目が覚めると、私は水槽の中にいた。
気味の悪いオレンジ色の液体で満たされた、実験動物を収めておく哀れな容器だ。
視界はぼやけていて、外の様子は明瞭には見えない。
しかし私はその景色に見覚えがあった。
薄暗い室内と複雑な機器の数々。ガラス越しにこちらをのぞき込む白衣の男たち。
それは私がルルーシュに出会う前、軍に囚われていた時の好ましくない思い出の風景によく似ていた。
ここはどこだ。ルルーシュはどうなった?まさか響団の生き残りに捕まってしまったのだろうか。私を捕えてこのような扱いをしているとなればギアスを知る者の仕業と考えるべきだろう。一刻も早くここを抜け出して、ルルーシュとともに逃げなければ。追手が本気になる前に、最期の門に辿り着かなければならない。
「おい、上からの連絡だ。サンプルを移送する手配が整ったらしい。明日の午後に迎えが来る」
すぐそこで機材と向かい合っていた男たちの会話が聞こえてくる。
チャンスだ。そのタイミングでここを離れよう。既に皇帝のバックアップもなく、組織は黒の騎士団によって壊滅。彼らも細々と生き残っているだけの残党だ。望みはある。
案の定、移送の際も武装した護衛などは現れなかった。移送の際に触れてきた奴を皮切りにショックイメージを見せ、唯一もっていた簡素な拳銃を奪い取って場を制圧する。ただ一人気絶させずに残しておいた白衣の男にその銃口を突きつけ問いただす。
「ルルーシュは、私と一緒にいた若い男はどうした?」
「し、知らないっ!助けてくれ!」
それ以上何も聞き出せず、私はその場を飛び出した。
大がかりな施設というわけでもなく、残りの数部屋を見て回るのにさして時間もかからなかったが、ルルーシュの姿はどこにも見当たらなかった。
既に別の場所に移された記録もない。ジルクスタンへ向かう旅路の途中で寝込みを襲われたのだと仮定して、私だけを攫って捨て置かれた可能性もある。万が一殺されるようなことがあっても、コードを引き継いだ体は無事なはずだ。
これ以上の手がかりは得られそうにない。ここを脱出して最後に泊まった町まで向かい、地道に捜索すべきだろうか。まずは現在地を特定しなくては。
周囲を警戒しつつ、廊下を進む。この施設は地下に隠されているらしく、窓なども一切なかった。地表へと続く階段を見つけ、一気に駆け上がり扉を開いた。
外に出ると同時に、一帯に響き渡るような爆発音が響いた。
同時に強烈な光が拡散する。
「なん、だ、これは」
思わず口を突いて出る驚嘆の台詞。
空を見上げるとそこには満点の星空。周囲は最後に見た旅の風景とは一転して人口の多い都会の街並みが広がっている。
強烈な光と爆音の正体は、星々に負けないほどの輝きを放つ打ち上げ花火だった。
いったいどこまで連れてこられたのかと嫌な汗が噴き出るほどの焦燥に駆られた。ルルーシュの下へ向かうまでどれほどかかるか――
そこでふと、その街並みにも見覚えがあることに気づく。人通りが多いところへ向かい、さらにそのまま走って記憶を頼りにある場所へと向かう。次々と打ちあがっていた花火が終わるころに目当ての場所へたどり着く。そこには見慣れた学び舎があった。アッシュフォード学園。予感は確信に変わる。ここはトウキョウ租界だ。つまり大陸から日本にまで移動してしまったことになる。
絶望的だった。最期の望みである門まであと少しというところで、よもやこんな事が起こるとは。踵を返し、港を目指す。飛行機は使えない。船で海を渡る方法を考えなくては。
どんなに絶望的でも、ルルーシュを取り戻せる可能性がわずかでもあれば、私は――
先ほどのものと比べて、ずいぶん控えめな音と光が夜空に咲いた。
振り返ると、学園の屋上で花火を楽しんでいる数人の学生たちが見える。
その光景を見て、歩みが止まった。
少しばかり距離があるが、はっきりとわかる。
そして全てを悟って、全身から一気に力が抜けた。
これは夢だ。
だってあそこにいるのは、私が知っている、もう学園には居ないはずの生徒たち。
存在しえない、思い出と妄想の具現だった。
虚脱感に襲われた足を引きずるように踏み出し、学園の敷地内を進む。
校舎に入り、階段を上り、屋上の入り口までたどり着き、扉を開けずに背を向けて座り込む。
ああ、間違いない。扉一枚隔てた先で花火を楽しんでいるのは、ルルーシュ達生徒会メンバーとナナリーだ。
『みんなで花火をする』
叶わなかった約束を果たし、幸せなひと時を過ごしている。
そして私は悟った。これは私とルルーシュが出会わなかった世界。
私は囚われの身のままで、ルルーシュはギアスも知らずに生きている世界だと。
手を伸ばせば届くところに、ルルーシュがいる。
私と契約を結ばない代わりに、友人や家族との幸せを手にしたルルーシュが。
ふと考える。もし時が戻せたとして、私はそれでも、ルルーシュにギアスを与えるだろうか。
以前ルルーシュは後悔はないと、ギアスがなくともいずれはブリタニアを壊すつもりだったと言った。それでも、こうして得られたはずの幸せを取りこぼしたのは紛れもない事実だ。より多くの哀しみを生んだことも。
答えはわからない。そもそもこんな仮定は無意味だ。
それでも、現実での虚ろなルルーシュの姿を思い出して、私は迷う。
涙が溢れそうになるのをこらえて、立ち上がる。
迷ったところで、こんな夢を見たところで、現実は変わらない。
そうだ、変わらない。私には、約束があるから。
後ろ髪を引かれる想いで、自分への問いの明確な答えを出せないまま階段を数段降りたところで、背後の扉が開く音がした。
「まて、どこへ行く?」
内心でため息をつく。全くこの男は夢の中でも間が悪いのか、と。
「行先か?当てならある。だからお前は待っていればいい」
相手からすれば、脈絡もない言葉だろう。会話は成立しない。
だからこれは、私の宣言だ。
「必ず迎えに行く。お前と私が後悔なんて微塵もしないほどの明日が、きっとあるから」
振り返ってそう告げると、ルルーシュはいつもの、ガキ臭くて尊大で、私が愛した笑顔を静かに湛えていた。
次第に私の意識は溶け落ちて、つかの間の世界は終わりを告げた。
*****
目が覚めると、そこは眠りにつく前と同じ景色が広がっていた。
傍らには、寝息を立てるルルーシュが横たわっている。
頭を撫で、男とは思えないほど流麗な髪に指をとおす。
「必ず、迎えいに行く」
夢の中の宣言を、もう一度口にする。
ルルーシュが目覚める前に、朝食の支度をしよう。
今日はいよいよジルクスタンへ入国する。
薄氷の上を歩くような険しい旅も、そこが終点。
あんな夢を見てしまうほどには、私も不安を抱えているということか。
それでも、最期の希望へ向けて、もう少しだけ歩こう。
この幼子のような弱々しい手を引いて、約束を果たすために。