予め決められていた設定通りに鳴り始めた、甲高い電子音。
若干の不快感を伴っていたそれは、ゆっくりと伸びてきた手によって止められ……生憎ながら手の主は、音が果たそうとしていた役目を無視して、柔らかな枕に再びその顔を埋めた。
始まりかけた途端に止まってしまった一日が再び動き出したのは、目覚ましとしての役割を果たすことが出来なかった時計が、30分ほど普通に数字を進めた頃のこと。
ノックどころか声をかけることもせずに、ズカズカという音が聞こえてきそうな足取りで遠慮なく部屋に踏み入ってきたその人は、掛け布団をはぎ取ると同時にベッドの主の頭を容赦なくひっぱたくことで、その場の空気を強引に動かし始めた。
「うっ……」
「あんたねえ、起こされるまで起きないんなら目覚ましかける意味無いじゃないの」
「……おはよう。
オルタに起こされるの、何か久しぶりだね」
「新入りのローテーションが一通り済んだタイミングで、たまたま私が通りがかっただけよ」
「……自分で起きるの苦手だから、誰かが起こしに来てくれること自体は本当にありがたいんだけどさ。
どういう経緯があって、俺を起こすのが新人サーヴァントがカルデアに馴染むための第一歩的な扱いをされるようになったわけ?」
「さあね、でも実際にいいきっかけになってるのは確かよ。
いかにもカルデアらしいじゃない、『勇者様を叩き起こしてこい』だなんてふざけたミッションは」
「……寝汚いところがあるのは認めるけど。
暴れたりとかはしないで起こされればちゃんと起きるんだから、それを難関扱いされるのはちょっと心外だなあ」
「はいはい。
もう行くわ、二度寝するんじゃないわよ」
大きなあくびをしながら身を起こしたリンクに、振り返ることなく背中越しに手を振ったジャンヌ・オルタは、部屋の外側に下げられていたプレートをひっくり返してから去っていく。
『就寝中』から『起床済』に変わった表記を始まりに、勇者リンクの一日は幕を開けた。
食堂は、カルデアで最も人の集まる場所と言っていい。
日に三度の食事時はもちろん、それ以外の時間でも、常に誰かしらの姿がある。
最初の爆破から逃れて機能を保ち続けていた数少ない施設のひとつであり、自身の立ち位置と役割を早々に確立させたエミヤによって当初からフル活用されていた流れを汲み、多くの施設と区画が復旧を果たした今もなお、スタッフやサーヴァント達がふとしたタイミングで足を向ける場となっているから。
そんな場所柄を生かして、新たに作られた仕組みが少し前から稼働していた。
朝食を取るという用事を既に済ませた者達が、壁際に集まりながら騒めいている。
彼らが見上げる先には、全体を把握するためには目線だけでなく首から動かさなければならないような、巨大な一枚板……『掲示板』が備え付けられていて。
しきりに動いていたかと思えば、ふとしたタイミングで止まりもする彼らの目線は、そのあちこちに貼りつけられている紙の内容を追っている。
それは、本日の日替わりメニューの通達であったり、宝物庫の稼働予定表であったり、それを汲んだ上での攻略のメンバー募集であったりと、いわゆる『カルデアからのお知らせ』や『バイト募集』の類いであった。
「済まぬが、これを頼む」
「宝物庫攻略へのご参加ですね。
では、お伺いしますが……記載された要項をきちんとご理解いただけたことと、引き受けたお仕事に真摯にお勤めになられることを誓えますか?」
「うむ、問題ない」
「……はい確かに、嘘は無いみたいですね。
どうぞ、頑張って下さいませ」
「今宵は久々に月を見たいのでな、ちと気合いを入れて稼ぐとしよう」
「……立香の案を元に始めた仕組み、結構上手く回ってるみたいだな」
「QPと引き換えにシミュレーターを開放したのも、積極的に動くためのいいモチベーションになっているみたいだし。
受付を清姫に担当してもらうのも……今のところ無いとは思うけど、冷やかし目的の排除や、リスク管理という面でいい具合に嚙み合っているし」
「立香の奴……自分を『何の変哲もない一般市民だ』って豪語する割には、少し調整するだけで十分使い物になるような案をちょくちょく出してくるのは一体何なんだ?
今回のこれも、漠然としたイメージじゃなくて、あいつの中では既にある程度の形が出来ていたみたいだし」
「『酒場や食堂の掲示板でクエストを受注するのは定番だから』とか何とか言ってたけれど、どういうことなんだろうね」
立香がちょっと躊躇いながら口にしていたそれは、人によっては一発で理解出来る話ではあるのだが、古代人であるリンクと
揃って首を傾げる彼らに声をかけたのは、受付に並んだ列を捌き終えて一息ついた清姫だった。
「リンクさん、ドクター、おはようございます」
「おはよう清姫、朝から大変だったね」
「いえいえ、この働きがカルデアの……ますたぁのお役に立つのならば、これくらい何ともありませんわ」
「頼もしいよ、ありがとう」
「立香も喜んでる筈さ。
……じゃあ俺も、そろそろ行こうかな」
マシュと並ぶメインサーヴァントの一人として、立香に同行することが最重要事項となっているリンクは、急なレイシフトにも対応することが出来るように特定の役割を負ってはいない。
なので彼は、カルデア内を巡回して手助けが必要そうなところにその時々で加勢するという、遊撃手のような役割を日々こなしていた。
この日もいつものように、その予定で動き出そうとしていたのだけれど。
同じタイミングで『あっ』と声を上げたロマニと清姫によって、歩み出しかけた足はその寸前で止められた。
「ごめんリンク君、伝えなきゃと思ってたのを忘れてた!!
今までは君の優秀さに甘えて、突発的に発生した問題や現場の人手不足なんかを、その場その場で何とかしてもらってきちゃったけれど……」
「人員もそれなりに増えてきたし、いつまでもそのままではいけないということで。
リンクさん一人に頼りきるのではなく、前もってある程度想定できることに対しては、この場で依頼を出すという形で対応することになったのです。
ご覧になって下さい、こちらのように」
清姫に促されて、掲示板に貼られている依頼の内容を改めて確認してみれば、確かに。
マルタが主導している家事全般や、エミヤが食堂を切り盛りしながら行なっていた倉庫の在庫確認等の、今までリンクが必要に応じて手伝っていた諸々に対するヘルプ募集の依頼が貼り出され、きちんと受託もされていた。
「ということは、俺が手伝いに入らなきゃいけないような現場は今のところ無いんだ」
「本当にごめん、昨夜のうちに話そうと思ってたんだけど……」
「ああそっか、確かシミュレーターの調整中にトラブルが起こってたっけ。
それに対応している間にすっぽぬけちゃったんだね」
「人手不足ではなく、トラブルへと対応していただくのはこれまで通りで構いませんし、その分の報酬を後でお支払いできるような仕組みも整えているところですが」
「問題が起こることを望むつもりはないよ、何事も無ければそれが一番。
……でもどうしよう、急に予定が真っ白になるとは」
「むしろ良い機会です、たまにはお休みを取られては?」
「そうだね、それがいいよ!
何しろリンク君、特異点でのことも合わせて働きっぱなしでしょ?」
僕のことを言えないよと、少しだけ責めるような口調で言ったロマニに、リンクは肩を竦めながら笑い返した。
「そうだね、今日は好きにさせてもらおう。
でも、何か起こったら遠慮なく声をかけてね」
「うん、その時はよろしく」
「それでは、良い休日を」
快く送り出してくれる二人に、手を振り返しながら食堂を後にしたリンクは、人気が十分遠ざかったところで立ち止まって。
耳にした者がいれば、速攻で駆け寄って彼をベッドへと放り込んでいそうな発言を、何の躊躇いも無くあっさりと口にした。
「休みの日って、どう過ごせばいいんだっけ」
何よりも問題なのは、それが自嘲でも困惑でもなく、本当に純粋な疑問から発せられていたことだろう。
「……で、俺達のところに?」
「ちょっと意見を貰えればと思って」
「…………マスターとしても友達としても嬉しいよ、そうやって頼ってもらえたってことがさ」
言葉を失うマシュと、二人が愕然となった理由が分からずに首を傾げるリンクを認識しながら、大きなため息をつく立香。
ここは踏ん張りどころだと、ちょっと強めに頬を叩いて気合いを入れながら、擦り切れるばかりだった人生をやり直そうとしている勇者へと改めて向き直った。
(俺としては、おやつでも食べながら部屋でゆっくりするのも、立派な休日の過ごし方だと思うけれど。
今のこいつの場合は、多分それじゃ駄目なんだろうな)
それは『体の休め方』であって『心の休め方』ではないと、リンクが忘れてしまっているのは後者の方だと、サーヴァント達にも認められたマスターとしての勘が告げている。
しかし、カウンセリングなどの特別な勉強をしたわけではない立香には、こういう時にどんな言葉をかけ、どんな行動を促してやるのが正解なのかが分からない。
そもそもの話として、専門家ではないからとサーヴァントの悩みや問題の解決を他者に丸投げするという行為や考えは、マスターとして如何なものか。
無意識のうちに唸り声を上げて、リンクやマシュを心配させる程に考え込んでしまっていた立香は、ひとつ突き抜けたところであまりにも単純なひとつの答えに辿り着いた。
「ねえ、マシュ……ダ・ヴィンチちゃんに、俺とマシュの今日の予定を全部延期するって伝えたいんだけど、回線繋げてくれる?」
「えっ、センパイ?」
「今日は俺もマシュも休み。
一緒に色んなことしよう、リンク」
思いもよらない言葉を受けて、見開いた目を瞬かせたリンク。
そのあどけない表情は、彼の強さと頼もしさを誰よりも間近にしてきた立香でさえ、彼はただの少年なのだと思わざるを得ないようなものだった。
事情を知るや否や快く頷いたダ・ヴィンチに、通信越しに背中を押された三人は程なく、波飛沫が打ち付ける岩場に立っていた。
もちろん、燃え尽きた世界と猛吹雪によって閉ざされた現状では、普通のやり方でカルデアを出てこのような場所に行ける筈がない。
戦闘用シミュレーターを応用することで作り上げられた、本物と見紛うばかりの仮想世界には、三人以外にとあるサーヴァントの姿があった。
「というわけで、よろしくクー・フーリン!!」
「おう、マスター達がやりてえって言うんなら俺は別に構わねえぜ」
「あ、あの……マスター、それにクー・フーリンさん。
何の説明もなしに連れてこられてしまいましたが、一体何を行なわれるつもりなのですか?」
「これだよ、これ」
年経た賢者のような風格を感じさせることが多いクー・フーリンが、ニカッという音が聞こえそうな少年じみた笑みを浮かべながら手に取ったものが何なのか、リンクは一目で気が付いた。
「釣り竿?」
「特に熱を入れているのは槍の俺だが、
赤い弓兵のことをちぃとばかし見習って、趣味と実益を兼ねた上でカルデアに貢献する方法を考えてみてな。
『釣る』という一連の行動と試行錯誤を経て、魔力リソースを『魚』という形で実体化させるための術式を、かなり気合いを入れて作ってみた。
シミュレーターを戦闘用以外にも開放しようって案は、それをきっかけに出たんだぜ」
「もしかして、食堂のメニューに魚料理の品目が増えたのは……」
「俺の成果だ、美味いものをちょっと追加して食えるくらいの小遣いにはなってる。
お前達も何か釣れたら食堂に持ち込んでみな、赤い弓兵の奴がきちんと目利きした上で引き取ってくれるから」
「……エミヤってば、魚の目利きまで出来るんだ」
「エミヤさんが、一体どんな生涯を経て英霊となったのか、知れば知るほど分からなくなりますね」
「そんなの今考えることじゃねえだろ、折角だから楽しもうや。
予備の竿があるから、遠慮せず持っていきな」
「ありがとうございます、釣りを体験するのは初めてです!」
「クー・フーリンって、本当に釣りが好きなんだね」
クー・フーリンの笑顔と浮かれた様子が、好きなものを布教する際のそれだということに気付いた立香が、堪えられずに笑みを零す。
いい空気に乗った流れで振り返った先では、クー・フーリンから釣り竿を受け取ったリンクがその状態のまま首を傾げていた。
「リンク、もしかしてお前も釣りしたことないの?」
「そう言うお前は?」
「無いよ、でも前から興味はあった」
「そっか……俺も、魚を獲ったことはあるんだけど、それを釣りという形ではやったことが無くて。
直接水に入って掴んだり、爆弾を投げたり雷を落としたりして纏めて獲った方が、よっぽど効率的だったからなあ」
「情緒の欠片もねえ!!」
「それ以前に、掴み獲りはともかく爆弾や電気は、現代においては犯罪行為だからもうやるなよ!?」
「そこまで行くと、釣りじゃなくてもはや漁の域だな……ああいや、それ自体を否定する訳じゃねえが。
今日は休みで、稼ぐためにじゃなくて遊びに来たんだろ?
だったら今は野暮な考えは捨てて、魚との真剣勝負を楽しんでいきな」
「……楽しむ、か。
そうだな、ちょっとやってみよう」
「よっし、じゃあ頑張れ」
「えっ……あの、クー・フーリンさん。
いきなり竿だけ渡されても、一体どうすればいいのか……」
「餌をつける、投げる、かかったら引く。
基本はこれだけだ、あとは経験と試行錯誤だな」
「……つまり、ひたすら体で覚えろと」
「クー・フーリンさんが厳しいのは、戦闘に対してだけではなかったのですね……」
ため息をつきながらもクー・フーリンらしいと思った三人は、気付けば笑みを零していて。
その少し後、横並びになった三本分の釣り糸が、少々ぎこちない動きで水面へと向けて投げられた。
ぷかぷかと僅かな浮き沈みを繰り返す仕掛けの、ほんの僅かな変化も見逃すまいと全身を力ませる初心者トリオに、流石に思うところがあったらしいクー・フーリンが苦笑いと共に声をかける。
「待ってるだけじゃ駄目だ、色々と試したり工夫してみろ。
間違いでも見当違いでもいい、そのやり方じゃ駄目なんだってことが分かるだけでも立派な進歩だ。
俺が仕込んだ術式は、実際の力量と正しい釣り方が出来ているかどうかに比例して、釣れる魚もでかくなっていくように組んであるからな」
「な、なるほど……」
「つまり、諦めずに何度も続けることでスキルレベルが上がっていって、同時に獲物もランクアップするってことか」
「……例えの意味がよく分からねえが、とりあえず頑張れ」
「よし、じゃあまずは餌でも変えてみて……ってリンク、お前の竿が」
「えっ、あれ、もしかして引いてる?」
「呆けてる場合か、さっさと竿を立てろ!!」
想定外の事態に思わず呆気に取られたものの、クー・フーリンの一喝をきっかけに状況の把握を一瞬で終えたリンクは、竿を握る両手と踏ん張る両足に力を込めた。
重量武器を軽々と振り回す腕力と、ごつごつとした岩場にも関わらずその身をがっちりと安定させていた足腰によって、水面へと向けて大きくしなっていた竿は瞬く間に、反対方向へと向けて跳ね上がり……居合わせた全員の頭上に影を落とすほどの巨体が、まるでそこが水の延長であるかのように高々と舞うさまを、誰もが呆然とその瞳に焼き付けた。
「…………さ」
「鮫だー--------っ!!?」
『JAWS』を思い出させる程に凶悪な面相をした巨大な鮫を前に、思わず声を上げはしたものの、そこはやはり歴戦のマスターとサーヴァント達というもの。
突発的な事態への対応スキルが上がりに上がっていた彼らの戦闘態勢は、鮫が地に落ちるよりも早く整えられた。
サーヴァントの方が強いと信じてはいるが、だからと言って生理的な恐怖感が完全に拭い切れる訳では無く。
瞬く間に仕留められて岩肌に横たわる、もう襲ってこないとようやく確信出来た巨体を前に、立香は腹の底からの溜め息をついた。
「び、びっくりした……」
「一体なぜ、急に鮫なんかが……」
「……なあリンク。
さっきお前、釣りは初心者だって言っていたが、あれは本当か?」
「どういうこと、クー・フーリン」
「さっきも言ったろ、俺が組んだ術式は糸を垂らす奴の技術と経験に応じて大物を作り出すって。
お前が実際には初心者どころか達人だったとしたら、さっきのあれも一応説明がつくんだが」
「……『俺』が初心者なのは間違いないけれど。
俺の中にいる先輩方……『時』『風』『目覚め』『黄昏』辺りは結構好きでやりこんでたから、その辺りが出てきたのかも」
「……その『やりこんでた』ってのは、具体的にはどんなもんなんだ?」
「通っていた釣り場の記録を悉く塗り替えたとか、伝説の大物を釣り上げたとか」
「それが纏めて出てきたってか!!
そりゃ鮫も釣れるわ、むしろよく鮫で済んだな!!」
「ごめんなさい……」
「いやいや謝んな、大物が釣れるに越したことは無いと思って上限を設定していなかった俺も悪かった。
……重ねて申し訳ねえんだが、釣りはまた次の機会にして貰えるか?
こんなにもあからさまな不備がある状態でマスター達に遊ばせる訳にはいかねえからな、手直しが終わったら真っ先に声をかけるからよ」
「分かった、残念だけど仕方ないね」
「次を楽しみにしています」
「おう、またな。
……お前も、いつまでもそんな湿気たツラしてんじゃねえよ。
せっかくの休みなんだろ、気を取り直して楽しみな」
そう言って笑いながら俯いた金色のつむじをかき回す動作に、その相手が大先輩なのだという事実に対する気後れのようなものは一切感じられず。
伝説の勇者ではなく、やらかしてしまって落ち込む少年として少しだけ乱暴に扱われたリンクの顔に、程なく笑みが戻ってきた。