1
「……」
一つ、拳を前へ。
「……」
一つ、脚を前へ。
「……」
ただ、ただただ、拳を前へ。
儂の鍛錬の基本はこれ一つ。拳が濁らぬように、眼前に仮想の組手相手を作り出し、ただ拳を前へ。
それが終われば危険種の素材で造られた、よくしなる槍を手にする。
庭先の樹の下で、舞い散る葉を、一つ、また一つ槍先に連ねるように突く。
これが儂の朝の習わし。五十余年続けてきた基礎鍛錬。
――多くを学ぶも好し、されど一つを極める事こそ、我が武の求道なり。
ついぞ儂を殺せる者と出会わぬまま、この歳になったが、若かりし頃には理解できなかったモノが視えてきたのは僥倖であった。それは――……
「おはようございます、先生。」
「うむ、子らは、飯をすませたか?」
「はい、皆食べ終え、鍛錬の準備をしております。」
――確かに、儂の拳は全盛期の頃より衰え、また、強者との死闘を望む凶暴性も、鳴りを鎮めた。
それでも、あの坊が差し向けてきた刺客の数々、全て一撃で屠る事ができた。
故に未だ敗北を知らぬ儂の拳は最強。
『おはよーございます!!せんせーい!!』
「うむ、今日も励み、多くを学ぶのだぞ」
『はーい!!』
そんな儂が、親を亡くした子を引き取り、育て、武を教授しておる。そんな子らに期待してしまうのだ。
いつしかこの中から、儂を超える者が現れる事を。その時、儂は笑って死ねるのか、悔しい、と、純粋なる武人の矜持の念を抱けるのか。
かかか、昔の儂には理解できぬだろう、理解しようともしないだろう。
むしろ、この穏やかな日常を受け入れている己を否定し、鏖殺すらしかねない。最も、その若き己など、とうの昔に消失しておる。今や陰に生き、陰に殺しをしていた己は消え去り、陽に、陽だまりの暖かな生活を送る己に、何の疑問も抱かぬ。
「先生!!先生、大変です!!」
「む?どうした?」
子が拳を練り上げていくのを眺めていた儂の下に、家の表の番を任せていた者が駆けて来た。
「その……また……」
「……奴か、金庫からいくらか出しておけ、客人の相手は儂がしよう。」
「御意!!」
溜息を一つ、不肖の弟子の世話をしに、母屋へと向かった。
2
「こりゃぁ、先生自らのお出ましとは、ご足労おかけしましたねぇ……」
「どうも先生、
「へっ、今日は兄貴に怒鳴られなくて済みそうだぜ!!」
「……」
黒いスーツやらを纏った、所謂ヤクザ者の小集団が玄関にて、笑顔で仁王立ちしていた。
「……おいくらですかな?」
儂はそうとだけ言う。
「へへっ、流石は先生、話が早い。とりあえず……こんなもんですわぁ」
手渡された紙に書かれた額を見る。
「先生!!持ってきました!!」
そこへ、先程金庫まで使いを頼んだ若い衆が戻ってくる。
紙袋の中から、額面通りの金額を取り出し、ヤクザ者の前に置く。
「……これにて」
「はいはいっと。……ひー……ふー……みー……――」
金の勘定を済ませたヤクザ者は深い笑みを浮かべ、一礼してきた。
「毎度ありっと……。奴さんに、次は逃がさん、とお伝えください、では失礼……」
去っていく彼らに、儂も頭を下げて送った。
「せ、先生!!俺は、俺はもう我慢なりませんよ!!酒代に賭博代、溜まりに溜まったツケの支払い……!!何で先生があんな奴らに頭を……!!」
「落ち着け。儂が育てた結果がこれならば、その責任も当然持たなければならぬ。そして……出てこいレオーネ。」
そうとだけ言うと、儂の眼前で土下座をしている女が一人。
彼女は顔を上げると、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ははは……ついに手持ちが無くなって、来ちゃいまし、た~……」
「レオーネ!!お前……!!」
そんな彼女、名をレオーネと言うが。奴を見た若い衆が凄みを利かせて睨みつけた。
「ふむ、圏境の腕を上げたな。それならば大抵の者には見つからんだろうて。」
「でしょ~!!やっぱり私って才能あるのか~!!いや~参ったな~!!」
「後十年も技を磨けば儂を超えれるかもしれぬなぁ、かかか!!」
お互いに笑いを上げたが、若い衆は顔をしかめる。
「せ、先生!!こんな奴に……!!」
「そう怒るな。性根はこれだが、技は光るものがあるのも確かだ。それに若い頃の儂の方が余程酷かったわ、かかか!!レオーネ、せっかくだ、茶でも飲んでいけ。子もお前に会えば喜ぶだろうて。……新しい
そう言って、色眼鏡越しに彼女の眼を見据える。
「へ?あ~……いやぁ、マッサージ屋として腕がいいって評判でさ~。結構な客が来るもんさ!!」
一瞬の、彼女の気の乱れを感じ取るが、しかし。
「……そうか」
儂はそうとだけ言い、彼女が身に纏う、濃厚な陰の気から、察するのだ。
“人を殺める仕事”をしているだろう、と。