ソードアート・オンライン~黒の剣士と灰の剣聖~ 作:カノン・キズナ
『今日16時かラ、第1層ボス攻略会議があるヨ』
全プレイヤーが待ちわびたその日がようやく来た。一般プレイヤーの最前線がようやくボス部屋を発見したという情報を、今朝俺達はアルゴから聞いた。
一般プレイヤーが、という表現には理由がある。何故なら俺達は2週間も前にすでに見つけていたからだ。本来ならすぐにアルゴを通じて公表し、攻略会議を開く必要があったのだろうけど、俺はそれをしなかった……いや出来なかった。
リーダーシップなど持ち合わせていない俺が、攻略組を率いるなんて事をしたくなかったのもあるけど、日が経つごとにβテスターヘの風当たりが強くなっていくなかで自分がβテスターだとバレるのが怖かったというのが本音だ。
アルゴも恐らくその事には気付いているだろう。ただわかってる上で何も聞かないのは、アルゴなりの優しさなのかもしれない。《鼠》の名はβ時代から聞いたことがあったし、あっちも俺がβテスターだと薄々気付いているはずだ。でも俺達はその事を確認しない、その行動に意味はないから。
売れる情報はなんでも売るが心情のアルゴが、唯一売らない情報がβテスターの情報だ。それが出回ればどうなるかを分かっているからこそ彼女はそれを秘匿し続ける。だからこそβテスター達は安心してアルゴに最前線の情報を伝える事が出来ている。
とにかくそんなわけで、俺達はそれ以来迷宮区でひたすらレベリングをしていた。第1層ボスは、βと同じならコボルト種になる。カイトとユウキにとっては初のボス戦になるからコボルトが大量に出現する迷宮区ならちょうどいい事前練習になる。
そして、俺が彼女を見たのはそんな迷宮区の奥深くでの事だった。
生まれてから今まで少なくとも記憶にある限り、一度しか見たことの無い流れ星をまさかこんな仮想世界のダンジョンの中で見ることになるとは思わなかった。
フードをかぶり、俺同様身軽な装備で恐ろしいほどの完成度を誇る細剣用ソードスキル《リニアー》、その一連の動きはまさに流星と呼ぶにふさわしいほどの鋭さと美しさだった。
「凄いな、あの細剣使い。細剣に詳しくない俺でもあの技のキレの良さは分かる」
「だよねー、今まで何人か細剣は見てきたけどあそこまでの人は見たこと無いよ」
細剣使いに見とれていると、一通り狩り終わったカイト達が横に来ていた。
「ああ確かに凄い……けど、なにか違和感があるんだよな」
「違和感?」
確かにあの細剣使いの技は一線級だろう、見た瞬間はもしかしたら自分以外のβテスターか、とも思った。
でも違う、しばらく見ていたら違和感の正体がわかった。あの細剣使いの戦いかたはあまりにも余裕がない、全力で引っ張られ続ける糸のようだ。いつ切れてもおかしくない危うさを感じる。
そう感じた次の瞬間には俺は、あのプレイヤーの方へと歩きだしていた。そして、細剣使いがコボルトをリニアーで倒した後、いつもなら初対面の人間に自分から声をかけることなど絶対しない俺が、思わず声をかけていた。
「今のは、オーバーキルすぎるよ」
しかし、目の前の細剣使いは言っている意味が分からないという感じで首をかしげた。至極ポピュラーなゲーム用語が伝わらない、もしかしたらこのプレイヤーはゲーム用語も知らない初心者なのではないかという気がした。そして、もしそうだった時のために噛み砕いて改めて説明を始めた。
「オーバーキルってのはモンスターの残りHP量に対して与えるダメージが過剰ってことだ。さっきのコボルトは、2回目のリニアーでニアデス…じゃない瀕死だった。だからわざわざもう一度リニアーを打たなくても軽い通常技で倒せたんだ」
「…過剰でなにがいけないの?」
驚いたことに、かすれ声だったけど聞こえてきた声はとても綺麗な女性の声だった。圧倒的に男性プレイヤーの多いSAOで女性プレイヤーは今までユウキも含めた数人しか見たことはない、しかも全員がパーティーに入っていた。ソロプレイヤーで、ましてこんな迷宮区の奥深くでは見たことがない。
もしこの時、うるさいとかほっといてと言われたら、俺はすぐにそうですかと答え、この場を去っていただろう。だが、この細剣使いはそのどちらもすることなく、疑問形で返されたため、もう一度分かりやすく説明した。
「オーバーキルにデメリットはないしソードスキルは確かに強いけど、集中しないと使えないし、精神的な消耗も激しい。ここは街から遠いから帰ることも考えたら…」
「…別に街に帰らないから、問題ない」
「は? 帰らないって…ポーションの補給とか、武器の修理とか必要だし、睡眠だって…」
「全部避ければダメージは受けないしポーションもいらない、武器も予備の分も買ってある。休憩は近くの安全地帯でとってるから」
それを聞いて俺は絶句した、β時代にダンジョンにこもってひたすらレベリングはよくやった。だがそれは、少々ミスをして仮に死んでも問題なかったからだ。でも今は違う、一つのミスが文字通りの死に直結する今の状況でそんな事はできない。しかも安全地帯は石敷きで冷たくモンスターの鳴き声なども聞こえてきておよそ宿代わりに使えるほど落ち着ける場所ではない。
もし言葉通りなら、彼女はこもりっぱなしということだ。おそるおそる俺は彼女に聞いた。
「…何時間、続けてるんだ?」
彼女が少し考え込むようにして答えた内容は俺をさらに絶句させた。
「……3日か、4日。……もういい? …そろそろ、この辺の怪物が復活してるから行くわ」
よろよろと立ち上がりながら、本来軽いはずの細剣を重量武器のように重そうに持っている彼女の後ろ姿を見て、その言葉が事実なのだろうということを認識した。俺はフラフラと歩く彼女に半ば無意識で声をかけていた。
「…そんな戦い方をしてたら、死ぬぞ」
俺自身、昔から人のやり方に口出しすることはなかった。当人が変えようとしなければ変わらないとどこか達観しているところがあったから。でも、本当になぜだかわからないけどこの時はそう言わずにはいられなかった。
「……どうせみんな死ぬのよ」
振り返った彼女は、鋭い目線で俺を射抜きながら冷たい声でそう返した。
「たった1ヶ月で2000人も死んだわ。でもまだ、最初のフロアすら突破されてないじゃない。このゲームはクリア不可能なのよ。どこでどんなふうに死のうと、遅いか早いかの違い……」
今までの抑揚の無い喋り方とは違い、感情のこもったその言葉は彼女の本心だったのだろう。だがそれを確認する前に、彼女は糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。俺は反射的に駆け出し彼女を抱きかかえた。
「おい!大丈夫か?しっかりしろ!」
すかさず声をかけたが、反応はなかった。見たところ体力は減っていない、恐らく気絶したのだろう。そのことに少しホッとしたがあまり安心もしていられない。なにせここは迷宮区のど真ん中いつモンスターに襲われてもおかしくない状況だからだ。そんなところに彼女を置いていくことなど出来るはずもない。
「キリト、大丈夫か?その人どうしたんだ?」
「なにか、バッドステータスでももらったの?」
遠目で、この細剣使いと俺とのやり取り見ていたカイトとユウキが心配してこっちにやってきていた。
「いや、ろくな休息も取らずに迷宮区にこもりっぱなしだったから疲労で倒れたんだろう」
「どうする? ここは危ないし…安全地帯まで連れて行くか?」
俺の予想だけど安全地帯まで運んでも、状況はあまり変わらないだろう。次に目を覚ませば、きっと彼女はまたダンジョンを突き進んでいくに違いない。死ぬために戦っているといった彼女を止めるだけの言葉を、さっきあったばかりの俺は持ち合わせていないしそんなことをしなければいけない義理も無い。でも何故か彼女のことを死なせたくないという感情が強く芽生えた。
あるいは、このゲームはクリアできないと悲観していた彼女に、最前線にいながら自己防衛のために先に進もうとしていない俺の今までの行動に罪悪感を感じていたからかもしれない。明確な理由は正直俺にもわからない。ただ、死んでほしくないそう思った。
「迷宮区の安全地帯で休んでも疲れは取れないさ、フィールドまで戻ったところにある森で休ませよう。カイトにユウキ、悪いけど俺のストレージの荷物をいくつか預かってくれるか?このままじゃ彼女を運べないから」
SAOには所持重量制限があり手持ちやストレージを含めて持てる重さが決まっている。人一人を運ぼうとした場合それなりにストレージを空けなければならない。
「でも人一人分抱えて運ぶだけの筋力はまだキリトにもないだろ?」
「確かにこのままじゃ運べないけど、寝袋に入れて引きずればなんとか運べるさ。それでも時間はかかるけど」
「わかったよ、いらなそうな素材を少し整理してストレージを空けるから少し待ってくれ」
「ボクも、空けるからちょっとまってね」
その後、俺が彼女を寝袋に入れて運びカイトとユウキが周りの警戒をしながらなんとかフィールドまで戻ったところで、ちょど良さそうなところに彼女を寝かせた。もちろん安全地帯ではないので俺達も側にいるのだけど。
それから、恐らく1時間ほど経ってからだろう、周りを警戒しつつも少しまどろんでいた俺はつい先程まで寝ていた細剣使いが起き上がるのを感じ、目を開けると少し苛立った様子の彼女が目の前にいた。
「…余計な、ことを」
恐らくその言葉は、どうしてあそこで死なせてくれなかったのか…ということなのだろう。正直助けた理由なんて未だにわからないし女性に慣れた男のようにキザなセリフを吐く度胸も持ち合わせてはいない。だから俺は一番当たり障りのなさそうな言葉でごまかすことにした。
「どこで有終の美を飾ろうとあんたの勝手だけど、あんたの持ってるマップデータも一緒に消えるのはもったいない。最前線近くに何日もこもってたなら未踏破エリアもマッピングしてるはずだ。――まあ相手が寝ててもやろうと思えば色々出来るけど…」
俺と木を挟んで反対側にいたカイトが小さな声で「素直じゃないな」と呟いたきがした。ちなみに寝てても~というのは少しシステムの抜け道が有る。相手の手でメニューを操作すればマップデータを取り出すことも出来る…のだが、どうやら目の前のお方は少し違う意味に受け取ったらしかった。
「あなた、寝てる間に私の身体に何をしたの…?」
「し…してない!何もしてません!! ご尊顔を拝してもおりません!!」
今までで一番感情の乗った…いや怒りに震えたような声が聞こえた。…武器を構え今にも俺の顔面にリニアーを打ち込みそうな剣幕で。背筋に寒気が出るほどの形相だった。まあフードで顔は相変わらずよく見えないけど。
「う、嘘おっしゃい!マップデータを探すふりをして私の身体を色々と…その…したんでしょ!!」
「濡れ衣だー!!」
このまま寝込みの女性に不埒な行為を働いた危ないやつとして認定されてしまうのだけは避けないとと思った矢先後ろからカイトの笑い声が聞こえてきた。
「あはは、安心していいよフェンサーさん。そんなことしてないのは俺が保証するから」
その声で初めて俺にパーティーがいることに気づいた様子だった。ちなみにその時ユウキは何故かカイトの膝枕で寝ていた。あいつが起きてればこんなややこしいことにならなかったのではないかと一瞬思ったけど。そして正面の彼女はあいにくまだ信用出来ないらしく、ものすごい疑いの眼差しでこちらを見ていたがその緊張はものすごい腹の音で一気に崩された。
もちろん腹を鳴らしたのは俺ではなく、目の前の彼女。思わず俺も笑ってしまい、彼女は不覚を取った剣士のように頭を抱えていた。
「はははは、まずは腹ごしらえでもするか?」
「いらないわよ、別に食べなくても死ぬわけじゃないし」
「確かにそうだけど、あんたが倒れた理由は極度の空腹感が関係ないとは言い切れないだろ。最善を尽くすなら食事はとったほうが良いぞ、それにこれ結構美味しいし」
そう言って俺は彼女に黒パンを渡した「なんだ、ただの黒パンじゃないあなたの味覚を疑うわ」と嫌味を言われたけど。
「もちろん、ちょっと工夫はするぞ。ほらこれ使ってみろ」
「なにこれ?」
俺が彼女に差し出したのは、とある村で受けられる《逆襲の雌牛》というクエストでもらえる報酬で、食べるとクリームの味がする不思議なアイテムだ。今感じる味覚が電気信号の偽りのものだと分かっていても美味しく感じる心は変わらない。どうやら彼女もそれがわかったらしく、一口食べた後に、パン一個を一気に平らげてしまった。
「もう一つ食べるかい?」
「…いい、美味しいものを食べるために生き残ってるわけじゃないもの」
「じゃあ、なんのためなんだ?」
「私が私でいるため。――最初の街の宿屋に閉じこもって、ゆっくり腐っていくなら最後まで全力で戦い抜いて、そして――」
「満足して、死にたい…か?――――――――すまない」
何について謝ったのかは、はっきりしないけど思わず口から謝罪の言葉が出ていた。けど恐らくそれは彼女に聞こえていたかは分からない、同じタイミングでトールバーナの鐘の音がなったから。
「何?鐘の音?」
「街が…トールバーナが近いんだ、3時の鐘だな。そろそろ行こう、カイト、ユウキを起こしてくれ」
「どこに行くの?」
その鐘の音は今日一番重要なイベントが、後一時間後に迫った証拠だった。
「第2層に誰よりも早く。いよいよボス戦なんだあんたも来るか?」
二人の出会いのシーンなのもあり少し長くなってしまいました。
原作ではキリトくんの心情は出ていませんでしたが、きっとこうであってほしいなと思いながら書きました。
さて次回はいよいよボス攻略会議です。
その後の一悶着も書くのでまた長くなるかも…