「……では、我々の仕事はコレの『流通』、というわけですね?」
墨を溢したような漆黒の闇の中、ぽつりと灯る光が一つ。
その発光元である携帯電話に向かって、背広を着た青年は語りかけていた。
〈そうだ。出来るだけ広く、迅速に頼むよ〉
それに応えたのは、およそ人間が発するものとは思えない、奇妙に歪められた声。どうやら、機械で編集されているらしい。
歪んだ声は、続ける。
〈ここまで出来るとは考えていないが……レベル0全員にそれを服用させられれば、僕らは強大な力を手に入れることになる。何せ、彼らはこの街の人口の6割を占めるからね〉
その言葉に、青年は訝しげな顔をする。
「しかし……お言葉ですが、これには欠点があるのでは?これを使って得られるのは────」
〈仮初の力。その通りだ。しかし、僕らの目的は『彼女』と必ずしも同じじゃないんだよ。盗聴されている恐れがあるから詳しくは言えないけど、ね。とにかく、君は広めてくれるだけでいい〉
「そうですか……失礼しました」
〈いや、構わないよ。君が『彼女』の計画まで理解してくれていたのは嬉しい。それから、くれぐれも────〉
「────『死人は出すな』」
青年が続きを紡ぐと、耳元から短い不協和音が聞こえてくる。どうやら笑い声のようだ。
〈そういうことだ。では、いい報告を待っているよ〉
はい、と返事をして通話を切ると、蛍火のような明かりは消え、周囲は闇に支配された。
伸ばした手の先さえも見えない闇の中を、青年は歩き出す。
その手には、小さな音楽プレイヤーが握られていた。
#4 都市伝説
mysteries
「……これは、本当にあったお話です」
薄暗い空間の中、携帯電話のディスプレイに顔を照らされ、おどろおどろしい口調で佐天は語る。そんな彼女を、美琴、黒子、初春、そして京子は、固唾を飲んで見つめていた。
「その日は、やけに蒸し暑い夜でした。帰宅途中だった私は、人気の無い公園を通ったとき、突然、女性に話し掛けられたんです。駅までの道を忘れた、と言っていました。変な人だな、とは思ったんですけど、本当に困っていたようなので、私は道順を説明していました。その途中で、女性は突然────!」
ごくり、と、誰かが喉を鳴らす。そして。
「────服を脱いだんです」
沈黙が、その場を支配した。
「……終わり?」
「はい。……怖くなかったですか?」
全然。と、佐天を除く全員の声が綺麗に揃った。
「……ていうかもう、あっつい!」
そう叫んで美琴が立ち上がった拍子に、五人が被っている暗幕が持ち上がり、床へと落ちる。ばさぁっ、という音と共に、闇に包まれた空間は真昼のファミレスへと姿を変えた。
「わざわざ雰囲気作るまでもなかったわね……」
暗幕を拾い上げて畳みながら、京子は苦笑した。「そうですかぁ?」と佐天は口を尖らせる。
「でも実際、遭遇したら怖くないですか?都市伝説、脱ぎ女!」
「まあ、ビビるとは思うけど、怖いのとはちょっと違うかなぁ」
「都市伝説……というよりも、ただの方向音痴の変質者ですわね」
「むぅ……じゃあ、他のも見てみます?まだまだありますよ!」
期待通りの反応、とはいかず、不服そうな佐天は何度か携帯電話のボタンをいじり、別なページを出す。その様子を、他の四人は額を突き合わせるようにして見ていた。
「使うだけで能力のレベルが上がる『
「大食いシスターって、都市伝説でも何でもないような……」
そんなやりとりを見ながら、黒子は呆れたように溜め息をつく。
「およしなさいな、そんなくだらないサイト。ここは科学の街、学園都市ですのよ?都市伝説なんて非科学的な話、起こるわけありませんの。そう思いませんこと?お姉様」
お姉様?と黒子はもう一度呼び掛けるが、美琴は画面のある一点を凝視したまま動かない。
「佐天さん、このページ開ける?」
やがて、美琴はそこを指差し、言った。彼女の指が示す場所には、『謎に包まれたレベル5・物質変化!』という文字が踊っていた。同じレベル5なだけに、彼女も《物質変化》に興味を持っていたようだ。
「お、御坂さん、お目が高いですねー。ここ、一日に何度も更新されてて、考察スレッドまで立ってるんですよ」
「へぇ……」
興味を示されたことが嬉しいのか、佐天は上機嫌にその場所をクリックする。
表示されたページには確かに、『どんな人物か』『どんな能力か』等が考察されている掲示板が存在したが────その数が尋常ではなく、ざっと見ただけでも100は超えている。全部に目を通すとしたら、半日はかかりそうだ。
さすがにそれを実行する気にはなれず、側にあった『まとめ』なるものをクリックするが、そこでもまた細かい字の羅列が表示される。しかし、似たような意見のグループ化やリスト化が図られており、幾分かは見やすいように思われた。
まあ掲示板の方を見るよりはまし、という気持ちで、五人はそのページを読みはじめた。
「なんていうか……よくまあ、こんなぶっ飛んだ意見が出てくるわね……」
一通り目を通した後、美琴はそう呟いた。
彼女の言う通り、書き込まれた予想は、その大半が突拍子もないもので占められていた。ちょうど今読み終わった『実は人間ではなくロボット』など、まだマシな方だ。
しかし、どんなにぶっ飛んだものでさえ間違っているとは言い切れないのだから始末が悪い。何せ、開示されている情報が能力名だけなのだ。
「でも、これなんてホントっぽくないですか?『実は本人にも知らされていない』とか」
「……何故そう思われたのかはともかく、本人にも知らせないのでしたら、公表する意味がないのではありませんの?」
「そ、それは……あ、雨宮先輩はどう思います?」
黒子のもっともな指摘から逃れるように、佐天は言った。話を振られた京子は顎に指を当て、少し考えてから口を開く。
「んー……想像つかないなぁ。こういう議論、クラスでも結構盛り上がってたけど、私はあんまり参加しなかったんだよね……」
「興味なかったんですか?」
「……正直、あんまり」
初春が訊くと、申し訳なさそうな顔をしてそう言い、京子は慌てて続ける。
「せっかく見せてくれたのに、ごめんね?秋人ならもっと興味持ったんだろうけど……」
「あ、そういえば今日は一緒じゃないんですね、瀬島さん」
意外そうな初春の言葉に、京子は目を丸くする。やがておかしそうに小さく笑いながら言った。
「当たり前でしょ?いくら幼馴染みだからって、四六時中一緒にいたりはしないわよ」
「そういえば――――」
そう言って佐天は、ずい、と京子の方に身を乗り出す。突然の事に、京子は思わずたじろいだ。
「──雨宮先輩って、秋人のこと、どう思ってるんですか?」
顔を輝かせて、佐天はそう訊いてくる。京子が呆気にとられて見回すと、他の三人も似たような表情をしていた。年頃の女の子だけあって、やはりこういう話には興味津々らしい。
「……幼馴染み」
そんな期待を裏切るようにあっさりと言うと、一同はあからさまにがっかりした様子を見せた。あのねぇ、と京子はそんな四人に向かって呆れ気味に言った。
「……まあ、あいつの恋愛事情が気にならないって言ったら嘘になるけど。ていうか、このまま行くと一生彼女とかできそうにないし。そうだなぁ……御坂さん、同い年だし、試しに付き合ってみない?意外と楽しいかもよ?」
息子とのお見合いを薦める母親、といった体で問い掛けられ、美琴はなんとなく、秋人と付き合っている自分を思い浮かべる。横から黒子に「絶対にいけませんわお姉様!」と叫ばれるまでもなく、答えは一つだった。
「…………ありえない」
***
夕暮れ時の学園都市。有名チェーン店のロゴが入った箱を両手に、秋人は上機嫌で歩いていた。
箱の中身は、チョコやイチゴ、きなこに抹茶など、様々な種類のドーナツで、『本日全品半額!』というチラシを見て、大急ぎで買い求めたものだ。無類の甘党である秋人にとって、足を運ばずにはいられないものだったらしい。
どれから食べるかな、と、文字通り甘い妄想に浸る。箱の中に思いを馳せると、それだけで唾が溜まってきそうだ。
……と、緩みきった顔で繰り広げられていた秋人の想像は、側から聞こえてきた騒がしい声に断ち切られる。
何気なくその方向に目を向けた彼の目が、釘付けになった。
騒ぎの中心にいたのは、バケツのような形の掃除ロボットを、べしべしと結構な勢いで叩いている少女──と、それを何とか止めようとしている、眼鏡を掛けた、警備員らしき女性。
それだけでも充分目立っているが、秋人が目を離せずにいたのは、別の理由だった。少女の着ている、服だ。それはまるで────。
(……修道服?)
実物を見たことはなかったが、その人物が着ているのは確かに、神に仕える人々のそれを思い起こさせるものだった。
科学が発展したこの街では、神を信じ仰ぐ人を目にすることは少ない。そのせいか、彼女に注目しているのは秋人だけではなく、他にも何人かが物珍しげな目で彼女を見ているようだった。
「だから、諦めてくださいってば!」
「だってだって、日本には三秒ルールというものがあって、たとえ落としても三秒以内なら拾って食べてもいいって聞いたんだよ!」
「そう言われても、吸い込まれてしまったものは……!」
そんな会話を聞いて、秋人は大体の状況を把握する。
少女が食べ物を落とし、「まだ食べられる!」とそれを拾おうとしたが、先に掃除ロボットに吸い込まれた。大方そんな所だろう。室内ならまだしも、屋外でそのルールを行使しようとするのは如何なものか。
というかそれ以前に、修道女なら禁欲的な生活を送っている筈なのだが、彼女はどう見ても吸い込まれたであろう食べ物に未練たらたらだ。よほど空腹なのか、それとも本物の修道女ではなく、コスプレか何かなのだろうか。
そんなことを考えている間も、依然として状況は変わっていない。このままでは少女はともかく、女性の方が参ってしまうだろう。そう判断して、秋人は声を掛けることにした。
「あのー……どうかしたんですか?」
「……あの子、買ったばっかりのドーナツを落として、掃除ロボに吸い込まれてしまったみたいで……」
突然のことに驚きつつも、女性はちゃんと答えてくれる。やはり、予想していた通りだったようだ。
ドーナツねぇ、と、秋人は両手に提げた荷物を見る。そして片方を、おもむろに顔の高さまで上げた。
「……よかったら、これ食べる?」
微笑みながらそう言うと、未だ恨みがましくロボットを叩いていた少女の手が止まる。
そして目を輝かせながらこちらを向き、秋人は初めて彼女の顔を確認することができた。
歳は秋人と同じか、少し下ぐらいだろう。金色の刺繍が施された純白の衣服のせいか、肌は雪のように白く見え、大きく丸い目は緑色。後ろからはフードで隠れて見えなかったが、長い髪は銀色と、どうやら外国人であるらしい。流暢に日本語を喋ってはいたが。
「……いいの?」
「うん。いいよ」
「ありがとうなんだよ!」
差し出されたドーナツを受け取ると、彼女はぺこりと頭を下げて走っていく。微笑ましげにそれを見る秋人に、申し訳なさそうな顔で女性が話し掛けてきた。
「あの……本当によろしかったんですか?」
「ええ。二つあるし、半額だったし。全然構いませんよ」
笑顔でそう言うと、ようやく女性の表情は晴れる。「じゃあ、俺はこれで」と言って別れようとした――――が、前方を見た秋人は、思わず目を見開く。数メートル先で、走り去っていった筈の少女が、腹を抱えてうずくまっていた。
「どうしたのっ!?」
女性共々、秋人は少女に駆け寄る。呼び掛けても答えない彼女を見て、救急車を呼ぼうと携帯電話に手を掛けたその時、雷鳴のような低いゴロゴロという音が響いた。
が、その音を聞いて、二人が見上げた空は、雲一つない晴天であった。ならば何の音かと、周囲を見回していると、うずくまった少女が唐突に口を開く。
「おなかへった……」
どうやら、先程の音は彼女の腹の虫が鳴く音だったらしい。安心すると共に、二人は顔を見合わせ、苦笑した。
***
「おいしいー!」
近くにあったベンチに座り、ドーナツに舌鼓を打つ少女を見て、秋人は顔を綻ばせた。それにしても凄い食いっぷりである。
「ほんとにありがとうなんだよ!えっと……」
「瀬島秋人。よろしくね」
「あきとかぁ……私はね、インデックスっていうんだよ!」
index[名]目次、目録。
およそ人名には成り得ないであろう単語が、秋人の頭に浮かんだ。
まあ、どうやら外国人らしい彼女だが、英語圏出身とは限らない。そんな名前の人がいる国もあるのだろう、と無理矢理納得し、「インデックスね」と確認するように呟いた。
「……それにしても、綺麗な服だよね、それ。インデックスって、もしかしてシスターさん?」
それとなく話題を変え、秋人は訊ねる。科学の街に、何故シスターらしき人がいるのか。そのことは、彼自身も気になっていた。
口の周りにきな粉を付け、食べかけのドーナツを両手で持ったまま、インデックスは少し考えてから言う。
「うーん……シスターと言えば確かにそうだけど、正確には違うかも」
どういうことだろう。『正確には』と付け足したことから、やはり単なるコスプレなのだろうか。
紡がれた言葉はしかし、秋人の予想の斜め上────というか、遥か上を行っていた。
「私は『魔術師』だからね」
「まじゅ……!?」
思わず、目を見開く。シスターだけでも驚きだというのに、今度は『魔術師』ときた。
混乱しかけた秋人だったが、やがて一つの仮定に辿り着く。それは、彼女が《原石》────学園都市で開発を受ける前から能力を持っていた者かもしれない、ということだ。
本や映画など、ファンタジーの世界に存在する『魔術』と学園都市の『能力』は全く違う、と言う者はいるが、そう言えるのは『能力』が単なる『開発の結果』だと知っているからだ。『外』の人間、とりわけ学園都市の存在すら知らない者からすれば、魔術だろうが超能力だろうがそう変わらない。
もし彼女が《原石》で、学園都市が知られていない国の出身だとしたら、辻褄は合う。彼女の生まれた地域で、そういった不可思議な力が『魔術』と表現されていても、何ら不思議ではない。神職に身を置くのも、おそらく似たような理由だろう。
そんな考えに没入する秋人が自分を疑っていると思ったのか、気付けばインデックスは、見るからに不機嫌な表情になっていた。
「……信じてないでしょ?」
頬を膨らませ、不貞腐れたように言うインデックスに、秋人は慌てて笑顔を見せる。
「……信じるよ。俺も似たようなもんだからね」
ぴん、と伸ばした人差し指の先に小さな火球を灯し、秋人は言った。
学園都市では《原石》も《能力》に定義されるのだが、彼女がそれを『魔術』と呼ぶことを否定する気は、秋人にはなかった。もし予想が当たっているなら、彼女の今までの生き方を否定するようなものだし、自然に生まれた能力なら、どっちで呼ぼうが似たようなものだからだ。
「……ホントに、信じてくれる?」
「ホントだって」
そう言うと、インデックスはぱあっと顔を輝かせ、再びドーナツにかぶりつく。過去に否定されたことがあるのだろうか、その表情には喜びと共に、安堵の色も浮かんでいた。
無邪気に笑顔を浮かべる彼女の姿を見て、彼は、少し罪悪感を覚えた。
『魔術』は信じると言ったが、彼女が仕える主────すなわち『神』を、秋人は微塵も信じていなかったのだ。
***
「……あれ?」
ドーナツを食べ終えたインデックスに別れを告げ、帰路についていた秋人の目に、見覚えのある人物が映った。
常盤台の制服に身を包んだ茶髪の少女──御坂美琴である。
彼女の傍らには、見知らぬ女性がいた。目の下に濃い隈を作った、長髪の女性だ。
その女性と話す彼女が、何やら困ったような表情を浮かべているのに気付いて声を掛ける。
「おーい、御坂ー?」
すると、向こうもこちらに気付いたようで、『こっち来て』と手で合図を出した。
「……知り合いかい?」
「あ……まあ、そんなとこです」
彼が辿り着くと、二人はそんな会話をしていた。「どしたの?」と問いかける秋人に、美琴は言う。
「ちょうどよかった。あんたもちょっと手伝って欲しいんだけど」
「手伝う?」
「そ。この人の道案内」
そう言われて顔を女性の方に向けると、赤い髪を興味深げに見つめていた彼女と目が合い、互いに会釈をした。
木山春生、と名乗ったその女性は、どうやら車をどこに停めたのか忘れてしまい、途方に暮れていたらしい。要するに、駐車場を探しているとのことだ。
停めたのはこの近く、とのことだが、流石にそれだけでは何も分からず、んー、と秋人は唸る。
「駐車場ですか……何か、特徴とか覚えてます?」
「……近くに交差点があった」
「いや、だからそれだけじゃ目印にはなりませんって」
似たようなやりとりがあったのか、木山の挙げた特徴に突っ込む美琴に対し、秋人は腕を組んで考え込む。どうやら心当たりがあるらしい。
「うーん……他に何かありませんか?何でもいいんです。自販機とか、木が植えてあったとか……」
「……ああ、そういえば、自販機はあったような気がするな」
「自販機があった……それって、二つ並んでたりしませんでした?」
「その通りだが……なぜ分かるんだ?」
やけに的確な予想をする秋人に、木山の感情の起伏に乏しい目が、驚きの色を見せる。
そんな木山の声が聞こえていないのか、秋人は『その通り』という言葉を聞いた直後からきつく目を閉じ、何かを思い出すかのようにぶつぶつと呟いていた。
「……分かりました。ついてきてください!」
やがてそう言うと、秋人はさっさと歩いて行ってしまった。
突然の事に、思わず顔を見合わせ、置いていかれた二人は後を追うべく走り出す。幸い彼は急いでいたわけではなく、すぐに追い付くことができた。
自信満々に先行する秋人の後を、半信半疑でついていく事、十数分。
もしかしてこいつ間違えてるんじゃないか、と美琴が思い始めたその時、秋人は唐突に立ち止まって振り返り、言った。
「……ここじゃないですか?」
あ、と、思わず美琴は声を上げる。道中、秋人の背中ばかり見ていたせいで気付かなかったが、駐車場に着いていたのだ。
その入口に並んだ、二つの自動販売機が目に入る。ふと背後を見ると、そこにあったのは交差点。見事に、木山が挙げた特徴に合致していた。
「……ああ、確かにこの駐車場だが――」
「────あんた、なんで分かったのよ!?」
見事に駐車場を当てられ、木山は呆然と呟き、その後を引き継ぐように美琴は訊いた。
大いに照れた様子で、秋人は答える。
「……いや、ここら辺で『近くに交差点』があって、『自販機が二つ並んでる』駐車場って、ここしかないからさ」
「だから、なんであんたがここら辺の駐車場事情を知ってんのよ」
「あー、俺、ときどき学園都市を探索してるんだよ。……別にこれといって目的があるわけじゃないから、散策って言った方がいいのかな?」
「……年寄りかあんたは」
そう美琴に突っ込まれ、そんなにジジ臭いかなぁ、と秋人は苦笑する。
そんな二人の元に、木山が近付いて来る。いつの間にやら自動販売機の方へ行っていたようで、その手にはジュースとおぼしき缶が三本握られていた。
「今日は付き合ってくれてありがとう。これはお礼だ」
「あ、ありがとうございま……熱っ!」
差し出された缶を受け取ろうとして、美琴は手を引っ込める。てっきり冷たいのかと思っていたそれは、思いの外――というか、かなり熱かったのだ。
何の飲み物か、と銘柄を見て、彼女は目を丸くする。
「す、スープカレーって……なんでこんな暑い中!?」
「暑い時は熱い飲み物を摂取したほうがいいんだ。それに、スパイスに含まれる成分には疲労回復の効果がある」
どうやら、あくまで科学的根拠に基づいてのスープカレーであるらしい。確かに効果は期待できるかもしれないが、それを実行するのはさすがに気が引けた。
「いや、理屈は分かる……ような気がしますけど、気分的には冷たいものが飲みたいなぁって……」
ねぇ?と同意を求めるように秋人を見た美琴はぎょっとする。彼は既に缶を開け、喉を鳴らしてスープカレーを飲んでいたのだ。
物凄く、美味そうに。
だが、木山の方はそんな彼に気付いた様子はなく、考え込むようにして言った。
「ふむ、気分か……若い子はそういう基準で選択するんだったな……。買いなおそう、何がいい?」
「いえ……お気持ちだけで結構です……」
缶の中身を半分ほど飲み干した秋人を見て、顔を引きつらせながら美琴がそう言うと、木山は「そうか……」と呟いて近くにあったベンチに座る。
「すまないね。研究ばかりしているせいか、つい理論的に考えてしまう癖が付いているようだ」
スープカレーの缶を開け、中身を一口飲んでから、木山はそう言った。
「研究……学者さんなんですか?あ、よかったらこれどうぞ」
彼女の隣に座りながら、秋人は木山と、同じく腰を下ろした美琴にドーナツの箱を差し出した。
礼を言いつつそれを受け取り、木山は続ける。
「ああ。大脳生理学と……AIM拡散力場を専攻している」
「AIM拡散力場って……能力者が無意識に発している力、ですよね?専用の機械じゃないと測れないぐらい微弱な……」
「その通り。私はその力を応用する研究をしているんだよ」
二人の会話を聞きながら、もしかしたら美味しいのかも、と美琴はスープカレーを飲んでみるが、やはり口に合わず、「うぇ」と変な声を出してしまう。急いでドーナツを口にするも、余計変な味になっただけだった。
と、そこで、あることに気付く。
「……ってことは、能力者に関することには詳しいんですか?」
「詳しいと言うほどではないが……まあ、それなりかな。何か訊きたいことでもあるのかい?」
口の中に残ったカレーの味も忘れ、美琴は何かを期待するように、口を開く。
「あの……《物質変化》のこと、知りたいんですけど」
その言葉に、秋人も興味津々な様子で木山を見た。二人分の視線を浴びながら、彼女は難しい表情を浮かべる。
「物質変化か……すまない、私はよく知らされていないんだ。──いや、私『も』と言ったほうが的確かな」
「他の研究者も知らない、ってことですか?」
「ああ。物質変化に関する情報は機密事項なんだ。研究者どころか、学園都市全体でも一握りの者だけしか、その正体を知らない。《物質変化》本人にも知らされていない、という噂まで流れているぐらいだ」
あ、と美琴は気付く。昼間ファミレスで見た、都市伝説のサイトに掲載されていた噂と同じだ。
「でも……本人に知らせてないんなら、公表する意味がないんじゃないですか?っていうか、いくらなんでも、自分で自分の能力に気付かないってことは……」
「それが、有り得るんだよ。《物質変化》にはね」
黒子が佐天にそうしたように、噂の矛盾点を指摘する美琴。それを遮った木山は、どこか楽しげな顔をしていた。
「……恐らく、物質変化の能力は読んで字のごとく『物質』を『変化』させる、というものだ。どの程度操れるのかは分からないが、仮に物質の三態────固体・液体・気体を操作出来たとしよう」
そこで一拍置き、彼女は人差し指をぴん、と立てる。
「さあ、ここで問題だ。たとえば《物質変化》が、自分を《
授業中に問題を出す教師を彷彿とさせる口調で木山は言い、二人はしばし考え込む。ややあって、美琴が口を開いた。
「自分の能力の……液体に関する部分しか使っていなかった場合、ですか?」
「その通り。私たちはもう少し堅苦しい言葉を使うが、噛み砕いて言えばそういうことだ」
要するに、《物質変化》は能力の一部しか使っておらず、しかもそれが自分の能力の全てだと思い込んでいる、とのことである。
確かに筋は通るが、それはあくまで『予想』だ。仮に当たっていたとしても、何故本人には知らせないまま公表したのかという謎は残る。
秋人がそのことを問い質すと、木山は再び渋い表情になった。
「……すまないが、そっちの方は見当もつかないんだ。研究者側に、何らかの意図があるとは思うんだが……」
「そうですか……」
《物質変化》とは何者なのか。何故、名称以外の情報が執拗なまでに隠されているのか。手掛かりは結局、掴めたようで掴めていない。むしろ、調べようとすればするほど、謎は深まるばかりだ。
「…………しかし、暑いな…………」
静寂を破ったのは、スープカレーを飲み干した木山だった。
「そりゃまあ、こんな暑い中でスープカレーなんて飲めば……」
もっともなことを言いながら横を見た美琴が、そのままの姿勢で固まる。
彼女の視線の先では、木山が、自分の着ているブラウスを脱ぎ始めていたのだ。
「……御坂?どうかし――」
「見るなぁっ!!」
すぐ側で起こった事態に気付かず、中途で言葉を止めた自分を見ようとする秋人に、美琴は飛び掛かり、彼の頭を両手で掴む。
次の瞬間、ぐきん、と鈍い音が鳴り、秋人の頭は無理矢理反対側に向けられた。
「いっだー!ちょ、ちょっと何する゛っ!?」
「いいから、ちょっと、そっち向いてなさい……っ!」
突然の激痛に戸惑い、顔を元の位置に戻そうとする秋人と、それを抑える美琴。
その原因が自分にあるとは全く思っていないようで、下着を露わにした木山は、突然騒ぎ始めた二人を訝しげに眺めていた。
「……どうしたんだい?喧嘩か?」
「あんたはさっさと服を着ろ――っ!!」
叫びながら、美琴は確信した。
木山春生。彼女こそが、昼間のファミレスで佐天が話していた都市伝説の一つ――――『脱ぎ女』その人であると。
***
「……色々とありがとう。大したお礼も出来なくてすまないね」
「いえ。見つかってよかったですよ」
渋々、といった様子でようやくブラウスを着直し、どうやら彼女のものらしい外車に歩み寄りながら申し訳なさそうな顔になる木山に、美琴はそう言った。
その後ろでは、秋人が顔をしかめて首を擦っている。まだ痛みが引いていないらしい。
ガルウイングのドアを開け、木山は車に乗り込む。そして、開いた窓から顔を覗かせ、二人に話し掛けた。
「また会う機会があれば、その時に改めてお礼をさせてもらうよ。それじゃあ、私はこれで」
そう言って、木山は車を出す。走って行く後ろ姿を見つめながら、美琴は深い溜め息をついた。
「なんか……どっと疲れたわね……」
「疲れたどころか、ものすごく痛いんですけど……」
首に手をやったまま恨めしい目付きで自分を見る秋人に、美琴は「だからごめんって」と謝る。随分とぞんざいな言い方だが、彼が本気で怒っているわけではないと、ちゃんと理解してのことだ。
どちらが言い出したわけでもなく、二人はそのまま、並んで帰路についた。
とはいえ、話すことがあるわけでもなく、なんとなく無言になってしまう。しかしそれが苦痛なわけでもなく、かといって居心地がいいわけでもない、微妙な空気だった。
会話が途切れたまま歩いていると、昼間ファミレスで京子に言われたことが甦ってきて、美琴は自分より少し高い位置で揺れる赤い頭を、じっと見つめる。
「…………なに?」
視線を感じたらしく横を向いた秋人は、妙に真剣な目をした美琴と目が合い、少したじろぐ。
その問いに答えることなく、美琴は依然として秋人を見つめ続ける。
数秒の後、彼女はやっと口を開いた。
「…………やっぱり、ありえない」
「え、何が?」
「何でもないわよ。あ、私こっちだから。じゃあねー」
「ちょっと待って!俺いま、何を否定されたの!?」
戸惑う秋人を尻目に、美琴は常盤台中学の寮へ向かって歩いていく。
結局秋人は、今しがた言われたことについて、一晩中悶々とする羽目になった。
***
前方を煌々と照らしていた車のヘッドライトを消し、『彼女』は人通りの無い路地の近くに車を停める。辺りは既に暗闇に包まれており、明かり無しでは足元も見えない程だった。
車から降り、なるべく音を立てないよう、慎重にドアを閉める。その直後、路地の奥の方から、誰かが『彼女』の方に向かって歩いてきた。
「……予定より随分と遅れましたね。何かトラブルでも?」
闇の中から姿を現したのは、黒い背広を着た青年だった。冷ややかな声で問う彼に、『彼女』は答える。
「いや、何でもない。少し、道に迷ってしまってね」
「……まあ、いいでしょう。今日は報告だけですから。次からは気を付けて下さいよ?」
ああ、と『彼女』が頷いたのを確認すると、青年は喋り始めた。
「依頼の件についてですが……本日で使用者が約4千人に到達しました。お望みとあらば、もう少しペースを上げることも可能ですが?」
「……驚いたな……たった一週間で4千人とは……」
「我々の中に、その道に詳しい者がいるもので。それに、『早急に頼む』と言ってきたのは、貴女の方ですよ?」
そう言って薄く笑んでみせ、青年は再び問い掛ける。
「で、どうします?」
「……もう少し、早く頼む。使用者が、能力を悪用し始めている。彼らが捕まれば、いずれ《
「でしょうね。そうなれば、我々としても厄介です。……というわけで、最大限の努力をさせて貰うとしましょう」
それだけ言って立ち去ろうとした青年に、『彼女』は「待ってくれ」と声を掛ける。背を向けたまま頭だけ振り返り、彼は「何か?」と口に出さずに表情だけで訊いた。
「ずっと疑問に思っていたんだが……何故、君達は私に手を貸してくれるんだ?報酬も無しに……」
「我々にとっては、データが報酬ですので」
それに、と青年は付け加える。その口元には、先程とは違う種類の笑みが浮かんでいた。
「……優秀な方の
どこか誇らしげにそう言って、青年は今度こそ、闇の中へと消えていった。