後日後編も投稿するので、どんな感じで本編を書こうとしているのかをイメージして頂ければと思います。
「ころ、した。ころした、ころした、ころした!
なにもしらない、こどもを、ころした!」
「ちちうえが、そうしろって。
ちちうえが、おまえはかいぶつだから、って!」
「でもぜんぶ、じぶんのせい、だ。
きっとはじめから、ぼくのこころは、かいぶつだった」
果てしなく水平線のみが広がる特異点の海、戦いの喧騒が満ちる船上に、人の心を持った怪物の悲痛な叫びが響き渡る。
胸に走る痛みと共に悲痛な表情を浮かべる者、昂る熱に顔を顰め歯を食いしばる者、どこまでも嘲り見下す者。
誰に、何に見られようと構うことなく…少年は、怪物は、アステリオスは、生まれて初めて、心から抱いた願いを叫ぶ。
「でも、なまえを、よんでくれた。
みんながわすれた、ぼくの、なまえ……!」
「なら、もどらなくっ、ちゃ。
ゆるされなくても、みにくいままでも。
ぼくは、にんげんに、もどらなくちゃ……!!」
命をも賭すほどの決意が込められたその『願い』には、悲痛な想いが込められていた。
『ミノタウロス』は、『怪物』はもう嫌だ。
皆が呼んでくれた『アステリオス』でいたい…『人間』に戻りたい。
自分ですら忘れてしまった名を呼んでくれた皆と、自分のような存在を受け入れてくれた皆と、もっとずっと共に居たい。
その為になら……と心の底から思いながら、それと同時に、『嫌だ』と悲鳴を上げる自分もいることを、アステリオスは自覚していた。
だって、あの狂った大英雄とこのまま対峙しつづければ、間違いなく自分は死んでしまう…そうしたらもう、皆と一緒にはいられない。
(いやだ……いやだ、はなれたくない。
みんなと、えうりゅあれと、ずっとずっといっしょにいたいよ)
何処からか込み上げて瞳を熱くさせる何かを、折角の決意を鈍らせる雑念を、泣き叫びながら訴えてくる自分自身の紛れもない『本心』を、アステリオスは必死になって押し殺す。
きっとこれが、これこそが、自分に与えられた罰なのだ。
生まれて初めて、本気で抱いた願いが叶わない…人の心を知り、人の温かさを得た瞬間にそれを奪われる、自身の罪深さを思い知りながら死んでいく。
(ぼくが、ころ、した、あのこたち…ないてた、さけんでた、『たすけて』って、ひっしになって。
こんな、きもちだったんだ…それを、ぼくは、ふみにじったんだ。
なんで、ぼく、へいきだったんだろう……やっぱり、かいぶつは、ちゃんとばつをうけないと)
視界の端に、仲間もろとも構わないという様子で、宝具の槍を振りかぶるランサーの姿を捉えた。
目の前の狂戦士を、ほんの一時でも留めておけるとしたら、自分に出来ることはこれしか思い浮かばない。
泣き叫びながら必死に縋る少年を、心の奥底へと押し込めていく…だけど、少年の叫びは、抵抗は、アステリオスの予想を超えて大きく、必死なもので。
人のものではない赤い輝きを放つ瞳から、生肉を貪る怪物の口から、ほんの僅か、ほんの一瞬だけ零れ出た。
「……………す…け、て」
雨粒よりも小さな一滴は、零れる間もなく頬を汚していた返り血の赤に交じり、瞬く間にその熱を失った。
声の体裁を成していたのかすらも怪しい囁きは、戦場の騒乱が、眼前で雄叫びを上げる狂戦士の存在が無かったとしても、誰の耳にも届くことなく掻き消えたであろうもので。
元より届くわけなど、聞き届けられることなどあり得ないのだと、発した自らによって否定される怪物の哀訴。
「駄目だぞアステリオス、そういうのはもっとちゃんと、皆に届くように大きな声で言わないと」
「今度から頑張ろうな」
それに、応えてくれた者がいた。
青く神秘的な刀身が陽光に煌き、自分よりも遥かに小さく華奢な背中が自分を庇うのを、大英雄の圧倒的な巨漢と威圧を相手に怯むことなく立ち向かう様を、アステリオスは見た。
「りん、く……どうして?」
「助けを求めて泣いている…それを必死に押し殺して死に向かおうとしている子供を、見過ごせるような性分じゃあない」
「だけど…りんく、いってた。
『ゆうき』をだせって…そうすれば、それができれば、だれだって『ゆうしゃ』だって。
だから、ぼく……」
「確かにそうだ、だけどお前が今出そうとしていたそれは違う。
嫌だ嫌だと泣き叫ぶ本心を、無理やり押さえ込んでまで捻りだしたものは『勇気』とは呼ばない。
恐怖は、悲しみは、否定して押さえつけるものじゃない…認めて、受け入れて、その上で乗り越えるものなんだ。
本当の『勇気』をまだ見つけられていないお前を、これから必ず見つけられるお前を、俺はこんなところで終わらせたくはない」
口調は強く、だけど込められた想いはとても優しく。
そんな声を背後のアステリオスへとかけながら、その目と戦意と切っ先を眼前の狂戦士から決して離すことのない。
一見しただけではそれは、状況を正確に判断できない少年戦士の、それこそ蛮勇にしか思えない光景である。
しかし、冷静な判断力など捨ててきた筈の狂戦士は、大英雄ヘラクレスは、片手で軽く捻り潰してしまえるような少年を前に、なぜか動くことが出来ずにいた。
そんな彼へと、先程までの余裕をかなぐり捨てた怒号を上げたのは、矢で危うく眉間を貫かれるところだったという命の危機を辛うじて免れたばかりのイアソン。
その傍らでは、余裕綽々の隙だらけで攻撃への対処など欠片も出来なかったイアソンを守るために、宝具の発動を中止せざるをえなかったヘクトールがため息をついていた。
「何をしているヘラクレス、このノロマが、さっさとそのクソガキを叩き潰してしまえ!!
とんでもない奴だ、目の前の脅威を差し置いて将を狙うとは!!」
「いや~、あの一瞬でいい判断でしたわ…やっぱりあのガキ只者じゃねえな。
あの状況じゃあ俺は守りに転じざるを得ない、発動された宝具を食い止めるよりも、遥かに楽で確実な一手でもってミノタウロスを守りやがった。
しかも、狙ったのが眉間ってあたりがまた嫌らしい。
目に向けられる攻撃は、『自分は今殺されかけた』って認識を圧倒的に強くするからな…見ろようちの大将、狙い通り激昂してくれちゃって。
こりゃもう、ミノタウロスのことなんか完全に忘れてるな……」
「殺せヘラクレス、しかしタダでは殺すな、散々苦しめて嬲り殺せ!!
そいつは偉大なる王の命を狙った反逆者だ、世界を救う英雄の偉業を阻む悪辣者だ、自分という存在が今まで生きて存在してきたことを恥じて悔やませろ!!」
研ぎ澄まされた戦士の勘が鳴らす異様な警鐘に身構えていたヘラクレスだが、それは駆り立てられた狂気と戦意を押し止められるほどのものではない。
赤く滾る理性の失せた瞳は、大気を震わせる咆哮と共に放たれた威圧感は、アステリオスが未だ無事であることにほんの一瞬安堵した一同を更なる絶望へと叩き落して余りある恐ろしさだった。
《逃げるんだリンク君、いくら君でもヘラクレス、しかもバーサーカーなんて相手が悪すぎる!!
何とかして…ああもう、どうして僕はこんな状況でこんなことしか言えないんだ!!
でもごめん、こんなことだろうと今の僕はこう言うしかない!!
逃げてくれリンク君、何とかして生き延びるんだ!!》
「ははははっ、声だけが聞こえて姿はさっぱり見えないが、どうやら状況を的確に判断出来ている者もいるらしい。
その通り、ヘラクレスだ…ギリシャの、いや、史上最強の大英雄だ!!
どこぞの木っ端英霊が敵う相手じゃあ無い、ましてやお前みたいな、自分がもうじき死ぬってことすら理解出来ていないようなガキなんざ、気付かれないまま踏み潰されるアリも同然さ!!」
「りんく、やっぱりぼく…っ!!」
『怖くない』と言って笑いかけてくれた、頭を撫でてくれた、『勇者』への道を教えてくれた。
大切な友達を嘲られた怒りに目尻を吊り上げ、毛を逆立てながら飛び出しかけたアステリオスの巨体を、リンクは片手一本で制した。
「りんく!」
「駄目だって言っている…どうしてそう身を投げ出そうとするんだ、殺されるだけの相手だってわかっているだろう」
「………わかってる、こわいよ、でもぼくはやらなきゃ。
ばつをうけなきゃ…つぐなわなきゃ……そうしないと、ゆるしてもらえないと、ぼくはみんなといっしょにいられない。
みんなといっしょにいることを……ぼくが、ぼくにゆるせない」
「…罰を受けて、償って、許してもらえればいいんだな?」
「……う、うん」
「エウリュアレ!!
女神エウリュアレ、尊き御身に願い奉るお許しを頂きたい!!」
「なっ……ええ、許可するわ」
女神という存在であることそのものは認めながらも、対等な仲間としての態度や立ち位置を揺るがすことのなかったリンクから急に恭しい態度と口調を向けられて。
一瞬驚いて呆気に取られてしまったエウリュアレだったが、すぐに自覚と誇りを取り戻し、慣れ親しんだ女神としての自分を示した。
しかし、そんな彼女の神々しい振る舞いは、次の瞬間向けられた『願い』の内容にあっさりと崩れ去ることとなる。
「犯してしまった罪の重さに苦しみ、罰と償いを求める者がここにいる!!
どうかこの者に禊ぎの機会を、女神の試練を与え給え!!」
「…っ!! アステリオス、人の心を捨てきれなかったが故に苦しむ怪物よ、聞きなさい!!」
リンクの意図を察した瞬間に、エウリュアレは女神としての体裁を忘れて、ただひたすらに声を張り上げていた。
助けたいのに、失われてほしくないのに、その為にどうすればいいのかが分からなかった。
そして今、いざ目の前に差し出されたそれに必死になって縋りつく、『女神』という属性を負っただけの一人の少女がそこにいた。
「生きるのよ、死んではだめ……死んで楽になるなんて、何も為さないまま後悔と罪悪感の苦しみから解放されるだなんて、それこそ許しがたい所業だわ!!
多くの罪なき少年少女を喰らったあなたには、罰として、その数百…いや、千、万……数億倍の命を救うという、果て無き難行への従事を命じます!!
過去から現在、未来に至る人の営みの全てを、人理を救うという未だかつて無き大偉業!!
この旅路の供となって、星見の天文台を守り、人類最後のマスターの力となる!!
これがあなたのこなすべき試練よ、粛粛と受け入れなさい!!」
数十人の生け贄を食い殺した償いに、時間にして数千年、総数にして数千億人にも及ぶであろう人々を救う…単純に数で比べるだけならばあまりにも割に合わない、過酷すぎる試練であろう。
そんな理不尽な神託を、アステリオスは何の言葉も発せないまま聞いていた。
信じることなど、受け入れることなど出来ない…あまりにも都合が良すぎて、罰や試練と考えるにはあまりにも幸せすぎて、到底認められるようなものでは無かった。
そんなものを、受け入れてしまってはいけないと思う……だけど。
「戻ってきて…戻ってきなさいアステリオス!!
この私の言葉よ、あなたは黙って聞けばそれでいいの!!
あなたに試練を課したのは私、その末に罪は許されると認めたのは私!!
この、女神エウリュアレ!!
私が許したのよ、誰にも文句は言わせないわ、誰にもあなたを否定させない!!」
「だ、そうだ……アステリオス、ほら。
早く戻って、お前の女神様を慰めてやれ」
「……でも、ぼく。
だめだよ…こんなのばつでも、しれんでもなんでもない。
うれしすぎて、しあわせすぎて、ぼく、ぜんぜんつぐなってない」
「その罪悪感こそが、お前がこれから永遠に背負うべき本当の罰だ。
どんなに幸せな瞬間でも、お前は自分が犯した罪を、殺してしまった人達のことを忘れきれない。
その上で生きるんだ…お前に生きて幸せになってもらいたいと願う、皆の気持ちに応え続けるんだ。
これはきっと、お前が今想像しているよりもずっと、辛くて苦しい試練になる……わかるか?」
「…………うん、わかるきがする。
でも、ぼく……これからどんな、つらくて、たいへんで、いやなことがあったとしても。
それをぜんぶがまんするから、がまんできるから。
いまはとにかく、えうりゅあれをなきやませたい……そうおもうんだ」
「見つけたな、お前の『勇気』」
満面の笑みと共に向けられたリンクの言葉に、数秒呆気にとられたアステリオスは、何かを乗り越えたような本当に嬉しそうな笑顔で返してくれた。
簡単な伝言を託したアステリオスが『黄金の鹿号』に帰還し、エウリュアレの癇癪と一同の歓待で迎えられているのを確認したリンクは、安心したおかげで少しだけ緩んでいた意識を再び戦闘のそれへと引き戻す。
今にもヘラクレスをけしかけようとしていた筈のイアソンは、何を思ったのか、ヘラクレスの戦意を一旦落ち着かせてまで、目の前で繰り広げられるリンク達のやり取りを見据えていた。
終わったことを察するや否や、フンっと鼻を鳴らしながら嘲りと見下ししか見受けられない表情を向けられて、呆れた心地に肩を落とす。
アレと『英雄』で一括りにされるのは嫌だな……この短い間に、何度同じことを感じたかもはや覚えていなかった。
「茶番は終わったか…少しは見ものになるかと、どんなに下らなくとも余裕をもって受け入れてやるのが支配者の慈悲と思ってはみたが。
……くっだらない、やはり茶番は茶番だな!!
馬鹿馬鹿しすぎてもはや哀れみさえ覚えてくる、こんなことならいっそ途中でぶち壊してやった方が誠実な対応だったか!!」
「はいはい、わざわざ待ってくれてどーも。
こっちはもういいよ、さっさとその人けしかけて終わらせてくれない?」
クソ野郎の唯一の取り柄と称されていた喋りをあっさりと聞き流され、更には自慢のヘラクレスを嘗め切っているとしか思えないリンクの態度に、イアソンの蟀谷が盛大に引きつったのを一同は察した。
「お前……馬鹿なのか、いや聞くまでもない、馬鹿だな!!
大英雄ヘラクレスを前にしてその態度、もはや蛮勇を通り越してただの自殺志願者だ!!」
「……ねえ、ドクター。
別にふざけているわけでも何でもない、本気の、切実な質問なんだけど、聞いていい?」
《この状況で!?
ああいや、この状況でも聞かなきゃいけないような大事な質問ってことか…いいよ、手短にね!!》
「ヘラクレスって誰だっけ、具体的に何をやった人?」
焦燥の中で必死に冷静さを保とうと努めていたロマニが、質問を受諾した次の瞬間。
リンクはまるで、今日の夕飯のメニューを尋ねるかのような気軽さで、あっさりと爆弾を放り投げた。
誰も彼もが言葉を失い、何とも言えない沈黙が数秒世界を包んだ後に、一足早く復活したダ・ヴィンチの馬鹿笑いが通信の向こうから聞こえてくる。
《あははは、はははははっ、あっはははははっ!!
ごめんごめん忘れてた、この私としたことが完っ全に盲点だった!!
そうだね、知ってる筈無いよね、私達がちゃんと気付いて教えてあげなきゃいけないことだったねこれは!!》
通常の聖杯戦争のように、聖杯からある程度の現代知識を与えられている訳でもない状況で、きっかけも無しに知り得ている筈がないのだ。
どんな英雄も、どんな偉業も、『いま』に連なる人類史の全てが彼にとっては遥か後世のものなのだから。
そんな言葉となって出て来るはずだった後半部分は、本格的に堪えられなくなった笑いのせいで結局形にはならなかった。
「あっ…ありえない、お前今何て言った!?
ヘラクレスを知らないだと、こいつの伝説を、あの大偉業を耳にしたことがないだと!?
どんな田舎、どんな僻地、どんな辺境で生まれ育てばそうなると言うんだ!!」
嘲り、罵り、相手よりも上の位置に立つために舌を動かすことも忘れて、ただひたすらに純粋な驚愕と受けた衝撃の凄まじさを顕わにするイアソン。
そんな反応を前にリンクが見せた表情の変化は、『んなこと言われたって知らないものは知らないんだよ』とでも言いたげな、子供のような拗ね顔だった。
「おいおいおいおい、あいつ大丈夫か!?
あのヘラクレス相手に剣を向けられるだなんて、馬鹿なのか無謀なのかとヒヤヒヤしてみりゃまさかの『知らねえ』だと!!」
「てゆーか…今更だけど、あの子誰なの?
サーヴァントなのは気配でわかるけどそれ以外がサッパリだわ、剣も弓も使うし、決め手が無さすぎよ」
オリオンとアルテミスが思わず口にした当然の疑問に、立香とマシュはこちらも思わず顔を見合わせた。
彼らがそう思うのも無理はない…何しろ今のリンクは伝説でお馴染みとなっている勇者の装束を、深い森を思わせる緑衣を纏っていないからだ。
古代ハイリア人の特徴である尖った耳と、リンク自身の強い印象となる金の髪と青い瞳、何より美しい顔立ちもフードによって半ば隠されてしまっていて、外見特徴から彼を『勇者リンク』であると気付くのは難しいことだろう。
『リンク』と名乗ってはいるし、フードも時折あっさりと外して(ドレイクを含む海賊連中が思わず息を呑んでいた)いたのだが、今の今まで疑問を抱かれること自体が無かったのだ。
『変に隠したり誤魔化したりする方がかえって疑われるんだよ、ドレイク船長なんかその辺り特に鋭いだろうさ。
立香、お前だって、パッと現れた奴が伝説や歴史上の登場人物の名を名乗ったとして、「もしかして本人?」なんて、こんな状況でもなければ思わないだろ?』
万が一の事態に備えて、自分という存在に関しては出来る限り秘密にしておく…そう言ったのと同じ口で、彼のことを隠さなければと気を張っていた自分達をよそにあっさりと真名を明らかにして。
また同じ口で、「言い出しっぺのくせにどういうつもりだ」と問いつめる自分達をあっさりと黙らせ、「『隠し事があります』と顔にも声にも態度にも出ている立香達の方がよほど怪しまれてたぞ、フォローしておいたけど」と最後の止めまで刺されたのだった。
しかし、いくら何でも、この状況で彼にまだ『隠す気』があるとは思えない。
「センパイ…もしかしなくても、リンクさんは」
「戦うつもり……なんだろうな、『本気』で」
自分の本当の力が必要になる…そんな時が来れば、惜しみなく見せてやろう。
未だ発揮していない力の存在を仄めかせつつ、そう言って笑っていたリンクの姿を思い出す。
「……ヘラクレスがとんでもなく強くて、恐ろしい敵なんだってことはわかっている。
歴史とか、伝説とか、カルデアに来るまであまり詳しくなかった俺でも、名前だけでなくどんな活躍をしたのかってところまで多少は知ってるような大英雄だし」
令呪の浮かんだ拳が握られる、思わず唾を呑み込んだ唇がかすかに震える。
それを不安と恐怖故のものと受け取ったマシュは、マスターを何とか励まし、元気づけようと発しかけた声を、寸でのところで呑み込む羽目となった。
巨体の大英雄に真っ向から対峙する勇者の、比べてあまりにも小さく華奢すぎる後ろ姿を見る立香の瞳は、期待と希望に輝いていたのだから。
『頑張って説明してくれるマシュには悪いけど、本の内容よりも、目の前にいる本人の印象の方が強いし…そんな熱心に「勇者様」って言われても、あまりピンと来ないや。
それに…多分だけどあいつ、あまりそういう扱いされるの好きじゃないと思う。
あいつが「勇者」だってこと自体は事実だし、否定する気なんかないけど…それでもやっぱり、俺はあいつのことを「勇者」よりも「友達」だと思いたいな』
立香のリンクに対する扱いや認識が軽いように感じて、それは立香がリンクの逸話や功績の凄さを知らないからだと思って。
今後の二人の為と信じて懸命に『ゼルダの伝説』を語り、その結果思いがけない答えが返って来た時のことを、マシュはなぜか思い出していた。
いつの間にか物陰からやり取りを聞いていて、仲を取り持つどころか壊すきっかけを作ってしまったと血の気を引かせたマシュをよそに、白い肌に血の気を浮かべて恥ずかしそうに、それでいながら何故かとても嬉しそうだった、リンクのことも同様に。
なぜ立香は『偉大な勇者』よりも『一人の友人』を尊んだのか、なぜリンクはそれを侮辱とも蔑ろとも思わずに喜んだのか。
そして今、なぜ立香は、このどうしようもない苦境の中で揺るがない信頼を貫くことが出来るのか。
『ゼルダの伝説』はまだ読み切れていないと言っていたのに、『勇者』ではなく『友人』だと思うと言っていたのは彼自身なのに…その『なぜ』を、今のマシュはまだ理解できない。
過去の混乱と今の混乱が入り混じって動けずにいるマシュをよそに、状況は刻々と移り変わる。
自身が最強と信じる英雄を『知らない』と言われ、頭に血が上ったイアソンは、戦闘態勢を整えたヘラクレスをよそに彼の偉業についてを激昂のままに怒鳴り散らしていた。
素直に『偉業』だと、『大英雄』の生き様だと認めるしかない伝説を前に、表情と体勢を若干改めたリンクの様子に、気を良くしたらしいイアソンが更に舌を滑らせる。
遠い生前の話ではない、今現在の脅威として立ちはだかる狂戦士の話をするために。
リンクが意図せず乱したせいで緩んでいた戦場の空気が、あの絶望感が改めて戻ってくる。
「そいつの宝具『十二の試練』は蘇生魔術の重ね掛けだ、十二回殺されなければヘラクレスは倒せない。
更に言えば、そいつの体はBランク以下の攻撃を無効化する。
お前達にそれだけの攻撃手段が存在するかな、仮にしたとして止めの事実を教えてやろう。
既知の攻撃に耐性が出来るんだよ、よって同じ攻撃で二度そいつを殺すことは不可能だ。
要するに…お前達がヘラクレスに勝つには、Aランク以上の攻撃手段を十二種類用意して、十二回殺しきらなければならないのさ。
数々の難題を踏破し、多くの怪物を殺して伝説となった、その上で理性を失くし目の前の敵をぶち殺すだけの存在となった化け物をなあ!!
さあさあ、勿体ぶらずに教えてくれよ勇猛なる少年戦士君!!
今まで散々コケにしてくれた、かつてないほど苛立たせてくれたこの偉大なるイアソンの怒りを鎮めご機嫌を取るために、君は一体どんな見苦しい醜態で反省と後悔を示してくれるというんだい!?
聞くだけは聞いてやるよ、叶えてやる気はこれっぽっちもありはしないがなあ!!」
「黙れ」
調子が戻ってきてより一層うるさくなったイアソンの笑い声が、それよりも遥かに静かなものだった筈のたった一声で遮られる。
絶好調だった筈のイアソンが、なぜあのたった一言で静かになってしまったのか、ならざるを得なかったのか。
その理由は、先ほど危うく眉間を貫くところだった矢よりもよほど鮮烈に、この身を射抜き竦ませていった青い瞳を、直接目の当たりにしたイアソン自身にしかわからない。
「お前が辱しめているのは俺じゃない…お前自身が自慢に、誇りに思っているヘラクレスの方だ。
自覚して口を閉じろ、その回る口が自分の『能力』だっていう認識がちゃんとあるならな」
顔面を蒼白にして黙り込んでしまったイアソンに最後の一瞥をくれてやると、リンクは改めて目の前の脅威へと向き合った。
剣の柄を握る手にミシリと力が籠められる、手袋に隠された紋章が熱を持ち始めているのがわかる。
詳細までは流石に把握し切れていない歴代の各々はともかく、少なくとも自分にそんな性分は無かった筈なのにと、頭の冷静な部分では思いながらも…胸の、魂の内から込み上げてくる熱い衝動を、無かったことにして押し込めるなんて出来やしない。
(『リンク』という存在そのものが統一化した影響か……でもまあ、悪くない)
嫌いではない、楽しくない訳がない。
そうでなければ、今はもう『あの世界をゲームとして楽しんでいた』程度の朧な認識しか残っていない『前』の自分が、『あのゲーム』にあそこまで夢中になる訳がなかったのだから。
「ヘラクレス…あんたが人類史の中で、トップクラスの偉業と勇猛さを誇る大英雄だって言うのなら。
それを相手取ることが出来れば、それは、俺の力が多くの英雄相手にも通用することの証明になる訳だ。
生憎と、今のあんたは俺にとって、人理修復という道半ばに立ち塞がった障害物でしかない。
不遜ながら、踏み越えさせてもらう!!」
「行けリンク、新しい伝説作っちまえ!!」
「了解だ、マスター!!」
周りが止める間もなく、徐々に昂りを見せていた二人の闘志がついに爆発した。
気合いの一声と共に飛びかかってきた少年の鋭い剣戟を、ヘラクレスは斧剣で受け止め、咆哮と共に弾き返す。
体勢を崩すどころか吹っ飛ばされた少年の痩身は、虚空で器用に身を翻し…その全身を、彼自身の手の甲から迸った目映い閃光と膨大な力の奔流が包み込んだ。
思わず目を覆ってしまう程の眩しさの向こうに、一同は見た。
形は違えど、どの国、どの時代にも余すことなく伝わっていたとある『伝説』…そこに記され、描かれていた、形を持った女神の祝福。
後の世に万能の願望機と伝えられる、『黄金の聖三角』の紋章を。
「あ、あの紋章は……あのお方は、まさか!!」
余人と異なる耳を生まれ持った彼女は、幼少の頃よりとある『太古の民』の存在について聞かされることが多かった。
女神の声を余さず聞くための大きく長い耳を生まれ持ち、長い長い時を善なる女神と共に生きたのだという『古代ハイリア人』。
姫はその血に連なる者なのだろう、溢れんばかりの魔術の才能もきっと…そう言われる度に、彼女は恥ずかしく思いながらも嬉しかった。
伝説の『勇者』も『古代ハイリア人』だったのだ、憧れの英雄に近しい血を受け継いでいると言われて光栄に思わない訳がない。
(お会いできるのならば……もっと違う場所で、違う形で叶いたかった)
哀しそうに、悔しそうに…残念そうに息をつくメディアは、目の前の状況を誰よりも早く、冷静に受け入れていた。
「手の甲にて、黄金に輝く紋章……まさかあれは、あいつは、あの『伝説』の!?」
「マジかよ、俺はガキの頃あいつの物語を教本に育ったんだぞ!?」
紛れもない偉大な『歴史』や『神話』の存在である筈の自分達ですら、生きていた当時『伝説』として嗜んでいた物語の英雄が、抱いていた情景に相応しい『勇者』の目映さをもって眼前に降り立つ。
その『奇跡』をまともに受け入れ、噛みしめ、堪能することが出来た者は、残念なことにこの場には存在しなかった。