その様子を、静かに見つめる者がいた。
それは、バランの心の奥底――精神の深淵に潜み続けていた、異質な存在。
大魔王バーンの忠実なる腹心。
そして、竜の騎士バランの肉体を密かに支配していた“影”――ミストバーンである。
まさか、ダイがベホマズンを発動するとは。
想定外の出来事ではあったが、ミストバーンはまるで動じた様子を見せなかった。
勇者アバンとその仲間たち……ダイを除く全ての“脅威”は、すでに排除済み。
残るは少年ひとり。ならば、大魔王バーンにとっても、もはや恐るるに足らぬ。
命をつないだところで、盤面を覆すことなどできはしない――それが、ミストバーンの冷徹な計算だった。
だが、それよりも彼の関心を引いたのは、別の事実だった。
魂を砕いたはずのバランが――なおも消滅していない。
それは明らかな異常だった。
それもその筈。竜の紋章とは、魂そのものの発露。
紋章が存在していたということは、バランの魂が今なお“生きている”ことを意味していた。
ミストバーンの瞳が、かすかに細められる。自らの見誤りに気づいた瞬間、ミストバーンの胸中にわずかながら動揺が走る。
そして、ダイとバランのやり取りを覗くうちに――ミストバーンの中には、かつて感じたことのない“ざわめき”が生まれ始めていた。
彼は闇から生まれた存在。
死してなお戦おうとする壮絶な意志が凝縮し、暗黒闘気となって具現化した“戦鬼”に他ならない。それは、竜の騎士である彼らも同じ。
――ダイとバランが交わした、たった一度きりの対話。
その“繋がり”が生み出した奇跡が、ミストバーンの中に、微かなひびを走らせた。
それは、理解を超えていた。
だが、理解できぬからこそ、強く胸に引っかかる。かすかな違和感が、胸の奥底で渦巻いていた。
バランを通してミストバーンが、もう一度、ダイの姿をとらえる。
どこかで、自分もまた――理解したかったのかもしれない。
戦い以外に生きる意味を持てたなら、自分は何者になれたのかと……。
既にバランの魂が覚醒した今、支配するだけの力はない。あとは消滅を待つだけだ。
せめて――敬愛する主が、すべてを成し遂げるその瞬間を見届けたかった。だが、それすらももはや叶わぬだろう。
死を、静かに受け入れようとしたその時だった。
「――まだ、終わってはいない」
その声に、ミストバーンの意識がわずかにざわめいた。
ヒュンケルが剣を杖代わりにしながらも、確かに自らの足で立ち、闇の中に佇む存在へと言葉を投げかけていた。
「お前が見たいものがあるなら――俺の体を使え。お前の居場所は、まだここにある」
その言葉に、ミストバーンは沈黙した。
ヒュンケルの目に、迷いはなかった。かつて敵として刃を交えた者に、自らの身を明け渡すという、正気とは思えぬ選択。
「……なぜだ?」
「弱り果て、消えていくお前を見ていられなかった」
「……つまらぬ情を――」
ミストバーンは言いかけて、ふいに口を閉ざした。
その目に映るヒュンケルは、かつてのような少年ではなかった。何度も地獄をくぐり抜け、それでもなお人を信じ、人のために拳を振るう戦士の姿が、そこにあった。
「貴様は、かつて我が教えを受けた身。それを捨て、再びアバンの道を選んだ男……そのような者に、私がすがるとでも?」
「すがる必要はない。ただ――受け取ればいい」
ヒュンケルは、ただ静かに言葉を重ねた。
「お前は、バーンを敬っていた。それが俺には、分かる。だからこそ、あの男の行く末を見届けたいと思うのだろう。ならば……その想いは、もう虚ろではない。誇りだ」
その言葉に、ミストバーンの中で、何かが崩れた。
ずっと否定し続けてきた、人の感情。人の弱さ。
だが、その“弱さ”に溺れるのも悪くない……と彼は考えてしまった。
ミストバーンの闇がふわりと揺らぎ、薄く、淡く、ヒュンケルの胸へと吸い込まれていく。
闇の気配が胸に宿るのを感じながら、ヒュンケルの意識はゆっくりと沈んでいった。
「……行こう。我が主の行く末を。お前もまた――見るべきものを、見届けなければならない」
+
風が吹いていた。高く、果てしない空の下。
見上げる先には、巨大な城――バーンパレスが、天空に静かに浮かんでいた。
「……行けないな、あそこへは」
ダイは呟いた。
決して飛べない距離ではないが、幾重にも張り巡らされているであろう魔力の結界が行く手を阻んでいる。
自分の技を使えば、無理やり突破することはできる。
だが、その代償は大きい。戦う前から全力を出してしまっては、勝機などない。
その時――
「無理をするな。お前の力は、まだ残しておけ」
聞き覚えのある声が、背後から降ってきた。
振り向いた瞬間、そこに立っていたのは――
「ヒュンケル……!? 無事だったんだ――いや……!」
ダイの目が見開かれる。
その姿は、間違いなくヒュンケルのもの。
だが、その中に宿る気配は、まるで違っていた。
「ミストバーン……なのか?」
「そうだ。今の私は、ヒュンケルの身体を借りたミストバーン――だが、早まるな。戦いに来たのではない。お前を、あの城まで連れて行こうと言うだけのことだ」
ダイは困惑を隠せないまま、それでも問いかける。
「どうして……? どうしてお前が、俺をあそこへ連れていこうとする? お前はバーンの部下のはずだろ……!」
しばしの沈黙。
ミストバーン――いや、その姿の中に宿るヒュンケルの声が、静かに響いた。
『安心しろ、ダイ。俺はミストバーンに操られてはいない。俺たちはただ、お前たちの戦いを見届けるため、そのためだけにここにいる』
その言葉に、ダイは目を見張る。
敵であるミストバーンが、いま自分に手を差し伸べようとしていることが、にわかには信じがたかった。
「信じられないか?」
「……いや、信じるよ」
ダイはうなずいた。
迷いを振り払うように、力強く。
「ヒュンケルがそう言ったのなら……俺は、それを信じる」
ミストバーンの瞳が、わずかに細められた。
かすかに――だが、確かに、その奥で静かな感情が揺れた気がした。
ミズトバーン和解ルート