人のごった返す市場の一角で、通りすがりの男女に絡んだ数名の破落戸が、華奢な少年と少女によって敢え無く撃退されてしまったという驚きの光景と事実が、人々の間でちょっとした話題になった日の夜。
下手をすれば客が離れかねなかったその事件を、逆に宣伝に利用する強かさを土壇場で発揮した団員達の奮闘によって、宵闇に染まる観客席は満員御礼の賑わいを見せている。
開演直前の独特の空気を楽しむ人々の様子を、本番では役者が出入りすることとなる舞台の袖から、ほんの少しだけ身を覗かせながら見る眼差しがあった。
「端から端まで満員だ、宣伝に出た人達頑張ったんだなあ」
「……」
「立香君のアドバイスのおかげよ。
役者が自分の役に徹しながら宣伝することで、舞台の雰囲気を直に感じてもらって注目と関心を集めるだなんて、よく思いついたわね」
「………」
「正確には、俺が自分で考えたことじゃないんですけどね。
俺の故郷に、演劇の天才が仲間やライバルと共に数々の名演を繰り広げるっていう有名な物語があって、その中の一幕なんです」
「…………」
「舞台や役者の活躍を描いた物語なんてものがあるの?」
「……………」
「少し昔の作品だけどすっごく面白いですよ、主人公の天才っぷりに『恐ろしい子っ!』なんて白目を剥きながら慄く描写がネタとしても鉄板で……」
「………………」
「…………マシュ?」
「ひゃいっ!!?」
「大丈夫、ちゃんと息出来てる?」
「だだだだ大丈夫れしゅ、何の問題もありまひぇん!!」
「……マシュは可愛い後輩で、何事にも誠実で一生懸命なのも分かっているんで、こういうことを言うのは気が引けるんですけど。
こんな調子なのに舞台に出したりして、本当に大丈夫ですか?」
立香の切実な問いに思わずといった様子で笑みを零したのは、こんなことになって悔しくない筈がないのに、それでも大事な劇団と共に頑張る皆のためにと早々に気持ちを切り替えて、今回に関しては大人しく裏方に回ることにした、リンクとマシュが助けた二人の片割れの女性だった。
「大丈夫よ、その辺りはちゃんと承知の上で考えているから。
人の心配ばかりしていていいの、舞台に出るのは立香君もでしょう」
「……隣でこれだけ緊張されると、逆に気が楽になっちゃいまして」
そう言って苦笑いを浮かべた立香は、見た目こそ頑強そうながらも実際には動きやすさを考えて作られている、舞台衣装としての鎧を身につけている。
その隣で全身をガチガチに固めてしまっているのは、衣装こそ平凡な村娘を思わせるものでありながら、その役柄は『魔王復活の儀式の生贄として捧げられる娘』という、登場シーンこそ短いながらも中々に重要なものを任されてしまったマシュだった。
彼女の登場は物語の冒頭で、開演まではもう間もなくだというのに、落ち着くどころか緊張を募らせている様子のマシュに、立香の心配と不安もまた募る一方で。
そんな立香の耳に、最後の準備に奔走していた団員達の喧騒が不意に途絶え、一瞬の間の後に沸き起こった感嘆の声が聞こえてきた。
思わず振り返ったその目に映ったのは、カルデアでは見る機会が結構あったのに、この特異点に来てからはすっかりご無沙汰となってしまっていた緑色だった。
「…………凄いわ、想像以上よ。
一瞬、本当に、伝説の勇者様が目の前に現れたんじゃないかって思っちゃった」
「……なあリンク。
その服ってもしかして、劇団の方で用意した衣装じゃなくて」
「俺のいつもの仕事着だよ、どうせ同じような格好になるんなら動く際に違和感が無い方でいいだろ」
まだ少しだけ拗ねた様子のリンクが口にしたことは確かにその通りで、用意されていた衣装と比べて差異が見受けられる部分も、サイズの違いを調整する際に少し変えたと説明されれば納得出来る程度のものでしかない……のだけれど。
過酷な旅や戦闘を想定した生地や造りは、明るいところでよく見れば舞台衣装とは明らかに違うことが見てわかるだろうし。
公演中にそんな細かいところまではまず見られないとしても、伝説の勇者その人が、伝説そのままの姿でそこに居るのだという事実を把握しながら、『本物みたいだ』と感動する人々の様子を目の当たりにしている身からすれば、何気に胃が痛くなってきそうな状況だった。
ため息をつきながらも気持ちを切り替えた立香は、団員達が感嘆の声を思わず零したもうひとつの理由に、本物の勇者の緑衣にも気後れすることなくそのすぐ隣に立っていた、今日の演目のもう一人の主役へと改めて向き直った。
「……凄い綺麗だよ、お姫様の衣裳本当に似合ってる」
立香の心からの言葉に対して笑顔ではなく、唇を尖らせて僅かに頬を膨らませる可愛らしい仕草で返したその人は、綺麗に編み込まれていた長い金の髪を背に靡かせ、金の装飾と聖三角の意匠が施された清楚なドレスを纏っている。
それは、名のある英雄に献身を誓わせる程に気高く美しい『姫』や、その叡智によって悩む者や迷う者に道を示す『賢者』といった存在の祖。
『伝説の勇者』と対を為す、『知恵の姫君』こと『ゼルダ』が……その舞台衣装を身に纏ったネロがそこに居た。
「遅い、余の艶姿を見ると同時に褒めぬとは何事か……と、言いたいところではあるのだが。
今回ばかりは致し方ない、勇者の緑衣を纏ったリンクの姿には余も見惚れてしまった故な。
その遅れは、名演をこなすことによって取り戻すとしよう」
演者としての純粋な実力ならば、常日頃から練習を続けて、場数もこなしている本職の女優の方が、数歩先を行っているのだろうが。
高貴な者として生まれ育ち、皇帝にまで至った身としての誇りと責任……一般人では耐え切れずに潰れてしまいそうなそれを、全て負った上で凛と背を伸ばすネロの在り様そのものが、技術の不足を補って余りある輝きを見せている。
太古の伝説が蘇ったかのような二人を、このままずっと見ていたかったのが一同の本音だったのだけれど、現状はそれを許すものではなかった。
代役であることと、共に主役級であるが故に舞台上では最も多く密接に関わることを想定し、上演開始のギリギリまで打ち合わせを行なう腹積もりでいた。
そんな二人が満を持して姿を見せたということは、つまりはそういうことだからだ。
「いよいよ上演であるな、余としたことがドキドキしてきたぞ」
「それじゃあ立香、また後で。
……覚悟してろよ」
「お手柔らかにお願いします。
……マシュ、ほらマシュ、しっかりして。
始まったらすぐ出番だよ」
「ひゃい、がんばりましゅ。
センパイから教わったおまじない、手のひらに『人』の字を三回書いて……」
「…………(それは『入る』だということは、今は言わないでおいてあげよう)」
こうして、上手くいっているのかいないのかがいまいち判断し辛い『水戸黄門作戦』の一環、『ゼルダの伝説』全19章の一幕である『神々のトライフォース』が開演したのであった。
少し前の『活動報告』にて、『作品タイトルを変更しようと思っているのだけれど、どういうのがいいと思いますか?』という類いのことを書きました。
その結果、多くの方が書き込んで下さったタイトル案を、どれも楽しく読ませて頂きました。
『これいいなー』と思えるものが多くあったのですが、中でも特に嬉しかったのは、幾つかあった『今のままでいいと思う』というご意見でした。
変更を考えたきっかけが、『タイトルが作品の実質と合っていないので紛らわしい』というご指摘を受けて、『変えた方がいいのかな』と思ったことでしたから。
多くの案をいただいた上で恐縮なのですが、その結果思ったことが『今のままでもいいならいいか』だったので、タイトルはこのままで行くことにします。
ご意見を下さった多くの方、本当にありがとうございました。