森の中の出会い
古代から現代に至るまで、数千年に及び紡がれてきた人という種の歩みの全てが一瞬で焼き尽くされた、『人理焼却』という終末の惨劇と絶望。
そこから辛うじて生き延びた、夜空ではなく歴史を見守る天文台『人理継続保証機関フィニス・カルデア』。
人の世の、人理の最後の希望として、数多の犠牲と困難を乗り越えながら稼働を始めたカルデアが、本格的に取り組むこととなった第一の特異点修復。
数百年前のフランスの地へと、小さく可愛らしい予定外の人員を紛れ込ませながらも無事にレイシフトを成功させ、第一村人ならぬ第一フランス人にまずは友好的な接触を……と、手探りながらも懸命な第一歩が踏み出されてから僅か数分後。
「あそこだ、逃がすな!!」
「怪しい装いで武装した上に、明確な敵対行動まで取ってきた奴らだ!!
此度の事態に無関係とは思えん、捕らえて尋問しろ!!」
人類最後の希望を託されたマスターとサーヴァントは、早速の窮地へと陥っていた。
「申し訳ありませんマスター、私の盾さばきが未熟なばかりに…っ!」
「そもそも、その特大鈍器で穏便に峰打ちってのが無謀な話だから!!」
「フォーーウッ!」
接触に失敗し、巻き返せるかどうかが問われる二度目の行動で、説得でも逃げるでもなく実力行使で黙らせるという選択肢が真っ先に出てきた時点で、立香は自身の判断ミスと認識のズレを感じていた。
(マシュだけじゃない、ドクターも相当の世間知らずだ……研究所以外の世界を、情報でしか知らないって奴かな)
一生懸命なのはわかる。「こうなった時はこうしよう」と、あらゆる状況に対応するために想定とシミュレーションを重ねているであろうことを想像できる。
それしか出来ない、それしか知らない、故に想定外で予想外の事態に弱いのだ。
『敵意を持たずに笑顔で話しかける』という最大級の友好的アプローチが通用しない、どころか転じて窮地を招いてしまった。
そんな想定外の事態に対応しきれず、パニックに陥ってしまった末に、『実力行使』という最も単純かつわかりやすい対処法へと行きついてしまったのだろう。
マシュは当然、ロマニのことだって、自分とカルデアと人理の味方だと心から信じている。
しかし、事前知識も覚悟もないままこんな世界と事態に足を突っこむ羽目になってしまった、何から何まで解説と補助が必要なド素人の身からすれば。
専門分野においては頼りになる者達が、それ以外の大部分において、逆にこっちがサポートしなければならない者達でもあるのだと初っ端で思い知らされた事態は、中々にハードなものだった。
「あの、マスター…少し考えたのですが。
兵士の皆さんは悪い人達ではないみたいです、落ち着いて話し合えば誤解を解くことも出来るのではないでしょうか」
「その発想が出来るなら、何で実力行使が先に出たのさ!?
もう何人か殴り飛ばしちゃった後じゃあ今更だって、完全に敵視されてて聞く耳無いよ!!」
「す、すみません…っ!」
「次から気をつけようね!!」
「はい…」
あからさまに落ち込んでしまったマシュが、必死に走りながらも何とか付け加えた『次から』というフォローに気付いているかどうかは怪しいが、流石にこの場でこれ以上のサポートは難しい。
真面目で思い詰めるところのあるマシュを、あまり長いこと一人で落ち込ませてしまうと後が怖い。
マシュと改めてきちんと話す為にも、一刻も早くこの危機的状況を打破しなければ。
サーヴァントであるマシュに頼るだけでなく、拙い新米ながらもマスターとして、立香は必死に考えを巡らせた。
「ドクター、この近くで身を隠せそうなところはある!?」
《進行方向に森がある、木々に紛れれば追跡をかわせそうだよ!!》
「……森かあ」
《あ、あれ……どうしたの立香君、何か問題でも?》
「……何でもない、ありがとうドクター。
マシュ、聞いてた通り!!
とりあえず今は、追っ手を振り切ることに集中しよう!!」
「はいマスター、マシュ・キリエライト了解しました!!」
ロマニの進言とサポートによって、森に逃げ込んだ立香とマシュだったが、状況は打開されるどころかむしろ悪化してしまっていた。
「もういいです、マスター……センパイ、私を置いてどうか逃げてください」
「まだ何も出来てないのに何言ってんの、諦めないで!!」
「ごめんなさい…私、センパイの力になるどころか、足手まといでしかない状況にこれ以上耐えられません」
《しっかりしてマシュ、立香君の言う通りだ諦めないで!!
ああああどうしよう僕のせいだ、僕がよく考えないまま森に逃げようなんて言ったばかりに……》
「ダ・ヴィンチちゃんドクター任せた、この状況で二人同時にフォローするのは流石にきつい!!」
《了解、ま~かせて。
こちらは気にせず、立香君はとにかく自分達の安全確保に専念してほしい》
ロマニの半泣き声が通信から遠ざかるのを聞きながら、立香は、半ばへたり込んでしまっていたマシュの手を引いて先を促す。
追っ手はまだ諦めていない…彼らが自分達を見失ってくれる、もしくは追跡を諦めてくれる、そんな楽観的な期待を立香は真っ先に思考から追い出していた。
森がどんなに深く暗かろうと、自分達がどんなに慎重に身を隠そうと。
マシュの巨大な盾を無理やり通らせた跡を至る所に残してきてしまった以上、追いつかれ、見つかってしまうのが時間の問題であることは容易に想像できた。
(こんなことなら、変に気を回さないで、あの時ちゃんと言っておいた方が良かった。
そうすれば、もっと別の、ちゃんとした選択肢があったかもしれないのに……)
『森』と促された時点で、立香はこの状況をきちんと予想することが出来ていた。しかし、言えなかったのだ。
必死のサポートが的外れだったと、その要因が自身の装備にあると、突き付けられたロマニとマシュがどれだけ傷つき落ち込むことか。そう考えると、どうしても声が出なかった。
何とかしよう、何とか出来ればいいのだと一人で考えて、一人で決めて。
その結果がこれだ。想像よりもずっと激しく落ち込むマシュに、混乱するロマニ。
根性論の精神論ではどうしようもない。正しく絶体絶命の危機に陥ってしまう最後の一手を、独りよがりの善意で押してしまったのは、他でもない自分自身なのだ。
事態を甘く見ていたのは、世間知らずなのは自分も同じだったと、今更悔やんだとしてどうしようもない。フォローするのも、謝るのも、改めてきちんと話し合うのも、全てはこの窮地を脱して生き延びてからだ。
人類最後の希望として、マスターとして……マシュが慕ってくれる『センパイ』として、絶対に諦める訳にはいかない。マシュの手を引きながら、弱々しく項垂れる盾の少女をその背に守りながら、立香は必死に目の前の藪を掻き分けていく。
木々の枝葉に光が遮られ、薄暗かった視界が明るく開けたのは、本当に突然のことだった。
「…………あんた、誰?」
「それ、こっちの台詞」
突然のことすぎて、不意に抱いた疑問がそのまま口に出てしまった。
そんな立香の間抜けな問いかけに、半ば呆れた声で、それでも律儀に返事をしたのは、フードを目深にかぶって鼻から下しか窺えない一人の少年だった。
少年の手には、枝に刺された焼き魚。どうやら食事を邪魔してしまったらしい、口調や僅かに窺える表情に若干の苛立ちが感じられたのはその為か。
森を横切る川べりの僅かに開けた空間、薪が半分炭となって燻る焚き火とその周りに立てられた数本の串焼き魚。
地べたに腰かける少年の傍には荷物らしいものもあって、彼の野営地に不躾にも飛び込んでしまったのだと気付いた立香とマシュは、数秒遅れで慌てだした。
「すみません、俺達ちょっと訳ありの通りすがりで!!」
「すぐに立ち去ります、お騒がせして本当に申し訳……っ、センパイ!!」
「げっ、もう追いついてきた…」
散々追いかけさせられた苛立ちが溜まっているのだろう、もはや怒号と言ってもおかしくない声が少しずつ大きくなってくる。
不安げに身を竦ませるマシュと、その肩を咄嗟に抱き寄せる立香。二人の耳に、何かが勢いよく崩される音が聞こえてきた。
同時に、咄嗟に振り返った二人が目にしたのは、フードの少年が急に焚き火を踏み潰し始めた異様な光景だった。
「………あ、あの、何をして」
「そこから真っ直ぐ、これを蹴散らす勢いで走って。
炭の足跡をつけながら川の中へ…向こう岸へは渡らずに、下流から戻ってくるんだ」
少年の言葉に、マシュは首を傾げ、立香は雷に打たれたような衝撃にハッとした。
「マシュ、こっちだ!!」
「センパイ!?」
未だ事態を把握しきれていないマシュの手を、問答無用で引きながら立香は走った。
森の中を逃げる勢いのままに藪から飛び出し、野営地の主の存在にも気をかけることなく焚き火を蹴散らし、二人分の炭の足跡を残しながら川へと逃げ込んだ。後から追いついた者が、そんな一連の流れを思い描けるような痕跡が残される。
少年の言葉通り、向こう岸には渡らずに川の中ほどで方向を変えた二人は、野営地から少し離れた場所の岸から改めて藪の中に身を隠した。
最初から追っていたならばまだしも、想定外の痕跡をゼロから見つけだすなんてことは、森の専門家でもなければ難しい。
音を、気配を殺しながら、野営地の様子が窺える位置まで戻ってきた二人は、追っ手の兵士達と、何食わぬ顔で彼らに相対する少年のやり取りを目にした。
「奴らは向こう岸に逃げたんだな!?」
「間違いないよ、たった今この目で見たんだから」
「ありがとう、協力に感謝する」
「……あの連中、何をやったの?」
「それを聞き出すために追っているのだ。
装い、挙動があからさまに不審だった上に、仲間が数人問答無用で倒されている。
近頃の異様な事態に、無関係とは到底思えん」
拳を握り、歯を食いしばり、怒りや悔しさを露わにする兵士と、そんな彼を前にする少年に、こっそり様子を窺っていた立香とマシュは血の気が引く思いを味わっていた。
自分達が追われていることを察して、咄嗟に助けてくれた彼が、兵士の話を聞いて方針を切り換えない保証は無いからだ。
しかし、そんな二人の心配をよそに少年は何も言うことはなく、追跡を続けるために川を越える兵士達の背を手を振りながら送った。
彼らの姿が、声が、藪の向こうに完全に消えた辺りでフウと肩の力を抜き、徐に焚き火の残骸を片付け始めた少年を前に、立香達はなかなか動き出すことが出来ない。
先にしびれを切らしたのは少年の方だった。大きなため息をつきながら、立香とマシュが隠れている藪へと向けて確信をもって振り返る。
「いつまで隠れてんのさ、もう行ったよ」
「……………は、はい。
あの……どうも、ありがとうございました」
「いや、ほんと…マジで助かった、ありがとう。
………でも、何で?」
「悪いことをしたとは思えない奴らが追われてる、だから助けた。
そうしたら、追っている連中も悪人とは思えなかった。
何かの勘違いか、行き違いか、もしくは理由がある。そう考えた。
聞かせてくれたっていいだろう、こっちは巻き込まれたんだから」
焚き火を組み直し、薪を追加し、慣れた様子で火を点けた少年は、自身が座っていた反対側へと立香とマシュを促した。
終わったこと、落ち着いたこと、助かったことをようやく実感できた二人を疲れが一気に襲う。
特に、魔術もろくに使えないただの人間である立香は耐え切れず、思わず膝を折らせてしまう程だった。
「センパイ!!
……ごめんなさい、私が不甲斐なかったばっかりに」
「ほら」
俯くマシュへと渡された革袋、思わず受け取ったそれの中身が水であることを確認したマシュは、急いでそれを立香へと差し出す。
遠慮など考える余裕もないまま中身を飲み干す立香に、フードから覗く少年の口元が優しい笑みを浮かべる。
それは、未だに警戒と不安を完全には捨てきれずにいた立香とマシュが、彼なら大丈夫だと、この場所ならば安全だとようやく思えた、そんな力を持った微笑みだった。
「俺は、藤丸立香」
「マシュ・キリエライトと申します、こちらはフォウさん」
「フォウフォウ!」
「俺はリンク。
立香、マシュ、フォウ、よろしくな」