A.D.1692年 禁忌降臨庭園セイレム
異端なるセイレム
乗り物を駆使しても最寄りの人里まで半日を要するような距離と、一年を通じてほぼ絶えることのない猛吹雪によって俗世から断絶された雪山の巨大施設、フィニス・カルデア。
ここに所属する多くのサーヴァント達が、人理を守るという務めと同時に生前では到底考えられなかったような第二の人生を謳歌していて、スタッフ達は密かにこの場所を『一種のヴァルハラもしくはアヴァロン』とも称している。
込み合う時間帯からずれているため閑散としている食堂で、処刑人の務めを負って生きていた生前では考えられないような行ないを……自分が口にするための食事を、アレンジを加えながら手ずから用意していたサンソンもまた、そんな中の一人だった。
「う~む、上出来だとは思うのだけれど……色々と手を加えたせいかちょっと大きいな、食べにくくなってしまった」
「両手で掴んで、がぶりといきゃあいいでしょーが」
「おや、ロビンフッド」
「厨房の主連中なら、時間が多少ズレていようが頼めば作ってくれただろうに」
「少し気分転換をしたくてね」
前触れなく現れるや否や、許可をもらうどころかそのための声掛けすらしないまま正面の席に腰を下ろしたロビンフッドを、「座る前に一声かけたらどうだ」と窘めるサンソン。
いつもなら反射的にムカッとして言い返していたであろうその言葉に対して、ロビンフッドは驚きのあまりに、唖然と目と口を開くのみで終わらせてしまった。
言葉そのものは変わっていなくても、そこに込められていたものが不躾者への糾弾ではなく、『君という奴はほんっと仕方がないなあ』という溜め息交じりの言葉が続けて聞こえてきそうな、親しみの裏返しと取っても間違っていなさそうな呆れと許容だったのだから。
「どうしたサンソン、ちょっと前……セイレムに行く前までは、もっとお固くてトゲトゲしてませんでしたっけ?」
「……まあ、色々とあったからね」
「色々って、あの日々のどこにそんな余裕が……ああ、そっか。
そーいやあんた、確か『繰り返していた』んだっけ」
カルデアへの帰還を果たしてから明かされた事実……食事の時間がずれてしまう程に、サンソンの報告が長引いていた理由を察したロビンフッドの顔色が僅かに曇った。
セイレムに赴いた部隊が、少なくとも肉体的には損傷無く帰還を果たしてから、既に数日が経っている。
首脳陣からすればすぐにでも話を聞きたかっただろうに、精神的な消耗を考慮して回復に当てるための数日の猶予を作ってくれたこと自体は、本当にありがたかったのだけれど。
あの狂った町で過ごした数日、起こった数々の出来事は、話すどころか思い出そうとするだけで気が滅入ったし。
それを更に何回分か追加して報告する羽目になったであろうサンソンには、珍しく心からの同情を抱いていた。
「僕はまだいい方ですよ、実際に繰り返しを行なったのは最後の方の数回のみ……リンクさんとシバの女王も一緒で、不安はあってもそれ以上に心強かったのですから。
……心配なのはリンクさんです。
彼は結局、同じ秘密を抱えた僕達を相手にでさえ、独りで戦っていた間の辛さを吐き出してはくれなかった」
「矛盾してるよなあ、あいつ。
自分は英雄なんかじゃないって豪語する割に、その振る舞いは原初の大英雄と呼ばれるに相応しいものだと思えちまうんだが」
「彼自身は本当に、ただ単に、自分の手が届く範囲にあるものを守りたいと思っているだけなんですよ。
……その手が、世界を丸ごと包み込める程に大きいものだから、色々と難しい話になっているわけで。
加えて問題なのは、重荷を一人で抱え込んでしまうのが勇者としての責任や思いやりなどではなく、周りの心配を蔑ろにする身勝手な我が儘であることを、きちんと理解した上で押し通しているところでしょうね」
「悪癖なのは確かだが、そういうところに実際助けられていているもんだから、下手に文句は言えねえんだよな。
……マスターの思惑が、上手くいけばいいな。
そうすればあの突貫勇者様の足も、片方くらいは地につくだろ」
「ええ、その件に関しては僕も尽力する所存です。
君だってそのつもりでしょう?」
「まあね」
ロビンフッドとサンソンがそうやって交わしていた、少し前まで何かとぶつかり合っていた二人とは思えないような穏やかなやり取りは、小柄な集団が食堂の隅の方で何やらコソコソとしているのに気づいたことで中断された。
「……ジャック・ザ・リッパーに、ナーサリー・ライムに、ポール・バニヤン。
あと、ちっこい方のオルタの嬢ちゃんもか。
チビ共で集まって、一体何を……って、あれ」
「…………アビゲイル、それにラヴィニア。
あの子達、本当に何をやっているんだ?」
二人に凝視されていることを知らずに、知っていたとしても構わずに、子供達の秘密作戦は着々と進行していく。
同胞達の注目を一身に浴びながら、小さな胸を張ったアビゲイルが気合いと共に突き出した両手が、腕で作った輪ほどの大きさに開かれた小さな扉を通じて何処かへと消える。
数秒の後に引っ張り出された彼女の手には、五段ほど重なった上にクリームとフルーツで贅沢に彩られた、豪華なパンケーキの大皿が収まっていた。
「やったわ、大成功!!」
「わーい、私パンケーキ大好き!!」
「アビゲイルすごーいっ!!」
「素晴らしいわ素晴らしいわ、お宝は私達で山分けね!!」
「……や、やっぱりダメですよ、おやつのつまみ食いどころかこれは完全に泥棒です」
「今更遅いわ、ここにいる全員が共犯よ」
衝撃的な光景を目の当たりにしてしまったことで、言葉が出ないロビンフッドとサンソン。
彼らの半ば止まってた思考を揺り動かしたのは、額に青筋を浮かべながら厨房から飛び出してきたブーディカの怒号だった。
「こらー!!」
「わーっ、ブーディカ怒ってる!!」
「逃げろー!!」
「待ちなさい、この悪戯魔女め!!
折角のもの凄い力を、ろくでもないことに使うんじゃありません!!」
「ごめんなさーいっ!!」
『きゃーっ!』と可愛らしい声を上げながら、頭の両側に角の幻覚が見えそうなブーディカから笑顔で逃げる少女達。
姦しくて恐れ知らずで、個人的な願望を叶えるための手段として異端の力を用いる、幼く無分別な少女ならではと言ってもいいであろう愚かな振る舞いは、セイレムの地で初めて会った時のことを思い出させたのだけれど。
弾けるような明るい笑顔は、夜の森で密かな儀式に興じ、親友と会うことすらままならない日々を憂いながらも、セイレムという地に縛られて歩み出せずにいた頃の彼女とは比べようも無かった。
「ふっふっふ、上手くやったじゃないか。
タイミングを計り損ねて気付かれてしまったのはマイナス点だけど、本人はそれも含めて楽しんでいるみたいだから良しとしよう」
「……アビゲイル達をけしかけたのは君か、キルケー」
「何を企んでるんっすか、大魔女さんよ」
大きな大きなため息をつきながら振り返った先では、セイレムの狂気を共に乗り越えた縁もあってカルデアのサーヴァントとして正式に契約を交わした、鷹の魔女キルケーが笑っていた。
「何だい『企んでる』って、心外だなあ。
今のアビゲイルは心身ともに立派な魔女なんだよ、そして魔女と言えば残酷で悪戯好きなものだと相場は決まっている。
あの程度の可愛らしい悪巧みで発散してくれるのなら、それに越したことはないだろ?」
「…………まあ、確かに」
「下手に我慢させて、溜め込んだ結果爆発しようものならどんなことになるのか、俺達は散々に思い知ってますからねえ」
「でもまあ、そんなに心配する必要は無さそうだよ。
魔術に興じても咎められなくて、むしろ色んな人が積極的に教えてくれそうで、良い子であると同時に悪にも憧れてるという本心を知った上で受け入れてくれる人達がいて。
あと何より……大好きな親友と、何の問題も無しにずっと一緒だ。
この恵まれた状況で、暴走に至ってしまう程にストレスを貯めるような事態にはまずならないだろ。
これから修行を積んでいけば、あの時揮っていた程度の力ならば、きちんと御せるようになる筈さ」
魔女と化したアビゲイルを鎮め、特異点を消滅させるための手順を無事に終えた後、自分達と一緒に来ないかと誘った立香にアビゲイルもラヴィニアも二つ返事で頷いた。
セイレムから出ていくことが二人の悲願だったことに加えて、魔神柱の儀式によってこの地に招かれた過去の者であり、今や外なる神の眷属と化してしまったアビゲイルと、親族を全員失った上に過去を上書きされ、かつての自分がどこでどうやって暮らしていたのかも分からなくなってしまっていたラヴィニアにとって、頼りに出来る者は他に居なかったからだ。
だとしても、それは他に選択肢が無かったから、仕方がなかったからではなく、ずっと守ってきてくれた立香達と、彼らが所属するカルデアを信じてくれたからだという理由の方が大きいことは明らかだった。
『ランドルフ・カーター』らしき男性、落ち着いて見てみれば中身は魔神ラウムとは違うらしい人が物陰からそんなやり取りを見守っていて、安心したように笑いながら消えていったことに気づいていたのは、リンクやキャスター勢ぐらいだっただろう。
そうして、ひとつの特異点が解消されたと同時に、カルデアに幾つかの新たな面子が加わってから早数日。
少女達を誘ったこと、カルデアという場所とそこに集う仲間達を信じたことは間違いではなかったと思わせてくれる光景を前に、ホッと胸を撫で下ろしていた一同の下に、別の賑やかさがやってきた。
「ろびん、さんそん、きるけー!!」
「三人ともここに居たのね、一気に見つかって良かったわ」
「美味しい儲け話がありますよぉ~」
「おやマタ・ハリ、それに哪吒とシバの女王も」
「どうしたんだい、そんなに慌てて」
「それがね……」
「即時、集合、再結成!!
立香一座の公演を、皆が楽しみにしている!!」
「……は?」
「つまり、そういうことなのよ」
マタ・ハリ曰く。
報告を早めに終えた後、スタッフやサーヴァント達との談笑の中で特異点のことが話題となり、『ゼルダの伝説』の影人形劇をやって中々の出来だったと口にしたところ、『自分達も見たい!!』という声が殺到したのだとか。
見るからにやる気満々でふんすっと気合いを入れている哪吒はもちろん、苦笑いを浮かべながらも態度や発言に後ろ向きなものが見受けられないマタ・ハリや、耳をピコピコと動かしながら瞳を輝かせているシバの女王も、既に心は決まっているのだろう。
「……リンクの奴、確か今は報告中だったよな」
「ええ。
内容が桁外れに多いことに加えて、駄目元でカウンセリングと並行しながら行なう予定となっていた筈なので、当分は出てこられないでしょう」
「決まりだね、やろう!」
「新人として顔見せするのにも絶好の機会ですねえ、この機に新規顧客を増やさないと」
「演目は何にしましょうか」
「ますたーとましゅと、あびー達も呼んでくる!!」
こうして、自分の知らないうちに、自分の手が及ばないところでとんとん拍子に一座が再結成され、新たな面子を加えたり削ったりしながら公演を続けて。
カルデア内で度々行われている催し物の中でも高い人気を得ていくことを、いつもの如くな無茶ぶりを褒められつつも叱られながら、果ての見えない報告を行なっていたリンクには想像すら出来なかったのであった。
セイレム、何とか完結しました。
クトゥルフ神話の要素を意識しつつ、ムジュラの仮面のループ要素を交えながら、元シナリオを私なりに再構成してみました。
全体の流れ自体はなるべく元シナリオに沿うこと、ラヴィニアとサンソンを死なせないこと、少女達の心がきちんと救われるような希望を感じられる展開にすること、それでいて試練や困難となるような山場はきちんとあってご都合主義に走らず物語としてきちんと面白いこと。
などなどを意識しながら書いてみましたが、如何だったでしょうか。
シナリオの特性上、他の話では書けないような残酷でグロい描写が必要になるところもあったので、その辺りもここぞとばかりに頑張ってみました。
セイレムに関しては一区切りつきましたが、解決すべき特異点はまだまだたくさんありますので、これからも頑張って書いていきます。
引き続き、よろしくお願いいたします。
「お帰り、マスター。
セイレムの件は全てではないが聞いているよ、大変だったみたいだねえ」
「大変だったよ、頼むから思い出させないで……」
「……あの新宿を乗り越えた君を、そこまで消耗させるとは。
本当に大変だったみたいだネ、お疲れ様。
今回の会議は延期して、少し休むかい?」
「いや大丈夫、もうあまり時間が無いし。
準備とか、作戦とか、細かいところまで少しでも詰めておきたいんだ。
……その辺り、頼りにしてるからね」
「勿論だとも、大船に乗ったつもりで構わない。
古今東西に名を馳せた、ありとあらゆる英霊達の中で、今のマスターの希望に私以上に応えられる者はいないと自負しているとも。
任せたまえ、一分の隙も無い真の完全犯罪というものをお見せしよう」
「……念のため言っておくけれど、別に俺は犯罪者になりたいわけじゃないんだからね。
俺の目的を叶えるためには、そうする必要があるってだけなんだから」
「わかっているさ、その上で言っているのだよ。
数多の英雄達が、歴史にその名と存在を刻むに至った、常人では到底成し得ないような偉業……その多くが実は、当人にとってはただの手段や通過点に過ぎなかったというのは、決して珍しいことではない。
弓兵アーラシュが身が砕けるのも厭わずに流星の矢を放ったのは、大地を割りたかったからではなく、戦争を終わらせたかったから。
吸血鬼カーミラが少女達を殺したのは、血を飲み、浴びたかったからではなく、若さと美しさを得たかったからだ。
……そしてそれは、ある意味ではこの私自身にも覚えのあること。
君のその大それた発想と決断を、私は心から尊び、そして後押しするよ。
人理修復という大偉業のおこぼれを頂こうと群がる、有象無象の魔術師どもを蹴散らし、君にカルデアの玉座を捧げると誓おうじゃないか」
「……分かってくれてるんだってことは分かったけど、その表現はやっぱり気になるなあ。
まあいいか、もうやるって決めたんだし。
俺の望みを叶えるには、力も人手も環境も、いくらあったって足りないかもしれないんだから」
「スタッフやサーヴァント達は諸手を上げて、引き続き君に協力するだろうし。
上手く事を運べば、外部の協力者を得ることも可能だろうネ。
……君が為そうとしているのはそれ程までの一大事業、全人類が抱き続けてきた夢と言っても過言ではない」
「この世界のどこかに在る筈の時の神殿を探し出し、勇者リンクをこの世に目覚めさせる」
「この夢物語が実現しそうだとして、実際に自分がそれに加われそうだとして、心が躍らない者はまず居ないと思って良かろう」
「…………俺としては、本当に、ただ単に。
約束を守りたい、守らなきゃってだけなんだけどな」
「大切な人達や、掛け替えのない場所を守りたいだけ。
その一心で幾度となく世界を救ってしまった実例を、君はよ~く知っている筈だがネ」
「……あーもー、鬱々としてきたからこの話題は一旦やめ!!
もっと建設的な話をしよう、魔術協会の連中からカルデアを守るための具体的なプランはどんなものが上がってるの?」
「新しく来る所長とやらがどういうタイプの人間かによって、まず幾つか変わってくるネ。
正式な権利を得てやってくる者を強引に排除してしまうというのは、それだけでリスクが大きい。
上手い具合に傀儡に出来れば理想なんだが、事と次第によっては魔術協会と交渉するための人質にするなり、密かに排除して身代わりを置くという手も……」
「こらこら教授、立香君に不穏なことを吹き込むんじゃない」
「……遅れてやって来ての第一声で随分だねえ。
彼の芯がこの程度で揺らいでしまうようなものではないってことくらい、私よりよほど付き合いの長い君の方がずっと理解しているだろうに」
「それとこれとは話が別、青少年の健全な精神を守ろうとすることに間違いは無いと主張するよ」
「あー言えばこー言う」
「天才だからね。
さて……遅れてすまなかった、立香君。
ほかの皆ももうすぐ来るだろうから、そうしたら会議を始めよう。
どうか私達サーヴァントにも、君達の未来を繋ぐための手伝いをさせておくれ」
苦労はするけど後の展開で何とか補える拠点と設備はともかく、一度失ってしまったら取り返しがつかない人員的な被害に関してはやはり食い止めたかったので、どういう展開なら迎撃準備をきちんと整えた上で二部序章の展開に入れるのかという辺りを考えてみました。
主人公が元の平凡な一般人に戻りたがっている、サーヴァント達も戻したがっている展開もあるでしょうが、こちらの立香君は既に心を決めています。
軽い気持ちときっかけで飛び込んでしまった魔術の世界で、仲間達と一緒に……いつか後悔するかもしれないけれど、少なくとも今は断固たる決意で。
『将来の夢と目標が具体的に定まっただけだよ、俺ぐらいの年のやつなら珍しくないだろ』と、何気ない様子で笑っています。
この先を書けるとしたら当分先のことで、辿り着けるかもわからないのですが……目標として、頑張っていきます。