ミストバーンが静かに構えを取ると、闇がうねるように彼の周囲を包んだ。
その右手に握られたのは、バランの手に馴染んだ竜の騎士の剣――あらゆる金属を貫く、神造の刃だ。
「鍛冶師風情が、この私の相手をするつもりか?」
「鍛冶師風情、か……」
ロン・ベルクが口元をわずかに歪める。
「そう言うわりには、随分と用心深いじゃないか」
圧倒的な力を誇るミストバーンだったが、彼はロン・ベルクを軽んじてはいなかった。
いや――むしろ、内心では強く警戒していた。
剣士としての実力はもちろん、その目に宿る冷静な闘志。どれほどの力を見せつけられても、なお一歩も退かぬ姿勢。
それが、ミストバーンに“真魔剛竜剣”を抜かせたのだ。
アバンたちとの戦いでは解放することのなかったその刃を、今、ロン・ベルクに対しては解放せざるを得なかった。
次の瞬間、ふたりの剣がぶつかった――いや、ぶつかり合ったというより、すれ違った。
速度が違いすぎた。ミストバーンの一撃は、一瞬でロン・ベルクの防御を抜け、彼の肩口を裂いた。
「く……っ!」
ロン・ベルクが後方に跳び退く。血が飛び散る。しかし、その顔に焦りはなかった。むしろ……笑っていた。
「さすがに速いな。だが……」
両手に握る双剣。その片方の刀身が、かすかに黒い靄を滴らせていた。
ミストバーンの纏う闘気を“斬った”痕だ。
だが、その意味に気づく者はいない。ミストバーンすら、その現象を一瞥しただけで、再び静かに構えを取る。
次の瞬間、二人の姿が視界から掻き消える。
空気が裂けた。地面がえぐれた。数合の交差が、わずか数秒のうちに繰り返される。
ロン・ベルクは受け流す。斬り返す。回避する。だがそのすべては、ほんの紙一重だ。
一撃でも躱し損ねれば死ぬ――それほどまでに、ミストバーンの速度と破壊力は常軌を逸していた。
「……どういうつもりだ」
ミストバーンがわずかに眉をひそめる。
ロン・ベルクの動きには、一点の無駄もない。極限まで研ぎ澄まされた剣筋。だが、その斬撃のすべては――ミストバーンの体ではなく、握られた真魔剛竜剣へと向けられていた。
尋常な剣士であれば、敵の武器を狙うなど愚策である。
だが、ロン・ベルクはその常識を持ち合わせていない。鍛冶師である男の渇望は常に昔からただひとつ。
「お前の力は、確かに脅威だ……だがな――俺の狙いは、貴様じゃない」
双剣の一つが、火花を散らしながら真魔剛竜剣とぶつかる。
重い衝撃音――だが、打ち合ったのは“剣同士”だ。
再び交錯。刃が閃き、軌跡を描く。
ロン・ベルクの斬撃は、人間の急所ではなく、真魔剛竜剣の刀身を執拗に狙い続けていた。
「……ふん。剣を折るつもりか?」
ミストバーンの声音に嘲りが混じる。
それもそのはず。真魔剛竜剣――神々の技で鍛えられたその剣は、ロン・ベルクが”百年以上も追い求めてやまなかった究極の武器”だ。
「無理だと知りながら、何故狙う」
ミストバーンの問いに、ロン・ベルクは口元を歪める。
それは笑みとも、苦痛ともつかぬ表情だった。
「昔の俺なら、確かにそうだったろうな……だが今の俺には――“あいつ”から受け取ったものがある」
そう言って、ロン・ベルクは手にした双剣を握り直す。
その刀身の一方が、わずかに黒く揺らめく。風に舞う靄のような、不思議な“力”を帯びながら。
そして――斬る。真正面から、正面突破で。
再びぶつかる、剣と剣。
凄絶な火花。唸る空気。そして、その刹那――甲高い音が戦場を切り裂いた。
ミストバーンの右手が、わずかにぶれた。真魔剛竜剣の刃が……一瞬、震えたように見えた。
ミストバーンの目が、わずかに見開かれる。
「……何だ、今のは……」
ロン・ベルクの目は、静かに燃えていた。
「これが、“あいつ”に勝つために鍛え上げた剣だ」
* * *
かつて、トーヤと剣を交えた日――それは、何気ない勝負のはずだった。
ロン・ベルクは、鈍ってこそいたが己の鍛えた刃にそれなりの自信を持っていた。
対するトーヤは、一本の木刀を手にしただけの少年。呪文も技も使わず、ただ構えを取る。
――挑発か?
そう思った瞬間から、ロン・ベルクは熱くなっていた。
自分の鍛えた剣を、たかが木刀で受け止めようとする無謀さが許せなかった。
容赦なく斬りかかった。何度も、何度も、木刀めがけて打ち込んだ。
だが――折れなかった。
木刀は軋みながらも、斬撃に耐え続けた。
やがてトーヤの腕から木刀が滑り落ち、地面に転がる。
「剣を手放してしまっては負けを認めざるを得ませんね」
その言葉は静かだった。挑発でも嘲笑でもない。――ただ、淡々と、事実を述べただけ。
だがロン・ベルクの胸に走ったのは、激しい怒りだった。
(ふざけるな……!)
斬れなかったのは俺だ。木の棒一つを、鍛え上げたこの剣で。にもかかわらず、何故こいつが敗者のような口を利く……!
怒りは瞬く間に、熱となり、心の奥底を焼いた。だが次の瞬間、その熱が崩れ落ちた。
音もなく――自分の中の何かが、崩れ落ちたのを感じた。
(……違う)
あれは、嘲りなんかじゃなかった。そのことに気づいたのは、ずっと後のことだった。
――ダイが、あの剣を折ったと聞いたとき。
真魔剛竜剣。
自分が百年以上も追い求め、届かず、越えられなかった“理想”。
神々が鍛えた究極の刃を、ダイは折った。――ロン・ベルク自身が鍛え上げた剣で、真正面から、堂々と。
ダイの剣を完成させたとき、ロン・ベルクの胸には歓喜があった。剣職人として、これ以上ない満足。魂が震えるほどの誇り。
だが同時に、ぽっかりと空虚が広がった。
(……もう、やることは終わったのか?)
そう思った。
――だが。
……違う。まだだ。
まだ、ロン・ベルク自身の手で超えていない。“あいつら”に負けるわけにはいかない。