成り代わりリンクのGrandOrder   作:文月葉月

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『ゼル伝』が人理に与えた影響 インド編

 

 原典(マハーバーラタ)をきちんと読んだ訳ではありません、どのようなイベント、経緯が二人の間やその周囲にあったのかをある程度把握しているくらいです。

 多少の齟齬や思い違い、解釈違いがあるかもしれませんが、ご了承ください。

 

 

 

 

 

 原典における二人の因縁は、上流階級出身者対象の弓の競技会に飛び入り参加して大変な結果を叩き出したカルナが、その上で自身と同等(断トツ)だったアルジュナとの決闘を望んだものの、『自身の身分を明らかにする事すら出来ない、どこの誰とも知れない者が何を馬鹿なことを』とあしらわれて叶わなかったことから始まったとのこと(拾われ子でガチでどこの誰とも知れない上に、育ての親も御者という下級層の出身でしかなく、流石のカルナも何も言えなくなってしまった)。

 そこで唯一、『たかが身分如きに目が眩んで素晴らしい戦士を辱めるとは何と愚かしい』と言ってくれた、『彼がクシャトリヤ(王族)ならいいんだな』とその場で着飾らせた上で就任式みたいなことまでしてくれたドゥリーヨダナ、アルジュナを含めたパーンダヴァ五兄弟と後に敵対することになる男に感謝したカルナが、彼に生涯の友情と忠誠を誓ったことで、未来の敵対関係が確定してしまった時でもあった(着飾られたことで本物の王侯貴族並みの風格を醸し出したカルナに、居合わせた者達は一瞬ガチで感心しかけたものの、息子の晴れ姿に感激した父が思わず駆け寄ったために出身がバレてしまった。一転して嘲笑と蔑みの雨を浴びせられることとなったカルナへの仕打ちにドゥリーヨダナは本気で怒り、心底気に入った彼をそのまま連れて行き、一生の親友となった)。

 

 『ゼルダの伝説』の存在の影響がまず出たのは、鍛冶屋の孫だったり牧童だったり、どこの誰とも知れないみなしごだったりと、まともな『身分』があったことの方が圧倒的に少ないリンクの活躍に幼い頃から憧れていた、今現在騒いでいる連中のように身分を笠に着ることなく、この逆境の中で臆することなく、己の実力を確かな行動のみで示してみせた彼こそが真の『勇気ある者』だと思い、そんな彼が他でもない自分を求めてくれたのだということに感激したアルジュナが、自身もまた『勇気』を出してカルナという人と自分自身の本心を認め、『身分など関係ない、私もあなたと勝負をしたい』と口に出来たことだった。

 当人の意思と希望をよそに周りが騒いだことで結局は叶わず、カルナもドゥリーヨダナの下へと行ってしまったのだけれど、去り際にカルナはアルジュナへ感謝の言葉を告げ、また会って勝負をしようという約束と共に二人は別れた。

 

 

 

 

 

 クシャトリヤでありながらどこの誰とも知れない男に敬意を払うアルジュナに、周囲は善意から『思い直せ』『お前らしくない』といったことを口にする。

 『皆が認める理想の英雄(良い子)』でいようと努め続けたFate原典のアルジュナだったら、ここで周囲の期待に応えようと自分を諫めたのだろうけれど。

 既に一度思い切ることが、心の殻に穴を開けることが出来ていたこちらのアルジュナの気持ちは、別方向に動いた。

 子供の頃から本人も気づかないまま溜め込み続けていたものが、いずれ黒い自分を生み出していたであろうストレスが風穴から爆発して、遅めの反抗期に突入。

 

 取るものも取りあえず殆どその場の勢いで家出をしてしまった彼は、『良い子』であり続けるために誰にも言うことなく諦めていた、勇者のように旅をしてみたい、腕試しをしてみたい、広い世界を見てみたいという幼い頃の夢を叶えることになる。

 例え反抗期真っ只中だとしても、旅先から小まめに手紙を出す揺るぎなき良い子。

 そんなアルジュナに甘えて押さえ過ぎていた、与えていたつもりが求め過ぎていたことを自覚した家族は反省し、彼が手紙に記して送ってくれる冒険譚の続きを楽しみにしながら、彼の生まれて初めての我がままを温かい目で見守ることにした。

 

 そんな旅路の中で、思いがけずカルナに再会。

 勝負の約束はしたものの出会い頭に殺し合うような因縁は無く、むしろお互いに好印象を持っていたために、素直にそれを喜び合う。

 約束通り技を競った二人はお互いへの尊敬を一層高め合い、『あなたともっと勝負をしたい、色々なことを共に経験してみたい』という、本人からすればあくまで希望を口にしただけだったアルジュナの求めに応じる形で、カルナが彼の旅路に同行することになる(求められたから施したのではなく、生まれて初めて、自分自身の確かな意思と希望でそうしたかったのだということを、カルナは後に自覚する)。

 戦いの技だけに留まらない様々な競い合いを日課にしながらの、人助けをしたり、恐ろしい魔物を倒したり、人の手の及ばない秘境へと挑んだり、大変な苦行や苦難を共に乗り越えながらの二人旅は、それだけで抽出してひとつの物語にされるくらいの、マハーバーラタ前半の一番の見所となる。

 

 

 

 

 

冒険譚の妄想例

 

 

 神へ生贄を捧げる風習に縛られていた村に辿り着き、その現場に立ち会ったことで『生贄なんてものを要求する上に、碌な見返りも寄こさない神などもはやただの魔物だ!』と激昂したアルジュナが、『実質魔物とはいえ分別上は紛れもない神なのだから下手に殺しなどしてはまずい』というカルナの言葉と制止を振り切り、生贄の娘の身代わりとなる形で神(魔物)の下へと乗り込んだ(英雄譚の鉄板ネタのひとつである、美しい青(少)年が女装して大活躍の逸話の一端)。

 完全に油断しているところに強烈な一射を食らわせてはやったものの、やはり神の端くれなだけあって相応に手強く、徐々に追い詰められた挙句に窮地に陥ったアルジュナの下に、神への強力な特効武器を手にしたカルナが駆けつけた。

 その武器が、自分の仲間達が彼に与えたものであることを察した神は、激昂しながら一体何をしたのかをカルナに問い質し、その問いに対してカルナは、アルジュナを止めることに失敗してしまった後に急いで(普通なら数日かかるような険しい道のりを不眠不休で駆け抜けて)神々の下へと乗り込み、仲間が生贄などという碌でもないものを要求していることと、それをずっと見過ごしてきたことへの了見を問い質し、神としての矜持がまだあるのならば相応の対応と誠意を見せろと要求をしたところ、『かの者はもはや同胞ではない、例え殺したとしてもその件で我々が報復するようなことはない』という明確な見解と言葉、更には今回限り、使用後にすぐに返すという条件で武器を与えられてきたことを明らかにした。

 お墨付きを得た上で神殺しの偉業を見事成し遂げた後、強大な敵だからこそしっかりと根回しをして準備を整えるべきというカルナの真意に気付けず、ただ単に臆したものとばかり思って一人で勝手な行動を取ってしまったことを詫びたアルジュナに、カルナもまた自身の言葉足らずを謝り、強大な敵と知りながらも立ち向かい、自分が駆け付けるまでの時間を稼ぎ切ってくれたおかげで生贄となる筈だった娘を含めた多くの者が助かったのだと、彼の勇気と健闘を讃えた。

 

 他にも、近頃やけに評判な二人組の信頼関係を玩んだ上にぶっ壊してやろうと企んだマーラ(カーマ)が片方を攫って閉じ込め、残された方が突然消えた相方を必死になって探していることを把握した上で、『もう諦めた』『もう見捨てられた』と証拠(捏造)込みで攻めても『あいつはそんな奴じゃない』の一言であっさりと跳ね除けられ、ならばともう片方に渾身の妨害工作を施してみれば全て粉砕され、その後二人がかりで情け容赦なくボコボコにされたことが完全にトラウマとなり、カルデアで鉢合わせた折には『ひいいいいっ、カルデアにはあいつらまでいるんですか!? もうやだ私帰ります!!』となる……などというのも考えました。

 

 カルナの実家にお邪魔して友人としてご両親に挨拶したり(された方はアルジュナの正体に気付いて心臓が止まる思いをした)、念入りに変装した上で馬の世話や御者の仕事を手伝わさせてもらったり、疑似体験した下級層の生活に色々と複雑なものを感じたり、ということもあったかもしれません。

 

 両親を手伝って馬の世話をする毎日の中で、オカリナの音で愛馬を呼ぶ勇者の姿に憧れた幼き日のカルナが、自身が作った素朴な笛を自己流で奏でつつ馬達に聞いてもらう日々を送ったところ、大人になった頃にはその音色に猛る獣を宥めさせる効果が付与されるまでに洗練されて。

 暴れまわって危険だという理由で咎なく退治されようとしていた猛獣と、それによって害を被っていた人間の両方をそれによって救ったという逸話があって、カルデアにおいても、ロボを落ち着かせられる貴重な人材を担っているとか。

 ……まあ、この辺りは願望重視の妄想ですが、だとしても笛は奏でさせたい。

 一見して無粋な戦士が、ふとした瞬間に何気なく垣間見せる美しく繊細な技と姿というギャップが好きです。

 

 

 

 

 

 そんな日々が続いたある時、アルジュナの兄弟達とドゥリーヨダナの仲がますますもって険悪になり、彼らはお互いに、相手勢に対抗するために頼れる仲間に招集をかける。

 カルナとアルジュナはそれを共に受け取り、突然のことに躊躇いながらも、愛する家族や恩ある親友の助けを求める声に応じないという選択肢は無く、落ち着いたらまた会おう、また共に競い合い、また旅にも出ようと約束して別れた。

 

 

 

 

 

 いがみ合い、罵り合い、傷つけあう両陣営で、家族や友のために貢献しながら、『何とか和睦できないか、互いに譲り合うことは出来ないか』と考えることをやめられないカルナとアルジュナ。

 機を見て話を持ちかけてはみるものの、互いにもはや利益ではなく私情や面子の問題となってしまっていて。

 優れた戦士である彼らならば個人の情よりも大局を選べる筈という信頼から、パーンダヴァ兄弟もドゥリーヨダナも、弟や親友の言葉を悪いと思いつつも却下し続けた。

 そんな彼らの思惑通り、内心ではどう思っていようとも、いざ公の場となれば容赦なく(そんな余裕を持てるような相手では無いことをお互いが一番よく分かっているし、不甲斐ない姿を絶対に見せられないとお互いに思い合っている)激突し合う二人の勇姿とそれを目の当たりにした者達の恐れが、両陣営の敵対心を更に煽る悪循環となっていた。

 

 しかしそんな状況の中でも、幸いにも彼らは完全に孤立しているという訳ではなかった。

 『傷つけ合うこと、奪い合うこと、大切なものがどんどん失われていく負の連鎖をやめようと言っているだけなのに』と、分かり辛く落ち込みながらのカルナの愚痴を、アシュヴァッターマンは日々受け止めていたし。

 恐るべき敵将となってしまったカルナとの思い出を、未だ欠片も損なわれていない彼への尊敬と信頼の気持ちを優しく微笑みながら聞いてくれる母と過ごす時間は、その頃のアルジュナにとっては貴重な癒しのひと時だった(もう一人の息子への想いを、日々募らせてしまっていたことなど知る由もなかった)。

 

 パーンダヴァ兄弟からしても、アルジュナが旅先から送ってきた手紙を読んで、又は本人から聞いたことで、直接会って話したことが未だ無いことが不自然に思えるレベルで、分かり辛いながらも疑いようもなく誠実な人柄を知っていたカルナに関しては、立場上公言出来ないだけで結構な好感を抱いていたし。

 ドゥリーヨダナもまた、自分よりも先にカルナを認め、周りからどんなに窘められようとも、彼への尊敬と信頼だけは決して偽ることなく貫いていたアルジュナに関しては、他の兄弟達のように嫌ってはいなかった。

 カルナとアルジュナがめげることなく訴える話し合いと歩み寄り、それに対する妥協案として、『カルナ(アルジュナ)個人に関しては、こちら側につく気があるのならば受け入れてもいい』と両者共に提案したところ……『それは私(オレ)に、家族(親友)を裏切れと言っているのと同じことだ!!』とブチ切れさせてしまった。

 

 追い縋る手を払いながら自室に戻り、時間の経過によって冷えてきた彼らの頭の中に、先程の提案が響き渡る。

 怒りは心からのもので、発言だって撤回するつもりはないのに。

 旅の頃のように、誰に憚られることなくまた共に過ごせるようになるかもしれないという抗いがたい魅力から、『こんな提案をされたんだけど』ということを伝えるくらいならばいいのではないかと思って認め始めた手紙が、半分ほど書けた頃。

 恐る恐るといった様子でやって来て、一生懸命に謝り、機嫌を取り、許しを請いだした、しばらく顔も見たくない筈だった兄弟(親友)の姿に思わず笑みを零しながら、『捨てるなんて出来る筈が無い、それはお前も同じだろう?』と書きかけだった手紙を棚の奥底にしまい込み、手を付けることは二度となかった。

 それが発見され、板挟みにされた彼らがどれだけ悩み苦しんでいたのかを一同が改めて思い知り、もはや取り戻せないものを悔やむことになるのは、まだずっと先のこと。

 

 

 

 

 

 そんな日々の果てに、ついに迎えてしまった開戦の前夜。

 陣地をこっそりと抜け出した二人は、再会を喜び、何のしがらみも無い個人として向き合えるのがこれが最後だということを嘆き、果たせなかった約束を心から惜しみながら、新たな約束を交わし合う。

 『戦士として全力を出し合うことを誓う、お前(あなた)を殺すのはオレ(私)だけだ』と。

 そうして泥沼の戦争が始まり、何度か相対する機会がありながら、約束通り本気の戦いを繰り広げながらも、二人が決着をつけることは出来なかった。

 

 そんな時に、アルジュナの母がこっそりとカルナの元を訪れた。

 自身の息子達と敵対している勢力の真っ只中で、動揺して言葉を詰まらせる彼女を急いで保護したカルナは、あなた方のことをアルジュナから聞いていたと、彼は愛する家族のことをよく話してくれて、おかげで初めて会った気がしないと……とりあえず落ち着かせようと思って振った話題で、何故か逆に声を上げて泣き出してしまったことに慌てたカルナは、次の瞬間息を呑んだ。

 彼女は自分がカルナの本当の母であること、望んだ神の子を授かれるという能力を若気の至りの好奇心で試した結果、未婚かつ結婚を控えていた身で産んでしまった挙句に手放さざるを得なかった最初の子が、他でもないカルナなのだということを明かして(その結婚相手が子供を作ると死んでしまうという呪いに苛まれていたため、夫公認で能力を用いて神の子達を産んだ)。

 兄弟で殺し合うのをやめて欲しい、今からでも遅くないから家族で共に暮らしましょうと。

 私のことを憎むのは構わない……けれどアルジュナが、弟が可愛いのならば、どうか聞き入れてほしいと懇願した。

 

 原典においてカルナは、血縁の情に訴えながら弟達を殺さないで欲しいと懇願する母親に対して、『母の頼みならば仕方ない。宿敵のアルジュナは流石に無理だが、他の兄弟を殺すことはしない』と誓ったのだけれど。

 こちらのカルナはその言葉に、あまりにも強烈過ぎて自分でもそうと認識できなかったほどの大ショックを受け、明確な返事が出来ないまま母を帰すことになってしまった。

 最後の瞬間に、『会いに来てくれて嬉しかった。産んでくれて……一思いに殺してしまった方が面倒が無かったであろう赤子を、わざわざ生かしてくれてありがとう。おかげで俺は幸せだった』とだけを何とか告げて。

 

 その後、父たる太陽神に祈りを捧げるための、大切な日課である筈の沐浴を殆ど惰性で行ないながら呆けてしまっていたカルナの下に、息子を勝たせる(死なせない)為にカルナから黄金の鎧を奪うべく、人間に変装した雷神インドラが現れる。

 乞われたものを施さずにはいられない性分を利用しようとした思惑をカルナは見抜いたのだけれど、構わず彼は肉と同化していた鎧をナイフで剥ぎ取り、インドラに渡した。

 その時カルナの中にあったのは、誰が相手でも、どんな時でも自分らしくありたいという矜持ではなく、むしろその逆。

 不死身の鎧を失い、自身の皮とも言えるそれを剥いだことで重傷を負い、数多の呪いに苛まれた現状であれば、『全力を出す』という約束を破らないまま、弟を生かすことが出来ると。

 戦士としてではなく兄として最期を迎えることを選んだ彼は、心から安堵していた。

 そんなカルナの想いを知ったインドラは、鎧を奪うための口実的な意味合いが殆どだった槍を本当の意味で彼に与え、息子の兄である彼もまた、自身の息子であると認めたのだった。

 

 

 

 

 

 そんなことがあったなどと知る由もないアルジュナは、カルナとの約束を守るべく戦場を駆け、そして見つけてしまう。

 形を持った太陽神の加護を失い、彼でなければとうに死んでいたであろう重傷と幾重もの呪いに苛まれながら、動けなくなってしまっていたカルナの姿を。

 今すぐにでも駆け寄って彼を助けたいという個人の想いと、ここは戦場で彼は敵なのだという公の戒めと、全力を出して必ず殺すという約束に雁字搦めになりながら、震える手で弓を構えるアルジュナ。

 原典では、迷いながらも最終的には放つことが出来たその矢を、こちらのアルジュナは延々と躊躇い続けた。

 彼と共に過ごした、人生の中で最も楽しく輝かしかった日々の思い出が、いくら掻き消そうと努めようとも次から次へと思い浮かび、溢れる涙となって視界を奪う。

 

 どんなに優れた戦士であろうとも、戦場の混沌で長々と平常心を失ってしまえば、それはもはや命取り。

 敵のものか味方のものかも分からない、気持ちが逸るままに適当に放たれて、撃った当人ですらどこに飛んで行ったのか把握していないような完全な流れ矢が、周りが完全に見えなくなってしまっていたアルジュナへと突き刺さり。

 その衝撃で、震えながらも確かに矢を番えていた手の力が抜け、彼が放ったものとは到底思えないような弱々しい鏃が、負傷や呪いとは関係なく動けなくなってしまっていたカルナへと向けて飛んでいった。

 

 

 

 

 

 天を裂く雷のような、天ではなく心を裂くような悲痛な絶叫が戦場に轟き、戦いの狂気に陥ってしまっていた両陣営の戦士達に正気を取り戻させた。

 彼らが思わず振り返った先にあったのは、胸に矢を受けながら倒れるアルジュナと、同じく矢を受けた身で、爪が割れて血が滲む指先で地を削りながら、体が這いずった跡におびただしい血痕を残しながら、そんな彼へと懸命に手を伸ばすカルナの姿だった。

 

 

「すまないアルジュナ……俺が間違えた、俺は腑抜けてしまった。

 お前が弟であると知って、殺したくないと、死なないでほしいと、生きて幸せになってほしいと望んでしまった。

 そうして、血迷った結果がこれだ。

 戦士アルジュナに最期をもたらしたのが、誰が撃ったとも知れない流れ矢だと……?

 俺が殺してやりたかった、殺してやるべきだった。

 戦士としての全霊で以って……誰よりも誇り高い最期を、お前に与えてやりたかった」

 

「…………そうだったのですね、道理で他人とは思えなかったと。

 カルナ、兄上………無念なのは私もです。

 このアルジュナの矢が、あなたに最後に撃った矢が、あなたを殺した矢があんなものだなんて到底認められない……認めたくない。

 こんな口惜しさを抱きながら逝くなんて……あの時迷うのではなかった、生涯最高の一射で以ってあなたの首を断つべきだった、それを手向けとしたかった」

 

 

 当たり所が違う意味で悪かった為の、死ぬに死ねない地獄の苦しみの中で。

 固く手を握り合いながら、命尽きるその瞬間まで、『また会おう』『また戦おう』と約束を交わし合った兄弟。

 太陽が泣いているかのような雨と、慟哭にも聞こえる雷の下で、陣営を問わない多くの戦士達が、その誇り高くも哀しい最期を前に涙を流していた。

 

 

 

 

 

 兄弟の父達の嘆きを妨げないようにと、太陽が隠れ、雷が鳴っている間はという条件で、戦争は一時中断された。

 死してなお、固く手を繋いだままの二人の遺体を共に安置する為に設けられた、中立の非戦闘地帯にて、完全に冷たくなってしまった兄弟の体に縋りながら泣き続ける母親の姿があった。

 彼女だけでなく、陣営を問わずの多くの者達が誇り高き戦士を悼むためにその場所を訪れ、魔物のように恐れていた敵将の真の人柄を、自陣営でどれだけ慕われていたのかを、二人が激闘の裏で停戦と和睦を訴え続けていたことを知り、聞く耳を持たないまま彼らを失うところまで来てしまった自分達の愚かさを悔やんだ。

 大切な兄弟を、親友を失ったことでようやく冷静になれたパーンダヴァ兄弟とドゥリーヨダナは、彼らが生きているうちに叶えてやることが出来なかった話し合いをようやく行うことが出来た。

 

 丸一日の停戦の後に再会された戦争、その戦場には、もはや狂気も混沌も無かった。

 怒りと憎しみのままに殺し合うのではなく、二度と取り戻せないもののために更に奪い合うのでもなく、始めてしまったものを終わらせるための戦い。

 誰が死んでも遺恨は残さず、全ての因縁をこの戦場で終わらせる。

 どちらが勝っても、カルナとアルジュナを共に丁重に弔うことを誓い合った両者は、狂気ではなく誇りを、あの二人に胸を張りたいという思いを胸に、最後の戦いに臨んだ。

 

 そうして勝利したパーンダヴァ兄弟は、愛する兄弟と、彼から話を聞くばかりで、密かに憧れるばかりでついに語り合うことが出来なかった長兄の為に立派な神殿を造り、二人を対の戦神として祀った。

 カルナとアルジュナの死に様が戦士達に誇りを取り戻させ、戦場に秩序をもたらしたおかげで非道な夜襲を行わずに済んだアシュヴァッターマンは、戦後この神殿に腰を据え、祭司として、友として、彼らの為に祈り続けた。

 

 

 

 

 

アシュヴァッターマンのマイルーム会話

 

「カルナ、それにアルジュナじゃねえか、あいつらまでいんのか!!

 そうか、今は一緒にいるんだな………そうか、そうか、良かった。

 ……ちょっ、何言ってやがるんだマスター、誰も泣いてねえよ!!」

 

 

 

 

 

 その後インドの戦士達には、戦いを始める前に、そこに不正や余計な思惑が無いことを、戦士としての誇りを忘れないことを兄弟神に宣言し、全力を尽くすことを誓うという儀式が伝えられて行きました。

 それは現代のインドにも形を変えて残っていて、戦いに限らず、スポーツなど何かしらの勝負ごとに真剣に取り組む際には、その旨を彼らに誓うという風習があります。

 不正の有無や真剣味を疑う際に、『それをカルナとアルジュナに誓えるのか?』みたいな言い回しをすることも。

 『カルナ派?アルジュナ派?』みたいな定番の話題ネタがあったり、抜粋された二人旅の物語だけを読んでその冒険譚に夢中になった人が、その後の彼らについてを調べてしまって撃沈したりなどの、インド人あるあるネタを妄想しました。

 胸躍る冒険譚、慕い合っていながら時勢に裂かれた悲劇の兄弟、自分達の命を以って戦争を終わらせた英雄、神として祀られて現代でも多くの信仰を得ているという諸々の要素が付加されたことで、原典よりも知名度UPしています。

 

 

 

 

 

 それと個人的に、クー・フーリン(キャスター)の狼とか、アスクレピオスの蛇とか、最終再臨の絵にだけ現れるような動物の眷属とかいたらカッコいいなあと思いまして、追加で考えてみました。

 

 旅の途中で親を失った仔虎の兄弟を拾って可愛がっていた二人が、別れ際になって『兄弟を離してしまうのは可哀想だ、どちらかがまとめて引き取ろう』と寂しさを堪えながら話し合っていたところ、兄(しっかり者)がアルジュナに、弟(甘えん坊)がカルナにそれぞれ擦り寄った。

 虎達に気を使わせてしまったと、苦笑しながらも嬉しかった二人は、『この子達を再会させてあげる為にも、必ずまた会おう』と改めて誓い合い……そして結局、兄弟虎の再会が叶ったのは、彼らが立派な大人になった後。

 悩み、苦しむさまを傍で慰めることしか出来なかった主達の、遺体の傍らでのことだった。

 

 正式な弔いが行われるまで遺体に寄り添い続け、兄弟の神殿を守りながら寿命を迎えた彼らはその後、神使として認められて天上の主達の下に無事に辿り着けたとされている。

 兄弟神の神殿では現代でも御使いとして虎の飼育を続けていて、絵や彫刻で二人の戦士と二頭の虎が描かれていれば、それはカルナとアルジュナを描いたものだろうと解釈されるのが通常の流れとなっている。

 霊基の再臨と強化を続けることでカルデアでも顕現させることが出来るようになり、人の側で生活できるようにしっかりと躾けられた人懐っこい良い子達なので、全身で抱き着けるモフモフ枠として大人気。

 カルナとアルジュナの死後、寿命を迎えるまでの面倒を看てくれたアシュヴァッターマンには、もう一人の主人として特別に懐いている。

 

 

 

 

 

 サーヴァントになってからに関してですが、カルナは一見したところはあまり変わりません。

 乞われたら応えずにはいられなくて、義理堅くて、口下手で、天然で。

 だけど内面はずっと人間味が出ています、『頼まれたから』ではなく『自分がしたいから』、『喜んでもらえるのが嬉しいから』という想いがあることを自覚しています。

 施しの結果大失敗したことも忘れていないので、乞われたからと何でもかんでも与えたりせず、本当に与えていいのか、後で何か悪いことにならないかときちんと考えたり、周りに相談だってします。

 それでも『駄目』の判定条件が酷く緩いので、結局は『施しの英雄』です。

 

 アルジュナはかなり変わります、オルタのプロフィール曰く素のアルジュナは穏やかで素朴な性質の持ち主であり、弓のアルジュナが一見固いのは、完璧であろうと常に気を張っているからとのこと。

 そこに至るための、『完璧な英雄』への脅迫観念というべき義務感が既に解消されている上に、戦争時ではなくカルナと共に旅をした頃を最盛期と認識しているので、原典に比べて若い姿と心で現界します。

 好奇心とチャレンジ精神が旺盛で、立香とは最初こそ主従だけど絆が上がるごとに友人的な心の開き方をするようになる、メイヴや女神達も舌を巻く天然のおねだり上手です。

 おかずを一口とか、余っていたものをひとつだけとか、細やかなお願いを叶えてあげるだけで本当に嬉しそうに笑う(物の価値の問題ではなく、甘えや我がままを許してくれること自体が嬉しいから)ので、撃墜された保護者勢が更に気合いを入れて甘やかし、『英雄』を期待されているのではなく純粋に愛してくれていることをきちんと信じられるのでそれをまた笑顔で喜び、更なるループに繋がるという、正しく『授かりの英雄』です。

 

 聖杯戦争で召喚された際の彼らの願いは、今一度戦い、あの無様な最期を払拭させられる形できちんと決着をつけること(払拭したいのが『自分』ではなく『相手』の死に様だという辺りが肝心)。

 しかし、それはあくまで『出来れば』なので、他に優先すべきことがあればきちんとそちらを選べるし、切実な願いを抱く者がいれば聖杯を譲ることも吝かではない。

 共闘だろうと、敵対だろうと、再び会い、どんなに短くとも同じ時をまた共に過ごせさえすれば、彼らの本当の願いは既に叶っているから。

 

 

 

 

 

 この設定のアルジュナがFate原典のアルジュナと会いでもしたら、もの凄いガチの殺し合いに発展しそうです。

 こちらのアルジュナは、原典のアルジュナがきちんとカルナに引導を渡せたことを、首を飛ばしたほどの見事な一射を食らわせてやれたことを心から羨ましがるでしょうし。

 原典のアルジュナとしても、卑怯な矢を放たずに済んだことに対して同じように思うでしょうし。

 更に言えば、そんな風に思ったこと自体が、お互いに対しての最大の地雷かつ逆鱗なわけですから。

 

 

 

 

 この世界観におけるLB4は恐らく、最後の流れ矢がアルジュナではなく、カルナの方に飛んで行ってしまったIFなのでしょうね。

 助けたいという個の願いも、この手で殺すという約束も果たせないまま、独り戦場に取り残されてしまったアルジュナの孤独と絶望は、果たしてどれ程のものだったか。

 最終戦にてようやくカルナを認識し、人間性を取り戻したことで、彼と共に過ごした頃の面影が失せて異形と成り果てた自分と、そんな自分が今まで何も感じることなくやってきたことまで自覚し、それら全てをカルナの前に晒してしまったことに気がついたせいで恐慌状態に陥ってしまい。

 空想樹どころか、異聞帯そのものや自分自身まで崩壊させかねない勢いで、形振り構わず力を揮いだした(アルジュナ)を救うべく、彼が見られたくないと思っていることを承知した上で、それでも真っ直ぐに見据えながら槍を構える(カルナ)

 

 

「………随分と長い間、独りで待たせてしまってすまなかった。

 あの時の約束を、今こそ果たそう」

 

 

 そうして、数千年越しの約束を叶えたカルナは、もう終わった、もう十分だ、よく頑張った、ゆっくり休めと、何度も何度も優しく繰り返しながら、霊基の最後の一欠けらが消滅するその瞬間まで、神たるアルジュナを抱きしめ続けた……という流れを考えてみました。

 このカルデアにオルタが来れば、もう充分頑張ったのだからと、これからはずっと楽していいんだとベッタベタに甘やかして何から何まで世話を焼こうするカルナ兄さんに、気持ちはわかるけど落ち着けと突っ込みが入れられることでしょう。

 

 

 

 

 

 以上、インド兄弟関連のネタ語りでした。

 正しくバタフライ・エフェクト的に発展した妄想でしたね、差異を加えたのは本当に最初の頃だけだったのに変化が更なる変化を読んで、その流れに乗っただけでどんどん広がっていきました。

 インド兄弟は大好きなので、余計に贔屓をしてしまった気がします。

 

 他のところも考えようとは思うのですが、個人的に好きで思い入れがあった為に特別に思考が回った自覚があるので、他の面子でも同じようにできる自信がハッキリ言ってありません。

 なのでもし宜しければ、『こんなの考えたのですがどうでしょう』というのがあれば、是非教えて頂ければと思います。

 そのまま使うことは無くても、参考にさせていただくことや、それをきっかけに更に発展させていただくことは出来るとは思いますので。

 

 作品巡りをしていてたまに見かける、『挿絵を描いてもらった』とか『三次創作をしてもらった』とかが結構羨ましいです。

 新たな創作意欲を誰かに抱かせられるほどのものを作りたい、作れればいいと思いながら、日々書いています。

 そういう方がもしいらっしゃったら遠慮なく為されてください、その後で見せてもらえたりでもしたら感無量です。

 






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