時系列に沿って書こうとすると機会が来るのは相当先のことになってしまうので、外伝の一環として別のところで書いていたのですが、やっぱりこれも分類としては本編だよなと思ったのでこっちに移すことにしました。
常にも増して『残酷な描写注意』です、人によっては『R-18G』表記が必要となるかもしれません。
宜しいという方は、是非ともお進み下さい。
やり直しの果てに
新たな特異点の観測……そんな、世界や人理の側からすれば紛れもない『異常』すら、『日常』の一端と化していたカルデアにおいても、その一報は正しく異常事態であった。
北米東海岸のとある地域、今現在においては近代的な街並みが広がっている筈のごく限られた場所が、その地に暮らしていた五万人もの人々を巻き込みながら、突如観測された特大の魔力反応と共に謎の闇の中へと閉ざされた。
科学的にも魔術的にも、あらゆる干渉から断絶されたその地の名は『セイレム』。
かつて町全体が魔女裁判の狂気に陥り、多くの犠牲者を生み出してしまったという、知る人ぞ知る暗い歴史の残る場所である。
きっかけは、『アビゲイル』という名の子を始めとした少女達。
通常の精神状態では考えられないような奇行を繰り返すようになった彼女達の様子に、人々は魔女の仕業と考え、大々的な魔女裁判が行われた。
その裁判と事態が泥沼化した原因は、霊的証拠の重要性が認められてしまったことだった。
『夢や幻で現れた』という、客観的な判断や考察など下しようの無い、少女達の個人的な印象や証言でしかないものが正当な告発とみなされ、『少女達によって魔女と告げられただけ』の者達が次から次へと投獄され、その多くが処刑にまで至ってしまったのだという。
思春期の少女達が閉鎖された田舎町で集団ヒステリーを起こしただの、少女達の中に本当の魔女がいただのと様々に嘯かれ、表の歴史的にも魔術的にも大きな意味を持つその場所が、膨大な魔力反応を伴った謎の異常事態に襲われている。
それまでに経験した前例から、最終決戦の地から逃亡した魔神柱の関与を確信したカルデアは、多くの問題をクリアして彼の地に潜入する為のとある策を以って行動に移った。
旅の芝居一座として、質素で敬虔な毎日を送る人々の非日常として、立香とマシュ、そして選抜されたサーヴァント達はセイレムへと赴き、そして…………。
(……そして、何だっけ)
(アビゲイル、ラヴィニア、ティテュバさん)
(カーターさんに、ホプキンス判事)
(色んな人に会った、色んなことが起こった)
(…………何が、起こったんだっけ)
(ここは、どこ?)
(どうして、俺、こんなところにいるんだろう)
酷くぼやけた思考の中で、辛うじて形となった意思の端を、立香は懸命に掴んで手繰り寄せた。
やめた方がいいと、このまま何もかもが終わってしまうのを待つのが自分自身の為だと、どこかから聞こえてくる声があるのだけれど。
それが、堕落を仄めかす悪魔の声なのか、せめてもの救いと安らぎをもたらそうとしてくれている天使の声なのかは分からなくて。
……どちらにしても、従った方が本当に自分の為になるのだと、妙な確信を抱いてもいるのだけれど。
安寧に逃げてしまってはいけないと、それこそ本当に何もかもが終わってしまうと、身と心を守りたいという本能を抑えて叫ぶ意思がある。
今の自分に許されている、ほんの僅かな自由の中で、立香はギッと力を込めて歯を噛みしめ……舌から走った鋭い痛みと、口中に広がった血の味と共に、堕ちかけていた自我を強引に覚醒させた立香は、目の前に広がる光景と幾分かまともになった思考で把握した現状を前に、引き攣った口元から自嘲の笑みが零れ出た。
「…………ああ、そういえばそうだった。
何も出来ないからって、よりによって現実逃避とか…………情けないなあ、俺ってば」
厳しいようで何かと甘いサーヴァント達なら、逃げっぱなしで終わらせずに、何とか踏ん張って戻ってきただけでも大したものだと、そんな言葉で慰めたり励ましてくれるのかもしれないけれど。
そんな予想は、今の彼をこれっぽっちも助けてはくれない。
年経た大樹が佇む丘の上……まとわりつくような嫌な風が吹き、あらゆる色が褪せてしまっているかのようなその場所で。
立香は一人、自身の首をかけることになる吊り縄を前に佇んでいた。
その日のセイレムは、久方ぶりの安堵と希望に沸いていた。
神の祝福を受けている筈のこの地を突如襲った悲劇と惨劇、その元凶が公正な裁判と審議の結果明らかとなり……流れの芝居一座の座長を装い、この地への侵入を果たした悪魔への刑の執行が、もう間もなく行われるからだ。
これで全て終わると、元の平和で穏やかな暮らしが戻ってくるのだと信じてやまない市民達は、悪魔の最期を見届けてやろうと集まった丘で、自分達と同じく悪魔によって騙され、要らぬ辛酸を味わわされたと、この悔しさや喜びを分かち合えると信じている者達の姿を探した。
絞首台に立つ少年の無実を知り、一座ごと親しんでいた少女以外の市民の誰もが、彼の死を今か今かと待ち望んでいるという現状に耐えられなかった彼女達が、絞首台とそれを囲む市民達を遠巻きにしながらたった一度の機会を伺い続けていることなど、想像すらしないまま。
「センパイ、ああ、センパイ!!
そんな、何で……一体どうして、こんなことに」
「落ち着けマシュ、難しいのは分かるけどそれでも落ち着くんだ。
俺達がミスったら、それこそマスターは助からねえぞ」
「君も十分酷い顔をしているよ、落ち着きなってコマドリ君。
案ずることはないさ、マスターには既にこのキルケー特製の仮死薬を投与してあるし、念には念を入れた首の強化も済んでいる。
執行が済んで、人々の気が緩んだ瞬間を見計らって撹乱の魔術を使用するから、それに紛れて救出すればいい。
その後は……一旦森にでも隠れてから考えよう、町に留まるのは危険すぎる」
「……それにしても、気になるわ。
セイレムを狂気に陥れた元凶はあくまでマスターだけで、団員である私達に関しては操られて利用されていただけだと、実質的な無罪判決が出るだなんて。
一座ごと嫌疑をかけるのはたやすかった筈だし、全員纏めて吊ってしまえば、それが一番楽だったでしょうに」
「詮索不要、今この時に意味は無し。
油断、軽視、大いに結構、おかげで僕らはマスターを救える。
アビー泣いてた、マスターのこと心配してた。
必ず助ける、また会わせてあげる、約束した」
「……そうね、今は前向きに考えましょう。
幸いにも、マスターの傍にはサンソンがついてくれているし」
「どんな状況になっても柔軟に動けるように、自分だけ敢えて向こう側につくっていうあいつの判断は、今思えば正解だったな」
森に潜みながら法に抗ったロビンフッドと、自身が悩み苦しもうとも法を遵守することを貫いたサンソンの相性は決して良くはないが、人理を守る為に集った立香のサーヴァントとして、確かに互いを認め合ってはいる。
サンソンならば、不自由な状況でも立香の為に最善を尽くしてくれると……それが叶わなかったとしても、自分達が駆けつけるまでは持ち堪えてくれる筈だと。
たまに一人で思い悩んでしまう程に、責任感が強く真面目な処刑人のことを誰もが信じていたからこそ、立香の首が縄の輪にかけられようとしている今この時も、最低限の冷静さを保つことが出来ていたのだけれど。
突如始まった、誰もが予想していなかった絞首台の異変が、彼らにギリギリの冷静さを保たせていた最後の砦を突き崩した。
「……あれ、何か様子がおかしいぞ。
縄が、首から外されて……」
「もしかして、処刑は中止?
それならそれで、何よりなんだけど」
「……待て、おい待て。
サンソン、あの馬鹿、何をやってやがる!!」
「センパイ!?」
「閣下、お待ち下さい」
手触りの良さなど欠片も考慮せず、ただひたすら頑丈に結われた縄の輪が頭をくぐり、頬に掠めた荒い感触にゾッと背筋が粟立ち、心臓がこのまま潰れるかのような思いを味わった、その瞬間。
よく知る者の声でかけられた制止の言葉を、立香は助けだと心から信じていたし、彼を疑うという発想自体がそもそも存在しなかった。
だからこそ、次に続いた言葉の意味を理解し、それが紛れもなく彼の口から出た発言だと受け入れることは、すぐには出来なくて。
「どのような思惑があったのだとしても、彼には確かに、長い間世話になったのです。
だからどうか、最後は自分で……彼の刑は、僕の手で執り行わせては頂けないでしょうか」
「……………………えっ、サンソン?」
本当に思わずといった様子で零れた声は、掠れた声で力なく呼んだ彼の名は、その場にいた誰にも聞き留められることは無く。
立香の意志など関係ない、彼がどう足掻こうとも変えられることなど何も無いと言わんばかりに、彼の目の前で、彼の意図を全く介することの無いまま、彼が迎える最期の形を決める為のやり取りは粛々と続けられていった。
「刑が確かに執行された筈の者達が魔物となって墓地から蘇り、まるで道連れを増やそうとしているかのように、親しい隣人だった者達を襲っているという事態は、閣下もご存じでしょう。
僕は彼を、そのような浅ましく無残な姿で蘇らせたくはない……罪を雪いだ後には、静かに眠ってもらいたいのです」
「だからと言ってどうするつもりだ。
今までに蘇ってしまった者達も、その時々で出来る限りの対処は行なっていた。
その上で、魔物と化すのを食い止めることは出来なかったのだ。
なぜ貴様は、自分が執り行いさえすればそれが可能だと言い切れる」
「絞首ではなく、断頭によって執行します。
人間だろうが魔物だろうが、首を落とされれば死ぬのが道理……最初から首を失った身で、魔物と化すことは不可能と考えていいでしょう」
「……出来るのか?」
「一座に加わる前の僕は、そのやり方を主とする処刑人でした」
「……良かろう、好きにするがいい。
こやつを捕え、刑の執行にまで無事に漕ぎ付けられたのには、貴様の貢献が大きかったのは確かだからな。
刑自体が間違いなく執り行われるのならば、その程度の便宜を図ることに、特に支障はあるまい」
「……ありがとうございます」
緊張が解けてホッとしたような声、その主のブーツが粗末な板張りに立てる音が、視界の外からゆっくりと近づいてくる。
下を向いたまま呆然と目を見開いた立香の内心は何故か、驚きも怒りも絶望も通り越してしまった先の、嵐が過ぎ去った後の海のような不思議な落ち着きが満ちていた。
自分を捕えるのに貢献したとはどういうことだとか、あの不可解な証拠や証言の出どころはお前だったのかとか。
聞きたいこと、問い質してやりたいことが山ほどある。
マシュや他のサーヴァント達を無罪にしたのは、逃がす為でも、ここぞというタイミングで立香を救わせるためでもなく、共に処刑しようとすれば今この時に間違いなく、サーヴァントとしての能力を躊躇うことなく解放して暴れ出していた筈だからだと……彼らの守りが離れたこの機に、自分を確実に処刑する為だったということを、今になって察してしまった。
信じていたのにと嘆き、裏切ったと怒り、お前のせいでと憎んだとしても、それは人として当然の、正当な心の動きだろうとは思っている
それを形にする前に、当人に向かって吐き出してしまう前に。
立香はどうしても、ひとつだけ確認したかった。
実際にはほんの数秒だった筈なのに、今の立香にとっては永遠にも思えた程の長い間を経て、俯いたままの立香の視界に黒いブーツの爪先が入り込む。
少し癖を伴いながら跳ねている黒い旋毛の上から、恐る恐る覗き込んでいると思われる人影と……こんな目に遭わせたのはお前だろうと、確かな事実を以って詰ることすら躊躇われてしまいそうな程に、今も味わい続けている痛みと苦しみに耐えているように掠れていて。
それでいながら、後悔や躊躇いの代わりに、決意と覚悟の力強さを伴った声が降ってきた。
「…………申し訳ありません、マスター。
ですがこれは、此度の事件を解決する為に、どうしても必要なことなのです。
どんな叱責も懲罰も、全てが終わった後で、甘んじて受けると約束します。
だから今は……どうか、僕を信じて下さい」
この状況で、今までの経緯を考慮した上で、あまりにも無茶なことを言っていると、サンソン自身も思っているのだろう。
それでも……自分はどんなことになろうとも、立香や人理の為ならばと覚悟を決めてしまう、とても真面目で、責任感が強くて、自分の信念と在り方を曲げられない頑固者。
そんな、自分がよく知っているいつも通りのサンソンが、縋るような声にも、ゆっくりと上げた視界に映った表情の中にも、間違いなく存在していた。
「……ねえサンソン、その言葉を誰に誓える?」
「マリアに、麗しき我らが王妃殿下に」
「……そっか、分かった」
「…………マスター?」
「信じるよサンソン、マリーに誓ったお前を」
ショックのあまりに崩れ落ち、絶望のままに項垂れるのではなく。
自らの意志で堂々と膝をつき、そのうなじを差し出した立香の姿を前に、サンソンはまるで誇り高い殉教者を前にしたかのような、胸と瞳が熱くなる感覚を味わった。
最高の技と敬意を以って、ほんの一瞬の痛みも苦しみも味わわせることなくその首を断つべく、処刑人の剣を構え、心身を研ぎ澄まさせるサンソン。
そんな彼と、彼によってもう間もなくもたらされるであろう一瞬を前に、抑えきれない恐怖による体の震えと滴る冷や汗を懸命に堪えようとしている立香の耳に、野次馬の群れを半ば吹っ飛ばす勢いで掻き分けながら懸命にこの場へと駆けつけようとしている、仲間達の声が届いてきた。
「おいこらサンソン、てめえ一体どういうつもりだ!!」
「サンソンさん、どうして……お願いです、やめて下さい!!
センパイ、立って、逃げて下さい!!
どうして動いてくれないんですか……センパイ、センパイ!!」
「止めろー、何が何でも今この場で助け出せ!!
私の仮死薬はあくまで、体の生体反応を一時的に限界ギリギリまで低下させるだけのものだから、首を吊るだけならまだしもぶった切られたら意味が無いんだ!!
マスターの首には出来る限りの強化を施してあるから、一回か二回くらいなら耐えられるだろうけれど、それでも続いたら持たない!!」
キルケーのその言葉は、自信は、神秘に満ちた古代ギリシャで大魔女と名を馳せていた彼女の実力に相応しい、至極真っ当なものだった。
その首に向けて振り下ろされた刃が、その主がごく有り触れたものであったならば、彼女の宣言通り、施された強化は刃を見事跳ね返していたことだろう。
しかし、今のこの状況においては……大魔女によって行使されながらも、特別な思い入れも無い数多の技のひとつでしかないものと、『首を断つ』という一点における技と功績によってその名と存在を人理に刻んだ、稀代の処刑人の渾身の一刀とでは、その差はあまりにも歴然であった。
「『
サンソンの処刑人としての逸話の中に、処刑されるような罪を犯した覚えは無いと、跪き頭を垂れながら赦しを求める謂れは無いと、刑を執行するならばこのまま行えと、胸を張って堂々と立ちながら言い切った将軍の首を見事一刀にて断ち切り、その技があまりにも冴えていた為に、将軍は自身の首が既に断たれたことにも気付かぬまま一向に行なわれない刑の執行を促し、サンソンに薦められて身を揺らしたことでただ乗っていただけの首が落ち、将軍はようやく己の死を自覚出来たというものがある。
それは流石に誇張だったとしても、そんな話が生まれてしまう程に、死の瞬間に余計な苦痛を与えない為、その首と共に罪を断つ為に洗練され続けた刃は、その役目を過たず果たした。
覚悟し、それでも恐れながら迎えたその瞬間に、ほんの僅かな痛みも苦しみも、立香が味わうことはなく。
苦痛どころか、何の感覚も前触れも無いままその首が落ち、体を伴っていれば決してこうはならないであろう不自然な回り方をする視界の中で、『あっ、今俺死んだ……』という、まるで他人事のような自覚を得たのみ。
現実味をこれっぽっちも得られずにいるまま、くるくると回る視界の中で立香は、歓声を上げる市民達と、彼らの群れを必死に掻き分け、その顔を絶望に染めながら手を伸ばす、マシュや仲間達の姿と……そんな人々に、何食わぬ顔で紛れている『悪魔』を見た。
教えられた訳でも、名乗られた訳でもなく、立香にはそうとしか思えなかった。
大きな黄色い両目は爛々と輝き、紫のハートを思わせる顔の輪郭は黄色い棘で縁取られ、真っ赤なラインが目の周りと口にあたるであろう部分を毒々しく彩っている。
あんなにもあからさまな存在を、今この時までなぜ自分は気付けなかったのか、なぜ皆は気付かないのか。
最後の思考をそんな疑問で埋める立香の、瞬く間に暗く狭くなっていく最後の視界の中で、『悪魔』は両手で掴める程の大きさの青い塊を取り出し、口元へと持っていく。
……死の間際に、五感の中で最後の最後まで残るのは、聴覚なのだという。
ブレーカーが落ちるかのように、ブツンと切れる直前の最後の意識の中で、不思議な笛の音色と巨大な翼が羽ばたく音を聞いたような気がした。
僅かな抵抗すら許されないまま闇に堕ち、二度と覚めることは無いと思われた立香の意識は、全身を包む柔らかな温かさと、思わず顔を背けてしまう程の眩しさの中で覚醒した。
「………………えっ、何で。
俺は、確か……死…………………………」
自身の心を守る為、冷静かつ正常な思考力と判断力を最低限保つ為に、認識のピントを敢えてずらし、物事をまともな感覚で受け止めて考えることが出来ないようになっていた精神が、日常の光景と空気の中で通常通りの仕様を徐々に取り戻していく。
絞首台の床を踏みしめた感触、そこから見えた光景、交わされたやり取り、見事落とされて転がった首と回る世界。
それらを改めて明確に思い出し、あれは夢ではなく現実だったのだと、自分は確かに一度死んだのだということを、正常な精神状態で正しく認識してしまった立香は、魂から込み上げる衝動のままに、遅れた断末魔を思わせる絶叫を迸らせながら素朴なベッドから転げ落ちた。
家を丸ごと揺らしたかのような悲鳴は、穏やかな朝の時間をそれぞれ過ごしていた仲間達に余さず届いたらしく。
見知った顔が、誰も彼も慌てた様子で、僅かな時間差を挟みながら集まってきた。
「どうした、敵襲か!?」
「………ち、違う、何でもない。
ただ、変な……怖い、夢を…………」
「はあっ、夢だぁ?
何だそりゃ、全く人騒がせな……なんて、軽口を叩いてる場合じゃねえな。
顔色が悪いなんてもんじゃねえ、どんな酷い夢を見たんだよ」
飄々とした態度で、不真面目そうな言動で、だけど本当は仲間達のことを常に真剣に考えてくれているロビンフッド。
「休息、推奨。
無理は禁物」
強さと純粋さを併せ持ち、セイレムの狂気の中でも、真っすぐな誠実さを貫き通してくれていた哪吒。
「大丈夫ですかセンパイ、タンコブなどは出来てはいませんか!?」
絶望と憔悴に満ちた表情で、懸命に手を伸ばす最後の姿が、瞳と脳裏に焼き付いているマシュ。
……そして。
「朝食はちゃんと取っておいて、後で温め直して差し上げますから。
起きてくるのは、調子が良くなってからで大丈夫ですからねえ」
年嵩の女性らしい柔らかな笑みを浮かべる、黒人の召使ティテュバ。
魔女裁判の狂気の連鎖、その最初の一人が彼女であったことを、自分は既に知っている。
「朝食ってもしかして、あの手抜k……シンプルなオーツの粥のことかしら」
時にサーヴァントとして、時に師として。
人理修復の旅路の初期からこの身を助けてきてくれた、コルキスの王女メディア。
態度と言動の違和感から、時折皆を困惑させた彼女の正体が、メディアの血縁であり姉弟子にもあたる魔女キルケーであったことも、既に知っている。
「私の分はやっぱり無いのね、お腹が空いたわ……」
狂気の町に在ることは間違っていると思ってしまう程に、優しく純粋で、周りの者達の身を常に案じ続けてくれていた、少女アビゲイル。
彼女が空腹に嘆いていたのは、夜の森で秘密の遊びに興じ、獣に襲われた彼女達を助けた翌日。
夜遊びの罰として、食事を抜かれていた時のことだったと記憶している。
……確かそれは、自分達がこのセイレムにて滞在と調査を開始した、その初日のことではなかったか。
だとしたら、マタ・ハリが現れる様子が一向に見受けられない理由も分かる。
その日の彼女は朝早くから、情報収集の為に町を見て回っていた筈だから。
訳が分からない……自分はまだ、性質の悪い夢の中にでもいるのだろうか。
(……いや。
もしかしたら、本当は、最初から全部…………)
混乱と焦燥のあまりに、それこそ性質の悪い思考のループに嵌まりかけてしまっていた立香の傍らに、そっと膝をついた者がいた。
瞳孔が開きかけてしまっている瞳に移ったのは、黒いコートに、色素の薄い髪と瞳。
処刑人ではなく、医者として、サーヴァントとしてのサンソンが、疑いようのない気遣いをその目と仕草に込めながらそっと伸ばしてきた手が、立香の喉に触れる。
固く荒い縄の感触と、異様な回り方をする視界を思い出した立香は、ヒュッと甲高い音と共に息を止めながら竦み上がってしまった。
自身の接触をきっかけに恐慌に陥ってしまった立香に、しかしサンソンは、敢えてその行動を続けた。
そこが折れても断たれてもいないことを、彼がきちんと生きているのだということを、人肌越しの優しい感触と熱で、実感で以って伝えていく。
「大丈夫ですよマスター、あなたはちゃんとここに居ます」
「…………サン、ソン」
「……本当に。
よく、頑張りましたね」
胸の奥から込み上げるもので、声と瞳が震えている。
申し訳なさそうな、痛ましげな、それでいて誇らしそうな。
サンソンの奇妙な様子を前に、ストンと落ちてきて嵌まり込んだかのような感覚と共に、立香は確信した。
目の前にいる彼は、自分の首を断ち切った『あの』サンソンであると。
立香が『気付いた』ことを察したらしいサンソンは、彼の手を取り、未だ僅かに震えている足で立ち上がるのを手助けしながら、自身の診察を見守っていた仲間達へと声をかけた。
「特に怪我を負った訳では無さそうだけれど、少し気分を変えた方が良さそうだ。
ちょっと散歩に出てくるよ、僕が護衛を務める。
……いいですね、マスター」
「…………うん。
よろしく、サンソン」
「そんだけ顔色が悪けりゃあ、まあ妥当な話だな」
「お願いします、サンソンさん。
センパイ、ゆっくりしてきて下さいね」
少しずつ現状を受け入れながらも、未だ半ば呆けてしまっている立香を手助けしながら、彼の体に障らないよう、皆に不審がられないようにゆっくりと、それでも出来る限りの速足でその場を後にするサンソン。
そんな彼がすれ違いざまに、密かに声をかけた者がいた。
「戻るのには、少し時間がかかるかもしれない。
不審がられるようだったら、何とかフォローしておいてくれ」
「はぁ~い、お任せあれ。
今回のご奉仕に関しては、流石に特別価格を適応させていただきます。
どうぞ心置きなく、ゆっくりしてきて下さいねぇ」
素朴な使用人だった筈のティテュバの口から飛び出した、多分な色気を含んだ可愛らしい声色と不可解な発言に呆け気味だった意識を揺さぶられ、内心で『はあっ!?』と叫びながら振り返った、立香の目に映ったのは。
濃い肌の色はそのままに、豊満な肢体を大胆に露出した衣装が非常に魅力的な、極上の手触りを想像させる豊かな髪から獣の耳を覗かせた女性が、立香が自身に驚愕の眼差しを向けていることに気づいたのか、心底愉快そうに笑っていた。
「えっ、ちょ、ティテュバさ……ねえサンソン、一体何がどうなって」
「全て話します、ちゃんと説明します。
だから今は、どうか黙って付いて来て下さい」
死んだと思えば生きていて……処刑台にいたかと思えば、まだ狂気の日々が始まる前の穏やかな朝の中にいて。
そんな混乱と動揺から、サンソンの励ましのおかげで多少持ち直した筈だった立香は、サンソンの案内で目的地らしい場所を目指し、勤勉な人々の営みによって既に賑わっていた町並みを横切って進む道中で、せっかく復活しかけたその精神を再び突き崩される羽目となった。
情報収集の途中だったところに思いがけず鉢合わせたマタ・ハリも、恐らく今頃は拠点に戻り、立香の調子が悪いらしいという一同の認識に更なる補完を加えていることだろう。
どこにも寄らず、マタ・ハリと話した時以外は一度も立ち止まりすらしないないまま、一気に町並みを突っ切って。
四方全てを木々に囲まれ、自分達以外の人影が見受けられなくなったところで、立香はようやく強張ってしまっていた肩の力を抜き、それまでに窒息していなかったのがおかしいと思えるような勢いで息を吐いた。
「……ねえサンソン、一体何がどうなってんの。
もう訳が分からない……狂っているのはこの世界、それとも俺自身が」
「自信を持って下さい、今のあなたは最も……いや、違う。
このセイレムを訪れて以来、初めて、間違いなく正気です。
……ああ、来ましたよ」
どうやら、目的は『場所』ではなく『人』だったらしい。
サンソンに促されて上げた視界の中に、頭上の枝を鳴らし、数枚の木の葉を散らしながら……性質の悪い悪夢として早々に忘れてしまいたい忌まわしい記憶の中で、見かけたのはたった一瞬のことだった筈なのに、今もこの瞼に鮮烈に焼き付いている『悪魔』の顔が降ってきた。
……喉の奥から飛び出しかけた悲鳴は、その途中で呑み込まれた。
恐ろしく不気味な顔ではなく、それを備えた存在そのものに対して、恐怖ではなく安堵が、疑問ではなく納得が。
『彼』がいないまま、『彼』という存在を忘れたまま、あの地獄に立ち向かった自分達への驚愕と称賛が湧いてくる。
……ああそうだ、その通りだ。
どうして自分達は今の今まで忘れていた、この事態に対する違和感を抱けないまま過ごすことが出来てしまったのだろう。
セイレムへと送られた選抜部隊には、今までのように、いつものように、その存在だけで何よりも頼もしく思える彼だって加わっていたのに。
悪魔を連想させるような不気味な仮面がゆっくりと外され、その下から、思わず泣きたくなる程に懐かしく思えてしまう、金の髪と碧い瞳が現れた。
「リンク!!」
「ごめんな立香、酷い思いをさせて。
よくここまで来てくれた、本当によく頑張ったよ」
「お前、今まで何を……いや違う。
どうして今まで俺達は、お前がいないことを変に思えなかったんだ!?
何かどころじゃない、ここではもう何もかもがおかしい!!
さっき見てきた町の様子は……俺は正気だっていうサンソンの言葉が正しいのなら、あの光景は」
「あれこそが、何の誤魔化しも勘違いもない、この世界の真の有り様だ」
リンクの言葉を、音ではなく意味で理解した次の瞬間、腹の底から質量を伴いながら込み上げてきた不快感を、立香は堪えることが出来なかった。
リンクもサンソンも、そうしてぶちまけてしまった行為と代物を忌避するような人ではなく。
汚れた口元を躊躇うことなく拭い、純粋にその身と心を案じてくれている二人の様子に、少しずつだとしても確かに、立香の心は平静さを取り戻していった。
どんなに信じがたかったとしても、真実をそうと受け入れられるだけの心の余裕を、立香はようやく得ることが出来た。
「…………処刑された人達が、夜な夜なグールになって蘇っていたのは、何かしらの術とか呪いとかの影響があったからじゃなくて。
ただ単に……役割を変えた、それだけのことだったんだな。
ここは魔神柱が造った巨大な舞台だって、俺達はその上に立つ役者だって……シナリオからなるべく離れないように、それでいながら肝心な時には逆らえるようにって、皆と話し合っていたのに。
まさかここまで、認識や感覚までどっぷりと舞台に染められていただなんて、思ってもみなかった」
眩く温かい朝日の中で、和やかに談笑し、精を込めて働き、さも当然のように町並みを行き交っていたグール達と……何の疑問も、違和感も抱くことなく、『見知らぬ美女に声をかけられて舞い上がる若者』という役割をこなすグールと語り合いながら、情報取集に勤しんでいたマタ・ハリ。
『〇〇役』というフィルターが標準装備されていたと思われる少し前までの自分なら、いつも通りか、もしくは微笑ましいと認識していたであろう光景が、ありのままを認識出来るようになった今の自分にとっては、目の当たりにさせられた狂気以外の何ものでもなかった。
「………俺が一人だけ、『舞台』と『役割』から抜け出せたのは、やっぱり死んだから?」
「正確には、『藤丸立香』はグールと化す余地もなく確かに死んだと、この舞台から永遠に退場したと、お前自身も含めた誰もが認識したからだな。
……一歩間違えれば体は無事でも精神が崩壊しかねなかった、乱暴極まりない手ではあったけれど。
それでも、『マスター』であるお前に関しては大前提で、どうしても舞台から引き摺り下ろす必要があった。
それをサンソンに強いたのは俺だ、文句も怒りも後でいくらでも受け付ける。
……だから今は、この狂った舞台を終わらせる、その為に頑張ってはもらえないか?」
全ての非と責任は自分にある……そう言わんばかりのリンクの発言が腹立たしかった、この上ないと思う程に癇に障った。
それは、自分が受けた仕打ち、味わった苦しみに対してではなくて。
「……なあ、リンク。
お前、さも自分が悪いって、俺ばっかり大変な思いをしたって、そんな風に聞こえそうな言い方をしてるけど。
今のこの時に辿り着くまでに……俺達が舞台に完全に囚われて、『役割』の中で踊らされている間に。
お前は一体、何回やり直したんだ?」
「…………」
「途中からは、サンソンや、多分ティテュバさんも加わったんだろうけど。
……それまでどのくらい、一人だけで頑張ったんだ?」
「……………………」
「変に深いところまで追及したりはしない、お前が嫌ならもう聞かない。
だからお前も、それに関してはもう言うな。
これからはまた、一緒に頑張って……皆揃って、カルデアに帰ろう」
青と蒼の二対の瞳が真っ直ぐに向かい合い、決意と共に頷き合う。
後のカルデアにて『禁忌降臨庭園』と呼称されることとなる、亜種特異点『セイレム』。
その真の攻略が、今まさに始まった瞬間であった。
SAN値チェックを免れる訳でも、強靭な精神力を持っている訳でもなく、判定のタイミングのみを遅らせ、重要だったり治療が出来なかったりするような場面においての発狂を回避することが出来るという特殊スキル持ちの立香君でした。
宝具『ムジュラの仮面』の効力は、本家ではなくブレワイにおけるものを意識しました。
使用中において、装備者は魔物達から同類と見なされ、怪しまれることなく紛れ込むことが可能となります。
セイレムの住人は皆、『住人役』を演じているグール達であり、立香達も役者として舞台に組み込まれてしまっていた為に、この効果の適応対象となっていました。