大都市ガリアの中枢、以前はこの町を治める統治者の住居兼仕事場として用いられていた館。
今では町全体が前線基地としての役割が強くなり、権力者の館としての華やかな空気や装いがすっかり失せてしまっていたその場所に一個所だけ、かつて以上の絢爛な光景が繰り広げられているところが存在していた。
ローマ人が好む黄金を使用して作られた豪華な大皿が幾つも並び、その全てに、今にも縁から零れんばかりの料理が盛られている。
軽く見積もっても7~8人は満足に食べられるであろうその料理の山に、深紅の袖口を伴った手が伸ばされた。
ローマ貴族の食事の作法に則って、指先が汚れるのも構わずに素手で掴み、ふくよかな頬を更に膨らませながら豪快に咀嚼するさまは、時代と場所が違えば下品だと眉を顰められかねないようなものだったのだけれど。
彼の場合は許されてしまうのではないか、むしろ周りの方が何を言われずとも彼に追随してしまうのではないか……見る者にそう思わせてしまう程の気品と自信が、彼の指先から目線に至るまでの一挙一動に存在していた。
少し頬がこければ極上の美男子となるであろうに、理想像とは逆にボールの如く膨らんでしまっている顔と、女性をその腕に抱き込むのを試みた段階で邪魔するであろう腹という有り様は、痩せていた頃の彼を知る者が見れば、ショックのあまりにひっくり返ってしまうかもしれない。
にも拘わらず、一人では到底食べきれそうにないような料理の山に、我慢や節制なんてものは単語すら知らないとでも言わんばかりに、口の中が空いている時間が一切無いような勢いで次から次へと手を伸ばし続ける彼の内心は、何とも表現しがたい虚無によって満ちていた。
今飲み込んだものは、果たして辛かったのか、それとも甘かったのか、美味しかったのか、不味かったのか。
それを意識し、思い出すよりも先に、次の料理が口の中に詰め込まれ、味を感じる間もなく喉へと押し込まれた。
今日だけで既に何度も何度も、数えるのがとうの昔に馬鹿らしくなってしまった程に幾度となく繰り返されてきたそれが、この後更にどれだけ続けられることとなるのか、自分ですらも予想がつかない。
自分が今行なっているこれが、『食』というものに対する冒涜だということは分かっている。
誰かがこのような真似をして、それを目の当たりにすれば『何と勿体ないことを』と怒っていそうだと、自分で思ってしまう程に。
食事という行為と、それに伴うひと時を、本来の自分はとても大切に、そして楽しみにしていた筈だった。
(内政に忙殺され、ストレス由来の過食に走っていた時期を『全盛期』とするのならば、クラスが『セイバー』というのはおかしくはないか?
ならばいっそのこと、遠征の地で『彼女』と逢瀬を交わした時の私の方が……いや待て。
それはそれで、激務のあまりにやつれていた頃の筈だから、大して変わらぬか。
そもそもの話……暴食がやめられぬのは、顕現した時期の影響だけが原因ではないからな)
そんなことを考えながら、心の中だけでため息をつきながらも、料理を運ぶ手と咀嚼する口は一向に止まる気配がない。
口の中が一杯になり、歯が咀嚼し、柔らかくなった塊が喉元を通過する。
それら一連の行為と感覚こそが、心の中に溜まり、思考を滲ませる暗い淀みを少しずつ、腹の奥底へと落としていってくれる。
そんな、よくよく考えれば一時凌ぎの誤魔化しでしかないような、新たに得るものや生み出すものが何も無い不毛な行為が、今の彼には必要だった。
料理人達に早めに声をかけ、追加の料理を準備しておいてもらった方がいいかもしれない。
いくら飲み込んでもなかなか減ってくれない淀みにうんざりしつつ、次の一口を得るべく手を伸ばした……そんな彼の背中に、抜き身の切っ先がそっと突き付けられた。
「…っ!?」
「騒ぐなよ将軍、兵士達が異変に気付いて駆けつけるよりも俺の剣の方が早い」
自身が指示した警戒態勢によって守られた町の、中でも最も厳重な警備が施されている中枢部に座している身で、安心を通り越した油断を抱いていなかったと言えば嘘になる。
しかし、暗殺や間諜といったものの恐ろしさを忘れたことはないし、それらに対する備えを怠ったことはないし、加えて今の自分はサーヴァントなのだ。
陣地を構築出来るキャスターや、気配に聡いアサシンとまではいかなくても、身体能力や五感といった素の力で、ただの人間とは比べようもないものがこの身には備わっている。
その筈なのに、避けることも、逃げることも出来ない状態に陥ってしまうその瞬間まで、彼という存在に一切気付くことが出来なかった。
音も気配も皆無だった……自分が生きた時代に彼のような暗殺者がいたならば、歴史は随分と変わっていたことだろう。
そんなことを考えながら開かれた彼の口は、この状況に相応しいとはとても思えない、突拍子もない発言を紡ぎ出した。
「……君は、食べることは好きかね?」
「…………へ?」
「腹が空いてはいないかな」
「はあっ?」
ゆっくりと振り返った瞳に映ったのは、目深にかぶった外套の隙間から僅かに覗く、美貌の暗殺者の呆けた間抜け顔。
自身が成し遂げた成果に満足した将軍カエサルは、ふふんっと得意げに鼻を鳴らせた。
「君の狙いが私の暗殺であったのならば、気付かれることなく背後に迫った時点で済ませてしまえば良かったのだ。
それをせずに、わざわざ声をかけて牽制するという手間をかけたのは、そうすることで得られる別の何かがあったのだろう。
君は私と余人を交えずに話をしたかった、何かしらの情報を得たかった……違うかね」
「その通りなんだけど……だからって、無防備な背中に剣を突き付けて脅した奴を、いきなり食事にだなんて普通誘わないだろ」
「その台詞を、そっくりそのまま返させてもらおう。
この状況で、誘われたからと受ける奴は普通居ないと、私ですら思うのだが」
「じゃあ何だ。
料理を摘まみながら穏便に腹の内を探り合うんじゃなく、背中に剣を突き付けられたあの状況のままで強引に色々と吐かされるのが、将軍閣下のお好みだったか?」
「人を妙な感性の持ち主かのように言わないで貰おうか。
全く……私が言うのも何ではあるが、よくもまあ舌が回る奴だ」
振りではなく、心からの呆れと驚きを表しながら。
料理の山を挟んで向かい合う暗殺者の少年を、カエサルは改めてその目と意識に留めた。
敵地のど真ん中にたった一人という状況で、敵将に勧められた料理をあっさりと口にしてみせた豪胆さは、それが既に当の敵将自らによって、毒や害の無い普通の料理であることが証明されていたが故か。
それとも、彼自身が元から備えていた性質か。
恐らくは後者であろうと、カエサルは確かめるまでもなく確信していた。
この町が今、どれだけ厳重な警戒態勢にあるのかをよく知っている。何しろ自分が指示を出したのだから。
それをあっさりと潜り抜け、兵士達を騒がせることの無いまま中枢部まで辿り着き、将軍の命に刃を突き付けてみせた彼の実力は、もはや疑いようもない。
取り払った外套の下から現れた素顔までもが、多くの美女と浮名を流した自分ですら、悔しいと思う間も無いまま素直に認めざるを得ない程の、そう感じる者に年も性別も問わないであろう美しさで。
サーヴァントでも、連合ローマ帝国の皇帝としてでもない、一人の野心家としての心が久々に沸き立つのを、カエサルは感じていた。
「それで、君は私に何を聞きたかったのだ?」
「単刀直入だな、もっと粘るかと思ってたけど……まあいいか、手間が省けるならそれはそれで何よりだし」
「君の剣はあの時、確かに私の命を捉えていた。
その刃を引いてくれたことへの礼として、無条件でひとつだけ、どんな問いにも答えてやろう」
「随分と破格じゃないか、何が狙いだ」
「人聞きが悪いな、命を救ってくれた礼だと言っているであろうに。
さてどうする、やはり我ら連合の機密事項について尋ねてみるか?」
「止めておくよ、それが事実だと確かめる方法が俺には無いから。
仮にその情報が嘘だった場合、それを元に動いた結果、取り返しのつかない事態になりかねないじゃないか」
「ふむ、慎重だな。
まあ確かに、情報操作が戦術として有効であることは、君ならば容易く思いつくであろう」
「でも折角だから、帝国とか連合とかとは関係のない、個人的なことについて聞かせてもらってもいい?」
「ああ、構わないとも」
「ありがとう、それじゃあ遠慮なく」
その瞬間、話しながらも料理に手を伸ばすことはやめず、自分と違って本当に美味しそうな、幸せそうな、年相応の笑みを時折浮かべていた少年の、表情と纏う空気が一変した。
想定に沿わないどころか覆す状況に、ほんの一瞬呆けてしまったカエサルが自身を取り戻して反撃を試みるよりも先に、少年は、『カエサル』という男の根幹に切り込む言葉の刃を繰り出した。
「ガイウス・ユリウス・カエサル、人理にその名と業績を刻んだ偉大な人よ、教えてくれ。
あなたが今そこに居るのは、令呪とマスターに逆らえないから?
……それとも、あなた自身の意思でか?」
数々の戦場で華々しい勝利を収め、権謀術数を駆使して政治の場でも戦い抜いた自らの力を正しく認識し、決して驕りではない正当な自信を持っていた彼は、今この時まで、場を掌握し、話の向かう先を決める権限を持っているのは自分だと思っていた。
実力と気概は確かでも、未だ若く、豊かな情緒とお人好しな性根を抑えきれずにいる少年を、得意の口車で転がしてやる自信があった。
彼が危惧していた通り、『答えてやるとは言ったが、それが正しいものだと保証した覚えも、その旨を明記した書類も無い』といった感じの、素直で誠実な者が聞けば『詐欺師』と罵られそうな屁理屈で、こちら側の大事な情報は上手く隠したまま、少年が知る限りの帝国の情報を引き出してやる気が満々だった。
それら全ての思惑がそれこそ驕りであり思い上がりであったと、目の前の人にはいつもの口だけではなく本当に誠実に向き合わなければならないと。
胸の奥底からゆっくりと滲み出てくる、焦がされそうな程に熱いのに決して不快ではないこの心地はまるで、多くの女性と浮名を流すことを楽しんでいた自身が、『彼女』と出会い、本当の愛というものを知ったあの時のよう。
腹の底から声を上げてしまいたい気持ちを必死に堪えながら、カエサルはゆっくりと口を開いた。
「例え令呪によって行動の自由を奪われていたとしても、他の者を扇動し、自身を殺すように仕向けるのは、私にとっては大して難しいことではない」
「本当に不本意ならとっくに自害していたし、自分にはそれが出来たと?」
「『我らがマスター』は、サーヴァントだの魔術師たる自身に逆らえない使い魔だの以前に、どうも『人』という種そのものを見下していたように思える。
……だが約束は守ると言った、その言葉だけは確かだと思った。
故に私は、人理が完全に崩壊するまでの僅かな猶予の中で、ごく個人的なものでしかない最後の願いを叶える為に、私自身の確かな意思で、人理の敵となることを選んだのだよ」
「……そっか、分かった」
「……怒らないのかね。
私は、私個人の小さな願いと世界とを天秤にかけて、自らの我が儘を選んだ罪深き男なのだが」
「怒るわけがない。
だってそれは、他人から見れば小さいのかもしれないその『願い』が、あなたにとっては世界そのものと並べられるくらいに大きく、大切なものだったってだけの話だから」
あらゆる『願い』は尊ばれるべきものだと、建前や口先だけの綺麗ごとではなく、本気で口にしているらしい少年の微笑みに、カエサルの密かな緊張が若干解けた……のは、ほんの一瞬だけのこと。
優しく懐深いのも、容赦なく辛辣なのも、どちらもが紛れもない彼の本質であり、何故か破綻することなく両立させているのだと知ってしまったカエサルの、首から背筋に渡って若干の鳥肌が走った。
「でも良かった……これでもし、『逆らえなかった』とか『仕方がなかった』とかの小物臭いことを今更言ってきていたら、ガリアでの戦いにこの場でケリをつけていたところだった」
「……戦場という危機的状況の中で心身が擦り減っている時に、覚悟の無い、心の弱い者と対峙することは、人によっては後々にまで悪影響を及ぼしかねないからか?」
「良い子なのは間違いないけれど、純粋すぎて良くも悪くも影響を受けやすい奴が、こっちにはいるんだよなあ。
……にしても、そういうことにすぐさま気が付いてくれるってのは、やっぱりいいな。
騙す、欺く、裏をかく、そういった方面で策を巡らすことが悪いとは思わない。
だというのに、出来る人や得意な人が少なくて、陣営全体では苦手分野になってしまっているのが現状なんだ。
あなたさえ良ければ、この戦いが終わった後で、是非ともこっちに加わってもらいたいところなんだけど」
「何を甘いことを言っているのかね。
連合の皇帝として、帝国に甚大な被害を与え続けてきた私を受け入れる余地など、政策としても心情としてもあり得ないだろうに」
「『帝国』にじゃないよ、俺達『カルデア』にだ」
「………そうか、君は、『カルデア』のサーヴァントだったのか。
焼き尽くされた世界に辛うじて残り、今もなお、人理焼却そのものに対して抗い続けている者達。
ならば尚更のことだ、そこに私が加わる訳にはいかない。
……人の世が滅ぼされたと知った時に、戦おう、抗おうなどとは考えず、残された時間で自らの願いを叶えることのみに腐心した。
そんな私が混ざり込んだとして、組織全体の足並みを乱してしまうのが落ちだろう」
「…………あなたは、諦めてしまったのか?」
「情けないと詰るなら構わない、何が将軍カエサルだと呆れるも良かろう。
だが私は……これから滅びてしまうのではなく、既に滅びてしまった後の世界で、賽はとうに投げられ、出目は定まってしまった、もはや何もかもが取り返しのつかなくなろうとしているこの状況で。
常勝の将軍ではなく、ローマ帝国の執政官でもなく、ただ一人の男として心から悔い、そして願ったのだ。
生前とは逆の選択を……公ではなく私を、国や世界ではなく愛する者達を選びたい、今一度会って謝りたいと。
その想いと決意は、こうして君と相対し、偽りのない言葉を口にした今もなお、欠片も揺らいではいない」
その言葉は真実だった。
彼の表情を、目に宿る決意の輝きを前にした上で、それを疑うことはもはや冒涜であると、少年は思った。
そして同時に確信してしまった、言葉では彼の決意を動かすことは出来ないと。
しかし彼は知ってもいた、こういう時は行動あるのみだということを。
「なあ将軍、勝負をしないか?
今この場で、最低限の道具のみで出来る簡単なものなら、内容はそちらで決めていい。
あなたが勝てば、間近に迫っている次の戦において、俺は手出しをしないと約束しよう」
「……ふむ、一考の余地があるな。
それで、仮に君が勝ったとして、君は私に何を求めるつもりでいるのだ?」
「具体的な行動は、特に何も。
ただ、今一度……人という種の強さを、可能性を、未来への希望というものを、信じてみてはもらえないだろうか」
「………………」
「頭と察しが良く、それ故に、現状を残酷な程に正しく認識してしまったあなたに、こんなことを頼むのは酷なのかもしれないけれど」
「構わぬ、私が勝てばいいだけの話だ。
実際には叶わずとも、試みることだけはしてやろうとは思う。
それで構わないか?」
「十分だ、ありがとう」
「肝心の勝負の内容なのだが……うむ、やはりこれかな」
頷きながらカエサルは、二つのサイコロをどこからか取り出した。
見るからに上等な品でありながら、よく使いこまれて年季が入っているそれは、カエサル自身の個人的な愛用の品なのだろう。
「同時に振り、出目が高かった方の勝ちだ」
「いいね、分かりやすい。
……ところでそのサイコロ、あなたの私物だよな」
「そう来ると思っていたよ、好きに確認したまえ」
二つともを放り、危なげなく受け止めた少年が仕掛けの有無を念入りに確認するさまを前にするカエサルの表情に、妙な変化は見受けられない。
何かに気づかれてしまうかもしれないという不安は無かった。
なぜならあれらは本当に、何の変哲もない普通のサイコロなのだから。
「……何も無さそうだな」
「満足したかね、ならば片方だけこちらに返してくれたまえ」
ほんの一瞬の間を挟んで、皿と料理の上を飛んで帰ってきたそれを、カエサルは受け止めきれずに落としてしまった。
少し慌てた素振りを装いながら、出っ張った腹が邪魔だったことには一切の偽りなく。
時間をかけて拾い上げられたそれが、すり替えられたものだということに気付ける者は、自身が確認した後に仕掛けを施されるという発想に至る事が出来る者はそうはいない。
外見こそ先述のものと何ら変わらないように見えるそれは、実際には小さな鉄が仕込まれ、重さの偏りによって特定の目が出やすくなるように仕組まれているものだった。
(騙し、欺き、裏をかく……必要とあればその辺りを躊躇わないことを、彼は評価していたようだからな。
実行したとして、それが卑怯だとはならんだろう)
「ではいくぞ」
「ああ、せーの」
勝利の確信をいつも通りの表情の下に隠しながら、少年の合図に合わせて弾かれた二つのサイコロが、回転しながら虚空に舞う。
重力に引かれて落ち始めるまではほんの一瞬、決着がつくまでは2~3秒。
固い床にサイコロが落ち、勢いのままに数回転がった音が、その瞬間が訪れた合図となった……のだけれど。
その音がカエサルには聞こえなかった、出目を確認する気すらも起こらなかった。
本心を隠して笑うことが、心得を通り越して半ば癖になっていた彼にとっては珍しく、心の底からの驚愕が、素直な表情となって表れている。
彼の目には、重力に逆らって虚空に浮かぶサイコロと、その向こう側で不敵に笑う少年と、その手に握られた謎の石板が映っていた。
「あなたの目は出なかった、俺の勝ちでいいな。
……将軍、これが俺のやり方だ。
既に振られた賽ならば、目を出す前に掴まえてしまえばいい。
例え出目が決まっていたって、粉々に砕いて無かったことにだってしてやるさ。
性分なんだ、諦められない……どれだけの時間をかけて、どんな手を使っても、俺は必ず、皆で生きる未来を掴み取ってみせる。
カエサル、どうかあなたにもそれを手伝ってほしい」
半ば呆けてしまっていた意識が、その言葉によって揺り動かされて戻ってきた。
鮮明になった思考と視界で、カエサルは見て、そして気付いてしまった。
謎の石板、恐らくは彼の宝具だろうものを手にした左手の甲に、見覚えのある紋章が刻まれていることを。
彼の活躍に、彼の物語に自身を重ね、何処とも知れぬ遠い地を駆ける自身の姿を夢想した、幼い頃の憧れを思い出した。
「き、君………いや、あなたは、よもや」
「閣下、緊急事態です!!
お食事中に申し訳ありません、失礼致します!!」
「まっ、待t」
相当急ぎ、慌てていたのだろう。
カエサルの許しを得ることなく、彼の制止も聞くことなく部屋へと飛び込んできた兵士が、予定外の客人の姿を目にすることは無かった。
石板に添えていた指を動かすや否や、その身を青い光と化して消えていった少年を見送ることが出来たのは、カエサルただ一人であった。
「………………」
「閣下、どうかなさいましたか?」
「いや、何でもない。
それで、緊急事態とはどういうことだ?」
「じ、実は……毎日の定期確認が行われた際に発覚したのですが、武具や食料などの物資の数が、記録されていたものよりも遥かに少ないことが発覚しまして。
数え間違いや、些細なミスによるものとは到底思えないとのことで。
あり得ないとは思うのですが、一応は侵入者の存在を疑い、閣下のご判断と指示を頂きに参った次第であります」
「成程……その判断は正しい、正しいのだが。
……彼の仕業で間違いないであろうな、果たしてどれ程の被害が出ていることか」
「閣下、どうかなさいましたか。
今、何と?」
「何でもない、気にするな。
曖昧な想定ではなく、何の物資がどれだけ足りなくなっているのかを明確に把握した上で、その数字を私の下に持ってきてくれたまえ。
詳しいことは、その情報を基に考える。
城門の検問は引き続き実施せよ、加えて今後は出る者の確認も怠らぬように。
城壁の警備も徹底するように努めさせるのだ、ほんの一瞬の油断すらも許してはならん」
「はっ、承知いたしました!」
「……とは言ったものの、今から囲い込む手筈を整えたとて、彼は既にガリアを脱出している可能性の方が遥かに高いのだがな」
肩を落としながら大きなため息をつくカエサルの、自身の統治下にまんまと入り込まれ、その上出し抜かれたことへの怒りと悔しさに染まっていてもおかしくはない顔色は、謎の解放感に満ちていた。
してやられたことをこんなにも痛快に、楽しく思ってしまったのはいつ以来か……もしかしたら、生前ですら無かったことかもしれない。
一人で抱え込んでいた重荷を、個人の望みの為に人という種を裏切ってしまった罪悪感を、負うことを選んだ覚悟は確かだったものの間違いなく辛かったそれを。
彼自身にその気などは無かったであろうに、全て綺麗に持っていってくれた。
彼と、彼が認めたであろうマスターの世界を救う為の旅路を、傍で手助けすることが出来たなら……そんなことを妄想し、夢見る少年のように昂る自分がいることを、カエサルは認めざるを得ない。
そんなことを考えながら、半ば惰性で料理を摘まみ、口にしたいつもの動きは、いつもとは違うものをカエサルにもたらした。
「…………ああ、美味い」
美味しい料理が好きで、その時を誰かと共に楽しむのが好きで。
彼と次に会った時は、今度は最初からちゃんと誘って、大勢で笑いながら過ごしてみたいと思った。
そうして、久々に食の楽しみを堪能していたカエサルが、情け容赦ない強奪っぷりの詳細な報告を受けてもはや笑うしかなくなってしまうのは、まだ少しだけ先のこととなる。