飛び降りる。何に使うつもりか──と問いかける暇もなく、秋人が放った炎が美琴の眼前に迫って来ていた。

 電撃と炎が、再び衝突する。今度は無理に打ち勝とうとはせず、一瞬だけ炎の勢いを殺すと、すぐにその場を離れてやり過ごした。

 

(強引に押し切るのは無理ね……)

 

 《幻想御手》の影響なのか、それとも暴走しているためか、秋人の炎は一向に衰えを見せない。この状況下でまともにぶつかり合って勝てると思うほど、美琴は自惚れてはいなかった。

 

「──!?」

 

 と、唐突に秋人の動きが止まる。踏み出そうとした右足が、鎖に絡めとられている。そしてその鎖は、地面から伸びていた。

 

「もう一丁!」

 

 翔の声と共に、鎖が地面を突き破り、秋人の左腕に絡み付く。もう片方の手で外そうと躍起になるが、それは獲物を捕らえた大蛇のように、彼の腕を締め付けて離れようとしなかった。

 

(なるほど、こういう使い方もあるってわけね)

 

 つまり翔は、瓦礫を撃ち落とされた際の二の舞にならないよう、先程断ち切った鎖を操作して地中から襲撃をかけたのだ。内心舌を巻いていた美琴に、鎖の端が投げ渡される。

 

「そいつに電撃を!」

 

 受け取ったそれは、地面の下に続いていた。その意図を察した美琴は頷き、帯電を開始する。

 

「大人しく……なりなさいッ!」

 

 放たれた電撃は鎖を伝い、無防備な秋人を襲う。炎で迎撃することもできず、まともにそれを食らった秋人は、一瞬体を強張らせ──昏倒した。

 

 

***

 

 

「《幻想御手》は……曲?」

 

 昏倒した秋人を病院に預け、気絶した男とその仲間達を連れて、美琴達は一七七支部へと戻った。三人組の方は《幻想御手》のことについてほとんど何も聞かされていないようだったが、怯えきったリーダー格の男は取り調べをするまでもなく、《幻想御手》のデータを差し出してきた。

 それを解析した結果が、先程の美琴の言葉だ。『《幻想御手》は曲である』と。音楽ファイルに偽装したデータのようなものを想像していた美琴にとっては、意外な展開だった。

 頷いた黒子が、美琴に問いかける。

 

「お姉様は、ヒーリングミュージックというものをご存知ですか?」

「聴いたらα波が出てリラックスできるっていう、アレのこと?」

「そのアレですの。解析の結果、《幻想御手》のメカニズムもアレに近いことが分かりましたわ」

 

 そう言って黒子はキーボードを叩く。切り替わったPCの画面には、波形が4つ表示されていた。

 

「これは、それぞれ別人の脳波を表したグラフですの。別人なので、当然脳波の波形も異なります。ところが、ここに《幻想御手》の音楽データを加えると……」

 

 黒子が『実行』と書かれたボタンをクリックして起こった変化に、美琴は目を見開いた。バラバラの波形だった4つの脳波計が、ある一点を境に全く同じ波形を刻み始めたのだ。

 

「つまり《幻想御手》には、脳に直接作用して特定の脳波に調律(チューニング)する効果があるってことね。それも、誰が使っても全く同じ脳波になるような……」

「はい。問題はここからですの。全く同じ脳波を持つ複数の脳はAIM拡散力場を媒介として統合され、ネットワークを形成します。簡単に言えば、『複数の脳が並列に繋がることによって一つの巨大な脳になる』ということですの。そこに繋がれた脳の持ち主は、その巨大な脳を共有できるようになります。つまり──」

「レベルが上がったように見えたのも、能力が発現したのも、『演算能力』と《自分だけの現実》を他人の脳と共有してたからってわけか」

 

 言葉を引き継いだ翔に黒子は頷き、しかし、と続けた。

 

「これは逆に、『自分の脳を他の誰かに使われている』ということを意味します。ネットワークに繋がれた脳は常に高い負荷をかけられ続け、それに耐えられなくなると昏睡状態に陥ってしまう……というわけですの」

 

 聴き終えると、美琴は顔をしかめて腕を組んだ。使用者が増えれば増えるほどネットワークが拡大するなら、風紀委員だけでは手が足りなくなるのも頷ける。このまま事件が長引けば対処すること自体が困難になるだろう。

 しかし、解決の糸口は見えていた。

 

「ていうことは、どうにかして使った人達の脳波を元に戻すか、ネットワークそのものを壊せば……」

「はい。眠ってしまった方々も目を覚ますはず、ですの。その為に今、ネットワークの鍵となる『特定の脳波』が誰の物なのか、《書庫》で検索をかけている所ですわ」

「時間、かかりそうなの?」

「登録されている人数が人数だけに、こればかりは仕方ありませんわ。お姉様も蓮城さんもお疲れでしょうし、少し休まれては?」

「小休止、ってとこか……」

 

 ソファにどさりと座り込んだ翔に倣い、美琴もその向かい側に深く腰掛ける。暴走した秋人との戦いは、彼等を肉体的にも精神的にも疲弊させていた。

 

「そういえば黒子、初春さんはどうしたの?」

 

 ふと気付いた美琴が口を開く。こういった分野の説明は初春が行うのが常だったのだが、戻ってきてから姿を見てすらいない。

 

「資料とデータをまとめて、木山先生の所に向かいましたわ。連絡を差し上げたら、今すぐにでも会いたいと」

「そうなんだ……」

 

 木山の、意外なほどの積極性に、美琴は驚く。ファミレスで話を聴いた際の生気に乏しい様子とは大違いだった。研究者として興味を持っているのか、あるいは昔教師をやっていたことから、子どもを大切に思ってくれているのだろうか。

 

(意外と、いい人なのかもね)

 

 適度に空調が効いた場所にいて、服を汚さなければ、の話だが。

 そんなことを考えていると、どこからか音が聞こえてくる。どうやら黒子の携帯電話だったようで、彼女は画面を見ながら声を上げた。

 

「お姉様、蓮城さん。検索結果が出ましたわ。今、データが送信されて……って、え……?」

 

 

 

***

 

 

「──以上が、現在までの《幻想御手》についての調査報告です。そしてこれが、《幻想御手》のデータをコピーしたものです」

 

 そう言って、初春はつい先程完成したばかりの資料とUSBメモリを差し出した。それを受け取りながら、木山は感心したような声を上げる。

 

「成る程……。この短期間でここまで進展するとは。まだ学生だというのに、風紀委員というのは優秀なのだな」

「私達だけの力じゃありません。木山先生のご助言がなければ……皆さんの協力がなければ、ここまで辿り着くことはできませんでした」

「……私は何もしていないさ」

 

 否定しながらも、木山の口許には僅かに笑みが浮かんでいるように見えた。

 

「それで、よろしければ木山先生の見解を聞かせていただけますか?」

 

 問いかけられた木山は、初春の顔をじっと見つめた。

 真剣な眼差し。そこに宿る使命感。一刻も早く事件を解決しなければという想いが、伝わってくるようだった。

 木山は目を伏せ、小さく笑うと、白衣のポケットからUSBメモリを取り出した。

 

「受け取ってくれ」

「これは……?」

「《幻想御手》の解除プログラムだ。これを使えば、昏睡状態にある使用者も目を覚ますだろう」

「え……えぇっ!?木山先生、もうそこまで……!?」

 

 まさか報告したその場で解決策が出てくるとは思ってもみなかったのだろう。初春は呆けたようにしばらくメモリを見つめていたが、やがてそれを大事そうに鞄に仕舞った。

 

「少し、話をしてもいいかな?」

「はぇっ!?は、はいっ……」

 

 礼を述べようとしたその瞬間に出鼻を挫かれ、初春は変な声を出してしまう。そんな彼女に背を向け、木山は語りだした。

 

「《幻想御手》の効果は『能力の発現』及び『レベルの上昇』。そう言っていたね」

「はい……。その原理は、同じ脳波を持つ複数の脳が並列に繋がることで、互いに演算補助をし合っていると……」

「その通り。では、その目的は何だと思う?」

「目的……?やっぱり、能力の発現とレベルの上昇なんじゃ……」

「それは違う」

「……え?」

 

 驚く初春に構わず、木山は続ける。背は、向けたままだ。

 

「『使うだけで能力が発現する』『能力のレベルが上がる』……実のところ、それは副産物に過ぎない。《幻想御手》の真の目的は、脳波を同期させ、集約することで『一つの巨大な脳』を作ること、そのものにある」

「き、木山先生……?なにを仰って……」

 

 何かがおかしい。思えば、すぐに会いたいと言われた時から、疑うべきだったのかもしれない。

 後退りかけて、彼女は気付く。

 

(う……動けない……!?それどころか……)

「……ぃ……あ……」

(声も……出せない……!)

 

 体のどこにも、触れられているという感覚はない。肉体を封じられているのではなく、『動く』という意識そのものが阻害されているようだった。

 

「《幻想御手》のデータが君達の手に渡った以上、解決するのも時間の問題だろう。だが──」

 

 初春の目の前に、宙に浮いた手錠が現れる。よく見ればそれは、彼女が腰に装備していた、風紀委員の手錠だった。犯罪者を捕らえる筈のそれは独りでに近付き、がちゃりと音をたてて初春の手首を拘束する。

 完全に捕らえられた初春の前で、木山がゆっくりと振り向く。強い決意を湛えたその目は、片方だけが充血したかのように赤く染まっていた。

 

私はまだ捕まるわけにはいかないんだ(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

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