サソリの出番がありません。そして少し暗めの話です。
少女は夢を見ていた。幼き日の夢を……。
広い宮殿の中庭で、二人の青い髪の少女がかくれんぼに興じていた。
少し背の高い少女イザベラは、追手役であるもう一人の少女シャルロットをやり過ごす為、植込みの陰に隠れ息を殺していた。此処なら見つからないだろう、とイザベラはその小さな口元に可愛らしい笑みを浮かべる。
すると、そこに二人の侍女がやって来た。イザベラが植え込みに隠れているのに気付かず、侍女たちはその場で話し出す。
「イザベラさまもお可哀相に……」
――わたしが可哀相?
「そうね。父君であるジョゼフさまに似てしまったのね」
「もう十歳になるのに、まだ魔法が使えないなんて。叔父君であるシャルルさまは、五歳で空を飛んだというのに」
イザベラは侍女たちの陰口に心が凍りつく思いだった。イザベラは魔法を扱うのが上手ではなかった。自分でも薄々気付いてはいたことだ。自分には魔法の才能がないのだと。
メイジは、個人差もあるが十歳ぐらいまでにはほぼ完璧に簡単な魔法……、コモン・マジックを覚えるのが普通だった。だが、イザベラはそんな簡単な魔法の一つさえ、うまく扱えない。
ハルケギニアの貴族にとって、魔法は己のすべてと言っても過言ではない。平民には扱えない神の御業、魔法を使いこなすことができるからこそ、王族は、貴族は支配層として君臨し、平民を導けるのだ、とイザベラは幼い頃からそう教育されてきた。イザベラ自身もそのことを信じていた。だからこそ余計に魔法が使えないという事実が心に重く圧し掛かる。
「そうそう、知ってる? シャルロットさまは、父君であるシャルルさまに似て、魔法の才能に溢れているそうよ」
「その話なら私も聞いたことがあるわ。シャルロットさまの魔法を見た重臣の方が、まさに王の器だって、もてはやしていたって噂になっていたもの」
――エレーヌが王の器?
イザベラの心に言葉では言い表せない不安が生まれる。このまま、此処にいたら取り返しのつかない事になりそうな予感がしたが、体がぴくりとも動かなくなっていた。
「次の王はシャルルさまで決まりでしょうね。魔法の才も、人望も何もかもジョゼフさまより優れていらっしゃるし、御子であるシャルロットさまにもその才能が受け継がれているんだから」
「ええ、そうね。せめてイザベラさまがシャルロットさまより魔法の才があれば良かったんだけど。御子にまで魔法の才がないのなら、ジョゼフさまが王になることは難しいでしょうね」
ひとしきり話をした後、侍女たちはその場を去っていく。イザベラは隠れていた茂みからふらふらと出てくると、その場に呆然と立ち尽くした。
――わたしに魔法の才がないから父上は王になれないの?
侍女たちの放った言葉は、幼い少女の心にナイフのように突き刺さる。
自身の才能のなさが、イザベラは悔しかった。その心を哀しみが埋めていく。
自然と瞼の端に涙が溢れ、頬を伝う。
そこに、息を切らしながら駆け寄ってくる少女がいた。
「やっと見つけた!」
屈託のない笑顔をイザベラに向ける少女。少女の名はシャルロット。シャルロット・エレーヌ・オルレアン。イザベラの従妹である。
「どうしたの? イザベラ姉さま」
イザベラが自分に背を向け、振り向こうとしない様子を不審に思ったシャルロットが疑問を口にする。
イザベラは手で涙をゴシゴシと乱暴に拭うと、シャルロットに振り返った。
「な、なんでもないの、エレーヌ」
そう言って、イザベラはぎこちない笑顔をシャルロットに向ける。
シャルロットはイザベラの顔を見て嬉しそうに笑った。
自分を実の姉のように思ってくれているシャルロット。
自分もシャルロットのことを本当の妹のように思っていた。
シャルロットが笑顔を向けてくれている。それは、自分のことを無条件で慕ってくれていることの証だった。だが今は、その笑顔を見ると無性に心をかき乱される。
ゆっくりと、愛情が憎しみへと変わっていくのをイザベラは感じた。
イザベラが、まどろみから目覚める。
タバサの泊まっている宿の一階、その一室にイザベラはいた。タバサのいる部屋に比べれば見劣りするが、それでも十分すぎるほど豪華な部屋。
小机に置かれた時計の針は、深夜と言っていい時刻を指し示していた。
イザベラは椅子に座り、そのまま眠ってしまっていたようだ。
「……嫌な夢」
先ほどの夢の内容を思い起こし、イザベラがぽつりと呟く。
あの頃からだろうか、妹のように思っていたシャルロットを憎むようになっていったのは。
シャルロットの魔法の才能に嫉妬して、いつの間にかシャルロットのことを目の敵にするようになった。時が経てば経つほど、その感情に拍車が掛かり、もうあの頃の関係には戻れなくなっていた。
あの時、侍女たちが話していた内容とは異なり、イザベラの父はガリアの王となった。そして、その娘であるイザベラは王女だ。だが、イザベラの心が晴れることはない。
誰もわたしのことなど認めていない。
イザベラのことを心から王女と認めている者は少ない。なぜなら、イザベラには魔法の才能がないからだ。魔法の才能はつまり人望でもあった。貴族は魔法が使えるからこそ、貴族たり得るのだ。
イザベラも魔法をうまく扱えるようになろうと努力した。血の滲むような努力の結果、簡単な魔法なら扱えるようにもなった。
だが、それでは足りなかった。
イザベラは王族なのだ。貴族の頂点たる存在が簡単な魔法しか使えないなど、お笑い種でしかない。
そして、イザベラにとって一番の不幸は、シャルロットという天才が身近にいたことだろう。
いつもシャルロットと比較されてきた。
天才と落ちこぼれ。
イザベラが努力に努力を重ねて、やっとの思いで辿り着いた場所をシャルロットは軽々と飛び越えていく。その絶望たるや如何ほどだっただろうか……。
イザベラがシャルロットに嫉妬を抱くのも仕方のないことだったのかもしれない。
昔の事を思い出し鬱屈とした気分になった少女の口から自然とため息がもれる。
忌まわしい記憶が呼び水となり、次々と負の感情が芽生えイザベラの心を闇が浸食していく。
誰かを心から信用することもできない。
イザベラは王女になってから、心が安らぐことがなかった。
イザベラには信用できるものなど誰もいなかったのだ。
――簒奪者の娘。
イザベラの父ジョゼフもまた魔法の才に乏しく、幼き頃より暗愚と揶揄されていた。王になりたいが為に、天才と呼ばれていた実の弟をその手にかけ、王座を簒奪した盗人である、とガリア貴族の間では噂されていた。
確かにそうかもしれない、とイザベラはその噂をなかば信じていた。父が王になるには弟を消すしかなかったのだろう、と。
自身の弟を手に掛けた気持ちもイザベラには、分からなくもなかった。イザベラもシャルロットのことを嫉妬という感情で、狂おしいほど憎んでいたから。
父ジョゼフの悪評は娘であるイザベラの心を責め立てる。
簒奪者の娘として、周りの者たちが自分を見ているという猜疑心にイザベラは囚われていた。
いつ、家来や召使に寝首をかかれるのか分かったものではない、という恐怖がイザベラを苛む。
誰かを心から信用することなどできる訳がない。
まるで、この世界に一人ぼっちになってしまったような感覚に襲われる。
――孤独だった。
多くの家来や召使に囲まれようと、本当にイザベラを認めている者などいなかった。イザベラが王女という肩書を持っているから仕えているに過ぎなかった。
――寂しかった。
イザベラは両親から愛情というものを与えられた記憶がほとんどなかった。
幼い頃に母を亡くし、親の愛に飢えていたイザベラ。唯一の肉親である父ジョゼフに構って貰いたかったが、ジョゼフはイザベラのことを避けていた。まるで視界に入れるのも嫌がるように……。
「父上はなぜ、わたしに会いに来て下さらないの?」
イザベラがこう女官に尋ねると、返って来る答えは決まっていた。
「父君はお忙しいのですよ」
いつも、そう言い含められた。
何か欲しいものがあれば、買い与えてくれた。だが、それだけだった。
ジョゼフがイザベラに愛情を注ぐことはなかった。
なぜ? とイザベラは思った。
答えは簡単だ。少し考えればすぐに分かった。
――似ていたからだ。
イザベラとジョゼフは似ているのだ。魔法の才がないことも。誰よりも劣等感を抱いていることも。まるで鏡合わせの自分を見ているような感覚。醜い部分ばかりが目につく。
同族嫌悪、イザベラとジョゼフの関係を表すならこの言葉がぴったりだった。
わたしは、実の父親からも愛してもらえない。
誰からも愛されず、誰からも必要とされない存在。
イザベラの脳裏に恐ろしい考えがよぎる。
――自分はこの世にまるで必要とされていないのではないか。
そんなことない、と頭を振るが、一度考えてしまうともう戻れない。底なし沼のように足掻けば足掻くほど、その思考を闇へと沈めていく。
皆から認めて貰う為、イザベラは努力した。必死に、ただ自分を認めて貰いたいという一念で努力を続けた。魔法の才能に恵まれなくても、役に立てることを証明する為、ジョゼフに官職を求めた。与えられた職は、北花壇警護騎士団の団長というもの。公式には存在しないとされる汚れ仕事専門の組織、その長へと任命された。
北花壇騎士といえば、栄光や名誉とは無縁の闇の騎士たち。その存在自体を忌み嫌われ、悪魔とすら言われるほどの厄介者の集団。
まだ少女と言ってもいい年齢のイザベラには、荷が重い仕事だった。
毎日のように舞い込む陰惨な任務は、イザベラの精神をすり減らしていく。監視、密告、暗殺、粛清、言葉では言い表せないような残忍な任務だってある。その命令を下すのは、他でもないイザベラなのだ。心が悲鳴を上げるのも無理からぬことだった。
だが、イザベラは歯を食いしばり仕事をこなした。
すべては、皆に認めて貰う為。魔法の才能がなくても貴族たり得るのだ、と。
さすがは王族というべきか、イザベラには人を率いる才能があった。曲者揃いの北花壇騎士たちをうまくまとめ、任務を遂行していった。
いつしか、北花壇騎士団の団長としての風格を携えるまでに成長していた。
国の政を裏から支えているんだ、という自信もイザベラに生まれた。
だが、世界は残酷だった。
イザベラがどれだけ努力しようと、ハルケギニアでは魔法の才がすべて。魔法の才がない者をこの世界は認めようとしない。
皆がイザベラを陰でせせら笑う。所詮は無能王の娘だ、と。
目の前が真っ暗になる感覚。積み上げてきたモノが崩れ去る音がした。
必死になって努力してきたことはすべて無駄だったと気付いた時の、イザベラの心の中に渦巻いていた感情は絶望だった。
孤独と苦悩が彼女の心を蝕んでいく。
思考が闇に沈んでいく中、イザベラの口から一人の少女の名がこぼれる。
「……エレーヌ」
姉妹のように遊んでいた頃、イザベラはシャルロットのことをその名で呼んでいた。その名はシャルロットのミドルネーム。
もう二度と呼ぶことはないと思っていた名が思わず口から飛び出したのは、先ほど見た夢の所為だろう。
笑顔で溢れていた日々。
あの時間が永遠に続くと思っていた……。
楽しかった思い出がイザベラの心を締め付ける。
今にして思えば、わたしを心から信頼し、認めてくれていたのは、シャルロットだけだったのではないか、とイザベラは気付く。
だが、シャルロットを許すことはできない。
胸を焦がすほどのどす黒い感情がシャルロットの存在を否定する。
自分にないものをすべて持っていたシャルロット。優しい両親、魔法の才能、皆からの羨望。すべてイザベラが持ちえないものだった。
喉から手が出るほど渇望していたモノをシャルロットはすべて持っていた。
――羨ましかった。
自分は誰からも愛されていないというのに、皆から愛されるシャルロットがイザベラは羨ましかったのだ。どうしようもないほどに。
わたしの気持ちなどあの頃のシャルロットは気付きもしなかっただろう。
ジョゼフが王座についた時、シャルロットはすべてを失った。
今のシャルロットは、父を亡くし、母は心を病み、名を奪われ、頼れる者もいない。
王女であるイザベラからしてみれば、今のシャルロットなど取るに足らない存在のはずだ。だが、イザベラはシャルロットを無視できない。
――なぜ?
あの日、シャルロットがタバサと名乗るようになった日からシャルロットは変わった。顔からは一切の表情が消え、いつも朗らかに笑っていた口は堅く閉じられ、よく涙を流していた目はぴくりとも動かなくなっていた。
――まるで、人形のよう。
想像を絶するような過酷な運命が、泣くことしかできなかった少女を、なにか別のものに変えていた。
イザベラは変わってしまったシャルロットを見た時、言い知れぬ恐怖を覚えた。感情を映さない瞳の奥に、復讐の炎が渦巻いていたことにイザベラだけは気付いたからだ。
――許せなかった。
シャルロットに恐怖を覚えた自分がイザベラは許せなかった。それは、シャルロットにだけは負けたくなかったが故の感情。
筆舌に尽くしがたい劣等感がイザベラの心を歪めていく。
わたしは、シャルロットにだけは負けたくない。いや、絶対に負けられない。
イザベラが唇を痛いほど噛み締め、荒れ狂う感情を抑えようとする。その時、不意に先ほど見た夢の光景が脳裏をよぎった。
屈託のない笑顔を自分に向けていたシャルロット。
もう、姉妹のようにお互いを思っていたやさしい日々には戻れないと思った時、イザベラの胸がチクリと痛んだ。それは、イザベラの心の中にある憎悪以外のなにかが疼いた所為なのかもしれない。
暫しの時が流れ、心を落ち着かせたイザベラは視線を部屋の備え付けのランプに向ける。その炎を揺らめかせる様をぼんやりと眺めながら、
地下水はうまくやっただろうか?
今回の作戦の成否に思いを馳せる。
得体の知れないシャルロットの使い魔サソリ。目を合わせただけで死を感じさせられた、危険な存在。
サソリの力量を測る為、北花壇騎士の中でも特異な力を持つ実力者、地下水を差し向けたが、果たしてどうなったか……。
サソリのことを思い出し、イザベラは寒くもないのに身体が震えだす。部屋に一人という状況が不安を助長しているのだ。
そこで、部屋のドアがトントンとノックされる。その音にイザベラは驚き、身体をすくませる。
「だ、誰?」
「私です、イザベラさま。地下水です」
イザベラはその声を聞いてホッと胸を撫で下ろす。
「任務の報告がしたいのですが、部屋に入ってもよろしいですか?」
「ええ、ちょっと待ってなさい」
イザベラは椅子から立ち上がると、ドアに近づき鍵を開ける。そこで、ドアの向こう側に立っていた人物が視界に入った。そこに居たのは、銀色の短剣を右手に持つ若騎士。カステルモールだった。正確には地下水に操られているカステルモールだが……。
イザベラは思案顔で地下水の報告を聞いていた。イザベラは椅子に座り、地下水はその前に片膝をつき、頭を垂れていた。
「申し訳ございません、イザベラさま。私の力及ばず、標的を仕留めること叶いませんでした」
地下水は下げていた頭をさらに深く下げる。イザベラはその様を瞳に映し、ため息と共に地下水に言葉をかけた。
「別に気に病むことはないよ。あんたの正体がばれたのは想定外だったけど、元々あの使い魔の実力を測るのが目的だったからね。概ね計画通りさ」
その言葉に納得できないのか地下水が顔を上げ、沈痛な表情をイザベラに向ける。
「しかし、私の失態で今回の任務が仕組まれたモノだと気付かれてしまいました」
「それこそ、あんたが気にすることじゃないさ。あいつに踊らされたわたしが浅慮だったてだけだよ。それに任務が茶番とばれたところでシャルロットたちにはどうすることもできないからね」
イザベラは冷笑を浮かべる。だが、それはすべて強がりでしかなかった。内心では、恐怖と焦りが渦巻いている。そんな胸の内をイザベラはおくびにも出さない。いや、出せない。周りの者を信用していないイザベラは弱気な所など誰にも見せられなかったのだ。つねに余裕の笑みを浮かべ、あたかも思惑通りに進んでいるように語り、周りに底が知れないと思わせるように行動してきた。それは少女が王女として生きてきて得た処世術の一つだった。
そんな少女の胸の内を知らない地下水は、イザベラの悠然とした態度に畏敬の念を抱き、恭しく面を伏す。
地下水の畏まった様子にイザベラの心に渦巻いていた負の感情がわずかに和らぐ。心に幾ばくかの余裕が生まれたイザベラは額に手を当て、考える仕草を取った。
「でも意外だったわ。あの使い魔、誰彼かまわず噛み付くだけの馬鹿かと思っていたけど、そこそこ頭も回るようだね。あんな化物をシャルロットはどうやって手懐けたのかしら?」
イザベラがサソリを危険と認識した時から感じていた疑問を口にする。それに地下水が何かを思い出すような口調で答えた。
「恐らくは使い魔のルーンの影響かと」
「ルーンの影響?」
イザベラの疑問の声に地下水が頷く。
「はい。使い魔になったモノは、主人の都合のいいように記憶を変えられると言われています。どのような凶暴な幻獣だろうと主人に対しては、親愛を示し従順になるのは使い魔のルーンが記憶を変えているのだと」
「なるほどね。あの使い魔がシャルロットの言うことを聞いているのも、使い魔のルーンの効果って訳かい」
合点がいった、という表情になるイザベラ。そして、その口元に酷薄な笑みを浮かべる。
「この事を、あの使い魔に教えてやったらどうなるだろうね?」
面白いことを思い付いた、とイザベラは笑う。だが、
「それはやめておいた方がいいかと」
その考えは、地下水に否定される。
イザベラは首を傾げ、地下水に理由を問う。
「なんでだい?」
「使い魔のルーンはいわば見えない首輪のようなモノ。その存在を教えれば、何が起こるか……。下手をすれば怒り狂った彼が、呪縛から逃れようとシャルロットさまをも殺す可能性があります。それでもよろしいのですか?」
地下水の心配するような問い掛けに、イザベラが顔をしかめ、肩をすくませる。
「確かに、あの使い魔ならやりかねないわね。シャルロットには、これからもずっとわたしのおもちゃでいて貰わなくてはいけないもの。死なれたらつまらないわ」
面白くなさそうにしていたイザベラだが、すぐにその瞳は鋭利なものへと変わる。
「だったら尚更、あの使い魔はさっさと始末した方がいいわね。いつ、あいつが使い魔のルーンの効果に気付くか分からないもの。まあ、あんな化物をシャルロットの手駒として持たせて置くのは危険すぎるというのが一番の理由だけど」
「……はい」
地下水は目を伏せ、ゆっくりとイザベラの言葉を肯定した。イザベラは地下水の声にわずかだが躊躇いの色が含まれている事に気付く。
「なにか不満でもあるの?」
地下水はおずおずと頭を伏したまま言葉を紡ぐ。
「……恐れながら、シャルロットさまの使い魔に手を出すのはやめておいた方がよいかと。あの者、力の底が知れません。いらぬちょっかいを出せばこちらが手酷い火傷を負う可能性があります」
「あんた、あの使い魔のことを恐れているのかい? 音に聞こえし暗殺者、地下水ともあろう者が?」
イザベラは苛立ちの眼差しを地下水に向け、低い声で問い掛ける。
「……」
地下水は何も答えず沈黙で返す。
そんな地下水の姿を見たイザベラは冷ややかに鼻で笑った。
「あんたが恐れるほどの相手なら、それに相応しい相手を用意すればいいだけのこと。あの使い魔には元素の兄弟の相手をしてもらうわ」
「元素の兄弟?」
聞きなれない言葉に地下水は思わず顔を上げイザベラを見つめる。
「あんたは知らないんだっけ。まあ、当然よね。北花壇騎士には横の繋がりはない、お互いに顔も知らないんだから」
地下水がその言葉に頷くと、イザベラが口元に微笑を浮かべて語る。
「普通、北花壇騎士は単独で任務を行う。でもそいつらは特別でね。四人兄弟で任務を受け負うの。はっきり言うけど、一人一人の実力は地下水、あんたより上よ。そんなやつらが四人、あの使い魔でも無事では済まないわ」
「そのような者たちがいたとは……」
地下水は息を呑む。己の力に絶対の自信があっただけに余計に衝撃が大きいのだろう。
地下水が驚く様を満足気に眺めていたイザベラだが、不意にその表情を真剣なものに変える。
「ただ、あいつらは色々と得体が知れないのよね」
「と、申されますと?」
地下水から疑問の声が上がる。
「まあ、あんたも一目見れば分かると思うけど、長兄を名乗る奴がまだ十歳ぐらいの子供なのよ。あきらかに他の兄弟より年下なのに」
「……私が言えた義理ではありませんが、それは確かに変ですね」
でしょ、とイザベラ。
「それに見た目だけじゃなく仕草や言動も子供らしくないのよね。まるで子供の皮を被っているような。……そう、シャルロットの使い魔と似た雰囲気と言えば分りやすいかしら?」
「……それは分かりやすい例えですね。イザベラさまが、その者たちを得体が知れないと感じるのも納得です」
見た目からは想像もつかない空気を放つサソリを思い出した地下水は、理解したと大きく頷く。
「元素の兄弟、特に長兄のダミアンって奴は得体が知れなさすぎて危険ってわけ。このまま飼って置くよりは、早めに始末した方が良いような気がするのよね。わたしには、あいつらがいずれガリアの敵になるような気がしてならないの。……まあ、ただの勘だけど」
「勘……ですか?」
地下水の口から戸惑ったような声が漏れると、イザベラが目を細め地下水を睨んだ。
「そう、勘よ。何か文句でもあるの?」
地下水は首をゆっくりと横に振ると、口元を綻ばせ、
「いえ、女性の勘はよく当たりますからね」
そう言うと、小さな笑い声を上げる。
イザベラは地下水の様子に面白くなさそうに眉根を寄せ眉間にしわを作るが、すぐに気を取り直し、話を続ける。
「もうみなまで言わなくても分かると思うけど、シャルロットの使い魔と元素の兄弟、得体の知れない者同士戦わせて、潰し合って貰おうってわけ。わたしたちは生き残った方を潰すだけでいいから楽でいいでしょ?」
「……はい」
地下水はゆっくりと頷いた。
「なに? まだ、何か不満があるの?」
「いえ、そうではありません。イザベラさまは、シャルロットさまの使い魔と元素の兄弟、どちらが勝つとお考えで?」
地下水の質問に、イザベラはこめかみに人差し指を当て考える仕草を取る。
「狙う者と狙われる者、普通に考えて元素の兄弟が圧倒的に有利でしょうね。どっかの誰かさんみたいに馬鹿正直に真正面から戦わない限り、罠を仕掛けたり、搦め手を使ったりし放題なんだから」
「……耳が痛いですね」
イザベラの皮肉に地下水は苦笑する。そんな地下水にイザベラが意地悪な笑みを向けた。
「あんたは、どちらが勝つと思うんだい?」
その問いに地下水は不敵な笑みで返す。
「シャルロットさまの使い魔が勝つかと」
その言葉に呆れた風な表情を作るイザベラ。
「……あんた、あの使い魔を随分と買っているのね」
「ええ、それはもう」
嬉しそうに即答する地下水。そんな地下水に頭痛を覚えたイザベラは、大きくため息を吐き出した。そして、おもむろに椅子から立ち上がる。
「さてと、この任務が仕組まれていたとばれたなら、もうこんな安宿に居る理由もないわね。すぐに出発するわよ、地下水」
「しかしイザベラさま。まだ真夜中と言っていい時刻ですよ? 朝になるまで待たれては?」
イザベラとしては、サソリがいる宿になどおちおち泊まってなどいられなかった。一分一秒でも早くこの場から離れたかったのだ。だが、地下水にシャルロットの使い魔に恐怖しているなど言える訳はないので、イザベラはもっともらしい理由を作り上げる。
「王女であるわたしがシャルロットより安い部屋になんて泊まっていられるわけないでしょ。作戦だから仕方なくこの部屋で我慢してあげたのよ。でもその理由ももうなくなった。わかったら、さっさと行くわよ、地下水」
「御意」
地下水は、イザベラの言葉に納得したのか恭しく返事をする。
そんな地下水を一瞥すると、イザベラは部屋の天井に目を向ける。シャルロットが泊まっている部屋の方角に。
シャルロット、あんたは一人ぼっちがお似合いよ。だから、あんたから大事な使い魔を奪ってあげる。
イザベラの心の中に残酷な考えが渦巻いていたが、自身の考えにイザベラは寂しい笑みを浮かべた。
「わたしは、いつからこんな嫌な考えができるようになったんだろうね、エレーヌ」
自嘲気味につぶやいた声は、誰の耳にも届かなかった。
かつては、お互いを無二の姉妹のように思っていた青い髪の少女たち。
世界の残酷さを知った二人の青い髪の少女は、笑顔に溢れていた日々にはもう戻れない。