女王メイヴの優雅なモーニングルーティンが、コノート国民お馴染みかつ必見の番組として朝のチャンネルを独占している頃。
更生プログラムの一環として、規則正しい生活を強要されている囚人達の一日も、また始まろうとしていた。
「起床時間です!!」
「あっ、ナイチンゲールさん」
「おはようございます」
「おはようございます、リンクさんにゼルダさん。
あなた達は毎朝きちんと起きて下さいますね、模範囚の鑑です。
他の方達も見習っていただけると有難いのですが……最低限の規則正しい生活すらも送れないようでは、釈放など考慮すらされません」
「そ、そうですね……」
(他の人達は毎晩遅くまで穴を掘ってるから、その辺りは仕方ないんだよな……)
疲れているだとか、寝不足だとかは関係なく、ただ単に性分として起こされるまで起きないという者もいるのだろうが、この場では横に置いておく。
自分達の檻の前から去っていくナイチンゲールを苦笑いで見送った数秒後、既にお馴染みとなってしまったやり取りがいつも通りの大音量で聞こえてきた。
「起床時間です!!」
「ぎゃああああああっ!!?」
「目覚まし代わりに銃を撃つなと何度言わせるんじゃお主は!!」
「それはこちらのセリフです、何度撃たれれば分かれるのですかあなた達は!!
しかし私はめげません、必ずやあなた達に正しい生活習慣を身につけさせてみせます!!
そう、例え永遠の眠りにつかせたとしても!!」
「本末転倒でしょう!!」
こうして、バーサーカーな婦長が奏でる銃声の多重音によって、監獄の朝は至極賑やかなのであった。
監獄には、ただ単に犯罪者を閉じ込めておくだけでなく、社会復帰を目指して更生を促すための教育施設という側面もある。
メイヴの個人的な都合と好みだけを反映させる形で築かれているこの監獄にも、そういった類いのカリキュラムは存在していた。
しかしそこはやはり、世界的に見ても屈指と言っていいレベルで戦闘狂なケルトの価値観によって築かれた監獄。
ここでは、通常ならばカリキュラムの大部分を占めているであろう社会奉仕や軽作業といったものの代わりに、ロープが軋む音、叩きつけや着地に伴って床が盛大に鳴る音、華々しい飛翔によって空気が唸る音などをバックに、女性の陽気な笑い声が響き渡っていた。
「ハァーイ、今日も楽しいルチャの時間デース!!
精も根も尽き果ててぶっ倒れるまで、とことん戦い抜いて下さいネ!!」
アステカ文明における太陽と金星の女神、本人曰くルチャの女神であるケツァル・コアトルの渾身の悪人顔から発せられた凶悪な発言は、並の者ならば背筋を竦み上がらせた上に腰まで抜けかねないようなものだったが。
そこはやはり歴戦を越えてきたサーヴァント達というもの、うんざりとした様子を見せても気後れはしない。
それには、この場を無事に乗り越えることに、その日の脱獄作戦を順調に進められるかどうかが左右されるからという意味合いが大きかった。
彼女が指揮を執るスパーリングは、この監獄における唯一の明確な更生プログラムで、きちんとこなしたかどうかを厳重に管理されているので、どうにかしてやり過ごすというようなことが出来ない。
戦闘狂の女神とトレーニングという名の実戦を行なうという、100%のケルト式に適応した無茶なプログラムに、それも監獄結界によって大幅な弱体化を受けた状態で。
ここで下手に消耗してしまった場合のデメリットを考えると、半端な気持ちで臨むわけにはいかなかった(狂った婦長に粘着される可能性という意味もあって)。
一人、また一人と、悲壮さと決意が交じり合った表情で死地のようなリングへと赴く者達の背中を、自身の番を既に終えたリンクは無言で見送り続ける。
彼の口が次に開いたのは、全員分の、最低限の予定が終了したその瞬間だった。
「ケツァル・コアトルさん、次は俺とお願いします」
「オーウッ、やる気満々ですネ!!
結構なことデス、では早速……と、言いたいところなのですが。
何かこの頃、あなたとばかりトレーニングを行なってしまっているような気がしマス。
やる気のある人に応えたいとは思いマスが、流石にそろそろ、他の人達の相手もしてあげないと……なっ!?」
別のことに思考を割いていた最中だったのにも関わらず、何の前触れも無しに凄まじい勢いで迫ってきた気配に瞬間的に対応し、女性の胴体を目がけて何の遠慮も無しに繰り出された渾身の蹴りを見事受け止めてみせた辺りは、流石は肉弾戦特化の女神と言うもの。
普通の感性の持ち主ならば、冗談でなく死にかねなかったような一撃を不意打ちで食らわせてきた暴挙に対して怒るのが、反応としては正しかったのだろうけれど。
普通ではなかったケツァル・コアトルの心のパラメーターは、想定される反対方向へと向けて跳ね上がった。
「ロープの反動も無しに何というキックを……素晴らしいデス!!
もう我慢できない、肉体言語で語り合いましょう!!
ルチャドーラお得意の空中殺法を、思う存分お見舞いしてあげマース!!」
太陽の如く目を輝かせながら浮かれるケツァル・コアトルに、副監獄長としての務めを果たさなければという理性はもはや無い。
この様子では今日もまた、囚人達をしばき上げるために用意された時間を、リンク一人を相手に使い切ってくれることだろう。
脱獄レースからリタイアした彼には、夜中にこっそり穴を掘るという予定は存在しない。
その分生まれた体や時間の余裕を使って参加者一同をサポートしたい、具体的にはケツァル・コアトルの相手を一手に引き受けようと思っているとリンク自身が言い出した際には、下手をすれば毎日の穴掘り以上の無茶ぶりに躊躇った者も多かったのだけれど。
その懸念はリンクがとある宝具の存在を明らかにした際に霧散し、今はもう、ルチャの女神を彼一人に押しつけることを誰も心配せずに、脱獄の準備や打ち合わせをそれぞれで進めている。
今にも跳び上がりそうな程に浮かれているケツァル・コアトルと対峙するリンク、その腰元には美しい黄金色の煌めきを落とす砂時計が揺れていた。
『夢幻の砂時計』とは、ひとつの世界を創造し得るほどの力を持ったとある神の、失った力の細かな結晶を内包した砂時計。
完全な力を取り戻せば時間停止すらも成し遂げるそれは、砂が足りない半端な状態でさえも、あらゆる呪いや弱体化を砂が落ちている間だけとは言え無効化するというとんでもない代物である。
かつて『風の勇者』は、その場に居るだけで生命力が奪われるという理不尽な仕様となっていた神殿内の探索を、この砂時計を使うことによって行なった。
そして現在、試しに使用してみた砂時計の力は、監獄結界に対しても問題なく働いていたのだ。
本来の力を発揮できない囚人達を相手に、名目こそ実戦だとしても、本質としてはあくまで指導レベルのスパーリングをこなし続けて、血沸き肉躍るぶつかり合いというものに対する渇望を密かに溜めていたと思われるケツァル・コアトルの
更に言えば、ケツァル・コアトルのトレーニングが行なわれる場所が屋外の訓練場で、しかも昼間だということも幸いした。
砂時計の力は当然無限ではない、一旦砂が落ち切ってしまえば回復させない限り再利用は出来ない。
その、砂の力を回復させるための手段というのが、『太陽の光に当てること』であった。
屋内や地下への侵入に用いるのならば、時間切れとなったタイミングで一旦外に出なければならなかっただろう。
しかし今はわざわざ陽の光を求める必要は無い、タイミングさえあればいつでも砂時計を回復させられる。
実際にリンクは、ルチャリブレの試合という形式に拘るケツァル・コアトルが律儀に挟んでくる休憩時間を利用して、砂時計の再スタートに成功していた。
(残り時間的にあと一回か二回ってところかな、だけど……)
「しっかりと体を休めて下さいネ、後に引きずるような無茶な真似をしたらダメですよ」
(他の囚人達のことを忘れる程に理性が吹っ飛んでる……かと思うのは微妙なところなんだよな、完全に頭に血が上る前にはやめるくらいの判断力はちゃんとあるし。
もしかしたら、色々と察した上で、何かしらの思惑で動いてるんじゃ……)
今の状況を考えると、その考察がもし当たっていた場合は大変なことになりかねないのだけれど。
ルチャかぶれの戦闘狂だという側面を持っていたとしても、本質としては紛れもなく、秩序を重んじる善寄りの女神であるケツァル・コアトル。
そんな彼女が向けてくる笑顔は、『大丈夫よ』と言わんばかりの優しいもので。
その印象を信じてもいいのではないかと考えることを、リンクの『勇者』としての勘が躊躇うような気配は無かった。