雷門中のベータちゃん!   作:もちごめさん

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風丸のポジションがFWに変わっています。
彼がDFであることに違和感を感じていたのは私だけでないはず…


後編

 あの日、円堂さんに、サッカーに情熱を抱いていたころの自分を想起させられた時から、この高揚感に似たもやは胸の内にあった。

 

 円堂さんたちの姿を見て、きっと懐かしさでも感じたのだろう。サッカーに飽きる前の、ボールを見るだけでワクワクしていたあの頃を思い出して、それを彼らと重ねているのだ。何の疑いもなく、私はそう思っていた。

 

 だから私は夕暮れの橋の上で、彼、豪炎寺修也に「サッカーに飽きているようには見えない」と困惑された時、次の瞬間自身がそれを笑って否定するものだと思っていた。「くだらない。そんなわけないじゃないですか」と一笑に付すものだと、理性で澄んだ思考でそう確信していた。

 

 しかし、そうはならなかった。彼の言葉が聴覚野を叩いた直後、私は大どらを鳴らしたかのような激しい衝撃を受けていた。

 

 とても笑い飛ばせない。そんな気が一瞬で吹き飛んでしまうような、すさまじい雷撃が、その時私を貫いたのだ。

 

 豪炎寺さんが指摘したこととはつまり、私は深層心理ではサッカーを嫌っていないのではないか、ということ。今の私も、過去の私のようにサッカーの楽しさを感じることができるかもしれない、ということだ。

 

 そのことに気付いた瞬間の、この衝撃。理性的に考えればただの与太話でしかないこの可能性が、私の心の奥深くで微かに熱を醸し出した。封じ込めたものが、衝撃で歪んだ隙間からちらりと顔を見せているような、そんな気がした。

 

 えもいわれぬその感情は、その場で直視するにはあまりにも不可解だった。私はその感情を抱えたまま家に逃げ帰り、一晩眠ってようやく疑問を自覚したのだ。

 

 私はサッカーに対して、本当に失望感を感じているのだろうか。

 

 今までずっと、私はサッカーを楽しいものだと認識できなくなっていた。しかし、人から見るとどうやらそうではないらしく、その評価に私も心のどこかで、恐らく同調している。

 

 サッカーを好く気持ちと嫌う気持ち。二つのその感情は、同時には存在しえないものだ。

 

 どちらかが偽物なのだ。

 

 いや、言い直そう。知りたいのは真偽ではなく、

 

 今の私がサッカーを楽しめるかどうか。

 

 あの充足感を、また再び感じたい。情熱も何もない空虚な毎日はもう飽き飽きなのだ。

 

 

 

 

 

 そのことを、私はずっと考えていた。そんな私にとって、たった今円堂さんよりもたらされた提案は、まさに渡りに船だったのだ。

 

「今回限りの助っ人でもいいからさ、明日の帝国学園との練習試合、一緒に戦ってほしいんだ。頼むよベータ」

 

 帰り際、円堂さんが校門前で待ち伏せしていて、あえなく発見されてしまった私は、彼に両手を合わせて拝まれていた。

 

 彼がこんな行動に出る理由は言わずもがな、一週間ほど前に突然決まった練習試合。しかも相手が少年サッカー界最強との呼び声高い帝国学園で、にもかかわらず負けたらサッカー部が廃部になってしまうという背水の陣。おまけに部員が彼含め七人しかおらず、彼が部員を求めて校内外を駆けずり回っているというのは周知の事実であった。

 

 もう後がない彼の標的に私が選ばれることはそうおかしくない。それにしては嫌にギリギリのタイミングだが、まあそれはどうでもいい。恐らく秋さんの遠慮だろう。

 

 最終的に疑問を証明する機会が訪れたのだから、彼ら彼女らの思惑など関係がないことだ。

 

「いいですよ」

 

 飾らず端的に言うと、円堂さんがばね仕掛けのように顔を上げ、あからさまに信じられないというふうに呟いた。

 

「……マジで?」

 

「はい。マジです」

 

 みるみるうちに表情が明るくなってゆき、やがて彼は爆発した。

 

「ぃやったあああぁぁぁ!!これで十一人そろった!試合ができるぞおおおぉぉぉ!!」

 

 拳を突き上げて全身で喜びを表現する彼に便乗して私も適当な笑顔を纏い、「ただし」と付け加える。

 

「背番号はどうでもいいですけど、ユニフォームは新品のものをお願いしますね?それが条件です」

 

「ああ!新品だな、任せてくれ!」

 

 本当に任せて大丈夫なのか心配になるほどの狂喜乱舞っぷりだったが、問題はないだろう。いかに勉強ができずとも、好きなことに関する物覚えは別だろうから。

 

(……本当に、サッカー好きなんですね)

 

 下校する他の生徒たちの視線など気にも留めない円堂さんのサッカーバカっぷりに、一歩引いてそんな感想を抱く。

 

 彼のこの、とてつもないサッカーへの愛から始まったのだ。私の中から小さな燻りを探し当て、疑問に気付くまでに燃やしつけた。

 

 私はふと、豪炎寺さんのことを思い出した。

 

 六日前に初めて出会い、その翌日、秋さんのクラスに転校してきて、その容姿から一躍有名人と化した彼。

 

 私と同じく、サッカーをやめた少年。

 

(あなたも、円堂さんの情熱を感じたから、見入っちゃったんですか……?)

 

 円堂さんの、人を引き付ける何か。私もあなたも、それがあったからあの時ボールを蹴れたのだろうか。

 

 かぶりを振る。それを確かめるために、私はもう一度サッカーをするのだ。

 

「じゃあ明日。ホントに明日だからな!忘れんなよベータ!」

 

 ボールを小脇に抱え、手を振り走り去っていく円堂さんを見送りながら、家にまだサッカーボールは残っていただろうかと、私は思索する。試合前日とはいえ、軽くでもボールには触れておこう。

 

(それと)

 

 選手名簿に『ベータ』と書かれてしまわないように、それだけはきちんと確認しておかねばならない。

 

 結局あの日以降、彼が私の名前を正しく呼ぶことがなかった事実にため息をつきつつ、私は一夜を明かした。

 

 

 

 

 

 そして試合当日。

 

 男の子ばかりの部室で着替えるわけにもいかず、校内の更衣室を中継する羽目になった私は、着替え終わると、秋さんと共にその部室へ向かっていた。

 

 上下のユニフォームと、靴下にスパイクまで、渡されたのは間違いなく新品で、それ特有の無機質な香りと違和感に、私は歩きながら身体を慣らす。

 

 道中で生徒たちの注目を集めながら練り歩く私に、並行する秋さんがやっぱり言った。

 

「佳ちゃん……えっとね、実はついさっき新しくサッカーやってくれるって人が――」

 

「私は別に、誰かに強制されてここにいるわけじゃないです。いつも言ってますけど」

 

 うつむき気味の秋さんを遮って、半ば定型文と化したそれを返す。この進展のないやり取りから生じるのは、相も変わらず憂いの笑みだけだ。

 

 だが今回に限っては、その空洞を埋めれるだけの続く言葉があった。

 

「……ちょうど一週間前、初めて豪炎寺さんとお会いした日。あの後彼と少し話をしたんです」

 

「……?豪炎寺君と?」

 

「ええ。その時に、その……サッカーをやめた理由を聞かれて、秋さんの時と同じように答えたら、言われちゃったんですよね。『サッカーを嫌っているようには見えない』って」

 

 話が見えずに困惑顔をしていた秋さんが途端に目を丸くする。その豹変ぶりに私も少しばかり驚いて、しかしすぐさま気を落ち着けると、さらに告白を続けた。

 

「それでちょっと、思うところがあったから……その……要するにです」

 

 大真面目に宣言することに一抹の羞恥を感じて言葉に詰まる。けれどもそれ以外の言葉が見つからず、私は言った。

 

「感化されちゃったんですよ。豪炎寺さんや円堂さんに。久々にサッカーやってみようかなーって、そんな気にさせられてしまったんです、私」

 

 一息に吐き出してしまってから、何故だかそわそわしてしまって手持ち無沙汰に熱を持つ顔を扇ぐ。ちょうど近くに他の生徒がいない時を見計らったので秋さん以外に聞かれてはいないだろうが、やはりどう思いこんでもこっぱずかしかった。

 

 おしとやかな女学生で通っているこの私が、幼馴染の秋さんに熱血少年じみたこの内心を吐露することになろうとは。

 

 私のイメージとかけ離れるその『おかしさ』が、転じて『滑稽』と捉えられてはいないだろうか。頭に浮かぶそんな不安さえ子供っぽく思えて、私は気疲れに盛大に嘆息した。

 

 そのため息を突き破って、秋さん酷く明るい声色が私の意識を引っこ抜いた。

 

「そっか……そっかぁ……!」

 

 顔を向けると、どういった心境なのか、まるで泣き出す直前のように顔を歪ませ瞳を潤ませ、にもかかわらずその感情はどう見ても喜びのそれで、しかもそれを爆発させる直前でぎりぎり踏みとどまっているかのような、そんな表情で秋さんは私を見つめていた。

 

 あっけにとられている間に、私は両手をぎゅっと握られた。

 

「佳ちゃん、私……ううん。私、応援してるからね!一緒にプレイはできないけど、ちゃんと見てるから!」

 

「は、はい。それは……ありがとう?」

 

 訳もわからず感動されて、今度は私が困惑に呑まれる。

 

 目尻に涙を光らせながら満面の笑みでうんうん頷き、ここ数年で一番機嫌がよさそうな秋さんは小走りに、もう残りわずかであったその場所までの距離を走破した。慌てて私も足を速めて追いつくと、彼女は踊るようにくるりと半回転した挙句、テーマパークの案内人みたいな調子で、その古びた建物の紹介を始めた。

 

「ついたよ佳ちゃん!ようこそ我がサッカー部へ!」

 

 見たことがないわけではなかったが、近くで見るとやはりなかなかの傷み具合だった。

 

 だいぶ年季の入った、『サッカー部』の文字が記された木製の看板。建物のいたるところには錆が浮き、校舎の陰にポツンと一つ佇むその姿が妙に哀愁を漂わせている。

 

 これがかの有名な、弱小サッカー部の寂れた部室。

 

 その雑妙な大きさも相俟って倉庫のようにも見えるそれは、実際秋さんと遠藤さんがサッカー部を立ち上げるまでは倉庫として使われていたらしい。部室も未だそのことが忘れられないのか埃っぽい雰囲気を醸し出しているが、さすがにもうそれらしい静寂は纏っていなかった。

 

 格子の向こうから人の話し声が聞こえる。中にいるのは当然今回帝国戦を戦うサッカー部員たちだ。一部私のように助っ人もいるかもしれないが、どうであれその十人はすでに互いの自己紹介を終えているはずだ。そのできあがった輪の中に、これから私は踏み入っていかねばならない。

 

 昨日の下校時に話を受けたがための必然。意気揚々と扉に手をかける秋さんの後ろで、私は大きく深呼吸した。

 

「皆おまたせ!今回一緒に戦ってくれる最後の一人、連れてきたよ!」

 

 重みを感じさせない勢いでスライド式の扉が開き、中の男の子たちの目が一斉に秋さんへ突き刺さる。

 

「お、おうっす……マネージャー、なんかすごく機嫌いいっすね……俺、もう胃が痛くてたまらないっす……」

 

 他の九人の動揺をよそに、縦にも横にも大きな円形の人、恐らく壁山さんが、青い顔をしてお腹を押さえていた。

 

 日ごろから秋さんと顔を合わせているであろう彼にも、今の秋さんは特別機嫌よく見えるらしい。その理由については私もぜひ知りたいところだが、とりあえず置いておく。帝国学園がやってくるまでそう時間はないだろうから。

 

 だが、九人の視線が秋さんに次いで私を発見して、それに応えて挨拶の言葉を言おうと息を吸ったその直後、目つきの悪い短髪のピンク髪、恐らくこっちは染岡さんが、「はあ?」と遮り、嘲り気味に眉を歪めて吐き捨てた。

 

「おいおい円堂、お前が言ってたすっげー助っ人って、まさかこいつか?女じゃねぇか。小学生のサッカークラブじゃないんだぜ、ここは」

 

 何時かの不良を彷彿とさせるような、安っぽい挑発。円堂さんに暴力を働いた時のような怒りがない分、私の中の疼きは容易くにんまりと弧を描いた。

 

「あらやだ感じわるーい。グラウンドが使えないからって毎日部室でグータラしてた自称サッカープレイヤーのくせに、なに偉そうなこと言っちゃってるんですか?何なら今から教わりに行きます?私、知り合いにサッカーが上手な小学生の女の子がいるんです。きっと自称サッカープレイヤーのあなたも、彼女に懇切丁寧にお願いすれば、ドリブルくらいならできるようになっちゃうかもしれませんよ?」

 

 円堂さんが止める間もなく、染岡さんのこめかみにぴしりと青筋が立った。反応まで不良と同じだ。きっと根っこの感性は似通っているのだろう。

 

「あ゛あ゛!?何ほざいて……てか何で知ってやがんだ!自称じゃねえ!俺は雷門のエースストライカーだ!!おい円堂!確かもう一人、『メガネ』ってやつが入部したがってたんだよな?この際構わねえ、十番のユニフォームもくれてやるからあいつ呼んで来い!この女とチェンジだ!」

 

「……ボクを、呼んだかい?」

 

 と、不意に背後で声がして、さらに(なぶ)ってやろうと息巻いていた私も、そして秋さんもはっとして振り返った。

 

 この場の十二人全員の視線を一手に握ったその男子生徒は、いかにもキザなふうに三角眼鏡をくいっと押し上げ、全く迫力なく不敵に笑った。

 

「やあやあ皆。ボクは目金欠流。この弱小サッカー部の救世主さ!安心したまえ、ボクが来たからにはキミたちに敗北はない!さあ、十番を背負うボクと共に勝利を掴みに行こうじゃないかっ!」

 

「救世主だなんだはともかく、待ってたぜメガネ!円堂、それにお前ら!あんなサッカーやったこともなさそうな嫌味女より、こいつのほうがマシだろ?それでいいよな?」

 

 皆が微妙な顔をする中、唯一染岡さんだけが無理矢理に喜んで、メガネさんを部室内に引き入れる。それを尻目にニット帽の……松野さんと、これといって特徴のない半田さんが隠れてぼそりと呟いた。

 

「でも、彼ってスポーツは……」

 

「あんまりだったような……」

 

 染岡さんとメガネさん以外の全員が、内緒話をする二人と同様の表情で押し黙る。メガネさんの体育の成績を知らぬ者でも、彼の明らかな運動できないオーラを感じ取ることはできたようだった。

 

「ま、まあメガネのことはともかくさ、ベータはサッカー経験者なんだ!染岡が心配してることに関しては大丈夫だぞ!」

 

「そ、そうよ!佳ちゃんはサッカーすっごくうまいんだから!少なくともメガネ君よりは!あと円堂くん、『ベータ』じゃなくて『ヨネダ』さんね!」

 

 円堂さんと秋さんの擁護によってチーム内の空気が一気に傾く。「まあ、経験者なら……」と呟く周囲の眼にさしもの染岡さんも主張の不利を察し、苦々しげにメガネさんを見やった。とうのメガネさんは、先までの尊大さが抜け落ちたかのように周りの雰囲気にきょろきょろと狼狽していて、その様子に私は少々の物足りなさを感じながらも一つ咳払いを響かせた。無音のまま私に視線が集中して、黙り込む。

 

 その瞬間、感じた妙な圧に、私は言いかけた言葉を飲み込んだ。

 

 注目する皆も、そこなメガネさんより私のほうが有用であると理解しているとはいえ、やはり私が初対面の女子生徒であるという点が、喉に刺さった小骨のように引っ掛かっているのだろう。向けられる瞳はすべからく「釈然としない」と私に告げていた。

 

 男の子の輪の中に、見知らぬ異性が紛れ込む。その拒絶感を生む心理は理解できていた。理解できていたはずなのに、どうにも息苦して私はほんの一瞬気圧されたのだ。

 

 不意に感情が停滞して、故に私は、できうる限りさわやかな印象の笑顔を表情に作り出し、顔面に貼り付ける。

 

 予定外にもう一回息を吐き、ただ気持ちを上塗りした後、紗のかかった不快感を意識の外に追いやって、私は再び喉から声を押し上げた。

 

「では改めて、私、米田佳っていいます。ご紹介の通り、昔のことですがサッカーはしていました。短い間ですが、皆さんよろしくお願いします。

 あと次私のことを『ベータ』って呼んだ人、ひねっちゃいますからそのつもりでいてくださいね?」

 

 微笑と共に軽口のつもりで飛び出た最後の本音は正直あまり面白いものではなかったが、「うぐ」と息を詰まらせ口を押える円堂さんのリアクションに助けられ、それ以上場の空気が淀むことはなかった。

 

 

 

 

 

 そのあとすぐに対帝国の作戦会議に議題が移り、乗じて私も先までの不快感を忘れようとかぶりを振った。

 

 助っ人故致し方ないとはいえ、自身のポジションが余った左サイドバックであることを知らされ頬を膨らませてしまったり、地響きを立ててやってきた帝国学園の壮大で武骨な黒いバスに驚いたり、帝国キャプテンのゴーグルの人からの挑発にビビった壁山さんがロッカーに逃げ込んだ挙句出られなくなったりと、語るべき出来事はいくらかあったが、しかしいずれの事件の間も、私はこの不快感、疎外感を、完全に振り切ることができなかった。

 

 私はこんなにも割り切ることが下手な人間だっただろうか。

 

 自覚はなく、感情のわだかまりを抱えたまま、いよいよ試合開始のホイッスルが鳴ってしまった。

 

 

 

 

 

「うう……き、緊張するっす……やっぱりもう一回トイレに行きた――」

 

「だめですよ壁山さん。ほら、もうキックオフです。我慢して走ってください」

 

 試合開始と同時にボールを後ろに預けた染岡さんとポニーテールの風丸さんのフォワード二人が、作戦通り敵陣へ切り込んでいく。それでも尚尻込みする壁山さんの背中を笑顔でひっぱたいてから、私もラインを上げ始めた。

 

 作戦と言っても、この急造チームで凝ったことはできようもない。一対一でボールを取り合っても勝てはしないだろうから、パスを重視して染岡さんにボールを繋ごう、という、どちらかといえば方針に近いものだった。

 

 下手にパスを繰り返しても結局取られるだけだと、私は思っていたのだが、どういうわけかこの作戦、うまくいっている。試合開始からたったの数分で前線組は一人、二人と順調に帝国選手を抜き去り、とんとん拍子に染岡さんに回ったボールは、あっけないほど簡単にペナルティーエリアに侵入した。

 

 おかしいにもほどがある。サッカーから離れてしばらくたつ私から見ても、染岡さんたちの動きは特にうまいわけでもなく、それを一切止められずにキーパーとのタイマンを許した帝国選手たちは下手すぎる。

 

 余裕ぶって遊んでいるのだろうか。

 

 恐らくそうだ。この程度で少年サッカー界最強などと呼ばれるはずがない。

 

 染岡さんのシュートは決まらない。瞬間的にそう判断した私は、雷門サッカー部の輝かしい活躍に見惚れる他のチームメイトを放り出した。

 

 その直後、不自然に一人だけ前に取り残されていた帝国選手の口元が緩んだ時、私はそいつめがけて走り出していた。

 

 バスン

 

 短く乾いた音が鳴って、静まり返った次の瞬間、

 

「鬼道!次はお前たちの番だ!」

 

 センターラインまで一息に放り投げられたボールが、ゴーグルの鬼道さんに渡った。雷門チームは呆然とその様子を見守るばかり。

 

「さあ、始めようか。帝国のサッカーを」

 

 目を付けていた帝国選手が、くるりと半身振り向いた。鬼道さんとそのフォワードの視線がかち合い、そして思いがけずふわりと、鬼道さんのパスが壁山さんの頭上を抜けた。

 

 ちょうど壁山さんの陰に隠れて、鬼道さんは私の姿が見えていなかったのだ。

 

 結果として、悠々宙に浮くボールが帝国選手に渡る前に、私の脚が間に合った。

 

「なッ!」

 

 死角から突然現れた私に、パスを受けるはずだった帝国選手が驚愕の視線を向ける。その視線に疼きそうになる何かを自制しながら、空中でボールを奪った私はそのままドリブルでピッチを駆け上がった。

 

 元々前線が敵ゴール側へ流れていたこともあって、センターラインまでは楽にたどり着いた。サイドバックの役割としては、さっさとミッドフィルダーの半田さんあたりにボールを託してしまいたいところだが、しかし全員がまだ衝撃から帰ってきていない。

 

(たかがシュート一つ止められたくらいでこの体たらく。ため息が出ちゃいそうです)

 

 やむを得ず、だんごの中に突入する。当然すぐディフェンスに阻まれた。しかもその動きは先ほどまでの舐め切ったプレイが嘘であったかのように見事なもので、出合い頭に一人は抜いたがコースを制限されてしまった私は、たちまち行く手を塞がれてしまった。

 

 どうしようかと、三方からにじり寄る敵に突破方法を模索していると、視界に染岡さんの姿が入り込んだ。この期に及んでまだ呆ける彼に苛立ちを覚えながら、ディフェンスのわずかな隙間に身をねじ込んだ私は、激情を晒し怒鳴り声をあげた。

 

「おい染岡!こっちだ!!」

 

 幾本も伸びる脚をなんとかかいくぐり、辛うじてボールを蹴りだすと、ようやく我に返ったのか染岡さんの焦ったような表情。

 

 ぽてぽて零れたボールを、フリーの染岡さんが掬い取った。ディフェンスはそのほとんどが私に集中していて、彼のことはマークしていなかったらしい。

 

 再びキーパーと一対一で対面した染岡さんは、気合の怒号でシュートを打ち放った。

 

「このッ!今度こそォ!」

 

 エースストライカーを自称するだけあり、なかなかの威力でボールは飛んだ。やや左よりに位置取るキーパーに対し、右端を狙ったグラウンダーシュート。ボールを浮かせなかったのは意表を突くためか、どうであれコントロールもよく、ボールは間違いなくゴールポストすれすれをめがけて向かった。

 

 それを目前にして、さすがに私も得点のホイッスルの幻聴を聞いた。しかし、恐らく一度目のシュートも同様だったのだろう。すさまじい反射神経を以てキーパーがダイビングキャッチを為した時、驚愕したのは私だけだった。

 

「クソッ!!」

 

 腹立たしげに悪態を付く染岡さんと、私以外の皆が顔をしかめてすぐさま踵を返した。慌てて私もカウンターに備えようとするが、油断のないロングパスに追いつけるはずもない。

 

「ふんッ!」

 

 キーパーが無言で私を一瞥した直後、鋭く蹴り飛ばされたボールは今度こそあのフォワードに渡った。ディフェンスは一人も付いていない、完全なフリー。しかしそいつはそこから前に上がるでもなく、センターサークルの中から全力のシュートを見舞ったのだ。

 

 その超ロングシュートに、円堂さんは反応すらできなかった。

 

「ゴォーーーール!!」

 

 解説の高らかな宣言と同時にホイッスルが鳴り響き、あれだけ威勢がよかった染岡さんも他の皆も、その弾道に目を見張る。

 

 染岡さんのシュートなど比にもならない。一瞬にしてボールを見失ってしまうほどの威力に皆が度肝を抜かれ、そして最初に育まれた希望をなくしていった。

 

 

 

 

 

 それからはもう酷い試合となった。

 

 一度あんなプレーをしたせいで私は過剰なほど警戒されてしまい、主戦場はもっぱら逆サイド。おまけに私はディフェンダーだというのに常に二人以上のマークがついて、まるでボールに触れない。味方にもどうすることもできず、そもそんな余裕があるか怪しいところだが、私を尻目に試合は進んでいった。

 

 帝国も、これまた私のせいで懲りてしまったらしく、最強の片鱗をチラ見せし始めた彼らから、我がチームは一度もボールを取れていない。大抵がキックオフ直後にボールを取られ、こちらの必死なディフェンスを易々抜けた後、そのままゴールに得点を許す。ついでとばかりに行われるラフプレーに体力を削られ、益々太刀打ちができなくなりどんどんスタミナを消耗した結果、もはや流れ作業的にスコアボードが更新され続け、気付けば点差は20点。彼我の実力差が露骨に点数に現れるころになってようやく、私を除け者にした長い後半戦が終了した。

 

(まあ、皆さんものの見事にへとへとですね)

 

 帝国選手に散々翻弄されたチームメイトの荒い息の中、秋さんが甲斐甲斐しく世話を焼くのを横目に見ながら一口給水した後、私はそれをベンチに戻した。

 

 私と、控えで何もしていないメガネさん以外の全員がこのありさまだ。この状態で後半戦、20点を取り返すのはいくらなんでも不可能だろう。間違いなくここにいる全員が思っていることだ。

 

 まして疲労している当人。感じる絶望はひとしおだろう。風丸さんが疲れ切った声色で呟いた。

 

「どうなってんだ帝国の奴ら……息一つ乱れてないぜ……」

 

「そりゃそうさ。奴らほとんど走ってないからね……ぼくらのディフェンス、全く通用しないし……シュートするだけなんだから、そりゃ疲れないに決まってるよ……」

 

「それに比べて俺たち、完全に遊ばれてますよね……滅茶苦茶走らされて、俺もう足の感覚がないですよ……はあ、やっぱり俺たちじゃ帝国に勝つなんて無理だったんだ……」

 

 地面に座り込んだ松野さんがついたため息が、もじゃもじゃアフロの宍戸さんに伝染する。それがさらに拡散して皆の空気が暗くなり、だからこそその最中に染岡さんの嘲笑がよく響いた。

 

「ふん。そうでもねーさ。一人いるだろ、うちのチームにもまだまだ体力残ってる頼もしいやつが。なあ米田?」

 

 皆の暗い瞳が、一斉に私に向いた。その視線にあの不快感を感じながら、私はあざとく頬を膨らませてみせる。

 

「むぅー。だって私、常にマークされちゃってるんですもん。ボールに関わりたくても関わらせてくれないんだから、しょうがないじゃないですか」

 

「敵のエスコート付きで試合観戦ってか。ケッ、楽しそうでうらやましいぜ」

 

「やめろよ染岡!」

 

 円堂さんが割って入り、染岡さんがばつが悪そうに目をそらす。暗い雰囲気だけが残った皆の心に、円堂さんが「とにかく!」と闘志の炎を輝かせた。

 

「帝国のシュートは次こそ止めてみせる!だから皆、ベータを中心にボールを回して今度はあいつらを消耗させるんだ!」

 

 しかしその炎は、希望を打ち払われた皆を燃やし付けるには些か的外れであるようだった。

 

「キャプテン……話聞いてたでヤンスか?米田さんはずっとマークされてるんでヤンスよ……そりゃあ、米田さんの最初のプレーを見て、そう考える気持ちもわかるんでヤスけど……それにもし仮に後半戦、マークが外れたとして、米田さんはディフェンダーなんでヤンスよ?後ろにボールを集めてちゃ、それこそ奴らの思うつぼでヤンス……もう無理でヤンスよ……」

 

 玉ねぎみたいな頭の栗松さんが億劫そうに円堂さんを諭し、重苦しく肩を落とした。その冷め切った物言いに、円堂さんの血の気が上がる。

 

「何言ってる!勝利の女神がどっちに微笑むかなんて、最後までやってみなくちゃわからないだろ!ほら、後半戦だ!行くぞ皆!」

 

 悲観度に差はあれど、私を含め皆が同様の諦念を再確認していたハーフタイムが終わり、のろのろと身を起こす。ポジションチェンジを申し出られるようなタイミングは通り過ぎ、唯一円堂さんだけが勢い良く燃えて、チーム内の温度差がすさまじいことになっていた。

 

 

 

 

 

 そんな状態でピッチに立って、士気が上がるはずもなかった。ホイッスルが鳴っても皆の表情は暗く、そしてそれは帝国側の悪意あるプレーによってますます悪化していった。

 

「オラァ!【ジャッジスルー】!!」

 

「くらえ!【キラースライド】!!」

 

 帝国が必殺技を使い始めたのだ。素の身体能力ですら遠く及ばないというのに、必殺技もとなれば文字通り手も足も出ない。しかもその必殺技のことごとくがファールすれすれのラフプレーで、それを受けてしまった我がチームメイトが先ほどからバンバン宙を舞っている。もはや守備は機能していなかった。

 

 にもかかわらず、後半戦が始まってから帝国は得点どころかシュートの一つもしていない。前半戦が嘘のように攻めっ気をなくした奴らは、相も変わらず私をゲームから隔離し、ボールと選手をもてあそびながらセンターライン辺りをうろうろするばかりだった。

 

 今、奴らの中にサッカーをしているという認識はないのだろう。攻めるでも守るでもなく、ただ無為に選手が痛めつけられるだけのその光景は、到底サッカーと呼べる代物ではなかった。

 

 理由はわからない。しかし奴らは間違いなく、選手を潰すことだけを目的にボールを蹴っていた。

 

 スタミナの消耗とか、そんな生易しいものではない。ボールを介して肉体的なダメージを与えるプレイを、奴らは繰り返している。

 

 スライディングに隠れて足を引っかけるのはまだいい方で、酷いものだとボール越しの飛び蹴りだったり、パスミスに見せかけて顔面にボールをぶち当てたり、退場者が出ていないのが不思議なくらいの乱戦続きで、チームメイトは一人、また一人と倒れていった。

 

 私とてその悪質プレーに憤らないわけではない。しかし、できることは何もないのだ。

 

 どこへ行こうとぴったりくっつくマークのせいで、たどり着くころにはとっくに主戦場が変わっているし、まるでボールが示し合わせたかのように私を避けて飛んでいく。

 

 染岡さんの嫌味の通り、私はチームメイトが倒れ行くのを見守ることしかできない。フィールドプレイヤーが私を残して地に伏して、奴らの矛先がいよいよ円堂さんへ向いても、私はそこに加わることができなかった。

 

 ゴールネットではなく、円堂さん自身を狙ったシュートの連打を、私はただ見ていることしかできなかった。

 

「【ひゃくれつショット】!!」

 

 ホントに百回なのかはともかく、幾重もの蹴りの力が蓄えられたシュートが、とうとう円堂さんを吹き飛ばした。キーパーもろとものシュートがネットを揺らし、久方ぶりのホイッスルが響き渡る。

 

「所詮この程度か。米田、だったか?そこのディフェンダーだけは中々いい動きができるようだが、そこさえ押さえればこのザマ。後は雑魚ばかりだったな」

 

 倒れこむ円堂さんを見下して、鬼道さんが冷淡に吐き捨てる。ゴーグルがチカっと瞬いて、恐らく時計のほうを確認すると、彼は背を向け驕慢に鼻を鳴らした。

 

「試合終了まで残り二十分。まあせいぜい頑張ってくれ。君たちのキックオフがないと試合が再開できないからな」

 

 口元に嫌らしい笑みを残して、鬼道さんと共にシュートの連打をしていた帝国選手二人も去っていく。しかし数歩と行かないうちに鬼道さんがわざとらしく「ああそうだ」と呟いて、観客にさえ届くような張りのある声でゴーグルを光らせた。

 

「君たちのフォワード、確か髪が長い方だな。どうやら足を痛めているようだったぞ?早いうちに選手交代をすることをお勧めする。この状況でプレーできるような控えがいれば、だがな」

 

 言うと、満足したのか今度こそ自陣へ帰っていく鬼道さんたちと、それに続く私へのマーク要員たちを見送って、私は一人取り残された円堂さんの元に向かう。身を起こそうと腕を震えさせる彼を手伝ってやりながら、私はピッチを見渡した。

 

 士気は最低。スタミナは底を突き、疲労もピークを過ぎている。鬼道さんの言う通り、風丸さんは染岡さんに肩を借りながら足を引きずっていた。慌てて駆け寄る秋さんによってすぐに選手交代がなされるだろう。

 

 その先に出てくるのがあのメガネさんであることも鑑みて、苦しげに眉根を寄せながらもなお尽きない円堂さんの闘志満ちた目に、私は呆れ半分でため息をついた。

 

「円堂さん、部外者の私に試合の指図されるのは気に食わないと思いますけど、言っちゃいますね?私はこの試合、さっさと棄権するべきだと思います。勝ち目はないですし、皆さん限界ですし、危険ですし」

 

 それに何よりつまらない。

 

 言葉にはしないが、敵味方から除け者にされている現状、私の心を占めるこの感情は憤りよりも大きかった。前半後半と戦って、結局得たものがこれなのだ。失望もしたくなる。

 

 ピッチに立っているのは私だけ。この先プレイを続けるのなら、もしかしたら私が一人だけで帝国の全選手を相手する羽目になるかもしれない。想像するだけで心が重くなり、その心理に私はわかりきっていた事実を見せつけられていた。

 

 やはり私にはもうサッカーを楽しめる心が残っていないのだ。

 

 円堂さんの熱を受けて燻った心の何か、豪炎寺さんが見た私の中のそれは、残念ながらこの試合で顔を見せてはくれなかった。きっと、気のせいだったのだ。

 

 私の期待は儚く消えた。なればもう、これ以上試合を続ける理由も、そして熱意もない。

 

 だから私はそれらすべての憂鬱をため息で塞ぎ、実際的な理由で円堂さんを説得しようと試みたのだ。チームメイトという理で説けば、かの熱血も少しは陰るだろうと考えた。

 

 しかし、そんな思惑は彼には通用しなかった。私は忘れていたのだ。

 

 円堂守という何よりもサッカーが大好きなこの人間は、私ではどうすることもできなかった秋さんの闇を退けてしまうほどの、そして消えてしまったはずの私の心すら動かしてしまうほどの、真正のサッカーバカであったのだ。

 

「……まだだ」

 

 先ほどまでいたぶられていた人間が出したとは到底思えないほどの頑強さが、私の鼓膜を揺さぶった。心臓が鷲掴みにされたかのようだった。豪炎寺さんの時と似たような、しかしそれ以上に大きな衝撃が、一瞬私の脳内から『諦め』を消し飛ばす。

 

「な、にが……」

 

 しかしそれに飲み込まれる前に、響いた正反対な惰弱が私をそちらに振り向かせた。

 

「い、嫌だ!もうこんなの嫌だぁ!」

 

 風丸さんと交代するはずのメガネさんがそんなことを泣き叫び、十番のユニフォームを脱ぎ捨てて逃げ去っていく。

 

 想像の埒外の行動に私は意識を引き戻し、背を向けたまま言う。

 

「……十人になっちゃいました。知ってると思いますけど、サッカーって一人減るだけでも随分違うんですよ?もう、どうやったって勝ち目はありません。それは皆さんも……円堂さんもわかっていますよね?……なのに……なのになんで、あなたは――」

 

 正面を睨んで立ち上がり、日の光に照らされた円堂さんの横顔を見て、私は尋ねずにはいられなかった。

 

「まだ諦めていないんですか……?」

 

 勇ましい彼の顔が私を見、そしてにいっと歯を見せ笑った。

 

「言っただろ?『勝利の女神がどちらに微笑むかなんて、最後までやってみなくちゃわからない』って。試合終了の笛が鳴るまで、俺は絶対に諦めない。俺たちはまだ、終わってねえ!」

 

 気付けば、私はそんな絵空事を言うおバカさんに魅入られていた。どうしてそう前向きになれるのか、円堂さんの眼差しに虚勢の類は一切存在せず、本気でそう思ってるのだと理解した瞬間に、私は目を釘付けにされたのだ。

 

 その最中だった。

 

「おい、誰だあれ?あんな奴、うちのサッカー部にいたか?」

 

 観客のざわめきをかき分け現れた彼に、私は呆然と呟いていた。

 

「豪炎寺さん……?」

 

 見覚えのある白髪のツンツン頭。メガネさんが投げ捨てた十番のユニフォームを身に纏った彼が、ポケットに手を突っ込んでピッチに入ってくる。

 

「豪炎寺!待ってたぜ、お前を!」

 

 サッカーをやめたはずの彼が、円堂さんの呼びかけに笑みを浮かべていた。

 

「どうだ。サッカーは楽しめたか?」

 

 私を見つめ、豪炎寺さんが言った。

 

 私は何も答えられなかった。

 

 思いつけるのはユニフォームの襟を立てていることの揶揄とか観客の黄色い声のことばかりで、彼の質問に対する答えが全く出てこない。私と違い、サッカーをやめた理由を打ち払ってしまった彼との間にすさまじく大きな隔たりが見えて、私はどうしても直視できなかった。

 

 何も言わない私になぜか小さく微笑むと、豪炎寺さんは風丸さんがいたポジション、フォワードに戻っていく。

 

 絶望的な状況下で現れた救世主の大きな背中に他の皆が顔を上げ、狂喜乱舞する円堂さんとの相乗効果で、死に体だったチームの士気が高まりを見せる。

 

 円堂さんが呼び寄せた、たった一人の選手が絶望一色の空気をあっという間に変えてしまった。

 

 ――うらやましい。

 

 私はそれを、遠くで眺めていた。

 

 皆が皆、円堂さんの情熱を受けてサッカーを楽しむ心を燃やしている。肉体的にはボロボロでも、今この瞬間、チームの心は一つとなったのだ。

 

 私を除いて。

 

 火床が空っぽであった私に、その炎は根付かなかった。ただ焚火のように一時の熱で私を焦がれさせ、そしていずれどこかに消えゆく。

 

 元より種火を持っていた彼らには喜ばしいことかもしれないが、除け者にされた私にとって、傍から見るその炎は実に妬ましいものであった。

 

 一人ぼっちの私にはサッカーを楽しむ資格がないと、そう思い知らされるから。

 

 ……キックオフの笛が重い思考を殴りつける。

 

 いくら士気が上がろうとも実力差は変わらない。豪炎寺さんに渡る前にあっけなくボールは奪われ、また同じように敵が攻め入ってくる。このままではまた何もできずゴールネットが揺らされるだろう。

 

 だが今回は豪炎寺さんがいる。他が碌に動けない以上、私と彼の二人でどうにかする以外に得点への道はないだろう。かといって、時間をかけ過ぎればまたマークに翻弄されるのは目に見えている。速攻に賭けるしかない。

 

 私と豪炎寺さんとで無理矢理にでもボールを奪い、そのままゴールまで持っていく。成功する可能性は低いと言わざるを得ないが、それでも協力する以外に方法はないのだ。

 

 そんなことは豪炎寺さんもわかっていると思っていたのだが――

 

「えー……」

 

 脇目も振らずに敵ゴールに走っていく豪炎寺さんに、私は言葉を失い呆れかえるばかりだった。

 

 解説が試合放棄を疑っているが、それはないと信じたい。どちらにせよ豪炎寺さんは何を考えているのだろう。たとえ私の技量が本気の帝国に通用するとしても、一人ではパス回しで躱されるに決まってる。まさか私にシュートを止めろとでも言うのだろうか。それができれば21も点を取られはしなかった。

 

 さっぱり理解できない。ボールを無視して敵陣へ切り込むことに何の意味があるというのか。

 

 意図が読めずに困惑する中、ボロボロの守備を蹴散らし、近づいてくるボールに先駆けて私へのマークが復活する。

 

 結局こうなった。センターバックは役に立たない。残ったのは円堂さんのみ。これで22点目のゴールが決まってしまう。悪あがきにマークを突破しようと試みるも、ダメだ。ボールの方向はガードが固すぎる。

 

 何を考えているのか知らないが、これで豪炎寺さんの奇行も無為に終わった。仕方ない。せめて次のキックオフでは、まだ可能性の高い悪あがきができるよう、彼と話をしておこう。

 

 そんなことを考えながら、私は円堂さんがまだましなやられ方で済むように軽く祈ってそれを眺めた。

 

「行け。【デスゾーン】開始」

 

 鬼道さんから指示と一緒にボールを受けて、帝国の三人が宙に飛んだ。ボールをまんなかに三角形の形で回転し、力を高める。

 

 鬼道さんの言う【デスゾーン】が、先の【ひゃくれつショット】を大きく上回る大技であることは明白だった。私のお祈りは空しく終わり、円堂さんはより悲惨な目にあってしまうことだろう。

 

 私はこの時、一人だけで諦めの眼を、その光景に向けていた。本当に、私だけだった。

 

 私はこの時まで、本当の意味で円堂さんたちとサッカーをしていなかったのだ。

 

「ベータッ!!」

 

 刻一刻と力を増していくボールをあの眼で見据えて、円堂さんが叫んだ。

 

「ゴールは、俺に任せろ!!」

 

 私の心の中でもやが砕け散り、その奥に赤々と燃え盛る炎が見えた。

 

 その時感じた感覚を言葉で表したなら、たぶんそんな激震だった。

 

「ベータ?何かの暗号か?どちらにせよもう遅い!くらえ!【デスゾーン】!!」

 

 暗黒色とでも言おうか、禍々しい黒にその身をうねらせ、ボールが放たれた。

 

 同時に私はそれに背を向け走り出す。『ベータ』が私のことだとわからないマークたちは、固めたガードの反対方向に逃れた私に気付かない。

 

 私の内心が円堂さんの言葉に呼応して、まるで地割れのように塗り固められた失望感を砕き割った。

 

 その破られた防壁から沸き上がったのはこれだった。

 

 今までの陰鬱な感情が嘘のよう。サッカーボールを見るたび感じた寂しさが跡形もなく消え去って、自分でも信じられないくらい心が高鳴っていた。

 

 瞬間的に理解した。豪炎寺さんの言う通り、私はサッカーを楽しむ気持ちを失くしたわけではなかった。

 

 嫌いになりたくなかったからこそ、心の奥深くに封じ込めていたのだ。

 

 一人でするサッカーなど、何も面白くない。その蓋を、円堂さんが壊してくれた。見えていなかっただけで、私の情熱はしっかりと燃え盛っていた。

 

 本当の仲間が、背を預け、預けられる仲間の存在が、豪炎寺さんのように私を信じさせたのだ。

 

「うおおおおおお!!ゴット、ハンドオオオオォォォォ!!」

 

 絶叫が、必殺技がぶつかり合う衝撃と一緒に私の身体まで到来する。

 

 振り返りはしなかった。だって信じていいのだから。

 

「まさか……【デスゾーン】を……」

 

 追い越しざまに鬼道さんが呆然と呟くのを耳にして、私は半身振り向いた。

 

 シュートを止めた円堂さんと私の視線が合わさって、どちらからともなく笑みを浮かべた。

 

「行っけえ!!ベータアアアァァァ!!」

 

 希望のボールが、繋がった。

 

「……ッ!ディフェンス!」

 

 我に返った鬼道さんの指示に数人が気付くも、その動きに冷静さはない。

 

 それに、このボールだけは渡すわけにいかないのだ。

 

 フェイントで抜き、あるいは力づくで突破して、そして――

 

「豪炎寺!」

 

 豪炎寺にパスが届いた。

 

 ボールは天高く蹴り上げられ、竜巻のごとくそれを追った豪炎寺によってその炎が放たれた。

 

「【ファイアトルネード】!!」

 

 河川敷で不良を倒したあの熱気が、何十倍も威力を増してゴールめがけて飛んでいく。しかし、鬼道さんの指示はかのキーパーにも届いていたのだ。

 

「止める!【パワーシールド】!!」

 

 そいつは準備万端とばかりに待ち構えていた。跳躍し、地面を殴りつけて発生する衝撃波。そこに【ファイアトルネード】は激突した。

 

「うおおおおぉぉぉぉ!!」

 

 キーパーの雄叫びに、衝撃波の壁がより力強い光を放つ。炎の螺旋と光の障壁が火花を散らし、そしてとうとう均衡が崩れた。

 

 防がれた。

 

 豪炎寺のシュートは衝撃波の壁におびただしいほどの亀裂を入れたが、しかし貫くには至らなかった。ボールは弾かれ、明後日の方向へ飛んだ。

 

「ふっ……お前の負けだ、天才ストライカー」

 

 ひび割れた壁越しに、キーパーが得意げに笑う。着地し、それを正面から向けられた豪炎寺は――

 

「ああ、そうだな。だが――」

 

「オレたちは、まだ負けてねぇぞ!!」

 

 ボールをトラップした(オレ)を見て、不敵に笑った。

 

「行くぜ!」

 

 脚を高く掲げ、ボールをストンプ。力を浴びて二つに分かれたボールが舞い上がり、私もまた飛び上がる。そのまま空中で身体を捻り、二つのボールをオーバーヘッド。

 

 これが(オレ)の必殺技。

 

「【ダブルショット】!!」

 

 蹴り出したボールは一つに統合され、二発分の威力を得たそれは脆い障壁を易々突き抜けた。

 

 ゴールネットがシュートの威力に引き伸ばされて歪な凹凸を作る。私と豪炎寺さんと、そして円堂さん以外の皆が無言でそれを見つめ、ようやくボールが地面に付いた。

 

「ゴ、ゴォーーーール!!」

 

 ホイッスルが鳴り響き、我がチームも観客も沸き返った。

 

 それを一身に浴びながら、私は恋焦がれた快感に陶酔のため息を吐いた。

 

 

 

 

 

 その後、どういうわけか帝国学園が試合放棄を宣言したことで、1-21という大差ながらも私たちは試合に勝利した。廃部の危機も乗り越えたのだ。

 

 私の分もチームメイトたちにもみくちゃにされる豪炎寺さんと、私に抱き着き嬉し泣きをする秋さんをなだめがら、それを自制のタネにして、私は込み上げる熱を胸元で留めていた。

 

 楽しかった。それでいっぱいだった。

 

「やっぱりすげーや豪炎寺!これからも頼むぜ!」

 

 歓喜するチームメイトのだんごから逃れた豪炎寺さんに、円堂さんが手を差し出した。豪炎寺さんは悩むそぶりを見せた後、数秒目を瞑るとその精悍な表情に笑みを作り、その手を取った。

 

「あんまり期待されても困るんだがな。まあ、よろしく頼む、キャプテン」

 

 何時か以上に全力で喜ぶ円堂さん。そのはっちゃけぶりを手で制し、豪炎寺さんが私を向いた。

 

「俺はまたやるよ、サッカー。そう決めた。お前は――ベータはどうするんだ?」

 

 にやりと口角を上げる彼と円堂さんを見やって、私は微笑んだ。

 

 とっくに心は決まっていた。

 

「豪炎寺さんが三回まわって『わん』って言ったら、一緒にサッカーしてあげます♡」

 

 その後、この笑い話(恫喝)は、雷門サッカー部での私のキャラ付けに多大な影響をもたらしたのであった。




ベータちゃんは過去に少年サッカー団で無双し過ぎたせいでやっかみを向けられ、それが原因でサッカー熱が冷めたものの、チームメイトを恨みたくなかったためにその事実を忘れている。というバックグラウンドを晒して終了です。

最初は軽い読み物を目指していたはずが、中途半端にシリアスが混入したせいで何ともふわふわな出来になってしまった…反省。

あとご存知の方も多いと思いますが、現在初代イナズマイレブンが公式で無料配信されています。3DS持ってる人はダウンロードするといいよ。私はつい最近知りました。
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