(…………ヤバい…………)
冷房で適度に冷やされた筈の店内で、顔中に汗を浮かべながら、彼はそんなことを考える。
突然姿を消した秋人を探し、きょろきょろと辺りを見回す少女達の背後。席と席とを仕切る背の低い壁の向こう側から、彼は様子を窺っていた。近くの席で食事を摂る人物は思いっきり迷惑そうな表情だが、それを気にする余裕は、今の秋人にはない。
(俺……レベル5に喧嘩売ってたのか……!)
なんて身の程知らずなことを、と彼は頭を抱える。いい勝負どころではない。瞬殺されること間違いなしだ。それほどの差が、レベル4と5の間には存在するのである。
逃げるべきか、開き直って行くべきか。決めあぐねていると、頭上から声が降ってきた。
「あーいたいた。こんなとこに」
「瀬島さん、何してるんですか?」
見上げると、そこに立っていたのは京子と初春だった。しまった、という風な顔の秋人を確認し、京子は彼の腕を掴んで引っ張る。
「いだだだだだっ!ちょ、待って!俺、腹が痛くて……」
「はいはい。可愛い子見て緊張しちゃったのは分かったから、さっさと出る!」
「ちが、そんなんじゃ……っ!」
必死の抵抗も虚しく、秋人は壁の影から引きずり出された。突然現れた彼の髪に、次いで顔に目をやった美琴は、途端に席を立つ。
「あんた、昨日のっ!」
「ごごごごめんなさいー!!」
秋人は必死に謝るが、それを受け入れる気は、彼女にはないらしい。再戦する気満々である。
「ごめんで済んだら警察も風紀委員も警備員もいらないのよ……!」
昨日と同じく、美琴は帯電を始める。彼女が纏う青白い電気は、今にも弾けそうだ。
「ちょっ、ストップストップ!」
下手をすれば本当に電撃をぶっ放しかねない彼女に向かって、秋人は体の前で×マークを作りながら言った。
「なによ!?」
「いや、ここ、公共の場所だから!」
はっ、となって美琴は辺りを見回す。店内はすっかり静かになり、店中の視線が、彼女達に注がれていた。
そんな視線に、美琴はぎこちなく愛想笑いを返し、電撃を収めて元の席に座る。すると、店内は再び元のざわめきを取り戻した。
その光景を見て安堵の溜め息を漏らした秋人に、初春が隣の席を示して「瀬島さん、ここどうぞー」と薦める。礼を言いながら座る瞬間、ちらりと盗み見た美琴の頬は、僅かに赤みがかっていた。
「初春……誰が殿方を連れてきてもいいと言いましたの……?」
しかもよりによってこの方を……と言いながら秋人を見る黒子の肩は、怒りのあまりわなわなと震えている。
修羅か羅刹か、の形相に苦笑いを浮かべる秋人だったが、それを間近、つまり隣の席で見る初春は「あれ?言ってませんでしたっけ?」とあっさり言ってのけ、秋人を紹介する。
「えっと、この人は瀬島秋人さん。雨宮先輩のお友達です……って、もうお知り合いみたいですけど」
美琴、黒子、それに秋人の三人の間に微妙な空気が流れる中、初春は躊躇いがちに言った。
秋人は、目を合わせようとしない美琴、次いで凄まじい形相の黒子と順番に視線を移す。気まずいなぁ、と思った、その直後だった。
「うごっ!?」
ごつん、と鈍い音がして、秋人の頭が何の脈絡もなくテーブルに押さえつけられた。彼にそんなことをする人物は、一人しかいない。
「話は聞いてるよ。ごめんねー、御坂さん。悪いのは全面的にこいつだから♪」
既に昨日の出来事を聞いていたために、美琴が件の少女だと分かったのだろう。いつの間にか秋人の背後に立った京子は、謝罪を強要するように彼の頭を鷲掴みしていた。
万力のように締め付けるその腕は、一向に放される気配はなく、むしろぐりぐりとテーブルに押し付けてくる。あまりの力に秋人は頭を上げることが出来なかった。細い見た目に反して、彼女はかなり腕っ節が強いのだ。
その光景を見て怒る気も失せたのか、はたまた車を大破させたことまで知られていると思ったのか、顔を引きつらせた美琴は曖昧に頷く。それを見てようやく、京子は手を放した。
「痛ったー……何すんだよ、京子」
「自業自得よ、自業自得」
ようやく顔を上げた秋人の額には、テーブルの木目の跡がくっきりと残っていた。それを見て、佐天と初春は肩を震わせて笑いを堪えている。
「……あれ?白井さん、なんですかこれ?」
笑いが収まると、初春は足元に落ちていた二つ折りの紙切れに気付いた。どうやら、先程の震動で黒子のポケットから零れ落ちたらしい。
「そ、それはっ……!」
見られるとまずい事でも書いてあるのか、黒子はそれを奪おうとする。が、時既に遅し。初春は、紙を広げてしまっていた。
「……『お姉さまとのデートプラン』?」
メモ用紙の一番上に書かれた文字を、初春は読み上げる。秋人と京子が興味を惹かれて覗き込むと、その下には明らかに中学生が知っているべきではない単語が並んでいた。どうやら黒子は、美琴に対して並々ならぬ敬意を抱いているらしい。
その方向は、多少────というより、かなりぶっ飛んでいたが。
「────ちょっと貸してっ!」
三人が読み終える前に、美琴はメモを引ったくり、取り返そうともがく黒子を押さえつけながら目を走らせる。一文字、一行と読み進める度に、彼女の表情がどんどん険しくなっていくのが秋人には分かった。
やがて全てを読み終えると、美琴は目を閉じ、無言でメモを破り捨てた。
「……黒子……」
静かに呟く美琴の周りには、またもや電気が発生している。やばい、と秋人が思った時には、もう遅かった。
「────このド変態ッ!!」
本日二度目の怒号が、店内に響き渡った。
***
「ありがとうございましたー」
数分後。再び店内の注目を集めてしまった一行は、半ば追い出されるような形で店を出た。
カウンターの向こう側で秋人たちを見送る店員は、笑ってはいるが、額には青筋が浮かんでいる。その顔は、もう来んな、と雄弁と語っていた。
涼しい店内から一転、焼けつくような日差しの下に出ると、すぐに汗が噴き出てくる。
「あっつー……」
「どこか涼しい場所、探しましょうか……」
そう言いながら店の外に出る、佐天と初春。黒子、京子の順に続き、次いで秋人、最後に美琴が出てきた。
「……なんで俺が……」
げんなりした表情で言った秋人の両手には、全員分の鞄が提がっている。「許して貰えるんだからこれぐらいやりなさい!」と、京子に持たされた物だ。別段重くはないのだが、理不尽だ、という思いは拭いきれなかった。
「ちょっと……」
「へ?」
不意に、背後にいた美琴に腕を掴まれ、秋人は立ち止まる。と思ったらいきなり顔を寄せられ、漂って来た柔らかな香りに、どきん、と胸が跳ねた。
「あんた、雨宮さんに昨日のこと話したの?」
「え……あ、うん」
胸の高鳴りに戸惑いつつ、秋人は頷く。正確に言えば翔にも話したのだが、ここで知らない名前を出してもしょうがないと考え、訂正はしなかった。
「まさか……あの事、言ってないでしょうね……?」
小声で訊くあたり『あの事』とは、確認するまでもなく、車を大破させたことだろう。「話してないよ」と言うと、美琴は安堵の色を顔に浮かべ、それから再び表情を険しくさせる。
「分かってると思うけど、もし言ったら……」
「大丈夫だって。誰にも言わないよ」
遮るように秋人が言うと、美琴は訝しげな顔になるが、僅かに頷いただけで何も言わず、前方にいる四人の元へ歩いて行った。一応は信用してくれた、ということだろうか。
「えっと……この後、どうします?まだお昼ちょっと過ぎぐらいなんですけど」
秋人が追い付くと、初春がそんなことを言っていた。折角の機会だからもう少し一緒に過ごしたい、ということなのだろう。なにせ、まだ自己紹介ぐらいしかしていないのだ。
その気持ちは全員同じのようで、代表するように京子が案を出す。
「それじゃ、何か食べに行こっか。誰かさんのせいで、さっき食べ損ねちゃったしね」
『誰かさん』の部分をやたらと強調し、京子は「ねぇ、誰かさん?」と言わんばかりの視線を秋人に送る。
俺のせいじゃないだろ、と秋人は反論しかけるが、結局は何も言わず、京子の言葉に賛成して歩き出した五人に、黙って追随した。
反論したところで言い負かされるのは分かっていたし、何よりこんな炎天下で口論など、考えただけで脱水症状を引き起こしそうだった。
涼める所ならどこでもいい、と軽い気持ちで探していたのだが、そんなときに限って店自体が見つからずに歩き続けていると、歩道でチラシを配る人物を発見した。
秋人も受け取ろうとしたのだが、両手が塞がっているために断念し、隣を歩く京子が持っているものを覗き込む。前を歩く初春と佐天も、似たようなやりとりをしていた。
「それ、何のチラシ?」
「新しいクレープ屋さんみたいですね。『今なら先着100名様にゲコ太マスコット』って書いてあります」
確かに、広告の端っこにはそんな文句とともに、タキシードを着たカイゼル髭のカエルの姿があった。これが『ゲコ太』らしい。
(……なんでカエル?)
犬やら猫やら、人気のありそうな動物なら他にもいるのに、なぜカエルなのか。そんな秋人の気持ちを代弁するかのように、佐天が「何そのやっすいキャラ?」と声を上げた。
「こんなものに今時食いつく人なんて────」
言葉は、そこで途切れる。唐突に立ち止まった美琴に、佐天がぶつかったためだ。
すいません、と佐天は咄嗟に謝るが、ぶつかられたことにすら気付いていないのか、美琴は手に持ったチラシに見入っていた。
「どうなさいましたの?お姉さま」
そんな美琴に黒子は近寄り、彼女の視線を辿る。そして、得心がいったように笑みを浮かべた。
「あらぁ?クレープ屋さんにご興味が?それとも……」
そこで言葉を区切り、黒子は意味ありげな視線を美琴に向ける。
「もれなく貰える、プレゼントの方ですの?」
「え?」
「なっ、何言ってんのよ!だってカエルよ?両生類よ!?どこの世界にこんなもの貰って喜ぶ女の子がいるってのよ!?」
明らかに暑さからではない汗を浮かべ、必死に否定する美琴を、唖然と見つめる初春と佐天。その傍で、黒子は笑いを押し殺している。
そんな前方でのやりとりも、隣の京子からの「どうしたの?」という言葉も耳に入らず、秋人はゲコ太のイラストを凝視していた。
カエル、カエル……と、声には出さずに繰り返し呟く。似たようなものをついさっき見た覚えがあるのだが、どこで、かは思い出せなかった。
と、その答えはあっさりと見つかった。鞄だ。手元をみると、両手に提げた鞄の一つに、カエルのストラップがぶら下がっていた。
「コレって、チラシのやつと同じかな?」
そう言って鞄を頭の高さまで持ち上げた秋人に、全員の注目が集まる。ぶら下がっているカエルは、細部に違いはあるものの、確かにイラストと酷似していた。
誰の鞄だっけ、と周囲を見渡す秋人の目に、一番遠くにいた美琴が映る。
目を見開き、口をぱくぱくさせながらこちらを指差すその姿は、鞄が彼女のものであると確信させるには充分だった。