「止まらないのは当たり前、だって君は拒絶するばかりでそれを止めようとしていないのだから」
「力とは本質的に、制御されていなければ暴れるもの」
「今の君なら、この言葉の意味が感覚で理解出来る筈だ」
「そうだろうアビゲイル、最も新しき同胞よ」
腐肉の残骸が至る所に散らばり、腐臭の残滓が漂う中で、蹲りながら震える少女を核として現れながら、獲物を探して暴れ狂う何本もの巨大な触手。
そんな悪夢のような光景の中で、不自然に落ち着き払ったその声は、居合わせた者達の耳に過つことなく届いた。
幼い少女にも思える外見に似つかわしくなく、ちょっと手の込んだ玩具にすら見えてしまっていた杖は、歩みに合わせて揺れると共に輝きを纏い。
素で舞台衣装と思われていた鷹の翼は、威厳溢れるローブとなってその背を艶やかに彩っている。
当人が幾度となく名乗っていた肩書きを、紛れもない真実であることを分かっていながらも何となく笑って流してしまっていたその意味を、一同は改めて、息を呑むことすらも躊躇う程の重圧と共に思い知る。
神秘に満ちた古代のギリシャで、その当時でさえ『大魔女』と畏れられていた真価を現したキルケーが、『外なる神』の一端を前に堂々と対峙していた。
少しの間、暴れる触手と涙目の少女を見据えていたキルケーの眼差しが、もう一人の少女、サンソンの治療を受けて何とか身を起こせる程度には回復したラヴィニアへと向けられる。
「ラヴィニア、アビゲイルを助けたいかい?」
「……い、今更、何を言っているの。
そんなの、助けたいに決まってるでしょう!!」
「だろうね、一応確認しただけだ。
その為に取れる手がある、君に出来ることがあると言ったらどうする?」
「わ、私は、何をすればいいの!?」
「落ち着きなって、話が早いのは助かるが急いても特にいいことは無いぞ。
でもまあ、切羽詰まっているのは確かだし……ここは手短に、結論から言うとしよう。
ウェイトリー家の秘術を使え、アビゲイルの身に『外なる神』の力を本格的に降ろすんだ」
笑いながらそう言い切ったキルケーに、ラヴィニアや仲間達は唖然と言葉を失い、ただでさえ青白くなっていたアビゲイルの顔色からはより一層血の気が失せる。
彼女からすれば、崖っぷちギリギリで必死に堪えている状況で、慈悲なく背中を押されたような心地だろう。
しかし、そんな彼女の発言を受けた立香が取った行動は、その続きを促すことだった。
彼はもちろん、驚きのあまりに一瞬硬直してしまった一同でさえ、本当はちゃんと分かっていたから。
キルケーの実力が確かであることと、自身を残酷で非道な大魔女だと嘯く彼女の人柄が、良い意味で自称には程遠いものであることを。
「さっきも言ったけど、制御されていない力が止まらないのは自然の理。
力の種類によっては、私が横やりでどうにか出来たかもしれないけれど……生憎と『これ』に関しては性質が違いすぎる、理解が遠すぎる。
ならばここは、力を授かった当人が自力で何とかするのが、一番堅実で確実な手段だろう。
アビゲイルは研鑽と継承ではなく、完全な相性のみで力を得た特殊なタイプの魔女だから、その扱い方は教えられずとも感覚で理解出来る筈。
……尤もそれは、彼女がその力を、自分が魔女となることを、本心から納得して受け入れる必要があるけどね」
「し、しかしキルケーさん、アビーさんはそれを嫌がっていて」
「分かってる、だけどもう手遅れだ。
彼女はもう片足を突っ込むどころか、半身を浸らせてしまっている。
選べるのは、このまま無駄な抵抗を続けた果てに溺れ死ぬか、受け入れて泳ぎ方を覚えるかの二択のみ」
「そんな……」
「さあ、どうするアビゲイル。
決めるのは君だ、その選択は尊重するよ」
キルケーは確かに、この状況を乗り切るにはどうすればいいのかを明言した。
しかしそれでも、アビゲイルの顔から絶望の色が消える気配は無い。
「だ、だめ……だめよキルケーさん、そんなの私出来ないわ!!
今だって、何もかも壊してしまいたくなりそうなのを、一生懸命我慢してるのに……こんなのを全部受け入れてしまったら、私は私じゃ無くなっちゃう!!」
「だろうね……いくら相性が良いとはいえ、そもそもその力は人の身には余り過ぎる。
今現在少なからず抑えられているだけでも、魔神が特別に見出すような素質が君にはあるってのが分かるよ。
だけど全く手が無い訳じゃない、強すぎて抑え切れないと言うのなら制御が効くレベルにまで弱らせてしまえばいい。
だけど今の状況ではそれが出来ない、弱らせる対象の存在が曖昧だからだ。
君の体を依り代に『外なる神』の力を実体化させた上で、それが君自身の意思でどうにか出来る程度に小さくなるまで、物理的に叩く。
自分でもちょっとどうかなと思ってしまうくらいには、力押しの強引なやり方になってしまうけれど、それでもこれが現状で出来る限りの最善策。
……どうか決断してくれ、アビゲイル。
君が勇気を出してくれさえすれば、後は私達で何とかしてみせる。
いいだろうマスター、皆、出来るよね」
「応とも!!
任せろあびー、心配することは何も無い!!
信じて耐えてくれさえすれば、僕達は必ずお前を助ける!!」
「………哪吒。
団長さん、マシュさん、皆……」
キルケーの言葉に間髪入れず応えた哪吒や、声に出さずとも表情や仕草で続いてくれた一座の者達の姿に、アビゲイルの視界が絶望とは違う涙で滲む。
そんな彼女の、勇気を出す為の最後の一手となったのはやはり、親友の言葉だった。
「ねえアビゲイル、あなた前に言っていたでしょう?
全ての魔女や魔法が、悪いものだとは思わないって。
正しい人が正しい心で、正しく扱いさえすれば、それはきっと素晴らしいものだって。
私もそう思う、そして私は信じている。
あなたならきっと、どんなに恐ろしく強大な力でも、正しく使うことが出来るって」
「……ラヴィニア」
「……アビゲイル、お願い。
辛いのも怖いのも分かるけど……それでも頑張って、どうか諦めないで。
私、あなたに居なくなってほしくない。
あなたと一緒に、広い世界を見に行きたい。
この約束を、諦めたくないの」
「……ねえラヴィニア、ひとつだけ聞かせて」
「な、なに?」
「…………私が『悪い子』になってしまっても、友達でいてくれる?」
「……馬鹿なことを言わないで。
魔女になろうが、恐ろしい怪物になろうが、私にとってあなたはあなた。
私の、大切な親友よ」
疑う気持ちなど抱きようも無い程に、恐怖や不安を全力で一蹴してくれたラヴィニアに、胸の辺りで必死に抑えていた熱いものが堪え切れなくなって溢れ出す。
大切な人の為に、守りたい約束の為に……勇気を出して頑張った、頑張ることが出来たカーフェイやアンジュの気持ちが、今のアビゲイルには心から理解出来た。
「ありがとう、ラヴィニア。
もう大丈夫よ、秘密の儀式で遊ぶなんていつものことだったわね。
……あの、座長さん達。
先に謝っておきます、ごめんなさい。
多分、きっと、私ってばもの凄く悪い子になってしまって、たくさん暴れて、座長さん達に大変な迷惑をかけてしまうと思うのだけど。
それでも、どうか……どうか私を、助けて下さい」
涙声になりながらのその言葉に、大丈夫、任せてと言わんばかりの仕草や表情で応えてもらったアビゲイルは、安堵の息を吐きながら頷き、小さな両手を自身の胸元で組みながら静かに目を閉じた。
そんな彼女へと、未だ幼い身ながらもウェイトリー家の当主として、代々受け継がれてきた秘術を継承する者として我が身を奮い立たせたラヴィニアが対峙する。
深呼吸を繰り返しながら古ぼけた魔導書を開いた彼女に、キルケーが先達として声をかけた。
「良ければ手伝おうか、それとも何か必要なものはあるかい?」
「ありがとう、でも要らないわ。
アビゲイルに素質があることに加えて、あの魔神が散々に暗躍してくれていたおかげで、降臨の環境はこの上ない程に整っている。
あとは私が、きちんとやれるかどうかだけ……」
本の表紙を支えるか細い手が、骨の鳴る音が聞こえるのではないかと思ってしまう程に震えていて、キルケーは今更ながら少し不安になってしまったのだけれど。
自分を心から信じてくれているアビゲイルの姿を、改めて目に留めた途端に震えが落ち着いたことに気づいたキルケーは、自分が抱いたものは杞憂に過ぎなかったと思い直す。
そして、不意にその時が訪れた。
「いあ! いあ!
いぐああ いいがい がい」
「んがい ん・やあ しょごぐ ふたぐん!
いあ いあ い・はあ!」
「い・にやあ いい・にやあ んがあ!
んんがい わふるう ふたぐん!」
「よぐ・そとおす! よぐ・そとおす!
いあ! いあ! よぐ・そとおす!」
「ウェイトリー家代々の魔術師達よ、誇るがいい。
ラヴィニアは……お前達の末裔は見事、一族の悲願を結実させたぞ」
神代の魔女キルケーの、状況が理解出来ていない訳ではないけれど、それでも堪え切れなかったらしい心からの称賛が、痛々しい程に静まり返った公会堂内に響く。
獲物を求めていた巨大な触手は、それまでの暴れっぷりが嘘のように大人しくなって、ひとところに纏まりながら鎮座しているのだけれど。
それが嵐の前の静けさであることは、誰もが言われずとも察していた。
自身の身長程はありそうな長柄、彼女にとっての魔法の杖は、無限の扉を開くための鍵。
つばが大きく広がり、先端が曲がった巨大なとんがり帽子は、『魔女』という存在に対して多くの者が抱くイメージとなるだろう。
しかし、目の前に居るのがそれらしい格好に興じているだけの少女ではなく、強大な力をその身に降ろした本物であることを、居合わせた一同は理性と本能の両方で理解している。
相応に血の気を帯びて健康的だった肌の色が、親友が憧れた綺麗な金髪が、死人のそれであるかのように蒼白と化していたとしても。
目の前に居るのは、自分達が親しんできた少女その人で間違いない筈なのに。
宝石のように美しく、それでいて無機質で残酷な輝きを宿す赤い瞳と、額に開いた漆黒の鍵穴の向こうから覗く、深淵の炎を思わせるような淡い光が。
『あんなものはアビゲイルではない』『あんなものがアビゲイルである筈がない』と、思わず叫んでしまいたくなるような畏れと衝動を一同に抱かせていた。
「ふっ…ふふふふっ……」
「……アビゲイル、さん?」
「マシュ、危ねえ!!」
無邪気な笑みを向けてきたアビゲイルに、思わず呼びかけてしまったマシュの体が、咄嗟に飛びかかってきたロビンフッドの手によって引っ張られ……次の瞬間、今の今までマシュが立っていたその場所は、真上の虚空から突如現れた触手によって叩き潰された。
惚ける間もなく振り返り、心身を瞬時に戦闘態勢へと移行させた一同の前で、アビゲイルは今も変わらず無邪気に笑っている。
笑いながら操る巨大な鍵が、彼女の周りにしもべのように控えている触手達の一挙一動を支配していた。
「我は門を識れり……汝、見ること能わず。
いあ、いあ……ふっ、ふふふふふっ」
「うっわ、お見事……受け入れた途端にあそこまで完璧に使いこなしてしまうとは、流石にちょっと予想以上」
「感心してる場合っすか、大魔女さんよ!!」
「分かってるよ、肝心なのはここからだ。
今のアビゲイルは、我が身に降りた力を御すことが出来ず、残虐性と破壊衝動に翻弄されてしまっている。
彼女の理性が蘇り、力の主導権を取り戻せるようになるまで『あれ』を弱らせるのが、此度の作戦の最終段階となるからね」
「……弱らせ切れなかった場合はどうなるかなんて、わざわざ考えるようなことじゃなさそうだな」
「そういうことだよコマドリ君、皆で死ぬか皆で助かるかの至極単純な話さ」
「ああクソっ、やるしかねえか」
言葉と態度ではうんざりしながらも、その目には確かな覚悟を宿しながら、愛用の弓を構えるロビンフッド。
哪吒にサンソン、マタ・ハリやシバの女王もそれに続き、極めつけに後ろの方から、頼もしいことこの上ない声が聞こえてきた。
「立香、皆、少しだけ時間を稼いで」
「リンク!?」
「ちょっと考え、というより試してみたいことがあるんだけど、それには準備と調整が必要なんだ。
だけど上手くいけば、今のアビゲイルを相手に有利を取れる筈」
「……わかった。
皆、そういうことだから頑張って!!」
詳細を説明するまでもなく、『リンクが言うことだから』と受け入れて指示を出してくれた立香と、素直にそれに応えて耐久戦に備えてくれたサーヴァント達の頼もしさに、ようやく取り戻せたものの大きさを再認識したリンクの顔に、泣く寸前にも思えるような笑みが浮かぶ。
途端に始まった戦闘の轟音を思考から遠ざけ、一人集中を始めた彼の手の甲で、聖三角が黄金の輝きを放ち始めていた。