一族で代々追求してきたというラヴィニアや、アビゲイルを通してその一端を降臨させようとしていた魔神ラウムが『外なる神』と呼称していた存在の詳細を、立香達は知らない。
何度か尋ねる機会はあったのだけれど、その度に目をカッと見開いた凄い形相でこちらを睨みつけてきたラヴィニアの様子に、それ以上の追及が出来なかったのだ。
しかしこうして、いざその力と相対する状況になってしまっては、そんなことを言ってはいられない。
一分一秒の鬩ぎ合いの中で生死を問われる戦闘中においては、『知っている』ことがその一瞬を乗り越えさせてくれる事態が多々あり得るのだから。
だからこそ立香は、ラヴィニアが拒むのが自分達のことを心配しているからだということを重々承知した上で、断固とした決意で以ってラヴィニアに問いかけた。
ラヴィニアもまた立香の覚悟を受け止め、恐怖と畏れ多さに声を震わせながらも確実に、一族のみに伝えられていた秘密を語り始める。
「『外なる神』とは、大いなる門と鍵の神であらせられる。
六つの扉は、上下、左右、前後の、あらゆる空間を意味している。
……彼の大いなる神は、決して光届かぬ、私達の宇宙の外側、窮極の門の彼方に鎮座なさっている。
それでいながら、あらゆる空間に隣り合い、全てと繋がっている。
全にして一、一にして全なる者……」
「要するに!?」
「あ、あの……えっと、要するに。
あの御方は、どんな場所にも一瞬で通じる扉と、それを操る鍵の神なの。
だから、その力を降ろしたアビゲイルにも、同じようなことが出来る筈だわ」
「……成る程、何も無いところからいきなり現れる触手はそういうことなのか」
厄介だと、立香は心底そう思った。
どんな存在であれ、何らかの行動を起こす際には前段階というものが存在する。
アビゲイルの触手はそれを……相手の次の行動を予測し、自分はどのように動くべきなのかを判断するための重要な判断基準となるものをすっ飛ばして、ほぼ一方的な攻撃を与えてくることが出来るのだ。
戦闘系サーヴァントの中でも特に秀でた者ならば、あり得ない位置からあり得ないタイミングで襲いかかってきた触手の挙動と気配を瞬時に見極め、もしくは心身に叩き込んだ戦闘の勘によって、反射的に対応することだって可能なのかもしれないけれど。
今回選抜されたメンバーの中でそれが出来そうな者、諜報や搦め手ではなく純粋な戦闘に特化したサーヴァントは、古代中国にてその名と武勇を知らしめた哪吒太子のみであった。
此度の特異点攻略においては諜報活動が重要になると考えてそれに特化したメンバーを選んだこと、途中までは間違いなく正しかった判断が、最終局面になって裏目に出てしまった。
しかし、それを厄介だと思いはしても、だからと言って絶望して諦めるなんて発想は、立香は勿論誰の中にも存在しない。
魔力の変動を探知し、扉と触手が現れる位置とタイミングを僅かでも予測するべく、渾身の術式をリアルタイムで構築・展開するキルケーと、それを補助するシバの女王。
触手と真っ向から戦うことは出来なくても、それを操るアビゲイルにならば自身の力が及ぶはずだと、暴れ狂う触手の隙間を縫って陽の目を煌めかせるマタ・ハリ。
キルケーが発信してくれる予測を生かしながら、魔術や宝具を全力で行使するために無防備となってしまっている支援組の女性陣を護衛しつつ、僅かな隙を逃さずにダメージを与えていくロビンフッドとサンソン。
戦闘能力を失っても、失われていなかった盾兵としての護りの経験と勘によって、ラヴィニアの安全確保に努めるマシュ。
人理修復の旅の中で磨いてきた、マスターとして、指揮官としての知識と経験を絞り出しながら、サーヴァント達の思考や行動の隙を埋めるべく懸命に意識と視点を巡らせる立香。
後ろは大丈夫だという信頼に背を押されながら、上下左右前後の六方から自在に襲いかかってくる触手のみに集中して全力を揮う哪吒。
『神』という絶対の存在に、信仰を得て英霊となろうとも到底及ばない相手に対して抗うこと、あるかも分からない希望や可能性を懸命に模索する姿を、弱者の足掻きを、無駄な行ないと称する者は魔神以外にだっているだろう。
しかし、彼らは知っていた。
その身の程知らずな諦めの悪さこそが、弱くて愚かで憐れな人間という種族が、時代と世代を越えて懸命に繋いできた強さだったということを。
そして今もまた、長い人の歴史の中で何度目のこととなるとも知れない、弱者達の『無駄な足掻き』が結実した。
ロビンフッドとサンソンが、それぞれ別の触手に対応した隙に現れた三本目の触手が、仲間達が守ってくれていることを信じていたからこそ、宝具の発動に集中して無防備だったマタ・ハリを目掛けて振り下ろされる。
「しまった…っ!!」
「マタ・ハリ!!」
腕力ではなく美貌で、武器ではなく心を操る技によって、人理にその名を刻んだ者。
英霊だとしても戦闘に優れている訳では無いマタ・ハリは、ゆっくりと流れる世界の中で、頭上から迫ってくる巨大な触手を認識しても、そこから行動に移ることが出来ない。
残された僅かな猶予を、ただ立ち尽くすだけで終わらせてしまったマタ・ハリ。
そんな彼女の美貌を砕こうとしていた触手は、ロビンフッドの矢やサンソンの剣ではなく、別の角度から叩き込まれた光によって吹っ飛ばされた。
それなりの大きさと質量があった筈の触手を、ただ吹っ飛ばすのではなくそのまま捕らえ、全く衰えることの無かった勢いのままに公会堂の壁へと叩きつけた光は、その形を縦に長い長方形に展開させながら、逃れようともがく触手を強引に壁に押しつけていく。
確かに存在していた筈の質量が見る見るうちに減っていき、光と壁がぴったりと完全にくっついたその時、一同が目の当たりにしたものは、無数の吸盤が並んだ醜悪な触手がどことなく味を感じられる程度にデフォルメされている、光の額縁に収められた一枚の絵画。
光が消えてもそれはそのまま、『絵画』ではなく『壁画』としてその場に残った。
行程を目の当たりにしていなければ、独特な絵心を持った何者かによる悪戯描きかと思うだろう。
『そうではない』ということを知っていた一同は、それと同時にアレがただの絵ではなく、平面に塗り込められた触手そのものであるということを理解していた。
サーヴァント達どころか、アビゲイルの触手までもが戦いを一旦止めてしまっていた、痛々しい沈黙の中で呆然と立ち尽くしていた立香が、正気を取り戻すと同時に振り向いた先。
そこにいたのは、緑の服と帽子ではなく、足首まで覆うような長い紫のローブを纏い、どうやら『兎』を模したものだと思われる、ローブと同じ色の少々不気味なフードを顔が隠れるまですっぽりとかぶった謎の人影だった。
ローブとフードの主が、リンクが早々に見慣れた素顔を露わにしてくれなければ、次の瞬間には立香は本気で『誰っ!?』と叫んでいたことであろう。
それ程までに異様だった……様々な装いと霊基を切り替えながら戦ってきた筈のリンクが、未だかつて見せたことの無い姿と存在感。
それが何を意味するものであるのかということに、意外なことに前々からの付き合いがあるカルデアのサーヴァント達ではなく、このセイレムで加わったキャスター達が真っ先に気がついた。
「ちょっ……待て待て、待てよ君。
もしかしなくても勇者君だよね、カルデアの秘密兵器ってことでいいんだよね。
結界広げてたからわかるんだけど、今の君の霊基って基本の七つのどれともちがう……」
「エクストラクラスというだけなら、いくつかの前例はあるとお伺いしているので、それ程問題では無いのですけど。
はっきり言わせてもらうと、今のリンクさんの気配は…………あ、あの、今のアビー様と同じものっぽく見えましてぇええ」
「その通り、流石は凄腕のキャスター達。
この力はちょっと特殊過ぎて、今までの霊基の中では扱うのが難しかったんだけど。
『外なる神』、本来ならば交わることがなかった筈の場所からやってきた異質な存在……ああ、やっぱり思った通りだ。
この霊基、このクラスでならば存分に、『彼』から託された力を揮うことが出来る」
名状し難い力と気配がもうひとつ、よりによって味方側に増えたという事実に体と声を震えさせていた二人を他所に、蠢く触手の向こうで呆然と立ち尽くすアビゲイルへと笑いかける少年。
それは、形だけ見るならば優しいのに、何故か異様な圧力を感じるという不可思議なもので。
大いなる力を得た筈の自分の背筋が、魂が、寒気と共に粟立つのを、アビゲイルは破壊衝動に支配された意識と思考の中で、生存本能と呼べるであろう部分で認識した。
「始めましてアビゲイル、俺はリンク。
今この時においては、『ラヴィオ』と呼んでくれても構わない」
リンクの言葉に睨み返したアビゲイルが、握り締める音が聞こえそうな程の力を手に込め、振り上げた二本の鍵の先端が虚空に消えた。
一瞬の時間差も無しに周囲から現れ、自身の中心を狙ってきた触手をたやすく跳んで躱したリンクの、カウンターで突き出した腕に嵌められていた腕輪が光り出す。
その光は先程と同じように放たれ、捕らえた触手を新たな絵として床に塗り込めた。
「な、何で、どうして……?」
尚も鍵を操るアビゲイルの表情が苛立ちに歪み、彼女の動揺が現れているのか、周りの触手も狙いが定まらない不自然な暴れ方をし始める。
何が彼女を焦らせているのか、立香は少しだけ考えてから気がついた。
アビゲイルが操るのは、どのような場所にも瞬時に繋げることが出来る六つの扉と、それを介することで自在に繰り出される六つの触手。
その内のふたつ、アビゲイルの力の三分の一が、壁や床に塗り込められた状態のまま動けなくなっている。
「平面の中……異なる次元に入り込む、もしくは他者を封じ込める。
これは、ハイラルの者でありながらロウラルという異世界の力を得て、最終的には二つの世界を共に救った、『次元の勇者』の力ですね」
少し呆けたマシュの呟きが、少し離れたところで立ち尽くしていた立香の耳にも届く。
それに続いて、動揺しているアビゲイルとの対比か、不気味な程に落ち着いた穏やかなものに思えるリンクの声も聞こえてきた。
「思った通り、俺のこの力は君にとっては天敵みたいだな。
君の扉は、どんなに遠いところにだって開くことが出来る……だけどそれは、あくまで『この世界』の中でのこと。
君のその力は異なる世界、異なる次元にまでは及ばない。
そして俺は、その次元こそを越えることが出来る。
例え目の前にあったとしても、例えその手で触れたとしても、宇宙の果てより遥かに遠い場所だ」
『神』と称されるような存在は、大抵がその膨大な力を適当に揮っていて、細かい制御や操作なんて考えてもいないことが多い。
難しく面倒なことを敢えて意識しなくても、単純な力押しだけで何もかもを成し遂げてしまえるくらいの圧倒的な地力を備えているから。
限りあるリソースをやり繰りするとか、最小の消耗で最大限の成果を発揮出来るように工夫するとかは正しく、根本的なところで劣っている人間という存在ならではの発想なのだ。
そして今のアビゲイルは、そのどちらでもない中途半端な位置に立っている。
「『外なる神』と呼ばれる存在の本体ならば、異なる次元の境目くらいはその気になればぶち破れるような、圧倒的な力を持っているのかもしれないけれど。
君には無理だアビゲイル、少なくとも『今』は」
今のアビゲイルは目覚めたばかりの魔女の本能のままに、与えられた力を辺り構わず揮っているだけ。
それは、人の目から見れば絶大な力であったとしても、源である『外なる神』と比べられるようなものではない。
『神』ではなく『人間』として研鑽を積み、力の使い方を更に覚えて研ぎ澄ましていけば、『外なる神』でさえ及ばないような領域に力の一端を届かせることも出来るかもしれないけれど。
それは、あくまで『いつか』の話。
今この時のアビゲイルに、有り余る力を振り回すことしか出来ない新米魔女にとって、伝説の勇者はあまりにも強大過ぎる敵だった。
「う、ううっ…………うあああああああっ!!」
怒り、苛立ち、恐れ……あらゆる感情が積み重なった末に爆発したアビゲイルの、残った四本の触手が同時にリンクへと襲いかかる。
それを避け、どころか新たな足場にして跳び上がった虚空で体勢を立て直したリンクの手が、二本の矢を番えた弓を引き絞る。
鈍く光る鏃を向けられて一瞬竦んだアビゲイルは、放たれたそれらが我が身とは遠く離れた見当違いの方向へと飛んでいったことに気付き、安堵から一転した嘲笑をリンクへと向ける。
しかし、そんな彼女の目に映ったリンクの態度や表情に、焦りや動揺などといった乱れは一切見受けられない。
ああ、彼は確かに『勇者様』なのだと……残虐性に支配されている今のアビゲイルでも、知識や理性ではなく感覚で思い知らざるを得ない程の、堂々とした姿でそこにいた。
「哪吒、上げろ!!」
「応っ!!」
そんなやり取りが間髪入れずに飛び交った一瞬の後、真下から突如我が身を襲った衝撃によって、アビゲイルの体は広く高い公会堂の空間の屋根近くまで吹っ飛ばされていた。
徐々に落下を始めると同時にゆっくりと回り始めた視界の中に、複数の敵に囲まれている状況で一人だけに注目するという、『戦闘』というものを少しでも齧っていれば絶対に見せないであろう隙を晒してしまっていたアビゲイルの懐に飛び込み、彼女のことを想っているからこそ容赦なくその身を打ち上げた哪吒の姿が映った。
あまりに突然のことに、体と共に吹っ飛んでしまっていた思考力がその存在を認識したことで戻り、同時に爆発した激情が落下中の虚空にも拘わらず魔女の鍵を揮わせる。
しかしその力の発動は、全く気を向けていなかった側面から放たれ、触手ではなく我が身を捕らえた光によって妨げられる。
真横に吹っ飛ばされたその身を受け止めたのは公会堂の固い壁ではなく、もっと柔らかい何かだった。
「あれは、私達が公演に使用していたスクリーン!?」
公演を行なう為に、許可を貰って公共の場に臨時に取り付けたはいいものの、その後回収するタイミングを完全に失ってしまい、天井高く巻き上げて隠すだけでそれ自体は置きっぱなしになってしまっていた巨大な白幕。
先程リンクが放った二本の矢で纏めていたロープを絶たれ、それ以上は何も手を加えずとも重力によって自然と公演時のように張られたそれが、盛大に叩きつけられたアビゲイルの体を何故かたわむことも無いまま受け止めていた。
「一度何かに強く気を取られれば、そちらに集中して他を忘れてしまう。
やっぱり君はただの女の子で、魔女としても戦う者としても素人だな、アビゲイル。
おかげで助かったよ、余計な手間や時間をかけずに済んだ」
「あっ、ぐ……あああああっ!!」
「もう少しだけ頑張ってくれ、怖いのも苦しいのもあと少しの辛抱だ」
アビゲイルの体を白幕に抑え込んでいた光が、少し前に彼女の触手に対してしたのと同じように、彼女自身を平面の中へと、隣り合っているのにどこまでも遠い異次元の世界へと塗り込めていく。
最後のとどめと言わんばかりの、居合わせた者達の視界を丸ごと焼き潰すような光が迸り……それが収まった後に、一同が目の当たりにしたものは。
自分達が作った影人形を思い出させるような頭身が低くなった姿で、自分達の公演の再現であるかのようにスクリーンに現れた、触手を纏わせた少女の姿だった。
白黒ではなく確かな色を持っていたそれが映し出された影などではなく、紛れも無いアビゲイル自身であることを……彼女が白幕の中で微動だにしないのはただ単に出来ないからであり、『あの場所』ではその為の術を心得ていなければ自我を持った絵画となるしかないことを正確に理解してしまい、正気度が削れそうな心地を味わう立香達。
想定外のところで大ダメージを食らっている彼らへのフォローを今は置いといて、強く床を蹴ると同時に例の光を纏ったリンクの体が、アビゲイルに続いて白幕の空白部分に飛び込んだ。
平面の中の異次元で、アビゲイルと同じように三頭身くらいの、しかし巨大な触手を纏っている彼女と比べれば圧倒的に小さく弱々しいものに見える、長い耳を持った金髪の少年の絵が動き出す。
影人形を繰る演者ではなく、彼自身の確かな意思によって、美しい弓が構えられ、眩い輝きを放つ矢が引き絞られる。
恐ろしい魔女と化してしまった少女を、倒す為ではなく救う為に、光り輝く矢を放つ勇者。
巨大なスクリーンの中で繰り広げられるそれは、随分と長く続いてしまった狂気の舞台を爽快に締め括る為の、数多の犠牲と困難を乗り越えた果てに辿り着いた待望のクライマックスだった。
『コズミックホラー』繋がりでの『ムジュラの仮面』に加えて、『フォーリナークラス』繋がりでの『神トラ2』要素を入れました。
この展開に繋げたいが為の影画劇でした、ここまで書けて良かった……。
執筆するにあたって調べたところ、本来のヨグ=ソトースの力は、過去でも未来でも異世界でもどんなところにだって扉を繋げる、というものらしいんですけど。
この作品の中では少しだけ範囲を狭めて、かつアビゲイルは本体ではなくあくまで巫女(眷属)かつ目覚めたてなので、そこまで出来るような力はまだ持ってないということにしました。
『特定の条件の中で空間を自在に行き来する』という、一見同じようなタイプの能力を実際にぶつけ合わせた時の差異を書くのは、結構面白かったです。