「はああぁぁ……どうすればいいんだろぅ……。ねぇ、アバンさん」
俺は机に突っ伏し、深いため息をついて項垂れた。
「ええ、そうかもしれないですね」
なのにアバンは、気のない返事をするばかり。冷たくない?
ここは破邪の洞窟の下層。”同行”のスペルカードを使ってここまでやってきたのだ。
何かいいアドバイスをくれるだろうと思って来たというのに、アバンは背を向けたまま、何やら作業を続けている。
「ちゃんと聞いてますかぁ?」
「もちろん、ちゃんと聞いていましたとも。彼女とケンカしたんですよね?」
「ちゃいます。彼女じゃないし、ケンカなんてしてません」
顔を上げて抗議すると、ようやくアバンは作業の手を止めて、こちらへ向き直った。
「あの~、地上での動向を教えてくださるのは大変ありがたいんですが、できればもう少し真面目にお願いできませんか?」
「めっちゃ真面目ですって。ハドラーのこととか、竜の騎士のこととか、死の大地のこととか、色々詳しく話してるじゃないですか」
「いえ、ほとんどが……マリンさんでしたっけ? 話の合間にすぐ彼女の話に戻るじゃないですか」
「しょうがないじゃないですか。マリンに『あなたが大魔王を倒せるとは思えない』なんて言われたんですよ」
「ふうむ。それで、トーヤくんはマリンさんに何と答えたんですか?」
「いや、別に……『ちゃんと倒すよ』って言いましたけど」
「それで彼女は?」
「えっと、『あなたのことが分からない』とか、『信じていたけど』とか……そんな感じのことを言ってましたね」
「それを聞いて、あなたはどう感じましたか?」
「んー……おそらく、マリンは俺のことを疑ってるんでしょう。魔王軍とつながってるんじゃないかとか、そう考えてる可能性が高いですね」
そう考えれば、マリンの発言にも一応の説明がつく。
マリンの視点からすれば、俺の行動には不審な点が多いのかもしれない。
魔王軍がパプニカを襲撃したとき、俺は行方不明になっていたし、”同行”のスペルカードも、皆うすうす気づいていたのに、俺は黙っていた。
錬金術のことを黙っていたのも、むしろ怪しさを増していたかもしれない。
そして極めつけは、ハドラーたちとの一戦だ。
あんな連中を相手にして生き延びたなんて、普通に考えれば不自然だし、怪しさ爆発ってやつだ。
だから俺は、可能性のひとつとしてそう言っただけだったのだが、アバンの表情はどこか微妙だった。
「そうきましたか。あなたは少し──いえ、かなりの鈍感さんですねえ。そもそも、質問の意味を履き違えていますよ」
「はあ?」
我ながらマヌケだなと思いながら、気の抜けた声で聞き返す。
「ところでトーヤ君。神託のことなんですが、そろそろ詳しい内容を教えていただけませんか?」
「え、ええ……いいですけど」
突然話を変えられて驚いたが、俺は頷いて返事をした。
確かにアバンには、神託の内容をかなりぼかして伝えていた。
”魔界から大魔王が現れ、魔王ハドラーを蘇らせる。そして、それに立ち向かえるのはアバンの弟子だけ”──そんなざっくりした話しかしていない。気になるのも無理はない。
破邪の洞窟へ潜ってしまえば、最終決戦までアバンがストーリーに関わることはない。
ここまで来た以上、詳細を話したところで支障はないだろう。むしろ、話しておいた方がいい気さえする。
だから俺は、これから起こるであろう未来の出来事を、アバンに語ることにした。
+
アバンには、転生チート以外の「未来」の話をすべて打ち明けた。
ハドラーと黒のコア。キルバーンの正体とその裏に潜む策略。ミストバーンの秘密。そして、大魔王バーンが地上を黒のコアで丸ごと消し飛ばそうとしていること。
……なんか、黒のコア多いな。
冗談みたいな未来だが、今度こそ包み隠さず語った。
そのせいか、アバンは真剣な表情で何事かを思案している。
「ダイ君は、キルバーンの人形ごと空に消えたと聞きましたが、その後は……?」
「わかりません。"ダイの剣"を打った鍛冶師のロン・ベルクさんは生きてるって言ってました。でも……地上に帰ってきたのかどうかは」
原作は、あの場面で終わっている。
もしかしたら数日で帰ってくるかもしれないし、数十年経っても戻らないかもしれない。
「ですが、安心してください。……ダイがいなくなったら寂しいですからね。そうならないように、ちゃんと俺が最後はキメてみせますよ」
「そうですか。ならば、あなたに任せましょう。……帰ったら、同じことをマリンさん……いえ、ダイ君たちにも話してみては?」
「はあ? そんなの、できるわけないでしょう」
一笑に付したつもりだった。
けれどアバンの表情は崩れず、むしろいっそう真剣だった。
「私は本気でそう思っています。あなたは少々、“神託”に囚われすぎているのではありませんか?」
「囚われてる……?」
「ええ。神託の内容を変えまいとして、いろいろと戸惑っているのでしょうが……それは本質的に間違いです」
アバンはゆっくりと言葉を選ぶように続けた。
「あなたがその神託を知った、その瞬間から未来はもう変わっているのです」
「いや、変わってませんよ。そんなことあるわけない……俺なんかがちょっと動いたくらいで、世界が変わるわけないじゃないですか」
そう――あるわけがない。
念能力を授かっていようが、所詮はひとりの力。
世界の歴史なんて、そんな簡単に変えられるものじゃない。
実際、ところどころ違いはあれど、大筋は原作と同じ。
俺はただ、その流れに従っているにすぎない。
「……もし、あなたがいなければ、パプニカで病気で亡くなっていた方々がいた。あれは神託通りですか?」
「……いいえ。違います」
それは、あまり触れたくない記憶だった。
数年前、パプニカで流行病が発生した。街では何百人もの人々が倒れ、次々と命を落としていった。
俺はそれを見過ごすことができず、手を貸してしまった。
未来の記憶を持つ自分にしかできないやり方で、助けてしまったんだ。
本来なら、死ぬはずだった人たちを。
それは、原作を知っている俺だからこそ背負った葛藤だった。
誰かが生きる。それだけで、世界のあり方は変わる。
「所詮、一人の力だなんて言いながら――心のどこかで、自分のせいで歴史が狂うんじゃないかって、ずっと怯えていたのではないですか?」
最初は些細な変化。
助けた人たちのせいで、食料が足りなくなるとか……店の商品が品切れになるとか。でもその小さな波紋は、やがて連鎖的に誰かの人生すら変えてしまうかもしれない。
職を失う人が出る。結ばれるはずだった恋人を失う。
生まれてくるはずだった命が、存在ごと消えてしまう――そんな未来さえあるかもしれない。
「だけど……どうしても、見捨てられなかった。俺には、その力があったから」
「……ええ。もし私があなたの立場でも、同じことをしたと思います」
アバンは優しく頷いた。
「だから、そんなに思いつめないでください。ずっと一人で頑張ってきたのでしょう? もう十分です。これからは、私も頼ってください」
その言葉に、不意に胸がつまった。
「……マリンさんも、きっと同じことを言いたかったのでしょう」
――俺は、ずっと誰にも頼ろうとしなかった。
本当は、頼りたかったのに。でも怖かった。
未来が変わることが。
俺の手に負えないことが起こることが。
俺の身勝手で、世界を壊してしまうことが。
だから、独りで戦うしかないと決めた。
ふと、テランでメルルに言われた言葉を思い出した。
”あなたは、運命に縛られているように感じますが、それはきっと――”
あのとき、会話は途中で途切れてしまったけれど。
今は、その続きがなんとなくわかる。
涙が頬を伝う。
悲しいわけじゃない。辛くもない。
けれど、なぜか止まらなかった。
俺はアバンに背を向けたまま、涙を拭うこともせず、静かに流し続けた。
――ありもしないはずの運命。
それに縛りつけていたのは、他でもない、自分自身だった。
そして今、俺はようやくその運命から解き放たれたのだ。