──どうしてこうなった?
吹き飛ばされ、中空を舞いながら、秋人はぼんやりとそんなことを考えた。直後、体が地面に叩きつけられ、全身を鈍い痛みが襲う。
何度か転がった先で、痛みと熱に呻きながらどうにか体を起こす。押さえた腹部には、打撃痕と共に焦げ跡が残っていた。
地面に片膝を突いた姿勢で顔を上げた秋人の見つめる先では、巨大な紅蓮の炎が渦を巻き、周囲の建物の壁を舐めるように焼き続けている。
その炎の中心に、先ほど彼を吹き飛ばした張本人はいた。
否、この場に満ちる熱気の発生源、それが彼女だった。全身に鎧の如く炎を纏ったその人物は、今なお無尽蔵に炎を発し、辺りを灼熱地獄と化している。
あまりの熱量に、もはや周囲一帯の水分はほとんど残っていない。顎を伝って滴る汗が、地面に落ちる前に水蒸気と化した。
陽炎の向こうで、彼女の姿が揺らめく。その光景は、秋人の中に形成された彼女のイメージが崩れていく様を──彼女はもう秋人の知っている人物ではないということを、表しているかのようだった。
そう、彼女は、秋人がよく知る人物だった。だからこそ、戸惑っている。彼女が向けてくる、渦巻く炎とは対称的にひどく冷たく、憎悪と怒りの混じった視線に。
と、その身に纏った炎の鎧と共に、彼女が走り出す。轟音を上げ、足元を黒く焼き焦がしながら向かってくる巨大な炎塊を前に、秋人は無言で呼び掛けた。
どうしてだよ────京子。
#7 姿無き敵
phantom menace
数時間前。
学生寮の入り口から、整えたばかりの髪型を気にする秋人が姿を現した。隣にいる翔と話しながら、彼らは50mほど離れた場所にある建物へと歩いていく。
蘇芳坂中学の学生寮には、三つの棟が存在する。『男子棟』と『女子棟』、それら二つに挟まれるような形の『共同棟』だ。
男子棟と女子棟には、それぞれ別の寮監がおり、容易に行き来することは出来ない。そこで、健全な形で生徒同士の交流を促すためにあるのが共同棟だ。この棟は、二つの寮からほぼ同じ距離にあり、もっぱら待ち合わせや食事に利用されている。
それだけでなく、手続きをすれば他校の生徒も入ることができ、場合によっては学校間の交流イベントを開催することも可能、という触れ込みである。
そういうわけで、秋人と翔の二人も例に漏れず、この場所で待ち合わせをしていた。
到着すると、ほどなくしてやって来たのは京子だ。挨拶もそこそこに、三人は歩き出す。
「なんか、久し振りな気がするなー。この三人で集まるの」
「まあ、なんだかんだで色々あったしね」
特に用があって待ち合わせたわけではなかった。ただ何となく、三人でどこかへ食べにいこう、という話になっただけだ。
ここ最近で様々な知り合いが出来たからだろうか、秋人は三人だけで過ごすことに妙な懐かしさを覚えていた。
それは他の二人も同様で、結局は三人が三人、昔からの友人と過ごしたい気持ちがあったのかもしれなかった。話によれば、翔もここ数日は『先輩』とその知り合いに会うことが多かったらしい。
「そういえば京子……こないだファミレス行ったとき、いつの間に帰ったんだよ?」
《虚空爆破》の事情聴取やその他諸々の話を終えてファミレスから出た後、ふと気付くと京子の姿が見えなかったことを思い出し、秋人は訊ねる。あーあの時ね、と、京子は口を開いた。
「実は、あそこに来るまでに美味しそうなケーキ屋見つけてさー、佐天さんと一緒に買いに行ってたのよ」
「え……ケーキ!?」
すぐさま反応を示した秋人を、翔が「甘党め」と笑う。嘘をついているとは夢にも思っていないその様子に、京子は若干の罪悪感を覚えた。
「ま、結局売り切れちゃったんだけどね。……心配しなくても今度連れてってあげるから」
顔を明るくして頷いた秋人に、京子は翔を真似て「甘党め」と呟き、笑みをこぼした。
「……ていうか、そーいうあんたは何やってたのよ?初春と白井さんは風紀委員の支部に戻って、私と佐天さんはケーキ屋。で、翔は先輩のところに行ったわけだから……御坂さんと二人っきりだったんでしょ?」
「え、何。お前、御坂サンとそういう関係なわけ?」
にやにやと笑みを浮かべながら訊ねられ、秋人は思わず口ごもる。
「べ、別に……話しながら一緒に帰っただけだよ」
考えてみれば、今まで京子以外の女の子と二人きりになったことがなかったことに気付き、秋人の顔は僅かに赤くなる。それを別な意味で解釈した二人は、なおも追求を続けてきた。
「とかなんとか言って、実はいい雰囲気になってたんじゃないの?ファミレスでも意味ありげに目配せなんてしちゃってたし」
「……気付いてたのかよ……」
「話題は?なに話したんだよ?」
「ファミレスの話の続きだよ。《幻想御手》のこと」
「うっわ、つまんない奴……」
あからさまに肩を落とした京子と、呆れ顔になる翔。そんな二人を見て、今度は秋人が溜め息をついた。
「……だから、御坂とはほんとに何もないんだって。たまたま残ったのが俺たちだったってだけで……ていうか、京子たちが勝手にいなくなったんだろ?」
聞いているのかいないのか、京子はやれやれといった表情でかぶりを振る。
「ダメね、せっかく女の子と二人っきりになったのにそんなんじゃ。もっと積極的になりなさいよ」
「……あのさ。二人とも、俺と御坂をどうしたいわけ?」
本気なのか、ただ面白がっているだけなのか。勝手に話を進めていく京子と翔に、秋人はまたしても溜め息をついた。
そんな会話を繰り広げるうち、話題はいつしか《幻想御手》のことになっていた。
「それにしても変だよね、あれだけ事件が起きてるのに、手掛かりゼロだなんて」
「だな。まあ、まだ《幻想御手》が関わってるって決まったわけじゃねえけど」
翔の指摘に、それもそうか、と秋人は頷いた。
《虚空爆破事件》から二週間あまり。黒子と初春の所属する第一七七支部を始めとして、風紀委員も《幻想御手》の調査に乗り出しているが、その全容は未だに掴めていない。
そもそも、その存在はあくまで噂にすぎない筈だが、専門家を以てしても他に手掛かりが見つからないのが現状である。
全く未知の存在だが、《幻想御手》が絡んでいると見てしまっていいだろう。というのが風紀委員や警備員の見解だった。
「でも、共通点はあるみたいじゃない?『レベルの不一致』と、『捕まった後に意識不明なること』以外に」
口を挟んできた京子に、そういえば、と思い返す。初春によれば、犯人の所持品に共通しているものがある、とのことだった。
その共通点とは、携帯電話と小型の音楽プレイヤー。それら二つを同時に持ち歩いていることなど、さして珍しいことではないものだった。学生の街・学園都市となれば尚更である。
それを指摘されると、京子は逆に問い質してきた。
「そういう『持ってて当たり前の物』が、《幻想御手》だったとしたら?」
「……え?」
意表を突いた言葉に、秋人は呆気にとられた表情になる。それに構わず、京子は言葉を重ねていく。
「だからさ、薬とか変な機械とか、そういう『いかにも』な物だったら、誰が見たって絶対に気付くでしょ?そうじゃなくて、持ってても不自然じゃない形だから何も手掛かりがないんじゃない?ってこと」
京子の意見には、確かにと思わせる説得力があった。誰もが持っているような物が《幻想御手》だったとしたら、人前で堂々と使っていても怪しまれることはない。
そこまでは、秋人も納得できた。が、そこから先は考えれば考えるほどわけが分からなくなってくる。
意識不明になった者達には、いずれも薬物を摂取した形跡は見られなかった。残る可能性は携帯電話と音楽プレーヤーだが、《幻想御手》が代理演算装置だとするなら、両者とも可能性は低い。その名の通り演算を代理するという特性上、脳と直接繋がっていないと意味がないからだ。
脳から耳の穴までコードを繋ぎ、イヤホンに偽装したプラグをそこに差し込んで代理演算装置を繋げる。というやり方なら可能かもしれないが、無論彼らにそんな装置は取り付けられてはいなかった。
「あとは、音楽プレーヤーの中のデータか……」
秋人が眉間に皺を作って呟く。彼の横で、京子が一瞬だけ身を強張らせるような様子を見せた。
「つっても、プレーヤー自体は普通なんだから、入ってるのは音楽データなわけだろ?音楽だけで演算能力が上がるって、どういう原理だよそれ?」
顔をしかめるようにして、翔は言った。
「そう考えるのももっともだけどさ、今まで無かったものなんだから、原理なんて考えてもしょうがないでしょ?」
原理がわからなかろうがなんだろうが、見つけて解析すればわかるんだから。京子はそう返し、少し間を置いて再び口を開いた。
「まぁ、それまでは……魔法か何かだとでも思うしかないんじゃない?」
「……そんな身も蓋もない……」
言いかけて、秋人は言葉を止める。『魔法』という単語に、引っ掛かるものがあった。
魔法──『魔術』。少し考えた後、唐突に頭をよぎったのは、純白の衣装を纏った、銀髪の少女だった。
「ん?どうした?」
「何か気付いたの?」
「あ……いや、別に」
自称『魔術師』。少女──インデックスはそう名乗っていた。満面の笑みでドーナツを頬張るインデックスの姿が、口許の食べかすまでありありと思い浮かぶ。
特異なように思える名前も素性も、秋人は自分なりに解釈して納得していた。が、考えてみれば、科学の支配するこの街の住人からすれば、彼女は十二分に怪しい部類に入るはずだった。
と、そこまで考えて、彼は自分がまったく根拠もなくインデックスを疑っていることに気付く。
これじゃただの当てずっぽうだよなぁ、と、秋人は首を振り、思考を中断した。
***
風紀委員第一七七支部の一角では、初春と黒子が傷の手当てをしていた。
黒子の隣に座った初春が、救急箱から消毒液を取り出し、蓋を開ける。鼻をつく独特な臭いに、黒子は顔をしかめた。
「はい、じゃあちょっと染みますよー」
消毒液を染み込ませた脱脂綿をピンセットでつまみ、初春は黒子の、先程できたばかりの生傷を拭う。『ちょっと染みる』どころではなかったのか、傷口に脱脂綿が触れるたび、彼女は小さな悲鳴を上げて肩をびくつかせていた。
「いっ……!も、もう少し優しく出来ませんの、初春!?」
「無茶言わないでくださいよー。御坂さんの電撃に比べれば、どうってことないじゃないですか」
「わかってないですわね……。お姉様の電撃は愛のムチ!どれだけ辛くとも、お姉様の愛ゆえだと思えば黒子はへっちゃらですの!」
「……電撃は効果なしって御坂さんに言っときますね」
少なくともそのムチに愛はこもっていない。初春は内心そう思いながら、恍惚とした表情で語り始めた黒子を適当にあしらい、消毒した傷に手際よく包帯を巻きはじめる。比較的怪我の度合いが軽そうな箇所にも、絆創膏を貼っていった。
このところ、《幻想御手》の使用者──と思われる者達による犯罪は、増加の一途を辿っていた。黒子の負傷も、つい先程発生した銀行強盗を鎮圧する際、犯人グループの中にいた念能力者と戦ったためにできたものだ。
通報があった事件の大半は解決し、犯人も確保されているものの、未だ《幻想御手》に繋がる手掛かりは発見されていない。それどころか、最近は犯罪に関わっていない者まで意識不明になる始末だった。
「おはよー」
「あ、おはようございます、御坂さん」
大方の手当てが済んだ頃、部屋に入ってきたのは美琴だった。救急箱を片付けながら、「今日はどうしたんですか?」と初春が問い掛ける。
「うん。捜査が難航してるみたいだから、私も何か──」
「お姉さまぁぁぁぁぁ!!」
空間移動で飛び付いてきた黒子を、すんでのところでかわす。目標を見失ったツインテールの少女は、ものの見事に扉に激突し、鈍い音を部屋中に響かせた。
「──何か力になれないかなって思って」
ずるずると床に落ちる黒子を一瞬だけ見やってから、美琴は何事もなかったかのように続け、初春の向かい側のソファに腰を降ろした。
「そう……ですね。御坂さんに手伝って貰えると、私たちも心強いです!」
「あはは……あ、ありがと」
協力を申し出たのは自分だが、そこまで力強く言われてしまうと、さすがに美琴も照れ入るしかなかった。
「……で、解析の方はどうなってるの?」
照れ笑いを浮かべそうになる顔を引き締め、美琴は訊ねる。いつの間にか復活していた黒子が、それに答えた。
「今回解析したのは、携帯電話と音楽プレーヤー。いずれも、犯人が犯行時に身に付けていた物ですの」
さすがにこんな場面ではじゃれつく気にもなれないらしい。美琴の隣に座った黒子は、真面目そのものの表情をしていた。
「メーカーも製造年月日もバラバラ。内部のデータにも、特別変わったものはありませんの」
「手掛かりゼロ、ってことか……」
「いえ、それが……」
黒子が何か言いかけた、その時だった。入り口のドアが再び開き、別な人物が姿を見せた。
入ってきたのは、すらりとした細身の少年だった。身長は、美琴よりも高い。無造作に伸びた黒髪が目許を隠しており、顔から年齢を窺い知ることはできなかった。
「あ、おはようございます、
「おはようございます。そちらの方は……お客さんですか?」
霧生と呼ばれたその人物は、美琴を見て訊ねる。少年と青年の中間のような声から判断して、自分より一つか二つ年上だろうか、と美琴は当たりをつけた。
初春が、霧生に美琴の紹介をする。目の前の人物が《超電磁砲》その人だと聞いて驚いた様子を見せつつ、彼は改めて名乗った。
「初めまして。
「はぁ……どうも」
不思議な印象の少年だった。これだけ近くに来ても、彼の浮かべた笑みが本心からなのか、はたまた作られたものなのか判別がつかない。表情がわからないのは、前髪で目許が隠されていることだけが原因ではないだろう。
極めつけは、服装だ。もうすぐ八月に入ろうというこの暑さの中で、彼はなぜか、首まできっちりと学ランのボタンを留めていた。
一通り自己紹介を終えた後、霧生は自分の机に座る。何やら作業を始めた彼を横目に見つつ、美琴は小声で訊ねた。
「ねぇ……あんな人、いたっけ?」
「ずっと前からいますよ。私と同じ、情報解析担当です」
「先日は非番でしたから、お姉さまが知らないのも無理はないですわ」
「……それならいいんだけど……」
ちらりと目線を移すと、キーボードの上で忙しなく指を動かす霧生が目に入った。拭いきれない違和感を抱きつつ、美琴は話を変える。
「ところで黒子、あんたさっき何か言いかけてなかった?」
「ええ。音楽プレーヤーに関して、妙な点がありましたの」
言葉を切り、黒子は初春に目で合図する。ここから先は初春の担当、ということだろう。
「データそのものは何の変哲もない音楽ファイルだったんですけど……データが消された形跡があるんです。それも、全員の音楽プレーヤーに」
「消された?そりゃ音楽プレーヤーなんだし、データを整理するぐらいは……」
「消されたのは、いずれも事件の当日なんです。これから事件を起こそうって人が、そんなことを考えますか?」
考えてみれば、確かに妙だ。その行為が犯人にとって特別な意味を持っていたか、もしくは犯罪のプロならいざ知らず、普通の人間ならそんなことを考える余裕はない。
つまりは、そのデータは『削除しなければならないものだった』という線が浮かび上がってくる。
「……じゃあ、それが《幻想御手》だったってこと?」
補助演算装置などといった特殊な機械を想像していた美琴には、信じ難いことだった。だが、他に手掛かりになりそうなものはない。
「はい。犯行があったその日にデータを削除する理由なんて、それ以外に考えられません」
「ですけど、やっぱり妙じゃありませんの?犯行の日に削除するだなんて、まるで捕まるのを予期していたみたいですの」
証拠隠滅を図ることそれ自体は不自然ではない。だが、中には風紀委員の捜査の網を掻い潜り、何件も犯行を重ねていた者もいる。そういった人物が、確保される時に限って証拠を消しているとは、考えにくいことだった。
不自然な点は、まだある。少なくとも重福省帆と介旅初矢に限っては、自首する形で事件を終えたのだ。
確保されてから音楽プレーヤーを操作する時間はあったが、罪を認めた彼らが証拠隠滅を試みたりするだろうか。──そんなことは、あってほしくない。
「……ねえ。その、データが削除されたのって、事件の日の何時ごろなの?」
それだけでも確かめたくて、美琴は問いかける。それが自分達に捕まる前の時間だったら、彼らの罪を認めた気持ちは嘘ではないとわかるからだ。
だが、帰ってきたのは意外な言葉だった。
「……正確な時間については、わかりません」
「え?」
「ですけど、犯人の持ち物は、確保してからはこちらで厳重に保管しています。操作するとなったら、その前ということに──」
「ちょ、ちょっと待って。時間が分からない?」
「はい。本体の操作記録に残っていたのは、内容と日付だけです。それ以上は記録されないみたいです」
「……どうなさいましたの?お姉様」
美琴は応えない。押し黙った彼女の脳内では、ある仮定が組み上げられつつあった。
「……わかった……」
ややあって、呟く。誰に向かって言ったわけでもない小さな声はしかし、確信を持ったものだった。
「その消されたデータが《幻想御手》なのは間違いない。問題は、消された時間よ」
「時間、ですか?」
「正確な時間まで考える必要はないの。大事なのは、タイミング。削除されたのが犯人が確保される『前』か『後』か、よ」
「それこそ考えるまでもないんじゃありませんの?犯人が操作できるのは、確保される『前』しかないわけですから」
「……そう。普通に考えればね」
意味ありげに言った美琴に、二人の眉間には皺が刻まれた。
黒子が、そして初春が先ほど言った通り、犯人は確保されてからは機械に指一本触れることが出来ない。そんな状況下でデータを消すことが不可能なのは、誰が見ても明らかだった。
──
「私が考えたのはこう。犯人には共犯者がいた。その犯人が逮捕されて《幻想御手》のデータ入りの音楽プレーヤーが回収されると、その共犯者が中身を調べられる前に《幻想御手》を削除する。機械の操作記録には日付しか残らないから、共犯者がいるなんて知る由もない私たちは、犯人が自分でやったと勝手に考える……。これなら説明がつくでしょ?」
「確かに、不可能とは言い切れないですわね……」
だが黒子は、しばらく考え込むと、やがて首を横に振った。
「……ですが、お姉様の考えだと、全員に共犯者がいないと成立しませんの。さすがにそれは無理がありますわ」
「それに、仮にそうだったとしても、機械に直接触れないのは同じじゃないですか」
「でも、いるのよ。全部の条件をクリアする人間が」
犯人全員と関わりを持ち、かつ風紀委員に回収された後にも機械に触れることができる。そんな人物が本当にいるのだろうか?
疑問符を浮かべる二人に向かって、美琴は宣言した。
「──風紀委員よ」
三人の口から、言葉が消えた。
聞こえるのは、先程から途切れることなく響いている、霧生の指がキーボードを叩く音だけ。それを認識すると同時に、他の風紀委員に聞かれると不都合なことを発言したと気付き、三人は慌てて顔を寄せ合った。
「や、ヤバい?もしかして今の聞かれた?」
「聞かれたらまずいとお分かりなら、最初から声を抑えてくださいまし!」
「仕方ないでしょ!?なんかテンション上がっちゃったんだから!」
「ちょ、ちょっとだけ、見てみましょうか?そ~っと……」
小声で言い交わし、ゆっくりと霧生の方へ視線を向ける。視界に映った少年は、ヘッドホンを付けて作業しており、幸いにも美琴の発言に気づいた様子はなかった。
ほっと胸を撫で下ろした三人は、再び額を突き合わせて話し始めた。
「……で、どういうことですの?『風紀委員に共犯者がいる』とは?」
「共犯者って言い方は微妙かもしれないわね。とにかく、《幻想御手》が私達に知られたらマズいって思うような奴が、上がってきた証拠を消してるってことよ」
「……確かに、納得できますね。納得したくありませんけど……」
黒子や初春がその考えに至らなかったのも無理はない。何故ならそれは、他ならぬ仲間を疑うことになるからだ。
「とにかく、そいつを捕まえれば、《幻想御手》を流してる奴か……うまくいけば《制作者》に辿り着けるかもしれないわね」
「……では、この件はわたくしと初春以外には内密ということに……」
「何が秘密なの?」
突然聞こえてきた声に、三人はソファから数㎝は飛び上がるほど驚き、悲鳴を上げる。発生源に顔を向けてみれば、そこに居たのは固法美偉だった。
「ここっ、こ、固法先輩……」
「びっ……ビックリさせないで下さいよもう……」
「し、心臓が飛び出るかと思いましたわ……」
「うふふ。ごめんなさいね。妙に真剣な顔で内緒話してたように見えたから」
引きつった顔に冷や汗を浮かべ、口々に言った三人に、固法は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「……で、何の話だったの?」
再びの質問に、三人は口ごもる。まさか『《幻想御手》の件に風紀委員が関わってるんじゃないかって疑ってました』などと言えるはずもない。
「こ……恋バナですよ、恋バナ!」
気まずい時間が流れる中、唐突に声を上げたのは、初春だった。
冷や汗をだらだらと流しながら、不自然なほど明るい声で言った彼女に、美琴と黒子も調子を合わせ、何度も首を縦に振る。固法は一瞬、不思議そうな顔になったが、すぐに得心がいった表情になった。
「ああ……それ、もしかして御坂さんの?」
「はい、そうで……はいぃ!?」
話を合わせかけた美琴が素っ頓狂な声を上げる。何故そこで自分の名前が出てくるのか。黒子と初春も、かなり驚いた様子で美琴を凝視している。特に黒子は、まだ誰かも分からない相手に対して敵意剥き出しの形相だった。
「あら、違うの?この間、赤い髪の男の子と仲良さそうに歩いてたから、てっきり」
まず間違いなく、秋人のことだ。
確かに彼と歩いていたのは事実だが、仲がいいかどうかは微妙なところだった。かといって悪いわけでもなく、『悪くない』とも違うような気がする。
とにかく、固法の想像するような関係ではないことを主張しようとする。そんな美琴の耳に、地の底から響いてくるようなおぞましい声が届き、そちらに気をとられて口をつぐんだ。
「お……お姉様と……二人で……?」
声の主は、言うまでもない。
「あ……あンのチャラ男ぉぉぉぉぉお!!お姉様と……お姉様と、ふ、二人きりで並んで歩くなど、1,000,000年早いですの!!!」
ソファの上に立ち上がり、黒子は叫ぶ。目に物騒な光を宿し、何やら殺気のようなものを身に纏ったその姿は、さながら飢えた獣のようだ。顎が外れるほど開かれた口から、ずらりと並んだ牙が見えた気がした。
「……まあ、見た目は確かにチャラいけど……あいつのチャラ男要素って、それだけじゃない?」
黒子の勢いに若干引きつつ、美琴が言う。何か思う所があったのか、初春もそれに同調した。
「ですよねー。真面目だし優しいし、見た目と全然違いますよね、瀬島さん」
「そうそう。なんであんな似合わない髪型してるんだろ……ってそういう話じゃなくて!とにかく──」
黒子の凄まじい勢いに呑まれ、関係を否定するのをすっかり忘れていた。「目を覚ましてくださいまし!あんなチャラ男、お姉さまには似合いませんの!!」と、涙と鼻水にまみれた顔でがくがくと肩を揺すってくる黒子を裏拳で沈めつつ、美琴は一気に言いきった。
「──とにかく、私はあいつとは何でもないから!あいつはこの話に無関係です!」
「あら、そうなの……」
何故か残念そうな顔をする固法。だが、誤解が解けたことにほっと一息をついたのも束の間、彼女は再び「じゃあ、誰の話だったの?」と問い掛けてきた。
上手い作り話が浮かばず、三人は再び焦り出す。あのまま、秋人との関係を問い詰められていたことにすればよかったのではないか、と思い始めた、その時だった。
〈全風紀委員に通達。第七学区フードコートにて、能力者による盗難事件発生。周囲の風紀委員は直ちに現場に──〉
部屋の中に鳴り響いた警報音。次いで流れてきた放送を耳にするや否や、美琴はソファから勢いよく立ち上がり、これ幸いと部屋を飛び出していった。
「へ?あ、ちょっ!?な、何をするつもりですのお姉様ぁー!?」
遅れて、黒子がそれを追い掛けていく。
慌ただしく出ていった二人は、ドアが閉まる直前に初春の携帯電話が鳴ったことも──そして、ヘッドホンをつけて作業をしていた霧生が、表情の読めない顔に僅かな笑みを浮かべていたことにも、気付くことはなかった。
***
「ひ……ひったくりです!誰か捕まえて!!」
突如として上がった悲鳴に、秋人と翔は反射的に顔を向けた。
第七学区のフードコートにあるカフェテリア。秋人たちが軽めの食事を摂ろうと、店先に設置された席の一つに座った矢先の出来事だった。
視界に映ったのは、横転したスクーターと、その下敷きになった女性。そして、女性のものらしきハンドバッグを持って逃亡する、見るからに柄の悪い男。
動けずにはいるものの、女性の方に大きな怪我はないようだった。弾かれたように立ち上がった秋人は、犯人の方を追うことにする。ほぼ同時に、翔が立ち上がった。
「風紀委員にはどうすんだ?」
「通報してる暇なんてない!」
「京子は?」
「後で説明!」
注文を済ませた後、店内のトイレに寄った京子は、まだ帰ってきてはいなかった。手短に言葉を交わし、二人は走り出す。
スクーターの横転で道路はパニックに陥り、辺り一帯は立ち往生する羽目になった車のクラクションの演奏会場と化していた。その中を、犯人は堂々と駆け抜けていく。
後を追う秋人が、掌に発生させた火球を、犯人の進路目掛けて投げつける。数歩先の地面から火柱が上がるのを見て、犯人はたたらを踏んだ。
距離を詰めつつ、秋人達は叫ぶ。
「そこまでだっ!」
「大人しく投降しろ!」
大きく舌打ちし、ひったくり犯はこちらを振り向く。逆立てた短い金髪の、目付きの悪い男だった。耳に、鼻に、眉に、見る者を威嚇するように大きなピアスを付けている。
「なんだてめえら……風紀委員か?」
低い声で、脅すように不良は言う。
「違う。善意の一般人だ」
「お前、こんな時まで真面目だねぇ……」
風紀委員ということにしておけばいいものを、どこまでも正直な返答に、翔は呆れた顔をする。それに構わず、秋人は犯人に向かって再び口を開いた。
「風紀委員かどうかなんて関係ない。とにかくそのバッグを返せ」
そうは言ったものの、秋人自身、犯人が素直に説得に応じるとは考えていなかった。
だから、続く犯人の言葉に、驚かざるを得なかった。
「……わーったよ。返すよ。返しゃいいんだろ」
苦々しげに吐き捨て、少年はバッグを持った右手を差し出す。よく見るとバッグは握られているのではなく、手から少し離れた所に浮かんでいた。どうやら
「え……そ、そう。素直に返してもらえるんなら……」
あっさりと降参した犯人に拍子抜けしながら、秋人は差し出されたバッグを受け取ろうと踏み出す。
その瞬間、異変が起こった。
犯人が握り拳を開くと、それに呼応するかのように、宙に浮いたバッグが落下を始める。地面に到達するかしないかのうちに、犯人は両手を、胸の高さで左右に広げ、何かを掴むような動作をした。
「──伏せろ秋人っ!!」
切羽詰まった声色に従い、秋人は反射的に身を臥せる。その瞬間、視界の端で、犯人が広げた腕を勢い良く交差させるのが見えた。
左右から、風を切る音が聞こえる。
直後、飛来した何かが秋人の頭上で衝突し、ぞっとするような音を立てた。屈み込んだ秋人に降り注いだのは、粉々に砕けたコンクリートの破片。左右を見渡すと、通りに並び立つビルの壁の一部が抉り取られたようになっていた。
「お前……最初から騙すつもりだったな!?」
「たりめーだろうが!返せって言われてハイそーですかって返す奴がいると思ってんのか!?」
「……それは俺も同意するわ、秋人」
嘲笑うように、犯人はピアスだらけの顔を歪ませ、再び腕を広げる。持ち上げる動作に合わせて、地面のアスファルトが次々に剥がれていった。
臨戦体勢を取った瞬間、無数の石礫が、二人に襲いかかった。
***
「おまたせ~……って、あれ?」
店内から出てきた京子は、カフェテラスを見渡して首を捻る。外の席で待っている筈の秋人たちが、どこにもいない。
携帯電話を取り出そうとして、彼女は周囲の異変に気付く。数メートル先にある交差点の付近で、何台もの車が立ち往生していた。うち数台は、明らかに前方の車を避けようとした向きのまま固まっている。
「すいません、何かあったんですか?」
店の中からわざわざ出てきた客と共に、その様子を不安げに見ていた従業員の女性に訊ねる。
「なんでも、引ったくりがあったらしいですよ。スクーターで走っている最中に被害に遭って、その人が転倒してしまってこうなったとか……」
そういえば、と、女性は付け足す。
「引ったくりがあってすぐ、お客様と一緒にいた方たちが、どこかへ走っていったようですが……」
「あいつら……」
京子は頭を押さえ、呻くように言った。大方、犯人を追い掛けていったのだろう。主に秋人が。
大体の方向を訊き、京子は走り出した。
横断歩道にまで侵入している車の間をすり抜けつつ、秋人たちの行方を追う。
二人の居場所は、さして苦労もせずに分かった。途中、大勢の人々が血相を変えて走っているのを目撃し、逆方向に行ってみると、まさにそこにいたのだ。
辿り着いたそこでは、予想以上に激しい戦闘が繰り広げられていた。
金髪を逆立てた目付きの悪い男が腕を振り回すたび、アスファルトや歩道の石畳が剥がれ、二人に襲い掛かる。秋人と翔は二手に別れ、運転手が危機を感じて乗り捨てたらしい車を盾に、その猛攻をしのいでいた。
「秋人!」
攻めあぐねている二人に協力しようと、京子は自分に近いところにいる秋人に呼び掛ける。自分が加われば、決定打を与えられずにいる状況を、打破できずとも変えることが出来るかもしれない。
そう、思っていた。そして、秋人もまたそう考えるだろうと、思っていた。
だが、京子の姿を認めた秋人が、血相を変えて発した言葉は、彼女の予想に反したものだった。
「──バカ!来るな!!」
(え)
投げ掛けられた言葉を理解できず、京子は足を止める。直後、彼女に気付いた男が腕を薙ぎ、アスファルトの破片が飛来する。
放たれたはずの弾丸はしかし、彼女には当たらなかった。到達する寸前、京子の前に秋人が立ち塞がり、巨大な火球をぶつけて全て吹き飛ばしたのだ。
「秋人、私」
「いいから退がれ!!」
短く言って、秋人は再び迫り来る破片を撃ち落とした。
──否定された。
その事実に、呆然と立ち尽くす。
否定されたのだ。親友に。今までずっと一緒にいた幼馴染みに。『お前は役立たずだ』と、言われたような気がした。
目の前で起こっている筈の激しい戦闘。それが今は、ひどく遠いもののように感じる。ほんの数歩先にいるだけの秋人との間に、海溝よりも深い裂け目があるかのようだった。
そんな感覚に耐えられず、気づけば京子は、背を向けて走り出していた。
***
「おい、秋人」
至近距離から聞こえてきた声に、秋人の肩がびくりと跳ねる。いつの間にか、翔が近くにいた。
「あいつの能力、何か分かったか?」
「……ああ」
頷き返し、秋人は犯人を車越しに睨んだ。逃げても無駄だと判断したのか、犯人は執拗に攻撃を続けている。
「あいつの能力は、たぶん念動力の一種……特徴は、モノを動かせる範囲が腕の延長線上に限られてるってこと。射程は、10メートルちょいぐらい」
名称は《
「それから、持ち上げたり引っこ抜いたりする力にも限界があるみたいだ。今のところ、一番重そうなのはバス停の看板──」
「いつまで隠れてんだコラァ!!」
怒号と共に、重い衝撃が伝わってくる。頭上を見上げれば、車の屋根になにやら四角いものがめり込んでいた。転がり出た缶ジュースを見て、それが自動販売機だと理解する。
「……記録更新」
冷や汗を流しながらも、冗談めかして翔が呟いた。
「でもまあ、対処できない能力じゃあなさそうだな。秋人、お前、しばらくあいつの注意を引けるか?」
「……何するつもり?」
訝しげな顔をした秋人に、翔はにやりと笑ってみせた。
「俺の能力で決める」
***
「……やっと出てきやがったな。相棒はどうした?」
車の陰から、秋人がゆっくりと姿を現す。野蛮な笑みを浮かべた犯人に、秋人はきっぱりと返した。
「帰ったよ」
直後、犯人は嘲るような笑い声を上げた。
「『帰った』だァ!?『逃げた』の間違いじゃねぇの!?たいしたダチだなぁオイ!」
「逃げたんじゃない。『必要ないから帰った』んだ」
なおも高笑いを続ける犯人に、秋人は人差し指を突き付ける。そして、決然と言い放った。
「お前の能力は見切った。あとは俺一人で十分だ」
高笑いが、ぴたりと止んだ。嘲るような表情が一転、その顔は怒りに染まっていく。額に、ぴしりと青筋が浮かんだ。
「ほーぉ、そーかそーか……」
呟きながら、腕を広げる。先程よりも多くの破片が、《念動伸腕》で持ち上げられていく。
「……じゃあやってみろよっ!!」
広げた腕を、挟み込むように交差させる。無数の石片が、その動きに連動して秋人に殺到した。
腕の高さを瞬時に目測し、秋人は前方に倒れ込むようにして弾丸を避け、なおかつ両手に発生させた火球で、その1/3ほどを吹き飛ばす。《念動伸腕》のからくりさえ分かってしまえば、避けるのはそう難しくはない。
犯人の方もそれを理解したのか、今度は楽団を前にした指揮者のように、上下左右に腕を振り回し始める。正確さより、量で攻撃することを選んだようだ。
状況は明らかに犯人に有利だった。今は避け続けられているが、いずれは秋人の体力の方が先に底をつく。現に今、彼の呼吸は乱れ始めていた。
と、今まで回避一辺倒だった秋人が、動きを変えた。地を蹴り後ろに跳び、犯人と距離をとる。かと思うと、くるりと踵を返し、一目散に駆け出した。
「逃がすかよ!!」
離れていく背中に向かって叫び、犯人は両腕を頭上に突き上げた。掲げた腕の先で、バラバラに動いていたアスファルトの破片が、球状に集まっていく。そして両手を祈るように組み合わせると、勢いよく振り下ろした。
迫り来る石片の集合体を肩越しに確認し、秋人は横っ飛びにそれを避け、立ち上がると同時に、転がりながら発生させた火球を、自分の足元に向けて投げ付けた。
轟音が上がり、周囲に土煙がもうもうと立ち込める。秋人の姿が、その向こうに完全に覆い隠された。
「それで隠れたつもりか?ナメんじゃねぇ!!」
言いながら、犯人は腕を振り回す。あちこちに散らばった石片が、再び彼の体の一部となった。
白くなった視界が晴れていく。薄れた煙の向こう側に、ひときわ目立つ赤い髪が見えた。
「くたばれクソガキ!!」
勝利を確信した笑いを浮かべ、犯人は人影に向けて攻撃の体勢をとる。
その背後から風を切る音がしていることに、彼は気付いていなかった。
ゴツッ。という鈍い音を立てて、犯人の後頭部に、拳大の石が命中した。体勢を立て直す間もなく、犯人は目を回してうつ伏せに倒れる。浮かんでいた無数の石片が、彼を追うように地面に落ちた。
その光景を、側面が一部の隙もなくへこんだ車の屋根に登って眺める人物がいた。
土埃が完全に晴れると、彼は倒れた犯人に向かって、拳銃の形にした指を突き付ける。
「
得意気な笑いを浮かべて、翔はそう言った。
***
爆音もクラクションも聞こえない所に来てもなお、彼女は走り続ける。
足を止められなかった。いや、止めたくなかった。止まってしまえば、締め付けられるような苦痛で、胸が壊れてしまいそうだったから。
それでもやはり、体力の限界は訪れる。脇腹に刺すような痛みを感じ、京子はようやく走るのをやめた。
手近な建物の壁に寄り掛かり、荒れた呼吸を整える。そのままずるずると地べたに座ってしまいたくなるのを、何とか堪えた。
心臓の鼓動が落ち着いてくるにつれて、先ほどの感覚がよみがえってくる。
この感情を覚えるのは、実は初めてではなかった。
小学校時代、いつものようにいじめに遭った秋人が、初めて助けを求めずに、いじめっ子に立ち向かったことを知った時。
身体中擦り傷と痣だらけで、おまけに現場を見られて先生にこってり搾られ──それでも秋人は、絶対に泣くまいと顔をくしゃくしゃにして耐えていた。その表情に、気弱で内気な少年の影が消えているのを見て、京子は初めてその感情を覚えた。
中学に入ってすぐの時。
校則に染髪の規制が無いことを知るや否や、入学式の次の日に、秋人は髪を赤く染めて登校してきた。いくら問い質しても「イメチェン」としか答えなかったため、その理由は今日まで不明のままだ。
この感覚の正体を、京子は知っている。それは決して恋心などではない。現に自分には翔という恋人がいる。翔に対して抱くような感情は、秋人には一度たりとも抱いたことはない。
この感情は──『寂しさ』だ。
秋人が変わっていくのは、いいことであるはずだった。だが京子は、秋人が強くなろうとするのを喜びながらも、心の何処かで不安感を抱いていた。それが何に対する不安だったのか、今なら分かる。
彼女は、ずっと恐れていたのだ。秋人が強くなったことで肩を並べられなくなるのが、追い掛けても永遠に追い付けない存在になってしまうことが、恐かったのだ。
そのことに気付いたのは皮肉にも、自分と秋人との力の差を──レベルの差を感じた時だった。
膝についた手に、ぽたりと何かが落ちる感覚があった。空を見上げても雨が降っている様子はない。そこで初めて、京子は自分が泣いていることに気付いた。
自覚してしまうと、涙を止めることが出来なくなった。顔を覆い隠すこともせず、京子はとうとう地面に座り込んでしまう。
悔しさ、寂しさ、悲しみ、怒り──様々な感情がない交ぜになった涙を、流し続けた。
どれくらい、そうしていただろうか。不意に聞こえた軽薄な声に、京子は顔を上げる。
声の主はすぐに見つかった。ビルとビルの間の道で、見るからに柄の悪い高校生ぐらいの少年が数人、女子中学生を壁に押し付けるようにして絡んでいる。
助けなきゃ。そう思って立ち上がりながらも、京子は自らに対して問い掛けた。
──自分に何ができる?と。
護身術を習っているとはいえ、男子高校生数人を相手にして、どちらに分があるかなど火を見るより明らかだった。
だが京子は、その問いに対する答えを、既に持っていた。ポケットの中で、無意識のうちに固く握り締めていた。
(……ごめん、佐天さん)
心の中で、京子は佐天に謝った。
(私、佐天さんに偉そうなこと言う資格なんてなかったみたい)
それでも、このまま秋人たちの背中を見続けるくらいなら。胸を張って友人だと言えなくなるぐらいなら──。
流れる涙を乱暴に拭い、京子は決然とした面持ちで、耳にイヤホンを差し込んだ。
***
「……で、犯人を気絶させたのはどちらですの?」
不機嫌さを隠そうともせずに黒子が言うと、秋人と翔は顔を見合わせる。そして翔が「俺っス」と挙手した。
犯人の後頭部に石を命中させたのは、翔の能力だった。《
とはいえ、犯人の射程を考えると、普通に攻撃すれば叩き落とされる可能性が高かった。だから秋人が注意を引き付ける必要があったのだ。
犯人を昏倒させるまでの経緯を詳しく聞いた後、黒子は警備員との現場の調査に戻っていった。
離れていく背中を見て、秋人は安堵の溜め息をつく。彼女は現場に到着して秋人の姿を認めるなり、妙に敵意のこもった視線を向けてきたのだ。殺意だったのかもしれないが。
「……俺、何かしたかなぁ」
「自分の胸に聞いてみたら?」
誰にともなくぼやいた秋人に、背後から美琴の声がかかった。振り向いてみれば、彼女は腕を組み、不機嫌な目つきでこちらを見つめていた。
「……俺、何かした?」
『黒子に対して』と、『美琴に対して』。二つの意味を持って、秋人は不安げな顔で同じ言葉を繰り返した。
「だから自分で考えなさいっての。……ったく、こっちはあんたのせいで変な疑いかけられたんだからね」
ばっさりと切り捨て、美琴は疲れたような声で言った。
どんな疑いだよ、と秋人は訊ねようとするも、それは叶わなかった。口を開きかけたその瞬間、二人の間に割り込むように黒子が空間転移してきたのだ。
「今回の事件の調査はすべて終了しましたわ。事件解決にご協力いただきありがとうございましたの。もう帰って結構ですわよ」
一息に言って、黒子はずいと一歩踏み出してくる。口調こそ丁寧で、顔には笑顔さえ浮かべていたが、纏った殺気は先程より三割ほど増していた。
「あの、白井さ」
「どうぞお引き取り下さい、ですの」
「いや、だか」
「お・ひ・き・と・り・く・だ・さ・い、ですの」
語気を強めつつも、あくまで黒子は丁寧な口調で言う。彼女の本音に訳し直せば「いいからさっさと失せろ」といった所だろうか。その右手が太股に巻かれたベルトの鉄杭をつがえているのを見て、秋人は思わず一歩退いた。
と、黒子の携帯電話に着信が入る。彼女は秋人を軽く睨んでから電話に出た。
「……はい……ええ……分かりました。直ちに向かいますの」
二言三言、短く交わして通話を終え、黒子は携帯電話をポケットに仕舞った。その背後で、美琴が怪訝な顔をする。
「どうしたの?何かあった?」
「……この近くで能力者の喧嘩だそうですわ。まったく次から次へと……」
「現場は?」
「ここから第八学区の方向に行ったところですの……って、ちょっと!?」
さりげなく訊ねた秋人に、思わず返答してしまう。黒子がそれに気付いた時には、秋人は既に走っていた。ほぼ同時に走り出したのか、美琴がそれに並び、少し遅れて翔が続く。
黒子は自分の不注意に舌打ちし、三人の後を追い始めた。
***
喧嘩しているのは発火能力者だ、と、先を走る二人は半ば確信していた。
その根拠は、暑さだ。黒子の言った方向に走ってしばらくすると、二人の肌にうっすらと汗が浮かんだ。それは決して運動が原因ではない。自分達が感じているのが『暑さ』というより『熱さ』だということに、彼らは気付いた。
辺りを見渡してみると、喧嘩の現場らしき場所を発見した。ビルとビルの間の道らしき場所に、陽炎が見える。
警戒しつつ、秋人はそこへ急ぐ。
そして、路地の入り口に立った瞬間。吹き飛んできた大きくて重い物体に、彼は撥ね飛ばされ、背中から地面に倒れた。
「ちょっと、大丈夫!?」
駆け寄ってきた美琴に答えようとして、秋人は気付く。彼の上に覆い被さっているのは、人間だった。気絶しているのか、その男は時折呻き声を上げるだけで、立ち上がる様子はない。
「うぉわぁぁぁっ!!」
「じょ、冗談じゃねー!!」
熱風と共に、路地から二人の男が飛び出してきた。どうやら男の仲間らしかったが、彼らは怯えきった顔で気絶した仲間を助け起こそうともせずに逃げていった。
「何だってのよ、まったく……っ!!」
そこまで言って、美琴は今しがた人が飛び出してきた方を見やる。そして、その先を凝視したまま、固まった。彼女が何を見ているのか、男が邪魔で秋人には全く分からない。
「おいおい、大丈夫かよ秋人……!?」
「お姉様もお二方も、勝手な行動は慎ん……で…………」
三人が三人、同じ光景を見て、言葉を失っていた。
渾身の力を込めて、なんとか男を自分の上からどかし、秋人はようやく立ち上がる。誰も助け起こそうとしなかったことに文句の一つでも言おうと、三人の背中に向けて口を開きかけた。
そして、絶句した。
まず見えたのは、巨大な炎だ。日当たりの悪いその路地が、隅まで煌々と照らされるほどの大きさを持った、渦を巻く炎だった。
その中心に、少女がいた。
「…………なんで…………」
呆然と開いた口から、辛うじてその言葉だけが発せられた。
その声が聞こえたのか、少女は伏せていた顔をゆっくりと上げる。一つに纏められた髪が、彼女の首の後ろで、陽炎のようにゆらゆらと揺れていた。
自分を凝視したまま何も出来なくなっている四人を、京子はただ静かに見つめ返していた。