That ID was Not Found【完結】 作:畑渚
「まったく、今回は大変な目にあったわね」
私は416の言葉に内心頷く。もちろん、外面はいつもの笑顔だ。
「でも皆損傷無しで帰ってこれたでしょう?」
椅子に座りながら45はそう言った。たしかに戦闘での擦り傷を除けば、ダミー一体の損害もない任務だった。
「45姉!装備置いてこようか?」
「ええ、ありがとう」
45から装備を受け取ると、倉庫へと向かう。鍵を開けて中に入れば、最低限の荷物だけが収納されていた。
私は奥へと進み、弾薬の詰まった木箱を引き寄せる。ここには私の秘密、床下への抜け穴が隠してあるのだ。床下には地下シェルターが隠されている。ここは小隊でも私しか知らない、私だけの部屋だ。
ここに居られるのはほんの数分だ。しかし、この数分だけが、私がこの世界で唯一人間で居られる時間なのである。
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「9のやつ遅いわね」
「あら、9のことがそんなに気になるの?」
「ええ、悪い?」
私はコーヒーカップを傾けて、中の液体をすする。
「悪いわよ。私の大切な妹に手を出すのはやめてほしいわね」
「手はださないわよ」
416も何気なしに呟いただけなのだろう。すぐに本に目を戻した。
「まあ……私だって遅いのは気がかりではあるのだけどね」
よくよく思い出してみれば、9はなにかと遅れる。特に戦闘の後だ。
「9なら外で猫と遊んでたよ」
部屋に入ってきながらG11がそう言った。猫……か、9らしいと思った。きっと9なら、動物にも好かれることだろう。
「ね、猫?ここらへんじゃ珍しいわね」
「きっとまだ遊んでるだろうし416も見に行ったら~?」
「きょ、興味ないわよ」
416はそう言うが、目は泳いでいる。まったく彼女はいつもこうだ。どうしてわかりやすい嘘をつくのか、私には理解できない。
「45~、猫に会いに行くなら416も連れて行ってあげてよ」
「いやよ。それに私は猫に会いに行くんじゃなくて9に書類を渡してくるだけよ」
「……嘘ばっかり」
G11がソファに身体を沈めたのを横目で見て、私は部屋を出ていった。
嘘ではない。実際に9に確認をとる必要のある書類はある。
だから、私は嘘はついていない。急ぎの用事ではないことからは目を瞑った。
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濡らした布で身体を拭くと、少しはさっぱりした。こういったことは人形には必要ないが人間には必要なことの一つだ。人形の出す老廃物は、生体パーツの割合にもよるが人間の半分にも満たないと聞いた。まったく羨ましい限りである。
着替えが終わり、私の人間の時間が終わりを告げる。疑似皮膚も貼り付けたので、例え裸にされようとも触られない限りは傷口がばれることはないだろう。
「にゃー」
皆のいる部屋に戻る途中、建物の隙間から鳴き声が聞こえた。
「猫?こんなところに珍しい」
人馴れはしていないようだ。しかし好奇心旺盛な年頃のようで、私に興味津々といった様子だ。
手を伸ばしてみると、匂いを嗅いだ後ペロペロと舐め始めた。くすぐったくて、つい顔に笑みが漏れ出てしまった。
「9、何してるの?」
突然後ろから声をかけられて、思わず飛び上がる。
「G11?どうしてここに?」
「昼寝場所の新規開拓の旅に出てる。……それって猫?」
G11は私の後ろへと顔を向ける。
「うん、どこかから迷い込んできたみたい」
「ふ~ん。それじゃあ私は寝るから、おやすみ」
「お、おやすみ……」
笑顔でG11を見送る。すこし引きつってしまったのは仕方ないだろう。
再び猫に向き合って見れば、私の足をコースにして走り回っていた。どうやらなつかれたらしい。
「9、ちょうど良かったわ探してたのよ」
「45姉どうしたの?」
G11の次には45かと背中を汗がつたる。45の不気味な笑みはまるで嘘を見透かされているようで、いつも不安になる。
「ちょっとこの書類に目を通してほしいのだけど」
そう言いながらも45の目線は足元の猫に釘付けである。人形であっても、猫好きという性格の者が存在するようだ。
「あっわかった。45姉ってばG11に猫がいるって聞いてきたんでしょ」
「そ、そんなわけないじゃない。私は9に用事があったから」
「そんな隠さなくてもいいよ、ほらっ」
無防備な猫を抱きかかえ、45に近づける。
「えっあっ……か、かわいい」
猫は45の撫でる手にくすぐったそうに身を捩らせる。銃を持ち敵を殺す404小隊長とはまるで別人のようである。
「持ってみる?」
「い、いいの?」
45は書類を置くと、そっと猫を抱きかかえる。
「私、今猫を持ってる……」
「良かったね45姉」
「あっ」
猫は45の腕から飛び出して、そのまま草むらへと入っていってしまった。
「猫、いっちゃったね」
「……コホン。それじゃあ9、本題にはいるけど」
あくまで猫はついでであることを強調する45を見て、笑顔が漏れ出る。
「まったく、45姉はかわいいな」
「何を言ってるのか理解できないわ」
45はごまかすように、咳払いをした。
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人形に睡眠は必要なのか、と昔考えたことがある。結論は必要だ。そもそも人間に必要である理由は、心身のメンテナンスをする時間だからだ。しかしそれだと、別途メンテナンスの時間をとっている人形が心身のメンテナンスをする必要はないように見える。
しかし、いまや人形は人間の数倍もの情報を同時処理する能力が備え付けられている。結果、メンテナンスを必要としなくても情報処理をする時間が必要なのだ。彼女らはスリープモードに入ると、情報の削除や保存の最適化をするのだ。
加えて、スリープモードであればエネルギーの消費が押さえられるので、結果的に長期的な活動が可能となる。
私はこの仕様に感謝しなければならない。でなければ、一定時間の睡眠を必要とする時点でこの任務は失敗だからだ。寝てしまったが最後、人間と判明し私はこの世界から退場することになる。
「あれっ45姉?」
そうである。私とて人間、寝ているときは無防備なのである。
「G11と416が今日は休んでていいって言ってくれたのよ」
45はためらいなく服を脱ぎ、私の寝ているベッドに潜り込んでくる。ここにベッドがあるのはこの部屋だけで、ベッドも二人で寝るのも問題ないくらいには広い。
ギシギシとベッドが軋む。今日が私の命日なのだろうか。
「どうしたの9?寝ないと明日に響くわよ」
「うん、でもちょっと考えることがあってね」
もちろんこの窮地の脱し方である。今ベッドから抜け出すのはまずい。しかし、肌の接触を許してしまえば、勘の良い45なら違和感から私が人間であることを見抜くだろう。
「なに?悩み事?」
「ううん、大したことないよ」
大したことである。なんていったって私の生死がかかっているのだ。
その後も45と話しているうちに、眠気が限界に達してしまい、私は意識を失った。
次の朝、いつもと変わらぬ様子で話しかけてくる45を見て胸を撫で下ろしたのは、言うまでもないだろう。
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今日はラッキーだ。なぜか416とG11が見張りをしてくれるらしく、久々にゆっくりとスリープできそうだからだ。
「あれっ45姉?」
ベッドルームにはすでに9がいた。丁度よい機会だ。たまには姉妹水入らずで話すのも悪くないだろう。
しかし、いつもと違い9は黙ったままだった。しかしスリープモードに入った様子もない。
「どうしたの9?寝ないと明日に響くわよ」
返事は要領を得ない物だった。悩みがあるなら助けになりたかったのだが、どうやら一人で考えたいようだった。
それでも私は引き下がらない。だって9は私の妹なのだもの。
姉というのは妹の悩みに手を差し伸べるもの。そうでしょう、█████?
結局悩みを聞き出せぬまま、9はスリープしてしまったようだ。どうやら活動時間が限界を越してしまったらしい。私もそろそろスリープしなければいけない。
「おやすみなさい、9」
9の頭を撫でる。手入れの行き届いた髪は、月明かりを反射して綺麗だった。すやすやと寝息を立てる9を見ながら、私もベッドに身体を沈めた。
触っても気づかない勘の悪い45姉