「リンクさん、私……以前話したあの件について、お答えすることが出来そうです」
砦の探索が一通り終わり、立香達の元に戻る前に一旦休むことにした頃合いで、不意にジャンヌが口を開いた。
怪物に襲われて破棄された砦の縁に腰かけながら、満天の星空を振り仰ぐという、浪漫なんだか無粋なんだか判断し難い微妙な状況で。
悩みも苦しみも、全てを吹っ切ったかのような笑顔でそう言ったジャンヌに、リンクは微笑みながらその先を促した。
「ジークフリートさんを連れてリヨンから撤退する際に、フランス兵を襲う飛竜達と交戦しましたよね」
「ああ……ジャンヌは兵士達を守ろうと一生懸命だったのに、当の彼らは、ジャンヌを魔女の方だと思い込んでの恨み節で。
ジャンヌがまた落ち込んでるんじゃないかって、立香達が心配していたな」
「……あの時、私は嬉しかったのです」
自分の発言が、あの状況でそう感じたことが異様であることくらい。
立香やマシュ達に聞かれていたら、心労が重なったせいでおかしくなってしまったのではないかと心配をかけさせてしまっていたことくらい、ジャンヌにはわかっていた。
実際に、同席していたマリーは、驚いて目を剥いてしまっていたことだし。
だからこそ嬉しかった。
今のたった一言で、ジャンヌが何を感じ、そして思ったのかを察したリンクが、その『普通』からずれた感性と価値観を笑って受け入れてくれたことが。
「彼らには魔女を、私を恐れ打ちひしがれるのではなく……憎み、その激情を糧に立ち上がる気力があった。
ならばいいかなと、私を憎むことで彼らが生きてくれるのならば構わないと、そう思って安心しました。
……そして気付きました。
生前の私もそう思った、だからこそ恨まなかったのです」
ただの田舎娘だったジャンヌ・ダルクが立ち上がったのは何故だったのか、一体何がしたかったのか。
そんなリンクの問いかけに、今ならばこう答えよう。
神の声を聞き、その託宣を成し遂げた聖女となりたかった訳ではない。
救国の英雄としての、富や名声が欲しかった訳でもない。
自分は、ただ救いたかった。
フランスに、生まれ育った故郷に、愛する人々に、平和をもたらしたかった。
あまりにも長く続き過ぎてしまったせいで、人々の中で当たり前になってしまっていた戦争を終わらせたかったのだと。
神のお告げは、常々抱いていたその想いに自信を与え、成し遂げる決意を抱くためのきっかけに過ぎなかった。
「刑に処される私に、主が救いの手を差し伸べて下さらなかったのは当然ですね。
だって私は、主のお告げを信じて、主のために戦った訳ではなかったのですから。
私の全てはフランスの、民の……それらを救いたいと願う、私自身のために捧げられました。
……主を冒涜する、罰当たりな魔女という人々の言い分は、ある意味正しかったみたいです」
「ジャンヌ、それは……」
「心配しないでマリー、自虐している訳ではありません。
むしろスッキリしています、『ああ、そうだったんだ』って。
そもそも常日頃から、私は聖女なんかではないとは思っていましたからね」
火刑に処された最期を悔やまなかったのは、フランスに平和をもたらすという、生涯の目的を既に成し遂げていたから。
裏切られたことを恨まなかったのは、賞賛や褒賞が欲しくて戦っていた訳ではなかったから。
故郷に、家族の元に帰れないことを嘆かなかったのは、自分自身の譲れない望みのために全てを賭すことを、二度と戻れない覚悟を既に決めていたから。
裏切られ、報いられず、罵声の中で炎に消えた……『恨んでいない方がおかしい』と誰もが口にするような無残な最期に、自分は本当に満足していたのだ。
願ったことを願った通りに成し遂げていたから、何よりも欲しかったものを手に入れていたから。
これが『ジャンヌ・ダルク』の生き様だと、私は誰も何も恨んでなどいないと。
今の自分は、胸を張って、心からそう言える。
……だけど、だとしたら。
「あの魔女の私は、一体どういうことなのでしょう。
彼女に相まみえた時、私は、『あれは私ではない』と強く思いました。
あの時は、私の中に憎しみや復讐心などというものがあったことを認めたくない一心で、必死に否定しているのだと思ったのですけれど。
今の私は違います。
彼女を『違う』と思ったのは、認めたくなかったからではなく、本当に覚えが無かったからだということを。
私の最期に、彼女という存在を生み出してしまうような憎しみなど欠片も無かったことを、自信と誇りを以って確信している。
……だけど実際に彼女は存在し、憎悪の炎でフランスを焼いている」
「……あの時私は、アマデウスと一緒に隠れて様子を見ていただけで、魔女さんと直接相対した訳では無かったのだけど。
リンクさんが仰っていた『八つ当たり』という表現に、酷く納得したのを覚えていますわ。
自分でもどうしようもない、お腹の底から湧き上がるかのような熱い衝動を、目につくものに辺り構わずぶつけてしまっているかのよう。
…………ああ、わかりました。
そうよ子供、彼女は癇癪持ちの子供だわ。
フランスの国という遊び場を、竜という玩具を与えられて、ここではこうやって、これはこう使って遊ぶものよと教えられて、その通りにしているだけの子供なのです」
マリーが絶対の自信を持って断言したその考察は、『誰も何も憎んでいない』というジャンヌの発言並みに、理解し難く突拍子もないものの筈だったのだけど。
リンクとジャンヌがその生涯で知り得なかったもの、『親』としての経験と知見を有した上でのマリーの言葉は、存外の説得力を持って受け入れられた。
「復讐に堕ちたジャンヌ・ダルクが自然に生まれることはあり得ない、だけど現実に彼女は存在している。
ということは、何者かの不自然かつ意図的な干渉が、彼女を作り出したと考えた方が自然だろう。
……つまりその何者かが、彼女を作り出し復讐を教えた『親』こそが、真の黒幕だ」
「一体、誰がなぜ、どうやってそんなことを……」
「現状でいくら考えを巡らせても、それはただの憶測に過ぎませんわ。
実際私も、彼女が子供だという持論には自信を持っていますけれど、根拠は勘に過ぎませんもの。
証拠を示せと言われれば、確かなものは何も無くて困ってしまいます」
「……今のところはここまでか。
ここから先を考える為には、何か別の、新しい情報が必要になる。
このまま決戦の準備が整っていけば、向こうと接触する機会は必ず出てくる筈。
その時にまた、今度はもっと思い切って深いところまで突っ込んでみよう。
ジャンヌ、次は庇わなくても大丈夫だよな?」
「はい、ありがとうございます」
「リンクさん、少し宜しくて?」
「どうか致しましたか?」
「ああもうっ、リンクさんったら!」
「何ですかいきなり!?」
「口調、改めて下さるのではなくて!?」
「…………あー。
申し訳ありません、努力するのでもう少し猶予を頂けますか?」
「約束ですからね」
そう言いながら形作られた、光のように眩く、花のように愛らしいマリーの微笑みを受けて。
内心の奮闘も虚しく遂に陥落したリンクは、彼女の名を呼んで砕けた口調で接するために、彼女の望みを叶えるために、ポーズだけでなく本気で頑張ることを大きなため息と共に決めたのだった。
「愛され王妃様、恐るべし……」
「ですね」
項垂れながら思わず呟いたリンクと、それに苦笑いで返したジャンヌは、敢えて何も言わずともお互いの心境を察していた。