立香一座の二度目の公演は、ホプキンスの声掛けもあって、結構な評判を得た初回以上の大盛況となった。
本来ならばアビゲイルも、前回の幕が下りた直後から楽しみにしていたこの時に、わくわくしながら臨んでいた筈だったのだけれど。
今この時も、暗く冷たい牢獄に囚われて苦しんでいるであろうティテュバのことを考えると、なかなか気持ちを切り替えられない。
しかしアビゲイルは、今にも込み上げそうな涙や不安を懸命に堪えながら、開幕の時を待っていた。
マシュや哪吒は、劇が好評ならばティテュバを助けられると、そういう約束をしたのだと、だから元気を出してと励ましてくれたし。
立香だって、今回の公演はアビゲイルのために行なうと、嘘だと分かっていても嬉しいことを言ってくれた。
そうして、アビゲイルが公演を楽しめる心の余裕を得る時を待っていたかのようなタイミングの良さで、前回と同じように、公会堂内の灯りが一斉に落ちた。
それはまるで、日常から非日常へと、世界そのものが一瞬で移り変わったかのようで。
「お集りの皆様方、大変長らくお待たせいたしました。
これより、我ら立香一座の新たな公演を始めさせていただきます」
病みつきになりそうな高揚を、今回もまた、密かに隣に座っていたラヴィニアと知らぬ間に共有しながら。
吸い寄せられるような魅力に溢れていたマタ・ハリのそれと比べて、穏やかで優しい、そっと耳を傾けたくなるようなサンソンの声に招かれて、少女達は遥か昔の物語の中へと入り込んでいった。
「此度の演目は、前回の公演が終了した際に我らの座長がお約束していた通り、ゼルダの伝説『ムジュラの仮面』の続きを語らせていただきます。
スタルキッドと妖精達の悪戯に巻き込まれ、見知らぬ地『タルミナ』へと迷い込んでしまった勇者リンク。
彼は、ムジュラの仮面の呪いによって滅びの運命を定められてしまったタルミナと、その地に住まう人々を救うため、その方法を捜すために、三日間という限られた時間を繰り返す果ての見えない戦いの中に身を投じました。
その奔走の中で彼は、悩んだり、苦しんだりしている人達のために力を貸すことにも、決して躊躇いはしませんでした。
これはそんな、幾度繰り返されたとも知れない三日間のうちの一幕……苦難を越えて、大切な約束を守り抜いた話です」
自分達以外の全てが、同じ時間に、同じやり取りを繰り返す三日間は、これで何度目になることか。
とっくの昔に数えるのをやめてしまった、ある時の一日目。
とある頼まれ事を引き受けたリンクは、トレイルの助言に沿った冒険を進めるのを一旦止めて、クロックタウンを回りながら聞き込みを行なっていた。
そんな彼に、既に相方と言っていい存在と化していたチャットは、呆れた溜め息をついている。
「『まったく……リンク、お前は人がいいにも程がある。
他人の依頼を、それもこちらの話もろくに聞かずに勝手に押しつけてきたものを、いくら困っていたとはいえ素直に引き受ける奴があるか。
……まあ、確かに。
恐らく本物はとっくに町から逃げていて、いくら待っても来やしない。
そんなものに縋りながら、息子のことを心配するしか出来ないというのは辛いだろうし、可哀想だとは思ったけれど』」
リンクのことを、自分が手配した人探しの専門家だと勘違いして、戸惑うこちらをよそにさっさと話を進めてしまったのは、ここクロックタウンの町長夫人だった。
何でも、結婚を間近に控えていた一人息子のカーフェイが、一か月ほど前から行方不明になってしまったのだという。
リンク以前にも、既に何人か人を雇って探したのだけれど、一向に見つかる気配が無いのだとか。
クロックタウンは、その広さと町並みの立派さに見合わず、人の姿は閑散としている。
この町の普段の様子を知らないリンクとチャットは、てっきりそういうものだと思っていたのだけれど。
今回ふと目についた町長の屋敷を訪ね、正式な避難勧告を出すべきだと訴える町兵達と、本当に落ちるかどうかも分からない月なんかの為に大切なカーニバルの準備を放り出すなんてあり得ないと意地を張る町衆達が、完全に板挟みにされている町長を巻き込みながら怒鳴り合う場に鉢合わせてしまったことで、その考えは間違っていたことを知った。
月が迫ってくるという明らかな異常事態に、本来ならばカーニバルを目当てにごった返している筈の観光客の足は遠のき、町民達の多くは勧告を受けるよりも先に自主的な避難を開始していて。
今この町に残っているのは、まだ逃げる準備が整っていなかったり、ギリギリまでいつも通りの生活を送ろうと足掻いていたり、この町と運命を共にする覚悟を決めてしまっていたりなどの、それぞれの理由や事情がある者ばかりなのだという。
そして恐らく町長夫人の『事情』とは、公人としての務めがあること以上に、息子の行方が分からないこと。
このまま逃げてしまえば、二度と会えなくなるかもという不安を抱いているのかもしれない。
例え第三者から見ればちっぽけなこと、その程度と思われるようなことだとしても、当人にとっては掛けがえのない『願い』があるのならば、自分はそれを叶えてあげたい。
そんな想いを新たにしながら、リンクは改めて、『カーフェイ』の手掛かりを求めて駆け出した。
昼時を多少過ぎた頃合いには、この町で生まれ育ち、『町長の一人息子』という肩書きもあるカーフェイに関する情報をそこそこ集めることが出来た。
どうやらカーフェイは、今更結婚が嫌になって逃げたのではと思われているらしい。
カーフェイの相手は一介の町娘で、資産や家柄に恵まれている訳でも、誰もが夢中になるような評判の美人という訳でもなく、道楽息子の気紛れに過ぎないのではないかという声は、前々から少なからずあったのだとか。
しかしリンクは、それが真実だとは思えなかった。
当人の人柄をきちんと知りもせずに、噂を聞いただけで勝手に抱いた印象ではなく。
カーフェイ自身の確かな目撃情報から得られた、彼が行方不明になる前の最後の様子が、結婚式で使用するための特別なお面を見せびらかしながら、集まった友人達を相手にのろけ話に花を咲かせる姿だったのだから。
そうやって盛り上がった店を後にして、屋敷に帰るまでのどこかで、彼の身に何かが起こったのだろう。
聞き込みはこの辺りにして、今度は彼自身の足取りを追ってみることにしたリンクは、その前に一旦休憩を取ることにした。
「『ああっ!!
あ、あの……あの、これは!?』」
クロックタウンを中心に活動する際の拠点として重宝している、いつもの宿屋。
今回もまた世話になろうと、その玄関のドアノブへと手を伸ばしたリンクは、僅かに開いたドアの隙間から突如聞こえてきた悲鳴じみた声に、慌てて中へと駆け込んだ。
既に見慣れた受付カウンターを挟みながら、見覚えのある二人が向き合っている。
声の主は、今の一瞬で判断した通り、この宿の娘のアンジュだった。
いつも笑顔で受付業務をこなしている彼女を、あんな声を出すほどに驚かせた原因と思われるもの……見たところ何の変哲も無い便箋を、決まった道筋で町中を駆けまわっている姿を日々見かけている郵便屋が、何食わぬ顔で差し出している。
「『確かに渡しました』」
「『ま、待って下さい!!
この手紙は、どこで!?』」
「『ポストです』」
「『そ、そうではなくて、どこのポストで!?
教えて下さい!!』」
「『……知りません、知っていても秘密です』」
「『お願い、待って!!』」
カウンターという障害物に阻まれて、手を伸ばすのが精一杯なアンジュの制止を振り切り、唖然と立ち尽くしてしまっていたリンクの横を早足ですり抜けながら。
便箋について何かを知っていたと思われる郵便屋は、さっさとその場を後にしてしまった。
俯き、肩を落としながら、リンクの存在にすら気付けない程に消沈してしまっているアンジュへと、恐る恐る声をかける。
「『ああ、お客さんですね。
……すみません、変なところをお見せしてしまって』」
この宿はかなりの頻度で訪れているので、毎回『無かったこと』になってしまっているせいでアンジュにとっては初対面だとしても、リンクとチャットはそれなりの親しみを抱いている。
未だかつて見たことの無い表情を浮かべているアンジュを、今この瞬間に会ったばかりだからなんて理由で放っておくなんてことはとても出来なかったのと。
この宿に泊まったいつかの夜に壁越しに聞いてしまった、あの時は何の話をしているのかさっぱり分からなかった、アンジュと彼女の母親のやり取りを思い出したリンクは、半ば確信を抱きながら問いかけた。
その手紙の差出人は、もしかして……と。
「『あなたは、カーフェイさんを捜しているんですか!?』」
間髪入れずに返ってきた、その反応こそが答えだった。
身分も財産も持たない町娘の身で、町長の一人息子と結婚の約束をし、あっさりと心変わりをされて逃げられたと、口さがない者達によって話のタネにされてしまっていた。
噂の花嫁とは、宿屋の娘アンジュのことだったのだ。
二日目……と言うよりも、一日目の遅くと表した方が正しいような真夜中に。
しっかりと戸締りがされている宿の玄関を、二階のベランダから飛び降りることであっさりと突破したリンクは、人気が失せた夜の町並みを、更に失せることになる郊外へと向けて駆けていた。
そんな行動を取ることになった理由は、つい先程引き受けたばかりの、アンジュからの頼まれ事。
宿屋の業務が終わり、他の皆が眠りについた頃合いを見計らったアンジュに真夜中の厨房へと呼び出されたリンクは、彼女から一枚の手紙を預かった。
それは、カーフェイからアンジュへと充てられた手紙に対する、アンジュからの返事。
大事なのは文面ではなく、その存在そのものだった。
クロックタウンの郵便屋は、毎日毎日決まった時間に、予定通りに町中のポストを回って手紙を回収し、その宛先が誰でどこに居ようと必ず本人に届けるという、感心を通り越して呆れる程の、融通の利かない真面目さと頑固さで知られている。
だからこそ昼間は、婚約者の行方を捜しているアンジュに対して、その婚約者から充てられた手紙に関することを、二人の事情は彼だって知っていた筈なのに、『禁止されているから』という理由で口を噤み切ってしまった。
その寸分違わぬ仕事っぷりを、今度は逆に利用してやろうというのだ。
カーフェイからの手紙をアンジュに届けたように、アンジュからの手紙をカーフェイに届ける……それを受け取る瞬間、彼は必ず姿を現す筈。
信じているというよりも、信じたいという想いを抱きながら、アンジュは手紙と共に、大切な言葉をリンクへと託した。
「『彼に伝えて下さい、アンジュは待っていますって。
そしてその時の、彼の様子を教えて下さい。
私には……怖くて、出来ないから……』」
手紙を差し出しながら震える手、強張ってしまっている体や表情の全てから、恐怖と不安が滲み出ている。
婚約者を信じ切れずにいることを、永遠を誓う筈だった愛を貫き通せないことを、弱いだの情けないだのと責めることは出来ない。
だって彼女はただの宿屋の娘、『勇者』でも『英雄』でもない。
婚約者が突然行方不明になって、その不安を慰めてもらうことも支えてもらうことも出来なかった。
そんな状況で今の今まで、周りの者が寄ってたかって折ろうとしてくる、『カーフェイを信じる』という想いを守りながら、一人で懸命に立ってきた。
その確かな『勇気』に応えたいと、リンクは心からそう思ったのだから。