力の魔王と、魔王が従える怪物達……恐ろしい脅威を相手に、堂々と対峙する勇気の少年。
長い歴史の中で、数え切れないほど多くの人々が胸を躍らせてきたであろう一幕を誰よりも間近で堪能しながら、立香の胸中には感動や高揚とは正反対の淀んだ不安が渦巻いていた。
宿敵との対決という状況で先を楽しみに出来るのは、不安に思う必要が無いから、『勇者が勝って世界に平和をもたらしてくれる』という結末を既に分かっているからだ。
しかし『これ』は、過ぎ去った伝説の一幕でも、紙の中の描写でもない……たった今目の前で繰り広げられている、紛れもない現実。
それに加えて、更に不安の駄目押しとなり得る事実を、マシュやロマニから『伝説』に関することを少しずつ教えてもらっていた今の立香は知っていた。
『ゼルダの伝説』には、過去と未来を行き来して本来あった筈の歴史を変えた『時の勇者』の活躍を分岐点に、三つの異なる時間軸が存在している。
その内のひとつに、確かに存在しているのだ。
『勇者すらも倒し、その後辛うじて封印されながらも幾度となく復活を試みた魔王によって、ハイラルの平和が脅かされ続けた』という世界線が。
『反英雄』の祖とされているガノンドロフだけれど、彼自身は断じて、勇者を脅かしつつも最終的には敗れることを定められているわけではない。
宿命の戦いを幾度となく繰り広げてきたリンク自身が、誰よりもそれを理解していた。
あらゆる自重を取っ払い、その時の自分に出来る全てを賭してようやく、『勇気』は『力』を打倒し得るのだと。
他の状況、他の相手にならば躊躇うであろう選択肢に、リンクは迷うことなく手を伸ばした。
トライフォースが輝く左手が、一本の剣を振りかざす。
その刀身は、魔王に届く力を持った唯一の刃、勇者の代名詞たる神剣マスターソードのものではなかった。
だとしても、素人目にも明らかに神々しい輝きを宿す剣が、神剣もしくは聖剣の類いの中でも最上級に分類されるであろうことは一目瞭然で。
何をするつもりなのか分からず、呆けたまま見守る事しか出来ない立香達の前で、高々と掲げられた剣はトライフォースに程近い根元から眩い光を放ち始めた。
聖なる力の輝きは、瞬く間に剣先にまで至りながら尚も止まらず。
刀身に収まり切らない程にまで高まった瞬間を見計らったリンクが、得意とする回転斬りの要領で大きく振り抜いたことをきっかけに本格的に迸った光が、ガノンドロフの魔力によって暗く淀んでいた大広間を真白に染め上げた。
「すいません、こんな事態になるのを止められなくて」
『別に気にすることはないよ、君の行動や対応に特にまずいものは無かったし……ガノンドロフ、あいつがメチャクチャなのが悪いんだ。
あいつに対抗するためになら、俺も迷わずに同じ選択をしていたと思う』
『そうそう、それに……君も前に言ってたじゃん、何かしらやらかしてるのは僕達皆がそうだって』
『その話はやめよう、オレにも思い当たるところがあって少し辛い。
今は集中して……あいつがとんでもない奴なんだってことを、オレ達は皆、身に沁みて知っている筈だろ』
「……ありがとう。
よろしくお願いします、先輩方」
ほんの一瞬とはいえ、居合わせていた者達の視界を完全に奪った光が収まって。
一同が目の当たりにしたのは、緑の服に緑の帽子、光のような金の髪。
目立つ特徴の部分で酷似しているけれど、個々として見れば別人であるということが明らかな、自分達がよく知っている『リンク』を含めた、魔王を相手に臆することなく相対する四人の少年達だった。
同年代の中でも小柄に分類されるであろうリンクよりも更に小さな、10才前後の幼い少年にしか見えないのに、その瞳からはそれ以上の年を重ねたような知性と貫禄が見える者。
先述の彼よりは少し年上らしいけれど、黒く大きな猫目と豊かに変わる表情に、年相応の少年らしさが窺える者。
マシュを見下ろせそうな程には背が伸びて、少年の名残が未だ色濃い顔や体つきには、決して見過ごせない精悍さが見受けられる者も。
異形の怪物でも、怨讐の果てになり果てた厄災という概念でもなく……世界を滅ぼすのではなく手に入れようとした、誇り高き王としてのガノンドロフを知っている『リンク』達がそこに居た。
流石に想定外だったらしい光景を前に、らしくなく呆けてしまっていたガノンドロフが、数秒の間を置いて笑い出す。
それは、既に幾度か見せていた、高みから見下しながらの嘲笑ではなく。
腹の底から止めようもなく込み上げる高揚と興奮がそのまま飛び出したかのような、王の器を感じさせる豪快さだった。
『やはり貴様はそうでなくては!!』
その叫びが合図だったかのように、とうに臨戦態勢に入っていたカースガノン達が、各々の武器を一斉に振りかぶった。
フォーソード……それは、とある時代の勇者リンクが大変な冒険と戦いの末に完成させた、マスターソードにも匹敵する勇者の聖剣。
無数の魔物を封印し、強力な呪いをただの一振りで祓うことが出来たという聖なる刀身が持つ真価は、所有者と全く同じ姿と力を持った分身を造り出せることにある。
『子供の目にしか見えない』という異種族との交流が叶うほどに、まだ幼い少年だった『創剣の勇者』はそれによって、強大な力を持った魔神グフーを打ち倒してみせたのだ。
一度盛大に吹っ飛びながらも、どうにか再起動を果たした思考で語り出したロマニ曰く。
『伝説』の記述からするに、フォーソードによって造られる分身は本来ならば、本体の意思と動きに追随する形を持った影のようなものらしいのだけれど。
その気になればあらゆる無茶を押し通してしまえるトライフォースの存在と、一応はサーヴァントとして現界している今のリンクが個ではなく統括としての『勇者リンク』であるという事実、勇者がその力を存分に揮えるようにという意図で構築された環境といった、様々な要素が重なることによって齎された奇跡。
それが、目の前で繰り広げられている光景の答えになるのだということを、立香は察することが出来た。
片手剣と盾を携え、雷を纏いながら残像すら捉えられないような高速で動き回り、蒼ではなく黒い瞳の『リンク』を撹乱する雷のカースガノン。
目では到底追いきれない動きに翻弄されてしまっていた彼の背中に、完璧なタイミングで切りかかった筈の刃は、たった今まで確かにそこにあった筈の標的を捉えられずに空を切った。
頭上の気配と鎖が鳴る音に気付いて振り仰げば、フックショットを天井の照明を目掛けて伸ばし、迫る攻撃を一瞬でかわしてみせた少年が、砂時計の柄を持ったマスターソードによく似た剣を落下の勢いを込めながら振りかぶっていて……その剣先が『8』の形を描いた次の瞬間、雷のカースガノンは全身に数多の斬撃を浴びていた。
最も速さに特化した存在である筈なのに、反応するどころか気付くことすら出来ないままに食らってしまった、『速さ』という概念を凌駕していたそれは、『時を止めた』と考えた方が腑に落ちる程のものだった。
落下していた筈なのにいつの間にか床に立ち、未だ体勢を立て直せずにいる怪物へとすかさず追撃を繰り出そうとした少年に、凄まじい勢いと質量で真横から迫るものがあった。
本体から鎖に至るまで、全てが極寒の氷で構成された特大のモーニングスター。
遠心力もあって凄まじい威力と化していたそれは、『風』の少年を吹っ飛ばすと思われた寸前に止まった。
牙を剥いた口から唸り声を零しながら、獣の四肢を踏ん張らせる狼……その背に跨る小さな魔物の髪が巨大な手に変じ、氷塊を見事受け止めていた。
狼が吼え、魔物の口が八重歯を剥く笑みを形作った次の瞬間、氷塊は先程以上の勢いで以って持ち主へと向けて投げ返された。
直撃を食らって吹っ飛ばされ、壁に減り込んだ水のカースガノンの頭上に、獣ではなく人の影が差す。
人の口から発せられた、獣のような雄叫びと共に振り下ろされた刃が、闇の魔力で構成された体を深々と切り裂いた。
『不甲斐ない、それでも我が分身か』
押し負けている情けないさまを前に、不快感を表しながら舌を鳴らしたガノンドロフ。
そのまま無造作に振り上げられた槍の穂先が、間近に迫っていた剣先を弾き返した。
そこでようやく振り返ったガノンドロフの目に映ったのは、隙と死角を完璧に捉えていた筈の攻撃をあっさりと防がれてしまった『時』の少年の悔しそうな顔で。
心臓に余程の剛毛が生えていれば、『子供相手に大人げない』とツッコむことも出来そうなほど満足そうに嗤ったガノンドロフに、『時』の少年もまた、見た目相応の子供じみた地団駄を見せた。
『あーもうっ、何で今のを止めるかなあ!!』
『……あまり無様な真似を晒すな。
後世において貴様は、俺を倒した勇者として信仰じみた崇拝を得ていたというのに』
『知らないよ、俺が生きた世界にはそんなの無かったし!!
……何で大人しく眠っててくれないかなあ、せっかく《末代》が全部終わらせてくれたのに。
俺は、ハイラルやゼルダ姫達を守るためにお前と戦わなきゃ、お前を倒さなきゃとは思ったけど、戦いたいとか倒したいとか思っていたわけじゃなかったんだから』
『……俺の謀が原因で、育ての親である神木が枯れたのにか?』
『お前はお前の譲れない願いを叶えようとして、その為にそれが必要なことだった。
それは、俺も同じ……俺がお前と戦ったのは、豊かな国を築きたかったお前の願いを否定したからじゃなくて、ハイラルやゼルダ達を守りたいという俺自身の願いを叶えたかったから。
その為に俺は、同時に叶えることは絶対に出来ないお前の願いを邪魔して……お前の親を殺したよ。
ゼルダ達が俺に希望を見出してくれたように、砂漠での過酷な生活に苦しんでいたゲルド族を始めとした家臣達にとっては、お前の覇道こそが希望だった筈』
『目をそらす気も誤魔化す気もない。
俺とお前は、視点と立場が違うだけの似た者同士だ』
そう言って笑った『時』の少年は次の瞬間、間合いを一瞬で詰めると同時に情け容赦ない力を込めた刃を振り下ろし、ガノンドロフはそれを難なく受け止めた。
『……ちょっとくらい動揺してくれてもいいんじゃないの?』
『《似た者同士》と言ったのは貴様であろう』
『そうだけど!!
例え作戦だろうと、お前は絶対に俺相手に本心なんて晒さないだろ!!』
『……本心か』
本当に思いがけず、ポツリと零れた呟きは、鍔迫り合いの金属音に掻き消されて向こうには届かなかったであろう。
至近距離で睨み合いながら陥った硬直状態は、頭上から振り下ろされた炎のカースガノンの大剣を避けつつ距離を取ったことで一旦仕切り直された。
そんな彼の頭上から、彼を含めた一同が『末代』と呼ぶ少年の申し訳なさそうな声が振ってくる。
「すいません、抑えきれなかった…っ!」
『二体同時はきついよね』
それが、『だから構わないよ』という許しではなく単に事実を口にしただけであり、『だとしてもやるしかない』という現実を共有していることを誤ることなく認識しながら。
リンクは名誉挽回とばかりに、複数の爆弾矢を同時に番えた強弓を引き絞り、床に巨大な亀裂を走らせた大剣を改めて振りかぶる炎のカースガノンへと向けて放った。
一人で、それも弓を使用してのものとは到底思い難いような同時かつ連続の爆撃を食らい、流石に競り負けて後退した隙間を埋めるように、腕と一体化した巨大な砲身を唸らせた風のカースガノンがその身を割り込ませる。
強力な矢を放った反動に崩れた体勢を、未だ直し切れていなかった瞬間を狙った砲撃は、何処からか飛んできて目元で破裂した衝撃と、全く同時に耳や眼どころか脳まで貫きかねないような勢いで炸裂した音と閃光によって妨げられた。
『時』の少年が、幼い子供の姿で持っているとどう贔屓しても玩具にしか思えないパチンコで放った絶妙な援護を横目に、リンクはマスターソードの剣先を天を衝くように突き上げた。
聖なる力に満たされて眩く輝きだした剣を手に、割れた床の瓦礫を足場に跳び上がり、命の光を見いだせない無機質な単眼へと向けて突き立てる。
根元近くまで深々と減り込んだそれがとどめとなり、魔王の分身たる怪物はその身を構成していた闇の魔力を四散させながら消滅していった。
次いでもう一体……と思って振り返った視界に映ったのは、風のカースガノンと同じようにその身を散らしていく火のカースガノンの、辛うじて残っていた残骸の一部。
それぞれで既に一体を撃破し、間髪入れずにこちらの助太刀へと駆けつけてくれた『風』と『黄昏』が、笑顔で手を振っていた。
その体の端から、徐々に光の粒子と化しながら。
『出来る限りのことをしようとは思ったけど……』
『ごめん、もう限界みたい』
フォーソードの力で造り出せる分身は、本来ならば痛手を負うことで消滅してしまうし、さほど長いものではない時間制限だってある。
勇者の仮初めの器として、魔王を相手の激戦にここまで持っただけでも十分に大したものだった。
それを分かっていて、ガノンドロフの脅威を知っていたのと同時に、幕を閉じるという最も大変な役目を果たし切り、今もまた新たな戦いを続けている後輩のことを信じているからこそ、彼らの表情に悲壮なものは見受けられない。
それは、三人の後輩達がカースガノンを抑えている間に、ガノンドロフの相手を一人で担っていた『時』にとっても同じことで。
『後は任せたよ』
たった一言を残して消えていった、その名残を最後まで見届けることなく、リンクは再びガノンドロフへと向き合った。
消耗した様子がさほど窺えないガノンドロフは、その気になれば、先程のような怪物をまた生み出すことが出来るだろう。
しかしリンクには、彼にその選択肢は無いという確信があった。
ガノンドロフにとって、カースガノンやファントムガノンといった自身の魔力から造り出した魔物はあくまで、自身が干渉できる範囲を広げるための手足の延長や、様子見の前座に過ぎないからだ。
ガノンドロフの膨大な魔力は、配下を生み出すのではなく自らの戦いに用いてこそ真価を発揮するということを、彼らは正しく認識していた。
瞳孔が開き、戦意と殺意が露わになった凄まじい表情で嗤ったガノンドロフの周囲を、彼自身の禍々しい魔力が渦巻き、徐々にその質量を増していく。
数多の魔物と相対してきたこの身でさえ、肌が粟立つのを止められないほどに膨れ上がった魔力は、そのまま確かな形を成した。
赤い鬣と浅黒い肌という、エリザベートを器としている現状では見受けられない元の彼の面影を露わにしながら、遥か頭上から影を差す巨体は只でさえ巨躯であった元の体の更に数倍にもなって。
巨大な牙に爛々と輝く目……二足歩行で両手に巨大な武器を携え、猪に似た顔をした怪物こそは正しく、魔王ガノンドロフが持つ有り様のひとつ。
魔獣ガノンの殺気と咆哮を全身に浴びながら、リンクは自身の思考が冷静を通り越して冷え込んでいくのを感じていた。
「……これは、ちょっとまずいなあ。
さっきよりよっぽどきつそうなのに、フォーソードを振るえるような余裕があるとは思えない」
フォーソードで分身を造るのには、力を込めて、剣を振るう、という二段階の行程に集中する必要がある。
あからさまな隙と言っていいその瞬間を、完全な殲滅モードと化した今の彼が見過ごすとは到底思えなかった。
唾を飲み込みたいのに、口の中は渇き切っていて痛いくらい。
手や膝が震えそうになるのを堪えるのに、かなりの力を込めなければならなかった。
逃げ出してしまいたかった、恐ろしくて堪らないのが本心だった。
勇者と魔王の因縁だとか、トライフォースの宿命だとかは関係なく。
目の前にいるのは、今ここにいる『リンク』という少年、他の誰でもない自分自身にとっての、紛れも無い『死因』なのだから。
全身を切り裂かれ、または焼かれた苦痛の記憶と、大切な人達と生きる未来を諦めさせられた絶望が今一度、冷たい澱みとなって込み上げてくる。
「………………」
それをリンクは、大きく吸った息と共に呑み込んだ。
無理やり忘れたり、無かったことにしたわけではない。
ここで踏ん張らなければ、また同じことになる……大切な人達と歩む未来をまた失うぞ、と。
その事実だけで奮い立てる彼は、成し遂げてきた功績ではなく有り様で以って、紛れも無い『勇者』であった。
マスターソードを構えながら、少しも目を逸らすことなく真っ直ぐに相対してきたリンクへと、魔獣ガノンが咆哮で応える。
対魔王戦の第二幕は、荘厳な大広間を揺らす轟音と共に始まった。
合うと思ったのでタイトルこそ『四つの剣』ですが、実際には『ふしぎのぼうし』でしかフォーソードを扱ったことがなく、それ由来の解釈と描写しか出来ていません。
その辺りは、申し訳ありませんがご容赦ください。
魔獣形態のガノンドロフが猪なので、魔猪を始めとした猪型の魔物や神はこちらの世界観では魔王の化身に近しいものだと人々から認識され、原典よりもより恐ろしく強大な存在として概念レベルでランクアップしています。