唸りを上げながら振り下ろされた巨大な穂先が、寸前に割って入った金属の巨大な鏡面によって轟音と共に弾かれる。
それに次いで振り下ろされた青白い刀身によって、ロムルスは間合いを取ることを余儀なくされた。
体勢を整えた彼の瞳に映ったのは、先程までと変わらない凛とした姿と表情で立つネロと、そんな彼女をすぐ傍で支える珍しい黒髪の異国の少年、二人を背にしながらそれぞれの得物を構える矛と盾のサーヴァント達。
何とも頼もしいその姿に、状況の変化に合わせて引き締まっていたロムルスの口元が再び緩む。
意識を完全に切り替えていたネロ達が、それに気づくことは無かったけれど。
《なっ……何で、どうして、話し合いをするんじゃなかったの!?》
「今更何を言っておるのだ、宮廷魔術師よ。
交渉は既に行なわれ、そして決裂した。
しかし余らはどちらも、一歩たりとして引く気は無い……ということは」
「実力行使の段階に突入ってこと」
「その通り。
……
理想を語るのは大切だが、同時にそれはあまりにも容易いこと」
「承知しております、神祖ロムルスよ。
余の言葉、決意が描かれただけの夢物語などではないことを、必ずや証明してみせましょう」
「許すぞ、ネロ・クラウディウス。
「見るがいい」
「我が槍、すなわち」
「
朗々と響いた言葉と共に、赤い穂先が高々と掲げられる。
ただの宣言かと思われたそれは、想定外過ぎる事態の引き金となった。
民も文化も国土も、あらゆる『ローマ』を支えながら決して揺らぐことの無い強靭な根や幹と、全てを包み込む優しさと力強さを兼ね備えた枝葉……立香達が、今までに何度かロムルスに対して抱いていた、『膨大な時を経た大樹のよう』だというイメージ。
それが今、一同の前で現実のものと化していた。
「なっ、何だこりゃ!?」
「マスター、ネロさん、私の後ろに!!」
マシュが守らなければならない範囲が少しでも小さくなるように、出来るだけ身を縮めた二人を背にしながら振るわれた大盾が、すぐ目の前まで迫っていた攻撃を弾き返す。
巨大な金属の塊との競り合いに負けて粉砕したそれは、こちらを叩き潰さんとばかりに襲いかかってきた木の幹。
第一陣に過ぎなかったそれの残骸を吹っ飛ばしながら続いた波状攻撃に、マシュは懸命に対応し続けた。
《何がどうなっているんだ、玉座の間が森と化した!!
それだけじゃない、木々がまるでこちらを呑み込まんとばかりに……何てことだ、周りが一瞬で敵だらけと化してしまったぞ!!》
「そ、そうか!!
神祖が手にしているもの、あれは恐らくパラディウム!!
かの人の母が見た夢に登場し、ローマそのものを象徴する大樹と同一視される、ローマ建国の発端となった国生みの槍だ!!」
「それがあの人の宝具なのか、能力は恐らく木々を操ること……マシュ、危ない!!」
「きゃあっ!!」
《マシュっ!?》
目の前に迫っていた幹を砕くべく得物を振り抜いた、その瞬間に生まれたほんの僅かな隙に死角から伸びてきた別の幹が、マシュの華奢な体を捕まえた。
彼女がデミ・サーヴァントでなかったら、人理修復の旅路が始まる前までのただの少女の体だったら。
一瞬で締め潰されていたであろう圧力に襲われて、肺から絞り出されたような呻き声を零したマシュの霞んだ視界に、何本もの青白い閃光が走る。
次の瞬間、虚空に持ち上げられていた彼女の体は解放され、真下で腕を伸ばしていた立香の身をクッションにしていた。
「きゃあああっ!?
ごめんなさいセンパイ、今後おやつは少し控えます!!」
「き、気にしないで……重かったのは鎧が原因だろうし、俺が自分の腕力を過信してたのも悪いから。
……それより、今は」
「そ、そうでした、リンクさん!!」
自身を捕らえていた幹を一瞬で切り刻み、助けてくれたのは誰だったのかを思い出したマシュが、近くに転がっていた盾を手に慌てて戦闘体勢を取り直す。
そうして顔を上げるのと、視界の全てが爆炎によって埋め尽くされるのとは、ほぼ同じタイミングでのことだった。
迫る幹ではなく、仲間が作り出した爆発から守るために構えられた盾の存在に気付き、ならば遠慮は要らないなと開き直ったリンクの弓に、新たな爆弾矢が数本まとめて番えられる。
そうして、盾の向こう側で悲鳴が上がっているという事実を敢えてスルーしながら、爆撃を続けたリンクだったのだけれど。
(駄目だ、こっちが削るより向こうが増える方がずっと早い…っ!!)
ローマそのものを象徴する大樹が、ローマという概念を最初に築き上げた者の手によって、ローマの大地に枝葉を広げる。
そんな強固すぎる概念へと対抗するのに、物理的な破壊力のみというのは、どんなに強大なものであっても決して吊り合わなかった。
爆炎によって一時的に削られながらも、次の瞬間にはそれを上回る勢いで押し寄せる木々によって、リンク達が居場所と出来る空間が狭められていく。
爆風に巻き込まれずに済む広さを下回り、爆弾矢の使用が不可能となってしまってからは、もはやあっという間の出来事であった。
「……………………」
押し寄せる木々の隙間に辛うじて窺えていた姿が、ついに完全に覆い隠された。
少年達を呑み込んだ幹の勢いは収まらず、更に太く大きくなっていく。
戦闘の轟音から一転して、耳鳴りがしそうな程の沈黙の中。
ロムルスは、かすかに聞こえてくる謎の音の存在に気付き、伏せていた目を見開いた。
上に下にと弾むように音が跳ね、時と場所が許せば人によっては釣られて踊り出したくもなるであろう、今この状況には合わない陽気な旋律。
音は徐々に大きくなっているが、それは音量そのものが上がっているからではなく、音が広がるのを妨げているものが少しずつ剥がれていっているから。
ほんの僅かな間ですっかり様変わりしてしまった玉座の間、その一角を完全に圧し潰したと思われた樹木の塊。
それがゆっくりと解けていった先に、ロムルスは、目と口を開きながら呆然と言葉を失うネロと、同じような表情をしているマスターの少年に盾の少女。
そして、そんな彼らを背にして立ちながら、空とも海とも違う美しい青で形作られた笛をくわえ、迷いの無い指の動きで不思議な音を紡ぐ勇者の姿を目の当たりにした。
辺り一帯に展開された木々が、彼を中心に少しずつ、自身の影響下から抜け出している……『ローマ』ではなくなっていっている。
そのことに気付いたロムルスは、新たな力と気合いが入った一声と同時に、より一層の力を宝具に込めた。
それと同時に、少しずつながらも何とか広がっていた新たな概念が、境目から軋む音と揺れが発している錯覚を居合わせている者達に感じさせながらの鬩ぎ合いを始める。
先程までのものほどあからさまでは無かったとしても、競り負けて影響の及ぶ範囲を徐々に減らしてしまっているのは、明らかにカルデア側の方だった。
(『ローマ』という概念を操るロムルスに対抗するには、こちらに有利に働く別の概念で上書きしてやればいいって発想自体は、間違ってなかったみたいだけど。
『サリアの歌』……迷いの属性の付与だけじゃあ、ここをローマとは違うどこか別の森だと定義づけるのには弱いか)
何かもう一手が必要であると認識しながらも、曲を奏でるのを止めればその途端に『ローマ』に呑み込まれてしまうだろうことを考えると、迂闊に動くことが出来ない。
曲を紡ぐことはやめないまま、内心で舌を鳴らしたその瞬間。
令呪が輝く赤い光が背後から迸り、それと同時に、その時まで間違いなく存在していなかった誰かの気配がひとつ増えたのを感じた。
視界の端に音も無くすっと現れたのは、鋭い剣先……ではなく、それ自体には何の破壊力も無い、繊細に揺れるだけの細い棒。
それが『彼』にとっては、奇跡の音色を無限に生み出す文字通りの魔法の杖なのだということを、世界中の者達が知っている。
多くの人に夢の世界を与え続ける音の魔術師、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、派手に歪んで不満を露わにしたその口から、開口一番に容赦ない罵声を響かせた。
「ああもう、クソ野郎、何てことだ!!
僕は音楽家だって、後方支援がせいぜいの非戦闘員だって、何度も何度もいっそ曲にしたくなるような頻度で言ってるのに!!
特異点に、しかもあんなとんでもないサーヴァントと戦う最前線に引っ張り出すなんて酷いじゃないか、なあマスター!?」
「いやいやいや!!
そんな文句を言うなら何で召喚待ち用の待機室にいるのさ、了承済みだって普通思うよ!?」
「あそこは今、マリアやジャンヌを始めとした普通に待っているのに飽きた連中が色々と持ち込んで、完全にレクリエーションルームと化してるんだよ!!
サーヴァントだけでなくスタッフ達まで休憩目的で入り浸ってるんだ、居心地の良さについ長居していたらこのザマさ!!」
「俺なんも悪くないじゃん!!」
「…………うん、まあそうだね。
仕方がない、こうして呼ばれたからには開き直って頑張るよ。
リンク、合わせるのは今の曲に対してでいいのかい!?」
「いいや、変える!!」
「了解!!」
簡潔なやり取りを交わしながら振った指揮棒が守りの曲を奏で、曲を切り替える瞬間にどうしても生まれてしまった隙をカバーする。
その頼もしさに感謝しながら、先程までは別の動きを見せ始めた指が、跳ねるような陽気なリズムから一変した、優雅に繰り返されるステップを思わせるたおやかなメロディーを奏で始めた。
最初こそ、リンクが吹くオカリナの素朴な音色のみだったのが、アマデウスが指揮するオーケストラの伴奏が加わったことによって、壮大な世界観を築き上げていく。
幼い子供の姿をした不思議な民が密かに暮らす、異界の森を越えた先。
人がむやみに立ち入ることを拒む古代の森と、その最奥にひっそりとたたずむ荘厳な神殿の幻影が、一同の脳裏に鮮やかに浮かび上がった。
『森のメヌエット』……それはかつて、古き森の奥深くに存在する賢者の聖地へと、時の勇者を導いた曲。
この曲を奏でることによって、勇者リンクはその地に辿り着くことが出来ると言うのならば。
逆説的に、勇者リンクによってこの曲が奏でられているということが、ここがかの地であることの証明となり得るのではないか。
その予想は、見事に的中していた。
オーケストラの演奏に合わせて爆発的に広がった『ハイラル』が、ロムルスの『ローマ』を一気に後退させる。
しかしそこは、ロムルスも流石というもの。
勇者リンクが自ら奏でた、この地の認識を上書きする力を持った曲……それも、稀代の音楽魔術師であるアマデウスの補助によって段違いに力を増していたものと、たった一人で、真っ向から鬩ぎ合ってみせた。
私はローマ、私こそがローマであると、彼はこの短い時間の中で何度も言っていた。
それを疑いようもなく証明している光景を前に、誰もが思わず息を呑む。
「…………これが、ローマ」
立香は、以前自分が謁見の間で啖呵を切った時のことを思い出していた。
周辺諸国の民や文化を寛容に取り入れながら発展していったのが、ローマという一大文明であった筈なのに。
ローマの民ではないから、得体の知れない余所者だから。
そんなちっぽけな理由でこちらを認めまいとする者達に対して、『世界はローマだ、だからお前達もローマだ』と言い切る器のでかさを見せてくれてもいいんじゃないかと、そんな類のことを言ってやった覚えがある。
反発心を上乗せしながらぶつけてやったその言い分が、実際にはとても難しいのだということは分かっていた。
だからこそ、それを全力で体現してみせているロムルスの雄大さに、敵ながら敬意を覚えずにはいられない。
彼を含めた誰もが、目の前の激闘に見入ってしまっていた、そんな状況で。
ただ一人だけ、胸中に燻ぶるものを抱いていた者がいた。
(……………………)
(何だ)
(一体何なのだ、この妙な不快感は)
(理屈は分かる……今彼らは、余らがいるこの場所を定義するものを競い合っている)
(神祖ロムルスが示すローマか、勇者リンクが証明するハイラルか)
(……いや、違う)
(それだ、そこから既に間違っているのだ!!)
(ここは既に神祖のローマではない、遥かいにしえに終焉を迎えたハイラルでもない!!)
(ここは)
(ここは……)
「ここはっ!!」
「余のっ!!」
「黄金劇場である!!」
高らかと上がった声と同時に、世界は一瞬で塗り替えられた。
先程まで、リンクとロムルスの間で繰り広げられていたような、衝撃を伴いながらぶつかり合うようなものではない。
それこそが正しいのだと、真に在るべき姿なのだと、この世界そのものが喜んで受け入れたかのように。
悠久の歴史を思わせる大樹の森の代わりに現れた、繊細な彫刻と意匠によって彩られた黄金の劇場……ローマという国の華やかさを象徴するような、美しく絢爛なその舞台上に、一同はいつの間にか立っていた。
「なっ……こ、これは一体」
《固有結界……まさか、そんな馬鹿な!!
心象風景を具現化させる魔術の極地のひとつだぞ、それをどうしてネロ陛下が!?》
《……いや、在りえなくは無い。
そもそもおかしかったのだ……生者である彼女が何故、サーヴァントと肩を並べられる程の戦闘力を有していたのか。
人理焼却による何らかの影響か、この特異点において彼女の存在が重要なものだったからなのか、正確な理由に関しては定かではないが。
知名度や歴史に刻まれた実績からして、死後に英霊となってもおかしくはない彼女が、いずれ手にする可能性のある力の一端を揮えるようになっていたと考えれば》
《成る程、宝具か!!
……だとしてもとんでもないことに変わりはない、人の身でサーヴァントの宝具を扱うだなんて!!》
《それだけ、ローマを守るという彼女の決意が強固なものだろう……これも、在りえない話では無い》
そうしてエミヤが語った仮定には、ただの思い付きでは至れないような、謎の確信と説得力があって。
信用できる情報源として、リンクが新たな行動に移るためのきっかけとなった。
「アマデウス、楽団を貸して」
「構わないけど、どうするつもりだい?」
「ネロ陛下が作り出した、彼女にとって有利に働くであろう世界を、より強く確実なものにする。
ここが『劇場』だと言うのなら、そのために必要なのは」
「ああ分かった、無理に考えるようなことじゃなかったね。
建っているだけの劇場なんて、ただの豪華な建造物に過ぎない。
それを『劇場』と定義づけるもの、より一層輝かせるものとは……」
「「優れた演目」」
言葉と認識を合わせた二人が、顔を見合わせながら笑い合う。
武器を振るうことに長けた指先が繊細な動きで奏でる弦の音と、天才音楽家が振る指揮棒が、ゆっくりと静かに重なった。