公演を心から楽しんだことによるアビゲイルの高揚は、残念ながら、たった一晩しか持たなかった。
アビゲイルを送ってすぐに公会堂を後にしたティテュバが、得体の知れない呪具を作ったという嫌疑をかけられて連行されてしまっていたという事実が、彼女の姿が窺えない朝食の席で明らかになってしまったからだ。
アビゲイルがそれを知ることになる時間が『前回』と比べてずれたのは、アビゲイルが折角楽しい思いをしているところに水を差すまいと気を使った、ティテュバことシバの女王が、公会堂の賑わいから離れたところで密かに捕まるようにと意図したから。
そして、彼女がこのタイミングで捕らえられることを知っていた立香とサンソンが、黙ってそれを見過ごしたからである。
カーター家の召使ティテュバという縛りから解放され、キャスター・シバの女王としての自意識を取り戻している今の彼女ならば、『役柄』のみを殺して密かに逃げることは十分に可能だし。
表舞台からは早々に退場して、坂道を転がり落ちるように悪化することが分かり切っている今後の情勢に先駆けて、いざという時の為の備えを始めておいてもらいたいという思惑だってあった。
しかし、そういった後々のことを意識した上での考えは、これから起こることや、今起こっていることの裏事情を知る由もない仲間達には、到底明かすことの出来ないもので。
あからさまな理不尽を目の当たりにしたり、身近な人を傷つけられたりして黙ってはいられない。
そんな『いつも通り』の自分を装うのならば、ティテュバの突然の逮捕に対して、何も行動を起こさない訳にはいかない。
『前回』はティテュバのとの面会は結局叶わず、呪具とやらも見られず、演目を制限された上にメディアを人質に取られて、終いには公演の最中に刑を執行されてしまって。
初戦は正に完敗、踏んだり蹴ったりだったことを思い出し、演目の自由とメディアの身柄だけは何とか守ろうと若干及び腰な決意を固めながら、姿も気配も窺えない魔神柱以上に最悪の敵だった、『魔女狩り将軍』ことマシュー・ホプキンスとの面会に挑んだ立香は。
「立香よ、正式な興行の許可を与える。
芝居をせよ、今夜だ。
村人の心を動かす、本物の芝居をせよ。
貴様達が正真正銘の芝居職人であると、そう証明してみせるのだ。
もし、観客の心を動かせぬようなら……貴様達は身分を偽る賊の一味として捕らえ、念入りに調べ上げさせてもらうことになる」
「……はい、わかりました」
「ならば行け、胡散臭い流れ者の分際でいつまでも居座るでない。
私は忙しいのだ、早々に失せよ」
「「…………へっ?」」
どこまでも頑ななホプキンスの態度にこめかみを引き攣らせるメディアと、一座に対するあんまりな言い草に眉を顰めるマシュの、怒りと悔しさを他所に。
自分よりも余程、ホプキンスという人物と間近に接し、彼の人となりを知る機会があったであろうサンソンと、間の抜けた声を重ねたのであった。
「どうした?」
「あ、あの……演目の指定とかは、しないんですか?」
「貴様達がどのような選択をするのかという点も含めて、全てが見定める対象だ。
その労力をわざわざ排してやるような気遣いを、貴様達なんぞにくれてやる必要がどこにある」
「逃亡を防ぐために、人質を置いたりは……」
「馬鹿にしているのか、私は忙しいと言ったであろう。
余計な囚人の面倒を看てやる余裕など、欠片たりとてあるものか。
逃げたいのならば逃げるがいい、止めはせん。
貴様達が、公演を隠れ蓑にした悪逆の輩であることが早々に証明されるのならば、私としてはむしろ手間が省ける」
「なっ……私達は逃げません、立香一座のお芝居にかける想いは本物です!!
見ていて下さい、今夜もまた素晴らしい公演を行なってみせますから!!」
「ほら立香、サンソン、余計なことを言っている暇があるならさっさと戻るわよ!!
ティテュバの釈放はすぐに決まるわ、くれぐれも丁重に扱うことね!!」
激高しながら捨て台詞を吐き、何故か呆然としてしまっている男達を引きずるマシュとメディアは、想像すらしていない。
立香とサンソンが、女性の細腕にすら抗えない、抗う気すら起こさない程に呆けてしまっている理由を。
自分達が、理不尽かつ横暴極まりないと思ったホプキンスの対応が、実は知っている者からすれば、驚きのあまりに一時思考を飛ばしてしまう程に甘いものだったことを。
地鳴りが聞こえそうな足取りでその場を後にしていった一同を、ホプキンスは無言で、護衛の兵士達はあからさまな不快感を懸命に堪えながら見送った。
「……何だ、あの無礼な連中は。
閣下の温情をいいことに、よくもあそこまで厚顔になれるものだな」
「あんな連中との口約束など、守ってやる必要はありません」
「そうだな、考えておこう。
……少し席を外してくれ、しばし集中する。
必要とあれば私の方から声をかける、それまで誰も部屋には近づくでないぞ」
眼光を一層鋭くしながらそう言ったホプキンスに、慌てて敬礼を行なった護衛達は、無礼にならない程度の速足で部屋を後にする。
一人になった部屋で、音も気配も十分に遠ざかったことを確認したホプキンスは、肩を落としながら大きく息を吐いて。
自身の顔へゆっくりと手を伸ばし、何の躊躇いも支障もなく、それを
「……俺に出来るのはここまでか。
あとはあいつらが、自分達の力で、名演を披露してくれることを信じよう」
とりあえずの肩の荷が下りたと一息つきながら、権力者のためのものであることが明らかな、立派な椅子の背もたれに体重を預けながら、鼻歌交じりに足を組んでいる。
その姿は、先程まで確かにそこに居た筈の冷徹な老人ではなく、緑の服を纏った少年のもので。
そんな彼の手の中には、不気味な程に精巧で生々しい仮面があって。
実際に存在する顔をそのまま模ったかのようなその顔立ち、顰められたその表情は、ホプキンス判事のものと酷似していた。
『……この仕打ちを赦せとは言わない。
あなたの事情や心情を欠片も考慮していない、勝手で強引な振る舞いだということは承知している……だけど』
『例えあなたの目的が、真の魔女裁判を行なうことだとしても。
あなたの望みが、贖罪以外の何ものでもないのだとしても』
『あなたがこの地に招かれた理由、あなたに課せられた役割。
あなたに出来るのは、この地の狂気を加速させることだけなんだ』
『あなたがそれを積極的に為そうとしている限り、事前に対処しないという選択肢は俺には無い』
『……マシュー・ホプキンス。
あなたの行ないによって、多くの人が無実の罪で罰せられた。
それは紛れもない……どんなに償いたいと願ったとしても、決して覆せない事実だ』
『でも、そんなあなたの行ないによって、魔女や悪魔によって苦しめられる恐怖から解放され、平和に暮らせるという安心を得られた人々だって、確かに存在していた筈。
それもまた、覆してはいけない事実なんじゃないかな』
『あなたは確かに間違えた、だけど同時に正しくもあった。
全部をひっくるめて、あなたという人を、あなたの人生を、俺は認めたいと思う』
『あなたの無念、あなたの贖罪を引き継ごう。
この町の狂気はこの町で終わらせる、俺と俺の仲間達が必ず成し遂げると約束する』
『後は俺達に任せて眠ってくれ、頑固で真面目な魔女狩り将軍』
優しく穏やかに響いた、剥き出しの魂を震わせるような笛の音色も。
倒れ伏していた人影が不自然に消えて、代わりに仮面が転がった異様な光景も。
とある登場人物の演者が密かに入れ替わったことすらも、誰一人として気付くことの無いまま。
舞台は滞りなく、次の場面へと移り変わろうとしていた。
後悔を託すことが出来た人
「……ああ、安心した」