フェルディアが間桐桜に召喚されて早くも二日が過ぎようとしていた。
―――間桐桜は夢を見ていた。
そこは見渡す限り紫の空と一角の城だけの風景。 桜にはこの光景に見覚えがあった。
そう。 彼女がフェルディアを喚び出したその日に垣間見た、彼の記憶である。
視線を空から前に向けると、赤髪の男と青髪の男が向き合っていた。
赤髪の男―――フェルディアを見つけると彼女は顔を綻ばせた。
フェルディア・マク・ダマン。 桜の想いに応え、桜を護ると誓った桜の王子様。
その形が夢と言えど恋する少女が意中の人を目にして顔を綻ばせるのは恋する乙女の性なのだろう。 桜が静かにフェルディアを見ていると―――二人が動いた。
『今日こそ勝つぜ―――アニキ!』
『なに。 まだまだ負けんさ』
青髪の男が黒の長槍を突き付けて、そう宣言した。
対するフェルディアは余裕の表情で黒の長槍で身体を守るように構えた。
桜がフェルディアさんの弟さん?と考えている間に戦闘は開始した。
時間にして一瞬の出来事だった。 フェルディアが槍を僅かに下げた。 それを青髪の男は誘いだと判断した。 だが、
本来ならそれは愚策だ。 けれど、そうだと理解していながら彼はフェルディアへと飛びかかった。
両者が互いの間合いに入ろうとした一瞬、青髪の男は長槍を地面に叩きつけ、棒高跳びの要領でフェルディアの上を取った。
そして空中で身体を回転させながら重力に身を任せて落下する。
落下の速度、回転の勢い、そして―――自身の膂力。 それらを乗せた暴力の奔流とでも言うべき一撃を容赦なく叩き付けた。
只人なら青髪の男に上を取られたことに気付くことなく殺られていただろう。 しかし、フェルディアの鍛えられた動体視力は男の挙動を捉えていた。
普段のフェルディアならその一撃を受け止めることはしない。 攻撃が当たる瞬間に回避し、武器を構え直すなどの明確な隙を突いて反撃に転じるだろう。
だが、青髪の男が敢えてフェルディアの誘いに乗ったようにフェルディアも
衝撃で大気が爆ぜた。 フェルディアの足場が陥没した。 フェルディアは咄嗟に首で槍を支え、膝が曲がりきるのを防いだ。
そして僅かに曲がった膝をバネのように使い、男を空中に押し返し、勢いのままバク転。 手が地面に着いた瞬間、手だけで身体を押し出し、男の胸部を蹴った。
男は蹴られた衝撃で空気を吐いた。 その隙にフェルディアは跳んで男よりも高所を奪い、横腹に向かって長槍を振るった。
男は振るわれる長槍を辛うじて防ぐも、空中のため、踏ん張ることが出来ずに地面に叩き付けられた。
フェルディアは追い打ちをかけるように槍を投擲するが、男は地面を転がることでそれを回避した。
フェルディアは着地と同時に地を駆けた。 進行方向に刺さっている槍を抜き―――立ち上がりかけの男の喉元に突き付けた。
『俺の勝ちだな、クー・フーリン』
『……くそッ。 まだ勝てねえか』
フェルディアの勝利宣言に青髪の男―――クー・フーリンの声は悔しさを含んでいたが、その表情は晴れやかだった。
フェルディアがクー・フーリンを起こそうと手を伸ばし、それを彼が取ろうとすると二人に殺気が襲い掛かった。
二人が咄嗟に飛び退くと同時に、一本の槍が二人の間に突き刺さった。 その槍は血のように赤い朱槍だった。
それを視認した二人の顔が青ざめた。
見間違いでなければこの朱槍は二人が敬愛すると同時に頭が上がらない彼女の得物だからだ。
『一部始終を眺めていたが……なんだ、今の試合は…?』
二人が一歩退こうとすると、地を揺るがすような怒気を孕んだ艶やかな女の声が鼓膜を打った。
『し、仕方ねえだろ!? オレらが本気で戦ったらこの国が壊れちまう!』
『ほう。 私の結界が信用ならん、と?』
クー・フーリンの
『あ、アニキ…ッ!』
クー・フーリンが縋るような視線をフェルディアに向ける。 スカサハは顎をしゃくり、フェルディアに催促する。
縋る弟弟子。 怒る師匠。 二人に挟まれながら意を決したフェルディアは口を開いた。
『手を抜いたことは悪いと思う。 けど、本気で戦ったら殺しかねないだろう?』
『そのために本来の得物ではなく、特殊な槍を使っているのだろう?』
流石は最強の女戦士。 フェルディアの手にしている長槍を一目見ただけで刃が無いことを見抜き、それを指摘した。
もはや言い逃れは不可能。 そう悟ったフェルディアは肩を竦め、構えた。 力技による抵抗を選択したのだ。
そこで我慢の限界が来たのだろう。 青筋を額に浮かべたスカサハは地を蹴り、二人に迫った。
そして――――――抵抗虚しく、二人は仲良く空を舞った。
場面が切り替わる。
そこは豪勢な部屋だった。 床に絨毯が敷いてあり、壁には絵画が何枚も飾ってある。
フェルディアの視線の先には四十路ほどの男が玉座に腰を下ろしている。
男の名はダワーン。 フェルディアの父であり、コノートの王の一人である。
『お久しぶりです、父上』
『帰ったか、我が息子よ』
フェルディアが口を開けば、ダワーンもそれに対応した。
だが、その声に自分の息子の帰宅を喜ぶような声色はなかった。
それもそうだ。 ダワーンはフェルディアをただの攻城兵器としか見ていないのだから。
しかし、ダワーンの態度にフェルディアも慣れているのか世間話を数度交わすとその場を離れようと踵を返した。
『待て』
『……なんですか?』
フェルディアが扉に手をかけた時、ダワーンから制止の声が掛けられた。 こんな男とはいえ王だ。 渋々とフェルディアは振り向いた。
『アイルランド連合の女王陛下が貴様に会いたいそうだ』
『今から赴け、と?』
フェルディアの練り上げられた脚力ならば、直ぐに馳せ参じることは出来るだろう。 それでも帰宅後早々に格式ばった挨拶など面倒なのか、フェルディアは顔を顰めながら聞き返した。
『その必要は無い。 女王陛下自らご足労いただいた』
どうやらその心配は杞憂らしい。 女王は客間に招いてある、とだけ告げるとフェルディアへの関心をなくし、止まっていた執務に取りかかった。
それを見てフェルディアはため息を零して、重い足取りで客間へと向かった。
王の間と客間の距離は然程遠くない。 フェルディアは客間の扉の前に立つと、扉を四度ノックした。
ノックに反応したのだろう。 扉の向こう側から入りなさい、と清楚さを感じさせる女の声が返ってきた。
女王からの了承を得たフェルディアは扉を開け、部屋に足を踏み入れた。
部屋の中に居たのは白い毛皮で編まれた外套を纏っている桃色の髪の少女だった。
女王、と聞いていたから妙齢の女性かと想像していたが、自分より若い少女だったことに驚きながらもフェルディアは彼女の膝下まで歩み寄り、傅いた。
『お初にお目にかかります。 女王陛下』
フェルディアの一連の行動を見届けた女王は感嘆した。
アルスターでは男尊女卑が主流の風潮だった。
彼女が女王として君臨して経った月日は短いが、自分の元にやって来た戦士は皆プライドが高く、幼い少女に仕えることに知ると顔を顰め、女神の如き完成された身体を持つ彼女に下卑た視線を向ける者しかおらず、ましてや傅く者など皆無だった。
そんな男しか知らなかった彼女にとって女である自分を敬い、下卑た視線を寄越さないフェルディアを―――欲しい、と思った。
女王―――メイヴは座していた椅子から腰を上げ、傅いているフェルディアに近付いていく。
そして、頭を下げている彼の顎に手を添え―――目線を自分に向けさせた。
『貴方、気に入ったわ。 私のもの―――いいえ。 私の騎士になりなさい』
その表情は無垢な清楚ではなく、どこまでも淫蕩の感情で染まっていた―――。
意識が浮上する感覚と共に間桐桜は起床した。
寝ぼけ眼で周囲を確認すると昨夜一緒に寝たはずのフェルディアの姿が確認出来なかった。
おそらく桜を起こさないように静かに起きたのだろう。
桜はベッドから抜け出し、パジャマから昨日のうちに用意しておいた私服に着替えて居間に足を運んだ。
居間の扉を開けると既に朝食の用意を済ませたであろうフェルディアが椅子に腰をかけていた。 扉が開いた音に反応したのだろう。 顔を桜の方に向けて口を開いた。
「おはよう、サクラ」
「おはよう、フェルディアさん」
二人の何気ない朝の始まりである。
桜が今日見たフェルディアの記憶の内容に言及し、フェルディアがそれをはぐらかしながら朝食を共にして。
朝食を済ませたら二人並んで洗い物をし、洗い物を終えれば鏡の前で二人並んで歯を磨いた。
それらが終わった頃には既に桜の登校時間になっていた。
桜はランドセルを。 フェルディアはエコバックを片手に家を出る。
フェルディアと桜は手を繋ぎ、通学路を共にした。
途中ですれ違うご近所さんと挨拶を交わしながら十分ほど歩くと桜が姉―――遠坂凛と待ち合わせをしている場所に着き、そこで二人は別れる。
「いってきます。 フェルディアさん」
「いってらっしゃい。 サクラ」
桜とともに家を出て、夕餉の内容を思案しながらスーパーへと向かい、下校時刻になれば桜の送迎を行う。 それがフェルディアの日課になりつつあった。 だがこれも悪くないと思いながら、彼は冬木に馴染もうとしていた。
フェルディアが日常を噛み締めた数十分後、一人の男が冬木の街を走っていた。
男の名前は間桐雁夜。 その表情は血気迫っており、彼が焦っていることを明確に教えてくれた。
電話で兄の話を聞いた時、雁夜は自分を許せなかった。 自分のせいで大切な女性の娘が雁夜の代わりになってしまった。
だから彼は自分を罰するために、因縁の地に足を運んだのだ。
既に手遅れかもしれない。 それでも、償うと決めたのだ。
覚悟は出来た。 今なら、戦える。
間桐に蔓延る呪いの系譜を断ち切るために。 そしてなにより―――大切な女性をこれ以上、悲しませないために!
雁夜は数年ぶりに、自らの生家の戸に手をかけ―――ガチャンッ、と鍵のかかった戸に入ることを拒まれた。
「―――は?」
予想外の事態に雁夜は硬直した。 間桐の支配者である間桐臓硯は陽を嫌う陰湿な奴だ。 少なくとも、雁夜が過ごしていた頃、昼間はいつも家に居たはずだ。
何度も戸を引いても戸は開くことなく。 鍵がかかっていることを知らしめるだけだった。
「くそっ! こんなところで躓いてる暇なんてないのに……!」
今、自分がここで立ち尽くしている間にも少女は嬲られているかも知れないのだ。
居ても立っても居られず、雁夜は何かで戸を壊すことを決断し、手頃な物を探すために踵を返し―――一人の男が自分を直視していることに気付いた。
赤い髪が特徴的な西洋人だった。 手に買い物袋を持っており、その膨らみ具合から買い物帰りなのが察せられる。 そして左手に封のされた高枝鋏を握っていた。
あれなら―――戸を壊せる。 そう判断した雁夜は男に高枝鋏を借りようと駆け寄り―――流れるように組み伏せられた。
「お前、空き巣か?」
外国人にしてはとても流暢な日本語だった。 思わぬ事態に雁夜が呆然としていると込められていた力が強まった。
その痛みで立ち直った雁夜は身の潔白を証明するために口を開いた。
「ち、違う! 俺はこの家の息子だ!」
「名前は?」
「間桐、雁夜……!」
絞り出すような声で名乗ると、やけにあっさりと拘束を解かれた。 雁夜は立ち上がり、男に高枝鋏を借りようと話かけようした
が、男は戸の錠に鍵を差し込んで、鍵を開けていた。
「なんでお前が家の鍵を持ってるんだ!?」
「ビャクヤから聞いていないのか?」
思わず雁夜は男の肩に掴み、問い質した。
対する男は何で知らないんだ、と言わんばかりの声色で雁夜の兄の名を出しながら、雁夜に返した。
お前、何者だよ。 と雁夜が小さく呟くと、男は自分の立場を口にした。
「俺は―――サクラに召喚されたサーヴァントだ」
「はあああァァァッ!?」
真昼間の深山町に、雁夜の叫びが轟いた。
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