死を受け入れたはずのレミール。しかしその気持ちは日に日に揺らいでいった。
原因は彼女自身の待遇にあった。
拘置所の生活は予想に反して快適だった。三度の食事は美味しく栄養も十分。
病気になれば医師が治療を施してくれる。
暴行など皆無で娯楽すら提供される。
皇国のように、看守の殴る蹴るは当たり前、女囚は慰みものにされ、
食事は家畜以下という環境であれば、むしろ死を有難いとすら感じるだろう。
それにより地獄の日々が終わるのだから。
皮肉にも、快適な環境が生きることに対する執着を強め、反対に死への恐怖が増大した。
朝、レミールは廊下の足音に耳をそばだてる。
足音が自分の部屋に近づくと、彼女の身体は硬直し心拍数が跳ね上がる。
雑誌の情報によれば、死刑は午前中の早い時間に執行されるのが慣例らしい。
ここで何も起きなければ、その日は無事に過ごすことができる。
足音は通り過ぎ、彼女はほっと一息つく。
これで今日一日は生き永らえられる。
しかし夜になると再び恐怖が訪れる。
「これが最後の夜かもしれない」という恐怖が。
安眠などできるはずもなく、ウトウトしてはすぐに目が覚める。
これを繰り返す毎日。
彼女の精神は確実に蝕まれていった。
そんなある日、レミールに面会の申し入れがあった。
訝しみながら面会室に向かうと、そこには朝田がいた。
朝田の目に映ったレミールは、以前とは全くの別人になっていた。
美しく輝いていた銀髪は真っ白になり、目は充血して落ち窪み、
皮膚からはハリと艶が失われ、老婆のようになっていた。
「こりゃまたえらくやつれたもんだな・・・ちゃんと食事は取っているのか?」
「なぜお前が?」レミールは真っ赤な目で朝田を睨みつけた。
「面会は親族に限ると聞かされていたが?」
「普通はそうだが、今回は特別に許可を取った」
「何をしに来た?私をあざ笑うためか?」
「あいにくだが私に死体蹴りの趣味はない」朝田は笑いながら言った。
「あんたにどうしても伝えておきたいことがあってな」
「・・・・・」
「コリーヌの事は知っているな?」
「・・私の異母妹だ。知らないわけがないだろう。それがどうかしたのか?」
「コリーヌは、日本の皇族に嫁ぐことになった」
レミールは口をぽかんと開けて固まり、それから大声で叫んだ。
「なっ!そ、そんな馬鹿な!新聞にはそんなことは一言も書いてなかったぞ!」
「このことはマスコミにはまだ公表されていない。トップシークレットだ」
「・・・そんな・・・そんなことがあるはずが・・・」
「誇り高き皇国の皇女が蛮族の皇族などに・・・か?」朝田はやれやれという表情で続けた。
「あんたも知っての通り、皇国は滅亡寸前の状況だ。復興は遅々として進んでいない」
「・・・・・」
「戦争で国を支える多くの若者の命が失われ、インフラも破壊された。
復興には大規模な支援が必要だが、その支援を行えるのは日本以外にない。
しかし日本は皇国の支援に消極的だ。なにせつい最近まで戦争してた相手だからな。
下手に支援して力をつけて、また日本に歯向かうようなことになってはたまらん」
「・・・・・」
「支援を引き出すには、日本との劇的な関係改善が不可欠だ。
そのためにカイオス以下皇国の首脳陣が考えた手段・・・それが今回の縁組だ」
「カイオス・・・」その名前を耳にしたレミールの目に怒りの炎が上がる。
「カイオスめ!皇女を政略の駒に使うとは!第一コリーヌ本人の気持ちはどうなる!」
「それなら心配ない、コリーヌは縁組に大変乗り気で、一日も早い日本行きを望んでいるそうだ」
「・・・そんな・・・本当なのか、それは?」
「コリーヌは日本について勉強し、実情をかなり早い段階で知っていたらしい。
皇国とは比較にならない高度な文明を持ち、長い歴史と伝統を持つ皇室を有することも。
そんな国に嫁ぐことで皇国が救われるのなら、これに勝る幸せはない、と語ったそうだ。
聡明なお方だな。どこかの誰かさんとは大違いだ」
「・・・・・」
「だが、より重要なのは日本がこの縁組を了承したことだ。
日本としては蹴っても別にどうということはなかった。だが受けたということは、
皇国を敵性国家として扱うことを止めるという意思表示だ。
日本は皇国の復興に本腰を入れるだろう。皇国は滅亡の淵から救われたんだ」
「・・・・・」
「それから、もう一つ伝えておきたいことがある」朝田はレミールに向き直って言った。
「新聞や雑誌を読んで知っているとは思うが、日本人のあんたに対する感情は最悪だ。
やったことを考えれば当然だがな・・・あんたは史上最も日本人に嫌われた外国人だろう」
「・・・・・」
「だが、日本には他国にない独特の文化がある。それを知っておいてほしい。
日本では、死んだ者はみな神になる」
「・・・死んだら・・・神に?」
「そうだ。あんたは自身の命で罪を償う。償いを終えた者に対して日本人は寛容だ。
死後も叩き続けたり、墓を暴いたりということはしない。それは保証してもいい」
「・・ふっ・・」レミールはかすかに微笑んだ。
「お前がそういうのなら信じよう。あと、一つだけ頼みがある」
「何だ?」
「エストシラントに私の母がいる。母が遺骨を引き取れるよう図らってもらいたい」
「・・・わかった、手配しよう」
こうして面会は終わった。
それから10日ほどたったある朝。
朝食を済ませたレミールの部屋に3人の刑務官が来て「出房」と声を掛けた。
ついに「その日」が来た。
両脇を刑務官に挟まれ廊下を歩く、曲がり角など要所に複数の刑務官が立っていた。
エレベーターに乗り、向かった先の部屋には2人の男がいた。うち1人は拘置所長だった
彼が口を開いた。
「レミール、残念だがお別れの時が来た。
こちらは教誨師の先生だ。最後に祈りを捧げたり、話をすることもできる」
「心遣い感謝するが、私の宗教はこの国のものとは異なる。教誨は不要だ」
「そうか、わかった。遺骨の引き取り先は母親で間違いないな?」
「間違いない」朝田はちゃんと手配してくれたようだ。
それから刑場へと向かう。
刑場の前室で、所長から死刑執行を告げられる。
レミールは頷き「お世話になりました」と小さく頭を下げた。
刑務官たちは何とも言えない表情を浮かべた。
死の直前に真人間になる。これまで何度も見た光景だった。
アイマスクで顔を隠し、手錠を掛けられ、刑務官に誘導されて踏み板に乗る。
ロープが首に巻かれる。
ここまでに要した時間は1分少々。実に手際よく進められる。
所長が手を振り下ろすのを合図に、3人の刑務官が同時にボタンを押す。
その刹那、レミールは心の中で叫んだ。
『パーパルディア皇国、万歳!』
「ドーン!」
轟音が響き踏み板が落下した。
15分後、医師がレミールの死亡を確認した。
その死に顔は穏やかであったという。