とある科学の物質変化   作:ロボ燕

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#3 常盤台連続襲撃事件

『学舎の園』。

 美琴と黒子の通う常盤台中学を始めとする、学園都市でも屈指の名門校・お嬢様学校が集まった、それ自体がちょっとした街のような女子校区域である。当然というか何というか、外部の学生は、特別な理由や内部からの招待がなければ、ここへ入ることは出来ない。

 

「うわぁ……ここが学舎の園ですかぁ!」

「話には聞いてたけど……外とは標識とか信号とかまで違うのね……」

 

 そんな場所に、初春・佐天・京子の三人はいた。

 なぜ関係者以外立入禁止の場所に彼女らがいるのかというと、理由は後者。招待したのは、言うまでもなく美琴と黒子である。そんな場所に入るからにはと、三人が三人、自分の学校の制服を着ていた。

 

「えっと……御坂さんたちとは常盤台中学で待ち合わせ、でしたよね?」

 

 外とは全く違う学舎の園に感動を覚えつつ、初春はこれからの予定を確認する。美琴たちと合流し、常盤台中学を見学した後、二人の案内で学舎の園を見て回る、というのが本日の予定だった。

 頷いて、京子は周囲を見回す。地面の所々に残った水溜まりから、先程まで雨が降っていたことが分かる。にも関わらず、道行く人々のほとんどは傘を持っていない。

 それは、天気予報が外れたから、というわけではない。むしろ逆だ。予報が的確だからこそ、その時間だけ屋内で雨宿りをする者が多かったためである。

 学園都市の天気予報は、『外』のそれとは全く違う。≪樹系図の設計者ツリーダイヤグラム≫という高性能の並列コンピュータが、分子の流れを一つ一つシミュレートし、その結果を伝える、というものだ。

 その精度は非常に正確で、当たる確率を論じることすら馬鹿馬鹿しい、とまで言われる。それはもはや、『予言』に近かった。

 そんな理由で、学園都市の人間は、一日中雨が降り続く場合でもない限り、傘を持ち歩かない。幼少の頃からこの街にいた京子にとって、それは当たり前のことだった。だからこそ、小学校や中学校に入ってから学園都市に来た友人の話を聞くと、『外』の天気予報は彼女にとって新鮮に感じられた。

 学園都市の天気予報が嫌なわけではないが、完璧すぎるのもつまらない。たまには外してくれてもいいのにな、と、京子は近頃、そう思うようになった。

 

(まあ、荷物が減るのはありがたいんだけどね)

 

 ひとり苦笑しながら、京子は腕時計を見る。ちょうど雨が止むタイミングで降りられるよう、バスに乗る時間を調節したため、当初の予定より少し遅れていた。

 

「うわ、待ち合わせまであと十分しかないじゃないですか!急がないと!」

 

 走り出した佐天は、前方をろくに見ていない。その足元に大きな水溜まりがあるのを見て、京子は慌てて声を掛けた。

 

「佐天さん、待っ────」

 

 引き止めようと伸ばした手が佐天の腕を捉えたのは、彼女が水溜まりでつるりと足を滑らせた、直後だった。

 背後で、初春が声を上げるのが聞こえる。水面に映った自分の顔がぐんぐん近づいてくるのを、京子は為す術もなく見つめていた。

 

 

#3 常盤台連続襲撃事件

  aimed girls

 

「三人とも、遅いわね……」

「そうですわね……道に迷ったりしていなければいいのですが」

 

 常盤台中学の校門前で、美琴と黒子は、不安げに会話を交わす。

 携帯電話を開き、表示された時刻を見ると、待ち合わせの時間から既に二十分が経過していた。遅れたからといってどうこう言うつもりはないが、そういう事に関してはきっちりしていそうな京子が連絡もしてこないとなると、なんとなくトラブルに巻き込まれているような気がしてしまう。

 

「あ!いらっしゃいましたわ、お姉様!」

 

 更に五分が経ち、さすがに不安になって携帯電話に手を伸ばしたその時、黒子が声を上げる。彼女の視線を辿ると、三人がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。

 

「……って、どうしたのそのカッコ!?」

 

 ひと安心した矢先、美琴は驚きの声を上げる。佐天と京子の制服は、水が滴るほどずぶ濡れになっていた。

 

「いや、ちょっと水溜まりにダイブしちゃって……」

「すいません、雨宮先輩……私のせいで先輩まで……」

 

 あはは、と苦笑いする京子の横で、佐天は申し訳なさそうな顔をしている。それに気付いた京子は、慌てて口を開いた。

 

「だから、気にしないでって。私だって、もう少し早く水溜まりに気付いてればよかったんだし。……それより御坂さん、この辺に服屋とか、ないかな?さすがに視線が……」

 

 外部の学校の制服である上に、それが濡れているとなれば、相当目立つ。事実、常盤台中学の校舎から出てくる生徒のほとんどが、二人に注目しているようだった。

 

「うーん、この近くにはない、かな……」

 

 しばし考え込む様子を見せた後、「そうだ」と、思い付いたように美琴は言った。

 

「私の制服でよければ貸してあげられるけど……それでどう?」

「え……常盤台の制服!?いいんですか!?」

 

 興奮気味に言った佐天の目は、妙に輝いている。美琴はその勢いに若干驚きつつ、今度は京子の方に目を向けた。

 

「う、うん、二人さえよければ、だけど……どうかな、雨宮さん」

 

 問い掛けられた京子は、少し躊躇する。昨日今日知り合ったばかりの相手にそんなことをさせるのはどうなのか、という気持ちがあった。

 が、佐天の方は既に乗り気になっており、美琴もそれを悪く思ってはいないらしい。ここで好意を無下にする方が申し訳ない、と、京子はそう判断した。

 

「それじゃあ……お言葉に甘えちゃおうかな?」

 

 そうして、一行は校舎内へと入り、京子と佐天は更衣室を借りることになった。

 この機に乗じて美琴の制服を手に入れようと画策した黒子が空間移動で忍び込み、それを知った美琴に鉄拳制裁されたことを除けば特にトラブルも無く、着替えを終える。更衣室を出ると、外では美琴たち三人が待っていた。

 約一名、頭頂に出来た瘤を押さえて呻いている者がいたが。

 

「着心地、どう?」

「すっごくいいですよ!サイズもぴったりですし!」

 

 楽しげな表情で纏った服を眺める佐天とは対照的に、京子ははにかみながらスカートの裾を摘んでいる。着心地やサイズがどうこうではなく、単に蘇芳坂中学の制服より丈が短いのが少し恥ずかしい、とのことだった。

 

「むー……お二人ともずるいです。私も常盤台の制服、着てみたかった」

「あんたね……これ、服が濡れちゃったから借りてるのよ?」

 

 満足げに頷く美琴の横で、初春は頬を膨らませる。人前で水溜まりに突っ込む醜態を晒した結果だということを忘れているのか、心底羨ましそうなその口調に、京子は呆れ顔で突っ込みを入れた。

 

「服はクリーニングに出しておけば綺麗にしてもらえるけど……時間かかるし、それまで学舎の園、見て回る?学校を見るのを最後にすれば、ついでに着替えられるよね」

「……そうしましょうか。時間も時間だし」

 

 美琴の提案に頷きつつ、京子は時計を見る。時刻は、正午を回っていた。

 

 

***

 

 

  数分後、一行の姿は常盤台中学から少し離れたケーキ屋の中にあった。

 佐天の話によれば、この屋は国際的に展開しているチェーン店舗で、日本では学園都市、それも学舎の園の中にしかない、とのことだ。

 甘党の幼馴染みに買っていこうか、と考える京子の横では、初春が食い入るようにメニューを見つめている。先程の微妙な不機嫌さは何処へやら、その表情は真剣そのものだ。

 どれにしようかと本気で迷う彼女を説き伏せて注文を終えた後、佐天がトイレに立つ。残された四人で雑談に興じていると、しばらくして品物が届けられた。

 ……が、いくら待っても、席を離れた佐天が戻ってこない。数分前まで、鏡の前で常盤台の制服に見とれているのだろうと冗談を飛ばしていた彼女らも、さすがにそれを疑問に思い始めていた。

 

「……私、ちょっと見てくる」

 

 その疑問が四人の口を突いて出始めた頃、不安げな表情を浮かべて、京子が言った。

 席を立った彼女は、急ぎ足でトイレへと向かう。店内はさして広いわけでもないため、目的の場所には一分も経たないうちに辿り着く。途中、誰かと肩がぶつかってしまったが、平謝りしようと振り向いた時には既に、相手の姿は消えていた。

 

「佐天さん?大丈──」

 

 トイレのドアを開け、中へ足を踏み入れたその瞬間、京子の足に何か柔らかいものがぶつかる。目線を下にやった彼女は、己の目に飛び込んできた光景に、思わず言葉を失った。

 彼女の足元にあったもの。それは、気を失って床に倒れ伏した、佐天だった。

 

「佐天さんっ!?」

 

 我に返った京子は血相を変えて屈み込み、うつ伏せに倒れている佐天を抱き起こす。顔にかかった髪が口許で動いたり、時折苦しげに呻いたりしていることから、どうやら生きてはいるようだ。

 一安心した京子だったが、まだ油断はできないと判断する。ひとまず美琴達を呼びに行こうと、佐天の頭を慎重に床へと降ろした、その時。

 彼女の視界の端で、何かが動いた。

 ばっ、と、京子は勢いよくその方向へ顔を向ける。目に映ったのは、軋んだ音を立てながら閉まろうとする、入口のドアだった。

 ほっと安堵のため息をつきかけ──彼女は違和感を覚える。

 このトイレは店の奥まった場所にあり、中には小さな窓が一つだけ。だから、風などでドアが勝手に開くはずはない。それ以前に、風で開くほど軽くはない。

 つまり、ドアが開いたということは、『誰かがドアを開けて入ってきた』ことを意味していた。

 それを裏付けるかのように、何者かの足音が、室内に響く。

 入ってきた人物は、この光景を見て慌てもしなければ、自分達に声を掛けようともしていないらしい。つまり、その人物は、佐天を気絶させた犯人である可能性が高い。

 一歩一歩、ゆっくりと近づいてくる音が、嫌にはっきりと聞こえる。京子の顔に、冷や汗が浮かんだ。

 やがて足音は、京子の背後で止まる。音が止んだその瞬間、彼女は姿勢を低くしたまま、反撃の体勢を取って振り返った。

 

「…………あれ?」

 

 向けた視線はしかし、入ってきたはずの人物を捉えることはなかった。思わず辺りを見回すも人影はなく、それどころか足音まで聞こえなくなっていた。

 

(気のせいだったのかな……)

 

 困惑する彼女の耳に、依然として気を失ったままの佐天の呻き声が届き、京子は我に返る。こんなことを考えている場合ではないことを思い出し、今度こそ美琴達を呼びに行こうと、京子は立ち上がった。

  ────そして、見てしまった。

 洗面台の上に設置された鏡に映る自分。その背後の、誰もいないはずの空間に佇む、目を隠すような前髪をした少女を。

 京子の目が、驚愕と恐怖とで見開かれる。直後、全身に電流のようなものが走り、悲鳴を上げる間もなく、彼女は床に崩れ落ちた。

 

 

***

 

 

 ひやりとした何かが、額のあたりに乗せられる。そこから広がる心地良い冷たさに揺り起こされるように、京子は目を覚ました。

 

「あ……目、覚めた?」

 

 身を起こした彼女に気付き、水の入ったボウルを抱えた美琴が声を掛ける。

 

「御坂さん……?ここは……」

「風紀委員の支部。黒子と初春さんは、隣の部屋で固法って人と話してる」

「風紀委員の……ここが……」

 

 彼女が寝かされているのは、小さなテーブルを囲むように置かれたソファの一つで、少し離れた場所にはパソコンが置かれた机、壁際には書類が並べられた棚が並んでいる。ごく普通の事務所のようにも見えるが、棚の一つには小型の拳銃や手錠らしきものなどが置かれている。どうやら風紀委員の装備か何からしい。

 まだ半分眠ったままのような顔で辺りを観察する京子に、美琴が心配そうな顔を見せる。

 

「雨宮さん、大丈夫?どこか痛いところでもあるの?」

「ううん、何でもない。……っていうか、何があったのかもぜんぜん憶えてないんだけど」

 

 苦笑しながら、京子は懸念を抱く。意識を失う前、自分は心配されるような状態だったのだろうか。あるいは、今現在そういう状態なのだろうか、と。

 それを察した美琴の説明を聞くうち、京子は意識を失う前の記憶を徐々に思い出していった。

 トイレの中で床に倒れた佐天。そんな映像が浮かんだ瞬間、京子は慌てて部屋を見回し、姿の見えない佐天を探す。当人が向かい側のソファで穏やかな寝息を立てているのを発見すると、安堵の溜め息をついて美琴に向き直った。

 

「ねえ、御坂さん……私達、何されたの?」

「……たぶん、スタンガンか何かで気絶させられたんだと思う。二人の体に、電流が流れた痕跡があったから……」

「他には?」

 

 つい先程まで眠っていたとは思えないほどはっきりした声で問い詰められ、美琴はたじろいだ。

 目覚めた場所から考えて、病院の厄介になるような被害ではないらしい、と、京子は推測した。だからこそ、彼女は違和感を覚えていた。先程からこちらを直視しようとしない美琴に、である。

 

「……私が言うよりも、実際に見てもらった方がよく分かると思う」

 

 数秒躊躇った後、美琴は手鏡を取り出し、京子に差し出した。その手が僅かに震えていることに気付き、京子は恐る恐る、鏡を覗き込む。

 

「……な……なによこれーっ!?」

 

 鏡に映った自分の顔を見た瞬間、彼女はそんな悲鳴を上げた。

 

 

***

 

 

「もうイヤ……外歩けない……」

 

 ソファの上で膝を抱え、その間に頭を埋めたまま、京子は呟いた。

 

「げ、元気出してくださいよ、京子先輩……」

「それくらい、帽子でも被れば誰にも分からないって……」

「二人とも、声が震えてるわよ」

 

 落ち込む京子を、初春と美琴は慰めようとする……が、声は僅かに震え、口の端はひくついている。そんな二人をじろりと睨む京子の眉毛は、マジックペンで描き足されて本来の二倍以上の太さになっていた。

 顔を上げたことで露になった眉毛を見て、美琴と初春はとうとう堪えきれずに笑い出す。

 ぱっと見ただけでは自分でも笑っていたであろうことが分かっていたため、京子は特に怒りはしなかったが、不愉快なことに変わりはなかった。

 

「……あれ?私、なんでこんなとこに……」

 

 

  と、二人の笑い声が聞こえたのか、佐天が目を覚ます。状況が理解できないまま彷徨っていた視線が京子を捉えると、彼女は弾かれたように笑い出した。

 

 

「ぷっ!あ、雨宮先輩っ、どうしたんですかその眉毛……あははははっ!」

 

「……佐天さん。私が言うのもアレだけど、鏡見てから言った方がいいと思うよ」

 

 

  あくまで冷静に、京子は佐天の眼前に鏡を突きつける。鏡を見た瞬間、笑い続けていた佐天の表情が一気に凍り付いた。彼女の眉毛もまた、マジックペンで太くされていたのだった。

 

 

「……固法先輩、やっぱりコレは……」

 

「同一犯の可能性が高い、わね」

 

  落ち込む被害者二人を哀れみの目で見ながら、黒子が発した言葉に、眼鏡を掛けたショートヘアの風紀委員が続ける。その会話の中の単語が気にかかり、美琴は眉をひそめた。

 

「同一犯って……じゃあ、似たような事件がいくつも起きてるんですか?」

 

 美琴の発した疑問に、その風紀委員――固法美偉は頷く。

 

「ここ数日、学舎の園の中で学生が襲撃される事件が相次いでいるの。その被害者は全員、常盤台中学の生徒。だから私たちの間では『常盤台連続襲撃事件』とか『常盤台狩り』とか言われているわ」

「じゃあ、もしかしてあたしたち……」

「……この制服着てたから、間違えられた?」

 

 互いを見ながら、佐天と京子は言った。そして、常盤台の生徒ではない二人が襲われたことが、さらに別の意味を持つことに、固法は気づいていた。

 

「そうね、二人はただ巻き込まれただけ。……それはつまり、犯人は常盤台の生徒を無差別に狙っている、ということになるわ」

「確かに……。特定の誰かが標的なら、常盤台の生徒でもないお二人が襲われるはずがありませんものね」

 

 納得がいった様子で、初春が呟く。しかし一方で、問題が生じていた。次に狙われる生徒が分からないため、警告のしようがないのだ。

 そのことを告げた固法に対し、京子は真剣な目付きで口を開いた。

 

「固法先輩……この事件、私も手伝わせてください。標的が無差別なら、こっちが囮になることも出来るってことですよね?」

「あ、あたしも手伝います!こんなことされて黙ってられません!」

 

 捨て身の作戦を考える京子に続いて、佐天も名乗りを上げる。被害はしょうもないものだが、やられた側としては不愉快極まりないらしい。

 

「ちょ、ちょっと、落ち着いてくださいよお二人とも……」

 

 執念を燃やす二人、とりわけ自ら囮になると言い出した京子を宥めようとする初春だったが、止まりそうにない。結局、さしたる危険はなさそうだということで、京子と佐天、そして美琴も捜査に参加することになった。「まあ、風紀委員は市民からの協力は拒まないからね」とは固法の弁である。

 

「……では、事件の概要を説明しますの」

 

 そう切り出した黒子の口から語られたのは、犯行の手口だった。

 姿を消し、標的が一人でいるところへ近付き、スタンガンで気絶させ、マジックペンで眉毛を描き足し、逃走。眉毛以外に被害がないことから、犯人の目的は被害者──常盤台の生徒に恥をかかせることである、というのが風紀委員の見解だ。

 

「姿を消す、かぁ。単純に考えれば光学操作の能力者の仕業ってことになるけど……」

「それなのですが……初春、あの映像を皆さんに見せてくださいまし」

 

 黒子の指示に頷き、初春はノートパソコンを開く。何度かキーボードを叩いた後、画面に表示されたのは、どうやら監視カメラの映像のようだった。

 

「この映像に犯行の一部始終が記録されてるんですけど……ちょっと変なんですよ」

「変……?」

 

 見れば分かります、とでも言うように、初春は映像を再生させた。流れ出したそれを、京子たち三人は見逃すまいと凝視する。

 何も起こらないまま数秒が経過し、やがて常盤台の生徒が映った。顔ははっきりとは判らなかったが、別の学校の制服を着た女子生徒を引き連れて歩いていたため、三人は被害者ではないだろうと判断した。が、その直後。

 

 

「……え?」

 

 後ろにいた生徒が、常盤台の生徒に何かを──おそらくスタンガンを押し付けた。

 常盤台の生徒は一瞬痙攣したように震え、地面にくずおれる。少女はその傍らに屈み込み、常盤台の生徒の顔に、何かを描くような動作をした後、悠然と歩き去ってしまった。

 

「……おわかりいただけましたか?」

「分かったもなにも……話と全然違うじゃない。思いっきり姿見せてたし」

 

 困惑しながら、美琴は同意を求めるように京子と佐天を見る。しかし、佐天の口から出た言葉に、彼女はさらに混乱することとなった。

 

「で、でも、あたしこんな人見ませんでしたよ!個室に入ってるときにドアが開く音がして、でも個室から出たら誰もいなくて……」

「……私も、ちょっと記憶が曖昧だけど、犯人が姿を消してたのは間違いないと思う。誰もいないのに、足音だけが聞こえてきたから」

 

 靄がかかったようにぼんやりとした記憶を探りながら、京子も続く。倒れた際に頭でも打ったのか、何か重要なことを忘れているような気がしてならなかった。

 

「お二人と同じように、この映像の被害者の方も『こんな人は知らない』と仰ってますの」

「じゃあ、人の目には映ってないのに、監視カメラには映ってるってこと?光学操作が人の目にしか通用しないなんて聞いたこともないわよ」

 

 光学操作は、文字通り光を操作する能力。それを用いて姿を消す場合、あらゆるものの視界から消える。美琴が授業で習ったのはその程度だったが、『目』の構造上、それは確固たる事実の筈だった。

 

「でも、光学操作以外で姿を消す手段なんて思い浮かびませんしね……」

 

 顎に手をやり、初春は考え込む。思い付かないのは他の面々も同じで、しばらくの間、その場を沈黙が支配した。

 

「……ねえ。これって、『見えないはずなのに見える』じゃなくて、『見えるはずなのに見えない』なんじゃない?」

 

 ややあって、口を開いたのは京子だった。自然と集まる視線に、言葉が足らなかったことに気付き、慌てて続ける。

 

「その……私たち、犯人は光学操作系の能力で姿を隠してて、カメラに映らないはずなのに映ってるって考えてるでしょ?だけど、本当はカメラの方が正しくて、私たちは見えないと思い込まされてるだけなんじゃないかな、って」

「……そっか……犯人はそもそも姿を消してるわけじゃなくて、私たちの意識を操作してた……」

 

 独り言のように、美琴が呟く。彼女もまた、別の角度から見ることで、一つの結論に至りつつあった。

 

「じゃあ、犯人の能力は光学操作じゃなくて……」

『精神操作!!』

 

 二人の声が、重なる。次々と見つかる新しい手掛かりに、他の面々は驚きを隠せなかった。

 

「初春、お願い!」

「わ、分かりました!」

 

 慌てて画面に向き直り、初春は『書庫』に検索をかける。やがて、一人の能力者がヒットした。

 だが、能力者のプロフィールを読みはじめる前に、京子はあっと声を上げ、名前と所属する学校の隣に表示された顔写真を指差した。

 

「この人!私、あのトイレで見た!誰もいないと思ってたら、鏡にこの人が映ってて────」

 

 写真は紛れもなく、彼女が目にした、目許を隠すような前髪の少女のものだった。

 少女の名前は、重福省帆。保有する能力は《視覚誤認》────対象の「見る」という意識そのものを阻害し、自らを認識から外す力だ。

 

  つまり、被害者は彼女が「見えなかった」わけではなく、「見えてはいるが、脳が認識していなかった」のだ。

 

「これで謎が解けましたわね。監視カメラや鏡には意識がないから、阻害しようがありませんの」

「でも……この人、レベル2ですよ。姿を完全に消したように思わせる程の能力ではないって書いてありますけど……」

 

 初春の言葉通り、彼女の能力のレベルはそれほど高くはなく、出来てせいぜい「相手に気づかれにくくなる」程度であると説明がなされていた。

 しかし、監視カメラの映像では顔が不鮮明だったが、京子は実際に重福の姿を目撃している。彼女が犯人ではなかったとしても、話を聞く必要性は十二分にあると言えた。

 

「ふっふっふ……この恨み晴らさでおくべきか……」

「こんな仕打ちを受けたからには、それ相応のお礼をしなくちゃね……」

 

 かくして、重福省帆捕獲作戦が、幕を開ける。

 

 

***

 

 

 再び、学舎の園。

 

「こちら佐天。持ち場につきました。どうぞ」

 

 犯人が顔を憶えていることを考慮し――加えて、どう考えても奇異の目で見られる眉毛を隠すため――野球帽を目深に被った佐天が、ブラウスの襟に付けられたマイクに向けて呟いた。

 

「佐天さん、なんか楽しんでない?」

 

 そこから数㎞離れた場所で待機する美琴が呆れ気味に言うと、むっとした声が返ってくる。

 

「なに言ってるんですか!あたしはいたって真面目ですよ!」

「あんまり大声出すと、マイク付けてるってバレるよ、佐天さん」

 

 イヤホン越しに諭され、佐天は口をつぐむ。声の主は、これまた別の場所で身を潜めている京子だ。彼女もまた佐天と同じ理由で頭にバンダナを巻き、いつもは一つに纏めている髪を解いていた。

 

「全員、配置に付きました。初春、そちらはどうですの?」

 

 三人の会話には加わらず、黒子は風紀委員の支部に残った初春へと呼び掛ける。

 

〈ちょっと待ってください……もう少しで……〉

 

 イヤホンの向こう側から、微かにキーボードを叩く音が聞こえる。ややあって、〈出来ました!〉という声が上がった。

 

〈えーと、それじゃ皆さん、ケータイにメールが届いてると思うんですけど、それを開いてください〉

 

 初春の指示に従い、四人は各自携帯電話を取り出す。言われた通りメールを開くと、画面が切り替わった。何やら地図のような画面で、点が四つ明滅している。

 

〈今送ったのは皆さんの位置情報です。私が犯人を見つけたら一番近くにいる人に伝えますから、他の人も気付かれないように集まってください〉

 

 彼女らが取ったのは、囮作戦。人通りの少ない道や実際に犯行があった場所の近くを通って犯人が標的に選ぶのを待ち、それを追跡する、というものだ。

 途方もなく時間が掛かりそうな策ではあったが、常盤台の生徒は最近、襲撃を警戒してそのような場所を通りたがらないため、可能性はそれなりにあると言えた。

 だが、肝心の犯人を追跡する方法、というより発見する方法に、佐天はいくらかの不安が持っていた。

 監視カメラを使う、とまでは聞いていたが、学舎の園の中だけでもかなりの数があるはずだ。その中の一体どれを使うつもりなのだろうか。というより、四人の現在位置と監視カメラを、同時に確認できるのだろうか。

 そのことを問い質すと、答えたのは黒子だった。

 

「佐天さん、心配なさらずとも大丈夫ですの。初春はこう見えて物凄い情報処理能力を持っていますから」

 

 結局具体的な答えは得られなかったが、囮役の四人の周辺だけを見ていればいいのだろうと勝手に解釈し、それ以上の追及はしなかった。

 しかし、佐天や他の二人は知る由もなかったが――黒子の言葉を裏付けるかのように、初春のパソコンには無数の監視カメラの映像が表示されていた。

 

 

***

 

 

 時間を確認するふりをして、携帯電話のディスプレイを覗き込む。黒子を表す点に近付きすぎていることに気付き、佐天はさりげなく進路を変更した。

 こんな動作をもう何回繰り返しているだろうか。今度こそ本当に時計に目をやると、作戦開始から既に二時間が経過していた。

 作戦が開始してからほぼずっと、彼女は歩き続けている。人通りの少ない道だけではなく、書店や雑貨店など、犯人の目に留まりそうな場所にも足を運んだ。

 しかし、彼女の背後からは、見えない相手の足音どころか気配すら感じられなかった。他の三人も似たようなものだろう。

 当てが外れたか。と、佐天は心の中で嘆息する。作戦が開始する前はメーターを振り切る程に高まっていたテンションも、疲労が増すにつれて下降していた。

 足が痛む。二時間も歩いたのだから、少しぐらい休憩しても構わないだろう。そう思い立った佐天が、座れる場所を探そうとした、直後だった。

 

〈佐天さん、気を付けてください……犯人が佐天さんの後ろにいます……!〉

 

 唐突に聞こえてきた初春の声にも飛び上がるほど驚いたが、その内容が更に、彼女の鼓動を加速させる。

 

  (標的にされた?あたしが?嘘でしょ?)

 

 囮となっている以上、狙われるのが目的であるのは承知していたし、何より協力すると申し出たのは自分だ。しかし、いざ標的になっていることを知ると、奇妙なほどに現実味がなかった。それでも初春に本当かと聞き返さなかったのは、彼女の声に緊張の色が混じっていたからだ。

 返事はしないで聞いてください、と、初春は続ける。

 

「このまま直進して、二つ目の横道を右に曲がってください。その先にある十字路で、犯人を確保します」

 

 他の三人には、地図で場所を指示しているらしい。佐天は返事をする代わりに、襟のマイクを指で軽く叩いて了解の合図を送った。

 走り出したくなる気持ちを抑え、不自然に思われない程度に歩調を早める。背後にいるはずの犯人の足音が聞こえないかと耳を澄ますが、早まる鼓動が頭の中に響いて邪魔をする。

 指示通り二つ目の角を右に曲がると、20メートルほど先に十字路が見えた。初春の話によれば、他の三人のうち二人は左右の道に一人ずつ待機し、残りの一人は後ろから追ってきているらしい。つまり、十字路を過ぎれば犯人を四方から囲む形になるわけだ。

 目標地点に近づくにつれ、佐天の歩調は徐々に早くなっていく。最後にはほとんど走りながら、十字路に踏み入る。視界の端で、京子が動くのが見えた。

 直後、佐天の背後から、何かがぶつかって倒れたような音が聞こえてくる。振り向くと、京子と黒子が抱き合うような体勢で地面に倒れていた。

 否、抱き合っているわけではない。見えない犯人を捕らえ損なって正面衝突し、勢い余って二人とも倒れたのだろう。

 

(────ってことは)

 

 背後では美琴が、正面では佐天が道を塞いでいる。逃げ場はない。

  犯人は『どちら側』にいる?

 初春に連絡を取るが、運の悪いことに、この付近には監視カメラは設置されていなかった。

 ここまで追い詰めたのに、逃がしてしまうのか。焦燥する佐天の耳に、未だ立ち上がれないでいる京子が叫ぶ声が届いた。

 

「────御坂さん!下っ!!」

 

 

***

 

 

 何が起こったのか、わからなかった。

 唐突に走り出した標的を追っていると、左右の道から人が飛び出してきて、正面衝突。咄嗟に飛び退いていなければ自分までぶつかる所だった。

 ふと、足元で立ち上がろうともがいている二人の顔を見て、目を見張る。バンダナを巻いている方の少女は、自分が今日襲った常盤台の生徒だった。顔を上げてみれば、標的にしていたキャップの少女にも見覚えがあった。

 

  ────嵌められた?

 

 倒れた二人のもう片方は風紀委員の腕章を付けている。囮、という言葉が脳裏に浮かんだと同時に踵を返し、来た道を戻ろうとするが、そこにも常盤台の生徒がいた。挟まれたのだ。

 だが、目の前にいる人物はこちらを見てはいない。その向こう側、倒れた友人を見ているだけだ。彼女の脇を気付かれないように通り抜けるのは容易いが、それでは我慢ならない。コケにされたお礼をしてやらなくては。

 ポケットに手を入れ、スタンガンを取り出す。レベルが高いというだけで威張りくさっている常盤台の生徒が、能力でも何でもない物で呆気なく気絶するのは愉快だった。目の前の少女にも、同じことをしてやるつもりだ。

 黒い塊を握り締め、足早に近付く。標的がこちらに気付いた様子はない。あとは電極を押し当て、スイッチを入れてやるだけだ。眉毛はこの際、諦めなければならないが。

 背後から叫び声が上がったのと、スタンガンを持った腕を突き出したのは、ほぼ同時だった。何を叫んだのかはわからない。ただ、見えない襲撃を警戒したところで意味はない、はずだった。

 スイッチの入ったスタンガンが、相手の体に電流を流す。これまでと同じようにちゃんと作動はした。にもかかわらず、目の前の少女は何の痛痒も与えられた様子はない。

 頭の中で疑問が渦巻く中、突き出した腕が掴まれる。直後、痺れるような感覚があって、視界が暗転した。

 

 

***

 

 

 美琴が見えない何かを掴んだような動作をした直後、どさり、という音が唐突に聞こえた。周囲で何かが倒れたような様子はない。音がしただけだ。

 と、美琴の足元に何かが見える。始めは空気の揺らぎのように、それがだんだんと人の輪郭を取りはじめ、やがて制服を着た女子生徒の姿となった。

 

「しゅ……襲撃犯?」

 

 仰向けに倒れたその人物は、間違いなく重福省帆だった。力無く開かれた手の中にはスタンガンがある。《書庫》の情報との食い違いはあるものの、ほぼ彼女が犯人で決まりだろう。

 だが、そもそも美琴はどうやって彼女の接近に気付いたのだろうか。佐天が問うと、美琴は「雨宮さんのおかげ」と答えながら、足元の水溜まりを指差した。

 

「──これがあったから、この人が近付いてきたのがわかったの」

 

 《電撃使い》のレベル5である美琴に、電撃は効かない。ただし、不意打ちならば話は別だ。京子の咄嗟の一言で水溜まりに映った重福に気付いたからこそ、スタンガンへの対策ができたのである。

 支部にいる初春への連絡を終えた黒子が、携帯電話のフリップを閉じる。念のため、初春も確認の為にこの場所へ来るらしい。

 数分後、到着した初春のパソコンを用いて、目の前の人物と監視カメラの人物、そして《書庫》の写真との照合が行われる。結果は、間違いなく一致していた。

 

「さぁて……犯人さんにはあたし達と同じ目に遭ってもらいましょうかね……」

 

 待ってましたとばかりに、佐天と京子が進み出る。眉毛のお返し、ということだろう。その手にはマジックペンが握られていた。

 しかし、いざ眉毛を描き足してやろうと重福の前髪を掻き上げた瞬間、二人の手は止まった。

 どうしたのかと美琴が覗き込もうとしたちょうどその時、重福の目がぱちりと開く。その表情は寝起きのようにぼんやりとしたものだったが、状況を理解するや否や、一気に焦りの色を見せた。

 

「いや……見ないでっ!!」

 

 佐天の手を振り払い、叫びながら後ずさる。重福の手が顔を覆う寸前、美琴の目にも彼女が隠そうとしたものが映った。まるでマジックで描いたような、俗にゲジゲジと例えられる、太い眉毛だった。

 距離をとった重福は、額に手をやったままこちらを睨み付ける。襲いかかってくる様子はないものの、その目には憎悪の色が浮かんでいるように見えた。

 

「……笑いなさいよ」

 

 やがて、重福がぽつりと呟く。小さな声だったが、恨みを孕んでいるのがはっきりと分かる口調だった。

 

「どうしたのよ……見たんでしょ、私の眉毛……あの女と同じように笑えばいいじゃない!!」

 

 最後は半ば叫ぶようだった。意外な迫力に圧倒されて何もできないでいる彼女らを睨み付けたまま、重福は犯行に至った動機を吐露していく。

 彼女には、恋人がいた。その恋人を、常盤台の生徒に奪われたらしいのだ。よりにもよって、彼女が気にしている太い眉毛をからかわれて。

 

「えっと……そんなに気にしてるなら、その、剃ればよかったんじゃ……」

「……無理よ。自分でやったら余計に変になるし、美容室に行けば笑われるに決まってるもの」

 

 やり返す気も失せたのだろう。佐天の声はどこか同情しているような様子だったが、重福は彼女の提案を却下した。どうやら過去に美容師にまで笑われたことがあるらしい。

 どう声を掛ければよいのか分からず、佐天は押し黙る。美琴や、風紀委員の黒子と初春ですら、このまま連行してしまってよいものかと躊躇していた。

 

「……ねえ」

 

 そんな中、口を開いたのは京子だった。

 

「ちょっと、私の知り合いに会ってみない?」

 

 

***

 

 

 《学舎の園》の外、大型デパートや飲食店などが立ち並ぶ大通りの片隅に埋もれるように、その建物は存在していた。

 

「雨宮先輩……その、『知り合い』って……」

「そ。この店の人」

 

 京子に連れられてきたそこは、小さな美容室だった。規模も外装も、大通りでいくつか見かけたそれより地味な、言ってしまえば見劣りするものだった。

 こんな場所に案内して、誰と会わせようとしているのか。『CLOSED』の札が掛かっているのにも構わず、京子は入り口のドアを叩く。やがて、店の中で何かが動く気配があり、黒い帽子を目深に被った金髪の女性が中から顔を出した。

 

「はーい。すいません、今日はやってないんです……って、京子ちゃん?」

「こんにちは、チハルさん」

 

 チハルと呼ばれたその女性は、京子の後ろの面々に目をやり「お友達?」と問い掛ける。京子はこくりと頷き、重福に目をやった。

 

「実は、この子のことで相談があって……」

 

 京子がそう言うと、チハルは屈み込むようにして目線を重福に合わせ、彼女の顔をじっと見つめる。そして「なるほどね」と呟いて姿勢を元に戻した。

 

「あなたが悩んでることは大体わかったわ。とりあえず、店の中で話しましょうか」

 

 案内された店内もまた、これといって特徴のない、一般的な内装だった。壁に取り付けられた鏡と、それに向かい合う形で据えられた椅子とがいくつか。あとは待ち合い用のソファや雑誌が入った棚、観葉植物があるだけだ。

 

「さてと……じゃ、自己紹介でもする?」

 

 振り返ったチハルが、目深に被った帽子を取る。露になった顔は、一言で言ってしまえば『美人』だった。

 黒目がちの大きな目に、ふっくらとした唇。顔のパーツはくっきりと際立っており、色白な肌は金髪に縁取られているせいか、それ自体が輝いているようにも見えた。

 そこで美琴はふと、奇妙な既視感を覚える。初対面の筈なのに、ごく最近、どこかで会ったような感覚があった。

 しかし、彼女の頭に答えが浮かぶ前に、佐天が叫び声を上げていた。

 

「あーっ!」

「どうしたの佐天さん?」

「チハルって……もしかしてあの『ちはる』!?」

「は?」

 

 京子を除く一同は、佐天がなぜ興奮気味なのか分かっていない。誰も自分に同調してこない状況に、佐天は苛立ったように周囲を見回す。やがて本棚から雑誌を一冊取り出し、両手でばっと広げて見せた。

 

「これですよ!『On-on』の読者モデル、『ちはる』!!」

 

 佐天が持ってきたのは、どうやらファッション誌らしい。開かれたページに写る、華やかな服を身に纏った人物を見て、黒子と初春が「あ」と声を上げる。それでもまだ、美琴は『ちはる』が何者なのか理解できないでいた。

 

「……御坂さん、こういう雑誌読まないんですか?」

「読んでるよ。……時々」

 

 どうやらチハルが雑誌に載るほどの人物であるらしいことは判ったが、ファッション誌よりも漫画雑誌に手が伸びる美琴には、彼女がどれほど有名なのか分からなかった。当のチハルは、美琴が知らないことを少しも気にした様子はない。

 

「まあ、私のことはおいといて……あなた」

 

 視線を向けられた重福が、びくりと肩を震わせる。

 

「あなたの悩みは、眉毛。そうよね?」

 

 ずばり言い当てたチハルに、誰もが驚きを隠せなかった。

 だが、よく考えてみれば、不自然なまでに伸ばされた重福の前髪は、見る人が見れば、その下に問題を抱えていると予想するのは難しくないのかもしれない。

 

「はい、じゃあここ座って」

 

 鏡の前の席を回転させ、チハルは促す。重福が恐る恐るそこに腰掛けると、彼女は慣れた手つきで布を巻きはじめた。

 

「重福さん、だっけ?」

「は、はい……」

「ちょっと目瞑ってくれる?」

「……?」

 

 戸惑いながらも、重福は言われた通り瞼を閉じる。それを確認したチハルが、出し抜けに彼女の目を小さめのタオルで覆い隠してしまった。

 

「えっ!?ちょ、何して……」

「終わってからのお楽しみ!」

 

 慌てる重福を宥め、チハルは何故か彼女の眉毛ではなく、髪を整えはじめる。その様子を唖然と見つめていた美琴たちもまた、同じ理由でその場から追い出されてしまった。

 

 

***

 

 

  数分後。

 

「…………うっそぉ」

 

 見知らぬ人物を目の前に、美琴は五人を代表するようにそう呟いた。

 無論、見知らぬ人物ではない。目の前に立っているのは、間違いなく重福省帆である。にも関わらず別人のように見えてしまったのは、手を加えられたのが眉毛だけではなかったからだ。

 目許まで延びていた前髪は額の辺りで切り揃えられ、その下に隠されていた眉毛は『少し太い』程度に剃られている。

 どうしても最初に目についてしまう眉毛がそれほど目立たなくなったせいか、顔全体の印象も先程までと違って見えた。

 チハル曰く、人は他人の顔を見るとき、特徴的な部分があれば、そこ『だけ』に目が行ってしまう。それを利用すれば、最低限の手入れで印象や雰囲気を大きく変えることができる、とのことだ。

 

「カッコいい彼氏見つけて、その眉毛を笑った子を見返しちゃいなさい」

 

 未だ呆然と鏡を覗き込む重福に向かって、チハルは悪戯っぽく笑った。

 

 

***

 

 

 美容院を出た後、重福はそのまま風紀委員の支部へと連行された。

 『連行』といっても支部へと向かう彼女らに重苦しい雰囲気はなく、同情できなくもない動機や謝罪されたこともあって、被害者二人は既に重福を許していた。

 

「はー。なんか、スゴい一日でしたねー」

 

 建物から出ると、空は既に夕闇に染まり始めていた。『風紀委員台一七七支部』と書かれた看板を見ながら、佐天は今日一日を思い返す。

 結局、常盤台中学も学舎の園もろくに見学することは出来なかったが、風紀委員の仕事を手伝うことが出来たし、有名なモデルにも出会えた。スタンガンを喰らったあげく顔に落書きまでされたことを除けば、悪くない一日だった。

 ふと、頭の中に浮かんだ疑問を口に出す。

 

「……でも雨宮先輩、あんなスゴい人とどこで知り合ったんですか?」

「んー……実は、チハルさんって格闘技の達人でね。私も時々、護身術習いに行ってるの」

 

 京子の返答は、答えになっているようでなっていない。二人の会話を聞きながら、美琴もまた、チハルに会った際に覚えた既視感を思い出していた。

 それを感じたのは、チハルの目を見た時だった。大きめの、少しつり上がった目に、どこか見覚えがある。

 

「……御坂さん、どうかしたんですか?」

 

 顔を上げると、眉間に皺を寄せて考え込む美琴を疑問に思ったのか、二人の目がこちらに向いていた。

 

「うーん……あのチハルって人、誰かに似てる気がするのよね……」

「似てる?」

「うん。さっきから考えてたんだけど、全然思い付かなくて……気のせいかな?」

 

 怪訝な顔で訊ねてきた佐天も、美琴の言葉に思案顔になるが、思い当たる節はなさそうだった。やはり、気のせいだったのだろうか。

 

「……気のせいじゃないかもね」

「え?」

 

 美琴の心を読んだかのような言葉は、京子の口から発せられたものだった。見れば、彼女は訳知り顔で口許に笑みを浮かべている。

 

「雨宮さん、心当たりあるの?」

「さあ?それじゃ、帰ろっか!」

 

 深い意味はない、ということだろうか。曖昧に言って京子は歩き出そうとしたが、慌ててその足を止めた。

 

「……っと、忘れるところだった。帰る前にコレ、落としとかなきゃね」

 

 京子が指差したのは、未だ太いままの眉毛だ。バンダナで隠されてはいるが、このままの状態にしておくのは、やはり気が引けたらしい。

 

「……あ」

「どうしたの?御坂さん」

 

 何かを思い出したような声を上げた美琴に、京子は視線を向ける。

 

「いや……あの、黒子から聞いたんだけどね……」

 

 京子と佐天が気絶していた時のことだ。

 美琴は風紀委員たちから事件の詳細を聞き、ある事実を知った。だが、二人が目を覚まし、その後すぐに作戦に移ったことで話す機会をなくし、今の今まで忘れていた。

 それはある意味、とても残酷な事実だった。

 

「実は……そのペン、なんか特別なインクを使ってるらしくって……一週間は消えない、みたい……」

 

 訪れる、沈黙。

 数秒後、二人分の叫び声が、夕闇に染まる学園都市に響き渡った。

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