Fate/梟雄   作:ナスの森

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何カ所か修正して投稿し直しました。
主な変更点として、明智と三好三人衆のやり取りを増やしました。


明智光秀という名 前

 ここは帝都。太平洋戦争末期の時代より切り離された特異点。

 その特異点の中心たる聖杯研究所にて、一つの黒禍々(くろまがつ)が生まれようとしていた。

 そこにあったのは―――聖杯と呼ぶにはあまりにも神秘からはかけ離れていて、まるで巨大なガラスの中に培養液を思わせるような赤い魔力で満ちていた。その巨大な器が複数、管によって繋がったこの装置が用いられ、ソレは目覚めようとしていたのだ。

 

「この私が、長きをかけて集積した英霊の魂……!」

 

 その禍々しい光景を、まるで神を見上げるような目で見上げる一人の男がいた。大日本帝国の陸軍の衣服を身に纏い、その赤色のネクタイには彼の明智の家紋が描かれている。そんな変わり映えをする衣服を身に纏う銀髪の男。

 

「わが手に落ちた信長公の霊基、そして聖杯!」

 

 まるで神の誕生を待ち望む信者のように、胸を躍らせながら、歓喜の表情で男は目の前で装置の中に安置された眠る女性を見やる。既に彼が不要とする霊基を切り離し、抜け殻のみの状態となっている只の器。

 この安置された霊基こそかつて織田信長と呼ばれたサーヴァント……その残骸であった。

 

 この特異点においては、本来来るはずの、いや来る筈ではなかったカルデアの面々はもちろん、この地の聖杯に呼び出された筈のサーヴァントもここには来ていない。この男の企みが何のイレギュラーもなく成功するであろう、もしもの特異点。カルデアが前にこの男とは別の同一人物の企みを阻止した特異点とは同一にして、しかしてイレギュラーの介入が成されなかったという分岐を果たした特異点であった。

 

 故に、男を止められる者は、誰一人としてこの場にはいない。

 

「ようやく蘇るのだ……! 真の第六点魔王・織田上総介信長公が……!」

 

 故に、この男の歓喜を耳にする者もここにはいない。それでいいのだと男は思っていた。

 男――そのサーヴァントの真名を南光坊天海。かつて本能寺の変にて主たる信長を殺し、かの豊臣秀吉からの追撃を逃れ、徳川の守護を請け負った男その人である。

 

「ようやく……ようやくお戻りになられるのだ。信長公! ()()()()信長公が!」

 

 嬉しかった。この繰り返される聖杯戦争にて、ようやく彼の者が召喚され、“その名”を呼ばれたとき、歓喜のあまり涙を流しそうになったが、公の前ではその情けない姿を晒す訳にはいかず、なんとか平静を保った。

 それでも、己自身すらも無くしてしまったその名を、呼んでくれた事が嬉しかった。この歓喜のためにあの一時はあったのだと錯覚してしまうくらいには。その名を呼ばれた瞬間、男はようやく失っていた物を取り戻した。

 

 明智光秀、という名を取り戻したのだ

 

 光秀だった頃の記憶が全て鮮明に思い出された訳では無かったが、それでも、だからこそ目の前の公を余計自分の物にしたいという衝動に駆られた。

 

 ふと、男――南光坊天海、または明智光秀はある男を思い出す。

 

「今日の今日まで、其方に対してはどのような感情を抱くべきか分からなかった」

 

 それは、ここにはいない者に対して向けられたある人物への言葉。

 幾度も公に謀反を企てたにも関わらずそれを許されるほどにあの方に気に入られていた事への嫉妬か、自分から公との思い出を奪い去っていった怒りか、それとも自分から死にたいという願望を取り去ってくれた事への感謝か。

 とにかく、その人物に対してどのような思いを抱けばいいのか、光秀は分からなかった。

 

 だが、今この時が来たからこそ、光秀はその男へ向けての情を吐き出した。

 

「だが、この時がきた今ならはっきり言える! 感謝しよう、()()()()()()()()()()()()よ! 其方がこの名を奪ってくれなければ、私は信長公亡き世に耐える事ができなかっただろう! 信長公を討ったあの時からこの明智光秀としての感情を抱いては、とても耐えられずここまでたどり着けなかっただろう! この瞬間に名を取り戻した事による、絶大な歓喜を味わう事はできなかっただろう!!

 其方に対しては色々思う所はあったが、今この瞬間だけは感謝しかない!!」

 

 光秀は生前を思い出す。

 自分が南光坊天海を名乗る直前だった時期、かの”あ奴”の追撃を逃れ、天海として主舞台に姿を現すまでのその間。

 その空白の時間――決して歴史には語り継がれなかったであろう出来事を、光秀は思い出していた。

 

 

 

 山崎の戦いにて太閤に敗れた光秀は、自身を付け狙う落ち武者狩りから逃げ惑い、とある街道を彷徨っていた。

ここが何処であるか、という思考を働かせる程の正常さを、光秀は持ち合わせていなかった。

 ――彼奴のせいで、信長公は……信長公は……!

 そんな一時の感情に支配され、光秀は配下の兵たちに告げてしまった。

 

 敵は本能寺にあり、と。

 

 既に自分を見てくれる信長公ではなくなった信長公。自分だけを見てくれる信長公は既にいない。そんな信長公などいらない。オマエは信長公なんかじゃない。あやつに目の向けるあなた様など、あってはならない。

 ああ、可哀想な信長公。あ奴に目を奪われ、この私という忠臣に目を向ける事ができなくなってしまった。

 

 故に、殺した。

 

 本能之寺。数百しか兵が存在しない手薄なこの寺に火を放ち、やがてあの方の遺体を発見したという報告が部下から飛び出た。自身の死期を悟っての自刃であったという。いざその首を確認しようとして、光秀はソレをする事ができなかった。

 この謀反を起こした動機は所詮、一時の感情に支配された、後先考えない子供の癇癪のようなもの。いざ拠り所を殺したとき、その遺体を目の当たりにした時、自分はどう生きればいいのか分からなかった。

 だから、光秀は見ないことにした。

 そして、都合のいい(悪い)事に、突如として襲ってきたならず者によって信長の遺体は持ち去られてしまった。

 

 その報せを知った光秀は、逃げた。

 逃げ続けた。弱き己から逃げ続けた。己が、己にとっての何を失ってしまったのか、その事実からひたすら逃げ続けた。

 だから光秀は自分に暗示をかけた。

 

 信長公はいずれ帰ってくると。

 

 信長公がお戻りするまでの間、自分がこの信長公との天下を守らねばと思い込んだ。そして、光秀のその過ちを指摘するものはいなかった。

 彼の配下の兵たちは皆こう思っていたのだ……光秀公は信長公を討ち取り、己の天下を目指そうとしているのだと。故に、誰も光秀に指摘しなかった。

 それを指摘してくる人物は、もういない。

 

 信長公なき世に怯える光秀と、自身が照らす天下を目指す彼の、決定的な違いを。

 

 その器の違いを指摘する者は光秀の周りには誰一人としていなかった。故に、その違いが勝敗を決したのだろうか。

 

 山崎の戦い、そう呼ばれる戦にて光秀は彼に敗北を喫した。

 

 信長の死から逃げ続ける光秀が各地に送った文に応える大名は少なく、本能寺の変から11日後、その戦いにて光秀はあえなく自身が忌み嫌っていた“彼奴”に敗れた。

 

 

 死を装い、逃げ落ち、その末に光秀が彷徨い出たのが、この街道だった。

 

 

「信長公……申し訳、ありません。彼奴から、貴方様の天下を、お守り……できずに……」

 

 誰もが嘲笑うような世迷い言を吐きながら、光秀は街道を進む。ボロボロで傷だらけ、それでいて満たされず泣き続ける腹を抱えながら、ひたすら街道を彷徨い歩く。

 自身の罪から目を反らし続け、偽りの使命に突き動かされ、罪を己が嫌う“彼奴”に押しつけたまま……そんな(うつつ)に酔いながら、光秀は夜の街道を彷徨い続けた。

 

 そこで、誤算があった事に光秀は気づく。

 この街道こそ、自分が今まで逃げ続けてきた落ち武者狩り達が根張る陣であったのだ。

 

「信長公、信長公……」

 

 だが、既に光秀にはそんな事などどうでもよかった。

 多くの欲望の視線に晒されたまま、光秀はその陣の真ん中をひたすら進んでいった。まるで夢に酔う幽鬼がごとく、よろめきながらゆっくりと、それでも進み続けた。光秀にはそれしかできなかったのだ。

 

 多くのならず者に囲まれる中、光秀は思い出していた。

 それは、信長公との日々、思い出。

 幸せだった。神の如く崇め上げていた信長が自分を褒め、兵を与えられ、敵軍の殲滅を言い渡され、領地を与えられ、自分を取り立ててくれた信長を、光秀はただただ敬愛していた。

 だが、時の流れは残酷かな。光秀以外にも信長の目に止まる武将達が増えてしまった。その中でも特に苛立ったのは、“あ奴”。彼の者程ではないにせよ信長公から茶飲み相手としても気に入られ、公にサルと呼ばれる度に公に向けるあの無邪気な笑顔が癪に障った。

 

「ああ……信長公、早く、ご帰参を。この明智光秀、何時でも貴女様を迎える準備はできています。ですからどうか……早く、私の前に、お姿を……!!」

 

 囀り飛び去る烏の鳴き声も、盗賊達の視線も、既に光秀を(うつつ)から冷ますには足らなすぎた。

 信長公を討ったあの日から、信長を討ったという罪の意識から逃れて、信長の天下を守るという偽臣の行為に身を委ねた光秀を、意識させるものがあるとすれば、彼にとってよほどのあり得ない現象に遭遇させる他なかった。

 

「……?」

 

 

 例えば、既に死したと思われた者達との邂逅とか。

 

 

「……幽鬼か」

「……幽鬼だな」

「……ああ、回顧に迷えし……地底の仔だ」

 

 光秀を取り囲む盗賊の群れの中から出てきた、異様な雰囲気を放つ三人の武者。ドクロのような仮面を付けた男達。

 真ん中にいる者は白い陣羽織を身に纏い、その手には白黒の野太刀を持っている。

 左右の二人は黒い陣羽織を身にまとい、その手にはその白黒の縞模様の柄をもつ槍が握られている。

 

「お、お前達はッ!?」

 

 見知った顔の、その変わり果てた姿には、さしもの光秀も呆気に取られるしか無かった。

 

「お前達は……確か信長公の上洛に際し敵対し敗れ去った……」

 

 一人の名を、三好長免。もう一人の名を、三好宗渭。最後の一人を、岩成友道。

 人呼んで三好の三人衆と謳われた、かつて信長公が義昭を奉って上洛したのに際し敵対し、敗れた武将達。

 連敗を重ねその勢力は徐々に衰えていき、最終的に雲隠れをしたという話を耳にしたが、それが何故よりにもよってこの盗賊集団の中に紛れ込んでいたのだろうか。

 

「我らはそんな過去など()くした……」

「或いは元から無かった……」

「そう……丁度、今のお前と同じだ……」

 

 そんな光秀の疑問を見抜いたのか、一人目はソレに答えるように、二人目はそれに続けるように、そして三人目は己を同類だと、それぞれ感情の抜けた無機質な声音で光秀に告げていく。

 その、三人目の発言に、光秀は狼狽える。

 

「私が……一体、何を失ったと……?」

 

 自分はまだ何も失っていない。

 信長公さえ帰ってきてくれれば、瞬く間に全てを取り戻せる。あの信長公の天下を横からかすめ取ろうとする不届き者も消す事ができる。

 天下は再び、我が公の(もと)へ降りるのだ。

 ……そうだ、自分はまだ、何も失ってなどいないのだ!!

 

「分からぬか?」

「気付かぬ振りをしているだけか?」

「……まあ、我らにはどうでもいい」

 

 未だに現実(いま)を見据えぬ光秀に対し、三人は憤慨することもなく、だからと言って失望したわけでもなく、呆れを示したわけでもなく、ただ淡々と三人で交互に言葉を放つ。

 言い放ったと同時、真ん中にいた野太刀を持った男が光秀に一歩踏み出す、その瞬間左右にいた二人が交差するように入れ替わり、野太刀を持った一人を正面に、三人で背中を預け合うような体勢に入る。

 

「……何をするつもりだ?」

 

 武器を構える三人に対し、光秀も身構える。 

 こんなところで死ぬわけには行かない、自分は公の帰りを待たなければならないのだと心に言い聞かせながら。

 

「どの道、回顧(ゆめ)は長く続かぬ……」

「素早く、迅速に覚まさせる……」

「それが情け……」

 

 その瞬間、槍を持った二人が左右に分かれ、光秀を挟撃せんとその矛を向ける。とっさに刀を抜き、臨時体勢に入る光秀であったが、戦に敗れた後の傷と、飲まず食わずの逃亡生活によりその体は既に限界を迎えていた。

 それでも、何とかその挟撃に対応せんとする光秀であったが、こんな見え見えの攻撃が見切られるなど三人はとっくにお見通しであった。

 槍を持った二人は光秀を挟撃するように見せかけ、光秀の目の前で左右対称を体現する動きで見事に交差する。

 その交差により光秀の視界を封じ、交差の瞬間が過ぎた途端、槍を持った二人の間から野太刀による一撃が飛んできた。

 

「くッ……!!」

 

 咄嗟の奇襲を対応しつつも、その衝撃により光秀は後方に吹き飛ばされてしまう。それでも防御の態勢は崩さずに何とか、三人の連携を崩さんとその動きを観察しようとするが、体は思うように動かず。

 限界を迎えようとしていた体は、とてもではないが智将たる主の脳に付いていく事はできなかった。

 周りに味方はいない。周囲には何故か襲ってこない盗賊団の者らと、ソレラを観客に曲芸じみた連携技で光秀を追い詰める三好のなれの果ての三人。

 まさに孤立無援。

 光秀の天下を信じて付いてきてくれた配下達はとうに打ち死したか、落ち武者狩りに散っていったか、それとも飢えの末に朽ち果てていったかのどれかであろう。

 

「昼の正体を知っているか……?」

「少し眩しいだけの夜だ……」

「この墨色と、何ら変わりない……」

 

 野太刀を持った三人衆の一人が、槍を持った一人を光秀に向けて投げつけ、投げつけられた一人はその槍の矛先を光秀に向けたまま飛ぶ。投げた方もまた野太刀を構えながら同等の早さで光秀に迫る。残りの一人もそんな二人に続くように後続から槍を構えて光秀に向けて突進する。

 絶え間なく続く連携攻撃に光秀の体は持たず、ついに刀を手放してしまう。

 

「ッ!?」

 

 三人衆に囲まれ、野太刀と槍を三方から突きつけられ、とうとう光秀は身動きを取れなくさせられた。

 

「ハァ、ハァ……」

 

 息を上げる光秀に三人は諭すのではなく、ただ淡々と告げる。

 

「あの空を見上げろ……」

「お前を照らす日は何処にも無い……」

「時はあるのだ。……日は既に落ちている」

 

 日。それは明智光秀にとっての、己自身を照らしてくれる日。そう言える存在は信長公を差し置いて他にはいない。

 その日は既に落ちている。

 二度と昇ることはない。

 

 そう、亡くした太陽を取り戻す事など、光秀には()()叶える事はできない

 

「黙れ……信長公に敗れ去った負け犬どもが……公にお仕えする私に戯れ言をッ……!!」

 

 暗にお前の主の死を受け入れろと言ってくる三人衆に対し、光秀は力ない怒りで三人衆へ怒鳴りつける。

 

「戯れではない。……この墨色こそが真実」

「受け入れろ。……それが唯一の(すべ)

「そして悟れ。……己もまた不如帰(負け犬)の一人に過ぎぬ事を」

 

 所詮、お前もまた信長に刃向かい散っていっただけの、”あ奴”に泣かされただけの不如帰(ほととぎす)に過ぎないのだと、その言葉で三人衆は光秀の心を更に追い詰めていった。 

 

「日は……また……昇る……!! 信長公はきっと帰って……嗚呼、ァ、ウゥ……しが、私が、夢に酔っているとでも言いたいのかぁッ!? この三好の悪霊擬きがぁッ!」 

 

 光秀は認めない。

 決して認めない。

 認めてしまったら、自分は今度こそこの世界で生きられなくなってしまう。

 

「あの方に敗れ消え去っていったお前達に私の何が分かる!!? 日はまだ落ちていない……信長公はッ、信長公はッ……!!」

 

 故に、光秀は(ユメ)を見続ける。

 信長公の天下を横からかすめ取ろうとする“あ奴”から、何処ともしれず姿を消した信長公が帰ってくるまで、その天下を守り続ける自分を。

 あの方を帰りを待ち続ける自分を。

 

 その内の一つ、公の天下を守り続ける忠臣としての自分は既に崩壊した。山崎の戦いにて“あ奴”に敗れ、その夢は瓦解した。

 残りは、あと一つ。

 信長公の帰りを待つ自分しか、もう見れる夢がない。

 

 だからこそ、光秀はその最後の夢に縋り続ける。

 正真正銘、そうする事でしか自分は明智光秀で在れないのだから。

 

「頑固だな。予定が狂う……」

「仕方ない、“例のモノ”を……」

「結局そうなるか……」

 

 相変わらず抑揚のない声でそう呟いた三人衆。野太刀を持った一人が観客の盗賊の一人にある指示を出す。

 その指示を聞いた盗賊の一人はまるでならず者らしさを感じさせぬ所作で返事をし、仲間と共にあるモノを持ってきた。

 

 道が開けられ、その奥から“例のモノ”が盗賊達の手によって運ばれてきた。

 

 運ばれて来るのは、いかにも高級そうな台と、それに乗せた高級そうな布に包まれたナニカ。

 明らかに一介の盗賊集団が手にできるような一品ではない事に光秀が疑問を抱く暇もなく、ただただその毛布に包まれたナニカに目が釘付けとなった。

 

「そ、それは……」

 

 その中身を、見てはいけないような気がした。

 それを見れば、今度こそ光秀の中のナニカが壊れるであろう確証が、彼自身の中にあった。

 

「よ、止せ、やめろ……!!」

 

 三人衆の内の一人がその布の結び目を解こうとするのをみた光秀は、思わずそう叫ぶ。だが、三人衆はソレを意に介さない。

 ただ淡々と、目の前の愚者を夢から覚ます、ただそれ以外の目的を持たないまま、その包みの結び目を解いた。

 

「とくと見ろ……」

「お前を照らす日……」

「その落ちた姿を……」

 

 包みを解いたその下には、さらに何重もの布で包まれている。

 その包みの結び目を、野太刀を持った一人がソレを振るい、下の何重にも包まれた布の結び目を一気に切り離す。

 

「やめろ……頼む」

 

 手を伸ばし、野太刀を持った一人のその行為を阻止せんと身を乗り出す光秀であったが、左右にいた他の二人の槍の柄によって押さえられ、地に伏せられた。

 そして槍を持った内の一人が槍の柄を光秀の顎の下に食い込ませ、無理矢理光秀の顔を”ソレ”に向けさせる。

 

「それだけは……それだけは見せないでくれッ!!」

 

 

 光秀の懇願ももはや間に合わず、とうとう“ソレ”は曝け出されてしまった。

 

 

 出てきたのは、首級(しるし)だった。

 その首級はどうやら女性のモノらしく、首の切断面に平行するようにそこでバッサリと途絶えた真っ直ぐな髪は、生きていた頃はおそらく長髪の女性であっただろうという事が容易に想像が付く。

 肌には上等な化粧が施されており、まるで死を感じさせぬ程の美肌を保ったまま、それは一つの宝としてそこにあった。

 

 

「あ……あぁ……」

 

 

 生前の美しさを損なわずに奉られたその首級の正体が誰であるかは、もはや語るまでもない。

 だが、その名前を口にするまでが、光秀にとっては永劫の時間とも取れる長き苦しみだった。

 

 

 

「………の、信長、公?」

 

 

 

 そこにあったのは、紛れもなく自身が敬愛した織田上総介信長公その人の首級。まずは、その事実だけが光秀の脳にインプットされる。

 

現実(いま)()ったか? ……ならば目覚めろ」

 

 ふと、空を見上げれば、先ほどよりもずっとその墨色が濃くなっているように見えた。今まで見えていた筈の日、己だけを照らしてくれる日は、自分がみていた夢に過ぎなかった。

 そんなモノは、とうに目の前に落ちていた。

 

「目覚めたか? ……ならば悟れ」

 

 そして、光秀は思い出す。

 公の天下を犯したのは、“あ奴”でも、他の誰でもない。

 

 その謀反人は、明智光秀。即ち、自分に他ならなかった。

 

「う……ぅあ……わ、私は……私、は……?」

 

 “敵は本能寺にあり!”――蘇った記憶の中で、高らかにそう叫ぶ愚か者の姿は、紛れもなく自分。自分で謀反を起こしておきながら、その先を恐れて公の遺体を確認する義にすら背いた。背いたが故に、このようなならず者の集団に公の首級が渡ってしまった。

 

 それを引き起こしたのは誰か……自分に他ならない。

 

「……ククッ、クッ、クッ……うう……う、クク……」

 

 

 

 

 ここまでの己の喜劇を思い出し、涙と共に笑いまでもが出た。

 

 

 

 

「ウゥ…ア……ア“ア”ア“ア”ア“ア”ア“ア”ア“ア”ア“ア”ア“ア”ア“ア”ア“ア”ア“ァァッ!!」

 

 

 

 

「悟ったか? ……ならば進め」

 

 狂い泣き、慟哭を囀る光秀の前に、三人衆は部下の盗賊達に指示をし、道を作らせた。

 この街道の更なる奥へ繋がる、その道を。

 

「「「腹すき(さえず)る、(ふくろう)の席へ……」」」

 

 狂ったように泣き続ける光秀は、最早それが何を意味しているのかすら分からず、ただそれに従って進んだ。

 もはや彼には”明智光秀”という名しか残されていなかった。

 

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