大帝国ローマの国土と勢力を二分する、連合ローマ帝国……その本拠地たる首都の、ネロのものにも引けを取らないような規模と絢爛さで聳える宮殿の最奥。
あらゆる人気を遠ざけて静まり返ったその場所に佇む、一人の偉丈夫の姿があった。
まるで、この世界に存在しているのは彼だけであるかのよう。
そんな錯覚を覚えさせる程に静かで、かつ荘厳な場に、何の躊躇いも無しにかすかな気配が踏み入ってきた。
自分のためだけに誂えられたこの場所に、何の前触れも許可も無しに現れる者など、自身の影響力が隅々にまで及んでいるこの地においては絶対にいやしない。
その事実は、並の者相手ならば十分すぎる程に、声を上げて跳び上がりかねない程の驚愕を与えるに値したのだろうけれど。
閉じていた目を開き、気配の出所へと向けてゆっくりと振り返るだけだった男が纏う存在感は、姿形は紛れもない人であるというのに、まるで幾年月を生きたとも知れない大樹のようで。
自身と同じ魂と運命を持った者の、育ての親ともなった神木のことを思い出しながら少しだけ動揺した内心を表には出さずに、自身がここまでやって来た目的を果たすべく口を開いた。
そうして告げられた内容は、連合ローマ帝国首都、及びその王宮の警備という難関を突破し、連合を統べる最後の皇帝その人の命を奪う絶好の機会をふいにすることと、釣り合うようなものとは到底思えなくて。
軽く目を見開き、分かり辛いものの本気で驚いているらしい男の様子を前に、リンクの顔に満足げな笑みが浮かんだ。
多少の想定外を乗り越えながらの行軍の果てに、連合ローマ帝国の首都へと辿り着いたローマ軍は、すぐさま軍事行動に移ることはせずに、連合軍に適度なプレッシャーを与えると同時に、向こうが何かしらの行動に出た際に迎え撃つための準備を整えることが出来る程度の距離を取った地点で一旦布陣を整えた。
あまり時間を置くと、厳しい行軍を経てきた兵士達を更に疲弊させてしまうし、防衛や籠城のための設備や準備をきちんと整えているであろう連合側を、より一層優位にさせてしまう危険性があるのだけれど。
それを敢えて行なったネロの思惑には、とある者達からの思いもよらない進言が関わっていた。
「……リンクは、上手くやってくれるであろうか」
「心配ありませんよネロさん、リンクさんならばきっと」
「そうだな、それに関しては案じておらぬ。
あやつならば必ずや、連合首都の警戒網でさえも潜り抜けてみせることであろう」
「えっ……だとしたら、ネロさんは一体何を心配されて」
「決まっておろう、奴らが我らの提案を受けるか否かだ!!
……此度の戦は、卑しくもローマ皇帝を僭称する者達が現れ、多くの民がそれに誑かされてしまったたことによって引き起こされたもの。
云わばローマの国民同士の、共にローマを愛しその更なる発展を望むが故の不毛な潰し合い……そう言われてしまうと否定は出来ぬ。
ローマをむやみに傷つけることは、余としても不本意極まりない。
だからこそ余は、そなた達が出した突拍子もない案に一考の価値があると思った」
「いや~、まさか採用されるとは……」
「言い出しっぺが今更何を言っておる」
「念のためにとりあえずの駄目元だったんですよ、自分でもとんでもない発想をしてる自覚はありました。
厳重な警備を突破して向こうの皇帝に直で話を持っていき、失敗したとしても生きて帰ってくることが出来る優秀な人材がいたこと。
こちらを侮らせず、交渉や話し合いっていう選択肢を思い浮かべることもありそうな程度の戦力がきちんと整っていて、いざという時に通常の戦闘を開始できる準備も万全であること。
……連合側の皇帝達の中で力関係が最も高い者、束ね役と思われる皇帝は、一時的な勝利よりも民の方を優先する、思慮深い名君的な人だろうって見解をリンクが出していたこと。
そういった条件が、色々と整っていたからこそ言えたんです。
『そもそもの話として、この戦いがどちらが真のローマ皇帝として相応しいのかを証明するために行なわれているものならば、兵士達が直接ぶつかり合う前に皇帝の格比べで決着をつけることを向こう側に提案してみませんか』なんて」
『…………せ、センパイ、それは』
『やれって言うならやるし、出来る自信だってあるけど……』
『流石にぶっ飛びすぎなんじゃないかなあ』
『マシュもリンクもブーディカさんもそんな引かないで、思いついたことは何でもって言われたから言っただけなのに!!
すいませんネロ陛下、さっさと忘れて真面目な話n』
『採用!!』
『………………はい?』
『余としたことが、なぜもっと早くそれを思いつかなかった……なるほど、皇帝としての格比べか。
ならば勝負は、このネロがローマ帝国の唯一正当な皇帝であるという事実によって既に決まっておるではないか!!
早急にその案を詰めよ、僭王どもに真のローマというものを知らしめてやるのだ!!』
といった流れを経て、リンクにメッセンジャーとして連合首都へと先んじて潜入してもらい、あちらの皇帝との接触と交渉が叶えばそれでよし、駄目だったならば当初の予定通りに戦線を開くという、単純ながらも今後の動向を大きく左右することになる非常に重要な作戦が練られ、現在進行形で進められている。
マスターとして少しずつ戦術の勉強を行なってはいるものの、それはあくまでサーヴァント達が進言することの意味を多少なりとも理解するためのもので、自分自身の独自の判断や思考で戦況を自在に動かしてやろうなどとは考えておらず、出来るようになるとも今のところ思っていない。
そんな、ほぼド素人でしかない自分のふと浮かんだ思い付きが採用され、対連合の今後を決めようとしている訳の分からない現状に、胃の辺りが違和感を訴え始めているのを感じる。
そうして、ため息をつきながら項垂れていた立香の傍に、ふと寄り添ってきた気配があった。
「……ネロ陛下?」
「どうした、随分と具合が悪そうだが」
「それは、まあ……思いがけず、責任重大なことになってしまいましたし」
「……なぜそなたが責任を感じることがある?
進言を採用したのは余だ、ならばそれ以降に生じる全ての責任は余にこそある。
そなたはただ、ローマ帝国に利をもたらしうる提案をしたことへの、名誉と歓びに打ち震えていればそれで良い」
「…………いえ、そういう訳にはいきません。
採用したのは陛下だとしても、言い出したのは確かに俺です。
その事実を捻じ曲げて、自分だけ楽になるつもりはありません」
「何故だ、気にすることは無いとこの余が言っているというのに」
「性分です、そういうものなんです。
だからどうしようもありません」
「…………そ、そうか。
性分では仕方がないな、難儀な奴よのう。
ならばせめて、そなたにだけは余の真意を語ろう。
一見安易なものに思える手段に反射的に飛びついたのではなく、きちんとした思惑があったのだと知れば、そなたの荷も少しは軽くなるであろうからな」
「……し、真意?」
「うむ……一応、改めて言っておくが。
余は先だって豪語したほどには、皇帝としての格比べで連合側に勝利することが当然だとは思っていない。
……いや、最終的に勝つのはもちろん余であるがな、そう簡単なことではないという意味でだ。
今まで余の前に現れた皇帝達は、余の伯父上であるカリギュラ帝に、終身独裁官として多くの功績を残したカエサル公……今が余の治世であるからこそ僭王となってしまうものの、彼ら自身の世においては、偽りなく皇帝としてローマを治められていた方達。
偉大なる先達たる彼らと格を競わなければならないと思うと、正直言って足が震えそうになる。
だからこそ、余は挑まねばならぬ。
此度の戦乱が起こってしまった原因は余にある……余の皇帝としての手腕に疑問と不審を覚えたからこそ、連合とそこに集った過去の皇帝達に、多くの民がより良いローマを見出してしまった。
余はその失態を取り戻さなければならない、当世の正しきローマ皇帝として。
戦線を開くという形でしか、それを為すための方法を考えられず、多くの兵士達に更なる犠牲を強いることを良しとするしかなかった余に……そなたの言葉は、ローマの民をこれ以上を失わずに済む上に、他でもない余自身の力と頑張りによって皇帝としての責務を果たすことが出来るやもしれぬ、新たな選択肢を示してくれた。
……ここまで言えば分かるな?
そなたは本当に、自身の言葉を誇りはすれども、悔やむ必要はこれっぽっちも無いのだ。
安心して胸を張るといい、そなたには余の最大の雄姿を特等席で見せてやることを約束しよう」
そう言いながら、ネロが立香へと向けた会心の笑みはとても美しくて……同時に、なぜかとても痛々しくて。
しかし立香は、そんな彼女へと向けて思わず伸ばしかけた手を、寸前のところで押しとどめた。
彼女の望みは、全てを負うことと引き換えに許される頂きに、胸を張って立ち続けること……辛いだろうと同情してもらうことや、慰められることでは決して無い。
ならばせめて、気高き薔薇であろうと努め続ける少女の生き様を見届けようと、彼なりの覚悟を決めて顔を上げる。
リンクの帰還ではなく、連合側から送られてきた使者によって作戦が進行したことを告げられるのは、まだもう少しだけ先のこと。