「タラスク!?」
「隙ありです!!」
騎獣の敗北に衝撃を受け、意識が逸れたその一瞬を逃さずに、ジャンヌはマルタの懐目がけて強烈な一撃を繰り出した。
咄嗟の反応で受け止めはしたものの、全く力が入れられてなかった杖を絡め取り、弾き飛ばす。
敢え無く手放され、そう簡単には拾えない位置まで飛んでいってしまった杖に、内心で拳を握ったジャンヌだったけれど。
武器を奪い、攻撃手段を失わせることは、通常の戦いならば確かに有効な戦法だったのだけれど。
残念ながら、生憎ながら、目の前の彼女は例外だった。
杖を失った拳を、未だ持っていたのならば潰していたのではと思わせるほどの勢いで握りしめ、杖よりも堅く速い凶器と化したそれを、開ききった瞳孔で振り抜いた。
それが嫌な音を立てながらめり込んだのは、状況自体があまりにも想定外だったことと、繰り出された拳のあまりの速さに、一切の反応が叶わなかったジャンヌの腹部。
呼吸を強引に止められ、一瞬で白んだ意識の端で、ジャンヌは自身の名を呼ぶマリーの悲鳴のような声を聞いた。
「武器を奪うという狙いそのものは、決して悪くはなかったんだけど。
……やったわね。やってくれちゃったわね、アンタ。
悪いけど私はもう止まらない、どうにか足掻いてこの拳を止めて見せなさ」
別人のようにドスが効いたマルタの言葉は、最後まで形となることなく止められた。
胸の辺りの、息を吐いて声を発するための器官が、何の前触れも無く潰されたことによって物理的に。
突如背後からその身を襲った衝撃に驚き、自身の血に濡れながら胸元から突き出した刃に納得したことによって、精神的に。
「…………ああ、しくったなあ。
最も気にかけておかなければならなかった人の存在を、いつの間にか忘れてしまっていた。
それだけ皆が頑張っていたってのもあるけれど、何よりも悪かったのはトチ狂っていた私の方ね」
「……謝りはしないし、悪いとも思っていない」
「当然よ、刺される瞬間まで気付けない見事な気配遮断だったわ。
清濁を併せのんで、目的の為にいい意味で手段を選ばずにいられるあなたと仲間達にならば、この後を安心して任せられる」
刃が引き抜かれ、堰を失った血が傷と口から溢れ出す。
意識が飛ぶような苦しみと、心からの安堵と満足感を抱きながらマルタが振り返った先にいたのは。
夜の森に容易く溶け込むと思われる暗色の布を頭から被り、ON・OFFの効くアサシンクラスの気配遮断ではなく、紛れもない彼自身の技量で以って息と気配を殺し、枝葉の中に溶け込み。
仲間の真の窮地まで、自身が振るう刃が真に必要とされるその瞬間まで、最後の切り札としてその身を隠しきったリンクだった。
『向こうで用意できるものに限りますけど、カルデアから多少の物資を送っていただけるそうですよ』
『リンク、何か欲しいものはあるか?』
『……濃い茶色か緑色、もしくは両方の色が混ざった布。
全身を包めるくらいのがいい』
『…………何に使うつもり?』
サークル設置が完了した昼間の内に頼み、夜になってから届けられた迷彩装備。
それをこんなにもいきなり使うことになるとは、リンクも流石に思っていなかった。
細かい嫌な音を立てながら、手にした剣の刃に走ったヒビが広がり。
数秒後に敢え無く柄のみとなってしまったそれを、砦の者達に申し訳ないとは思いながらも、最早いつものことだと早々に切り替える。
目の前で、自身の血に塗れた祭事服で、聖女のような笑みを浮かべるマルタは、既に体の端の方から粒子となって消え始めていた。
未だ苦しげに咳をしているジャンヌと、そんな彼女に肩を貸しながら気遣うマリー、少し離れた所からはタラスクの消滅を見届けた立香達も駆けつけてきて。
誰一人欠けずに乗り越えることが出来た一同で揃って、消滅間近のマルタと向き合った。
「……ありがとう、聖女マルタ。
あなたの試練のおかげで、エーテルの体を貫く感覚とコツを得られた。
次に奴らと戦う時は、前よりもずっと上手くやれるはずだ」
「頼もしいわね、あの恐ろしい筈の彼女が哀れに思えてしまう程に。
だけどまだ駄目よ、あなた達ではまだ足りない。
竜の魔女が操る竜に、あなた達は絶対勝てない」
紛れもない竜種であるタラスクを従え、それを自分達が打ち破るところを目の当たりにしていた筈なのに、マルタは『足りない』と断言する。
それが意味するものを考え、背筋に冷たいものを走らせた立香達へと、聖女マルタの導きは続いた。
「リヨンに行きなさい、かつてリヨンと呼ばれた都市に。
竜を倒すのは聖女ではない、姫でもない。
その役割を負う者は、古来から『竜殺し』と相場が決まっているわ。
最善なのは、竜どころか魔物・怪物の退治で名を馳せる英雄の源流たる、勇者様が剣を振るわれることなのだろうけれど。
……流石に、そんな過ぎた幸運を期待するわけにはいかないわ」
その言葉を聞いたリンクの表情が、居た堪れなさか申し訳なさで盛大に引きつったのだけれど、マルタの命を賭した献身に心を奪われていた一同が気付くことはなかった。
「タラスク、ごめん。
次は、もうちょっとまともに召喚されたいものね」
彼自身は正気だったのに、狂った自分に付き合わせてしまった申し訳なさと感謝が込められた言葉を最後に、ライダー・マルタは完全に消滅した。
「……聖女マルタ。
狂化に侵されながらも抗い、私達に道を示して下さったこと、心より感謝いたします」
「並の英霊ならば、話すことすら不可能だった筈。
彼女とは、もっと違う形でお会いしたかったです」
「ええ……とても穏やかで、同時に激しい人でした。
彼女が命を賭けて託して下さったものを、私達は引き継がなければならないわ。
リヨンという町に向かうこと、竜殺しのサーヴァントを探すこと、それが彼女が示してくれた次の目的。
とは言っても、今真っ先にやらなければならないことは他にあります。
私の宝具には回復の効果もあるの、継続して発動させるわ。
だから皆、今日の所はお休みなさい。
疲れて傷ついた体を癒して、また明日、元気になったら出発しましょう」
「妃殿下の心遣いに甘えた方がいいよ、精神的にも肉体的にも全員相当な痛手を受けているし」
「まあっ、まあまあリンクさん!」
「なっ……何ですか、いきなり」
「呼び方、それと口調も!
無事に終わったら、改めてくれると約束したのではなくて!?」
「………………そんなこと言いましたっけ、あの時のことは状況のせいか記憶が曖昧で」
「あの様子だと絶対覚えてるな」
《だよね。
えーっと、ちょっと待って。
映像記録を遡れば、あの発言も記録されてる筈……あったあった、再生するよ》
《『あーもーわかりました、後でいくらでも名前で呼ぶし口調も砕けさせますからとにかく今は行って下さい!!』》
「ちょっとドクター!?」
《これぞ決定的な証拠って奴だね》
「ほらほらリンクさん、約束は叶えるものですわ!」
「勘弁して下さい……」
夜が明ければ、竜殺しを探す旅路が始まる。
その前に僅かな間だけ許された、激戦を終えた一行が心身を休ませられる限られた時間は、楽しげな笑い声と共に過ぎていくのだった。