成り代わりリンクのGrandOrder   作:文月葉月

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不穏な始まり

 

 多少の観光と遊行を経て、ネロの館ことローマ帝国の王宮へと辿り着いたカルデア一行は、そこで一旦ネロと別れた。

 先行した兵士達に伝令を任せておいたので、既に謁見の準備が整えられ、重鎮達も集まっている筈。

 自身の命の恩人にして、ローマの危機に駆けつけてくれた頼もしい助っ人達であると皆の前で紹介し、公の場で厚遇を約束してくれるとのことだった。

 

 

「では、また後でな。

 ……そなた達は何も案ずることはない、余を信じて堂々としておれ」

 

 

 『ネロ』という個人としてではなく、『皇帝』として帝国の客人を迎えるために、立香達と別れて玉座の間へと向かうネロ。

 少しだけ曇ったその笑顔、その口調に込められていた含みに気付くことが出来たのは、ハイラルの王宮で過ごした経験から、こういう空気にある程度は慣れていたリンクのみだった。

 兵士の案内で辿り着いた、玉座の間へと続く大扉。

 その向こうから僅かに感じる空気の質を察し、嫌な予感が当たってしまったことを確信したリンクは、人生で初めてとなる『謁見』を前にガチガチに緊張してしまっている立香とマシュへと、とても真剣で重要な話なのだということがそれだけで伝わるように、努めて低く押し殺した声を発した。

 

 

「……なあ、二人とも。

 『あれくらいどうってことない』とか、『当たり前のことをしただけ』とか。

 そんな謙遜を口にするつもりだったのなら、今この場で全部忘れるんだ」

 

「リンク?」

 

「リンクさん、何を……」

 

「何も言わなくていい、話すのは俺がやるからその代わり堂々としていろ。

 『自分達は皇帝陛下の命を救ったんだ』と、『自分達がいなければローマは終わっていたんだ』と……『大帝国ローマを救えるのは自分達だけだ』と、自信満々に胸を張れ」

 

 

 頭の上で『?』を飛ばしてしまっている二人が、リンクの言葉を噛み砕き、その意味を理解して、覚悟を決められるだけの時間は無かった。

 その存在だけで部屋の主の威厳を示しているかのような、大きく重たい両開きの扉が、耳障りな程に重厚な音を立てながら開いていく。

 その瞬間立香とマシュは、リンクの言葉の意味を否応もなく、実感で以って思い知らされた。

 扉からまっすぐ歩いた先にある、周りと比べて数段高くなっている位置。

 この場、この国で最も貴い者のみが在ることを許される場所で、ネロが自分達を待っていた。

 真上からではなく全方向から押し潰されそうな、肺の動きさえ妨げられるような重い空気は、彼女が発しているものではない。

 ならば何処から、誰から……考えるまでもなく分かり切っていた。

 玉座へと続く道の両脇に立っている、ローマ帝国の重鎮と思われる者達が揃いも揃って、不審を露わにこちらを見据えていたのだから。

 

 思わず息を呑む、後ずさるなどのあからさまな動揺を表に出さずに済んだのは、リンクが前もってかけておいた言葉が、瞬間的にストッパーとして働いてくれたから。

 しかしそれはあくまで表向き、崖っぷちで辛うじて踏みとどまっただけ。

 こんなにも大勢の、見知らぬ者からの負の感情を、顔を合わせた途端に遠慮なくぶつけられることなど、立香もマシュも経験どころか想定したことすらなかった。

 何とか背を伸ばし、胸を張って前を見据えてはいるものの、それは実のところ、最初に辛うじて取ることが出来た体勢のまま固まってしまっているに過ぎない。

 先程リンクが言っていたように、ローマの救世主として堂々と歩を進め、ネロとの謁見と重鎮達への顔見せを済ませ、特異点修復に向けての工程を進めなければならない。

 ……分かっているのに、いつものようにこの足を前に出せばいいだけのことなのに。

 重く淀んだ空気の中で、足どころか体全体や、呼吸すらも半ば止まってしまっていた立香達の耳に、離れたところにいるネロには届かないであろう声が聞こえてきた。

 

 

「皇帝陛下にも困ったものだ、また妙な連中を連れてきて……」

 

「だとしても前はまだマシだった、戦場に出しさえすればそれなりに使えたのだからな。

 それが此度はどうだ……戦場どころかどこに出しても使えるとは思えない、どこの馬の骨とも知れない小僧や小娘ではないか」

 

「全く以って嘆かわしい、この非常時においても我が侭を押さえられぬとは。

 神祖に何と申し開きをすべきか、こんなことでローマは一体どうなってしまうのだ」

 

 

 悪意と疑心にまみれた声によって、じわじわと侵食されるかのような感覚を抱いていたその耳が、心が、この重苦しさの中でも構わずによく通って聞こえてきた明るい声によって揺り動かされたのは、実際にはほんの僅かな間だったのに、体感的にはとんでもなく長い時間を過ごしてしまったかのように思えた時のことだった。

 

 

「よくぞ参った、我がローマに来たりし希望の星達よ!!

 余の美しさに見蕩れるのも、謁見の幸甚に浸るのも大変に結構なことではあるが、生憎と今は時間が惜しい!!

 余が許す、傍まで参るがいい!!」

 

 

 ネロが直々に声をかける前に、声を上げて指摘や非難をするきっかけとなりそうな、あからさまな失態や不敬な態度を見つけることが出来なかった一同は、皇帝の言葉や意図を遮ってまで釘をさす気にはならなかったらしく、今この場に関しては大人しく口を噤む。

 ……彼らがあとほんの数秒、気を緩ませることなく保たせていれば、この後の展開を事前に察して防ぐことが出来たのだろうか。

 それは不可能だっただろう、その瞬間が来るまで誰一人として予想出来なかった。

 『彼』はただ単に、頭から深く被っていた外套を、公の場では無礼にしかならないそれをごく当たり前の礼儀として外し、その下の素顔を顕わにしただけだったのだから。

 

 その目が、心が、この場で絶対だった筈の存在をほんの一時とはいえ忘れ、別の輝きに魅入ってしまったことを、立香やマシュ、重鎮達だけでなく、自身の領域を侵されてしまった筈のネロまでもが自覚した。

 『彼』が伝説に記されるほどに、名高い美姫がそうと語った程に美しい人であることは、否定しようがない事実として既に知っていた筈だった。

 しかしこれは『違う』と思った……素で十分すぎる程に美しい者が、表情を、仕草を意図して洗練させれば、これ程のものになるのかと。

 レイシフトを行なって以来ずっと外套を被っていた為に、今の今まで立香達ですら気付いていなかったのだが、彼の両耳には大粒の宝石をあしらった美しいピアスが揺れていた。

 オルレアンの時と同じく、『彼を勇者リンクと知っている、もしくは確信を持って看破しない限りはそうと気付けない』という隠蔽を施しているので、見るからに形が異なる上に目を引く装飾まで施してしまっている、立香達には問題なくいつも通りに見えている長い耳は、彼らの目には何の変哲もない丸く短いものに映っていることだろう。

 だとしても、ピアスに使用されている宝石が極上の本物であることは、目が肥えている者達ならば気付けるだろうし。

 顔の両脇にそんな大層なものを揺らしておきながら一切負けていない、どころか宝石以上の輝きで以って、装飾品本来の用途に完全に徹しさせてしまっている相貌もまた、余すことなく目の当たりにしている筈。

 歴戦を経てきたことで必然的に据わった肝と、若い身ながら重鎮の一人として王宮勤めをした経験を発揮したリンクの立ち振る舞いは、あからさまに侮られていたところからの巻き返しの衝撃もあって、ただそれだけで見事に場の空気を掌握していた。

 

 自分達にとってあんなにも重かった第一歩を、針の筵が敷き詰められているようだった玉座への道のりを、まるでレッドカーペットを歩くかのように堂々と踏み出したリンク。

 その後に続いた立香とマシュは、リンクが一瞬歩みを遅らせた間に追いついて、優も劣もなく三人で共に並んで、ネロの待つ玉座へと進んでいった。

 二人の内に巣食っていた躊躇いや戸惑いは、いつの間にか跡形もなくなっていた。

 彼らがどんな意図を持ってこちらを牽制してきたのか、何を危惧しているのか、詳しいことはまだ何もわからないけれど。

 構うことはないと、自分達には『勇者』がついてくれているのだからと、心からそう思うことが出来たから。

 焦って早足になることも、気後れして歩みを鈍らせることもなく、皇帝陛下の命を救った者としての自信に満ちた歩調と表情で堂々と花道を進んだ三人は、程なくネロの下へと辿り着いた。

 

 

「……………た、多少の予想はしていた。

 相当なものであろうとは思っていたのだが、まさかこれ程とは。

 何という麗しさ、かの伝説の勇者のようではないか……」

 

 

 頬から目元にかけてを上気させながら、なかなか皇帝モードに戻れずにいるネロの様子に、重鎮達が醸し出す空気が一気に重く刺々しいものへと変わる。

 立香とマシュはその理由をすぐに察した、今回は分かりやすかった。

 服装こそ、旅と戦闘に耐えられるように丈夫さと利便性重視のものではあるけれど、庶民ならば触れることすら躊躇いそうな装飾品をあっさりと普段使いにして、立ち振る舞いが見るからに洗練されている上に、更にはあの美貌と来れば。

 どこぞの王子かご落胤かと、彼らの頭の中では様々な可能性が、考え過ぎだとは思えないほどの説得力を伴いながら渦巻いていることだろう。

 そしてその『もしかして』は、皇帝の前だということで一応は自重していた彼らに、その堰を破らせてしまうだけの力をも備えていた。

 彼らを客将として迎え入れ、しかも一人には総督の位と兵の指揮権を、王宮内においては個室までをも与えて厚遇するという爆弾発言に、重鎮一同がどよめきの声を上げる。

 美しいものが好きで、美少年や美少女は特に大好きだという皇帝の嗜好に対する懸念が、『色事に目と頭を狂わされた者は何をするか分からない』という多くの前例が語る事実と共に、一同の脳裏に沸き起こっていた。

 

 

「い、いけませんぞ陛下!!

 どこの誰とも知れない小僧どもをいきなり、無暗に優遇などされては、今まで順当に功績を重ねてきた者達の立つ瀬がありませぬ!!」

 

「そうですとも、そもそも我らは偉大なるローマ帝国の民!!

 国を守るために余所者の助けを借りるだなどと、偉大なる先達にどんな顔で申し開きをせよと言うのですか!!」

 

「よく考えてみれば、陛下の危機に都合よく駆け付けるというのがまずおかしいではないか!!

 さては貴様ら、陛下に取り入って帝国を内側から破壊せしめんとする連合の徒だな!?」

 

「何と卑劣な!!」

 

「今この場で叩っ切ってしまえ!!」

 

 

 彼らに対する皇帝の信頼を削ぎ、その参入を何とか阻止しようと、誰かが適当に口にした根も葉もない、しかし強引に押し通せばどうにかなってしまいそうな言い分に対して、次から次へと誰も彼もが追随していく。

 頭に血が上り、自身の既得権益を守ることだけしか考えられなくなっている彼らは、その言い分をそっくりそのまま、立香達に救われ、立香達を信じることにした自身に対しての侮辱と受け取ったネロが、音が鳴りそうな程に拳を握り締め、瞳孔の開いた目と噛み締める唇を震わせていることに気付かない。

 先程とは違う意味で切羽詰まった、このまま私刑が始まってしまいそうな程に不穏な空気を割りながら、突如響いた声があった。

 

 

「…………みっともないなあ」

 

 

 聞き覚えの無い少年の声での呟きに、重鎮達はてっきり、発生元をあの金髪の少年だと思って振り向いたのだけれど。

 その先に思いがけず、不快感を顕わにしながら立っていたのは、黒い髪と青い瞳の、ローマ近辺の民族には見かけない顔立ちをした異国の少年だった。

 『何も言わなくていい』と予め告げられていたことを思い出し、発言元に目線で確認を取った立香は、『構わない、むしろやれ』と言わんばかりの表情で頷かれたことに背中を押され、自身の胸中で渦巻いていたものをぶちまけた。

 

 

「俺はローマを、『世界一の大帝国』だって聞いていたんだ。

 なのに来てみてガッカリだよ……世界そのものと言っていいくらいの繁栄を築いた、偉大なるローマ帝国を仕切る人達が。

 『得体の知れない余所者だから』なんて理由で、人を根も葉もないでっち上げで侮辱するだなんて」

 

 

 学校での授業だったか、TVのドキュメンタリー番組だったかは忘れたけれど、古代ローマ帝国がなぜ偉大な発展を遂げることが出来たのかを、立香は聞いた覚えがあった。

 それは民族や信仰、文化など、様々な分野に対して発揮された『寛容性』だったという。

 多くの国を併合し、多くの移民を受け入れることで領土を増していったローマは、新しく受け入れた地と人々に対してローマ帝国のやり方や考えを押し付けるのではなく、良いと思ったものは『それもローマである』として積極的に受け入れた、柔軟かつ誠実な多様性で以って繁栄していった。

 この地に訪れて初めて出会った、敵対者であろうとも降伏するならば赦し、見知らぬ者の突拍子もない話であろうと耳を傾け、全身全霊でローマを誇っていたネロが、それを我が身で体現していたというのに。

 ネロのため、ローマのためを思っているのだと嘯いて、しかし実際には自分のことしか考えていない。

 そんな形ばかりの忠臣にネロが辱められることが、立香には我慢ならなかった。

 

 

「世界とはローマだ、だからお前もローマだって言い切る心の広さくらい、見せてくれたっていいんじゃないの?」

 

「なっ……この、無礼者が!!」

 

「殺せ、殺してしまえ!!」

 

 

 一層荒ぶった空気と飛び交う怒号の中で、しかし立香は恐ろしくはなかった。

 自らは何もしないまま声だけ荒げ、誰かが動いて、自身に益をもたらしてくれるのを待つだけしか出来ない連中の、勢いだけで何の力も持たない脅し文句など、ワイバーンやファヴニールと相対してその咆哮を浴びた時と比べれば、癇癪を起こした子供の泣き声に聞こえた。

 そんな立香の様子に密かに感心していたリンクは、横目でそっとネロの様子を窺い、瞳孔の開きと赤を通り越して青白くなった顔色こそ戻ったものの、表情は未だ硬く強張り、目の前の騒動をなかなか収めようとしない彼女に対して、内心で首を傾げた。

 

 

(何がきっかけだったのかはサッパリだけど、絡んできたのは向こうだし、それに対して反論した立香の言い分も、ローマ側に配慮したものだ。

 むしろあそこで何かしら言い返さないと、俺達もネロ陛下を軽んじるのを良しとする側に回ってしまっていた。

 俺達の対応に問題は無し、この件で罰せられるとしたらあちら側のほうだけど……皇帝という存在が絶対である筈のこの国で、ああもあからさまに陛下の意思と決断を無碍にしてしまった以上は、対外的な名聞を守るためにも相当に重い罰を下さなければならなくなる。

 ……躊躇っている理由はその辺りかな?)

 

 

 ネロはまだ若い皇帝であるだけに、実務や実績で及ばないところを補ってもらっているなど、不忠な家臣だとしても即座に切り捨てることが出来ない理由があるのかもしれない。

 だとしたらここは何とかして折り合いをつけるべきだと、目の前の騒動を取りあえずこの場は、解決を後回しにするだけでも構わないから収めようときっかけを探し始めたリンクの耳に、そのきっかけとなり得る情報が謁見の間の外から飛び込んできた。

 

 

「恐れながら、皇帝陛下に申し上げます!!

 首都外壁の東門前にて、連合の中規模部隊が襲来!!

 先刻の遠征軍の残党と思われます、我が方の東門守備隊では抑えきれず……っ!!」

 

 

 郊外においての交戦ではなく、外壁とはいえ首都への直接の攻撃が行われているという事実に対して、口だけでは偉そうなことを高々と唱えていた者達が、その身を強張らせたその瞬間。

 咄嗟に縮こまり、慄いた彼らに反して、その瞳に熱とやる気を篭もらせ、歩み出ながら声を上げた者がいた。

 

 

「ネロ陛下、此度の件を私達にお任せ下さい。

 得体の知れない余所者だという彼らの言い分、どれだけのことが出来るのか分からないという不審を、この戦いで晴らして御覧に入れましょう」

 

 

 思考にある程度の意識を割いていた分、ほんの一瞬反応が遅れたリンクに先んじたのは、何を言いたいのかを既に決めて、それを口に出せるタイミングだけをただ一心に計っていたマシュだった。

 他の二人に了承を得ていなかったことに発言してしまった後で気付き、目線だけで恐る恐る振り返ったマシュは、自身の発言に異論はなく、むしろ同じようにやる気を漲らせている様子の二人を視界に捉え、更なる自信に胸を張りながら改めて前を見据えた。

 そんな彼らに異を唱える者はいない、『ならばお前が行け』と言われてしまえば困るからだろう。

 何の利権にも絡むことが出来ないまま戦場で果てるならばよし、思いがけず使いものになるのならばそれはそれでよし。

 そんな下種な打算が多くの思考の中で回っているのを察しながら、それでも発言と決意を揺るがすことのない三人に対して、ネロが告げた言葉は簡潔だった。

 

 

「頼んだぞ、立香、リンク、マシュ。

 先刻の手腕を、もう一度見せてもらおうではないか。

 宴の用意を整えて、帰りを楽しみに待っているからな!!」

 






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