マシュの盾の裏側から、画面の向こうのオペレーションルームから。
とある共通の知識を有しながら戦況を見守っていた立香とエミヤは、その光景を、その時を知らない者達を相手に後にこう説明していた。
「あれは正しくライダーキックだった」と。
見事な体幹とバランス感覚で以って、空中で体を捻りつつ体勢を整えたリンクは、真っ直ぐ突き出した片足に落下の勢いを上乗せさせた全体重を込め、狙い通りの場所へと見事にぶちかました。
カーミラの、少女を殺して血を浴びてでも美貌を保ちたいと願った女吸血鬼の素顔へと、仮面を粉砕させてもなお衰えることのなかった威力と勢いをそのままに。
靴の裏を味わわされながら吹っ飛び、瓦礫の山へと轟音と共に頭から突っ込んだカーミラと。
突撃の勢いを全て彼女の顔面に注ぎ込むことで、自身は危なげなく、何食わぬ顔で綺麗にあっさりと着地を決めたリンク。
始めに想定したものとはあまりにもかけ離れすぎている形の激戦に、光景に、居合わせた者達は敵味方の区別も誰一人の例外もなく、呆気に取られて立ち尽くす羽目になった。
何とも言えない沈黙が、瓦礫が崩れる音と、その中から身を起こしてきたカーミラの動きによって遮られる。
美しさを誇る女性が、よりにもよって顔を蹴り飛ばされたなどと……とんでもない屈辱を味わわされた彼女が怒り狂うことを、形振り構わない攻撃をしかけてくることを想定して戦闘態勢を取ったマシュとジャンヌだったが、その気概は直後にへし折られた。
「う、ううっ……ひぐっ、うう、えぅ……………」
粉砕した仮面の下から現れた、平常ならば女吸血鬼の代名詞たるに相応しい冷徹な美貌を湛えていた筈の顔が、瞳が、痛みと恐怖と屈辱に混乱しながら、若干歪んで血を滴らせてしまっている鼻を懸命に押さえながら、蹂躙された少女のように弱々しくしゃくりあげていたのだから。
「嘘よ、嘘、ありえない……何てことをするの。この私の、伯爵夫人たる私の、よりにもよって顔をこんなグギャッ!?」
《リンク君ーーーっ!!?》
敵どころか味方にすらどん引かれてしまっていることを、気付いていない筈が無いのにそれでも構わず、リンクはカーミラの鼻筋へと追撃の爪先をめり込ませた。
手の甲だけでは守り切れず、完全に潰されてしまった鼻から滝のような血が滴り落ちる。
自慢の顔立ちを構成するパーツを笑顔で、一切の躊躇いもなく粉砕してのけた。
勇者と同じ名を持っている筈の目の前の少年が、カーミラには吸血鬼すら目じゃない化け物に見えていた。
「ひいいぃぃ……っ!!」
「やっぱり、思った通りだ。
あんたは弱い者、逃げる者、抵抗できない者を痛めつけたことはあっても、自分が痛めつけられたことは無いし、直接的かつ原始的な暴力に対する精神的な耐性や心構えを欠片も持ち合わせていない」
《そ、そうか……カーミラと共に少女達を拷問、虐殺していた配下の者達は尽くが残酷な刑に処されたけど、主犯格である筈のカーミラはそれを免れている!!
貴族だったから、紛れもない高貴な女性だったから、誰も彼女を傷つけられなかった!!
死刑判決だって直接ではなく、出入り口も窓も潰した居城の自室に死ぬまで閉じ込められるという形で執行された!!
リンク君の言う通り……彼女は確かに吸血鬼という怪物ではあるけれど、その根底は伯爵夫人!!
強者が弱者を一方的に蹂躙、搾取するだけのものとは違う、高貴な存在への敬意やら遠慮やらが時に消え失せ、時に泥沼の乱戦とも化すような実戦に、彼女は基本向いていないんだ!!》
「俺も聞いたことがある、Sは自分が痛めつけられる側になると打たれ弱いガラスの剣だって!!」
「…………センパイ、そのような偏った知識を一体どこで得られたのですか?
個人の趣味嗜好は、基本尊重すべきだと認識しておりますが、それは流石にどうかと……」
「いやいやいや違うよ、そんな変なものじゃないから!!
マンガ読んだだけだから、だからマシュそんな目で見るのやめて!?」
《と、とにかく……これはもしかしたら、本当に行けるかもしれない!!》
「しかしドクター、王であると共に武人でもあるヴラド三世相手にはその理屈は通じません!
状況を楽観するには早すぎると思われるかと!」
「…………マシュ、あそこ、あれ見て」
「……………………………」
「串刺し公が絶句しています!?」
《彼は確かに戦場を知る武人だけど、それ以前に、女性を尊ぶ意識を嗜みとして身につけている王侯貴族だからね。
殺すことに躊躇いは無いだろうけど、顔は傷つけないとか、遺体を辱しめないとか、そういう高潔さと敬意は持ち得ていると思う。
そういう人にとって、高貴な女性を、それも完全に戦意を喪失して泣きじゃくっている女性を、それでも構わずに叩きのめす行為や光景は、理解の範疇外だったとしてもおかしくないものだと思うよ》