とある科学の物質変化   作:ロボ燕

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#6 幻想御手

 『虚空爆破事件』から数日。

 水穂機構病院の診察室には、頭部を除く上半身のほぼ全てに包帯が巻かれた、秋人の姿があった。

 

「……で、本当に治療した覚えはないのかい?君の友人から聞いた限りでは、それは酷い火傷だったという話だけど?」

 

 額の禿げ上がった高齢の医師が、包帯を手際よく外しながら、診察を続ける。人の良さそうな顔はどことなくカエルに似ており、本人もそれを自覚しているのか、首から下がっているIDカードにはカエルのシールが貼られていた。

 このとぼけた雰囲気の男が、死の淵にいる患者すら救い出し、《冥土返し(ヘブンキャンセラー)》とまで呼ばれる凄腕の医師だということを、秋人は後に知ることになる。

 

「覚えはありませんし、そういう分野はさっぱり……」

「そうじゃなくて、何か能力を使ったんじゃないかと聞いてるんだけどね?」

 

 呆れ気味に言いながら、冥土返しは包帯が解かれて露わになった背中を、小型の顕微鏡で注意深く観察する。

 数日前、『念のため』と入院した際には残っていた僅かな痕は、そこには無い。初めから火傷などしていなかったのではないかとさえ思えるほど、綺麗さっぱり消えていた。

 

「それもないですよ。俺、発火能力者ですから」

「特異体質……というわけでもなさそうだね?」

「……だと、思います」

 

 わざわざ最新鋭の機械まで使って精密検査をしたが、秋人の体に異常な箇所は見られず、謎は解けないままでいる。分かったことといえば、彼が健康そのものであり、退院させることに何の問題もない、ということだけだった。

 やがて、何がなんでも異常な箇所を見つけようとするかのように診察を続けていた冥土返しが、溜め息をついて秋人から離れる。やはり異常はなかったようで、背中に包帯を巻き直してから、彼にTシャツを着るように指示する。

 

「……変わった所は見られなかったけど、無理をしてはいけないよ?少しでも痛みを感じたら、すぐに連絡するように」

「退院、ってことですか?」

「不本意だけどね?……それから念のために、あと二、三日は包帯を巻いたままにしておくこと。いいね?」

 

 

#6 幻想御手

last hope

 

 

「あれ、翔?」

 

 診察室を出て待合室に行くと、そこには椅子に座って雑誌を読んでいる翔がいた。声に気付いて顔を上げると、彼は雑誌を本棚に戻し、秋人の方へ歩み寄ってくる。

 

「よ。もう退院か?」

「うん。もしかして、見舞いに来てくれた?」

「ま、そんなとこだ。……つーか、なんでお前制服なんだよ」

 

 退院直後にも関わらず、秋人が着ているのは学校指定のスラックスとカッターシャツだった。それを見て訝しげに言った翔に、秋人は苦笑混じりに答える。

 

「いや……なんでか分からないけど、昔から京子に『あんたは私服で外に出るな!』ってキツく言われててさ」

「お前、相変わらず京子には頭上がらねえんだな……」

 

 そんな不良みてえな髪してるくせによ、と突っ込みを入れてから、思い出したように翔は言った。

 

「あーそうそう、京子から伝言。『退院したら連絡して』だとよ。シライ……がどうとか言ってたな」

「シライ……?」

 

 京子の言ったらしい『シライ』とは恐らく、黒子のことだろう。となると、先日の虚空爆破事件に関することで何かあるのだろうか。

 怪訝な顔で、秋人はポケットから携帯電話を取り出し、電源を入れる。「病院の中だから」という理由で、入院していた数日間、彼は律儀にも電源を切りっぱなしにしていた。京子が直接電話を掛けてこなかったのはそのためだ。

 

〈もしもーし。秋人ー?もう退院したの?〉

 

 数秒の呼び出し音の後、電話の向こう側で、京子が意外そうな声を上げた。まさか伝言を頼んだその日に退院するとは思ってもいなかったのだろう。

 

「うん。いま病院出たところ。翔から聞いたけど、白井さんがどうかしたの?」

〈すぐには答えられないけど……あんた、これから予定とかある?〉

「これから?いや、特には」

〈了解。じゃあ、もうちょっとしたらまた電話するわねー〉

 

 

***

 

 

 十数分後、再び連絡してきた京子の指示に従い、二人はとあるファミレスの前にいた。

 正確に言えば指示されたのは秋人のみなのだが、「一人で来て」と言われたわけでもないので大丈夫だろう。多分。

 

「秋人!翔!こっちこっち!」

 

 京子の姿を探す二人の耳に、彼女の声が届く。

 京子のいるテーブルには、彼女の他に黒子と初春がいる。やはり風紀委員の事情聴取か何かなのだろう。

 

 翔と二人して京子の隣へ腰掛けると、それを確認した黒子が「では」と切り出した。

 

「話を始める前に、介旅初矢からあなたへ伝言ですの。……『ありがとう』と」

「カイタビ……って、もしかして虚空爆破事件の?」

「犯人、ですの」

 

 どうやら介旅という名前らしい虚空爆破事件の犯人が、気絶した自分を運んでくれたことは、入院中に京子から聞かされていた。彼女には「なに偉そうに説教かましてるのよ」と呆れられたが、彼が自首を考えてくれたことに、思わず目頭が熱くなったものだ。

 

「そっか……。あのさ、俺も介旅さんにお礼言いたいんだけど、直接会えないかな?」

「……それはできませんの」

「あ……やっぱり今は駄目だよね。事件の取り調べとか色々──」

「いえ。そういう問題ではなく……介旅初矢が現在、意識不明の状態だからですの」

「意識不明!?なんでまた……」

「原因は分かっておりませんの。今日来ていただいたのは、彼が取り調べの前に意識を失ってしまったからなのですが……先日の事件に関して、お話を伺っても?」

 

 驚く秋人の言葉を遮るように、黒子は問う。生死に関わるのかどうかだけでも知りたい気持ちはあったが、原因が不明なら訊いても分からないだろうと判断し、彼は頷き返した。

 話した内容は、爆発の直後、初春たちが救急車を呼ぶために秋人から目を離した直後からのことだ。

 追い付いてから気を失うまで、一通りの経緯を話し終えると、黒子は一枚の写真を見せてきた。

 

「……では、あなたが追いかけたのは、間違いなくこの人物ですわね?」

 

 そこに写っているのは、確かに秋人が対峙した眼鏡の少年だった。

 

「うん……この人で間違いない。でも、なんでこんな事?介旅さんは自首してきたんでしょ?」

 

␣頷きながらも、疑問を投げ掛ける。怪訝な顔をする秋人に、黒子は口を開いた。

 

「実は……今回の事件の被害と、《書庫(バンク)》の情報とに食い違いがありますの」

「食い違い?……って、どういう事?」

「《書庫》に登録されている介旅初矢の情報を参照したところ、彼のレベルは2でした。……ですが、今回の被害は明らかに彼のレベルを超えていますの」

 

 大型デパートの一フロアを焼き尽くすほどの爆発を起こすとなれば、レベル4か、ともすればレベル5の所業だ。少なくとも、レベル2の成せる業ではない。

 浮上した矛盾に秋人が首を傾げていると、今度は初春が口を開いた。

 

「一応、このレベルの爆発を起こすことが可能と思われる《量子変速》の能力者は一人いたんです」

 

 そう言って、初春は別の写真を差し出す。介旅とは似ても似つかない、全くの別人の顔がそこに写っていた。

 

「だから、介旅さんは濡れ衣を着せられてるだけで、瀬島さんが追い掛けた犯人はこの人だったんじゃないかって思って、話を聞くことにしたんですけど……この人にはアリバイもありましたし、やっぱり介旅さんで間違いないみたいですね」

 

 目を閉じてもう一度思い返し、秋人は再び頷く。その横で、京子は何かに気付いたように眉をひそめた。

 

「ねえ……こんな事、前にもなかった?こないだの、重福さんの時」

「まさにそれですの。先日、重福省帆の取り調べをしていたところ、突然意識を失って、未だ回復しておりませんの」

「え!?」

「それだけじゃないんです。最近になって起こった超能力による事件の大半が、《書庫》の情報と食い違っていて……しかも、その容疑者の全員が、現在意識不明の状態です」

 

 《書庫》が更新されるのは《身体検査》があったその日だ。つまり、新しい情報になってから一ヶ月も経っていない。その僅かな期間で急激にレベルが上がるなど、明らかに異常だった。

 意識不明になった全員が《身体検査》を受けていなかったとも考えられたが、何人かは所属する学校に確認が取れているらしい。そもそも、《書庫》には最後に《身体検査》を受けた日付が記載される。よって、この可能性も低い。

 

「じゃあ、やっぱり急にレベルが上がったってこと……?」

「……考えにくいですが、今のところそう考えるのが妥当ですの」

 

 少なくとも重福省帆については、目の前でレベルを超えた能力を見せられている。黒子としても、その可能性を真っ向から否定することは出来なかった。

 

「……なんかお前ら、いつの間にか色んな事件に首突っ込んでるな」

 

 いずれの事件にも関わっていないために、ずっと退屈そうに話を聞いていた翔が、横に座る二人を見て口を開いた。

 

「でもよ、急にレベルが上がるなんて、《幻想御手(レベルアッパー)》みたいだな」

 

 誰にともなく言った翔に、視線が集まる。聞き慣れない単語に、秋人は頭に疑問符を浮かべた。

 

「レベ……何それ?」

「知らねぇ?《幻想御手》。使うだけでレベルが上がるってやつ。けっこー噂になってるぜ」

「……そういえば、前に佐天さんがそんなこと話してたっけ」

 

 彼女が語った都市伝説の中に、確かそんなものが混じっていたと、京子は思い返す。一人その噂すら知らない秋人は、首を傾げるばかりだ。

 

「まあ、そういうモノの真偽も含めて、これから専門家の方に話を伺うことになっていますの」

「専門家?」

「ええ。AIM拡散力場を専攻する研究者の方ですわ」

 

 黒子は時間を確認し、「そろそろ時間ですわね」と呟く。まさにその瞬間、入口のドアが開いて、研究者風の人物が入ってきた。

 皺の目立つ白衣を纏い、手入れのされていない髪を揺らしながらこちらに向かってきたその女性は──。

 

「木山さん!?」

「君は……この間の」

 

 表情も生気も乏しい顔に僅かばかり驚きの色を浮かべ、《脱ぎ女》こと木山春生はそう言った。平時よりも1㎜ほど見開かれた目の下には、相変わらず濃い隈が出来ている。

 

「何だ、知り合いか?」

「うん、まあ、ちょっと」

 

 秋人と翔がそんな会話を交わす中、風紀委員2人は立ち上がって木山に頭を下げた。

 

「風紀委員の白井と初春です。本日はご足労おかけして申し訳ございませんの」

「いや、構わないよ。最近頻発している事件について、だったかな?何が出来るかは分からないが、私も出来る限り協力させてもらおう。……ところで」

 

 言葉を切り、木山は窓の方へと顔を向ける。

 

「そこにいるのは、君達の友人かな?」

 

 視線の先には、窓に張り付くようにしてこちらを覗き込む佐天と、その後ろで苦笑いを浮かべる美琴がいた。

 

 

 

***

 

 

「いやー、すいません。なんか知り合いがいっぱい見えたから気になっちゃって」

 

 悪びれた様子もなく、佐天は言う。どうやら彼女と美琴は、互いに一番親しい友人が忙しいために二人で会っていたらしい。

 佐天に《幻想御手》について話を聞くつもりもあったのだろう。溜め息を吐きながらも、黒子は「……まあいいですわ」と呟いた。

 

「黒子、もしかしてこの人が、こないだ病院で言ってた専門家の人?」

「ええ。お姉様もお知り合いでしたの?」

「……ま、まあね……」

 

 言ってから、美琴は秋人をちらりと見やる。目線が合った秋人は、その意図を察して苦笑した。

 そうこうするうちに、黒子は事件の概要を話していく。《常盤台狩り》、《虚空爆破》、そして秋人たちが遭遇した銀行強盗の犯人の中にも、レベルが一致しなかった者がいたらしい。

 聞き終えた木山は腕を組み、考え深げな表情になる。

 

「ふむ……確かにそれは妙だな。短期間で急激にレベルが上がることなど、普通は考えられない」

「ということは、可能性自体はあるんですの?」

「なくはない、と言ったほうが正しいかもしれないな」

 

 黒子の問いに、木山は曖昧な答えを返した。

 

「知っているとは思うが、君たちが能力を発現させるのに必要なのは二つ。演算能力と《自分だけの現実(パーソナルリアリティ)》だ」

 

 《自分だけの現実》。能力の発現の『可能性』を認識し、操る力。言ってしまえば、自分だけの精神世界を創造する力だ。

 

「この二つのうち、発現する能力を左右する《自分だけの現実》を一新すれば、あるいは短期間のうちに強大な能力になるかもしれない。……だが、それは今までの能力とは全く違うものになるはずなんだ」

 

 そもそも、と木山は続ける。

 

「《自分だけの現実》とは、記憶や経験、価値観に感情……すなわち、その人物の全てから構成されるものだ。それを一新するということは、もはや記憶を失うことに近い」

 

 百歩譲ってその方法で新たな能力を身に付けたとしても、記憶を失った人間が復讐に走るはずがない。というのが、木山の見解であった。

 

「……では、元々の能力が強化される、ということは?」

「その場合は演算能力が急激に向上したということになるが……それは不可能だ。どんな薬品を使おうとも、演算能力というものは一日二日で身に付くものではない。脳に代理演算装置でも接続すれば、話は別かもしれないが……」

 

 つまり逆を言えば、その人物自身の演算能力を上げることは不可能だが、何らかの形で演算能力を補うことができれば、レベルが上がった『ように見える』ということだ。

 だが、肝心の方法が不明だった。初春によれば、意識を失った者達を検査したところ、脳に異常は見られず、何かが取り付けられた様子もなかったという。無論、所持品にも怪しげなものはなく、共通しているのは小型の音楽プレイヤーぐらいであった。

 行き詰まる推理。そんな中で口を開いたのは、秋人だった。

 

「……あのさ、やっぱり、さっき言ってたアレじゃないかな?レベ……なんだっけ」

「《幻想御手》、な」

 

 助け船を出した翔に、そうそれ、と秋人は頷く。一方で、「レベル……アッパー?」と呟く木山に、初春が説明をしていた。

 

「最近流行ってる都市伝説ですよ。なんでも、使うだけでレベルが上がるとか」

「……それは、新種の薬品か?」

「そういえば、具体的にどんなモノなのかは聞いてなかったわね」

 

 美琴の言う通り、佐天が初めてその話をした際は、形や性質などを誰も気に留めていなかった。佐天自身も含めて、それがただの噂に過ぎないと思っていたからだ。

 だが、実際に急激なレベルの上昇は起こっている。眉唾ものであった《幻想御手》の都市伝説も、無視するわけにはいかなくなっていた。

 

「佐天さん、《幻想御手》のこと、詳しく教えてくれませんか?」

「あ、う、うん!」

 

 初春の声に応え、佐天は何やら自分のバッグの中を探し始める。それを待つ間、美琴が何気なく呟いた。

 

「そういえばさー、仮に《幻想御手》がホントにあったとしたら、使った人はどうするの?」

「まあ、十中八九非合法なものでしょうし……使った方はもちろん、持っている方も保護……というより拘束するかもしれませんの。これまでの事を考えると、急激にレベルが上がった方々は犯罪に走る傾向にありますので」

 

 何かを探す佐天の動きが、ぴたりと止まった。

 

「……佐天さん?どうかしたの?」

 

 金縛りにかかったように動かない佐天に京子が声をかけると、彼女はびくりと肩を震わせる。振り返ったその顔には、申し訳なさそうな表情が浮かんでいた。

 

 

「……す、すいません……こないだのサイト見せようと思ったんですけど、ケータイ家に忘れてきちゃって……」

「そうなんですか?じゃあ、私のパソコンで……」

「佐天さん、その手に持ってるの、ケータイじゃないの?」

 

 秋人が指摘すると、全員の視線が佐天の手に集まる。その手に握られていたのは携帯電話ではなく、小型の音楽プレーヤーだった。

 

「っ……これは……違うの!その、ケータイと間違えて持ってきちゃったみたいで……」

 

 両手をぶんぶんと振り、佐天は何故か慌てた様子で否定する。その拍子に音楽プレーヤーを持っていない手がグラスを倒し、中身をぶち撒いてしまう。広がっていく水溜まりはテーブルの端から零れ落ち、隣にいた木山のスカートへと滴った。

 

「わーっ!ご、ごめんなさい!」

「木山さん、これで拭いて!」

「ああ、気にしないでいい。着替えれば済むことだ」

「ちょっ、ちょっと!店内で脱がないでくださいまし!」

「あんたは見るなって言ってんでしょーがぁ!!」

「痛っ!?み、見てないだろ!?」

「おお、公開脱衣プレイか」

「俺より先に翔を止めろよっ!」

 

 公衆の面前であるにもかかわらず脱ぎ出す木山と、慌ててそれを止める黒子。美琴から謂れのない目潰しを喰らい、身悶えする秋人。先程までの真面目な雰囲気とは打ってかわり、テーブルが一気に騒がしくなる。

 そんな中、ただ一人京子だけが、無言で佐天を見つめていた。

 

 

***

 

 

「木山さん、本日はありがとうございましたの」

「これからの捜査の参考にさせていただきます」

 

 ファミレスの駐車場、木山のランボルギーニの前で、風紀委員二人が並んで頭を下げる。礼を言われた木山は、無表情な顔に僅かばかり笑みを浮かべた。

 

「いや……私も楽しかったよ。久しぶりに教鞭を振るっていた頃を思い出した」

「え、先生やってたんですか?」

 

 意外そうな顔で、秋人が訊ねる。言われてみれば、彼女は確かに教師を思わせる所作をすることがある。納得すると同時に、まさか生徒の前で脱いだりしてないだろうな、と妙な心配事をした。

 

「ああ……。昔のことだがね」

 

 薄く笑んで、木山は目を閉じる。その表情は過去を懐かしんでいるようでもあり、またどこか寂しげな感情が表れているようにも見えた。

 

「……まあ、何かあったら呼んでくれ。私に出来ることなら、いつでも力を貸そう」

 

 車のエンジンをかけ、木山は去っていった。その後ろ姿が見えなくなると、黒子と初春は秋人たちの方へ向き直る。

 

「では、わたくし達は支部への報告がありますので、お先に失礼しますの」

「みなさんも、今日はありがとうございました」

 

 ぺこりと頭を下げ、風紀委員二人は歩いていく。

 なんとなくそれを見ていた秋人の肩に、ぽんと手が置かれる。振り返ればそこには、携帯電話を手にした翔がいた。

 

「……悪り。先輩から呼び出し来たから、俺ももう行くわ」

「先輩……って、何の?」

「人生の」

 

 真面目に言っているのか冗談で言っているのか。しれっと言った彼の表情から、読み取ることは出来なかった。

 呆気に取られる秋人に軽く手を挙げ、翔は去っていく。ふと気付けば、いつの間にか佐天と京子まで姿を消している。

 思いがけず取り残される形となった二人が、互いに顔を見合わせた。

 

 

 

***

 

 

 

「御坂はさ、どう思う?」

 

 並んで歩く道すがら、秋人は唐突に切り出した。『何を』の部分が抜けていたことに気付き、慌てて「《幻想御手》のこと」と付け足す。

 

「どうって……そりゃ悪いことだと思うわよ。そもそも合法なものだったら、初めから学園都市が実験に使ってるでしょ」

 

 怪訝な顔をしつつもきっぱりと言い切った彼女に対し、秋人は考え込むような表情でぽつりと呟く。

 

「そっか。……やっぱり、悪いことなんだろうなー」

「どうしたのよ。まさか使ってみたいとか考えてるわけ?」

 

 彼がレベル5を目指していることは、京子から聞いていた。その理由までは聞かなかったが、血の滲むような努力を重ねていることは、彼の現在のレベルを見れば明らかだ。自身もレベル1からの出発だった美琴には、それが事実であると容易く理解できる。

 その『努力』とは、手段を選ばないという意味だったのだろうか?

 無意識のうちに、非難するような顔になる。刺すような視線を感じて美琴の方を見た秋人は、困ったような笑みを浮かべた。

 

「いや、そういうわけじゃないんだけど……なんて言うか、使いたくなる気持ちもわからなくはないな、って思って」

 

 超能力を開発する、といっても、開発を受けた全員が能力を持てるわけではない。木山の語った通り、《自分だけの現実》と演算能力によって、どんな能力が発現するか、そもそも能力が発現するか否かが決まる。

 開発を受けた者は能力の発現の有無、そして能力そのものの強さや稀少さによって強度レベルが決められる。より強力で珍しい能力を持てば研究者や学校から持て囃され、逆の場合は言わずもがなだ。

 ――それも拍車をかけているのだろう。高位のレベルの者は低い者を、能力者は無能力者を、見下す傾向にあった。秋人が《幻想御手》をはっきりと否定できないでいるのも、実際にその事情があるからだ。

 

「それにさ、《幻想御手》が危険だって言われてるのは、犯罪に使われてるかもしれないからだろ?逆に言えば、人助けに使う分には何も問題ないんじゃないかな」

「……まあ、そうかもしれないけどさ」

 

 強い口調で詰め寄られたわけでも、自分の言葉を全否定されたわけでもない。にもかかわらず、美琴は先程までのように、すぐには『悪』だと断言できなかった。

 しばらく考えてから、再び口を開く。

 

「でも……やっぱり保護するべきだと思うわよ。《虚空爆破》の威力、あんたが一番分かってるでしょ?使ったのがいい奴だろうと悪い奴だろうと、それだけの危険物かもしれないのに変わりはないの」

 

 言いながらも、しかし美琴は、それが絶対に正しいとは思うことが出来なかった。秋人の言葉通り、《幻想御手》を使った疑いのある者が人助けをしていたなら、風紀委員も危険視はしなかったかもしれないと、薄々思い始めていたからだ。

 

 《幻想御手》の正体が不明な以上──あるいは判明したとしても、それを行使するのが正しいのかどうかは、誰にも断定できないのかもしれなかった。

 

「っていうか……今さらだけど、あんた退院するの早すぎじゃない?あんな火傷して、どうやったら一週間も経たずに出てこれんのよ」

 

 重苦しくなってしまった雰囲気を誤魔化すように、美琴は幾分か大きい声で訊ねる。突然の事に秋人はきょとんとした表情になるが、彼女の気遣いを察したのか、すぐに普段通りの調子に戻る。

 

「あぁ、火傷?いや、俺も気付かないうちに治ってて……病院の先生にも分からないみたいなんだ」

「……何それ、あんた本当は《多重能力者(デュアルスキル)》なんじゃないの?」

 

 そんな会話を繰り広げながら歩くうちに、二人の声は僅かながら明るさを取り戻していた。

 

 

***

 

 

 走る。

 ただ走る。

 誰に追われているわけでもない。それでも彼女は、何かから逃げるように走り続けていた。

 人気のない路地裏に入り、袋小路に行き当たってようやく、彼女は足を止める。自らの口から漏れる荒い呼吸が、やけに大きく聞こえた。

 膝に手をついて乱れた呼吸を整えていると、不意にポケットの中から音が聞こえだす。携帯電話を取り出した彼女は、表示された相手の名前に、思わず体を強張らせた。

 

「やっぱり、ホントは持ってたんだね、ケータイ」

 

 背後から、声がする。振り向けばそこには、今しがた目にした名前の人物が立っていた。

 携帯電話を片手に彼女の行く手を塞ぐように立ち、京子は真剣な眼差しを彼女に向けてくる。

 

「……佐天さん、どうして『持ってない』なんて嘘ついたの?」

 

 怒りを向けられても、責められているわけでもない。京子はごく普通に訊ねているだけだ。

 それでも佐天は、思わず後ずさる。心臓の鼓動が高鳴るのは、走ったことだけが原因ではない。

 

「……よく考えてみれば変だった。あの時、都市伝説のサイトを見るんなら、最初から目の前にある初春のパソコンを使えばよかったのに、どうしてケータイで見ようと思ったの?」

 

 距離をとった佐天に合わせるように、京子は足を踏み出す。

 

「っ……あ、れは……」

 

 口の中が渇く。何か言わなければと思っても、焦りとパニックに陥り、うまく舌が回らない。

 

 何も言えずにいる佐天に向かって、京子は再び言葉を投げかける。

 

「わざわざケータイを使う必要はないって、佐天さんも分かってたはず。おまけに、探したのはケータイがないはずのバッグの中……本当は別のものを探してたんじゃない?」

 

 そして、決定的な一言を口にする。

 

「《幻想御手》、持ってるよね」

「……!!」

 

 携帯電話を握る手に、力が込もる。その反応で、京子は自らが言ったことが真実だと確信した。

 

「白井さんの話、聞いてたでしょ?それは危険なの。早く風紀委員に提出しましょう?」

 

 手を伸ばし、諭すように言いながら、京子はさらに踏み出す。しかし、今度は佐天が、それに合わせるように後ずさった。

 

「拘束されるかもって、気にしてる?大丈夫よ、自分から提出すれば、佐天さんが犯罪なんてするはずないって、白井さんも初春も──」

 

 言い切らないうちに、京子は気付く。先程からずっとこちらを直視しようとしない佐天の目に、怯えとは別の感情が混じっていることに。

 

「……まさか……使いたいって思ってるの?」

 

 返事は、なかった。

 唇を結んで地面を見つめ、佐天は黙り込む。逃げようと思えば逃げられるはずだが、彼女はそうしようとはしなかった。

 

「……能力が欲しいと思うことって、そんなに悪いことですか……?」

 

 ややあって、固く閉じられていた口から、小さな声が零れた。目線を下に落としたまま、佐天は続ける。

 

「本当は、ずっと羨ましかったんですよ……あたしと同じくらいの歳で、あたしよりも後に学園都市に来た人達が、みんな色んな能力を持ってる。それに比べてあたしは、スプーン一本ろくに曲げられない……。

能力を持ってる人達が羨ましくて──悔しかったんです」

 

 佐天は両手で、抱き締めるように携帯電話を握る。

 

「ここに初めて来たときのこと、今でもはっきり思い出せます。『どんな能力なのかな』とか、『空を飛んでみたいな』とか……そんなことばっかり考えて、自分が超能力者になること、楽しみにしてました。……だけど──」

 

 彼女が初めて受け取った、《身体測定》の結果を記した紙に書かれていたのは、『無能力者(LEVEL0)』。無感情に、機械的に印刷されたその文字列は、彼女が何の力も持っていないことを告げていた。

 

「それでも、諦めたくなかった……。諦めたら、期待してくれてる親に申し訳ないと思って、頑張ってきた……」

 

 固く閉じられた手を、そっと開く。彼女が握りしめていたのは携帯電話ではなく、正確にはストラップとして付けられたお守りだった。

 それは刺繍もなければ文字もない、一目で手作りとわかるものだった。しかし、じっと見つめていると、作り手の心遣いが伝わってくるような暖かい感情を覚える。おそらく、彼女の家族から贈られたものだろう。

 

「……でも……もう限界です……」

 

 俯いていた顔を上げ、佐天は初めて京子と目を合わせる。その目には、強い意思が宿っていた。

 

「あたしには……もう《幻想御手》しかないんです……!」

 

 こちらを見つめるひたむきな眼差しを、京子は知っている。『約束』の為に強さを求めんとする、秋人と同じ目だ。

 

「……佐天さんの気持ちは分かるよ」

 

 言いながら、京子は幼馴染みの顔を思い浮かべる。

 しかし──

 

「だけど、使わせるわけにはいかない」

 

 ──それとこれとは話が別だ。

 

「……重福さんに、《虚空爆破》の犯人。もしあの二人が《幻想御手》を使ってたとしたら……わかるでしょ?二人と同じように、意識不明になるかもしれない」

「で、でもそれは、何かの偶然かも……」

「もし一生目覚めないってことになったとしても、そんなこと言える?」

 

 きっぱりと言い放たれ、佐天は口をつぐむ。しかし、彼女から諦めた様子が見えないことを悟ると、京子は溜め息を一つこぼした。

 

「……わかったわ」

 

 警告は、した。それで佐天がどう考えるかは、彼女自身の問題だ。

 だが、立ち去る前に、やっておかなければならないことがある。

 

「……《幻想御手》を取り上げたりはしないし、佐天さんが持ってることも言わない。……けど、風紀委員には協力する。だから、私にも《幻想御手》をちょうだい」

「……え!?」

 

 『取り上げない。けど、ちょうだい』。一見矛盾するその言葉の意味を、佐天と京子だけは理解していた。

 

「佐天さんから初めてその話を聞いたとき、私も興味を持って、少し調べてみたの。正直信じられない情報ばっかりだったけど、佐天さんを見てて確信した」

 

 驚きを隠せない佐天に、京子は告げる。

 

「《幻想御手》の正体は──」

 

 続く言葉は、路地裏の外の喧騒に掻き消された。

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