『深碧のアンダードッグは神のいる世界で何を思うか?』   作:rairaibou(風)

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3.

 その翌日、グリーンとアカネは再び三十四番道路に向かっていた。

 

 夜遅くまでさんざん連れ回されたグリーンは、まだ少しボーっとしている頭になんとか酸素を送り込みながらアカネの歩みについていく。まだまだ若いとはいえ、流石に僅かな睡眠時間ではまだ体に疲れが残っている。その先を行くアカネの体力が人並み外れて異常なだけだ。

 

 アカネはまだピカチュウを胸に抱えていた。昨日から今日にかけてメイクアップされまくったピカチュウの耳にはリボンとイヤーカフがつけられまくり、いつの間にかサイズがピッタリの可愛らしい服まで着せられている。

 

「あー、おったわー」

 

 三十四番道路の奥に、コウタと二人のトレーナーを見つけたアカネは、大きく手を振りながら駆け足で彼らのもとに向かった。

 

「いやー、連絡つかんかったから心配したんやで」

 

 ミズホとヨウイチを視界に捉えながらアカネが言う。アカネは今朝彼女らに連絡を入れようとしたが、二人共ポケギアの電源が落とされており、連絡がつかなかったのだ。

 

 後からそれに追いついたグリーンは、コウタを含める三人を見て少し違和感を覚えた。彼らが自分を見る目に、異質なものを感じる。

 

「昨日はちょっときついこと言ってもーてごめんなー、あれからウチらもっと考えたから、ちょっと聞いてーな」

 

 お好み焼き屋での説教を思い出し、グリーンもそれに合わせてコウタと目線を合わせるために膝を折ろうとした。

 だが、それより先に、コウタの言葉が、彼らを緊張を与えた。

 

「ああ、もう大丈夫ですよ」

 

 コウタは微笑んでそう言った。ミズホとヨウイチはそれになんの異も唱えず、ニコニコと微笑んでいる。

 

「大丈夫って、なにがや?」

 

 戸惑いながら首を傾げたアカネに、今度はミズホが答える。

 

「私達、仲直りしたんです」

 

 そして、それにヨウイチも続く。

 

「お互いが話し合うことで、ようやく理解したんです」

 

 その不自然さに、アカネは妙な胸騒ぎを覚えながらも、ひとまずは彼らを肯定しようとする。

 

「そうなんや、ほんなら、いつでも待ってるからな」

 

 その肯定を、ヨウイチが「いや」と否定して続ける。

 

 

 

「俺達も、コガネから出ることにしたんです。俺はシンオウに」

「私は、ホウエンに」

 

 

 そう言って向けられた目に、アカネは思わず一歩後ずさった。なんの不安も悩みもない、ただただ真っ直ぐな目が、彼女を見ていた。

 グリーンはそれに合わせるように一歩前に出てアカネを後ろに下がらせる。

 

「何があった。お前ら一体、何をされたんだ」

 

 その質問に、彼らは答えなかった。

 そのかわりに、彼らは腰のボールに手をやりながら言う。

 

「どうせまた、自分に勝てればどうだとかこうだとか言うんでしょう?」

「そうやって、コウタの夢を否定しようとするんだ」

「コウタくんの努力を、私達も、神様も知っています。だから、コウタくんの武者修行は絶対に成功するんです」

 

 無遠慮に草むらを踏みつける音がいくつもグリーン達の耳に届いた。

 

 アカネとグリーンがそれを見回せば、いつの間にか彼らを囲むように集まった何人もの少年、もしくは少女のトレーナー達が、ボールを片手に、明らかな敵意を彼らに向けている。

 それに驚きもせず、ミズホが更に言った。

 

「私達の邪魔をするのなら、私達の実力を、思い知らせてあげます」

 

 アカネの胸に抱かれていたピカチュウが、無理矢理に暴れてそこから飛び降りた。その衝撃でイヤーカフがいくつか外れ、舞い上がった砂埃がめかされた服を汚すが、彼はそれを気にしない。むしろそれが邪魔だと言わんばかりに手足をばたつかせる。

 

 アカネは、まだその状況を受け入れられていないようだった。あたふたとトレーナー達とグリーンとで視線を泳がせ、何かを言おうとはするが、何も言葉とならない。

 

 ピカチュウは、そのままグリーンと背中合わせになるようにポジションを取り、頬袋からの放電でトレーナー達を威圧する。

 

 グリーンもピカチュウに背中を預けていることを感じながら、モンスターボールを手にとった。殿堂入りトレーナーが今まさにポケモンを繰り出そうとしているのに、トレーナー達はそれに怯える様子もなく、むしろより前のめりになっているように見えた。

 

「アカネ!」と、コウタ達から視線を外すことなくグリーンが叫ぶ。

「なんや!」

 

 その呼びかけがきつけとなったアカネがようやく自分を取り戻した。

 

「今すぐ逃げてポケモンセンターと警察に連絡取れ、後はエンジュのマツバさんにもだ!」

 

 グリーンがそう叫ぶや否や、トレーナーの一人がオニスズメを繰り出して襲いかかってきた。

 

 だが、グリーンが繰り出したピジョットがそれを『つばさでうつ』で迎撃する、ピジョットはそのまま飛び上がって空からトレーナー達を威嚇した。

 

 しかし、トレーナー達はそれでは怯まなかった。むしろそれを皮切りにどんどんとポケモンを繰り出し、彼らに襲いかかる。

 

「早く行け!」

「あんたはどうするんや!」

「お前を逃がすんだよ!」

 

 サンダース、フーディンと次々にポケモンを繰り出しながら、グリーンが更に叫んだ。

 

 アカネは一瞬だけ不安な表情を見せたが、すぐに切り替えて三十四番道路を後にしようとグリーン達に背を向ける。

 

 その時、一人も逃がすまいと先回ったトレーナーが、アカネにオオタチをけしかけた。

 

 逃げることに意識を取られていたアカネはそれに対して反応が遅れる、それでもなんとか身を守ろうと彼女はポケモンを繰り出す体勢を取ったが、間に合いそうにもない。

 

 アカネが目をつむろうとしたその時、ピカチュウの鳴き声と共に強烈な『10まんボルト』がオオタチに襲いかかった。オオタチはその一撃で戦闘不能となり、電撃によって膨らんだ体毛を泥で汚しながら地面に突っ伏す。

 

「ありがとな!」と、ピカチュウとグリーンに礼を言いながら、アカネは彼らの方に振り返らないまま三十四番道路を駆け抜ける。その後、アカネに襲いかかろうとするトレーナーは現れなかった。

 

 地面を蹴りながら、あれ、と、アカネの中に一つの疑問が生まれた。

 あのピカチュウに助けられた時、グリーンは自分達に背を向け、三体ものポケモンを相手していたはずだ。だとするとピカチュウは、トレーナーの指示もなく『10まんボルト』を放ったということになる。

 

 勿論それが出来ないわけではない。アカネのポケモン達だって、その気になれば各自の独立した意思によって技を打つことくらいはできるだろう。ポケモンたちのそのような自立性を重要視する考え方があることも知っている。

 

 だが、一度そのような疑問が生まれてしまえば、様々な違和感が思い浮かぶ。

 

 そもそも、サンダースという絶対的な相棒がいるはずのグリーンが、どうして今更ピカチュウをパーティに加える必要があるのか。そして、なぜあの時、ピカチュウはグリーンと背中合わせに体勢をとったのか。

 

 もしかして、と、ある程度のことを予想したアカネは、今度はそれを振り切って、今自分がすべきことを優先した。

 

 

 

 

 

 

 その地下通路は、コガネシティの裏の部分として、その街が成長を続ければ続けるほどに、その影をより一層濃く反映していた。

 

 人々の目が高層ビルが支配する上空に、そしてリニアが支配する遥か遠く地平線の向こう側に向かえば向かうほどに、地下は彼らの視界から離れていく。

 

 ほとんど店の入っていないテナントを、時代遅れのオレンジがかった電灯が薄暗く照らしている。人が殆ど入らず空気の入れ替えの起こらないために空気は埃っぽく、カビのような臭いがする瘴気が漂っている。

 

 その瘴気をかき分けると、遥か向こうに一軒だけ、開かれている店がある。だが、そこにその店があることを知っているのは、コガネに住む、年齢の幼いトレーナーだけだった。

 

 テーブルの上に置かれた短いろうそくだけが照らすその店は、占い屋の雰囲気作りと言ってしまえばそれまでだが、フードをかぶってそこに座る占い師の表情は確認できず、その向こう側に何があるのかもよくわからない。

 

 占い師は、地下通路の床をスニーカーが踏みしめる足音を耳にした。その足音から、それが近づいてきていること、そして、それが今まで自分が相手してきた少年少女たちに比べれば、もう少し年齢が上なことも理解する。

 

 占い師は、慌てふためくことなく、その足音が自分の前で立ち止まるまで冷静を保った。逃げる気などサラサラなく、むしろそれが自らの前に現れることを望んでいた。

 

 瘴気の向こう側から、その足音の持ち主、グリーンが現れた。

 

「いらっしゃい」

 

 占い師の低い声が地下通路によって不気味に反響したが、グリーンはそれに動揺することなく、そこに用意されている丸イスに腰を下ろした。

 

「何が知りたくて、ここに来たのかね?」

 

 占い師の問いに、グリーンはその周りを確認しながら答える。

 

「あんたの目的が、さっぱりわからない」

 

 単純な問いではなかった。それの含むところの意味を占い師も理解しているが、あえてそれには乗らなかった。

 

「私はただの占い師、目的だなんてそんな」

 

 グリーンは、フードの奥をじっと睨みながら叩きつけるように言う。

 

「洗脳のかかりが甘かった。ミズホとヨウイチが、ここのことを覚えてたんだよ」

 

 その言葉に、占い師は沈黙を作った。そして小さく笑いながらそれに答える。

 

「目的なんて、ありはしないさ。私はただ、子ども達がこの街を出るように仕向けるだけ。ただそれだけ。尤も、実力も知識もない子ども達が、旅先で野垂れ死にそうになることを望んでいる誰かがいるかも知れないことは確かだがね」

「ただ、それだけのためにか?」

「ああ、どうしてもそれに理由が欲しいというのなら『それが神の啓示だったから』とでも答えよう。なに、それほど間違っているわけもでもないだろうさ」

「何人、何人のトレーナーを洗脳したんだ」

「さあ、答える義理があるわけでもない。もう覚えていないとでも言おうか」

 

 グリーンは、不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 

「さぞ、簡単だったんだろうな」

 

 瘴気の向こう側から、占い師の楽しげな声。

 

「ああ、簡単だったとも。私の可愛い少年少女たち、彼らの心の中には幾らでも隙間があり、現実を投影すべきスクリーンには、まだ空想が映し出されている。彼らの中に神を住まわせ、根拠無き虚栄心を作り出すのは、楽しくもあり、痛烈でもあった」

 

 グリーンがそれに何も返さない内に、更に続ける。

 

「特に、強さというものを求める彼らのなんと罪深く、なんと純情なことか。強さなど、最強になりたいなど、この世全ての人間が望んだとしても、それを叶える事ができる人間はたった一人だというのに、彼らは根拠なくそれを求め、そして、意味もない努力を繰り返す。それを肯定する神さえ作り出してしまえば、後は全て思いのまま」

 

 更に占い師は一つ満足気に笑って続ける。

 

「私の可愛い少年少女達は、神を信じたのではない。神の存在を望んでいたのだよ」

 

 なるほど、と、グリーンは背筋を伸ばして占い師に問う。

 

「そうやって、コウタも洗脳したのか」

 

 その名を聞いて、占い師は高笑いする。

 

「愛しく、そして哀れな少年だった! 彼は終わりの見えぬ長い長いトンネルを恐れ、怯えていた。私達がほとんど手を加えずとも、彼はこちら側へと歩んだだろう」

 

 酷いと思うかね。と、占い師はグリーンに語りかける。

 

「私のことを、悪魔だと思うか? 悪辣で生きるべきではない鬼畜だと軽蔑するかね? だがね、私から言わせれば、私のような男こそが、教育者の最もあるべき姿だよ。夢に生きる少年少女を、更に夢に盲目にさせてやることに、なんの罪がある?」

 

 放っておけば、もっともっと演説を続けそうな占い師を「どうでもいいけどよ」と、グリーンが止める。

 

「あんたはどうするつもりなんだ? この地下通路の出入り口はジムリーダーと警察が完全に抑えてる。まさかとは思うが、このままおとなしく捕まるってわけじゃないだろう?」

 

 演説を止められた占い師は一瞬ムッとしたように言葉をつまらせたが、すぐさまに調子を取り戻して、新しい演説を始める。

 

「殿堂入りトレーナーが露払いを務めれば、なんてことのない話だ」

 

 演説の勢いとは反対に、占い師は静かにろうそくの芯をつまんで火を消した。ただでさえ心もとない光源だったのに、それを失った地下通路は、あまりにも弱々しいオレンジ色の電球のみが照らすようになる。

 

 その暗闇の向こう側から、再び占い師の声。

 

「私のように人生を長く旅した人間からすればね、コウタも君も大して変わりやしない子供なんだよ。そして、おそらく、コウタよりも君のほうが、より神を求めているはずだ」

 

 グリーンは、かび臭い空気の中に、これまで嗅いだことのない甘ったるい刺激的な香りが漂い始めていることに気がついた。一瞬、彼はそれをどくポケモンの『スモッグ』によるものかと警戒したが、経験から、そうではないことを理解する。

 

「むしろ私は君が今でも精神を侵されずにいることを不思議に思う。それだけの血統、そして、実力を持ちながら、栄光を掴んだのは僅かな時間だけで、むしろそれよりもそれを奪われた歴史のほうが重要視される、そのような立場にいながら、精神を保つことのできる君を、私は立派に思う」

 

 それが、精神の動揺を引き出すためのスピーチであることくらい、当然グリーンには理解できる。だが厄介なのは、占い師が暗闇から語りかけるそれは、何も間違っていない事実だということ。

 

「私はね、君こそが神に救われるべき人物であると確信しているよ。君の努力は認められるべきだし、神こそは、君の努力を認めてくれる、そして、君が努力を続ける限り、神様は、君に祝福を与えてくれるだろう」

 

 占い師は、マッチを擦って火をおこした。そして、それを短いロウソクに再び灯し、こころもとないが信頼のできる光を作る。

 

「君も、私と一緒に神を信じようじゃないか」

 

 グリーンの目前に、占い師と、左右に揺れる振り子が現れた。

 その振り子の持ち主、スリーパーは、丸椅子に座るグリーンを見下すような視線を送りながら、ブツブツとなにか小さく鳴き声を上げながら振り子の揺れをグリーンに押し付ける。

 

 占い師は、それが成功することを疑っていなかった、彼の知る限り、グリーンという少年は、洗脳が成功する要素をすべて満たしていたし、これまで成功させてきた洗脳の数々が、彼に並々ならぬ自信を与えていた。

 

 グリーンは、その振り子から目を逸らさなかった。否、むしろ食い入るようにそれを睨んでいる。

 

 彼の脳裏には、記憶がある、心の中に暗く深い闇を作り出すには十分すぎるほどの記憶が存在することを、占い師は知っている。

 

 洗脳は、無理矢理に記憶を植え付けるものではない。感情を落ち着かせる香を焚き、単調で、つまらない、例えば振り子のようなものをじっと視界に入れ、それが作り出す退屈の時間の間に、彼らを洗脳するのに、十分な記憶を引き出すことこそが、占い師と、スリーパーの技術だった。

 

 振り子が、だんだんとその振り幅を小さくし始める。それは、その振り子の運動が、大分時間を食ったことの証明。事実、随分と長い時間その振り子はふれ、グリーンはそれだけの間、記憶を呼び起こし続けていた。

 

 その振り子が止まった時、洗脳が完了する。

 

 

 だが、その振り子が、スリーパーの指先と重力の間に均衡を保ち、ピンと張ることはなかった。

 

 

 瘴気の向こう側から現れたサンダースが、スリーパーの腹に『でんこうせっか』の体当たりを決めたからである。その衝撃から、スリーパーは膝を折り、今度はサンダースの『でんじは』によって動きを制限される。

 

「なんだと!?」と驚く占い師に気を取られることなく、今度はピジョットが『つばめがえし』でその瘴気を作り出していたゴーストを打って取る。

 

 その後、ピジョットが翼を羽ばたかせ『きりばらい』によって地下通路にはびこっていた瘴気を吹き飛ばす。

 それでも薄暗いことに変わりはないが、オレンジ色の電灯は、それまでよりは力強く地下通路を照らす。

 

 その光は、占い師だった男を、黒いローブで暗闇に身を隠そうとしていた惨めで滑稽な醜男へと姿を変えさせた。

 

「なぜだ!?」

 

 手持ちを失い、更に殿堂入りトレーナーの相棒達二人に囲まれたその男は、体格的にはまさるであろうグリーンを、精神的に見上げながらそう叫んだ。彼は、グリーンが自分の作った城の中で洗脳に打ち勝ったことを未だに受け入れられていないようだった。

 

「あんたはなんにも分かってないよ」

 

 丸椅子から立ち上がったグリーンは、呆れたようにそう言って男に背を向けようとした。

 

 それにすがるように、男がさらに叫ぶ。

 

「お前は、お前は敗北者のはずだ! この世で最も大きな、考えられないほどの屈辱をお前は受けているはずだ! なぜ受け入れない!? どうしてお前のようなガキが、神を受け入れられずにいられるんだ!?」

 

「俺より長く生きてるのに、本当に何もわからないんだな」

 

 見下す事を隠そうともせずにそう言い放つ。グリーンは、もうその男への興味を失っていた。

 

 少年少女を洗脳し、ふらふらと旅立たせるトレーナー、ミズホやヨウイチからその情報を聞いた時、グリーンが真っ先に思い浮かべたのは、それらとレッド失踪の関係だった。グリーンは自分やレッドがまだまだ少年というべき年齢にあることを理解していたのだ。

 

 だが、それはあまりにも見当違いな考えだったとグリーンは今思っている。

 

 チンケなトリック、人のトラウマを探るような卑劣な手口に、トレーナーとしての実力、とてもではないが、レッドを手中に収めることのできる格がその男にあるとは思えない。

 

 当然、コガネの少年達を洗脳した事実はある。だが、この程度のトレーナーならば、警察と、法が裁くだろうと判断したのだ。

 

「なぜだ!? なぜだ!? なぜだ!?」

 

 洗脳する手段も、ポケモン達も失った男は、自身の我を通す最後の手段として、そうやって大声で泣き叫びながらグリーンに問う。

 

 だが、グリーンは彼を相手にせず、地下通路を歩いた。

 

 遠くなる背中に、男は遂に大きな声で泣きわめくだけとなる。

 

 それを背中に感じながら、グリーンは心の中でその答えを思い浮かべる。

 

 

 

 

 神に祈った程度で努力が全て報われるのなら、俺は、あの時負けてねえよ。と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「少し、二人で話をしたいのですが」

 

 息子を救ったトキワジムリーダーにそう言われ、コウタの両親は、個室に息子とグリーンの二人を残して部屋を去った。

 

 コウタは、少し緊張した様子でグリーンと目を合わせている。

 

 洗脳されていたとはいえ、感覚がまったくなかったわけではない。明確に数に勝っていた自分達が繰り出すポケモンを、グリーンが目にも留まらぬスピードで全てなぎ倒していた時、彼が覚えたのは恐怖の感情だった。

 

「まだ頭がボーッとするかもしれないから、あまり無理はするな」

 

 エンジュシティから呼び寄せたマツバは、洗脳された子ども達を眠らせると、自身のゴーストポケモンとグリーンのフーディンの力で、なんとか彼らの感覚をあの卑劣な男と出会う前のものに戻そうと努力した。その全てが円満に終わったかどうかはまだわからない。それに、子供達への処置は、まだ全てが終わってはいなかった。

 

「申し訳なかった」

 

 突然、グリーンがコウタに頭を下げた。

 

「俺は気づけなかった。君の友人は、君の変化にいち早く気づいていたというのに」

 

 グリーンは、それを悔いていた。コウタが洗脳されているかもしれないということにもっと早く気づくことができれば、ミズホやヨウイチにも被害が出ることもなく、もっと早くコウタを救うことも出来た。

 

 だが、グリーンはそれを見抜くことが出来なかった、彼はコウタの行動を、焦る少年トレーナーの無謀で虚栄にまみれた突飛な行動と決めつけ、現実を教えることしかしなかった。

 

 神様という単語が出たときに、それを疑うべきだったのだ。

 

「いいんです」

 

 コウタは、グリーンの謝罪を受け入れた。子供と呼ぶには少し年を取りすぎ、少年と断定するにはまだ年が足りないような気もするその少年は、少し目を伏せながら続ける。

 

「俺は、それを受け入れていたんですから」

 

 コウタは掠れ始めている甲高い声で続ける。

 

「焦っていたんです。ミズ姉やヨウ兄がどんどん強くなっているのに、俺はそれを眺めているだけ。俺を気遣って与えてくれるアドバイスだって、半分くらいはその意味がわからなかった。あの占い師は俺の考えを無理やり捻じ曲げたわけじゃない、俺が心の中で思っていたことを、より強く主張できるようにしただけなんですよ」

 

 コウタに対するグリーンの分析は、その殆どが的中していた。

 

「元々、旅には出たかったのか?」

「出たかったです。バッジを集めて、チャンピオンになってだなんて、誰だってそれを思う。ただ、俺は自分の実力がそれに見合ってないことを分かってました。ミズ姉達が出来ていることが、俺には出来ないんだから」

 

 グリーンさん、と、コウタはグリーンと目を合わせて問う。

 

「ミズ姉やヨウ兄のことは好きです。大好きです。だけど、俺があの人達と同じ物を目指している限り、きっと今日のようなことが起こる気がするんです。俺が、あの人達を憎んでいたことは、確かなんですから」

 

 その掠れ声が、少し震えていることにグリーンは気づいている。そして、彼は沈黙をもってその次の言葉を待つ。

 

 

「グリーンさん。これって、仕方のない事なんですか? 強くなろうと思い続けている限り、俺は、また大切な誰かを憎まなくちゃならないんですか?」

 

 

 それは、ジムリーダーとして、教育者として、そして、歳上として、必ず否定しなければならない問いだった。それを肯定することは、トレーナーという存在の倫理性を大きく揺り動かすことになる。

 

 だが、グリーンはそれに即答することが出来なかった。彼はコウタの問いに背筋を張り、彼から目をそらした。

 

 脳裏にあったのは、あのピカチュウだった。

 

 地下通路に足を踏み入れた時、グリーンは、ピカチュウを連れてはいかなかった。当然、アカネはそれに強く反対したし、ピカチュウもグリーンについていこうとした。 

 

 

 だが、グリーンはそれを拒否した。

 

 

 彼には、自信がなかった。

 

 

 レッドの相棒であるピカチュウを側に連れて、それでも占い師の洗脳に打ち勝つ自信が、彼には無かったのだ。そのピカチュウの存在こそが、彼の中に渦巻く否定すべき憎しみの根源なのだから。

 

 コウタの問いを強く、そして華麗に否定し、教育者が持つべき倫理を迷える少年に見せつけるには、彼の経験は、壮絶すぎた。

 

 だから。

 

 

 

「さあ、どうなんだろうな」

 

 

 

 だから、彼はそれを否定しなかった。否定できなかった。肯定に相反するものが否定であることを、彼は証明できなかった。

 

 グリーンがそれを否定しなかったことを、コウタは重くは受け止めなかった。流石に実力のあるトレーナーだけに、いろいろなことを知っているのだろうと、ある意味でグリーンを理解しながら息を吐く。

 

 だが、本来ならば、それは絶対にしてはならないことだったのだ。もしこの場に、教育者としてはグリーンよりも優れているアカネがいれば、彼女はグリーンの手を引いて一旦その場から引き、グリーンを一発張った後に、自分達が持つべき倫理観と、グリーンが抱えている深く大きい心の傷を理解しようとする感情に板挟みになり、思わず涙を流していたかもしれない。 

 

 グリーンのぼやかした返答によって、コウタはぼうっと天井を眺めた。彼もまた、トレーナーとしての夢と、壊したくはない友情との間で、板挟みになっていた。

 そして、彼は決意する。

 

「グリーンさん」

 

 コウタの呼びかけに、グリーンは外していた目線を再びコウタに戻した。

 

 

「俺を、トキワジムのジムトレーナーにしてくれませんか?」

 

 

 その願いに、グリーンは驚き、小さく声を漏らす。

 

「何いってんだお前」

「俺が、俺がもっと強ければ、こんな事は起きなかった。だから、グリーンさんの元で、俺はバトルを学びたいんです」

 

 間違った理屈ではなかった。ただ、あまりにも突発的なことだったので、グリーンはそれに慌てふためく。

 

「トキワジムにはまだジムトレーナーはいないし募集もしてない。それなら手慣れてるアカネの手を借りろ」

「いや、それでは駄目です。この街にいたら、僕はきっと、また誰かを憎むようになる」

 

 グリーンは、沈黙によって作り出された時間で、必死に思考を巡らせた。

 

「お願いします。俺をトキワジムのジムトレーナーに」

 

 再度の呼びかけにも、グリーンはまだ沈黙を貫く。

 

 もし、コウタが才能に満ち溢れた有望なトレーナーであれば、グリーンはそれを拒まなかっただろう。だが、コウタの才能は、ジムトレーナーの教育に造詣のないグリーンが自信を持って責任を持てるものではない。

 

 だが、その沈黙は「ええやん!」という声と、扉が開かれる音でかき消された。

 

 やはりめかしにめかされたピカチュウを抱っこしたアカネが、病院に不釣り合いなテンションと共に現れた。

 

「グリーンのジムには誰もおらんのやし、いい機会や! 両親にはウチが話つけたる!」

「ちょっと待て」

「待てもヘチマもないわ、絶対に誰かが一人目にならなあかんねん、それなら縁があるトレーナーのほうがええやろ」

 

 それも、間違ってはいない理屈だった。グリーンがジムリーダーを続ける以上、いつかはジムトレーナーを受け入れるだろう。そうなれば、誰か一人目を経験しなければならないのも間違いない。

 

「考えさせてくれ」と、グリーンは結論を保留しようとする。

 

 だが、アカネはツカツカとグリーンに詰め寄りながらそれを否定する。

 

「いーやあかん、そもそも新米ジムリーダーのあんたが選り好みできる立場かいな」

 

 よいしょ、とピカチュウを床に逃がし、アカネはグリーンにぐいと詰め寄ると、グリーンにだけ聞こえるように小さな声で言う。

 

「責任とらなあかんねんで」

 

 まっすぐと自分を見るアカネの目に、グリーンは思わず吸い込まれそうになった。教育者としてグリーンの先を行く彼女は、それに関しても、グリーンを導こうとしている。

 

 グリーンは、ギュッと目を閉じ、ジムトレーナーを受け入れることで起こるかもしれない事を大体想像する。

 そして、自分がそれら全てに立ち向かうことの覚悟を決めた。

 

「条件がある」

 

 目を開いたグリーンは、真っ先にコウタを見て続ける。

 

「トレーナーズスクールには必ず行くこと、ジムトレーナーだからといって、特別扱いはされないしさせない、普通のトレーナーと同じように授業を学び、トレーナーとして駄目だったとしても潰れない程度の常識は学んでもらう」

 

「わかりました」と、コウタはそれに頷く。

 

「それともう一つ」

 

 一つ沈黙を作ってから、グリーンが続ける。

 

「俺が駄目だと判断したら、トレーナーとして大成する事は諦めろ。その二つが条件だ」

 

 厳しい、と、アカネは思った。

 

 おそらく、グリーンの言う『駄目』というのは、努力とか、やる気とか、そういう誰にでもできるような部分ではない。コウタという人間のトレーナーとしての才能の底が見えれば、彼はコウタにそれを通告するのだろう。

 

 アカネは、声を上げて、もう少しゆるい条件にしようとした。彼女なら、それが出来ただろう。

 

 だが、それよりも先にコウタが「はい!」と力強く言った。それが厳しい道であることは、理解しているであろうに。

 

「まだ洗脳が残ってるわけじゃねえよな」と、グリーンは冗談まじりに言った。その顔があまりにも真剣味に満ちていたので、コウタはブンブンと大きく首を振ってそれを否定した。

 

 その様子にグリーンは思わず吹き出し「わかったわかった」と答える。

 

「まあ、やれるだけやってみるよ」

 

 ようやくグリーンがそれを受け入れた時、再び個室のドアが開いた。

 

 見ると、病衣に身を包んだミズホとヨウイチが、心配そうな表情をしてコウタの名を呼ぶ。

 コウタもまた、彼らの名を呼び、その三人は再開を喜ぶ。

 

「どこから聞いてた?」

 

 三人がそれぞれに夢中になっているのを眺めながら、グリーンはアカネに問う。

 

「何がや?」

「俺とコウタの会話」

「ああ、最後のとこだけや」

「そうか」

 

 グリーンは短くそう言うと、コウタ達三人に目を向ける。

 

 あんな時が、俺達にもあったんだろうか。

 

 きっとあったんだろう。否、きっとレッドは、いまだにそう思っているはずだ。

 

 変わったのは自分の方なのだ。

 

 グリーンは足元のピカチュウに合図をすると、久しぶりに彼を肩に乗せた。

 

「じゃあ、リニアの時間があるから」

 

 そう言って病室を後にしようとした一人と一匹の背中を、アカネは目で追った。

 

 引き留めようとした。なあ、とか、待ってや、とか、そんな何気ない言葉でグリーンを引き止め、彼女は、ある質問を彼に投げかけようとしていた。

 

 

 そのピカチュウ、誰のポケモンなんや?

 

 

 だが、アカネはその言葉を飲み込んだ、静かに病室を去ろうとするグリーンを、彼女に似合わず静かに見送った。

 

 きっと、あのピカチュウはグリーンの本来の手持ちではないのだろうと、彼女は確信していた。

 

 そして、その持ち主が誰であるのか、その想像も、ある程度は出来ている。もしそうであるならば、彼はきっと、この世界で最も有名なピカチュウだろうから。

 

 その先のことは何もわからない。どうしてそのポケモンをグリーンが連れ歩いているのか。そして、そのピカチュウの持ち主は、一体どうしているのか。

 

 それをグリーンに問うのは、あまりにも残酷なような気がした。そして、彼女の聡明な判断は、きっと正しかったのだろう。




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