成り代わりリンクのGrandOrder   作:文月葉月

95 / 143




これにて一件落着

 

「『お前達、アグニム様に雇われた者だな!!

  増援とはありがたい、子供とは思えないような強さの持ち主で手こずっていたのだ!!』」

 

「……はっ?」

 

「『娘を取り返せ、大事な生贄だぞ!!』」

 

 

 騒然としていた劇場中に突如響いた、破落戸達が乱入してきた時とは180度違う意味で場の空気をぶち壊す発言に、その場に居合わせていた全員が、一瞬頭の中を空白にしてしまった。

 声の出所へと思わず向けた視界に飛び込んできたのは、城の兵士役としての(いしょう)を身につけた、黒い髪と青い瞳の異国の少年。

 観客も破落戸も、劇場の者達でさえ察しきれずに呆けてしまっていた、彼の行動と発言の意図と意味に気付いて間髪入れずに追随した者が、舞台上に二人ほど存在していた。

 

 

「『アグニム……兵士達を操り人形としただけでは飽き足らず、由緒正しきハイラルの王城に、あのような者達を踏み入らせるだなんて』」

 

「『誰であろうと関係ない、命を軽んじるような奴らに姫を渡すものか!!』」

 

 

 息を呑みながら、思わずといった様子で口元に手を伸ばした姫と、数の暴力を前にしながら一時たりとも怯むことなく、勇ましい宣言と共に改めて剣を構えた勇者。

 流石にここまでされれば、彼らの思惑を察するには十分だった。

 公演の成否どころか、自分達の命までもが危険に晒されている筈のこの状況で、尚も彼らは舞台を続けようとしているのだ。

 諦めずに頑張りさえすればどうにかなる、どうにか出来る……『その程度』の障害に過ぎないと思われていることを認識した破落戸達の頭に、瞬間的に血が上った。

 緑の衣と、トライフォースの紋章が刻まれたドレスを身に纏ったことで、自分達が本当に伝説の勇者と姫になったつもりでいるのだろうか。

 そんな苛立ちと激昂のままに、自分達でも認めざるを得ない程に外見だけは完璧に勇者となっていた少年へと向けて、破落戸達を纏めていた男は重々しく武骨な鈍器を思いっきり振りかぶった。

 

 

「ガキ共が、調子に乗りやがって!!

 てめえが勇者サマだっつーんなら、望み通り全力でぶっ潰してやr」

 

 

 攻撃的で野蛮な発言は、最後まで紡がれることは無かった。

 次の瞬間には自身の頭をかち割りそうな攻撃を前にしても怯むことなく、冷静な思考と判断力で以ってそれをかわした少年が、大きく身を捩りながらカウンターで繰り出した靴底が破落戸の顔の真ん中に減り込み、彼より遥かに大きく重い筈の体を敢え無く吹っ飛ばす。

 彼が実は公演に協力する立場の者だった、そんな絶対にありえない筈のことの方が現実味を帯びそうな事態に呆気にとられた一同は、次の瞬間、これは演劇ではなく現実なのだと認めるしかない光景を前に肝と背筋を竦み上がらせた。

 勇者役の少年に吹っ飛ばされた衝撃で、破落戸の手から離れて宙を舞った武器は、体格と筋力に恵まれたその男が、自身の力を周囲に見せつけるという意味合いも込めて愛用していたもので。

 巨大さに見合う重さと威力を恐れと共に知っていた、そのまま落ちて轟音と共に舞台を揺らすと思われていたそれを直前に掴まえ、床ではなく空気を鳴らす盛大な唸りと共に肩へと担ぎ上げてみせた者がいたのだから。

 

 華奢な体躯の美しい少年が、下手をすれば自分の体重よりも勝りそうな重量武器を、その細腕で軽々と振り回す。

 確かに目の前で繰り広げられている筈なのに、だからこそまるで夢物語かのような、本当に『伝説』の世界に来てしまったかのような光景は、一度は強引に『現実』へと引き戻されてしまった観客達を、一時の夢の世界へと再び誘うには十分な力を持っていた。

 舞台の床を割りそうな勢いで踏み込み、実際に踏み抜きそうな勢いで力と体重を込めた足を軸に、女性と見紛うほどの美しさを損なうどころかむしろ映えさせるような、腹の底から吐き出す猛々しい雄叫びと共に振り抜いた武器によって、既に腰が引けてしまっていた破落戸達が数人まとめて宙高く吹っ飛ぶ。

 今までの流れが演出の一環などではないこと、乱入してきた破落戸達が本物のならず者であったことなど、実際には全てをきちんと承知の上で、それでも敢えて浸った夢の中で一同は、勇者リンクの痛快な活躍を讃える盛大な歓声を劇場中に轟かせた。

 

 しかしその高揚は、決して長続き出来るものではなかった。

 破落戸達は、演目をメチャクチャにする以外でも劇場の信用を失墜させる方法を考えて、観客席にまでかなりの人員を配置させていたのだから。

 舞台上の演出を疑わせる見事な勢いで、仲間達がぶっ飛ばされた光景を前に一時呆けてしまってはいるものの、程なく気を取り直して、舞台上の勇者ではなく手近な観客へと向けてその手の得物を振り上げることは容易く予想が出来た。

 

 

「リンクさん、これを!!」

 

 

 団員達と、わが身に迫る危機を一足先に意識した一部の観客達の思考を割りながら、先程までの震えようが嘘のようなマシュの声が力強く響いた。

 デミ・サーヴァントとしての膂力で、舞台上の虚空に大きく弧を描きながら投げられたものが、スッと掲げたリンクの手まで、まるで全てが最初から想定されていた演出だったかのような見事な狙いで届けられる。

 演目で使用する小道具として用意され、待っていた出演を想定を遥かに上回る形とタイミングで果たしたそれは、劇団の拘りで実際に放つことが出来る程度には作りこまれていた弓矢だった。

 

 ほんの一瞬の見事な手際で矢筒を身につけ、軽く引いた弦の具合を体で確かめたリンクは、その場で構えるか、それとも観客席へと駆け出すかと思われた予想のどれをも裏切った。

 身を翻し、向かう先など無い筈の壁へと向けて、自身こそが放たれた矢であるかのような勢いで駆け出し、その勢いを全く緩めることのないまま床の延長で壁を蹴ったリンクは、その身を後ろではなく上へと向けて跳ね上げた。

 ほぼ平面であるはずの壁に存在していた僅かな隆起を巧みに捉まえ、ほんの数歩で頭上高く文字通り駆け上がったリンクは、両足を使用した最後のひと蹴りで身を翻した虚空にて、あくまで舞台の小道具である弓を壊さないギリギリのところを見極めた絶妙な力加減で引き絞る。

 次の瞬間、その場に居合わせていた全ての者が、今の世に蘇った『伝説』の真の一端を目の当たりにした。

 

 勇者リンクが弓の達人でもあることを物語る逸話のひとつとして、高所からの落下中という、踏ん張りが利かずにろくな力が込められない筈の困難な状況、地に降りるまでのほんの僅かな猶予の中で、位置の離れた複数の的を瞬間的に射抜いてみせたというものがある。

 そんな、弓を扱う者はもちろん素人でさえ十分に察せられる程の、実際に出来る者がいるとは今の今まで到底思えなかった伝説の中の達人技が、目の前で確かに再演された。

 劇団に対する人質であり、此度の事態の目撃者兼証言者となるであろう観客達を一人たりとも逃がさない為に、破落戸達は、的は、観客席に広く散開していた。

 その全てをリンクは、床に着地するまでの瞬きの間に、大して力が込められない小道具の弓矢であるのを良いことに、急所の眉間を容赦なく撃ち抜いて一発で昏倒させてやったのだ。

 観客席のそこかしこで力なく倒れ伏した破落戸達と、数メートル落下した分の着地を難なく決めたリンクの姿を呆然としたまま認識し、数拍分の間を置いた後に、観客席だけでなく舞台袖からも、爆発したような歓声が沸き起こった。

 

 ふうと軽く息をつき、歓声に応えようとしたリンクの動きは、途中で妨げられた。

 視界の端で動くものを捉えたリンクは瞬時に反応し、一瞬で矢を番えて引き絞った弓を、不穏な動きを見せた影へと向けて構えたのだけれど。

 悪かったのは位置か、それとも間か……対象を捉えたと同時に放たれてもおかしくはなかった矢は、その寸前でぴたりと静止した。

 鼻と口から血を垂らし、目を血走らせ、息を荒く吐きながら、怒りと屈辱を糧に遠のきかけていた意識を何とか繋いだ破落戸の男。

 少女の細い手足や首程度ならば軽くへし折ることが出来そうなその両腕が、ゼルダ姫の衣装を纏ったネロを捕まえ、リンクに対して見せつけるかのように、自身の身を守る盾とするかのように、その華奢な体を押し出していたのだから。

 

 

(しまった、演目の一環だってことを意識して手加減しすぎた)

 

 

 歓声から一転した悲鳴を集中した意識の端で捉えながら、自身の認識と行動の甘さに内心で舌を鳴らしたリンクだったけれど。

 その後悔は、躊躇いは一瞬だった、傍から見ていた者ではその存在に気づけなかった程に。

 こいつの命が惜しければ……そんな類の言葉を吐こうとしたのか、荒い息を零しながら動きかけた男の口は、明確な言葉を紡ぐ前に、その眉間を撃ち抜いて舌どころか思考を止めた鏃によって塞がれた。

 万が一にも逃がすまいと込められていた腕の力は、意識が飛んでもすぐには抜けなくて。

 倒れ伏す巨体にそのまま引きずられ、危うく下敷きにすらされかねなかった少女は、彼女の体をしつこく捕らえ続けていた太く巨大な腕を振り払い、逆に掴まえて引き寄せた、破落戸のものとは違う意味で力強く優しい手の持ち主によって助けられた。

 危うく姫を害するところだった悪漢の、倒れ伏した巨体の傍らで、助けた勇者と助けられた姫が相対するという、意図しないまま作り上げられた名場面を見守る多くの者達の前で。

 興奮に若干息を荒げ、頬を赤らめていた少女は、先程は位置の関係でリンクにしか見えていなかったであろう表情を惜しみなく披露しながら、万感の想いを込めた言葉を口にした。

 

 

「『信じていました』」

 

 

 構わず撃ってくれることを、その矢が自分を傷つけないことを、必ず助けてくれることを。

 それは『ゼルダ』という役柄としてだけでなく、『ネロ』という一人の少女としても『リンク』のことを信じ抜いた、二人分の想いが込められた言葉だった。

 その時人々は、太古の伝説に語られる原初の姫君の姿を、確かにそこに見た。

 

 

「…………よし。

 このまま流れに乗って、追っ手を振り切った勇者リンクとゼルダ姫が、ハイラル城からの脱出に成功した節目で舞台を終わらせるぞ。

 団員達を集めてくれ、あの二人に戻ってきてもらう前に手早く打ち合わせておこう」

 

「ええっ、終わらせてしまうんですか!?

 せっかくセンパイが機転を利かせて、リンクさんとネロさんも頑張ったのに……」

 

「惜しむ気持ちはわからんでもないが、たまたま運良く被害が出なかっただけで、お客さん達の前で大変な不祥事を起こしてしまったことに違いはないからなあ。

 劇団としての誠意を示すためにも、今はこの場を収めることを優先した方がいい」

 

 

 壮年の劇団長が神妙な面持ちで口にしたのは紛れもない正論で、何も言えないまま俯いてしまったマシュだったけれど。

 少し傾いた頭を優しく撫でてくれた大きく温かい手と、苦笑交じりで呟かれた本音が、沈んでしまっていたマシュの心を瞬く間に浮かび上がらせた。

 

 

「いや、正直に言うとな……あの二人が魅せてくれたアレを超える山場が、今の俺達に作れるとは思えんのだ」

 

「……っ!!」

 

「騒動を収めてケジメをつける為ではなく、この舞台を最高のものにする為に、ここで終わらせるべきだと思っている。

 分かってくれるか?」

 

「は、はいっ!!」

 

 

 マシュの笑顔と返事に満足げに頷いた団長は、舞台上の二人へと手招きで合図を送り、リンクとネロは自分達が未だ『役』として舞台に立っていることを考慮し、ほんの一瞬目線をそちらに向ける仕草のみで応えた。

 更なる追っ手が現れる前に、一刻も早くハイラル城から逃れるべく少女の手を引く勇者リンクと、迷うことなくそれに続いたゼルダ姫に、想定外のトラブルをも生かした大活躍を披露した主役二人の退場を察した観客達が、盛大な拍手と歓声で彼らを送る。

 演目も劇団もこれで終わりかと思われた程の、只中に放り出されたのが『彼ら』でなければ切り抜けることは不可能だったであろう騒動を乗り越えた先で辿り着いた万感のクライマックスは、『舞台』への敬意というものが一切感じられない無粋極まりない叫び声によって、ほんの一瞬でぶち壊されてしまった。

 

 

「何なのだこの茶番は、この醜態は!!

 演技だの舞台だのにうつつを抜かすような馬鹿げた連中を相手に、貴様らは一体何をしている!!」

 

「ああっ、この間の失礼な人!!」

 

「殆ど確信してはいたけれど、やっぱりあの野郎の差し金だったか!!」

 

 

 やけに身なりと恰幅のいい男が、観客席へと乗り込んでくるや否や何を憚ることもなく口にした不穏な発言に、この劇団が近頃酷い嫌がらせを受けているという噂を知っていた観客達がざわつき始める。

 身勝手な虚栄心と逆恨みによって劇団を追い詰めた『元凶』に対しては、立香達も当然に腹を立てていたし、相対することがあれば自分の行いを後悔させてやろうとも思っていたのだけれど。

 実際にそういう状況になった今現在、彼らの心境は事前の想定から遠く離れたところにあった。

 『元凶』の姿を目の当たりにし、それが何者なのかを正確に認識したネロが、『ゼルダ姫』という役柄から素の彼女自身へと戻り、花のような笑顔がトレードマークである筈のその顔がスンッと無に帰したのに気づいてしまったことによって。

 

 

「やかましいわ、愚民共が!!

 私は元老院の一員だぞ、気に食わぬ者をこのローマから排除することなどは容易いのだ!!」

 

「げ、元老院だって!?」

 

「そんな人が、私達の劇団を潰そうとしていただなんて……」

 

「あ~、やっぱり……何かどっかで見かけた顔だと思ったら、最初の謁見の席で、俺達に思いっきり難癖をつけていた内の一人だ」

 

《国が危機に瀕している状況で、よそ者に対して排他的だったり疑り深くなったりするのは無理もないという立香君のフォローは、あの人個人に関してはいらなかったみたいだね》

 

 

 敵の予想以上の大きさを突き付けられて愕然とする劇団員達と、そんな彼らからは調子と熱が大分ずれたやり取りを行う立香達。

 それら全てを認識の外に追い出し、少しでも気を抜けば爆発しそうな激情をやっとの思いで堪えたネロは、今一度『ゼルダ姫』の役柄を身にまとった。

 

 

「『大臣、あなたまでアグニムに操られて……。

  気をしっかり持つのです、あなたは私達と共にこのハイラルをまもr』」

 

「黙れ、忌々しい!!

 舞台などという下らないものを私にまで押しつける気か、場の空気を読むことすら出来ぬ小娘が!!」

 

「………………演出の一環、舞台上の戯れ。

 あくまでそういうことにしてやろうとした余の心配りを、思い直す為の最後の機会を、貴様は要らぬと抜かすのだな」

 

 

 ネロの……未だ若い身であれど、大帝国ローマを負う者として申し分ない覚悟と誇りを抱く少女の『緒』が盛大に千切れた音が、立香達には聞こえた気がした。

 『ゼルダ姫』の衣装に着替えてからも、ぱっと見では見えない位置につけていた魔術礼装のブローチを少々乱暴な手つきで外し、リンクが掴まえてくれるであろうことを辛うじて残っていた冷静さの中で何とか考慮して、彼が立っていた辺りを見計らって後ろ手に放り投げる。

 自分が信じた通り、彼がそれをきちんと受け取ったことを確かめるだけの間も無く、身も心も完全に『ゼルダ姫』から『ローマ皇帝』へと切り替えたネロは、舞台より高い位置にある観客席の通路から自身を見下してくる男を、立ち位置など些細な問題だと言わんばかりに堂々と背を伸ばして胸を張りながら睨みつけた。

 

 

「……何だ、その目は。

 無礼な奴め、この私を一体誰だと」

 

「戯け者が、余の顔を見忘れたか!!」

 

「何を馬鹿げ、た…………」

 

 

 権力というものを知らない小娘の戯言と、鼻で笑おうとした男の言葉は半ばで途切れ、その顔から見る見るうちに失せていく血の気と共に、尻すぼみとなって消えていく。

 脂汗を噴きながら震える口から、嘲りの言葉の代わりに絞りだされた声は、実際の声量だけでは説明しきれないような不思議な威力を伴いながら、劇場中に響き渡った。

 

 

「そんな……こ、皇帝陛下!?」

 

「如何にも!!

 余はローマ帝国第五代皇帝、ネロ・クラウディウスである!!」

 

 

 『黄門様じゃなくて上様になっちゃった!!』という立香の謎の発言は、観客席と舞台裏から、劇場を震わせる程の勢いで発せられた驚愕の騒めきによって掻き消され、それもまた、威圧することで黙らせるのではなく、『余さず聞き届けなければ』と自然に思わせる力を持った声によって鎮められた。

 『皇帝』としての力ある言葉が、『ゼルダの伝説』の名台詞にも負けない威力と迫力を伴いながら、劇場の空気と人々の心に朗々と響いていく。

 

 

「何の非も咎もなく、曲げられぬ誇りと信条を尊びながら懸命に己が務めを果たしていただけの者達を、自身に従わなかったから、気に食わないからなどという身勝手な理由で苦しめた振る舞い……己が権力を無暗に誇示し、それを以って他者を虐げ、排除することを辞さない浅慮な言動と共に、確かに見届けた。

 権力とは、特権ではなく責任である。

 強い力を持つ者は、他者どころか時に我が身をも破滅させかねないそれを、益も損も全て承知と覚悟の上で、心して揮わねばならぬのだ。

 それを理解出来ていない貴様に、ローマ帝国元老院の議員という重責は任せられぬ!!

 詳しい沙汰は追って言い渡す、今は大人しく己が館にて蟄居に努めるが良い!!」

 

 

 舞台上の演目ではなく、此度の騒動全体を締めくくる為のクライマックスを、ゼルダ姫ではなく彼女自身として堂々と演じ上げるネロ。

 あれが我らの皇帝なのだと、我らローマの民の麗しき華なのだと。

 居合わせた人々が胸を張りながらそう誇りたくなる程に、伝説の姫君であろうとも負けやしないと心から思わせる程に。

 ローマの華としての笑顔を一時封じ、民に畏れられることを辞さない覚悟で皇帝としての威厳を全力で体現する今の彼女は、本当に美しかった。

 

 立香がよく知るお約束の本来の流れならば、自身の悪事を曝け出されて追い詰められた悪党が自棄を起こし、最後のひと暴れを起こすところなのだろうが。

 彼の手駒である破落戸達は一人残らずリンクによって伸されていて、例え今すぐ目を覚ましたとしても、大層な痛手を負った体は当分は使いものにならないだろうし。

 絶対の力と妄信していた地位と権力が完全な上位互換の存在によって覆され、自分では全くそうと思っていなかった行いを悪事として糾弾される事態など、対策どころか想像すらしていなかった彼に、選ぶことが出来る選択肢は限られていた。

 

 

「ああっ、逃げた!!」

 

「待たぬか貴様!!」

 

「えっ、ちょ、陛下!?」

 

「ネロさん、待って下さい!!」

 

 

 不摂生を重ねて弛んだ体躯からは想像しがたい俊敏さで踵を返し、館で謹慎どころかこのまま劇場を越えてローマからも逃げ出しそうな勢いで駆け出した男の背中を、リンクやマシュの静止を振り切ったネロが追いかける。

 ドレスの裾を翻す後ろ姿を呆然と見送ってしまった三人が目にしたのは、部下の醜態とその被害を直接目の当たりにさせられたローマ皇帝として、劇場と舞台を愛する個人として、様々な怒りを込めた鉄槌を強烈な飛び蹴りという形で逃げる背中へと叩き込み、大勢の観衆の目の前でものの見事に、自身の手で痛快に悪党を懲らしめてみせたネロの雄姿であった。

 

 

「……ま、まあ、予定通りネロの大活躍をローマの人達に見てもらえた訳だし、物凄く盛り上がってるし、作戦としては大成功かな」

 

「………………」

 

《ちょっ……どうしたのリンク君、何か固まっちゃってるけど大丈夫!?》

 

「リンクさん、まさか……ゼルダ姫の衣装を纏い、姫を演じていた延長で、そのイメージを壊すような振る舞いをされてしまったことにショックを受けて」

 

「い、いや………ショックというか、驚いた。

 逸るままに駆け出していった陛下の姿が、ほんの一瞬だけだったけれどゼルダと重なって見えて」

 

「《え゛っ!?》」

 

「お姫様って本当にあんな感じだったの!?」

 

「一国の姫ということで公の場では頑張って自制していたけれど、素の彼女自身はもの凄く行動的で、肝の据わった頑固者だったよ」

 

 

 美しく、誇り高く、章によっては『賢者』の一人に名を連ねることもある、『知恵』のトライフォースの適合者に相応しい聡明さと思慮深さの持ち主で。

 世界中の人々が抱いているであろうそんなイメージを、盛大に揺るがすような一面の存在を、誰よりも彼女のことを知っているであろう人の口から語られてしまったカルデア一同の衝撃は、伝説のお姫様ではなく彼らの麗しき皇帝陛下とその活躍に歓声を送るローマ市民達と、いつもより一層輝かしく思える笑顔でそれに応えるネロによって、敢え無く埋もれてしまったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、たった一日の休みの中で繰り広げられたものだとは到底思えないような濃い展開を経ながら何とか解決した騒動は、ローマの町と人々に幾つかの後日談を残した。

 元老院の一人が私利私欲のままに起こした不祥事、ローマの罪なき民がそれによって苦しめられたのだという事実を、皇帝として彼らをまとめ切れていなかった自身の至らなさと受け止めたネロが一念発起し、その想いと覚悟を改めて表明したことで、ローマを襲った未曽有の危機の中で皇帝としての手腕を疑われ、失いかけてしまっていた元老院の者達からの忠誠と信用を今一度、例え一時の様子見だとしても繋ぎ止めることが出来たとか。

 立香が雑談の中で口にしていた『劇中劇』という概念を人伝に耳にした例の劇団の団長が、『必ず評判になる』という興行者かつ経営者としての打算と、助けてもらったことへの感謝と応援の気持ちを自分達にしか出来ない形で示したいという思いから、『お忍びのネロ皇帝が信頼する仲間達と共に民衆を苦しめる悪を成敗する』というオリジナルの演目の第一弾、例の騒動を丸ごと雛型にしたものを早々に完成させ、劇場はかつて無いような大賑わいを見せているとか(それを聞いた立香が、『今度は遠山の金さん!?』と叫んでいたとのこと)。

 

 大規模な行軍を間近に控えていた上に、全く想定していなかった騒動の後始末まで加わってしまった激務ははっきり言って、見かねて手伝いに加わった立香達も含めて地獄のような工程だったけれど。

 その中で積もり積もった気苦労は、皇帝自らが率いながらの出立を集まった町の人々によって盛大に見送られ、その為の絶好の位置を派手な衣装を纏った見覚えのある集団が陣取っていることに気付いた段階で、全て綺麗に吹っ飛んでしまった。

 こうして、連合との戦いの行方を左右し、ローマ帝国の進退に関わると言っても過言ではないガリアへの大遠征が、ローマの民達の期待と歓声の中で華々しく始まったのであった。

 




 時代劇の名シリーズのひとつ『遠山の金さん』の始まりは、実際に存在した名奉行の遠山様に助けられたとある劇場(劇団)が、そのことに対するお礼として彼を主役にした演目を作成・公演したことだったそうです。
 お奉行自ら町人を装って潜入捜査をしていたとか、桜の彫り物とそれを見せつけながらの啖呵とかは流石に、後付けのヒーロー要素みたいですけど。

 『神トラ』のリンクには、『時』とか『息吹』とかの二つ名がきちんとついてはいないみたいなんですよね。
 他の方からも案を貰い、展開に区切りがつくまでには決めようと思いながら少し考えてみたのですが、『これだ!』と来るものがちょっと思いつきませんでした。
 引き続き考えて、どこかのタイミングで披露してみたいと思います。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。