順調にとは言えなかったものの、立香が無事に魔術礼装の起動、及び初の魔術行使に成功した時から、あっという間に数日が経過して。
カルデアを保つための最低限の業務以外の、人もサーヴァントも関係なく多くの人員と労力が費やされた成果の到達点……見覚えのある青い光がそこかしこに灯り、古いようにも新しいようにも思える、どこか神秘的な雰囲気を漂わせる広大な建造物の中に、立香は一人降り立っていた。
オルレアンでの旅路やサーヴァント達を相手にしての人付き合いで、一般人らしからぬ度胸を見せつけてきた立香でさえ、緊張のあまりに喉を鳴らしてしまっている様子がモニター越しに窺える。
今から大変な難題に挑まなければならない彼を気遣う気持ちは、居合わせた誰もが当然に持ち合わせていたのだけれど。
それがまだ始まる前の、ほんの僅かな間だけでいいからと内心で密かに弁解しながら、込み上げる高揚に心を委ねていたのもまた、居合わせた全員が同じくであった。
何故なら、立香が今現在立っている場所は、モニター越しに一同が目の当たりにしているのは、現代に蘇ったハイラルの一端なのだから。
「これが、『試練の祠』の内部……」
「超技術の担い手たるシーカー族が、後の世の勇者のために築き上げた訓練施設。
幾人か存在する『リンク』の一人、『息吹の勇者』と称される少年が、100年の眠りを経て衰えてしまった体を鍛え直すために挑んだと伝えられているものだね。
いやはや何ともこれは、リンク君が魔術と科学を混同するのも無理はない。
彼らの超技術が、果たしてどちらに由来するのかという点は、古くからの論点のひとつだった。
まさかこの天才が直接目の当たりにしてさえ、明確な判断を下すことが出来ないとは……やはり魔術と科学のどちらかではなく、どちらともを高次的に突き詰めて融合させた末の」
《ちょっとちょっとダ・ヴィンチちゃん、興奮するのはいいけど長い!!
しっかりしてよ、サポート無しなんて無茶ぶりはお願いだからやめて!?》
「何を情けないことを言うか、かつて勇者はたった一人でその試練に挑んだというのに」
《何言ってるの王様、『俺達』と立香では出来ることが違うんだからそれこそ無茶ぶりだって》
「……それもそうであった。
そんな分かり切ったことを失念してしまうとは、我としたことが柄にもなく浮かれていたようだ。
赦せリッカよ、だがこれは我の貴様に対する期待の表れであると心得ておくがよい。
あくまで雑種の中で比較した上でのことではあるが、貴様は我の小間使いとしては中々に見所がある故な」
スポンサー権限を最大限に駆使して確保した、モニター前の絶好の位置に据え置いた玉座に腰かけて踏ん反り返りながら、機嫌の良さを隠そうともせずに高笑いを上げる英雄王ギルガメッシュ。
そんな彼と、冬木という地で腐れ縁を結んだ何人かのサーヴァント達が、相変わらずすぎるその様子を前に腹の底からの溜め息をついていた。
「すみません、一体何があったのですか?
確かあの金ピカ、マスターとなった人間をただそれだけで認めるような類いの輩ではなかった……むしろ、より一層厳しい目で見る方だったと思うのですが」
必要な用事や最低限の仕事をこなす時以外は基本自室に篭もりっきりのため、カルデア内での出来事に対して多少疎い自覚があるメドゥーサの問いに返ってきたのは、自分達のマスターとなった少年の、ある意味でとてつもなく肝の据わった性分を物語るような顛末だった。
それはつい先日、召喚早々に憧れの勇者を前にしたことで柄にもなく頭が茹で上がったギルガメッシュが、自身の至宝たる本を取り出しながら感動と高揚を露わにして、やらかしの象徴を改めて前にしてしまったリンクが、再びの絶叫を轟かせた時のこと。
共にサーヴァントとして最高峰である二人の実力とか、だというのに口論の理由が極めて私的なものでしかないとか、色々な意味で手出しが出来ない(したくない)中に果敢にも割って入った少年の後ろ姿が、その場に居合わせた者達にはやけに大きく、輝かしいものに見えたという。
「………本の今現在の所有者が英雄王なのはずっと昔からの事実だからと、今更原本をどうこうしても意味は無いからと、勇者リンクを説得した上で二人の間を仲立ちした?
それはつまり、あの気紛れな英雄王の機嫌を取るとか、恩を売るとかそういう……」
「あの子がそういう打算が出来るような、その上で行動に移れるようなマスターならば、私ももう少し気楽でいられたのでしょうけれど。
残念ながら違うわ、あの時のマスターは『やかましいし周りも迷惑してるから、落としどころをつけてさっさと終わらせてくれ』としか考えていなかったわよ」
メディアはそう言って呆れるものの、実際に立香が打算した上で動いていたならば、ギルガメッシュはその内心を即座に見抜き、短絡的なご機嫌取りが効く程度の存在だと見なされたことに苛立ち、その手段として勇者を利用されたことに怒っていただろうと、エミヤとクー・フーリンは考えていた。
立香にそんな思惑は欠片も無かったこと、リンクとの友人関係が本物であること、マスターとしてではなく彼個人としての純粋な善意があったことを、こちらも即座に見抜いたからこそ、ギルガメッシュは彼をその行く末を見定めることに多少の価値がある者と、一応のマスターとして認めている。
全く意図することなく、本当に自然かつ天然に、英雄王ギルガメッシュに対する最適解を突っ走ってみせた立香が、魔術とか神秘とかとは一切関係ないところでもはや只の一般人ではないことや、極めて優秀なマスターとしての素質があることは、未だ自分を平凡と信じて疑っていない当人以外の誰もが、既に確信していたことだった。
更に言えば、リンクとギルガメッシュを仲立ちしたあの時の立香の行動は、誰もが全く予想することのなかった経緯で以って、彼自身を助けることに繋がった。
落ち着いて、改めてギルガメッシュから、『ゼルダの伝説』の原本を発見した経緯と、それを後の世に伝えることにした理由を聞いたリンクは、あの時遺してしまったゼルダや仲間達が最後まで自身のことを想ってくれていたことを知り、それを引き継いでくれたギルガメッシュに、個人的な恥ずかしさは一旦度外視した上で心から感謝した。
原本のサインにだって、筆者が自分の作品にその証として署名をするだけだと、何も特別なことではないのだからと、引きつる口元を一生懸命に誤魔化しながら応じたのだけれど。
この時、リンクとギルガメッシュは、頭と察しがいい筈の二人ともが、何故か気付けなかった。
断絶してしまっていた歴史と伝承の全体像を世界でただ一人正確に認識し、それを確かな形と連続性を与えた上で後の世に残した『末代の勇者』が、ある意味では『ゼルダの伝説』という壮大な叙事詩の作者であったことを。
そんな彼が、『単独の膨大な世界観を後の世に刻んだ原典』が自身の著作であることを認め、その意志と所有権の証を自身の手で、誤魔化しようのない署名という形で記しでもしたらどうなるかということを。
結論から言えば、新たな宝具が誕生した。
至宝が更なる輝きを得たことに狂喜するギルガメッシュ、大爆笑のダ・ヴィンチ、鼻と口から魂を飛ばすロマニと、そんな彼にひたすら頭を下げて謝り続けるリンクという混沌の中で。
シンプルに『
その世界観があまりにも膨大かつ特殊なせいで、魔力の消耗が激し過ぎる上にコントロールが非常に難しいという難題へと、総力を挙げて挑んだカルデア。
そうして辿り着いた成果こそが、今現在立香が立っている場所、モニターの向こうに広がる神秘的な光景なのである。
《これから、本格的に試練に挑む訳だけど……その前に、一度おさらいをしておこうか》
リンクの声が肉声ではなくスピーカー越しで聞こえてくるのは、立香のようにシミュレーターの向こう側にいるからではなく、今の彼は本当の意味で、スピーカーを声帯代わりにして喋っているから。
無数のコードやパイプが伸びる、武骨な金属製の椅子に全体重を預け、広大で美しい世界を見下ろしながら立つ少年の後ろ姿が表紙に描かれている、『ブレス・オブ・ザ・ワイルド』と題名が綴られている本を膝の上で広げるリンクの意識は、今現在そこには無かった。
シミュレーターの機能と、レイシフトを行う際の技術と理論を応用させながら、宝具の使用及び展開をサポートしようとしたカルデアの思惑は、9割方上手くいったところで頓挫した。
固有結界と称しても良さそうな程に、高度で繊細な仮想空間を長時間に渡って構築させるには、あと一手が足りなかったのだ。
ダ・ヴィンチを筆頭とする優秀なカルデアスタッフならば、時間と資金さえあればいずれ解決出来るものなのかもしれないけれど、生憎と今はそんな余裕はどこにも無い。
そんな時に、宝具の展開のみに集中して貰っていたリンクから、そこから更に一歩進むどころか奈落へと向けて飛び込むかのような提案をされて、一同は『その手があったか』と喜ぶ以前に『正気か!?』と目を剥いた。
『あの世界』を唯一、知識だけでなく体感でも知っている者を、魔力だけでなくその存在そのものを柱として、管理者として投入すれば、仮想空間は確かに比べようもなく安定することだろう。
目の前にある実利より、リンクの心身の方を優先して案じてくれることを嬉しく思いながら、リンクはそれが最善だと説得した。
抵抗も虚しく押し切られてしまったこと、リンクに大きな負担をかけてしまうことを、自分達の力不足として悔やんでいたスタッフ達だけれど。
その後、リンクが笑いながら、『気にしないでいいよ、許可が出なくても勝手にやってたから』と言い切ったことに加えて、その顛末を後から知った立香が、半ば死んだ目で『独断で強行する前にちゃんと言うようになっただけまだマシかな……』と呟いたことで、今後是正していくべき真の問題点は別のところにあったことを認識したのだった。
兎にも角にも重要なのは、そういった様々な騒動や問題を乗り越えてきた先で、全ての準備がようやく整ったこと。
リンクに促され、彼から預かったものを『おさらい』のために手に取った立香。
この場所、その光景に対する懐かしさが、今は形の無い胸の奥から込み上げてくるのを、『息吹の勇者』のものであろうそれを先代への敬意と共に噛み締めながら、リンクは自身の頼れる旅の供でもあった石板についての確認を今一度始めた。
《機能の種類と使い方は、ちゃんと頭に入ってる?》
《……多分大丈夫、だと思う》
《あまり気負うなって。
少しくらい忘れてても、必要な時に思い出せれば問題ないんだから》
その言葉が、見えなくても笑っていることが分かる口調が、強張っていた体と心をどれだけ楽にしてくれたことか。
震えていた拳を握り、もう一度だけ喉を鳴らしてから顔を上げた立香の、青い瞳に確かな覚悟が宿っていたことを確認したリンクは、今度こそその背を押した。
《シーカーストーンの機能は自由に使え、中に入っている道具も必要と思えば好きにしていい。
一度に一人ずつだけれどサーヴァントの存在も選択肢に入れていい、そこから呼ぶ分には負担はかからない。
ただし、それはあくまでお前自身が行動するための『手段』としてだ。
助言を出したり、自分の意思で勝手に動いたりはしない、1から10までマスターとして的確に指示を出すこと。
何をしたっていい、どんな工程を経てもいい……お前が為すべきことはただひとつ、目の前の謎や仕掛けを解いて最奥を目指す。
それじゃあ頑張れ、祠の試練開始だ》
リンクの合図と共に、石とも金属とも取れる不思議な建材で築かれ、青い光で照らされる空間の中を駆け出した立香。
かつての勇者と同じようなその背中、その姿を、かつてとは違って多くの者達が固唾を呑みながら見守っていることが、立香が決して一人ではないことが、リンクは無性に嬉しかった。
今月から職場が引っ越して、環境の変化に加えて通勤時間が往復で一時間伸びてしまったことで、このところ疲れ気味です。
執筆及び投稿スピードが少し遅れるかもしれませんが、自分でも楽しんでいることだし、感想を頂けるのも凄く嬉しいので、なるべく頑張っていきます。