『深碧のアンダードッグは神のいる世界で何を思うか?』 作:rairaibou(風)
シオンタウンの外れ。そこからでも、シオンタウンのざわつきが理解でき、そして、これまで見たこともないような、触れれば掴めるのではないかと錯覚してしまいそうなほどに密集し、どす黒く空に巻き上がる黒煙が、確認できる。
だが、彼らが足を止めたのは、その光景が理由ではなかった。
グリーンもコウタも、その男の出現に立ち止まり、コウタはそれに怯え、グリーンはそれを睨みつけている。
先導していたピカチュウは、頬の電気袋から電撃をほとばしらせながら、その男に敵意を向けていた。そして、その男は、その敵意にひるんではいなかった。
見上げるような巨大な体格、乞食ですら手放しそうなボロボロの服と外套に身を包み、癖のある髪とヒゲは乱雑に伸び、顔の半分を覆っている。
ひと目見ただけで、異様な雰囲気を持った男だった。
そしてその男は、グリーン達のように爆発のあったシオンタウンの中心に足を急ぐわけでもなく、爆発に生命の危機を感じて命からがらにシオンタウンの中心から駆けて逃げようとしているわけでもなく。雄大に、シオンタウンの混乱を背中に受けて満足気に歩いている、とてもではないが普通ではない。
「ピカチュウ!」
グリーンが叫ぶと、ピカチュウはそれに短く鳴き声で返事をし、すぐさまに軽快なステップで、グリーンの一歩後ろでその男に怯えるコウタの前に立つ。
「そいつを守れ!」
その言葉に、ピカチュウから一拍遅れて「はい!」とコウタが返事をするが、当然グリーンとコウタの間には認識の違いがあっただろう。
「やぁ、やぁ、やぁ」と、その男は大きく口を開けて言った。不揃いの両の瞳は、その男が何を見ているのかを分からなくさせていたが、嬉しげに細められている瞼が、かろうじてその男の機嫌の良さを表している。
「神の啓示を受けているわけではないだろうが、それでもここまでの行動を取れるということは、精神世界の中で強く足を踏みしめ、それでいて、傲慢な自意識に陥ってはいないということだろう」
グリーンは、それに何も返さない。だが、いつでもボールからポケモンを繰り出すことが出来るように準備をしながら、その男をにらみつける。
男は続ける。
「神というものは、時に残酷であり、時に祝福も与えるが、それは仕方のないこと、神の絶対的な意志の前に、私達は、あまりにも力を持たぬ泥人形なのだ。君が神に仇なすモノでなければ、新たな神話を紡ぎ出すここではない新しき概念の中に生誕し、神話の中に生きるべき存在というのは、君たちのような若き少年達であることが、恐れ多くも私が神に乞う願いの一つであったというのに。あぁ、悲しい、なんと悲しきことなのだろう」
「あんた、なにもんなんだ」と、グリーンが一時もその男から目を離さずに問う。だが、それについて明確で納得のできる答えが帰ってくるとは思っていなかった。その男の言うことが、今の段階でも何一つ理解できないというのに。
そうしている間にも、シオンタウンの喧噪は広がりを見せ、黒煙はその質量を増し、何かが崩壊する音が聞こえ、緊急時に出動する車両がその存在を主張するサイレンの音が鳴り響いている。
男は、両手を広げ、グリーンとコウタの疑問を受け止めるようにしながらそれに答えた。
「我が名は『教皇』クワノ一世。恐れ多くも、穢れを知らぬ神の子が、穢れ多きこの世界を探るがための指先」
やはり、言っていることの意味が何一つわからない。
「何をした。これは、お前の仕業だろ?」
「やぁ、やぁ、やぁ」クワノが笑う。
「聡明なる少年よ、あるいは君ならば理解が出来るかもしれない。私が導く子羊達は、それを理解するにはあまりにも聞き分けが良すぎるのだ」
クワノは、大きく息を吸い込んでから続ける。
「ポケモンの亡骸を川に流せば、やがてそれは肉と皮を身に付け、再び戻ってくる。シンオウ地方の、愚かな神のまがい物を信じた愚人の言葉だが、これ自体は、間違った考え方ではない。元来、ポケモンの魂は神のみの理解の範疇の中にあるものなのだ」
故に、と、更に続ける。
「ポケモンの魂を、人間がその手に収めようとすることは、神の持ち物を奪わんとする、反逆にほかならない。たとえ神が大いなる慈悲の心でそれを許そうとも『教皇』である私は、それを許すことが出来ぬ。否、私が『教皇』であり、暗闇を探る神の子の指先である限り、それを許さぬことこそが、私の使命なのだ」
当然、クワノの言うことの意味は一つもわかりはしない。
だが、グリーンは、クワノの演説から、一つの可能性を感じ、そして、あわよくばそれがただの可能性で、ただの思い過ごしであることを願いながら、問う。
「『たましいのいえ』なのか」
クワノは、グリーンを気に入ったように笑顔を浮かべて答える。
「やぁ、やぁ、やぁ。勘のいい少年だ。否、聡明な頭脳によるひらめきを勘と片付けるのは、あまりにも敬意に欠ける」
そして続ける。
「さよう、私は『たましいのいえ』に鉄槌を下した」
その言葉をすべて聞き終わるよりも先に、グリーンはボールを地面に叩きつけるように素早く投げ、エスパータイプの最上格、フーディンを繰り出した。
「『サイコキネシス』!」
同じく、フーディンが繰り出されると同時に放たれた指示を、彼は忠実に守って実行した。
得も言えぬ感情が、グリーンを支配していた。人間に向かって技を放つ指示など、これまでの記憶の中に無い。
フーディンならば、それが間違いにならないように、ある程度手加減をしながら、それでいて相手を上手く拘束するような攻撃位を放つことが出来るだろう。だが、そのような保険的考えは、その時のグリーンにはなかった。
だが、間違いは起きなかった。それは、フーディンが手心を加えたからではない。
グリーンが動いたその瞬間、クワノも同じく身を翻し、外套の中からボールを放り、繰り出されたポケモンが、フーディンの前に立ってその技を受けたのだ。
その動きの的確さに、グリーンとコウタは思わず目を見張った。
彼らは、クワノが優れたトレーナーであった過去を知らない。頭のおかしな破壊者が、トレーナーとして素晴らしい動きを見せたことが信じられない。
そして、繰り出されたポケモンの異質さも、彼らの思考を一瞬止めた。
無機質なポケモンだった。
太く大きな胴に、短い手足がついているだけのようなポケモンだった。その半透明に透き通った様子と、そのポケモンの周りに纏わり初めた冷気が、そのボディが氷でできていることを予感させる。
顔に当たるかもしれない部分に埋め込まれたいくつもの点のようなものは、音楽を鳴らしているときのオーディオ画面のようにせわしなく点滅していた。
「レジアイス」と、グリーンは呟いて、クワノとレジアイスの動きに集中する。
その言葉を、コウタは知らなかった。それが、今自分の目の前に現れたポケモンのようなそれの名であることかもしれないことはわかるが、彼はその名を知らない。
彼を守るために電撃の準備をし続けているピカチュウも、そのポケモンの正体を知らなかった。だが、あのフーディンの『サイコキネシス』をまともに食らって、少しもたじろぐ様子がないことから、かなりの脅威であることだけを理解する。
「ほう、このポケモンの正体を知るか」
クワノは感心したように頷いて続ける。
「聡明で知識も持ち得る。更に勇気と、実力を持ち合わせるとなれば、我々に歯向かうその心意気も理解できる。神の子が作る新たな世界に連れて行けぬことは世界の損失だが、尤も、君の恐れを知らぬ聡明さは、この下らぬ世界に、ほんの少しだけ彩られた美しい花のようなもの、おいそれと我々に同調するような短絡な生命であるならば、私はそれを美しいとは思わないだろう」
「フジさんはどうした」
「悲観的な主義は、焦りを生み、時として君のような優秀な人間を愚人に変貌させるようだ。何も心配することはない、我々は誰も殺さない。それが、神と神の子の意志である限り」
グリーンに親しみ気な笑顔を投げかけたクワノのスキを突き、グリーンは新たにボールを放り投げ、カイリキーに交代する。
彼は、おおよそこの世に出回っているレジアイスについての情報は理解していた。こおりタイプで、特殊防御力に強みがある。フーディンを確認してからこのポケモンを繰り出したクワノの判断は、何も間違ってはいない。
だが、こおりタイプという条件上、格闘タイプには弱みがある。だからこそのカイリキーだった。
「『クロスチョップ』!」
カイリキーの使える格闘タイプの技でも一、二を争う大技だった。
しかし、それより先にレジアイスが動く。クワノは、グリーンがポケモンを交換し、レジアイスを攻撃してくることを読み切っていた。
レジアイスの動きを察知したピカチュウが、自身の意志でグリーンの前に飛び出した。
「『だいばくはつ』」
カイリキーの手刀が届く寸前に、その指示は敢行された。
巨大なエネルギーが、レジアイスを中心に爆散される。
グリーンとコウタの体は浮き上がり、小さく宙を舞って地面に叩きつけられた。
瞬間、彼らは息苦しさを覚えた。内に入り込んだ衝撃が、肺が膨らむのを阻害している。
ゆっくりと、呼吸を取り戻そうとしていたグリーンは、それでも、自分たちへの被害が最小限で終わったことに気づいている。
レジアイスの『だいばくはつ』が巻き起こるその寸前に、自分たちの前に飛び出したピカチュウが『リフレクター』でその威力を考えられる最小限にまで抑えたのだ。
巻き上がる砂煙の向こう側からの攻撃に備え、ピカチュウは電撃をほとばしらせながら、その先をにらみつける。
呼吸を取り戻したグリーンが、膝を突きながら体を起き上がらせ、そのサポートに回る。
だが、砂煙の向こう側から聞こえてきたのは。
「やぁ、やぁ、やぁ」
『教皇』クワノ一世の笑い声であった。
「追うのだ。我らを導く、ことわりの会話を」
クワノは、姿を消した。
晴れつつある砂煙の向こう側には誰もおらず。ポケモンもいない。
「コウタ!」
それを確認してから。グリーンは倒れて苦しそうに呼吸を続けるコウタに駆け寄り、上体を起こした。
「大丈夫か」
コウタは一つ二つ咳き込んでから答える。
「大丈夫です。少しびっくりしただけです」
もう二、三咳き込む。
「今のは」
「わからない」
「ありがとうございました」
コウタも、ピカチュウが『だいばくはつ』の威力を抑えたことに気づいていたようだ。
「俺じゃない、ピカチュウだ」
グリーンはピカチュウを手で呼ぶと「よくやった」と褒めながら頭をなでた。
「ありがとう」
コウタも素直にピカチュウに礼を言って頬を撫でる。
素直にそれを受け入れるピカチュウの表情は、どことなく誇らしげだった。
あいつが頼るわけだ、と、グリーンは素直にそう思った。
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